楠木建「「擬似法則」に従うことは他の動きに乗るのと同じ。それでは“戦略”の意味がありません」
2010年に発表した著書『ストーリーとしての競争戦略(東洋経済新報社)』が経営書としては異例の20万部を超えるベストセラーになり、一躍、脚光を浴びた楠木建氏。同書は、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授として教鞭をとる中で築き上げた氏の専門分野、「競争戦略」に関する知見の集大成とも言える本だ。その後、『「好き嫌い」と才能』、『「好き嫌い」と経営』(ともに東洋経済新報社)などの著作では、経営を「好き嫌い」という観点で見直すことを提唱している。今、なぜ「好き嫌い」なのか? 楠木氏に直言してもらった。
文責/みんなの介護
ネガティブなときほど、人はエネルギーが出るものなので…
みんなの介護 楠木さんの著書『ストーリーとしての競争戦略』は、経営者のみならず、多くのビジネスパーソンに読まれている本です。これまでにどんな反響が届いていますか?
楠木 実は、僕のところに届く読者からのメールや手紙は、8割方がお怒りの声です。「金返せ」とか。人はネガティブなときほどエネルギーが出る。そうなるのも当然です。書いている僕としても、読者がどういう不満を持つのか、関心があります。そこで、そのクレームが主張していることを分析して、2つのメッセージを読み解いてみました。
ひとつは、「実用性がない」。そしてもうひとつは、「当たり前のことしか書いてない」という苦情です。
みんなの介護 これらのことが、なぜ読者を怒らせてしまうのでしょう?
楠木 まず、「実用性がない」ことについては、こういうことが言えると思います。市場に出まわっているビジネス書の多くは、「これをやったらこんなことができます」とか、「これだけやっておけば充分」という具合に、すぐに使える「法則」を伝授することが売りです。
ところが、『ストーリーとしての競争戦略』はそのような人をターゲットにした本ではありません。商売全体を丸ごと動かし、成果を出す人たち、すなわち「経営者」に向けた本なのです。そこでは、経営という「スキル」を超えた「センス」が問われます。
要するに、本を読んで何かのスキルを得ようとする人たちにとって、この本は確かに“実用性がない”。僕としては「あきらめが肝心です」としか言いようがないのです。
商売は、普通の人が普通の人に対して普通に営んできた”当たり前”の中に真実がある
みんなの介護 「当たり前のことしか書いてない」という指摘については、どう分析していますか?
楠木 この本は経営者に向けた、競争戦略についての本ですが、戦略というものは法則の定立がほとんど不可能なんです。
ここで言う「法則」とは、アインシュタインが証明した「E=MC2」のように、いつ、誰が、どんな気分で自然を観察しても必ず同じようになるような再現性のある法則を意味しています。
そもそも戦略は競合他社との違いを生み出すものです。どんな会社にも当てはまる法則が仮にあるとしても、ひとつの法則に従うということは他社と同じ動きに乗るということであり、戦略そのものの意味がなくなってしまいます。
要するに商売ごとには、自然科学の分野で起こっているような、誰も知らなかった「秘密の花園」が突如として発見されるようなことは起こらないのです。普通の人が、普通の人を相手に、普通に営んできた「当たり前のこと」の中にこそ、真実というものがある。
みんなの介護 例えば、本の中で楠木さんは「戦略の本質とは『違いをつくって、つなげる』ことである」と語られています。確かに、当たり前と言えば当たり前のことかもしれませんね。
楠木 ところが、その「当たり前のこと」を実現しようとすると齟齬が生じたり、当たり前ではない方向へ行ってしまったりする。そのようなことがなぜ起こるのか、言われてみれば当たり前のことがなぜ現実の商売になると、とたんに難しくなるのか、そういうことを問題にして書いたのが『ストーリーとしての競争戦略』でした。
ですから、「当たり前のことしか書いてない」と指摘する人に言えることは、「僕も当たり前のことだと思っているので、おっしゃる通りです」としか言えないわけです。
企業の戦略は経営者の“自由意思”によって決められている
みんなの介護 ところで、楠木さんはこのところ、「好き嫌い」という視点から経営を見直すことを提唱されています。なぜ、「好き嫌い」なのでしょう?
楠木 「好き嫌い」は「良し悪し」ではないものを意味しています。ここで言う「良し悪し」とは、社会的にコンセンサスのとれている普遍的な概念のこと。極端な例でいえば法規定です民法や刑法、商売に関することで言えば商法や会社法といった法律は社会的にコンセンサスの取れた「良し悪し」の体系です。
みんなの介護 昨今、世の中では法令遵守(コンプライアンス)を重んじる傾向にあり、「良し悪し」基準の価値が高まっているように見えますね。
楠木 僕は、「良し悪し」の基準を否定しているわけではありません。いくら「好き嫌い」が大事だと言っても、「俺は人殺しが好きで、昨日も2~3人殺してきた」なんて言う人物がそのへんをうろうろしていたら、すぐに警察へ通報する(笑)。
ただ、企業というものの全体像を見てみると、「良し悪し」で決まっていることは氷山の一角に過ぎず、水面から見えないところに沈んでいる8~9割の部分は、それ以外の基準、すなわち「好き嫌い」という基準で成り立っているのです。
みんなの介護 なぜ、「良し悪し」の基準ですべてを決めることができないのでしょう?
楠木 ひとことで言えば、企業の競争戦略というものは、経営者の自由意志によって行われているからです。わかりやすく具体例で説明してみましょう。
ZARAというファッションブランドの競争戦略は、創業者のアマンシオ・オルテガさんの独創的な発想から生まれました。ファッション業界では半年とか1年サイクルで流行の動きを見ながら、「何が売れるか?」を予想することで儲けを生み出してきましたが、オルテガさんは「売れているものを作れば売れる」という方向転換をしたのです。
つまり、商品を短期間で企画・製造・販売できる体制を構築することで、未来の消費者ではなく、今の消費者が欲しいものを店頭に並べることに成功したわけです。この戦略が、「ファストファッション」という新しいファッションカテゴリーを生み出したことは、多くの人に知られています。
みんなの介護 今日、ファストファッションはその地位を不動のものとしている印象です。
楠木 その一方、日本発のグローバルなファッションブランドというと、柳井正さんのユニクロの名前を誰もが思い浮かべるのではないでしょうか。
ユニクロは、ヒートテックやウルトラライトダウンといったヒット商品を生みだしていますが、ヒートテックは素材から開発された独自の機能を持つ商品です。つまり、ZARAとは違って、時間をかけてでも絶対に勝てる商品を自分たちでゼロからつくるという考えが根底にあるのです。
ZARAの「ファストファッション」に対して、ユニクロが「ライフウェア(人々の生活をより豊かに、より快適に変えていく究極の部品としての服)」という言葉を使っているのは、両社の戦略の違いを物語っています。
ここで注目していただきたいのは、その戦略の違いが「良し悪し」ではないということです。
経営者が「良し悪し」を基準に意思決定すると、競争戦略の本質は破壊される
みんなの介護 確かに2社を比べたとき、どちらが良くて、どちらが悪いという言い方はできませんよね。
楠木 要するに、良いものと悪いもののどちらかを選ぶのではなくて、「良いもの」と「良いもの」の間の選択なんです。その選択は経営者の自由意志、すなわち「好き嫌い」にゆだねられているのです。ちなみに、「良し悪し」と「好き嫌い」がしばしば混同されてしまうのは、ビジネスの競争戦略がスポーツや戦争の用語を比喩的に用いるためかもしれません。これらはまったくの別ものです。
というのも、スポーツは一定のルールのもとで相手を負かすことが目的です。最後に優勝するチームは1チームだけですし、金メダルも1個しかありません。戦争もこれに似て、相手を殲滅(せんめつ)するのが目的ですから、一方が勝てば他方が負ける。
ところが、先の2社に限らず、同じファッション業界の中でも勝者と言える存在が同時に並び立っているのがビジネスの世界なんです。ポジションが違えば、ひとつの業界に複数の勝者が並存しうる。
みんなの介護 ビジネスの世界を「良し悪し」ではなく、「好き嫌い」で見ることの重要性が何となくわかってきました。
楠木 経営者が「良し悪し」を基準に意思決定していたら、「他社との違いをつくる」という競争戦略の本質は破壊されますからね。
先ほど、企業の中で「良し悪し」の要素は氷山の一角だと申しましたが、それでもかたくなに「良し悪し」だけでものを見ようとする人が存在します。僕はこういう人を「良し悪し族」と呼んでいますが、今の世の中はこうした人たちが幅を利かせているように思います。
もちろん商売である以上、最終的に会社は「業績」という良し悪し基準で評価されるわけですが、そこだけを注視するあまり、業績そのものを生み出している好き嫌いの要素を見落としてしまうのです。こうした「良し悪し族」が跋扈(ばっこ)する社会は非常に窮屈です。「好き嫌い族」の復権を叫びたいですね。
当時は好きな職業がわからなかったので、かわりに嫌いなことを考えました
みんなの介護 楠木さんはもちろん、「好き嫌い族」の代表選手ですよね。これまでどのようにしてご自身の「好き嫌い」を意識してきましたか?
楠木 住むところの選択や職業の選択、人生におけるあらゆる重要な選択を「好き嫌い」で選ぶようにしてきました。
最初にそれを強く意識したのは、大学4年生になって職業の選択を迫られたときでした。今はそんなことはないと思いますが、当時の一橋大学の多く学生は、大きな会社に就職することを志向していました。その大きな会社の中でも、金融業界なら日銀が一番で、その下に興銀、都市銀行という「序列」のようなものがあった。
これこそ「良し悪し」基準の最たるもので、自分の「好き嫌い」を無視してそんな世界に飛び込むことが恐ろしいと思いました。
とはいえ、「じゃあ、自分が好きな職業って何だ?」と、人生経験をそんなに積んだことのない自分に問いかけてみても、答えはいっこうに見つからない。
みんなの介護 現代の大学生にも、当時の楠木さんと同じ悩みを感じている人が多いと思います。どのようにして「好きな職業」を見つけたのですか?
楠木 いつまで考えてもわからないので、「好きなこと」のかわりに「嫌いなこと」は何かを考えてみたんです。
まず言えるのは、チームワークが嫌いということ。人からあれこれ指図されるのが嫌で、自分が人を動かすなんてもってのほか。
そもそも、誰かが決めたルールのもとで戦うのが嫌い。昔から今に至るまで、スポーツ競技というものに馴染めなかったのは、特定のルールの下での競争に必要なファイティング・スピリットが決定的に欠けているからです。
そこまで考えてみてわかったのは、「会社に就職する」という選択そのものが自分には向いていないのだということ。大学院に進んで研究職を目指すという道は、嫌いなことを排除した結果として導かれた選択でした。
好きなことで時間を忘れ、没頭する。これを「努力の娯楽化」と呼んでいます
みんなの介護 とはいえ、学問を研究することは好きだったわけですよね?
楠木 いえ、その時点では「好き」というレベルには達していなくて、「嫌いなことではなさそうだ」という程度のものでした。
実際、研究者の基本的な評価というのは、研究業績で決まります。学術雑誌に論文を投稿し、査読をパスして掲載される。その数をどれだけ積み重ねていくかで評価というものが決まるわけです。つまり、僕の大嫌いな「良し悪し」の基準による競争を強いられるわけです。
結局のところ、研究者になることで「チームワーク」を避けることはできたけれども、「誰かが決めたルールのもとで戦う」ということから逃れることはできなかったのです。
みんなの介護 「嫌いなこと」を無理にやろうとしても身が入りませんよね。どうやってそれを乗り越えたのですか?
楠木 あれこれと考えているうち、ひとつのことに気づきました。それは、インセンティブ(誘因)とドライブ(動因)は違うということ。
論文が掲載されて、それが評価につながるというインセンティブが働いているうちは、せっせと論文を書くことができるんです。ところが、インセンティブの効果は時間とともに低減していきます。
「このへんでいいや」と現状に満足したり、妥協したりすれば、インセンティブは働かなくなります。さらに言えば、努力に見合った評価をしてもらえないことなんて、世の中には普通にあることで、そうなると、インセンティブはいとも簡単に機能しなくなるのです。「もういいや。どうせ…」という風にいじけてしまう。
人に「余人をもって変えがたい」とか、「この人にはちょっと、敵わない」と思わせる人は、一定の努力を継続的に投入できる人です。ここまでいくと「才能」になる。
要するに、こうした才能をごく一部の天才を除いた「普通の人」が獲得するには、インセンティブだけでは足りないのです。本当に必要なのは、誰から強制されたわけでもないのに、自然に自分の中から湧きあがってくるドライバー(動因)なんですね。そしてそれは、好きなことをやっているときに発動する。
みんなの介護 確かに、好きなことをやっているときは、時間を忘れて没頭してしまうものですよね。
楠木 僕はこれを「努力の娯楽化」と呼んでいますが、論文を書くことが好きなことにつながるとわかれば、呼吸をするかのように自然に努力を続けることができるはずなのです。
経験を重ねることで、仕事における「喜びのツボ」がつかめてくる
みんなの介護 そもそも、「好き」という気持ちは、自分の中のどんな要因から湧きあがってくるのでしょう。
楠木 大きな要因は、経験の積み重ねでしょう。僕が大学生の頃、自分にとって何が好きな職業なのかわからなかったように、経験が浅いうちは「好き」の把握が難しいのです。
ところが、ある程度の経験を重ねていくと、ドライブを発動させる、自分だけの「喜びのツボ」というようなものがつかめてくる。面白いもので、この「喜びのツボ」は同じ研究者でも人によって違うのです。
みんなの介護 どのように違うのですか?
楠木 例えば、研究者の中には、さまざまな思考をこらす中で「わかった!」となる瞬間が「喜びのツボ」だと言う人がいます。その後、自分が理解したことを論文にしたり、授業で講義したりもするわけですが、その人にとっては「わかった!」がすべてで、あとは全部オマケなのです。これがいちばん純粋な意味での学究ですね。
ところが僕の場合、「わかった!」だけでは満足できません。自分が理解したことを人に伝えたとき、「わかった!」をその人と共有できたと実感したときにこそ喜びを感じます。ですから、伝えるメディアは論文や授業に限らず、本を書いたり、講演やセミナーでしゃべったり、手段を選びません。
もちろん、研究者の中にはそれでも満足できない人がいます。その人は、思いついたアイデアなり考えが人に影響を及ぼし、実社会で実際に動き出すところまで見てみないと喜べない。研究の過程を多摩川の流れに例えると、最初の「わかった!」で満足できる人は奥多摩の上流付近で研究をしている人ということになるでしょう。
一方で僕のように、それが人に伝わるところが好きという人間は調布市のあたりの中流域にいて、最後の過程まで見てみたいという人は東京湾に近い下流のところを研究の山場だと思っている。
みんなの介護 経験を積み重ねることによって自分だけの「喜びのツボ」を把握することができれば、「努力の娯楽化」を容易に行えるようになるわけですね。
楠木 その通りです。今後、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)の技術が進んで、人間の経験の幅が広がるといっても、実人生における経験に優るものはないと思っています。そこから生まれた「好き嫌い」は、自分の人生を決定する、何にも変えがたい思考と行動の基準となるでしょう。
核家族化や高齢化などの影響を受ける介護の問題。解決に向けて“介護の外部化”が行われましたが…
みんなの介護 介護業界が抱えている競争の激化や人手不足などの問題を、楠木さんはどう見ていますか?
楠木 誤解を恐れずに言えば、これらは介護という事業が産業化する過程で起こる、過渡的な問題だと思います。言い換えればこれらは、現代の産業界に存在しているほとんどの事業で起こってきた出来事なのです。
外食産業を例に出して言えば、昔はほとんどの家庭が朝昼晩の食事を自炊していました。兼業農家の率も高く、米や野菜、肉や魚などの食材も近くで採れたものがほとんどで、ほぼ自給自足に近い形で日々の食事が成り立っていました。
そうした中、食材の生産技術や流通の発達にともない、国内外の遠く離れた地域で生産された食材が全国各地の売り場に並ぶ世の中となり、そうした流れの中で外食事業は成熟してきました。
その結果、どんなことが起こったか。おそらく、外食産業が成熟していなかった頃の人が現代にタイムスリップして某企業のメニューを見たとき、パスタが300円以下で食べられることに驚愕するはずです。
みんなの介護 介護保険制度の開始が2000年ですから、介護業界は外食業界に比べ、まだ充分に成熟していないということでしょうか?
楠木 僕はそう思っています。昔は家族や地域コミュニティの間で解決することができていた介護の問題が、現代の核家族化や人口減少、高齢化といったさまざまな状況の変化によって解決できなくなった。
そこで、新たな解決策として、介護の「外部化」が行われたのです。
とはいえ、その動きはまだ始まったばかりで、改善の余地がいたるところにある。そんな状況なのではないでしょうか。これからが産業化の本番です。
介護産業の成熟に必要なのは、個々が「好き嫌い」による経営努力を発揮すること
みんなの介護 現在、多くの介護事業者を悩ませているのは深刻な人手不足です。この問題は低賃金が原因だと言われることが多いのですが、楠木さんはどうお考えですか?
楠木 一般論として語るしかありませんが、これまで10人の従業員が行ってきた作業を1人で行えるようになれば、払える報酬は10倍に増えます。
そのようなことは、他の産業のあらゆるところで起こってきたことです。パスタを300円以下で顧客に提供していても儲けを出すことは可能で、社員の給与を高い水準で保つこともできます。
ただし、イノベーションが起こるには、業者間の競争原理によって経営の力が発揮され、産業そのものが充分に活性化していることが必須条件です。
みんなの介護 財源の大部分を公的資金に頼っている介護業界では、その条件を満たすのは難しいのではないでしょうか?
楠木 介護を産業として成立させる初期の段階では、公的資金が重要な要素であることは明らかです。しかし、いつまでもそれをあてにしたモデルでは続けていけないでしょう。
介護業界が産業として成熟していくには、公的制度という「良し悪し」の基準から脱して、個々の業者が「好き嫌い」による経営努力を発揮することが必要だと思います。
その結果、外食産業で起こったように、高級志向の三つ星レストランと大衆食堂のような業者が共存する状態になれば、介護業界は活性化すると思います。
大切なのは、介護を受ける人が多様なサービスを選ぶことができることに加えて、働く人にとっても、それぞれが希望する労働条件に応じて選べる事業者の幅が広くなるということです。
最後まで「自分のことは自分でなんとかする」という意志を持ち続けたい
みんなの介護 ところで、「人生100年時代」と言われますが、健康維持のために何か気をつけていることはありますか?
楠木 週に3日はスポーツジムに行って、軽いトレーニングをしています。僕は運動するのが好きではありませんので、純粋に健康維持のためにやっています。
お酒はもともと飲めませんが、喫煙はします。煙草を吸っている時間ほど幸せなことはないと思っていますので、禁煙しようと思ったことはありません。これから先のことはわかりませんが。
あとは、寝る前にストレッチをすること、早寝早起きを基本にして、できるだけ生活のリズムを崩さないようにすることくらいですね。自分の健康の維持については、積極的に追い求めていくというより、自分なりのルーティンを崩さないことが大切だと考えています。
みんなの介護 高齢になってご自身が介護を受ける身になったとして、どんな状態が理想ですか?
楠木 できれば、最後まで「自分のことは自分でなんとかする」という意志を持ち続けていたいですね。
妻や娘に頼るようなことはしたくないし、とても優秀な介護士がいて、不自由や心配もなく生活できるとしても、その方に全面的に依存しなければならないような状態は望ましくありません。むしろ、まわりに冷たくあしらわれながら、弱っていく自分と向き合うほうが良い。そのほうが自分らしい老い方だと思いますね。
撮影:公家勇人
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