内藤いづみ「これからますます求められるのは「命の開放」をする在宅緩和ケア」
山梨県在住の在宅ホスピス医である内藤いづみ氏は、1986年から英国プリンス・オブ・ウェールズ・ホスピスに留学してホスピスで研修を受け、亡くなる数日前まで家族と幸せに過ごす末期がんの患者さんの様子に衝撃を受ける。そして、日本において在宅緩和ケアの浸透を実現するため、1995年にふじ内科クリニックを開業し、全国で講演活動を行ってきた。また、新聞やテレビ番組などでもたびたび活動の様子が紹介されている。コロナ禍にあって、在宅での看取りに向かう動きがますます加速する中、一人ひとりが納得できる最期を迎えるために何が大切なのか、内藤氏にお話を伺った。
文責/みんなの介護
緩和ケア病棟は増えたが「命を開放する」ところまでは至っていない
みんなの介護 日本での、在宅緩和ケアの現状をどのように感じていますか?
内藤 私がイギリスから日本に帰ってきて在宅緩和ケアを始めた頃は、緩和ケア病棟も非常に少なかったですし、在宅緩和ケアやホスピスという言葉も浸透していませんでした。しかし今は、医療の一部分としてがんの緩和医療が必要だと考えられるようになりました。そしてがんの治療をする病院は、緩和ケア病棟が付属するところが増えました。患者さんにとって大きな救いになると思いますが、まだまだ発展途上だと感じることもあります。
みんなの介護 在宅緩和ケアを始めたきっかけは何だったのですか?
内藤 私は、権威ある病院で研修を受けて、たくさんのスタンダードながん治療をしている方々を見てきました。そして、「もし自分が患者だったら、病院に閉じ込められたり、そこで命を終えるのは嫌だな」と思ったところから、現在の活動に続く取り組みが始まりました。
イギリスに行ったとき、ボランティアや専門家が、がん末期の患者さんの環境を整えるために、痛みを緩和したり恐怖を取り除いたりしていました。そうすることで、その人が最期にいたい場所で過ごせるのを見て、目が開かれる思いでした。それは医療というよりは、文化的な発見だったのです。ですので、「環境が整うことで病院から解放されるホスピスムーブメントは、命を解放するすごい文化・社会活動だ」と感じました。そして、その活動がしたいがために起業して、一人で細々と、この活動を続けてきたわけです。
国が方針として力を入れることで、緩和ケアや在宅ケアを一つの医療システムとして理解する若手のお医者さんが増えました。家で診られる状態が整ってきたのは良いことだと思います。しかし、「これをしないと診療報酬がもらえない」というように動いていくと、私が実現を願ってきた「命の解放をするホスピスムーブメント」とはまったく質の違う発展の仕方になってしまうと思います。なぜなら、そのようなシステムがなくても、患者さんのために在宅緩和ケアをやりたいと思うかどうかが大切だからです。
みんなの介護 なるほど。では、現状をどのように評価されていますか?
内藤 診療報酬もつかなかった時代に始めた身としては、皆さんすごく安全な路線でやっていらっしゃるように見えます。今後、在宅ケアではなく別の方法が大事だということがわかったら、皆さんはそれに取り込みますかということを若い医者たちには問うてあげたいです。モチベーションが大切なのです。
実践が難しい分野だからかもしれませんが、医師の皆さんは権威的というか、一匹狼みたいなことをする方があまりいません。今が過渡期で、この先本当の命の看取りというものに到達するために、私はまだしばらく口をつぐめないぞと思います。
環境を整えてもらえるなら最期まで家にいたいという人は多いので、ホスピスムーブメントは、患者さんの願いを実現するためのひとつの戦いです。
まずみんなが驚いたのは、がんの痛みは緩和できることだった
内藤 講演活動を始めた頃、一番反応してくださったのが看護師さんたちです。専門看護師さんも出てこない時代に、心ある人たちは「終末期をこんなふうに病院で送っていいのか」と、心を痛めながら支えていました。
そのようなとき、まず皆さんが驚いたのは、がんの痛みは安全に緩和できるということでした。30~40年前、特に日本ではがんの人は大多数が「死んだ方がいい」と考えるくらいの痛みに苦しんでいました。そして最後にモルヒネを静脈注射などの推薦できない方法で投与されて、副作用に苦悩しながら亡くなっていくのでした。
それを見ていた看護師さんたちは、「自分の親だったら嫌だ」と内心では思っていました。その人たちが私の話を聞いて、「先生、これもっと知らせましょうよ」といって、私の最初の仲間になってくれたのです。
もし私が師匠だったら、制度がなくなっても続けるかどうかの覚悟を、弟子には求めます。自分に返ってくるものも目に見えませんので、取り組んだからといって、大きな大学の教授になれるかというと、そうでもありません。何が残るかと言われると、自分の道を歩んだという満足感です。
教師だった両親の影響が、社会実践活動の情熱へ
みんなの介護 内藤先生の原動力とは、どのようなものだったのですか?
内藤 私の父も母も生粋の教師でしたので、人に教えることや、世の中の役に立つことを常に考えて生きている人たちでした。ですので、社会実践活動への情熱の種が、私の中にまかれていたのが、日本でホスピスムーブメントを起こす原動力につながったのでは、と思います。
私は、14歳ぐらいのときにお医者さんになろうと考えましたが、もしなっていなかったら、人類学者として世界中を旅していたかもしれません。
大変さに勝るのは、患者さんの希望を叶えたいという思い
みんなの介護 医療に携わる人には、今後どのような教育が大切になるとお考えですか?
内藤 「頭の良さ」だけだったら、AIで十分だと思います。AIの方が、病気を見つけたり、治療方針を決定したりすることについては、分析力という点で優れていると思います。しかし、コンピューター業界ではノイズといわれるグレーの部分に私たちが立ち、悩む感受性を、常に忘れないでいてほしいです。
加えて、人間愛を捨てないでもらいたい。そうでなければ、こんな苦しい仕事はないと思います。もちろん収入はほかのお仕事の人よりは多いかもしれません。しかし、金額には換算できない苦しさがあります。それは、人の命に対する責任感です。人の命に責任を持たないで済めば、どんなに楽だろうと、今でも毎晩思います。
在宅緩和ケアでは、チームで患者さんのお世話をします。そのため。「ファーストコール」と言われる家族からの最初の電話は担当の看護師が受けてくれることも多いです。そして、自分たちだけで対応できないとき、私に連絡が来るというようなワンクッションがあります。ですので、患者さんをたくさん抱えていても、何とか持ちこたえてこれました。
しかし、コロナ禍で老人福祉施設に虚弱な高齢者が増えたことで、ストレートに私に電話が入ってくることが多くなり、365日24時間オンコールという状況です。24時間ICUの責任者の先生のような感じです。
私は新型コロナウイルス感染症が流行してからは、夜にリラックスし過ぎることを防ぐためにパジャマを着て寝ないようにしています。いつどうなるかと考えたときに、いつでも飛び出せるように、そして命に責任を持つ仕事の重さを感じてそのように心掛けているのです。
みんなの介護 どのように気分転換をしているのですか?
内藤 新型コロナの拡大前は、全国に講演旅行に行くのが私のリフレッシュ方法になっていました。一人で旅行をして、現地で命の話をしたら、そこで友情も芽生えます。しかし今はそれができないので、緊迫した状況です。
そのため、心を空っぽにして繰り返し手作業をしています。特にコロナ禍でのマインドフルネスに効果的だと思ったのは、茶道です。本格的な作法を教えていただき、炭でお湯を沸かしたり、そこから出る湯気や、四季それぞれの小さな茶花に触れたりするのです。それらは、私にとってスピリチュアルな体験になりました。作法を学びながらお茶を点てていると、いろいろな嫌なことを全部忘れることができるのです。そして、それが終わると、体も心も軽くなります。ただし、今はお稽古に行く余裕もありません。
現場の状況が落ち着いたら、またお茶のお稽古に行きたいなと思っています。自分一人でもお茶は点てられますが、あの空間に触れるのが、私にとっての最高のマインドフルネスです。師匠も90歳近くで頑張っていらっしゃいます。
人生の着地点をより良く迎えるために「生」を支える
みんなの介護 先生の本や講演の中で説明される「死」は、いのちの時間や出会いの大切さを教えてくれるもので、世間の多くの人が描いている恐ろしいイメージとは異なる印象を受けました。多くの患者さんの最期に立ち会ってこられた先生は、「死」とはどのようなものだと受け止めていますか?
内藤 「死」とは人生の「一つの区切り」だと思います。その人にとっての「命の答え」であり「着地点」。そして、ある意味では向こうの世界に離陸する場所でもあります。最期を迎えて「やり残したことがあるな」という思いを抱える人もいます。それを私たちが支える中で、いい塩梅で終われるのが理想です。
また、死は永遠の別れかというと、そうは思いません。死んだあとも続く何かがあります。それはただ「永遠の命」という宗教的な意味ではありません。家族や社会などでは、亡くなった後もその方の存在の理由が続くわけです。私はホスピスケアを通して、多くの患者さんを看取りながら、そのことを学べたと思います。
もし時間という側面で、死にゆく人に十分に関われなかったとしても、深さでかかわることが大切です。ですので、私は自分が診ている患者さんが最期を迎えられるとき、必要なら夜中でも、何度でも往診することがあります。それによって、その人の死と家族を支えられるかというと、非常に難しいところではあります。しかし、どうにか着地点を見つけるために、自分の時間や能力を最大限に使うんです。
死にゆくプロセスに寄り添ってきた私にとって、死は恐ろしいものではなく、「移行」と捉えています。ホラー映画も見られない怖がりの私ですが、そのような怖さとは違うものが死にはあると感じています。
痛みの緩和は、限りある時間に願いを果たすため
内藤 がんの人の場合は、まず痛みを緩和することが大切になってきます。しかし、今の在宅緩和ケアにとっては、痛みを取ることが最終目的になっているような印象を受けるのです。そうではなく、痛みを緩和するのはなぜかということを、もっとみんなに気づいてもらいたいです。
痛みを緩和するのは、その人がもう一度その人の地平を取り戻し、たとえ短い時間であっても自分の命に向かい合って、その中で願いを果たすための状況の整備なのです。
みんなの介護 急な命の危機に瀕することがあっても、人生の最期に後悔を残さないために、普段からどのような準備をしておくことが必要ですか?
内藤 終活です。最近は、100円ショップで終活のためのノートが発売されるようになるぐらい浸透してきました。しかし、現在広まっている終活は、事務的なことや法律的なことばかりに焦点が当たってしまい、本当の意味での準備はあまりできていないように思います。終活においては、自分の人生は何だったのかと、命の哲学のようなところに踏み込むことが大切です。
私も、難聴で認知症だった末期がんの患者さんが残した「いい塩梅でお願いします」という言葉から取った「いい塩梅ノート」というものをつくっています。そしてその後も、これまでの講演で出会った仲間が、各地元において、自分たちの文化で「いい塩梅ノート」を進化させつつあります。今後、さらに多くの人がいのちの時間を愛おしむことができるものにしていければと考えております。
ただ、今回の新型コロナによる「試練」を受けて、皆さん改めて「命」や「生と死」、さらに「なぜこんな状態になったのか」ということを考えました。しかし、まがいものと大切なものを見分けて、「きらびやかではないけどこれで大丈夫」と達観した人も多いように思います。ですので、そこで考えたことを、私たちは大事に思って生きていきたいなと思います。
1日を人生に置き換えたときに何をやり残したのか、何を改善すればいいのかということを毎日考えてもらいたい。それが、新型コロナによって私たちに与えられた一つの課題だと思います。そして、新型コロナによる影響が改善して、私たちの地平を取り戻したときに、たくさんの犠牲を払ってせっかく学んだことを絶対捨てないで、というのが私の願いです。
ホスピスケアの原点は、人間はトータルな存在であるということ
みんなの介護 死後の世界については、どのように考えておくことが必要だと思われますか?
内藤 ホスピスケアの原点では、「人間はトータルな存在である」と考えます。トータルな存在とは、体があって、心があって、社会性があって、スピリチュアルでもある存在だということです。
しかし私が40年間近くホスピスケアに携わる中で、その基本的な考えも少しずつ自分の中でアレンジして解釈してきました。体が苦しめば、心も苦しむ。心が痛い時は、体も痛い。そして、社会的なものは何かと言えば、「絆」という言葉で表現できると思います。これは身内だけではなく、これまでの人生で関連があった人全部なのです。その人たちが、ゆりかごのように私たちを支えている。それが社会的な力だと思います。そして最後にスピリチュアルというのは、例えば空に当てはめて考えることができます。私たちの上を覆っていて、晴れた日も雨の日も曇りの日もそれがあるということさえ忘れてしまうものが大いなる存在。
これはどのように感じたら良いのかというと、例えば空を流れる雲は毎日違います。私は自転車で通勤する際、雲を観察したりしています。あまりにも雲が素晴らしすぎて、ときどき立ち止まることされあります。そういう自然のものは人間にはつくれませんし、人を超える力だと思います。
このように、空を見たり、宇宙を見たり、星を見たり、風の中に自分を置いてみたり、植物に触れる。どんな小さな花でもいいから育ててみて、自然に触れてください。その際、自分が水をあげるのを少しでも忘れたら、花は枯れてしまうということを体験してほしいと思います。そのような、自分以外の命や小さな宇宙に思いを馳せて味わう。自分の力でどうにもならない命の移ろいを感じるのです。
私の考える「看取り」というのは、命の移ろいに寄り添うことです。それはすごくスピリチュアルな体験だと思うのです。今は、自然を観察するよりもスマホを見ている人が多いので、人を超える力を感じることが少なくなっているのではないかと思います。
家族がいない人は、最後の友人としての看取りを
みんなの介護 医療や介護のスタッフは、家族と過ごせない患者さんの最期に、どのように向き合うのが良いでしょうか?
内藤 そのような場合は、ご本人に「周囲にいる人は、大きな意味で、その患者さんの家族」だと考えていただけたら良いなと思います。血のつながりはありませんが、命の瀬戸際に一番近くにいるのはその人しかいないということ。患者さんにとっては、最後の友人です。
古代のギリシア人の愛には、「エロス(性愛)」「フィリア(友情)」「ストルゲー(家族愛)」「アガペー(神の無償の愛)」の4つの分類があります。私はフィリアが大事だなといつも思っています。人類愛というと大きいですが、出会う人への友情を捨てないでほしい。相手を思って祈るという気持ちはAIにはないものです。私も家族がいてもいなくても、そういう気持ちを持って患者さんとお付き合いしています。
家族や身内がいない人には、「あなたの『命の仲間』はいないの?」と元気なときから聞きます。ときどきでも会っていたり、電話をかけて「元気?」と聞いてくれたり、最期に手を握りたいと思うお友達はいるかを聞いて、家族の輪を広げていきます。すると、その人の孤独が解消されて、「僕の人生良かったな」とか、「人生まあまあだったな」と思える可能性はあると思います。臓器だけを見ていると、そのようなことはわかりません。その人がいい塩梅で最期を迎えるために大切なものは何かを見抜く力が、特に在宅で支える医療者には必要だと思います。
新型コロナへの感染は、二重三重の苦しみに
みんなの介護 新型コロナの感染が原因で亡くなられ、別れを告げられなかった人は多くいます。その悲しみを癒すためには、どんなことが必要ですか?
内藤 しばらく悲しみは癒やせないと思います。そんな簡単なことではありません。あまりにもショックだと思いますし、プロセスをまったく見ないでお骨になって帰ってくると、信じられない気持ちでいっぱいになるでしょう。
実は私も親しい方を新型コロナで失いましたが、家族の悲しみはとても深いものです。何をしてあげたらいいかというと、会えないならテレビ電話でもいいですし、手紙や電話でもいいので、家族にコンタクトを取り続けることです。
別れというのは、とても大事なことですので、悲しみを吐き出させてあげることが必要です。新型コロナで家族を失った人は、嫌がらせやいじめを受けることもあるため、そのことをオープンに話せない人もたくさんいます。それはその人にとって、二重三重の苦しみだと思います。悲しいということも言えないので、新型コロナで亡くなったことを話せる間柄であるのであれば、話を聞くことで相手を癒やすことができます。一回だけではなく、何度もお聞きすることが大切です。
みんなの介護 最期の時間を輝かしいものにするために、元気なうちからどのような生き方をすることが大切ですか?
内藤 自分を飾り立てず、本音で付き合える人をつくっておくことだと思います。そして、「1日1日」という考え方を大切にして、日記を書きましょう。できれば、私は良いこと日記がおすすめです。「今日はこんな良いことがあった」というのを5つ書いて、みんなに感謝をすることです。
このことは、亡くなる直前にいろいろと反省するのではなく、後悔を短いスパンで消化していく練習にもなります。自分を見つめて本音を伝えることに日々取り組み、後悔を先送りしないようにすることが、とても大切です。
認知症の人は、死への葛藤の少なさが救いになることがある
みんなの介護 以前、「穏やかに恐怖なく旅立てる方の多くは認知症がある方」と語られていました。これはどのような考えですか?
内藤 認知症がある場合は、私たちと同じような葛藤が少ないので、付き添う人の気持ちが楽だと思います。そして、それはある意味、救いになるなと感じたことがあります。
あるがんの末期の患者さんは、いろいろなものが落ち着いて、延命されていました。だんだん認知症が出てきたのですが、コミュニケーションは取れます。私が定期的に往診すると、「先生、私の病気何かな?」って聞くんです。娘さんに、「言っちゃう?」と聞くと、「言っても5分で忘れちゃうから、言ってください」と言われます。そして患者さんに「大きい病院で検査して、がんだったんだよ」と伝えると、「先生冗談きついね」と笑うんです。「こんなに太って、末期がんなわけないじゃん」って。それを本気で言っていらっしゃる。
そのような感性は、ある意味神様からのプレゼントだなと思います。認知症ではなくても、きちんとみんなに別れを言って、穏やかに亡くなる人も多いですが、そのような方々の苦悩は消えません。「もっと長生きしたかった」とかですね。私たちは、そのような思いを隠さず言ってくれる関係を築けるかどうかを大切にしています。
最近、一番困ったのは「安楽死したい」という相談でした。私のところに相談に来られたときはがんの末期で、余命1ヵ月ぐらいの患者さんでした。本人は重症だということがわかっていて、お子さんたちは全員ご存知でした。ある日、その方が「先生、薬を多くして私を早く死なせてください」と言ったんです。モルヒネを使っていましたらからね。しかし、「モルヒネは安楽死させる薬じゃなくて、体の痛みを緩和する薬だから、そういう使い方はできないし、しないよ」と伝えました。
その患者さんは、「私が命を永らえると、家族に迷惑がかかる。今は体も苦しくなくて平和なので、もう死んでしまった方がいいと思います」ということを、冷静に言うのです。
そこで私は、「そのお気持ちは受け止めますが、私がさじ加減を調整して、あなたの命を縮めるということはしません。なぜならあなたは苦しんでいないでしょう?」と聞きました。
すると、「楽ですよ。ご飯も食べられるし、夫の顔や家族の顏も見られて幸せです」と話すんです。ですので、少し厳しいのですが、「これから先長くないから、家族に甘えて」と伝えました。それから本人は、安楽死したいということは言わなくなりました。
そして、「やっぱりこの世は素晴らしい」と語るのです。「家族と会うことも素晴らしいし、死にたくない」と続けて言いました。死にたいという人の気持ちはくるくる変わりますが、そういう気持ちになっていただけて良かったと思います。
みんなの介護 治すための医療と在宅緩和ケアの連携の可能性について、感じていることはありますか?
内藤 在宅で私たちのケアを受けると、病院との縁が切れると思ってしまう方がいます。しかし、そうではありません。状況にもよりますが、その人の病気の進展の仕方によっては、病院の助けが必要ということもあります。さらに、患者さんの命の可能性を延ばすこともできます。そうすると、なるべく短い入院でやってもらおうということを相談して動きます。積極的に働きかけをすると、いろいろな軌道修正が必要になってきます。そんなときに病院が助けてくれて、家で快適に過ごす時間が延ばせるなら、協力してもらうこともあります。
死は、ずっと続く命の道のりの一部
みんなの介護 在宅緩和ケアの課題について、どのようにお感じですか?
内藤 できれば重病でも最期まで家にいるということが本人の選択、決意であってほしい。困惑するかもしれない家族に、私たち医療チームが忍耐強く、説明し寄り添えるか?病院の医療を切り取って在宅に移植するような在宅ケアの形にはなってほしくないと思います。
なぜなら在宅緩和ケア、ホスピスケアは、現代医療に縛られ、閉じ込められた命の解放でもあるからです。患者さんの苦痛を緩和するのは基本ですが、できれば機械漬け、薬漬けの形にはしたくない。どんな重病でも命が本来持つ力を尊重して、自然な命の移ろいを本人や家族が味わってもらいたい。そのようなケアを支援するためには、私たちの努力もかなり必要になりますし、専門的な実践力以外に人間力、俯瞰力など総合的な力も求められます。
また、死はずっと続く命の道のりの一部だと気づいたときに、新たな希望と視野が広がると感じます。以上の結果が得られづらい日本の緩和ケアの現実が、課題をあぶりだしています。
ゼネラリストであり、良き隣人と思える医師を見つけてほしい
みんなの介護 ご自身ががんを患っている方に向けて、メッセージをお願いします。
内藤 がんの人は、自分のがんのステージはどの辺にあるのかを冷静に考えて、自分にとって一番の選択をしてもらいたい。治療だけをギリギリまで進めても、それが本当にその方にとっての人生をパーフェクトにすることではない場合もあります。できれば、本当に良き隣人としてのお医者さんを見つけましょう。隣人はどのようなアドバイスをしてくれるだろうと考えると、スペシャリストも大切ですが、命の全体を診られるゼネラリストの医師が必要だと思います。そのような隣人が見つかると、その人の人生は安心感が増すでしょう。
私は、開業して30年以上経ちます。開業というのはおこがましいぐらい、自分の好きなことをしている小さな片隅の者です。患者さんは皆さん、お互いに良き隣人だと感じます。医者としての意見もありますが、その人たちの人生にとって何が大事かを語れる人生のアドバイザーという自覚はいつも持つようにしています。そして、知識だけでは救えないので、あたたかさや愛情、思いやりを大切にしています。
憎しみや悲しみ、絶望で人生を終えるのではなく、「良い人生だったな」とどこかで思っていただけるような締めくくりかできれば、生まれてきたかいがあると思います。命の瀬戸際では、何が一番大事なのかということが見えてきます。それが皆さんにとって、人生を歩んできた意味だと思うんです。
みんなの介護 最期まで一人ひとりが大切にされて、良い人生だったと思えるような、在宅緩和ケアの流れが広がっていったら良いですね。
内藤 そうですね。新型コロナの試練の時代は、私たちにつらいことも与えましたが、これはこうあるべきというような考え方が瓦解して、何が大事で、どうすればよいのかを考え直すチャンスを与えてくれたと思うんです。
そしてこの試練が緩やかに回復してきてからでは遅いので、今からリハビリを始めるのが良いと思います。外に出て、自然に触れたり、風に当たったり、鳥の声を聞いたりして、それがリハビリの第一歩になると思うんです。
また、金魚や植物など、命に責任持つということをしていただけると、回復のきっかけの一つになるかもしれません。そして少し落ち着いて、自由に動けるようになったら、一番会いたい人に会いに行きましょう。そのことをお約束してみんなでリハビリしましょうと言いたいです。空を眺めて、今日の雲を絵に書いて日記に残したり、星を見たりといった、小さな子どもの気持ちをもう1回思い出して、リハビリをしていきたいと思います。
撮影:中西裕人
内藤いづみ氏の著書 『4000人のいのちによりそった“看取りの医者”が教える 死ぬときに後悔しない生き方』(総合法令出版)は好評発売中!
自分がもうすぐ死ぬとしたら、誰と一緒にいて、何を伝えて、どこで過ごしますか。また、やり残したことはないですか。その答えは人それぞれですが、その願いを叶える人もいれば、残念ながら不本意な最後を迎える人もいます。死ぬときに後悔しないために、私たちは何を考えて、どう生きるべきなのか。在宅ホスピス医として、死に逝く人たちのいのちに寄り添い続ける著者が、21の「いのちのエピソード」を通して得たメッセージを伝えます。本書の主人公は、この世を去った人たち。そこに書かれているのは、「死に方」ではなく、「生き方」です。
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