山本一郎です。増え続ける介護負担と家事・育児に仕事量キープをしばらく続けてきたのですが、さすがに飽和したため仕事量を大幅に減らす選択をせざるを得なくなりまして。

自分で仕事をしていますので別に「介護離職」というわけではないのですが、それでも生産性を犠牲にしてでも家族の闘病や老後を支えようとすると自分の何かの時間を犠牲にしなければならない、という向き合い方にならざるを得ないのは同じです。

皆さん、老後の問題なんて「カネで解決すればいいだろ」と仰るわけなんですよ。そりゃまあ、ある程度はカネでどうにかなる部分はあります。

「社会保障と税の一体改革」はどこへ…?
118兆円の社会保障費のうち約4割、
45兆円以上の国庫負担が国民の足かせに

で、先日は自由民主党の厚生労働族として長年この手の社会保障行政の最先端にいる尾辻秀久衆議院議員の発言が日本経済新聞に載り、大変な物議を醸しているわけであります。

高齢者優遇、限界では?政治の覚悟足りなかった厚労族の重鎮尾辻秀久氏:日本経済新聞

まあ、一般的な経済常識でみますと、日本経済の現状からしますと、仮に消費税をドーンと上げたところでドーンと歳入が増えるというわけではありません。

景気が冷えて税収が落ちるのは予想されるところであり、机上の数字として消費税を1%引き上げれば税収が2兆円弱増える、よっしゃ8%から20%に引き上げれば24兆円も税収増えるやんけ!…とは絶対にならないのは、当たり前のことなんですけどね。

ただし、日本の財政や今後の社会保障費の在り方を考えましょうとなれば、消費税を引き上げることの是非はともかくとして、持続可能性が怪しいぞというのは言わずもがななところがあります。税率アップを正面からやるといろんなジレンマはあるから、こっそり社会保障費の負担部分を引き上げていけば、実質的には国民負担は増えて事実上の増税になるよねそうだよねというのはかねてから指摘されるところです。

加えて、これもかねてから議論されてきた「税と社会保障の一体改革」という代物があります。これはまだ旧民主党・野田佳彦さんが首相だった時代に民主・自民・公明の三党合意があって、消費税を引き上げ財源とする代わりに社会保障は国庫に一本化するという社会保障改革を行いましょうという話があったわけです。

ご存知の通り、自民党が選挙に大勝して自公連立政権になると、消費税の引き上げを安倍晋三首相が見送りまくって一体改革どころの騒ぎではない事案になるわけでありますが、それでも我が国は高齢者の増加に伴う社会保障費が118兆円(2016年)、国庫負担も40兆円を超えてきた状態で大変な重しになってくるわけですね。

何よりも、社会保障費というのは事前に予算というものが組まれない、ある種の聖域になっているわけであります。これが通常の予算と法律によって成立している仕組みだったら、「予算をハイペースで消化してしまったので1月から期末の3月までは予算不足ですんで、医療はやりませんし、年金も出しません」なんてことになるわけですよ。本末転倒というか、予算ショート≒死者続出という大変に困る事態となります。

「高齢者も世代間で助け合いを」
それは、沈みゆくタイタニックの船の上で
椅子の並べ替えをするくらいの無意味さ

そうであるがゆえに、限られた予算で然るべき社会保障を、という話になりますと、どうしても「税と社会保障の一体改革」のような抜本的な改革を実施したいという流れに陥ります。

んで、それは政治的なパワーをかなり使うので、なかなか前に進まない。私なんかは、憲法改正も大事だけど、目前の国民生活の基盤に直結する社会保障改革をさっさとやってちょ、と思うんですよね。大事だとみんな思っているでしょうし、安倍総理も重要だという理解もあるのになかなか進まないのが社会保障改革なのであります。

結果的に何が起きているのかというと、「所得のある高齢者に対する医療費その他の自己負担比率の引き上げ」であったり、「地域包括ケアとしてかかりつけ医と地域住民で高齢者やご病気の方を受け止める仕組み」であったりします。でも、要介護3以上の人でないとなかなか施設に受け入れられないよという方針も含めて考えれば、国民からすると「社会保障の実質的な切り下げ」がじわじわと進んでいるし、社会保障の現場を担う介護業界や社会福祉法人では実入りの減少に繋がっていきます。

財源がないばかりか高齢者も増えるのだからなるだけ地域や家庭で高齢者の面倒を見てね、という明らかなメッセージの前に戸惑うのが、これからどんどん後期高齢者になっていく団塊の世代と、それを支える子どもたちの世代であります。

さすがにどうしようもないので、ある意味で沈みゆくタイタニックの船の上で椅子の並べ替えをするがごとき窮余の策が出てきます。

例えば、高齢者の世代間内の助け合いをしましょう、という話が出てくるわけなんですけど、これを制度的に実現しようとなると実に難しい。

あるいは、高齢者同士が支え合って住める環境づくりを、みたいな話もよく出るわけなんですけど、それって90年代後半から地方で限界集落が大変なことになっているという社会問題が出て、NHKでも「無縁社会」というような特集が組まれるなどの問題提起をされたものの、結果として貧しい老人が過疎地域に暮らしている状態から手助けしようにも身動きが取れないまま、無医村も含めた医療空白地帯(医療偏在問題)が出てくるわけです。

「受動喫煙防止」「こども保険」などが
必要な議論ということはわかるけれど
社会保障についての議論が先なのでは?

もちろん、地域医療はとても大事ですし、公衆衛生の観点からも医療の空白をなるべく起こしたくないのは当然なのですが、一方で過疎地域に社会的にもっとも高コスト人材である医師と治療のための設備を投入することで本当に地域がどうにかなるのかというと、それはまぁ無理でしょうということになります。

簡単に言えば、医療のない過疎地域に年収2,000万を保障して医師に勤務してもらったとしても、当然すべての診療科を賄うことなどできませんし、医師に見合う診療報酬を払える住民も少なく、地域に納税できる住民が少なければ医療がむしろ地域財政の負担になって道路や上下水道の整備費が足りなくなったり、除雪の回数が減るなどダイレクトに住民の生活レベルが下がっていってしまうという現象を引き起こすことになります。

これはもう、どうしようもないんですよね。どうしようもないからこそ、一体改革をしましょうという話だったのが見事に止まったうえに、より状況が悪くなってしまった。総花的な議論は各所にありますし、先日も「医師等の働き方ビジョン検討会」が打ち出した資料も、ご説ごもっともという一方で「これをどのように政策的に着地させるのか」は非常に困難な情勢であって、本来の会議体であったはずの「医師需給分科会」と真正面から対立してしまう、みたいなことが容易に起きるのです。

一番求められているのは、非現実的な「低負担高福祉」で将来世代のツケにしないために、いまの政治で何ができるのかを議論することです。表層的には「受動喫煙はやめましょう」とか「こども保険」などという政策提言があったとしても、それはそれで大事だけどもっと議論するべきところがあるんじゃないか、それを政治に理解してもらえるような座組をどう作るのか考えなければならないのではないか、ということです。

受動喫煙をゼロにしましょうというのは「当たり前」の政策目標であって、それによって肺がんなど病気になる人を減らして医療費の削減するのは重要なんです。その程度のことが、与党自民党内の反対などもあって前に進まないというのでは、40兆円以上の国庫負担を強いる社会保障費の最適化や削減など夢のまた夢なんじゃないかとさえ思うのです。

「高負担高福祉」か「低負担低福祉」か。
どちらに舵を切るのか、国だけでなく
自治体レベルでも議論を進めなければ

介護業界で言えば、本当に人手不足を解消しようとしたら、きちんと人生のキャリアプランを描けるような産業を作るために、昇給や労働環境の改訂をしていかなければなりません。純粋に、仕事量に見合った給料がきちんと出て、他の産業に負けないぐらいの休暇があることが最低条件です。

ところが、いまの介護業界の仕組みで言えばすべては計画経済に近い状況になっています。必要なお金が回ってこないのは、高齢者に対して行うサービスに見合った対価が高齢者からではなく公的な仕組みからお金が出ているからです。そして、本当に高齢者のお財布からいまの介護業界が行う水準のサービスの対価を払ってくれというと、ほとんどの高齢者はそれを支払えないというところにジレンマがあります。すでに産業として成り立たない、持続的ではない状況なのに、さらに増える高齢者と年金その他の支給水準の引き下げが来たら、公的資金で支えられた介護業界が苦しくなるのは自明です。

そういう苦境にあって打開する方法論が皆無な状況であるにもかかわらず、必要な改革も手を付けられないまま、貧しい高齢者を押し付け合っているような状況ではなかなか展望が拓けないのも致し方のないところでしょう。同じことは、医療にも言えるのですが、薄給で献身的な仕事を求める日本社会のどこかに風穴を開けられるような方法はどこかにないものでしょうか。

突き詰めれば「高負担高福祉」なのか「低負担低福祉」なのか、国全体が道筋を決められればベストですが、仮に特区のような感じで都道府県や自治体レベルでそういう議論ができる場所があればどんどん進めてみてほしいと思うところです。