土居丈朗「日本の税制「公平・中立・簡素」という3つの原則の上に成り立っている」
平成から元号が改まった令和元年の10月、消費税が10%に引き上げられた。安倍内閣が2度に渡って延期してきた消費増税が、3度目の正直で実行されたわけだ。果たしてこれには、どんな意味があるのだろうか?増税後、世の中はどのように変化するのか?慶應義塾大学経済学部教授で、東京財団政策研究所上席研究員の土居丈朗氏に、消費税のそもそもの成り立ちからくわしく解説してもらおう。
文責/みんなの介護
富める人にも貧しい人にも一律に徴収するのが消費税
みんなの介護 そもそも消費税は、所得税や法人税などと比べて、どのような違いがあるのでしょう?
土居 所得税や法人税は直接税で、消費税は間接税だということが、大きな違いとして挙げられますね。
直接税とは、法律上の納税義務者が最終的な租税を負担する人と同一となることが予定されている租税──、というと難しく聞こえるかもしれませんが、要するに納税者が直接税金を支払う租税のことです。所得税は所得を受けている個人が支払い、法人税は法人が各年度の所得に対して支払います。
その一方で間接税は、納税の義務がある人と、税を負担する人が多くの場合、異なる租税です。消費税の場合、物やサービスを受けた人が価格に応じて税金を支払い、それを受けとった納税義務者が代わりに国や地方自治体へ納めます。
みんなの介護 間接税である消費税は、富める人にも貧しい人にも一律に税金を徴収するため、直接税と比べて公平ではないと感じる人が多いですよね。大平正芳首相が1979(昭和54)年に消費税の導入準備を閣議決定したとき、野党や国民の強い反発があって法案は廃案になりました。
土居 ええ、その通りです。その後、中曽根康弘首相が1986(昭和61)年に売上税と名前を変えて導入を試みましたが、同じような形で頓挫しています。
最終的に3%の消費税を導入することができたのは、1989(平成元)年の竹下登首相の竹下内閣においてでした。大平内閣の失敗から、10年の歳月を要したことになります。
所得税を引き下げる手段として消費税は導入された
みんなの介護 消費税の導入は、かなりの難事業だったようですね。
土居 もう忘れてらっしゃる方が多いかと思いますので、ここで改めて確認してみましょう。
当時、会社から給与をもらって所得税を払っている人は、こんにち言うところのビジネスパーソンではなく、サラリーマンと呼ばれていました。
そうした人たちに課されている所得税の最高税率は、昭和の終わりには70%まで達していて、「税率が上がって手取りの所得があまり増えず、生活が楽にならない」ということに多くの人が不満を持っていたんです。
みんなの介護 つまり、所得税の税率を下げる手段として、消費税は高所得のサラリーマンに歓迎されたというわけですか。
土居 そうです。反対していたのは、一部の小売り業者の業界団体や消費者団体などで、経済界全体では、消費税導入に表立って反対する声は少なかったのです。
みんなの介護 その後、消費税は3%から5%に、そして5%から8%に引き上げられていくわけですが、その根拠が「サラリーマンの不公平感の解消(所得減税)」から「社会福祉の財源に充てる」という方向にいつの間にか変わっていったように思います。どんな経緯があったのでしょう?
「所得減税」から「福祉財源」に変わった消費税の目的
土居 消費税を福祉財源に充てると最初に宣言したのは1994(平成6)年、細川護熙首相が打ち出した国民福祉税構想においてです。
細川首相は、消費税を税率7%の国民福祉税に衣替えしようとしたわけですが、与党内の調整も終わっていないうちから拙速に発表されたため、頓挫しました。当時の与党は非自民8党による連立政権でしたから、「そんな話は聞いていない」という声が内部からもあがってアッという間に空中分解したわけです。
みんなの介護 とはいえ、「消費税=福祉財源」という流れはその後、定着していきますね。
土居 細川内閣が倒れた同年、村山富市首相が消費税を3%から5%に引き上げる法案を成立させ、その3年後に橋本龍太郎首相の橋本内閣がそれを実施しました。しかし、そのときは消費税を福祉財源に充てるという明確な紐づけはありませんでした。
むしろ、そのことを明確に打ち出したのは2012(平成24)年、野田佳彦首相の民主党政権が自公と結んだ「社会保障と税の一体改革」の3党合意のときです。消費税を福祉財源に充てるということだけでなく、消費税率を8%に引き上げ、2015(平成27)年までに段階的に10%まで上げていくという路線がここで確定しました。
消費増税にまつわる政治家たちのトラウマ
みんなの介護 しかし、実際には「消費税を10%に引き上げる」という決定はこれまで2度に渡って延期されてきました。なぜでしょう?
土居 表向きは「景気が落ち込むことへの懸念」があったからということになるのでしょうが、本当のところは「選挙に負けることへの懸念」がそうさせたと言い換えても良いでしょう。
つまり、政権を維持するための方便であるわけですが、そんなことを表立って言えないために「リーマンショック級の出来事が起こらない限り増税する」などと言いながらも増税を延期し続けてきたわけです。
みんなの介護 政治家の立場からすると、消費増税には慎重になってしまうものなのですね…。
土居 そう言って良いと思います。消費増税が直接的な原因になっているわけではありませんが、これまで消費税を引き上げた政権はことごとく、選挙に負けて短命に終わっていますからね。
消費増税を2度に渡って延期した安倍首相の頭にも、そのことがあったことは間違いないでしょう。
「適切な再分配」とは何か。国や政治家任せではなく、国民全体で議論していかなければならない
みんなの介護 さて、消費税は現在、国の税収の約30%を占め、所得税(約30%)、法人税(約20%)と並んで「税収の3本柱」のひとつになりました。
土居 そうですね。税率が10%に上がれば、消費税は国の税収の最大の柱になるでしょう。これまでずっとナンバーワンの座に君臨してきた所得税の座を、消費税が圧倒するわけです。
みんなの介護 冒頭で説明していただいた直接税と間接税の話に戻れば、消費税は富める人にも貧しい人にも一律に税金を徴収する間接税です。税収の中で、そのような間接税の割合が高くなるのは、避けようのないことなのでしょうか?
土居 ええ、私はそう考えています。
というのも、直接税を中心とした税制は、高度経済成長期だからこそ成り立っていたからです。当時は人口構成がピラミッド型で、団塊の世代の方たちが日本の生産力の主力を占めていました。そうした世の中では、現役のうちにたくさんの税金を納め、リタイア後はそれほど多くの税金を納めず、悠々自適の老後を過ごすというライフスタイルが実現可能だったのです。
ところが団塊の世代の方々のほとんどが現役を退いた今、同じようなやり方ではやっていけません。
みんなの介護 消費増税は、超高齢社会になった現代の税制として、妥当なものである…ということですか?
土居 そうです。そもそも戦後日本の税制は、「公平・中立・簡素」という3つの原則によって成り立っています。
「公平」とは、「租税の負担能力が同レベルな人は、同じ額を支払うべきである(水平的公平)」ということと、「課税後の所得や資産について、個人間の格差をできるだけ小さくするように徴収すべきである(垂直的公平)」ということ。
2つめの「中立」とは、「租税は、民間の経済活動をできるだけ阻害しないようにするべきである」ということ。税金をとりすぎて、国民の生産力や消費、貯蓄を下げてしまうような租税は望ましくないというわけです。
3つめの「簡素」は、「租税制度は納税者にとって簡素でわかりやすいものにすべきである」ということ。
みんなの介護 なるほど。
土居 ここで大事なポイントは、「公平・中立・簡素」という3つの原則は、常にすべてを成り立たせるのが難しいということです。特に、(垂直的)公平と中立については、「あちらを立てれば、こちらが立たぬ」という関係にあって、その時代の状況に応じてバランスを変化させなくてはなりません。
したがって、今現在の日本の状況では、“間接税である消費税の割合を上げるけれども、そのかわりに社会保障を充実させ、適切な給付によって再分配していく”ということが望ましいでしょう。
みんなの介護 「適切な再分配」ですか、難しそうですね…。
土居 すべての国民が政治家任せ、官僚まかせという姿勢では、むずかしいかもしれませんね。
例えば、現役世代の人口がどんどん減って、高齢者の人口がそれに反比例して多くなっていくのが今の日本の社会です。現役世代の負担が大きくなっていけば、日本の活力は失われていきますから、経済的に余裕のある高齢者には応分の負担をしていただかなければなりません。
そのような課題を解決するためには、「公平・中立・簡素」という3つの原則を念頭に置きながら、国民全体が議論していかなければなりませんよね。
消費税10%で介護スタッフの賃金アップは実現するか?
みんなの介護 介護業界では人手不足に加えて、現場で働く人の低賃金も問題になっています。これから増える消費税収入が福祉財源に回されることによって、スタッフの賃金が改善されることはあるでしょうか?
土居 介護報酬は3年ごとに改定されますが、次の改訂は2021年度ですから、すぐに賃金が上がるというのは考えにくいですね。
ただ、消費税の増収分を活用して各都道府県に設置した「地域医療介護総合確保基金」の拠出は10%への増税前より増えるでしょう。これは、消費税の増収分を活用して地域包括ケアシステムや効率的で質の高い医療体制を構築するために設置された基金なのですが、それによって医療と介護の連携がさらに進み、介護業界の事業者が新たな取り組みをしやすいようになることは確かだと思います。
基金が対象となる事業に「介護施設等の整備に関する事業」や「介護従事者の確保に関する事業」も含まれているため、その事業の一貫として間接的に現場の人への処遇改善がなされる可能性はありますし、個人的にもそうあって欲しいですね。
もちろん、その取り組みは事業者だけでなく、各都道府県にゆだねられているわけで、さまざまなレベルで介護業界を活性化していこうとする努力が必要なわけですが…。
本来、あるべきだった「NISAの恒久化」という議論
みんなの介護 「老後資金2,000万円」問題は、7月の参院選の前に野党に与党批判の材料を与えることになり、国民の年金不信をあおる結果になりました。ですが、この問題がどんなところに決着したのかが今ひとつ見えません。解説していただけませんか?
土居 結論から言えば、あの問題はまだ何も決着していないし、キチンとした議論も行われずに宙ぶらりんになっている、ということになるでしょうね。
というのも、金融審議会報告書のそもそもの目的は、老後の生活を心配している国民に向けて、その心配事を解決する策のひとつを提示することだったからです。
ところが、「公的年金だけでは2,000万円足りなくなる」と言っていると解釈されて、批判を浴びるだけに終わってしまった。
みんなの介護 「老後の心配事を解決する策のひとつ」とは、何ですか?
土居 少額投資非課税制度(NISA)です。
NISAは、2012年12月に発足した第2次安倍内閣が組閣後、すぐに新設を決めた制度です。2014年1月から10年間、最大500万円の株式や債券の非課税投資が可能となりました。
翌年度の与党税制改正大綱には、「家計の安定的な資産形成を支援する」とありますので、老後の資産形成支援だけでなく、住宅の購入や、子どもの進学などのためにも使うことができます。
ただ、NISAの弱点は、10年間の時限措置だったことです。「家計を支援しますよ」と言って利用をうながしても、2024年になくなってしまうということになると、支援策としては弱いんですね。
ですから、NISAを恒久化したいというのが所管の金融庁の悲願だったわけです。
みんなの介護 その気持ちが空回りをして、地雷を踏んでしまったというわけですか?
土居 ええ、その通りです。
老後に2,000万円で充分な人もいるし、足りない人もいる
土居 そもそも「老後資金2,000万円」という数字は、夫65歳以上、妻60歳以上の無職の世帯のケースをもとにして試算されたものです。
毎月の平均収入は年金による約20万円で、それに対する支出は約26万円ですから、毎月約6万円が赤字になる。95歳まで生きるには、約2,000万円(=約6万円×12ヵ月×30年)の貯蓄が必要となるというわけですね。
ところが、毎月の支出が20万円でも生活が苦にならない人は、20万円の年金だけでも充分、暮らしていけるんです。
逆に、毎月40万円とか50万円なければ満足できない人は、2,000万円どころか、7,000万円とか1億円が必要ということになる。
みんなの介護 人によって月々の生活費は違うわけだから、当たり前のことですよね。
土居 そうなんです。しかし、「人によって月々の生活費は違います」と報告書に書いても、NISAを恒久化するための説得材料にはならないんです(笑)。現役時代に毎年いくら積み立る必要があるかを示さないと、NISAが必要という話にならないからです。
そこで、「公的年金以外でどれだけのお金を用意しなければならないか」という問題設定をしてしまったため、公的年金の「100年安心」をうたう政府のスタンスと矛盾しかねない報告書となってしまったわけです。
NISAが10年間の時限措置になった理由
みんなの介護 NISAはなぜ、10年間の時限措置でしか実現できなかったのですか?
土居 NISAで所得税が非課税になるので、政府にとっては税収が減ってしまう制度ですから、「国民にそんな大盤振る舞いをする必要はあるのか?」という意見が出るのは当然ですよね。
第2次安倍内閣のアベノミクスの3本の矢に資する目玉として、短い期間で作られたということも大きいです。「たくさんの資産を持つ人のほうがより多くの恩恵を受けられる制度である」という批判もありました。
そこで、いきなり恒久的な制度にするのではなく、「10年間」という期限を設け、それを延長するのか、あるいは期限そのものをなくすのかという議論を先延ばしにしてスタートさせることになったのです。
NISAとiDeCoの違いとは?どちらが得なのか?
みんなの介護 ところで、土居さんご自身は、NISAの制度を恒久化すべきだと思いますか?
土居 すべきだと思います。
NISAは、年120万円の投資額を上限に5年間非課税となる制度で、老後資金だけではなく、住宅費にも子どもの教育費にも有効であるということは先ほども述べましたね。
その一方、つみたてNISAは20年間、年40万円まで非課税で投資できる制度ですので、老後の備えをするのに向いている手段と言えます。
みんなの介護 ところで、老後の資産形成支援というと、NISAのほかにiDeCo(個人型確定拠出年金)があります。両者には、どのような違いがあるのですか?
土居 簡単に説明すると、税金を先払いにするか、後払いにするかの違いです。
というのも、株式や債券の利子や配当に対する所得税が非課税になるという点では共通していますが、NISAが所得税を払ったお金を運用するのに対して、iDeCoは個人年金給付として老後に受けとるときに課税されます。
つまり、税金を先払いするのがNISAで、後払いするのがiDeCoということになります。
みんなの介護 両者をどう使い分ければ良いのですか?
土居 自分が高齢者になる未来にどんな展望を持っているかということで、使い分けることができるでしょう。
未来には株価が上がって、多くの運用益が得られると考える人は、NISAで税金を先払いしておくほうが良いでしょう。すると、NISAを取り崩す時には税金がかかりません。逆に、そこまで運用益は得られないと考える人は、運用する前に税金を払うので掛け金が少なくなるNISAよりも、掛け金には税金がかからず、より多くの額を運用できるiDeCoのほうが、お得感があるでしょう。
日本の国民支援制度は、なぜわかりにくいのか?
みんなの介護 NISAとiDeCoが似ているようでいて、違いがあることがよくわかりました。ただ、このような似て非なる制度が2つあるのはどうしてでしょう?
土居 大きな理由は、NISAの所管が金融庁であるのに対して、iDeCoが厚労省の所管であることでしょうね。
要するに、幼稚園を文科省が、保育園を厚労省がそれぞれ管轄しているために「幼保一元化」がなかなか進まないのと同じことです。縦割りの組織の中で、異なる歴史的背景のもとに生まれたものをひとつにまとめるというのは、非常に難しいことなんですね。
みんなの介護 なるほど。NISAが10年間の時限措置である間、iDeCoとの整理統合はますます進まないでしょうね?
土居 その通りです。ですから、NISAの恒久化という課題の先には、国民に対してもっとわかりやすく、利用しやすい制度を整えるという、より大きな課題があるわけです。
ところが、「老後資金2,000万円」問題は、7月の参院選の政争の具となってしまったため、議論はおあずけになってしまいました。
とても残念なことですが、そうは言っても、老後資産を用意する手段がなくなってしまったわけではありません。公的なもの、民間のものを含め、すでにある制度やサービスをよく知り、自分にあったやり方で老後に備えることで、未来はだいぶ明るくなるでしょう。大事なのは、現状にあきれて目を逸らすのではなく、積極的に働きかけて現状をよく知ることです。
介護事業者は小規模のデメリットをなくしていくべき
みんなの介護 社会の高齢化がますます進んでニーズが高まっている中、伸び悩んでいる介護業界が発展していくには、どのような策があるでしょう?
土居 まずは「スケールメリット」という経済用語の説明をしましょう。これは規模の経済といって、経営規模が大きくなればなるほど生産性や経済効率が上がることを指します。
介護業界の事業者の多くが、小規模であるがゆえに、このスケールメリットを享受できていないことが大きな問題のひとつだと思いますね。
膨大な事務処理に関する経費は、小規模の事業者には負担が重くなります。人手不足が深刻化している中での人材確保、それから人材育成にかける研修費などについても同じことが言えます。
みんなの介護 経営難にあえぐ小規模事業者は、合併して力を合わすしか道はないのでしょうか?
土居 単に「合併」と口に出して言うのは簡単ですが、そうできない事情もいくつかあると思います。
介護保険制度では、介護が必要な方を5段階に分類していますが、きめ細やかなケアをするには規模が小さいほうが個別のニーズに対応できるでしょうからね。
ですから、介護サービスと直結しない、事務処理とか人材確保といった部分だけを切り分けて、「業務提携」とか「共同事業」という形で運営し、スケールメリットを享受できるようにするのが望ましいと思います。
医療と介護の連携が進む中、貴重なデータが集まりつつある
みんなの介護 介護現場の生産性を高める手段として、ICT(情報通信技術)やAI(人工知能)にも期待がかかっています。土居さんは、どう評価していますか?
土居 そのような技術を「夢物語だ」と否定する意見もあるようですが、私は大いに期待しています。
例えば、先ほど申しました、きめ細やかなケアプランということに関して言えば、認知症のある人とない人、自分で歩ける人とそうでない人ではケアの仕方がまったく違うわけで、AI任せにして自動化するわけはいかないと思う人が今は多いのかもしれません。
ただ、AIの技術は入力したデータが多くなっていくのに比例して精度が上がっていきます。介護保険制度が始まったのは2000年度からですが、その間、地域包括ケアシステムが進んで医療と介護の連携が進みつつあります。
医療機関で脳卒中や心疾患、生活習慣病などの病気の治療をした人が、“その後、どんなプロセスを経て要支援から要介護に移行していったのか”、といったデータが今後、日本の各地域から集まれば、ケアプランを提案するAIの精度も上がっていくでしょう。
みんなの介護 「人生100年時代」は、人類がかつて経験したことのないことですから、そうしたデータをできるだけ早く蓄積していかなければなりませんね。
土居 今や「待ったなし」という状況と言えるのかもしれません。もちろん、マイナンバーを使ってすべての国民のデータを追跡するといったことは、プライバシーの問題から抵抗感を持つ人が多いでしょうね。
それから、医療から介護まで、うまくいったケースだけを集めるのではなく、うまくいかなかったケースのデータも集めることで、AIの「どんなケアが適切なのか」という分析能力を高めていく工夫も重要です。
継続して鍛えないと衰える。「老い」は理不尽なものである
みんなの介護 ところで、土居さんは今年の8月で49歳になりました。ご自身の「老い」には、どんな自覚がありますか?
土居 老眼については、もう数年前から自覚しています。むしろ最近、気をつけなければならないなと思っているのは筋力の衰えです。
筋力は、鍛えていなければすぐに衰えていくものです。ところが、研究者というのは基本的にデスクワークですから、自分の筋力が衰えていくことを自覚しにくいんです。ですから、ちょっと体を動かした途端に筋肉痛になったりするんです。
そこで最近は、スポーツジムに定期的に通って、体を動かす習慣を身につけようと努力しています。
みんなの介護 体を動かさないとフレイル(虚弱)が始まって要介護に至る速度が早まることが明らかになり、国も意識的に運動をしてフレイルを予防することを奨励していますね。
土居 それ自体は素晴らしい考えなのですが、果たして政策を立案する人は「やり続けること」こそが重要であると気づいているのでしょうか。
というのも、49歳の私でも、ジム通いを1~2週間くらいサボると、それまでの努力がすべてリセットされて、また筋肉痛に悩まされますから…(笑)。
ジムで体を動かすことを経済学で言うところの「労働」と定義すると、重いバーベルを持ち上げたり、音楽に合わせてダンスをしたりすることは何らかの「利益」を生み出すはずなんですが、それがまったくないんです。
そのような意味においてスポーツジムは、労働が生み出す「利益」ではなく、「継続性の維持」を売るビジネスなんですね。継続するのが難しいからこそ、それを支援することがビジネスになるわけです。継続しなければ衰えるが、継続しても発達するわけではない。理不尽ですよね、暗澹たる気持ちになります(笑)。
やがて「生涯現役」が当たり前の社会になる
みんなの介護 土居さんのスポーツジムでの涙ぐましい努力はやはり、「生涯現役」を目指すためのものですか?
土居 そうですね。私が現在、奉職している慶應大学の定年は65歳ですが、70歳が定年という大学もあります。私より若い研究者の中には、65歳定年の大学より、70歳定年の大学のほうが良いと考える人もいるでしょうね。
少子高齢社会の日本において若い人というのは、これまでにないほど希少な存在ですから彼らに選んでもらうため、一般企業ではすでに、定年制を延長したり、廃止したりする企業も出始めています。ただ、大学という機関は保守的な団体ですから、私が65歳になったとしても一般企業のような定年延長は進んでいないかもしれません。
そうだとしても私自身のことで言えば、物事を分析・調査して研究するという営みは、給与をもらえるかもらえないかは別として、ずっと続けていくのだろうと思います。筋力と違って、研究する能力について「継続性の維持」を売るビジネスに頼る必要もないのは、それが単なる職業ではなく、私のライフワークだからです。
撮影:公家勇人
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