富家孝「医療費を垂れ流すだけの延命治療を見直し、子供や若者、治る患者のためにもっと予算を回すべき」
“人間、思ったように死ぬことはできない”――そう語るのは、医師兼ジャーナリストとして長年、医療の光と影を見つめてきた富家孝氏。『不要なクスリ 無用な手術 医療費の8割は無駄である』など、多くの著書で医療現場の実際を明かしてきた。そんな氏を招き、“延命治療の是非”のテーマから話を伺った。
文責/みんなの介護
「事前申告制度」で、リビング・ウィルを遺すことを義務化すべき
みんなの介護 富家さんは医師の肩書を持ちながら、一方ではジャーナリストとして医療現場の問題を指摘するご著書を多数残されています。まずは率直に、“超高齢”と言われる日本社会の医療についてご意見をお聞かせください。
富家 日本の終末医療は、ずっと「延命」中心でやってきましたよね。まずはそこから見直すべきだと思いますよ。延命治療のために使われているお金は膨大な額ですから、医療費はかさむ一方です。
現状として、医師は終末期医療において、「延命する」以外の選択が許されていません。このままでは、医療費を垂れ流し続けるだけになり、一般の患者さんの2~3倍くらいの額を延命治療につぎ込むことになってしまいます。国民皆保険、高額医療制度など、日本の保険制度は素晴らしいのですが、このままでは「ない袖を振れ」という話になってしまいますよ。
みんなの介護 確かに、日本の医療資源は余裕があるとは言い難い状態ですね。
富家 身も蓋もないようですが、高齢社会に関わる議論の肝は「お金」の問題に尽きると思います。高齢者が増え、医療費・介護費に余裕がなくなってしまったとなれば、延命治療の優先度は、どうしても低くせざるを得ないでしょう。
まさか今どき「楢山節考」の世界みたいに、お母さんを背中に担いで“姥捨て”にいくわけにもいかないですし…。治る見込みはないけれど延命だけはしている、というケースの患者さんには、どこかで見切りをつける、ということも必要になってくると思います。
みんなの介護 ともすると冷たい意見にも捉えられそうですが、日本の高齢化がそれほどまで切羽詰まってきている、というのもまた現実です。
富家 延命治療に医療費を回したせいで、子どもや若者、介護を必要としている高齢者や治る見込みのある患者さんたちに予算が回らなくなってしまっては本末転倒です。社会や家族、そして何より本人のためにも、無理に延命をせず安らかな最期を選ぶ、という選択はひとつだと思いますね。
遅かれ早かれ導入されていくとは思いますが、「事前申告制度」はつくるべきですよ。つまり、無理な延命を本人が望まないのだとしたら、その意志をしっかりと書面で表明しておくんです。
延命が長引くのは、家族にも本人にもつらいこと
みんなの介護 「望む最期を書き残しておきましょう」ということを、制度として定めるのですか?
富家 2025年以後、団塊の世代が後期高齢者になったときまでに事前申告制度を整備し、例えば、75歳を迎えた人には申告を義務づける、という風に決めることで、延命を極力減らしていく。現段階では「できるだけ延命は続けなさい」という法律になっていますが、そこを見直していくんです。意識のはっきりした状態で患者さんが意志を示し、家族もそれに同意するのなら、問題のないことだと思います。
みんなの介護 義務化、という点では賛否が分かれそうな意見ですが、いずれにせよ、自分の最期についてきちんと考えておくということは大切ですね。
富家 歳をとり、意識障害も重度になり、いよいよ最期…というとき、延命治療として医師が施す処置はいろいろあります。人工呼吸や酸素吸入、中心静脈カテーテルなどは一般的ですが、中には、おしっこが出ないからと言って、人工透析までやった例もあるそうですよ。
いくら人を生かすのが医師の仕事だからと言っても、そこまでして延命された患者自身は幸せなのでしょうか?私だったら「いっそ楽に逝きたい」と思うかもしれません。医師も医師で、今後は「積極的には延命を行いません」ということを自分たちから表明していくべきだと思いますね。
みんなの介護 自分の両親や祖父母のこととなると、「少しでも延命を…」と思う方は多そうです。
富家 果たしてそうでしょうか?元気で長生きしてくれれば一番ですけれども、寝たきりで意識がないのに、胃ろうをつくってでもいいから生き永らえてほしい…とまで望むご家族の方は、私の所見では、それほど多いわけでもなさそうです。
日本には高額医療制度がありますから、医療のためにたくさんお金がかかった分は国の予算を使って差し引かれます。一般には月8万円程度、少し所得が多い人でも月10数万円程度が上限額となっていて、それ以上は医療費を払わなくていいようになっていますよね。だからこそ延命治療が一般化していますが、もし「月にかかった延命費用は全部負担してください」ということになったら、話はガラッと変わるはずですよ。
「一見すると植物状態だけれども、話しかけるとたまに反応がある気がするから」と何年も延命治療を続けている方もたまにはお見かけしますが…。そういう状態が続くのは、ご家族にとっても、本人にとってもつらいことだと思いますよ。
“自然死”について正しい理解を
みんなの介護 無理な延命というのは、やはりご本人にも苦痛なものなのですか?
富家 特別養護老人ホームの常勤医として死を見つめてきた中村仁一さんという医師によれば、最も自然な死に方は“餓死”なのだそうです。最期が近くなってくると、人間はものを食べられなくなる。身体はその機能を終えようとしているため、栄養が要らなくなるということですね。「食べられなくなったから死ぬ」のではなく「死にゆくから食べられなくなる」んですよ。
すると人間は、身体の中に残された水分や栄養を使い果たしながら、朦朧とした意識の中、安らかに死んでいきます。胃ろうや点滴で無理に栄養を流し込むというのは、満腹の人に無理やりご飯を詰め込むようなもので、とても苦しいものだそうです。
みんなの介護 最近では“尊厳死”という言葉も普及してきました。
富家 医者の側としては“尊厳死”が一般化することを望んでいますし、大きな病院ならその動きは順調に進んでいくでしょうが、問題なのは個人病院ですね。どうしても、利益との兼ね合いがあります。延命治療は、言ってしまえば大きな収入源ですから、それがなくなるとちょっと…という病院も多くあるでしょう。
“安楽死”の是非に関してはなおさら、はっきりした答えは出されていませんね。他国では合法化されている例もあるとはいえ、死生観の問題もありますし、日本の文化というのも根強いですからね。簡単に片付く問題ではないでしょう。
みんなの介護 人の生死に関わることだからこそ、答えを出すことは簡単ではないと思います。
富家 ただ、勘違いしてはいけないのは、延命治療を辞めるということは、何も自分たちの手で“死なせる”のではない、ということ。自然の成り行きに任せるという、それだけのことなんです。医療の力で無理に生き永らえさせるよりも、それが一番、本人にとって安らかな旅立ち方なんですよ。
“自然死”というものが存在することを、特に若い医師は知らないんです。彼らはつい、病気を治す要領で、自然死に抗った延命を続けてしまう。歳をとれば、人間は自然に死んでいく。これは本来当たり前のことなんです。
老いに抗うのでなく、上手に老いるべし
みんなの介護 先ほど、延命治療をはじめ終末期に関するお話を伺いました。「終活」や「エンディング・ノート」など、自分の最期を考えることへの関心も最近高くなってきていますが、残される家族には、具体的にどのようなことを書き残せばいいのでしょうか。
富家 世俗的で申し訳ないですが、まずは「お金」のことをきちんと書いておくことが大事ですね。長男にいくら、次男にいくらやるとか、今自分が住んでいる家は誰にあげる、とか。それさえきちんとしていれば、遺族が揉めることはなくなりますからね。
遺産相続というと、何億円単位の大金持ちの家を想像するかもしれません。でも、一般的な家庭にも決して無関係な話ではないんですよ。むしろ、中流家庭でコツコツ数千万円を貯めてきた、というところの方が、遺産を巡って揉めることが一番多いんですよね。
みんなの介護 「書き遺すほどの資産はないし…」などと思わず、資産整理は誰もが考えておくべきことなのですね。
富家 それから、先ほども触れましたが、希望の死に方を書いておくこと。書き遺していないと、尊厳死協会にでも入っていない限り、本人がどういう最期を迎えたかったのか誰にもわかりませんよね。そういうケースは非常に多いです。すると、家族の方としては「できる限りの延命治療をしてください」とお願いするほかなくなってしまいますから。
もうひとつ、終末期の話以前に必要なのは、“老い”についての正しい知識を教えていくこと。60歳代、70歳代になっても案外「若いときとは身体が違う」という当たり前のことさえわかっていない人が多い。例えば、多くの高齢者がかかる「変形性膝関節症」は、何も特別な病気ではありません。加齢によってごく自然に起こる身体の変化なのに、あたふたしてしまうんですよね。
みんなの介護 小中学生でいう「保健体育」の授業のように、高齢者が自分の身体のことを学ぶ場が必要なのかもしれませんね。
富家 もう若くないのに、昔と同じ負荷をかけて一生懸命ランニングしている人も多いですが、年齢に応じた運動量というものを理解しないと。身体を鍛えて良いのは40歳くらいまでの話。その後は「身体を労る」ということを覚えていかなければいけないですよ。
「運動」と聞くとどうしても汗だくになるような激しいものをイメージしてしまいますが、ちょっと近所を散歩するとか、肩を回すとか、そういうことでもいいわけですからね。過度な運動はむしろ逆効果です。
一方、よく言われる“食事”に関しては、あまり健康とは関係ない気がしますけれどね。もちろん「1日にタラコを1本食べる」とまでいくと、さすがにそれは塩分の摂りすぎでしょうということになりますが。すべての病気は、突き詰めれば老いから来るもの。無理に抗おうとするのではなく、どう付き合っていくかを学ぶ方が大切だと思いますね。
70歳代半ばは、老いのひとつの節目
みんなの介護 “アンチエイジング”や“美魔女”などの言葉も流行ったように、“若さ”だけが脚光を浴びがちな昨今。「上手に歳を取る」ということには意外と目が向けられていないようです。
富家 100歳を超えて大往生した方や「生涯現役」で高齢まで働く人たちを、メディアは美しい話として飾り立て、褒め称えることが多いですよね。もちろん、高齢まで生きているというのは大変なことですし、立派だと思うのですが、一方では、自分の引き際をきちんと決めておくのも大切。老いとともに病気は増えていくことですし、自分から若い人に席を譲っていかないと。
みんなの介護 75歳以上は「後期高齢者」と呼ばれます。やはりその時期はひとつの節目でしょうか?
富家 そうですね。男性の平均寿命は約81歳、女性は約87歳ですが、だいたい、70歳代半ばから後半にかけて病気が出てきて、それから5年ほどで亡くなる、という方がたくさんいらっしゃいます。最近だと、大橋巨泉さんや永六輔さんの最期もそんな感じでしたね。
私たち医師には定年がありませんから、70歳を超えて働いている方もいますが、それでも80歳近くになるとさすがに病気が増えてきて引退へ、というパターンが多い。その75歳~80歳というひとつの潮目を超えた方は90歳、100歳と長生きするわけですが。
みんなの介護 医師などを除いた一般的な職業では、定年は65歳。平均寿命は80歳余りですから、差し引き、老後は20年ほど。大変長い期間ですね。
富家 私が小学生だった1953年には、男性の平均寿命は61.8歳でした。その頃の定年は55歳。大学を出て30年働いた後、10年もせずに亡くなっていたんです。ところが今は、会社の役員などにならない限りは65歳で仕事がおしまい。そこから老後20年というのは、ある意味きついですよね。
若者は、人の死に立ち会う機会を持ちづらくなった
みんなの介護 平均寿命が伸び、老後が長くなった今、“老病死”に対するリテラシーはますます重要になってきそうです。
富家 3世代が同居することが普通だったかつては、死はもう少し身近なものでしたね。ずっと家の奥の間に寝ていたお祖母さんがある朝に亡くなっていて、往診に来た近所のお医者さんと一緒に看取る、という光景に多くの人が立ち会っていたでしょう。それで、死について考える機会が自然に与えられていたんです。
最近では、医療費節約の関係で在宅介護中心にシフトしてきましたから、これからは自宅で看取ることがある程度多くなっていくかもしれませが、まだまだ大概の方が病院で亡くなっています。祖父母と同居することの少ない今の若い人たちは、人の生死に立ち会う経験をほとんどできなくなってしまいましたよね。
みんなの介護 かつての家庭は、生死について自然に学ぶことのできる場だったのですね。
富家 死についての教育がきちんとしていないから、自分や家族の最期に際したときどうすればいいのかわからなくなるのでしょうね。その結果、延々と延命治療を続けるしかなくなってしまう。医学生はもちろん、小中学校など一般の教育の場でも、死についての教育をもっときちんとやっていなかければいけないですよ。
よく言われることですが、人間は「死亡率100%」。これをきちんと受け容れることは難しいようです。延命さえし続ければ永遠に生きられる気がしてしまうものなんですよね。でも当然、そんなことはあり得ないわけですから。
死は、この世にある数少ない確実なこと。貧乏に生まれても後に大成功するかもしれないし、反対に、今大金持ちの人だって将来どうなるかはわからない。世の中、何が起こるかなんて予想がつかないものですが、死だけは誰にも平等に訪れる。だからこそ、きちんと考える機会をもたなくてはいけないんですよ。
「まるめ医療」で、85歳以上の診療報酬を一律に
みんなの介護 ここまで、延命治療をはじめとした終末期医療を中心にお話を伺ってきました。この後編では少し話題を変え、高齢化で膨れ上がる医療費を抑える術についてお訊きしたいと思います。
富家 それ以外だと、今後は、85歳以上の高齢者に対する「まるめ医療」も始まってくると思います。まるめ医療とは、入院期間と病名で診療報酬の額を決め、処置の回数や種類を点数に含めないようにするという仕組みのことです。(※)
患者が来たら、医療者はなるべく多く点数がつくように処置を施すでしょう。しかし、高齢者が「まるめ医療」ということになればそういうことができなくなる。点滴をいくら打っても一緒、ということになると、自然と不必要な処置をしなくなりますよ。今後高齢者医療はますます需要が増えてきますから、そういう手立てを打たないと首が回らなくなってしまいますよ。
(※医療報酬は一般的に「処置の点数×回数」で算定されるが、“まるめ医療”では処置の内容に関わらず、入院の日数と病名だけで決められる。例えば「A病で10日間入院した」場合、何回投薬した、何回検査をした、などに関わらず、診療報酬は一律になる。問題も指摘される一方で、医療費の無駄を削減できる仕組みとして注目されている。)
介護にしてもそれは同じです。現在は「要支援1~2」「要介護1~5」が要介護度を量る目安として設定されていますが、今後は、その中でより重度である「要介護3~5」にサービスを絞っていく形になるかと思われます。
それから、医師の数を減らすこと。日本には現在31万人もの医師がいますが、医師が増えるほど、当然、彼らに支払う給与の分、医療費も増えますからね。厚労省はすでに「新しく医師になる人を加えても医師の総数を現在の9262人よりも増やさない」ということも発表していました。医師には定年がないので、数を減らすには「保険医定年制度」を設けるなどの工夫が必要でしょうね。
みんなの介護 保険医、とは何でしょうか?
富家 健康保険法では、都道府県知事の認可を受けた「保険医」だけが、健康保険制度の元で医療行為を行える、と定められています。つまりこの資格がないと、医師は国に医療保険を請求できないので、患者さんが医療費を全額払わなければいけなくなる。
社会の高齢化で、医師志望者が急増!
みんなの介護 つまり、医師として働くためには一般に「保険医」という資格が必要なんですね。
富家 一部の整形外科などを除いたほとんどの医師がこの「保険医」に該当しています。例えば、80歳でこの保険医の資格を定年ということにすると、現役で働いている年配の医師の数を大幅に減らすことができます。まだ欧米等でも例がないですが、若い医師に席を譲ることにもなりますし、ぜひ実現するべきですよ。
みんなの介護 「保険医」定年ができれば、それが実質、医師という職業の定年になるのですね。医師免許そのものに定年を設けることはできないのでしょうか?
富家 それはなかなか難しいと思いますが…少なくとも、免許の更新制度は始まっていくべきだと思いますね。今の医師免許は、一度取ってしまえばそれっきり。婦女暴行や強盗、殺人など、よっぽどの問題を起こさない限り、取り消されることはありません。しかも、それよりも軽い、違法薬物の使用など罪の場合だと、1回だけの逮捕では取り消しにならない決まりになっているんです。
更新制度があれば、高齢になり技術がおぼつかなくなった医師は自然と免許の更新をしなくなっていきます。そもそも、高齢まで自営業以外では医師くらいのものでしょう。弁護士や税理士などだと、75歳にもなると仕事をもらえませんが、医師ならまだ働ける。手術をする必要がある外科系はさすがに無理でしょうが、内科系などメスを持たない分野に転身すれば仕事はできます。
だからか最近は、すごい“医学部バブル”です。私は昔、大学の講師をしていたのでその辺の事情には詳しいのですが、2浪、3浪をしてでも医師になりたい、という方がだんだん多くなってきました。大学入試の倍率は今や、20~30倍。今後まだ寿命が伸び、高齢化がますます進んでいく中で、75歳を超えてもできる仕事というのはまずないんですよね。
みんなの介護 20倍というのはすごいですね!
富家 希望者が多すぎて、大学入試の難易度もインフレーションを起こしています。例えば国立大の医学部に入るには、東大の理Ⅰ、Ⅱくらいの実力がないといけない、と言われるくらい。東海大学では2016年ですが、定員が63名なのに5398人も入試を受けていました!医学部に6年間通うと、学費が3000万円はかかります。それでも、そんなに受ける人がいるという。
みんなの介護 超高齢社会になり、医療の需要はますます増えてくることですし、人気が出るのも頷けます。
所得の多い人はより多く負担する。それが本当の平等
富家 その他、介護施設や医療機関ではなく、高齢者のケアを在宅中心にしていくことで医療費を抑える、という動きが最近出てきました。厚労省が、上がっていく医療費をどう抑えていくか考えた末の策ですが、これは良いことだと思います。
その他には、1年間保険証を使わなかった人に医療費を払い戻すなどの制度も有効だと思いますね。そうすれば、不要な受診を減らすことができる。
医療費を節約することに加え、所得の多い方がより多く医療費を負担するようにしていくのも、当たり前だと思いますよ。それが本当の意味で平等ということではないでしょうか。今の段階でも、病院のベッドに差額を設けるなどの混合診療が徐々に取り入れられ始めています。
みんなの介護 超高齢社会を乗り切るためには、医療現場から、利用する患者の側から、さまざまなアプローチで医療費をやりくりしないといけないのですね。
富家 そして、繰り返し述べてきたことですが、一番はやはり、過度な延命を減らすこと。今後は超高齢社会がますます進んでいきますから、このまま延命治療を続けていくと国の予算がパンクしてしまう、ということは明らか。そんなことはみんな分かっているんだけれども…というのが現状ですね。
日本には「敬老」という文化があるでしょう。まずはそこから考え直す必要がありますよ。お年寄りを敬うことも大切ですけれど、それ以上に、未来ある若者を第一に考えていかないといけません。
撮影:公家勇人
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