立花隆「後期高齢者になってはじめて人間は人間になるこの感覚は歳をとってみないとわからない」
立花隆氏は3万冊の本を読み、100冊の本を著した〝知の巨人〟である。1970年代、『文藝春秋』に発表した「田中角栄研究──その金脈と人脈」は当時の総理大臣を退陣に追い込み、1980年代後半から1990年代前半にかけて取り組んだ「脳死問題」に関する一連の著述は、あらためて死とは何かを日本社会に問いかけた。後期高齢者となってからも、がん、心臓手術を乗り越えた体験と最新脳科学の知見をもとに『死はこわくない』を上梓。それから5年──80歳を目前に今も健筆を振るい続ける立花氏に、現在の心境をうかがった。
文責/みんなの介護
60歳還暦を迎えてやっとスタート。70歳になって一人前
みんなの介護 立花先生は今年の1月にも新刊『知の旅は終わらない』を出版されました。失礼ながら、後期高齢者となってもいっこうに衰えを知らないその先生の執筆欲はどこから湧き上がってくるのでしょう?
立花 え?と、後期高齢者って何歳から?
みんなの介護 75歳からです。
立花 75歳? ということは、そうか、僕はもうすぐ80歳になるのか。もうちょっと若いかと思ってたよ(笑)。
みんなの介護 75歳で書かれた著書『死はこわくない』には「75歳をすぎてから落ち着いてものごとを考えられるようになった」と書かれていました。
立花 そうね。その頃から本当にいろいろなことが見えてきますね。
みんなの介護 具体的にはどういうことが見えてくるのですか?
立花 「今までが若すぎた」ってことかな。つまり、後期高齢者になって、はじめて人間は人間になる。まぁ、この感覚は自分で歳をとってみないとわからない。
まず60歳の還暦を迎えてやっとそこからスタート。70歳になって、ああ、やっと1人前になったという感じ。頭の中にできあがるイメージの世界がまったく変わってきて、ようやくいろんなことがわかってくる。だから面白いんですよ。
みんなの介護 先生はこれまで〝膀胱がん〟と〝心臓病〟の手術を経験されていますね。大病を乗り越えたことも考え方に影響を及ぼしましたか?
立花 膀胱がんの宣告を受けたのは2007年。それまでも僕の体は「生活習慣病のデパート」みたいな状態で、検査をすればするほど異常が見つかってたんだけど、そのときは本当にヤバイかもしれないと思った。
自覚症状もたいしてなかったので初期に違いないと無邪気に信じ込んでいたら「これは初期じゃない。中期をすぎている」と医師に告げられ、その日のうちに手術予定日を決められて。
スレスレのところで膀胱全摘という事態は避けられたんだけど、がん細胞が完全になくなったという根治レベルに達したわけではなくてね。このときの経緯をことこまかに書いたのが『がん 生と死の謎に挑む』(『立花隆 思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む』/NHKスペシャルとしてテレビでも2009年に放送された)。
膀胱がんの場合、再発率が高いので、がんが消えて5年が経過しても〝サバイバー(がんを克服した生存者)〟とはみなされない。実際、手術の7年後の内視鏡検査で「再発の可能性がある」といわれたこともあったんだけど、幸いなことに今のところ異常は見つかっていません。
死を意識した心臓手術
みんなの介護 著書には「膀胱がんの手術より、死の危険性を自覚したのは心臓の手術でした」と書かれていました。
立花 膀胱がんの手術の翌年、心臓を動かしている冠動脈の2カ所に梗塞が見つかって。そこで手術でステントと呼ばれる補強筒を血管内に埋めることになった。
この手術では、まず左手首からカテーテル(細長い管)を挿入し、血管の中を通して心臓まで伸ばしていく。そしてそのカテーテルを使ってステントを送りこむわけだけど、その前にバルーン(小さな風船)で血管が狭くなっている箇所を膨らませるんです。
ところが、その手術は患者の意識をはっきり保って医師とコミュニケーションを取りながら行われるものだから、自分の身に何が起きているのか全部わかってしまう。そうしないとかえって危険だということなんだけど、医師の指示も全部聞こえてるからいろいろ心配になってね。
「まだ膨らまないな。あと何気圧上げてください」とか言ってるうち、とうとう20気圧にまでなって。自動車のタイヤでもせいぜい2?3気圧。ダンプカーだって10気圧程度。だからもうびっくりしちゃって。これはいつ血管が破裂しても不思議じゃないと考えながら手術を受けてたんだけど、あのときの気分を思えば膀胱がんの手術なんて楽なもんでした。
みんなの介護 自分が生と死の境に置かれている状況が手に取るようにわかるのに体は動かない。おそろしくなかったのですか?
立花 意外に冷静でした。もうしょうがない。委ねるしかない。やめてくれと言ったところでやめられるわけでもないですし。まあ、根が楽観的な気性なんで、まあ、死ぬときは死ぬんだと。
ちなみに、手術後、「バルーンが破裂する可能性はなかったんですか?」と医者に聞いたら「ある」と(笑)。ただし、もし破裂して大出血しても、すぐ開胸手術に切り替えるから大丈夫という話でしたが。いずれにしても、あの体験は非常に貴重なものでした。
恥をかけるのが若さの特権
みんなの介護 先生はこれまで哲学・古代文明・司法・音楽・美術・近現代史・人工知能・神秘思想・論理学・宇宙・がん等々、多岐にわたるテーマに挑んで100冊もの著作を残されています。それらはテレビのドキュメンタリー番組のテーマにもなり、放送される度に大きな反響を社会に巻き起こしました。
質的にも量的にも、とても人間業とは思えない圧倒的な仕事ぶりですが、ご自身ではそれらの実績についてはどのように評価されていますか?
立花 若いときに書いたものは甘かった。わかったような顔をして、ちゃちなこと書いて偉そうにしてたなと思いますね。
みんなの介護 書き直せるものなら書き直したいと?
立花 それはない。若いときには若いときの筆があって、それはそのときにしか書けない。あとから見れば恥ずかしいものでも、そのときは恥をかいてもそう書くしかない。いや、恥をかいたほうがいい。恥をいっぱいかいてやっと歳をとれる。歳をとるというのはそういうことで、逆に恥をかけるのが若さの特権じゃないかな。
新しい世界は自然に開けてくる
みんなの介護 では、これまで仕事をやめたいとお考えになったことは?
立花 ないです。それどころか、まだ、僕にはいくつもやりかけの仕事があって、たぶん、死ぬまでやめない。まあ、書き終わる前に寿命が尽きてしまうかもしれないけど、結局、人間というのは、いろんな仕事をやりかけのまま死ぬんだと思う。
みんなの介護 先生にとってテーマはつねに自分の内にあるものなのですか? それとも外からやってくるものなのですか?
立花 両方だね。ただ、そんなに深く考えてたわけでもなくて、その時々でいちばん興味があることに取り組んできただけのことで、自分ではそれほど無理難題にとりかかってるという意識はなかった。それに歳をとると興味の範囲や深さも変わってきて、自然に新しい世界が目の前に開けてくるようになってね。だから、面白くてやめられないんですよ。
死後の世界があるかないか、結論は明々白々
みんなの介護 先生は著書に「死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験だから、いい夢を見ようという気持ちで自然に人間は死んでいくことができるんじゃないか」と書かれています。人間は本当にそんなふうに誰でも穏やかな最期を迎えられるものなのでしょうか?
立花 まず、心臓が停止してもすぐに脳は死なない。数分間は活動しています。その間に人間の脳内のいろんな意識を支えている機構がどんどん壊れていく。その壊れる過程で起きる現象が〝臨死体験〟。死後の世界体験ではなく、死の直前に衰弱した脳が見る〝夢〟ではないかというのが、僕の到達した臨死体験についての結論でした。
みんなの介護 臨死体験談によく出てくる、美しい花畑で家族や友人に出会ったり、まばゆい光に包まれた世界へ移動したり、超越的な存在に出会ったりという神秘体験についてはどう説明できるのでしょう?
立花 神秘体験というのは、死の間際、脳の中の辺縁系(情動、意欲、記憶などに関与する領域)の働きが活発化して白昼夢を見ているような状態になり、幸福感で満たされるのだろうと考えられています。
みんなの介護 なるほど。いよいよ死が近づくと脳のある部分が活性化して幸福感に満たされる。恐怖が和らぐような仕組みがあらかじめ人間の体には備わっているのですね。ということは、臨死体験は死後の世界とは無関係だと?
立花 まあ、本当のところは死んでみないとわからない。臨死体験の証言者も死んだわけではないのだから。もちろん、死後の世界があるかないかという議論については、僕の中で明々白々に結論は出ています。だけど、それが存在するかどうかは、結局のところ個々人の情念の世界の問題であり、論理的に考えて正しいかどうかではない。どれほど科学が進歩しようと、この〝わからなさ〟に関してはつねに解釈の余地が残ってしまうんです。
新しいことがわかれば感じ方も変化する
みんなの介護 しかし、科学的アプローチによって死の間際の脳の働きが解明されても、あくまで臨死体験は死後の世界が存在する証だと信じて疑わない人もいます。とくに日本人は宗教心とは別の次元で死後の世界をなんとなく受け入れている節があります。実際、反響はどのようなものだったのですか?
立花 そう、日本人の心の世界は広い意味で死者との交わりを含めて成立しており、死後の世界の存在は案外自然に受け入れられています。ところがね、放送直後、街を歩いていたら何度も「ありがとうございました」と感謝の言葉をかけられたんです。
ほとんど年配の女性で、どうやら彼女たちは僕が番組の最後に述べた「この取材を終えて、死ぬということがそれほど怖くなくなった」というメッセージに共鳴してくれた。そういうことのようでした。
つまり、霊がどうしたこうしたというような非理性的で怪しげな世界にのめりこまなくても、ごく当たり前のことを当たり前に、理性的に考えるだけで死ぬのは怖くなくなるということが、あの番組によって多くの人にきちんと伝わったわけです。
新しいことがわかれば物事の捉え方は変わる。こうやって来世的な世界に対する感じ方も変わってゆくのだと実感しましたね。
般若心経の救い
立花 僕の両親はキリスト教徒だったので家には仏壇も神棚もなく、お盆になると死者が帰ってくるというような考えや習俗には馴染みがありませんでした。したがって、僕は一般の日本人が自然に受け入れている〝この世とあの世がつながっている〟という感覚を知らないで育ったんです。この違いは大きかったように思います。
ところが、最近、日本の宗教に関する本を読み直してみたら非常にいいことが書いてある。今もここに般若心経の本がありますが、これがまた面白い。ほら、全文はこれだけ。わずか300字足らずで本にすれば1ページにもならない。
しかも、最後の〝掲帝掲帝、般羅掲程、般羅僧掲帝、菩堤僧莎訶般若波羅蜜多心経(ぎゃていぎゃてい、はらぎゃてい、はらそうぎゃてい、ぼうじそわかはんにゃはらみつたしんぎょう)〟という部分には意味がない。呪(まじな)いみたいなもので単なる音の響きでしかないわけ。
結局、人間の心の平安を乱す最大の要因は、自分の死についての想念なんだけど、要するに般若心経にはこう書かれている。
深く考えなくても〝死にどき〟がくれば彼岸の世界へ自然に行ける。よほどの悪人でない限り、そうなるようになっている。ちゃんと死ねるからそんなに悩まなくていいんだと。
まったくその通りだと思いますね。
延命治療よりもやってほしいことがある
みんなの介護 〝死にどき〟といえば、以前、先生は「延命治療は要らない」と述べられていました。その考えに変わりはありませんか?
立花 そうですね。胃ろうも人工呼吸器も願い下げです。無理しないでなるようになるのが一番。延命治療というのは放っておけば死ねる状態になるのに無理やり何かしようということですから必要ない。
ただ1つ、希望としては、いよいよ死ぬとなったとき、くれぐれもベッドは温かすぎず寒すぎずという状態にしてほしい。
みんなの介護 それはなぜですか?
立花 生涯に3回も臨死体験をされた人からこんな話を聞いたんです。
1回目と2回目の臨死体験はハッピーなもので、こんなに楽に死ねるのかと思った。ところが3回目は、とにかく暗くて寂しかったと。なぜそうだったのか後から振り返ってみると、はじめの2回はあたたかい布団の中で快適な状態だったのに対し、3回目は救急病院で薄い病院着1枚で寝かされていた。
それでどうやら臨死体験という脳が最後に見せる夢に近い現象には死に際の環境がそのまま反映されるらしく、できるだけ死の床を快適にしておくことが肝要だということがわかった。まあ、そういうわけです。
みんなの介護 葬式や墓についても考えがあるということですが?
立花 葬式や墓にもまったく関心はないです。これもキリスト教徒の両親の影響でしょうね。「人間の肉体は塵(ちり)から生まれて塵に帰る」という考え方にずっと親しんできたせいか、肉体に特別な意味があるとは思えない。
とくに嫌なのが火葬場での骨あげ。焼きあがった遺骨を遺族らが2人1組になって箸で拾って骨壷に納めていく風習。こんな儀式はまったく必要ない。
僕は火葬場で訊ねたことがあるんですよ。「もし、遺族が故人の遺骨を拾わずに帰ったらどうなるのか」と。その答えは「東京都清掃局(環境局)の清掃車が来て引き取る」でした。
昔、伊藤栄樹という有名な検事総長の『人は死ねばゴミになる』という本がありましたが、まさにその通り。
僕も死んだら、葬式も骨あげもしなくていいし、遺骨も東京都に引き取ってもらってゴミとして処理してもらえばいいと思ってます。
まあ、可能であれば〝コンポスト葬〟が理想なんですが。
みんなの介護 コンポスト葬?
立花 イギリスのコリン・ウイルソン(『アウトサイダー』『オカルト』などの著作で知られるイギリスの作家)の取材をしたとき、彼の友人の1人が僕にコンポスト葬の話をしてくれたんです。
死んだら遺体をほかの材料と混ぜて発酵させるなどしてコンポスト(堆肥)にして畑に撒く。そうすればほかの動物と同じように、人間の肉体も自然に回帰できる。自然の物質循環の大きな環の中に入っていけるのだと。
ただ、実際には日本でそれをやるとなると美学的かつ法的に無理がありますから、妥協点として〝樹木葬〟あたりがいいかなと思ってます。
哲学に傾倒したきっかけは隣人の死
みんなの介護 先生がはじめて〝死〟を意識したのはいつ頃でしたか?
立花 中学生のときですね。隣に住んでいた大家のお婆さんの臨終に立ち会ったんです。さっきまで生きていた人が、ただの骸(むくろ)になってしまった。ショックでした。 それからしばらくは、ふつうに生活してる分には忘れていたんですが、心の奥底では引きずっていたんですね。だから哲学に傾倒するようになった。死とはいったい何なのか? 考えても考えてもわからない。そうこうしているうちに観念の世界にどんどん深入りして、高校3年から大学のはじめにかけて何度か自殺したいと思ったんです。
みんなの介護 観念的な死の恐怖に耐えられなくなったのですか?
立花 いや、直接の原因は失恋でした。すっかり思い詰めてしまって。ところが、いざ死のうと思っても、どうすればいいのかわからない。死ぬには具体的な行動が必要なんだけど、結局、考えあぐねるばかりでその1歩が踏み出せなかった。情けなくて自己嫌悪に陥りました。
自殺したいと思ったことのない人間はいない
みんなの介護 先生は若者が「死」について考えることは大切だと述べられています。
立花 子供時代から青年時代にかけて、自殺したいと一度も思ったことのない人はいないんじゃないかな。もし、心の中で考えたこともないという人がいたとしたら、その人の成長過程には何か欠落がある。若者が死について悩むのは、むしろ健全な精神的成長の一階梯だと思います。
みんなの介護 お話をうかがっていて思ったのですが、もしかすると先生は生命力が強すぎて死を遠ざけてしまうのではありませんか。
立花 かもしれない。僕は子供の頃から眠れなかった夜もなかった。今でも何か考えすぎたとしても缶ビール1本あればぐっすり眠れちゃう(笑)。
振り返ってみると、この性分は子供のときからなんだよね。
引き揚げという原体験が人生の核になった
立花 うちの一家は北京からの引き揚げなんです。僕らの年代は満州をはじめとして引き揚げ者が多かった。少し前に亡くなった俳優の梅宮辰夫さんの家もそう。同じ町内で、僕の1歳上の兄と同級生でした。五木寛之さんも引き揚げで相当ご苦労をされたと本に書いてます。ある時代の日本には、そういう家族の集積のような街がたくさんあったんです。
着の身着のままで列車に乗せられ、延々と歩かされ、これから自分たちはどこへ向かうのかもわからず、この先、どうやって生をつなげればいいのかわからなかった。うちの両親は本当にたいへんだったと思います。無謀な戦争を仕掛けた国の国民とはいえ、あの時代、右往左往しながら、よく日本人は生き延びたと思いますよ。そして、あの戦争を始めた連中は、なぜ責任を取らなかったのか。歳をとって最近は滅多なことで腹も立たなくなりましたが、その憤激だけはいまだに消えていません。
みんなの介護 当時、中国からの引き揚げのさなか、多くの民間人が命を落としたと聞いています。
立花 僕の一家だけでなく、あの時代、多くの日本人は死と隣り合わせの毎日を送っていた。頻繁に空襲もあった。死は身近で間近にあったんです。戦後もしばらくは、いまでいう普通の生活というものとは程遠いものだった。
ただ、たいへんはたいへんだったけど、僕は小さな子供だったんで、見るもの聞くものが面白かったんです。人生初にして最大のイベントが北京からの引き揚げ。それが原体験となって僕の人生の核になり、敗戦という日本の歴史とも重ね合わさっている。
結局、人間は誰しも自分が生きた時代を、歴史を背負わなければいけない。置かれた環境に従って生きるしかないんです。たまたま僕は物心がついたばかりの頃に引き揚げを経験した。おかげでそれから先の人生で苦労を苦労と思わなくなった。
僕の世界の認識の仕方が他の人と違っているとしたら、たぶん、そのせいなんですね。
安易な絶望が許されない仕事の先には
大きな喜びが待っている
みんなの介護 先生は看護学校でも講演をされたことがありますね。その際、「看護師の仕事には際限がなくて、やるべきことが次々と出てきます。熱心な人ほど途中で燃え尽きる」と述べられていますが、それは介護士にも共通する悩みです。ぜひ、介護士にも一言お願いします。
立花 まず、看護の仕事と僕の関係について話します。
1つ目は、実は僕の息子の嫁さんが看護師だということ。2つ目は、僕に何回も入院の経験があって患者として看護師の皆さんとの接点があったこと。3つ目が、以前、僕が立教大学の50歳以上を対象にした〝セカンドステージ〟という社会人向けコースで〝自分史〟を書かせる授業をやったことがあって、その受講者に看護師の女性が非常に多かったこと。
これらのことがあって、おのずと看護師の仕事に興味を持ったわけです。
みんなの介護 『自分史の書き方』という本も出されていました。
立花 はい。授業で行なった講義内容と実際に受講生が書いた〝自分史〟を1冊にまとめたものです。
まあ、それで看護師の皆さんの自分史を読んでみると、これが厳しい現実の連続なんですね。看護師を志して学校の寮に入って、そこで厳しい上下関係の中に放り込まれる。職場に行けば医師や患者との葛藤がある。看護師の人生というのは心理的な葛藤に次ぐ葛藤なのだということが本当によくわかりました。
それに看護師の仕事は、ある意味で家事労働とものすごく似ていて、どこまでやっても終わりがなくて、やろうと思えばやることが無限に出てくる。真面目で熱心な人であるほど「あれもやなきゃ、これもやらなきゃ」となって疲れ果ててしまう。
もっといえば、ずっと付き添っていた患者が亡くなると、接していた時間が長い分だけ、看護師には医師よりも大きな敗北感が生じてしまう。
みんなの介護 介護士の置かれている状況もそれに近いものです。
立花 介護もたいへんな仕事です。昔、僕も重症心身障害児の取材をした際、短期間ですがケアを行なっているボランティアの手伝いをしたことがあります。最初は単なる見学のつもりだったんですが、これは自分でも体験すべきだと感じてやらせてもらったんです。
そして、そこで身をもって理解したことは、安易に絶望しちゃいけないということ。僕らが考えている以上に厳しい現実はいくらでもあるのだと。それは見聞きするだけでなく実際に肌を触れ合ってみてはじめてわかったことでしたね。その意味では非常にいい体験をさせてもらいました。
おそらく、そういう体験をしたことがある人とない人とでは生き方も変わってくる。看護師や介護士として一生懸命働いている人たちは、今はつらくても、きっと大きな喜びも待っていると思います。
撮影:公家勇人
立花隆氏の著書『知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと (文春新書)』
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作家・ジャーナリストとして長期間にわたり活躍してきた立花隆が、山ほどの好奇心を抱えて、好奇心が導くままに生き、仕事をしてきた人生の旅を語る1冊。就職した会社を2年半で辞め、今で言う「ノマド(遊牧民)」的な立ち位置から世界を観察し、切り取ってきた過程が明らかになる。
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