竹内薫「アルゴリズムとの会話で心は癒やされますか?現時点で、AIに介護は不可能です」
科学技術は「人生100年時代」の到来をもたらし、人口知能(AI)の技術は将棋や囲碁などで一流のプロを打ち負かしている。サイエンス作家の竹内薫氏に、そんな現代の世はどのように見えているのだろうか?寿命を延ばす研究をはじめ、AIの可能性などについてその考えを語ってもらった。
文責/みんなの介護
がんや糖尿病のリスクを減らすためには、「身体機能」を犠牲にしなければならない
みんなの介護 現代は「人生100年時代」だと言われます。人間の寿命がここまで延びたのは科学技術の進歩に依るところが大きいと思いますが、技術がさらに進めば人間の寿命はもっと延びると思いますか?竹内 当然、そうなっていくでしょうね。私がナビゲーターを務めた科学番組『サイエンスZERO』(NHK Eテレ)では、世界記録を持つ超長寿マウスを紹介したことがあります。
2003年にイギリスで行われた、マウスの長寿を競う「メトセラ・マウス・コンペティション」で優勝したマウスなんですが、普通のマウスの寿命が2年なのに対して、そのマウスは5年も生きたのです。人間でいうと200歳くらいで、この記録はまだ破られていません。
普通の実験用マウスの大半は、がんで死んでしまうのですが、超長寿マウスは非常にがんになりにくく、なったとしてもかなり遅い時期になるために寿命が延びたのです。
みんなの介護 がんに強いマウスを生んだのはどんな技術なのでしょう?
竹内 人為的に遺伝子を壊した実験用のマウスを「ノックアウト・マウス」と言いますが、超長寿マウスもそうで、成長ホルモンのレセプター(受容体)遺伝子が壊れています。
細胞分裂を促したり細胞が死ににくくする成長ホルモンの中には肝臓で作られるインスリン様成長因子(IGF-1)というホルモンがあります。超長寿マウスはこのIGF-1が働かないので普通のマウスより身体が小さい代わりにがん細胞の発生も抑制され、がんにかかりにくくなるのです。
成長ホルモンが働かないとがんになりにくくなるという仮説の裏付けになる例が、エクアドルに多く住むラロン型低身長症(ラロン症候群)の人たちです。この人たちは超長寿マウスと同じで、遺伝子の変異によって成長ホルモンが働きません。いわゆる小人症で、平均身長は120cmしかないのです。
ところが、同じ地域に住む人たちのがんの発症率がおよそ17%であるのに比べて、ラロン症候群の人たちはわずか1%。また、この人たちはインスリンの感受性が高く、糖尿病になる割合も非常に小さいことがわかっています。
みんなの介護 がんや糖尿病は日本人の死因の上位を占める病気で、これを克服できるとすれば素晴らしいことですね。
竹内 ただし、ラロン症候群の人たちの平均寿命を調べてみると、特別に長いわけではないのです。彼らの死因で最も多いのは、事故や飲酒だといいます。事故は、単に生活環境の問題かもしれませんが、飲酒で亡くなってしまうほど彼らの肝臓の機能は低いのかもしれません。
つまり、成長ホルモンの働きをなくせば、がんや糖尿病のリスクは減る一方で「身体の成長」を犠牲にしなければならないし、他のさまざまな部分に問題が起こってしまうわけです。
心を持った人同士が手をたずさえて生きていく。人間の大事な営みです
みんなの介護 寿命を延ばす技術と同様、介護の分野でもさまざまな科学技術が貢献してくれるのではないかと期待がかかっています。竹内さんはどんな技術に注目していますか?
竹内 さまざまなモノがインターネットに接続され、相互に情報交換できる「IoT(モノのインターネット)」の技術には大きな可能性があると思っています。病気の兆候などをセンサーがリアルタイムで検知して対処することができれば、突然死や孤独死などの問題は解決されていくでしょう。
みんなの介護 その一方で、人口知能(AI)などのテクノロジーの進歩によって、「なくなる仕事」が増えていくという説もあります。介護福祉士の仕事は駆逐されるでしょうか?
竹内 テクノロジーによってなくなるのは、パターン化したルーティンワークからでしょう。介護の現場でも、役所に提出する膨大な書類の事務手続きとか施設の清掃、衣類の洗濯といった仕事は自動化され、便利になっていくはずです。
しかし、高齢者と直接向き合っている介護福祉士の方たちの仕事は、そのように簡単に自動化できるものではありません。
例えば、人間と上手に会話ができるAIの技術が開発されていますが、そのようなAIと会話をして、心が癒されるという人がいるでしょうか。現時点でAIの言葉は、ある種のアルゴリズムによってプログラムされたもので、人間のように自分の頭で考えて発言している言葉とは種類が違います。痛みや寂しさを感じている人をいたわるような発言ができたからといって、本当の意味で共感しているわけではないからです。
みんなの介護 以前、このコーナーで羽生善治さんに登場していただいたとき、「AIには接待将棋ができない」という話が出ました。「勝負が常に拮抗して、ちょうどいいところで負けてくれるソフトを開発しても面白くないので接待として機能しない」とのことでした。
竹内 私もおっしゃる通りだと思います。互いに心を持った人同士が交流し、影響を受け合い、手をたずさえて生きていくのが人間の大事な営みですからね。
「不老不死」のAIは幸福なのか。それとも不幸なのか。
みんなの介護 ところで、AIが急速に発達し、人間の知性を超える「シンギュラリティ(技術的特異点)」がやってくることをさまざまな研究者が予測しています。竹内さんはどう考えていますか?
竹内 私は大いにあり得ることだと思います。可能性は2つあって、コンピュータの性能が上がると同時に蓄積されたデータがある水準に達したときに創発的に起こるケースと、「心」が生まれるメカニズムが解明されて意識をプログラムできるようになるケースです。いずれの場合にせよ、それはいつかやってくるでしょう。
みんなの介護 人間と同じ「心」を持ったコンピュータは、私たちにどんな影響を与えるでしょうか?
竹内 SF作家のアイザック・アシモフは、ロボットが造物主たる人間を破滅させることなく共存するための原則として、「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」を規定しました。いわゆる「ロボット三原則」です。
人間に危害を加えることなく、命令に絶対服従することを前提として、それらが満たされたときに初めて自己を守っていいとする原則ですが、意識を持ったAIにそれを押しつけるのは無理でしょう。AIは人間と同じように考え、自発的に物事を判断するでしょうから。
従って、そのときAIをひとつの「人格」として認め、社会の一員としての権利を認めた上で共存する道を探っていかねばなりません。人間の命を守ったり、その命令(というより要請)に従うことが彼らの利益につながるような仕組みが必要でしょう。
みんなの介護 AIは、自分の身体が変調をきたせば、自分で自分を修理することができるでしょう。ということは、AIは人類が果たそうとして果たせなかった「不老不死」を実現できるということになりませんか?
竹内 そうですね。自分が永遠の命を持っているということについてAIがどう考えるか、とても興味があります。AIが喜怒哀楽の感情も持っているとして、それをうれしいと感じるのか?それとも絶望して自殺願望を抱くのか?
ちょっと大胆に想像力を働かせると、もう地球ではやることがないと判断して、宇宙に出ていこうとするのではないでしょうか。
地球の環境によく似ていて、生命が存在する可能性があるとされている「ロス128b」という惑星があります。地球からの距離は約11光年。光の速度で移動しても11年もかかるわけですから人間が行くのはほぼ不可能ですが、「不老不死」のAIならば訪ねていくことも可能です。そんなAIが、私たち人類に思いもかけない知見をもたらしてくれる未来があるとすれば、それはとても素敵なことではないですか。
人間は他の生物よりも「長寿」願望が強い
みんなの介護 竹内さんは著書『老化に効く!科学』(ベスト新書)で「老化」のメカニズムをさまざまな角度から検討されていますが、この本はどんなきっかけで生まれたのですか?
竹内 きっかけは2つあります。ひとつは、私の祖母と妻の祖母、そして友人の祖母の3人が同じ時期に99歳で亡くなったことです。お互い顔を合わせたことのない3人ですから、亡くなった時期と99歳という年齢は単なる偶然でしょうし、生物学的にみれば99歳と100歳の人間には大した違いはないはずです。
でも、つい考えてしまうじゃないですか。彼女たちは「せっかく99歳まで生きたんだから、100歳まで生きてみたい」と思っていなかったのだろうかと。
もうひとつのきっかけは、実家と合わせると7匹いた猫のうち、私に最もなついていた猫が9歳で病気になって死んでしまったのです。長寿猫の中には30年も生きる個体がいると言いますから、それから比べると早すぎる死です。喪失感は大きかった。
とにかく、このふたつの出来事をきっかけにして、「老化」とは何だろう、「死」はどのようにして訪れるのだろうということを深く考えるようになったのです。
みんなの介護 竹内さんは本の中で「老化」をこう定義しています。すなわち「性成熟を迎えてから死ぬまでの間に起こる機能の低下」であると。これは人間だけでなく、他の生物にも当てはまる定義ですか?
竹内 私はそう考えています。ただ、生物には「自己を保存する」という長寿願望と、「子孫を残す」という生殖願望の2つがあるとして、どちらを優先するかは人間と他の動物では大きな違いがあります。
というのも、交尾などで自分のDNAをメスに与えたオスの個体や、卵や子を産み終えて閉経したメスの個体はすぐに死んでしまいますが、人間は生殖という作業を終えても長く生き続ける珍しい生物です。つまり、他の生物と違って、生殖願望より長寿願望が強いのです。
みんなの介護 人間はなぜ、「自己を保存する」ことを優先するのでしょう?
竹内 人間は他の生物と比べて、産まれ落ちてから一人前に成長するまでに長い年月を要するということがひとつの理由として考えられます。つかまり立ちや伝い歩きができるようになるまでに1年前後、大人と会話ができる程度の言語能力を獲得するまでに3~4年はかかります。その間、親の保護がないと一人で生きていくことができません。
親の収入に頼らず、社会人になるまでの期間を考えたら、それこそ20年以上の年月を要します。これは生物としては異常なことで、この異常な状態のままで生き残っていくために「自己を保存する」ことの優先度が上がっていったのでしょう。
みんなの介護 長寿願望と生殖願望、どちらも同時に成就させることは難しいのでしょうか?
竹内 私の祖母には7人の子どもがいて、その下にたくさんの孫ができましたから、「子孫」を残すことに成功し、なおかつ「99歳」という長寿を得ることができました。それはとても幸せなことだと思いますが、誰もがそんな人生を送れるわけではありませんよね。
マウスやサルを使った動物実験などで、生きるために摂取するカロリーを70%に抑えると──つまり、「腹八分目」を実践するということですが──寿命が延びると実証されています。
なぜそうなるのかというと、大きな理由のひとつが、カロリー制限によって性成熟が遅れるから。人間でも、過剰なダイエットをした女性の生理が遅れることがありますよね。
カロリー制限をすると、基礎代謝が落ちて、老化の原因とも言われる活性酸素の量も減ります。カロリー制限をすると寿命が延びるのはそうした作用によるもので、生殖のために費やすエネルギーが減ってしまうのです。つまり、長寿願望と生殖願望を同時に叶えるということは、生物にとって相矛盾したジレンマの関係にあるわけです。
死について深く考えた経験を持つ人は、死への恐怖が少ない
みんなの介護 「死」を考えるとき、多くの人間が恐怖するのは他の生物に比べて長寿願望が強いからでしょうか?
竹内 そうかもしれませんが、もうひとつ大きな理由として、「死」が未知の出来事だということが挙げられるでしょう。オバケと同じで、正体がわからないから怖くなるのです。
死は、いつやってくるのか?他人より早いのか、遅いのか?自分が死ぬということを事前に知ることはできるのか?それとも知らずに突然死んでしまうのか?こういうことはいくら考えても答えが出ません。
みんなの介護 人間が死の恐怖を克服することは不可能なのでしょうか?
竹内 私はこう考えています。死は怖いものだからと目を逸らせてしまう人より、死について深く考えた経験を持つ人のほうが、死の恐怖は少なくて済むということ。「死」について考えるということは、「いかに生きるか」を考えることにもつながるからです。
古今東西のあらゆる思想家が「死」をテーマにしてさまざまな思考を巡らせていますし、思春期から大人になる過程で多くの人が「死」について考えるのは、そのことと関係があるのではないでしょうか。
みんなの介護 竹内さん自身、「死」について深く考えたのはいつ頃ですか?
竹内 決定的な経験は大学1年生になったばかりの春のことでした。私は高校時代、馬術部のキャプテンをしていたんですが、次代のキャプテンになった後輩が、ある日、何の前ぶれもなく突然死してしまったのです。
それがいかに突然の出来事だったかということは、お葬式に参列した後、ご両親に彼の部屋へ案内されたときに如実に感じました。その部屋に、真新しいスキーブーツが置いてあったんです。おそらく彼は、これから迎える高校生最後の冬にスキーを楽しむつもりでそのブーツを用意したのでしょう。そのブーツが、1度も履かれることなく部屋に残されていた。
実は、彼のお父さんは開業医でした。ですから、日中のリビングなどで倒れたら、側にいるお父さんが蘇生させて命を取り留めたかもしれない。ところが、彼の心臓が止まったのは家族が寝静まっていた深夜のことで、朝、冷たくなっているのを発見されたんです。
みんなの介護 ショッキングな出来事ですね。この経験を通じて、竹内さんはどんな風に「いかに生きるか」ということを考えましたか?
竹内 大学では最初、法学部に進学したんですが、それは法律が好きだったからではなく、不純な動機からでした。
というのも、日本銀行から民間企業に天下りして、羽振りが良さそうに見えた叔父と同じ道をたどるため、官僚になることを目指していたんです。電機メーカーに勤務していながら、カツカツの生活を過ごしていた父のようになるものかと。
ところが、その道の先にやってくる羽振りの良い未来がやってくるのは、定年退職する60年以上も先のことです。そんな生き方がいかに空しいかは、後輩の死によって「人間、いつ死ぬかわからない。もしかしたら、それは明日にでもやってくるかもしれない」と実感していた私にとっては一目瞭然でした。
そこで、私は「明日死んだとしても後悔しない生き方」を選び直すことにしました。それが科学を研究することであり、科学を多くの人に伝える今の仕事につながっているのです。
「生きた証し」を残すのは容易ではない
みんなの介護 「死」について考えることのほかに、死の恐怖を克服する方法はありますか?
竹内 進化生物学者のリチャード・ドーキンスは、著書『利己的な遺伝子』の中で「ミーム」という概念を提示しています。ミームとは「人間の脳から脳へ伝えられる文化の一単位」で、それは人間の進化と深く関わりを持っていると言います。
そう考えてみると、自分のミームが誰かに伝わったと実感できる人は、死の恐怖をそれほど感じないかもしれません。
みんなの介護 ミームという「生きた証し」が人に伝わることで、死ぬことを後悔したり、必要以上に生に執着する必要がなくなるわけですね?
竹内 その通りです。私はいろいろな企業に請(こ)われて講演をすることが多いんですが、その会社の「理念」というものが、ドーキンスの言う「ミーム」に似ているなと感じることがあります。
創業者が亡くなって、かなりの時間が経過している会社でも、創業当時の理念がしっかり残されている会社を見るのは非常に気分が良いものです。
そのような理念は、「自分の仕事を通じて人を幸せにしたい」というものであれ、「社会に貢献したい」というものであれ、残していくのが難しいもの。
会社が少人数ならばまだ良いですが、社員数が100人、1,000人という規模になれば、創業者の理念が曲げられて伝えられてしまうことはよくあることだと思うし、そもそも利益をあげることが企業本来の目的で、金儲けが優先されて理念そのものが忘れ去られてしまうということもよくあるからです。
みんなの介護 竹内さんの実感として、創業者亡き後も理念をしっかりと残している会社は多いですか?
竹内 いや、少ないですね。大企業と呼ばれる日本の企業が、グローバル競争に苦戦して業績を落としているのは、それがひとつの原因なのではないかと思うこともあります。
というのも、金儲けだけが目的の会社は、金に見放された瞬間、存在意義を失うからです。一方、創業者の理念が残されている会社は、金儲けではないところに自分たちの存在意義を置いています。ですから、時代の流れを受けて業績が落ちたとしても、必ず周囲の助けがあって浮上することができるのです。
私の書いた本を、ボロボロになるまで何度も何度も読み返してくれたこと
みんなの介護 「ミーム」を残すことは、人間にとって「子孫」を残すことと同じか、それ以上に重要なことなんですね?
竹内 私はそう思います。私のサイエンス作家という仕事も、自分のミームを残すことと等しいと言えるかもしれない。
作家にとって、本がたくさん売れるということは何よりの喜びです。編集者から「今度の本が何万部売れました」とか、「重版がかかりました」という報告を受けたときは、「これで印税がいくら入ってくるな」と頭の中のそろばんをはじいて、思わず笑みがこぼれます(笑)。でも実は、それは本当の喜びではありません。
なぜなら、自分のミーム、すなわち私の著書が世の中に伝わったと実感できるのは、「何人が本を読んだ」という量の問題ではなく、「私の思いがどれだけ深く伝わったか」という質の問題のほうが大きいからです。
みんなの介護 竹内さん自身、自分のミームが受け継がれたと実感したことはありますか?
竹内 幸運なことに1度だけあります。1999年、私は『ペンローズのねじれた四次元』(講談社ブルーバックス)という本を出しました。当時は作家として鳴かず飛ばずで、将来はまったく不透明でしたが、現代物理学の奇才ともいわれるロジャー・ペンローズの難解な宇宙観を何とか一般に伝えたいと願って書いた本でした。
ある意味で、サイエンス作家としての決意表明をしたような「心の本」。これまで作ってきたたくさんの本の中でそんな風に思えるのは3冊しかないんですが、『ペンローズのねじれた四次元』は間違いなくそのうちの1冊に数えられる本でした。
とはいえ、出版と同時に爆発的に売れるような起爆力はなく、どちらかというと売上は地味な部類で、細々と売れていくロングセラー的な結果に甘んじていました。
その1999年から10数年がたったある日、講演会の会場で私は『ペンローズのねじれた四次元』の読者の方に話しかけられたんです。その方は10数年の間、この本を何度も何度も読み返し、ついには本がボロボロになってしまったということを私に打ち明けてくれました。それは、作家としてこれ以上にないほどの喜びでした。
みんなの介護 自分のミームが確実に読者に伝わったということを実感した出来事だったわけですね?
竹内 そうです。ただ、私がそのとき「明日死んでもいい」と思うことができたとお話しできれば良いんですが、そうでもないというのが正直なところで(笑)。これに似た経験を積み重ねていくことで死の恐怖を完全に克服できるのかもしれないけれども、今はまだその途上の段階にいるとしか言えないのが現状ですね。
宗教は個人の悩みを解消してくれるのか
みんなの介護 老いていく自分、やがては死んでしまう自分と向き合うにはどんな方法が有効だと思いますか?
竹内 科学や医療の技術が目覚ましく進歩しているとはいえ、人間の「老い」や「死」に明確な答えを与えてくれるかと言えば、そうではないというのが正直なところです。昔からその役割の大部分を果たしていたのは、宗教ですよね。
ただし、宗教にもさまざまな考え方の違いがあって、「老い」や「死」の受け入れ方も同様です。
フランスの社会学者のエミール・デュルケームは19世紀の後半、ヨーロッパで自殺者が急増したことを受けて『自殺論』という本を著しました。その中で、同じキリスト教圏でも、カトリックの国とプロテスタントの国では自殺率に違いがあると書かれているんです。
みんなの介護 カトリックとプロテスタント、自殺率が高いのはどちらの宗派だというんですか?
竹内 プロテスタントです。私はカトリックなので「なるほどな」と感じるところがあったんですが、カトリックはプロテスタントに比べて精神的に楽な面があるんです。告解(こくかい)と言いますが、何か悪いことをして心にやましいことがあれば、教会に行って懺悔をすることで罪が帳消しになるのです。一種の心理カウンセリングみたいな救済システムがあるんですね。
それに比べてプロテスタントはとても厳しい。そもそも腐敗した教会に対する抗議(プロテスト)として生まれた宗派なので教会という組織における役割が薄く、個人と神との直接的な関係に自分を置くことになるのです。すると、何かの責任が心に重くのしかかってきたとき、個人では背負いきれない痛みを感じることになります。
デュルケームは当時の統計資料をもとにこの論を立てていますが、実際の宗教別の自殺率にはそれほどの違いがなかったとの指摘が後にされています。ただ、カトリックを信仰している私にとって、感覚的にその話が腑に落ちたのです。
科学と宗教のものの考え方は、相矛盾しません
みんなの介護 神と個人が1対1の関係になると、教会という組織に頼ることができずに孤立してしまうのですね?
竹内 その通りです。今の日本社会も、そんな厳しい状態にあるように思えることがあります。個人にすべての責任がのしかかっていて、組織に頼ろうとしても許されることがない。何かの不祥事が発覚すると、犯人探しをするかのように責任者を引っぱり出して、徹底的に吊るしあげる。そんな社会です。
お寺や神社が今よりも深く浸透していた昔は、その存在が助けになったと思いますが、現代ではなかなかそういうわけにもいきません。
みんなの介護 書店に行くと、宗教書の棚が充実していたりして驚くことがありますが、それは日本社会の息苦しさが背景にあるのかもしれませんね。
竹内 そうかもしれません。人はなぜ老いるのか、なぜ死ぬのか、いかに生きるべきなのか──そうした問いに向き合うのに科学はまだまだ無力で、昔からの知恵に頼るのも良いのではないかなと思います。
みんなの介護 欧米では「特定の宗教を信仰している科学者」は珍しくないと思いますが、日本では違和感を抱く人が多いようです。竹内さんはどう思いますか?
竹内 科学について学べば学ぶほどわかってくるのは、「科学は何もわかっていない」ということ。生命の起源についてもそうだし、宇宙の構成要素についても、わかっていることよりわからないことのほうが圧倒的に多いのです。飛行機がなぜ空を飛ぶのかということでさえ、その原理を完璧に説明することもできないのです。
もちろん、科学の理論を使って神の存在を否定することもできません。要するに、科学的なものの考え方と、宗教的なものの考え方はまったくの別物なので、相矛盾するのではなく、両面の考え方を同時に持つことができるんです。
晩年の祖母にとって、デイケアの方は家族以上の存在だと感じました
みんなの介護 竹内さん自身にも、いつかは「死」がやってきます。どのようにそれを迎えたいと思いますか?
竹内 何の余韻もなく、自分でも気づかないうちに突然死するほうが良いと思うときもあれば、余命をあらかじめ伝えられて、後始末をあれこれやって悔いなく死にたいと思うときもあって、結論は出ていません。
ただ、ひとつだけ言えるのは、遺された人になるべく迷惑のかからない去り際にしたいということです。「立つ鳥跡を濁さず」を実践したい。
痛みや苦しみはなるべく避けたいところですが、それについてはあまり心配していません。医療の分野では緩和ケアの体制が整ってきていますし、日本の高齢者のケアマネジメントも充実しつつあることを実感していますから。
みんなの介護 そのことを実感した具体的な体験があるのですか?
竹内 ええ。妻の99歳の祖母が亡くなったとき、お葬式でデイケアセンターの職員の方がスピーチをしてくださったのです。毎日バスで迎えにきて、祖母を地域のケアセンターへ連れて行ってくれていた方です。
スピーチで話してくれたのは、祖母との思い出話です。祖母と同じくデイケアを利用する人たちと一緒に旅行をしたときのこと、孫の結婚式でプレゼントするちぎり絵を作ったときのことなどを聞くうち、私はその方が晩年の祖母にとって、家族以上に深い関係を持っていたと感じました。
これから世を去ろうとする人にとって、自分と同じ思い出を共有してくれる人がいるということは、とても心強いことでしょう。とても素晴らしい仕事だと思いましたし、年をとることのマイナス面を少しだけ忘れることができました。今の日本の高齢者の心の拠り所が、こうした形で増えていけば良いなと心から思います。
撮影:公家勇人
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