本連載第30回でも「人生100年時代」を巡る論戦について書きましたが、このたび金融庁が老後資金に関する報告書(案)を発表するにあたり、かなり衝動的な内容だったために騒動が広がりました。

「衝動的」とは言うものの、この金融庁の文書を読めばご理解いただけると思うのですが、金融庁は別に問題のあることを何一つ書いていません。

ところが、これが朝日新聞やほかの報道によって、かなり間違った解釈で「炎上」してしまいました。

国はなにも煽っていないのに、
「個人の努力」が間違った解釈をされている

金融庁は、今までの制度を堅持し、医療保険から年金まで、これからも国民の福祉を担っていく一方で、それでも生活の品質維持に足りない資金の一部を個人の努力による蓄財でカバーしなければならなくなるだろう、と当たり前のことを書いているだけです。

資産寿命(老後を暮らせる蓄え)を延ばすための心構えの指針は以下の通りです。

  考えるべきこと
①現役期
  • もう少し長く働くことを検討
  • 老後を意識し、資金の現状を「見える化」
②退職前後
  • もう少し長く働くことを検討
  • 退職金の額などを早期に確認
③高齢期
  • 自らの資産額に応じて計画的な取り崩し
  • 要介護など心身の状況に応じて資金計画の見直し
  • 認知症になった際、お金の管理をどうするか検討
出典:『金融審議会市場ワーキング・グループ 「高齢社会における資産形成・管理」 報告書(案)』(金融庁) 更新

ライターの岡田有花さんは「自助を求めるなら年金徴取をやめろ」という極論とも言える反応をピックアップして問題を整理する一方、フィナンシャルプランナーでもある山崎俊輔さんは、ごく普通に煽られた本件が国民の怒りをぶつけるには不当なものだと正面から解説しております。

もちろん、山崎さんの議論が社会保障を論じるうえでは基本かつ正論であることは言うまでもありません。

「高福祉・高負担」か「低福祉・低負担」
議論すべきはこの二択

「公的年金だけでは老後が不安だ」というのは当たり前の考えである一方、今の制度設計が戦後すぐに立ち上がったものであり、平均寿命が1965年の全国67歳だった時代に比べて20年近く伸びている昨今、年金をもらう人が増えて高齢者問題、福祉の財源問題が大変なことになっているのはこの連載で何度も指摘してきた通りです。

「老後の生活は、国が全部面倒を見てくれる」なんてことはあり得ないのはみな知っているのに「老後の生活防衛のためには『自助』も必要」となった瞬間に感情論が増えるのは何故なんでしょうかねえ。

それだけ日本の少子化による生産年齢人口の減少と、寿命の伸びによる高齢化率の増大というのはストレートに年金制度を脅かすだけでなく、健康保険、企業年金、地域の福祉政策に大変な変更を促し、資産状況の劣化が進んでしまうのは言うまでもありません。

高齢化率の推移と将来推計
出典:『 平成30年版高齢社会白書(概要版)』(内閣府) 時点

これも朝日新聞で報じられている、年金の支給開始年齢を70歳からにするという選択も可能にしましょうという政策も、いわば「きちんと働ける人は働いて、いつまでも健康で生産人口であってほしい」という社会的コンセンサスを取らないといけないという話です。

「生涯現役」って言葉は綺麗ですけどね、つまりは「死ぬまで働け」っていう含意もあるんですよ、残念ながらね。

ところが、この問題についてはどういう理由かネットなどで若者層がかなり関心を示しています。

いわば、若者は「俺たちは納めるだけ年金を納めさせられて、実際に老人になった頃には十分な金額がもらえないのではないか?」という、かねてから存在する『年金は国家的詐欺論』みたいな論調になっているのが特徴的です。

もちろん、これらはネットである意味で金融庁の報告書案が一部を切り取る形で煽動的に取り上げられてしまったがゆえに、けっこう敏感になっている部分はあります。

確かに年金制度を見るとポンジスキーム的なねずみ講に見えるんですけど、実際には基金もあり、基金への流入が減ると年金の支払いも減るマクロスライドが用意されていますので、下手をすると詐欺どころか日本の国家財政よりも堅牢な仕組みになっています。

それであるならば、国民の議論としては今までの福祉を今と同じ負担では維持できない前提で、「高福祉・高負担」とするか「低福祉・低負担」とするかの政策論争をしなければならないはずなのです。

足りない部分は国債で一部を穴埋め、将来の世代にツケを回して、生産性のなくなった高齢者を支える社会保障の財源にするというのは、まさに「高福祉・低負担」というちょっとあり得ないレベルの話となりますから、いずれ将来の世代で大変な崩壊を味わう怖れすらあるよね、ということはご理解いただけるのではないかと思います。

消費税で日本の社会保障を守ろうと思ったら15~22%らしいが…遂に2019年10月「消費税10%へ引き上げ」

同様に、消費税の引き上げ問題も、これらの消費税についてはどんどん増えていく社会保障費の財源とするという前提で今年10月に増税が予定されています。この2%の消費税の増税によって、本当に企図するほど充分な歳入があるのかはわかりません。

一般会計税収の推移
出典:『税収に関する資料』(財務省) 時点

景気が折れてしまい、法人税・所得税の伸びがマイナスになって歳入がむしろ減ってしまうリスクもあるでしょうし、皮算用されているように概ね消費税1%引き上げれば2兆から2.5兆円の歳入増と本当になるのかどうかは、正直なところ誰も自信が持てないんじゃないでしょうか。

しかしながら、喫緊の課題として社会保障費はどんどん増大していきます。

2018年4月、財務省が出した財政に関する長期推計では、社会保障制度改革を行わなかった場合は2060年には対GDP比で約6%増と試算しています。

日本の2017年のGDPは約533兆3,910億円ですので、ざっくり40年で年間30兆円超も増えることになります。

同様に2018年5月に内閣府が発表した社会保障の将来見通しでは、2040年までに対GDPで2.4%も社会保障関連費が増大すると試算しています。

こちらは、22年ほどで年間13兆円増える計算ですので、社会保障費の安定財源として消費税を使っていこうとすると少なくとも6%、将来的には15%から22%ほど消費税を引き上げなければやっていかれないということになってしまいます。

どうであれ、社会的にも経済的にも政治的にも、現実に受け入れられる状況からはほど遠い数字であることは言うまでもありません。

消費増税で社会保障を維持するのは無理な話
今後は給料から引かれる社会保険料が増えるかも

必然的に、消費税の増税だけで社会保障費を賄おう、安定財源にしようというのは無理な話なので、増税論議せずに何とかやっていける方法は何かといえば、生産年齢人口・労働者が毎月納める社会保険料を引き上げることで帳尻を合わせるぐらいしかないということになります。

実収入に占める税金と社会保険料の割合
出典:『全国生計費調査』(日本生活協同組合連合会) 時点

2004年から段階的に続いてきた保険料率の引き上げについては終了していますが、財源が不足して問題になる前に、改めて政策的な手当てをしようという話も出てくるかもしれません。

これらの年金や介護も含めた社会保障費を巡る問題は、年金機構などにおける度重なる不祥事もあり、信頼感が国民の間になかなか広がらない面ももちろんあるでしょうが、どうしても社会保障制度が高齢者を優遇するものであって、国民の全年齢に対して広く平等で納得性があるとはなかなか言えないものになっている部分は拭えません。

あまり所得の伸びない若者にとって、徴取される社会保険料は自分たちの実入りにはすぐにはなりませんので、若者が「今おれたちが苦しいのに、なんで見ず知らずの年寄りを支えるためのカネをおれたちが負担しなければならないのか」と言いたくなる気持ちもよくわかるんですよね。

例えば、初等中等教育制度や給付型奨学金、大学の研究能力に対応した新しい時代の科研費といった、産業、学問を通じて人間を育て、富を生み出すことへの予算が他の国の平均に比べて伸び悩んでいるという事案もあります。

見ようによっては、これから死ぬしかないお年寄りにお金を使うよりも、これからの日本の生産人口となり国富を生み出す人たちの育成にもっと金を使うべきだ、という人たちは少なくないようにも見えます。

つまり、介護される世代だけでなく介護する世代は文字通り生産年齢人口であり勤労世帯であり、ここに対する生活の保障はどうなのか、あるいは、働く女性に対する考え方、また、子育て育児の問題はどうしても避けては通れません。

そうなると「社会で支え合って」と綺麗事を言っても、いまの若い人たちは見返りのないお金を徴収してしまっているのではないか、という話になるので、世代同士で助け合う形の社会保障の枠組みが作れないか、という議論は常にあります。そう簡単じゃないですが…。

いよいよ年金に依存する老人の生活の質が下がり始める。
もはや炎上している暇もない。前向きにならねば

問題が大きすぎて政策的に立ち往生している間に、かなり本格的に老後の資金に関する社会的コンセンサスを取りづらくなって、公的年金ですべてのものが賄えない、年金に依存する老人の生活水準が下がってしまうという「当たり前の問題」ですらも、金融庁の指摘で炎上扱いされてしまうというのは非常に残念なことです。

今でさえ、支給される年金だけで暮らすのは至難な状態なのに、ここから団塊の世代が後期高齢者に入って無事で済むはずがないのです。

このあたりの議論は、少子化が政策課題になり始めたエンゼルプラン(1994年)の頃からずっと同じ問題意識として叫ばれ続けて、24年ほど経ってようやく国民が生活上の大問題ということで気づいた、ということなのでしょうか。

これはこれで、悲しいことではあるのですが、前を向いて議論を続けていくほかないのかもしれません。

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