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筧裕介「認知症という社会課題にデザインを通してアプローチする」

最終更新日時 2022/01/04

認知症という社会課題にデザインを通してアプローチする

慶應義塾大学大学院の特任教授であり、issue+design(NPO法人イシュープラスデザイン)代表の筧裕介氏は、デザインによって社会課題の解決に取り組んできた。2021年9月に上梓した『認知症世界の歩き方』が反響を呼び、注目が集まっている。認知症者への見方を変えた、ユニークな1冊が生まれた経緯と筧氏のバックグラウンドに迫った。

文責/みんなの介護

「認知症」と調べても本人視点の情報が出てこなかった

みんなの介護 筧さんは普段どのような活動をされているのですか?

  私はissue+designというデザインファームで、社会課題に関するデザインを生業にしています。例えば、慶應義塾大学が中心となり設立された「認知症未来共創ハブ」の活動に創業時から携わっていて、認知症の方の課題解決にも取り組んでいます。

活動の中で認知症の方の声を聞く事が多くあり、その過程で認知症のある方ご本人が抱える悩みや問題が見えてきました。

ご本人は、家族や職場の人、医師、介護士など周囲の方に自分が置かれている状況や抱えている症状をわかってもらえないという悩みがあります。一方、家族や周りの人は「助けてあげたい」と思ってもご本人に何が起きているかわからないという悩みがある。お互いの思いが通じず、さまざまな問題が起こっている現状があったのです。

私は、その原因を考えたところ、それが情報の非対称性にあると気づいたんです。

それまでは、認知症の方が何に困っていて、どんな症状を抱えるのか、世の中に整理された情報があると思っていました。

インターネットで、「認知症 症状」と検索すると、記憶障害・見当識障害・遂行障害などの中核症状、不安・焦燥・徘徊・暴力などの周辺症状の情報がヒットし、下のような図がよく出てきます。

しかし、それらは全て医療者や介護者が治療・介護する際の視点の情報なのです。本人の心身がどんな状態にあるのか、どんな困りごとを抱えているのかという視点のものはありません。いろいろ探したのですが、海外にも見当たらないんです。これは衝撃的でした。最初に思ったのは「ないんだったらつくろう」ということでした。

そして生まれたのが、こちらの認知症のある方の44の心身機能障害を表すマップと、その心身機能障害を「認知症世界を歩く旅」という伝わりやすい形にした13のストーリーです。

みんなの介護 そこから本という形になるまで、どのような経緯があったのでしょうか?

  Webサイトの連載記事としてスタートしたのですが、続けていくうちにもっと世の中の多くの人に知ってもらいたいと思うようになったんです。その手段の一つとして、書籍化を考えました。

おかげさまで自分でもびっくりするぐらいの反響をいただいています。Amazonの一般書籍のランクで3位まで行き、9刷9万部まで到達しました。

読者からの嬉しい声もいただいています。認知症の方も、自分が今抱えている状況を自分で十分理解できなかったり、周囲に伝えられなかったりします。しかし、本を読んで「自分に起こっているのは、こういうことなのかと腑に落ちた」という感想を伝えてくださいました。

また、認知症ではない一般の方からは、「認知症の方が、今まで自分が持っていたイメージとはまったく違う世界を生きていたことが理解できた」という声をいただいています。

介護や医療の現場の専門職からは、「こういうものは今までなかった。本当に現場で役に立つものをつくっていただいた」という声も多くいただきました。

大手広告代理店での広告制作業務の後、大学院へ

みんなの介護 筧さんの現在の肩書きは、デザイナーですね。

 デザイナーと名乗ってますが、私の活動は広告や建築などの視覚的な領域にとどまりません。事業や社会システムのデザインなどを含め、幅広い意味で「デザイン」という言葉を使っています。

みんなの介護 社会人になりたての頃は広告代理店の博報堂でお仕事をされていたんですよね。

 入社して5年ぐらいは広告・マーケティングの仕事をしていました。企業の商品やサービスのプロモーションやブランディングのための広告制作ですね。

広告の仕事に強く惹かれて博報堂に入ったわけではなく、面白い人たちがいっぱいいて個性的で自由な会社だったから、というのが大きな理由でした。しかし、実際に働き始めると、楽しくてしかたありませんでしたね。とても充実感のある良い仕事をさせてもらっていました。

その後、2005年から東京工業大学大学院の修士課程、2007年から東京大学大学院の博士課程に入りました。都市や社会全体のシステムをデザインする知識を学ぶためです。そして、そこで学びながら2008年に「issue+design」を創業しました。

デザインで社会課題にアプローチする

9.11を目の当たりにして仕事観が変わった

みんなの介護 楽しかった広告の世界から大きな方向転換ですね。何かきっかけがあったのでしょうか?

 そうですね。理由はいろいろあるのですが、一番大きな転機となったのは2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ事件」。私はその時、海外出張でニューヨークに滞在中で、ワールドトレードセンターから1キロほど北のホテルに泊まっていました。

ちょうど、朝ご飯を近くのカフェで食べようと外を歩いている時に、頭上を旅客機が通過してワールドトレードセンターに突入するシーンを目撃しました。このときの衝撃は、生涯忘れません。

私が泊まっていたホテルのエリアは封鎖され、しばらくそこから移動することができませんでした。飛行機も飛ばないので、日本にも帰れません。打ち合わせは、もちろん全部無くなりました。この時、自分の仕事や人生の価値観が大きく揺さぶられました。

それまで私がやっていたデザインは、企業の商品や事業をプロモーションするためのもの。企業の経済的課題を解決するという、非常に狭い領域の仕事だったんです。

しかしその時、私の目の前には、宗教・民族・テロ・戦争といった深刻で複雑な社会課題の現場が広がっていたんです。

世界平和のような巨大な課題に対しては、自分に何ができるかわかりませんでした。ですが、日本や地域が抱える深刻な社会課題に対して、自分が貢献できることがあるのではないか、自分が取り組んでいるデザインを通して社会が抱えるもっと根本的な課題にアプローチできるんじゃないかと考え始めたんです。

東日本大震災で人々をつないだ「できますゼッケン」

みんなの介護 「デザインで社会課題が解決できる」と手ごたえをつかんだのはいつだったのでしょうか?

 東日本大震災の支援プロジェクト「できますゼッケン」を実施した時です。issue+design創業後、世の中に対してある程度貢献することができたはじめての仕事ではないかと思います。

「できますゼッケン」は、ボランティアのスキルや情報を可視化して、被災地現場のニーズに沿った支援をサポートするプロジェクトです。気仙沼市などの現地のボランティアセンターの公式ツールとして採用されるなど、震災後の混乱の中でスキルを「見える化」することで、被災地現場の課題解決に貢献できたと思っています。

このアイデアの原案は、2008年に阪神淡路大震災から10年経過した神戸での「震災+design」というプロジェクトから生まれました。

市民参加型のデザインプロジェクトで、大地震に備えるためのデザインを約30案を構想したんですが、そのデザイン案を被災経験者や避難所運営に携わる元神戸市職員に見ていただく機会があったんです。

その時、「できますゼッケン」の元案を見てくれた方が「阪神・淡路大震災の時に、こんなふうにボランティア希望者のスキルを見える化できる仕組みがあれば現場は助かったかもしれない」と言っていただけたんです。

阪神淡路大震災では全国から多くのボランティアの方が集まり、結果的に1995年は日本のボランティア元年とも言われています。しかし、当時日本には「ボランティア」という概念そのものがなかったのです。

「とにかく来た」という状況の方が多く、中にはサークルのようなノリで来た若い人たちが酒盛りを始めたり、ボランティアと被災者の衝突があったりして大混乱でした。受け入れ側もどのように支援してもらうかのノウハウがありませんでした。当然ながら、ボランティアは現場でまったく機能しませんでした。

そんな苦い経験をされた市職員の方が「できますゼッケン」のアイデアを評価してくれました。私は、東日本大震災が起こったとき、そのことを鮮明に覚えていたので「今回は役に立てるかもしれない」と思いました。そして、東日本大震災が発生した次の日から神戸で準備を始めました。

みんなの介護 反響はいかがでしたか?

 誰もが自由に使えるように「できますゼッケン」のデータを完全オープンソース化し、被災地に行く人たちにダウンロードして持って行ってくれるように呼びかけたのですが、大きな反響がありました。

阪神・淡路大震災を経験した神戸市では、伝統的に職員が全国の被災地ボランティアに駆けつけます。東日本大震災でも現場の支援に向かった神戸市職員の方にも、「できますゼッケン」を現地に持って行っていただき、多くの地域で活用いただきました。

「できますゼッケン」のおかげで、避難所の住民や職員が地域外から来たボランティアの人となりがわかり、話しかけやすくなったとの声を頂くなど、被災地の現場でのコミュニケーションの活性化に貢献できました。

『認知症世界の歩き方』後のプロジェクト

みんなの介護 『認知症世界の歩き方』の出版をされて、今後の展望はございますか?

 「認知症世界の歩き方カレッジ」という学びの場を準備しています。2021年中にスタートする予定です。

カレッジは3つのプログラムで構成されています。1つは「認知症世界の歩き方検定」です。これは認知症に関する知識を確認・習得してもらうためのもの。〇×で回答する基礎知識問題と、ご本人が直面するトラブルの状況を記述したケーススタディの問題を用意しています。この検定に合格いただくと「認知症世界の歩き方マスター」に認定されます。

2つ目は、オンラインで体験できる「認知症世界の歩き方Play」というゲーム型のワークショップです。参加者が認知症世界の旅を体験する「人生ゲーム」のようなプログラムです。

3つ目は「認知症世界の歩き方ダイアログ」。『認知症世界の歩き方』を、地域で地域住民の皆さんや医療・介護・福祉関係者の皆さんがともに学ぶプログラムです。認知症の方が置かれている状況や、何に困っているのかを対話を通じて一緒に学びます。

この3つのプログラムを全国の方に体験してもらい、「認知症の方が生きる世界を日本人全員が当たり前のように知っている状態」を目指したいと思っています。

ある若年性アルツハイマー病の方の悩み「人の顔がわからない」

みんなの介護 『認知症世界の歩き方』の執筆にあたり、多くの認知症のある方へのインタビューをされていますよね。

 「顏無し族の村」のストーリーのモデルになった丹野智文さんのお話はとても印象深いです。39歳の時に発症した若年性アルツハイマー型認知症の当事者です。現在40代半ばですが、全国各地で認知症に関する講演活動などをされていいます。彼の特徴的な症状の一つが「人の顔がわからない」というものでした。

発症した当時、丹野さんは仙台のトヨタ系の自動車ディーラーで、ナンバーワン営業マンだったんです。

ある日、事務所にいると、いつものように「お客さんが来たよ」と呼ばれて丹野さんは販売店のフロアに出ていったそうなんです。長年のお付き合いのある顔なじみのお客さんだったのですが、顔を見ても全く誰かわからかなった。お客さんの顔がわからないというのは、営業マンにとっては信用問題です。

そこで、丹野さんは自分のお客さんの顔写真付きのリストを用意し、「〇〇さんが来たよ」と呼ばれたらそのリストを見てから行くことにしました。しかし、彼にとっては、写真に写っている人物の顔と目の前のお客さんの顔が全然違う人に見えて、全く見分けがつかなかったそうなんです。

みんなの介護 単純にその人のことを忘れてしまったというレベルではないんですね。

 そうなんです。忘れてしまったのではないんです。また、丹野さんは「最近、テレビのドラマが全く楽しくないんだよねー」とおっしゃっていたので、理由を聞いてみました。すると、登場する俳優さんの顔が毎回変わって見えるというのです。1時間弱の番組の中で主演の方ですと何度も登場します。そのたびに違う人に見えるそうです。そうなると、全く話がわからず、楽しめません。

その次に会ったときに「筧くん、僕すごく面白いことに気づいたんだよね。ドラマだと人の顔が毎回変わってしまうんだけど、アニメの登場人物の顔は変わらないんだよー」と教えてくれました。

そう、人間は人の顔を単なる2次元のビジュアルでは捉えていないんです。前から、横から、後ろから、斜めから、いろいろな角度から人の顔を認識し、記憶しており、こうした複数の情報を統合して、「この人はXXXさんだ」と判断しているんです。

もう一つ丹野さんの興味深い話があります。街中で学生時代の同級生だと思って声をかけた女性が、実は全くの他人で、ナンパだと勘違いされてしまったという話です。

この話から、人の顔の認識と記憶は密接に結びついていることがわかります。おそらく、声をかけてしまった女性の髪型、洋服、あるいは眉毛などの顔の一部、彼女の身体を構成するパーツの何かが、同級生に関する記憶と合致したことで、その記憶が彼の中に強く想起され、「この人は元同級生だ」と脳が判断して、そう視覚に投影されたのだと推測されます。

認知症の方が生きる世界が、日本人にとって当たり前になってほしい

専門職以外の人のリテラシーをいかに高めるか

みんなの介護 筧さんは、デザイナーという立ち位置から認知症という問題にアプローチされています。一般市民も何かできることはあるのでしょうか。

 そうですね。私は市民がこの領域の課題解決のためにできることは数多くあると思っています。むしろ、市民の力無しで解決は不可能でしょう。

医療や介護の領域では、どうしても特別なケアを提供する専門職と、それを受ける市民や患者、被介護者という上下関係になりがちです。

しかし、専門的なスキルやノウハウだけでは解決できない課題がたくさんあります。認知症のある方がより暮らしやすい社会になるために、専門職ができることは限られます。一緒に暮らす家族や日常的に接する地域の人々、ともに働く職場の人々、市民の力無しではなしえません。

市民が、医療・介護等のヘルスケア領域のリテラシーやスキルを高めることで、課題に直面する市民、スキルを提供する専門職、制度・インフラをつくる行政、その三位一体で問題を解決していくことが求められます。

「自分には関係ない」が差別や偏見につながる

みんなの介護 市民一人ひとりが自分ごととして関心を持つことが大事ですね。しかし、介護に直接関わっていない人もいますよね。

 今の日本において、介護に全く関係のない人はいないと思うんです。もちろん、同居している家族に要介護者がいるなど、直接的に介護に関わる人は限られています。しかし、間接的に関わっている人まで含めるとどうでしょうか。

同居していない祖父母が要介護状態だったり、職場に家族を介護している同僚がいたり、近所や子どもの同級生に障害を抱えている子がいたり、何らかしらの形で誰にでも身近に介護は存在するはずです。

また、自分自身がいつどんな状況に陥るかわかリませんよね。若くして認知症になる可能性もあるでしょう。突然、親の介護が必要になることも考えられます。自分や家族が交通事故に遭うかもしれません。

「介護が必要な方や社会的に弱い立場にある方のことは、自分には関係ない」と感じるのは、想像力が不足していることが原因だと思います。社会全体の想像力の欠如が、差別や偏見を生んでいます。

最近では、新型コロナウィルスの感染者や医療者に対する差別的扱いが、まさにその典型です。「もし自分が感染したら?」「コロナ患者のケアをする仕事についていたら?」と想像してみるだけで、その方への認識が大きく変わるはずです。

そのような思いもあって、『認知症世界の歩き方』の本では「認知症の方がどういう世界で生きているか」を誰もが想像してもらえるような描き方にしたんです。

現代で必要なのはイシューの明確化とデザインの力

みんなの介護 『認知症世界の歩き方』を始め、社会課題解決のためにデザインプロジェクトを進行する上で大切にされていることは何ですか?

 イシュー(解決すべき課題)を明確にすることです。

例えば、「認知症の方が暮らしやすい社会をつくる」ということは、組織が中長期に達成するビジョンとしてはわかりやすいかもしれません。しかし、これだけ壮大なビジョンの達成には、なかなか到達しません。「その実現のために、具体的にチャレンジできる、すべき課題(=イシュー)は何か」、と的を絞って考えることが必要です。

『認知症世界の歩き方』は、「認知症の方が生きている世界や見えている景色を、周囲の家族、医療介護関係者そして一般市民に知ってもらいたい」という思いから生まれました。これがイシューなんです。

このイシューを解決するために、何をすべきかを具体的に考えてチャレンジする。設定したイシューから逃げない、ぶれないことが大切です。イシューが絞られていて具体的だと、意外と解決策はすぐに見えてきます。

みんなの介護 大きすぎるテーマを掲げて「解決しない」と悩むよりは、具体的に取り組みたいテーマを定めることで解決の糸口が見つかるのですね。

 はい。もう一つ大切にしているアプローチがあります。イシューの解決手段としてのデザインです。

人の共感を呼び、共感者同士のコミュニティをつくり、社会を動かす。そのために大切なのが、人の感性に訴える「楽しさ」や「美しさ」なんです。そんなクリエイティブな行為を、私たちは「デザイン」と呼んでいるのです。

通常、ビジネスの領域でも社会課題の領域でも、ある課題があった時、その課題解決のためにデータを集めて論理的に分析し、正解を見つけようとしますよね。もちろん、それも正しいアプローチです。

経済成長の時代には、正解=やるべきことが明快だったので、このアプローチがすごくうまくいっていました。「これをやったら必ず儲かる」というような正解があり、それをいかに速く効率的にできるかが勝負の鍵を握っていました。

しかし、現在のような予算も限られ、人口も減り、経済が成熟した時代には、なかなかそんな「正解」は見当たりません。こんな正解がなく課題解決が難しい時代には、デザインというアプローチがますます大切になってくるのではないでしょうか。

認知症の方が生きている世界を知ってもらうために、認知症に関する正しい情報を伝えるというアプローチももちろん可能です。それで理解してくれる人もいるでしょう。しかし、それでは伝わる人も限られますし、伝わり方も限定的です。

多くの人が、認知症世界を「面白い」「興味深い」と思ってもらえると、その世界のことをより知りたくなるでしょう。認知症の方に興味を持ってくれるようになります。その結果、多くの人の考えや思想、そして行動が変わっていく。それが、私たちが目指している「デザイン」の成果なのです。

みんなの介護 『認知症世界の歩き方』は、私もすごく面白いと感じました。認知症の方の世界が親しみやすくなりましたね。

 認知症の本で「面白い」と言ってもらえることは、なかなかありません。怒られないかな、と思いながら勝負をしたところです。

書籍だけでは限界があるので、ゲームでアプローチ

みんなの介護 その思いが見事に結果につながったのですね。「面白さ」を念頭においた書籍づくりはこれまでもしてこられのたのですか?

 過去の書籍では、比較的真面目に真っ正面から書いていました。前著の『持続可能な地域のつくり方』は5刷まで行き2万部ほど売れています。書籍としては、もちろんとても良い売れ行きなのですが、「そこまでしか」売れていないという言い方もできます。

本当は、私の書籍を手に取ってくれる一部の勉強熱心な行政マンや社会起業家、まちづくりに関心がある人だけでなく、地域の生活や経済を支える、じいじ、ばあばに届けなければいけないと思うんです。

でも、多くの人たちは、こんな硬い本なんて、なかなか読んでくれません(笑)。 自分の力不足を痛感しました。

こうした問題意識から始めたのが「SDGsde地方創生」というカードゲーム型のプログラムです。

参加者は、地域で暮らす農家や行政職員、IT企業の経営者など、それぞれの立場で2030年までの地域の未来の変遷を疑似体験するゲームです。それぞれのプレイヤーには、自分の人生の個々の目的(個人の夢や生きがい、収益目標)が設定されています。

しかし、自分の目的だけを追求していても、地域全体の人口が減り続け、市場も縮小し続け、結果的に、地域の衰退はどんどん進み、自分自身の事業もうまくいきません。

ところが、プレイヤー同士が地域内に蔓延る様々な分断を乗り越え、チームを組み、協働プロジェクトができてくると、地域全体がどんどん盛り上がっていく。結果として、自分たちの事業もうまくいくようになる…そんな対話と協働による地域活性化のメカニズムを体感できるゲーム型のプログラムです。

みんなの介護 面白いですね!「SDGsde地方創生」のゲームは、どれぐらいの人が取り組まれたのですか?

 推計約10万人ほどに参加頂いています。全国にゲーム型の研修やワークショップを開催できる公認ファシリテーターが900名弱います。その900名が自分たちの地域でプログラムを行ってくれていて、今までに5000回ほどゲームが開催されています。

「SDGsde地方創生」は、ゲームがそもそも面白いという評判をいただけたので、まちづくりや社会問題に特段関心を持っていなかったような人も興味本位で体験してくれています。

みんなの介護 楽しく取り組めるようにすることで、結果的に広がっていったのですね。

 そうですね。「認知症世界の歩き方検定」や「認知症世界の歩き方 Play!」もそれに近い考え方です。書籍のようなメディアを読んでもらうという方法だけでは、限界があります。できるだけ、いろいろな方が、能動的に、体感を持って参加してもらえるアプローチを組み合わせることで、「認知症世界」に接する方を広げていきたいと思っています。

イシューを徹底的に絞っていけば、問題は解決できる

「工学的アプローチ」には限界がある

みんなの介護 筧さんは、地方創生などにもかかわられていますよね。

 地方創生やまちづくりのプロジェクトは、全国各地で創業以来10年以上ずっと取り組んできています。

離島や中山間地域では、高齢化と人口減少に伴い、どの地域でも農業や手工業などの地場産業、祭などの共同作業の担い手が不足しているという共通の課題を抱えています。

そこで、若い世代を中心に、地域の人々が、地域資源を生かした新しい事業やまちづくりの活動を生み出ししていくことを後押しするプロジェクトをいろいろな地域で行っています。

みんなの介護 地方創生の活動の中で感じられた課題はどんなものだったのでしょうか。

 日本の地方創生、地域おこしがうまくいかない理由は「地域内の分断」にあると思っています。いろいろなプレイヤーがそれぞれの目的で個々に活動していて、繋がっていない。同じことを違うプレイヤーが別々にやって非効率だったり、足を引っ張り合っていたり…。

お互いに対話し協働できるところは協働する、分担するところは分担する、サポートするところはサポートする。こんな「対話と協働」の文化を地域が取り戻すことができれば、地域は劇的に変わるんです。

安倍内閣のときに打ち出された「地方創生」は、今までと比べると少し成果が出たという感触はあります。しかし根本的な解決には至っていない。その原因は「工学的なアプローチの限界」にあると思うのです。

工学的アプローチとは、地域づくりを「機械の修理」のように行うことを意味します。例えば、家のテレビが故障し多様で映像が映らないとします。おそらく、皆さんはその原因を究明すると思います。それは、リモコンの電池切れかもしれません。電源アダプターの故障かもしれません。アンテナの不具合かもしれません。

機械が壊れた場合は、このように要素を細分化し、問題点を発見して、修理すれば直ります。地域に対しても、長年同様の手法(工学的アプローチ)がとられて来ました。

地域経済の衰退・人口減少という問題に対して、犯人を探し、課題の特定をします。その犯人の一つとして「若年層の減少」がよく槍玉に挙げられます。そこで、若者の地域への移住・定住促進のためにいろいろな策が講じられ、膨大な量の税金が投入される。

地域起こし協力隊制度ができ、地域PRのための宣伝広告がされ、大々的なイベントが開催され、起業支援や住宅補助手といったお金がつく。もちろん、個別の政策が悪いと言っているわけではありません。「地域起こし協力隊」制度は、私は素晴らしい制度だと思っています。

こうした政策によって一時的に若者は地域に移住してくれるでしょう。しかし、地域のコミュニティが若者を受け入れる風土がなければ、疎外感を感じて、すぐに出て行ってしまいます。

また、パートナーを見つけて結婚し、子供を産んでくれるかもしれません。これは自治体的には大成功です。しかし、保育の環境が整っていなければ、すぐに離れてしまうでしょう。子どもの教育に不安を感じたら、進学を機に教育が充実した地域に転居してしまうと思います。

地域が抱えている課題は全て密接につながっているのです。テレビの修理のように特定の一つの問題に注力して修理を行っても、成果は出ません。課題同士の繋がりを意識し、様々なプレイヤーの対話と協働により、包括的に地域全体の課題に取り組むことが持続可能な地域づくりには欠かせないのです。

撮影:丸山剛史

筧裕介氏の著書 『認知症世界の歩き方』 ライツ社は好評発売中!

なかなか理解してもらえずに困っていた「認知症のある方が実際に見ている世界」がスケッチと旅行記の形式でわかる。本人の頭の中を覗いているような感覚で、認知症のことを楽しみながら学べる一冊。

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森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07