リシャール・コラス「シャネルに「不可能」という言葉はない。日本も可能性に溢れた時代を取り戻すべき」
東日本大震災後、帰国はせずに日本に残ることを決意
みんなの介護 コラスさんにお伺いしたいのが、東日本大震災後のエピソードです。福島で原発事故が発生した直後、日本でビジネスをしていた外国人の多くが本国からの避難勧告などを受けて帰国する中、コラスさんは日本を離れなかったそうですね。
コラス 正確に言いますと、ドイツ政府は自国民に対し震災の翌日には帰国するよう勧告を出していましたが、フランス政府からはそこまでの指示は出されていませんでした。
ただし、原発事故については「レベル7」(7段階のうちの最悪のレベル)の非常事態と判断していて、在日フランス大使館も「マスコミ報道より事態は深刻だ」と警告を発していました。
私は震災のニュースを上海で知ったのですが、すぐに日本へ帰って対応を検討し、「会社が費用を負担するから家族を避難させたい社員は申し出るように」と全社員に通達。ただちに北海道から静岡までの店舗を閉鎖しました。
本当は一刻も早く社員全員とその家族を避難させたかったのですが、介護が必要な親を抱えているなど、何らかの事情があって簡単には身動きが取れない社員も少なくないことがわかりました。そのため、とにかく彼らが自分と家族の命を守るための行動が取れるよう、店舗閉鎖の決断を下したんです。
みんなの介護 そこまで社員のために手を尽くしたのであれば、その時点でコラスさんご自身の安全を確保するために日本を離れてもよかったのではないでしょうか。
コラス シャネルのオーナーからも、「君はやれるだけのことはやった。もういいからすぐに日本を出なさい」というメールが届きました。でも、私は一度も逃げようとは思いませんでした。
当時、私は日本ですでに30数年生活していましたし、何より私の愛する妻も日本人。日本は私にとって第二の母国になっていたんです。そんなかけがえのない故郷が大変な危機のさなかにあるのに、私が逃げるわけにはいきません。私の胸には「この苦難を日本人とともに乗り越えたい」という強い決意のほかは何もありませんでした。
メイクアップを通して被災地にいる女性の心のケアを行う
みんなの介護 震災から1ヵ月半後の4月末にシャネルは気仙沼、陸前高田、南三陸の避難所で「SMILE IN TOHOKU(スマイル・イン・トーホク)」という女性を対象にしたメイクアップ・サービスを実施されたそうですね。このボランティア活動はどういった経緯で始まったのでしょうか。
コラス 混乱がある程度収まって店舗の営業を再開すると、社員の間から「自分たちも被災地の方々に何かお手伝いがしたい」という声が上がってきたんです。私も大賛成でした。しかし、現地で足手まといになってはいけませんから、被災地では今何が求められているのかを確かめるために社員と現地へ車で向かったんです。そして最初に訪れたのが宮城県の気仙沼。丘の上にある高校が避難所になっていて、1,800人の被災者の方々がそこで生活していました。
責任者に話を伺ったところ、大量に山積みになった支援物資を見せてもらったうえで、必要なのはお金や物資ではなく、「できれば心のケアをしてほしいのですが」という言葉が返ってきました。そのとき、以前から化粧品業界が行っている「ライフクオリティーメイクアップ」という取り組みが頭に浮かんだのです。
みんなの介護 「ライフクオリティーメイクアップ」とは一体どういったものなのでしょうか。
コラス これはがん治療の副作用によって肌や髪の状態に悩みを抱えてしまった患者さんに「カバーメイクアップ」やアドバイスをすることによって、クオリティー・オブ・ライフ(生活の質)の向上を図り、治療継続意欲を高めたり抑うつ状態を改善したりする試み。フランスの病院でも取り入れられています。医学的にもその効果は証明されており、避難所生活で疲れた女性たちの心身のケアにはまさに打ってつけではないかと思ったんです。
何より、シャネルはファッションだけでなく、コスメティックの分野においても世界的ブランドとなっています。化粧品も優秀なスタッフもすべて自前で揃えられる。「これこそ自分たちがやるべきことだ!」と、すぐに準備に取り掛かりました。

ときめきによって張り詰めていた気持ちを解放
みんなの介護 それは素晴らしいアイディアでしたね。避難所の女性たちの反応はいかがでしたか。
コラス 避難所訪問から1週間後、メイクアップアーティストを中心に30名ほどのチームを組んで再び気仙沼を訪れました。震災から1ヵ月半、東北は春でもまだ寒く、避難所生活のストレスとも相まって女性たちの肌は痛めつけられていました。
避難所では全員が同じ立場に置かれていて、どんなに苦しくても「弱音を吐くわけにはいかない」と、皆が自分自身の気持ちを押し殺しているようにも見受けられました。
みんなの介護 それではストレスが大きくなってしまいますね…。そういった方々がメイクアップによってどのように変わっていったのでしょう。
コラス はじめはあまり話そうとしなかった方たちが、メイクアップアーティストたちの巧みな語りかけと久しぶりに味わう“きれいにしてもらえる”というときめきによって張り詰めていた気持ちが解れたのか、会話も弾むようになりました。また良い意味で私たちが“よそ者”であったために、それまで誰にも言えず胸に仕舞い込んでいたさまざまな思いを吐露し始めたのです。
私たちは何も言えず、ただ彼女たちの話に相槌を打つしかできなかったのですが、メイクアップが終わると、彼女たちは見違えるほど清々しい表情に。そんな感動的な光景を現地で何度も目の当たりにしました。
企業が果たすべき社会貢献
みんなの介護 メイクアップアーティストたちが被災者たちの心を開くセラピストの役割も果たしたのですね。
コラス はい。この「SMILE IN TOHOKU」は、被災者の皆さんが仮設住宅へ移ってからも続け、その仮設住宅も役割を終えた2015年に活動を停止しました。
約4年にわたるこの活動に参加したシャネルの社員は1,000人に上ります。その間、「また来てね。私たちを忘れないで」「ありがとう。おかげで楽になりました」といった感謝の手紙をたくさんいただいたのですが、感謝するべきは“なすべきこと”を教えていただいた私たちの方でした。
みんなの介護 どういった企業でも地域や社会のために貢献できることがあるということですね。
撮影:秋元孝夫(『茶室』集英社刊行 著者近影より)
リシャール・コラス氏の著書『茶室』(集英社)
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1960年代、憧れの地、日本にやってきたR。金髪の巻き毛に青い瞳、大使館に勤めるフランス人エリートの彼は、遊び相手にも不自由しない生活を送るが、心はどこか満たされず、生きることにも倦みはじめる。ふとしたきっかけで茶道を習い始めたRは、ある夏の日の稽古で美しい深窓の令嬢、真理子に出会う。ひと目で恋に落ちたふたりを待ち受けるのは…。自伝的小説『遙かなる航跡』から14年。その続編とも位置づけられる話題作。
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