いいね!を押すと最新の介護ニュースを毎日お届け

施設数No.1老人ホーム検索サイト

入居相談センター(無料)9:00〜19:00年中無休
0120-370-915

羽生善治「強いて「引退」を想像するなら、現役の今と同じように、変化を避けるのではなく楽しむ姿勢を大切にしたい」

最終更新日時 2017/12/05

羽生善治「強いて「引退」を想像するなら、現役の今と同じように、変化を避けるのではなく楽しむ姿勢を大切にしたい」

棋士・羽生善治へのインタビューである。取材時は第30期竜王戦の真っ最中だったが、本日、見事に史上初となる「永世7冠」を達成。天才と呼ばれ続けてきた男が、またひとつ伝説をつくった。そんな羽生氏に、その将棋の魅力についてだけでなく、自身の引退の時期について(!)、また老後観についても今の心境を語ってもらった。

文責/みんなの介護

大事なのは記憶力ではなく、正しく思い出す力

みんなの介護 一般的に棋士は、40代に入ったころから成績が落ち始め、50代前半で大きな壁にぶつかると言われているそうですね。しかし、40代後半に突入した羽生さんからは、少しも衰えを感じません。なぜでしょう?

羽生 棋士を続けていくには知力、体力ともに充実した状態でなければなりませんが、幸いなことに、体力についてはまだ衰えを感じたことがありません。将棋はスポーツのアスリートのように激しく身体を動かすことはありませんが、対局は長時間に及ぶことがありますし、年間を通じて60~70くらいの対局数をこなすにはかなりの体力が必要です。

問題になるのは知力、ことに記憶力ですね。若いころは、あらゆる棋譜を頭に叩き込んで強くなっていくほどの記憶力がありましたが、40代を過ぎるとそういうことはできなくなりました。

みんなの介護 加齢による記憶力の衰えは、誰もが経験することだと思います。

羽生 年をとると、若いころより記憶の蓄積が多いので有利になるかというと、そうでもないのです。というのも、将棋には似て非なる局面というのがよく出てきます。同じように見えるけれども、駒の位置が左右と上下に一駒だけ違う位置にあるかで対処すべき方法がまったく違ってくるのです。記憶している局面の量が多ければ多いほど、それらを同じパターンだと混同する確率が高くなり、初歩的なミスをしそうになって冷や汗をかく、ということが多くなりました。

みんなの介護 羽生さんでも、冷や汗をかくなんていう局面があるんですね。

羽生 そもそも将棋の定跡や過去の分析結果などのデータは膨大にわたり、それらを鮮明な状態で記憶しておくというのは不可能に近いことなんですね。そこで大事なのは、正しく思い出す力です。

対局中に、「これは10年前に研究したのと同じ局面だな」と気づいても、記憶としてはぼんやりして思い出せないというとき、もう1度、分析し直して同じ結論に達することができれば、あいまいな記憶に頼る必要はありません。そのような考え方の全体像をつかんでいれば、忘れることは怖くなくなります。年齢を重ねるにつれ、要領が良くなったというか、知恵がついたと言えるのかもしれませんね。

「賢人論。」第54回(前編)羽生善治さん「”最先端ファッション”も取り入れつつ、スタイルを更新し続けなければ棋界では生き残れない」

変化を楽しめるか? ということが重要

みんなの介護 その他、年齢による衰えがネックになることはありませんか?

羽生 これは年齢との直接的な関係は薄いかもしれませんが、新しいことへの対応力というのはとても重要だと思っています。

テクノロジーの世界に似て、将棋の盤上はつねに新しいものが古いものを駆逐していく世界なのです。特に2000年以降は、今までの将棋の常識を覆すような序盤作戦が次々と開発されて、これまで見たことのないような局面に接することが多くなりました。それからもちろん、コンピュータの将棋ソフトの目覚ましい発達にも大きな影響を受けています。それ以前と以後で、将棋の指し方がまったく変わってしまったと言っても過言ではありません。

変なたとえ話に聞こえるかもしれませんが、原宿の街を歩いている10代の人たちが着ている最先端のファッションを40代の人がそのまま身につけたら、とてもおかしなルックスになってしまうでしょう。

でも、将棋の世界では、それと同じようなことができないと、生き残っていけないのです。未知の情報を自分なりに分析して、自分のスタイルに取り入れることができるものがあれば、取り入れる。一見、華やかそうに見えるけれども一過性に終わりそうだと思えば、取り入れない。そういう判断をいち早く下さなければなりません。

みんなの介護 新しい情報を鵜呑みにするのではなく、自分なりにアレンジした上で取り入れる、と。

羽生 そうです。変化に対応するというのは、実は非常に疲れることでもあります。でも、逆にそれを楽しめるようになれば、状況は一変します。未知の世界に積極的に足を踏み入れ、分析・研究をすることで新しいことへの対応力は磨かれていきます。自分ひとりで行うだけでなく、棋士同士の研究会でもやっていますが、毎回、触発されることが多くて刺激的なものですね。

「賢人論。」第54回(前編)羽生善治さん「加藤一二三先生のことを考えると“生涯現役を目指したい”なんて、軽々しくは言えない」

引退後は、将棋を通じた文化交流に貢献してみたい

みんなの介護 ところで、羽生さんといえどいつかは「引退」を考えるときがやってくると思うのですが、それについてはどう考えていますか?

羽生 棋士の多くは20歳前後にプロになって、60歳くらいで一線を退くことが多いですから、会社員が定年を迎えるのに似ているのかもしれません。ただ、それはあくまで一般論で、自らの意思で引退を決意することもあれば、戦歴がふるわずにプロ棋士の世界から規定上、はじき出されてしまうケースもあります。個々のケースを見ていけば例外もかなり多いですから、共通のパターンなどないとも言えるでしょう。

今年の6月に引退された加藤一二三先生は、その最たる例です。史上最年少の14歳でプロデビューし、「神武以来の天才」と謳われたこともさることながら、77歳まで常に現役棋士として第一線に立たれたという点でも空前絶後、唯一無二の例外と言えるでしょう。

加藤先生の現役生活を通算すると、63年にも及びますが、デビューして32年が経つ私でも、そのキャリアの半分くらいしか経験していないということになります。そう考えてみると、「私も加藤先生のようになりたい」とか、「生涯現役を目指したい」などという言葉は、軽々しく言えないなと痛感します。

マラソンやトライアスロンなどの競技では「あと半分」という折り返し地点がいちばんキツいといいますから、今のところはゴールとか折り返し地点とかを意識するのではなく、「目の前の1キロ」を精いっぱい走ることを考えたほうがよさそうです。

みんなの介護 老後、時間に余裕ができたらチャレンジしてみたいことなどありますか?

羽生 強いて自分の「引退」を想像するならば、現役時代にできなかった長期間の海外旅行などを楽しむのもいいなと密かに夢想しています。これまで南米には行ったことがないのですが、日系移民の人たちも多く、将棋人口もけっこう多いと聞いています。将棋を通じて海外との文化交流に貢献できたら、永世称号に就く以上の生きがいを得られるかもしれません。

今年の2月、ポーランド生まれのカロリーナ・ステチェンスカ女流2級が将棋史上初めて外国から来日した女流棋士になりました。彼女が将棋に興味をもったきっかけは、日本の漫画『NARUTO』の登場人物が作中で将棋を指していたのに興味を持ったからだそうです。将棋はメディアの発展にともない、世界中に広がっているんだなと実感しています。

みんなの介護 羽生さんには、「いつまでも“将棋界のトップランナー”として頑張り続けてほしい」というファンはたくさんいると思います。それに関してはどうお考えですか?

羽生 まわりの方々から期待されることについては、とてもありがたいことだと思っていますし、今までそれを励みにしてここまで来ました。

世界の先進国の中でいち早く高齢化を経験している日本も、まさにトップランナーと言える存在と言えるでしょう。高齢化という問題をいかにして解決するか、どうすればよきモデルケースをつくれるのかを世界が注目しているのではないでしょうか。

私としては、たくさんの人が元気で長生きすることができ、なおかつ若い世代の人たちも同時に活躍できる共存社会をいかにしてデザインするのかが課題だと思います。とても有意義な挑戦だと思いますね。

みんなの介護 ちなみに羽生さんは、ご自分が高齢になり、介護を必要になるような状況を想定したことはありますか?

羽生 おそらく多くの人にとって、最初に経験する介護は自分自身の介護ではなく、親の介護だと思いますが、私の両親は高齢にはなっていますが、いまだに健在ですので具体的に家族と話し合ったりすることはありません。

私自身については、多くの方と共通の思いでしょうが、「できるだけまわりに迷惑をかけたくない」と考えています。そのためには、「気力と体力を維持する」ことと、「変化を避けようとせずに楽しむ」という姿勢は、これまで棋士として常に気をつけている以上に大切なことだと思っています。

AIは今後、将棋の世界からリアルな世界へ影響を及ぼす

みんなの介護 近年のAI研究の発展には、介護業界の注目が集まっています。メディアで積極的にAIの最前線を取材されている羽生さんは、どのように考えていますか?

羽生 AI研究が初期の段階からボードゲームを対象にしたのは、一定のルールで盤上の駒を動かすという条件がなじみやすかったからですが、チェスをはじめとして将棋、それから囲碁に至るまで、この数年で目覚ましい成果を挙げています。将棋の世界では、コンピュータの将棋ソフトの登場以前と以後では、将棋の指し方も大きく変化しました。

これから先は、私たちの日常のリアルな世界にその成果が生かされていくのが期待されていますね。ただし、将棋の世界で起こったような激しい変化は、現実社会では起こりにくいのではないかと私は考えています。

みんなの介護 その理由は…?

羽生 例えば最近、自動運転が可能な自動車の開発に期待する声が高まっていますが、すでにさまざまな問題が指摘されていますね。自動運転の自動車と人が運転している自動車が道路上で事故を起こしたとき、責任問題はどうなるのか?とか。

これはすぐには答えの出ない問いです。理論的には、公道で走る自動車をすべて自動運転に切り換えれば解決するようにも思えますが、これを実現するにはさまざまな法整備や技術的問題、それから膨大な費用負担などをクリアしなければなりません。

みんなの介護 介護分野にAIやロボットを導入する際にも、同じような問題は起こりそうですね。

羽生 その通りです。「モラベックのパラドックス」と呼ばれていますが、AIは将棋の世界で発揮したような人間の能力をはるかに超えたことができる反面、人間がごく普通に行っている動作をさせるのは非常に困難だという面があります。

介護の現場では、介助する相手の性格や体調、そのときの状況に合わせて手加減をする必要があるでしょう。基本的にはやさしく接することが最適な条件だと思いますが、リハビリを伴うケースなどは、心を鬼にしてあえて厳しく接しなければならないケースもあると思います。

そのような判断をAIに自らさせようとするのは不可能に近いことで、自動車の自動運転以上に、実現へのハードルは高いでしょう。これから先、AIを搭載した完璧な介護ロボットが登場する未来はまったくないとは断言できませんが、実現可能なレベルに達するのは、かなり遠い未来のことだと言わざるを得ません。

現時点でAIにできるのは、介護の現場で働く人たちをサポートするような作業、例えば食事をつくったり、洗濯をするときなどの単純作業を人間に代わってやらせることくらいなのかなと思います。コンピュータは疲れ知らずで、ルーティンワークはもっとも得意とする分野ですから。

「賢人論。」第54回(中編)羽生善治さん「人間にしかできない仕事は絶対になくならない。介護は、まさにその分野」

介護ロボットに人間の感情を理解させることが本当に必要なのか?

みんなの介護 AIが人間の感情を理解し、完璧な介護ロボットが登場する未来は本当に来るのでしょうか?

羽生 その前に、そのような介護ロボットが本当に必要なのかということも考えなければいけませんよね。将棋ソフトがなぜ強いかというと、これは人間以上に優れた学習能力と画像処理能力を駆使して、「勝負に勝つ」ことを目的にしてつくられたからです。一方、「接待将棋」が指せるソフトを研究している方もいらっしゃるそうですが、こちらのほうは強さを目指したソフトのようにはいかないようです。

接待将棋は、対戦相手を楽しませることが目的ですから、勝負の局面の押し引きを適度に調節して、ここぞというところで負けるという演出をしなければなりません。そのためには、相手の腕のレベルがどれくらいなのかを推し量らなければなりませんし、せっかちなのか、疑り深いのかといった、相手の性格までも把握する必要があります。

みんなの介護 現状のAIには、その判断をさせるのは不可能に近いと、先ほども伺いました。

羽生 単に評価関数を駆使して、勝ち負けがつかない局面をつくり続けるようなプログラムをつくることは容易いとは思いますが、そんなソフトを相手にした将棋は少しも面白くないし、接待将棋にはなり得ないでしょう。

みんなの介護 そうなると“必要性”という観点でも、疑問が生じてきますね。

羽生 介護ロボットに人間の感情を理解させるということについても、接待将棋を指せるソフトを開発するのと同じコストがかかります。「それが本当に必要なのか?」という問いは、極めて重要な問いだと思いますね。

人間とコンピュータの理想的な共存関係の答えが、きっと見つかるはず

みんなの介護 AIの進歩によって、現在ある多くの職業がなくなるということが言われています。羽生さんはそのことについて、どう思いますか?

羽生 人間にしか判断できないことがなくなることはないだろうし、私はそういう分野での仕事はなくならないと思います。それこそ、接待スキルや介護スキルが必要な分野ですね。

棋士の場合はどうかというと、フラッドゲート(floodgate)といって、異なる将棋ソフト同士がひたすら将棋を指し続ける様子を公開しているサイトがあるんですが、世間の関心が「そちらのほうが面白い」ということになれば、職業として成り立たなくなっていくでしょう。将棋の局面は、10の220乗通りの可能性があって、人間が一生かけて経験できるのはその中のわずかな局面に限られてしまいますが、コンピュータは一時も休まず、それこそ24時間365日、将棋だけを指すことができますので経験量ではとうていかないませんからね。

みんなの介護 そんなことは人間には間違いなくできませんね。

羽生 そうした未来も視野に入れつつ、今は現時点で自分にできることを精いっぱいやっていくしかないと思っています。そのような営みの中で、人間とコンピュータの理想的な共存関係への答えが見つかっていくと良いと思います。

未来の先にあることを完璧に想定するのは不可能で、私たちはつねに未知の情報に直面していかなければなりませんが、そんな状況を悲観的にとらえるのではなく、わくわくした気持ちで楽観的に見てみることも大切なのではないでしょうか。

印象的だった認知症患者との対局

みんなの介護 介護の仕事に就いている人が、「将棋」をお年寄りとのコミュニケーション・ツールとして活用するケースが増えていると言います。将棋は介護の場でも役に立つものでしょうか?

羽生 ええ、もちろん有効だと思いますよ。以前、介護老人保健施設を取材した際、認知症を患っている方と将棋を指したことがあるんですが、とても印象的な経験でした。

序盤から進んでいって、難しい局面になると考える時間が長くなるのはプロもアマチュアも変わりがないでしょうから、その方が次の手を指すのをじっと待っていたんです。すると、しばらくして「羽生さんの番ですよ」と言われました。ビックリして、私がその前に指した手を説明して、次の手を指すことを促す……そんな場面が何度かありました(笑)。

そこで、対局を終えることもできたはずなんですが、相手の方が盤上に向ける視線を追ってみると、頭の中で現状の局面を分析し、次にどんな手を指すのが最適なのかを考えている様子が、こちらにありありと伝わってきました。つまり、認知症によって手番を忘れるといったハプニングはあるけれど、私とその方との間に行われていたのは立派な将棋の対局だったわけです。

みんなの介護 将棋には、そのように思考力を働かせるだけでなく、指し手同士のコミュニケーションを豊かにしてくれるという利点がありますね?

羽生 最近ではあまり見なくなりましたけど、昔は「縁台将棋」と言って、夏の暑い時期に夕涼みがてら、庭や路面に縁台を立てて将棋をする風景が日本中のあちこちにあったようです。近所の人たちが集まって、ああでもない、こうでもないと、一緒にチーム戦のようにして将棋を楽しんでいたのです。

そもそも将棋は、古代インドのチャトランガという双六のようなゲームが起源と言われています。チャトランガはヨーロッパに伝わってチェスになり、アジアではタイのマークルック、中国のシャンチー、朝鮮のチャンギという具合にそれぞれの地域で独特の発展を遂げて今に至っています。

それだけ多くの地域でボードゲームの文化が広がったのは、人間が生きていく上で必要な「娯楽」の要素として、それがとびきり面白いものだったからでしょう。

みんなの介護 羽生さんご自身も、最初は遊びとして将棋に出会ったわけですよね。

羽生 「子どもは遊びが仕事」と言われるように、子どもは「娯楽」のおもしろさに敏感です。現代の子どもにとっては、コンピュータ・ゲームが遊びの定番だと思いますが、私の場合、ファミコンが普及し始めたのが小学校の高学年になった頃。その存在自体が珍しい時代でしたから、ファミコンを持っている子の家を訪ねてプレイさせてもらっていたことを覚えています。

私自身の子ども時代は、近所の仲間と草野球やサッカーを楽しんだり、缶蹴りやトランプ、それからラジコンなどで遊んでいました。

将棋はその中のひとつで、はさみ将棋、まわり将棋、山くずしなどから始めて、本将棋(※一般的なルールの将棋のこと)を知っている同級生の友だちに駒の動かし方から基本的な戦い方を教わって、将棋の面白さを少しずつ発見していったわけです。もっとも、その時点でそれが将来の自分の職業につながるなんて、露ほども思っていませんでしたけどね。

ともあれ、年齢や性別に関係なく、老若男女あらゆる人たちが楽しめるのが将棋の魅力のひとつなのではないかと思います。

「賢人論。」第54回(後編)羽生善治さん「棋士の生活は、つねに勝負の間でめまぐるしい変化にさらされる」

半年先のスケジュールは、それこそ未知の世界

みんなの介護 では、将棋を「娯楽」ではなく「道」として究めようとしているプロ棋士の生活とは、どんなものなのでしょう?

羽生 基本的な特徴を挙げるとすれば、オフシーズンがないということでしょうか。プロ棋士が出場する将棋の公式戦は現在、8つのタイトル戦とその他の一般棋戦とがありますが、それぞれの予選と本選の日程が年間を通じて決められているからです。

私の場合、年間を通じて15の棋戦に出場していますが、そうすると途切れがなく対局が続くのです。ゴールデン・ウィークだろうが、お盆だろうが、お構いなし(笑)。

ですから、自分の年間のスケジュールを把握しようと思うと、せいぜいわかるのは半年先くらいまでで、それ以上先のことはわかりません。

みんなの介護 ちなみに…ですが、対局はだいたい週に何回くらいあるものなんですか?

羽生 これも、そのときの状況によって変わります。対局のない週もあれば、4~5回も立て続けに対局している週もあります。ですから、平日、週末、それから祝日といった曜日の感覚も、基本的にはないですね。また、対局は深夜にまで及ぶことも珍しくないですから、「夕方になったら仕事を切り上げる」といった1日の一定のリズムをつくるのも難しいです。

要するに、非常に不規則で、状況に応じて常にめまぐるしく変化しているのが棋士の日常だと言えそうですね。

みんなの介護 そのような日々の中で健康を維持し、対局のために緊張感を高めたりすることはとても難しいことではないですか?

羽生 そのはずなんですが、15歳でプロデビューして32年間、ずっとこういう生活をしてきましたので、自然に慣れてしまったというのが正直なところです。

「賢人論。」第54回(後編)羽生善治さん「限られた人生の中で少しでも多くの将棋の可能性に触れ、探究したい」

ひとつの成果は、次への通過点に過ぎない

みんなの介護 羽生さんご自身のこれまでの将棋人生を見てみると、26歳という若さで空前絶後のタイトル7冠を達成したときがひとつのピークだったとするなら、史上初の「永世7冠」を獲得した今は、第2のピークであると言えませんか?

羽生 将棋人生のピークという観点でこれまでのことを振り返ったことは、あまりないですね。もちろん、7冠を達成したことは、とても印象深い出来事でしたが、気持ちは次の対局、次の防衛戦に向かっていましたから、最終的な目標を達成したというような実感はありませんでした。

永世7冠という称号の獲得も、それとあまり変わりがありません。永世称号の獲得条件はタイトル戦によって異なり、私自身、ときどきわからなくなってしまうことがありますが(笑)、竜王戦の場合ですと「連続5期または通算7期」のタイトル獲得がその条件になります。

ただし、その条件を満たしたとしても、現役の棋士として活動している間はその永世称号を名乗ることはできず、引退したときに初めて就位するものなんです。それこそ、「老後の楽しみ」のようなものですから、永世称号の獲得というのも最終的な目標というものではなく、通過点のひとつに過ぎないのです。

みんなの介護 プロ棋士にとって、「最終的なゴール」というものは存在しないのですね?

羽生 将棋の局面の可能性は、数学的に計算すると10の220乗通りもあると言われています。観測可能な宇宙の全原子数が10の80乗だといいますから、それと比較してもそうとう膨大な可能性があるわけです。1人の人間が生きているうちに経験できる局面は、0.1%にも満たないでしょう。

でも、その限りある可能性の中で、少しでも多くの局面を経験したい、新しい局面を発見したいという願望が私にとって、これまで棋士を続けてきたモチベーションになっているのかもしれません。最初にお話しした通り、年をとっても変化を楽しみ続けたいですよね。

撮影:公家勇人

関連記事
医師・医療ジャーナリスト森田豊氏「認知症になった母への懺悔 医師である僕が後悔する『あの日』のこと」
医師・医療ジャーナリスト森田豊氏「認知症になった母への懺悔 医師である僕が後悔する『あの日』のこと」

森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07
【まずはLINE登録】
希望に合った施設をご紹介!