美しい海辺の風景が広がる港町、愛知県知多郡南知多町。この町にある「サポートイン南知多」は、高齢者や障がい者も気兼ねなく宿泊できる、日本初の福祉旅館だ。こだわりのバリアフリー設計に、リフト付きの貸切風呂などを備えている。このありそうでなかった福祉×観光というビジネスモデルの構築に取り組んだのは、名古屋市で福祉・介護事業を展開する株式会社マザーズ。今回、代表を務める野口恵介氏に、福祉旅館の着想から実現までの流れ、現状と未来などを語ってもらった。
監修/みんなの介護
【ビジョナリー・野口恵介の声】
入居者との旅で感じたつらい思いが福祉旅館の開業につながった

行楽地や温泉地などに繰り出すレジャー意欲は、歳を重ねても決してなくなることはありません。もちろん、障がいを抱えている方も同様です。
現在は、年齢や障がいの有無に関係なく安心して楽しめることを目指した旅行、「ユニバーサルツーリズム」の普及が徐々に進みつつありますが、10数年前は、高齢者や障がい者にとって、旅行はかなりハードルの高いイベントでした。
当社は、18年前に認知症対応型のグループホームの運営から事業をスタートしています。当時の入居者が「たまには温泉でも行っておいしいものを食べたい」と訴えたので、私たちは旅行に出かけました。
宿はバリアフリーの整備がなされているところを選びましたが、現地に行ってみると、とても車椅子にやさしい状況とは言えず、さらに宿のスタッフに福祉マインドが備わっていません。
楽しむために来たにもかかわらず、私たちはとてもつらい思いを抱えながらその宿に滞在しました。バリアフリーの環境がしっかり整えられた、高齢者も障がい者も心から滞在を楽しめる福祉旅館を開業しようと思ったのは、こうした原体験があったからです。
利用者の視点で考え抜かれた福祉旅館
白砂が美しい愛知県南知多町の内海海水浴場は、名古屋から車で約1時間の場所にあるビーチ。そこから徒歩5分のところに「サポートイン南知多」は建つ。もともと旅館だった建物には大胆なリノベーションが施され、2018年4月に全国初の福祉旅館として生まれ変わった。

鉄筋2階建ての建物は、館内の段差を極力なくし、スロープを積極的に導入したバリアフリー設計。もちろんエレベーターも設置した。客室は和室が6部屋、洋室が2部屋で、全室に多目的トイレと、車椅子が載っても大丈夫なように強化畳を取り入れた。浴室は手すり付き。広い洗い場は、畳風のマットが敷かれ、横になって洗体できる。
また、貸切風呂も用意。こちらは電動リフトが付いているので、介助者の負担も大幅に軽減される。オプションで食事・入浴・排泄などの介助サービスも受けられる。これで介助者も束の間の休息を満喫できるというわけだ。

「胸を張って福祉旅館と名乗れるよう、徹底的に考え抜いた」と野口代表。母体である株式会社マザーズで高齢者向けの介護施設を運営してきたことから、旅館にはそのノウハウに改良を加えたアイデアがふんだんに詰め込まれている。
福祉スペックの高さに感激する宿泊者
オープンから1年半。今や個人利用だけでなく、介護・児童福祉施設の団体利用も増えてきた。そこで、ビジネスとして上々の滑り出しかと問うと、「ゆるやかな右肩上がり」と意外な答えが返ってきた。
「検索された方が当館の情報を見たとき『本当にバリアフリーが行き届いているの?』と疑問に思われるようです。かつての私達同様、皆さんもつらい思いを味わってきたのでしょう。ですから、軽々しく予約できないんです」
もちろん旅館は問い合わせに対して丁寧に答え、安心感を醸成させる。「やっと快適に過ごせる旅館が見つかった」と胸を躍らせながらやって来る宿泊者は皆、福祉スペックの高さに感激するという。

女将の中島千賀子さんは「先日、栃木から8時間もかけて来てくださったお客さまは、久しぶりの家族旅行を存分に楽しまれました。その様子を見ていると、温かな気持ちになります」と手応えを感じている。
館内を車椅子で自由に動ける分、介助する側にも余裕が生まれ、それがケアの質の向上にもつながっている。
福祉マインドを持った人材を集めるのは想像以上に困難なことだった

福祉旅館は、着想から実現までに10年以上を費やしました。総予算1億円を見込んで小さな旅館としてスタートするつもりでしたが、やはり資金の準備は難しい。また、理想の規模や立地条件にマッチする物件が簡単に見つかるわけでもありません。
最も苦労したのは、人材集めです。旅館スタッフの募集に対してある程度の反応はありましたが、福祉+旅館というチャレンジに対する理解が得られない。こちらが想定している宿泊客の説明を求職者にすると、皆尻込みする。「道のりは険しいな」と面接するたびに悩みました。
計画が遅々として進まないことに焦りを感じることもありました。でも、「旅に行ってつらい経験をする人がひとりでもいなくなるように」という思いが原動力になり、諦めようとは思わなかったです。
現在、女将を務めている中島は、製造業界の出身で、経理や秘書をしていた人物。介護知識はゼロからのスタートでしたが、当社が運営する介護施設などで研修を受け、介護職員初任者研修も早々と取得。入社数ヵ月後には旅館全体をマネジメントできるまでに成長しました。
苦戦したのは介護食を作れる料理人探し
旅館を運営するには、接客係だけでなく、料理人も必要だ。
野口代表は、人材集めの中でも特に料理人探しで苦労したという。
なぜなら彼らは職人気質が多く、嚥下に障がいを抱えた人を対象にした、介護食をつくることに抵抗を感じていたためだ。野口代表は、多くの料理人と会うも、理想的な料理人を雇えずにいた。
しかしある時、元高級料亭で腕を振るい、飲食開発事業で和洋中、バーなど、多彩な業態の店を立ち上げてきた人物に出会う。その人物は、福祉+旅館という新たな業態で観光業界を盛り上げようとする野口代表の考え方に共感を示してくれた。
「サポートイン南知多」の刻み食とミキサー食は、色合いを損なうことのないよう丁寧に刻み、一品ずつミキサーにかける。さらに、味付けから盛り付けにいたるまで通常色と同様にして、一緒に食べる人との差を縮めた。

全員で同じ料理を食べるから、自然に会話も弾む。旅館滞在時のメインイベントとも言える食事。目と舌で楽しめる介護食は大好評で、旅の思い出を忘れないようスマートフォンで撮影している人も多い。
「誰もが働ける旅館」を目指して
「誰もが泊まれる旅館」である「サポートイン南知多」は、さらに「誰もが働ける旅館」であることも目指している。例えば、旅館の廃業によって職を失った人々だ。その中にはキャリアを積んできた高齢者も含まれており、彼らを採用することで地元の雇用に力を貸した。
また、障がい者の雇用にも積極的だ。母体が名古屋市で運営する就労継続支援A型事業での雇用とし、施設外就労という形で現在3人が働いている。担当業務は清掃がメインで、3人とも仕事ができる喜びを噛み締めている。
しかし人材確保について問題がないかといえば、実はそうではない。一時期人材の流出で頭を抱えたことがある。その時は、あえて外からの拡充を試みず、母体が運営している介護施設から人材を配置換えした。
すると、「福祉旅館の仕事が楽しい」といった良い反応が得られ、そのまま転属になることも。
結果、社内の人材循環で危機を脱することができた。旅館で働いていた人が福祉マインドをいっそう育み、介護施設での勤務を希望するという逆の現象も起きている。
集客に悩む南知多を福祉型の観光地として再生したい

私たちは、「サポートイン南知多」に来館された方には、せっかくだから宿泊だけでなく、南知多町を丸ごと楽しんでもらいたいと思っています。何しろ南知多町は海の町ですから、やはり夏は海水浴に興じるのもいいでしょう。
今年は、車椅子で海水浴ができるバリアフリービーチを実施しました。
さらに旅館業を始めてみると、地元の人とも知り合いになれます。漁業をされている方から声をかけてもらい、宿泊者に地引網体験をしてもらうことができました。「まさかこんなアクティビティができるなんて」と皆さん大興奮です。
ほかにも農業をされている方からは、収穫体験のお誘いをいただいています。このように、魅力的な観光資源を持っている地域の方とつながることが、お互いにメリットをもたらす結果となっています。
福祉旅館と地域の連携を促進すれば、集客に悩んでいる観光地を、福祉型の観光地として再生できるかもしれません。福祉マインドを取り入れた観光事業というビジネスモデルは、まだまだ成長の余地があると信じています。
競合が少ない今なら、トップランナーをめざせる
バリアフリーやユニバーサルデザインといった福祉用語は一般社会でも聞かれるようになったが、「サポートイン南知多」のように福祉にこだわり抜いた旅館は、まだ類を見ない。
「福祉旅館は、福祉業界と観光業界にとってもニッチな分野であり、競合の少ない今ならトップランナーとしてそれぞれの業界の発展に貢献できる」と野口代表は前を見据えている。
しかし一方で「自分たちだけが奮起しても発展のスピードは遅い」と警鐘を鳴らす。
例えば鉄道だ。旅館の近くにある駅にエレベーターが設置されているかどうかで、介護者と要介護者の移動はずいぶん楽になる。それだけで「行きたい」気持ちも喚起できるだろう。
自治体も、既存の旅館がバリアフリー設計を行う際に助成金を提供すれば、福祉旅館への参入ハードルも低くなるはずだ。
「高齢者や障害者の旅行需要は確実にあります。福祉旅館が一軒また一軒と増えていけば、地域の人の福祉マインドも育まれ、町ぐるみで福祉旅館を応援する動きも出てくるでしょう」
将来は、福祉旅館のビジネスモデルを海外でも展開したい
「サポートイン南知多」は、事業としては会社の成長に大きく貢献できるほどの収益を生んではいない。しかし、地域との連携によって、福祉旅館にはさらなる魅力が生まれ始めている。「これからが楽しみ」だと野口代表は十分な可能性を見出している。

現場をまとめる中島女将も「もっと地域とのつながりを増やし、料理のメニューに反映させたり、サービスやアクティビティの充実に活用したい」と意欲的だ。
南知多町をはじめ、国内で福祉旅館を定着させた時、野口代表は次なる一手を打ちたいと考えている。それは、海外への進出だ。
旅行に行きたいと考える高齢者や障がい者は、どの国にもいる。ところが日本と同じように、設備が整い、行き届いたサービスを提供する福祉旅館がないのが現状で、旅行需要を持て余している。そこに野口代表は目をつけたというわけだ。
「いち早く国内でのビジネスモデルを確立させ、福祉旅館の海外展開においても先駆者となれれば」―かつて味わったつらさをバネに、若き経営者は挑み続ける。福祉と観光業界に新たな希望の光をもたらすために。
※2019年10月15日取材時点の情報です
撮影:土屋敏郎