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鴨下一郎「保険料を支払っているんだからサービスを受ける権利がある。その主張はその通りなんだけど、財政的に「ない袖はふれない」」

最終更新日時 2017/02/27

鴨下一郎「保険料を支払っているんだからサービスを受ける権利がある。その主張はその通りなんだけど、財政的に「ない袖はふれない」」

衆議院議員である鴨下一郎氏は1993年に初当選を果たし、以来、当選すること8回連続。環境大臣や厚生労働副大臣などを歴任してきた。医療や介護をテーマとしたニュース番組ではコメンテーターとして出演するなど、自由民主党の中では“社会保障政策のご意見番”的存在。そんな鴨下氏が「みんなの介護」のために社会保障制度への思いを語る。

文責/みんなの介護

社会保障全体の枠組みを考えていくことが我々政治家の仕事

みんなの介護 鴨下さんは第一次小泉内閣や福田改造内閣時に厚生労働副大臣を歴任されました。また、年金や介護をテーマとするニュース番組ではコメンテーターとして出演されるなど、日本の社会保障に関する事情を熟知されている方です。今日はご自身のご意見を伺わせてください。

鴨下 我が国の年金・医療・介護といった社会保障は、1950年代の高度経済成長期から現在までの50年間、全体としては非常にうまくいっていると思います。公的年金が国民皆年金として全面施行された1961年以後、今日まで運用されてきましたし、医療にしても、国民皆保険制度をもとに手厚い医療サービスを国民のみなさんへ提供してきました。

みんなの介護 医療保険が制度として始まったのは1961年ですね。一方、介護保険制度が開始されたのは2000年です。制度としては20年も経っていません。

鴨下 私が強く懸念しているのは、現役世代の人口が少なくなっている中で、支える側の負担が過重になる、ということです。これからの社会保障に一番重要なことは、サービスの充実ということはもちろん、同時に、支える側を支援するための社会保障をどのようにつくっていくか、ということでしょう。

みんなの介護 社会保障を支える側である現役世代の負担は、年金などの税負担が年々増えていっていることをとってみても、重くなるばかり…です。

鴨下 今、むしろ不十分なのは、育児などの子育て支援や、非正規社員として働く人たちに対するサポートであると、私は思っているんです。これらはまだまだ手薄ですからね。

会社員であれば毎月の給料から保険料が天引きされます。介護保険は40歳からの支払いとなっていますが、医療保険や年金はまったなしで給料から天引きされるわけです。可処分所得が減っている中で、住宅ローンや子どもの学費も払わなければなりません。そういう人たちはかなり負担が増えていて、限界が近いのではないかと思っています。

みんなの介護 現役世代の負担が増えていて限界が近い、という見方の一方で、今年の2月には総報酬割の導入が閣議決定されました。これによって大企業に勤める一部の現役世代の負担が増えると言われています。

鴨下 社会保障費というのは国費ベースで見ても大きいのです。どれくらい大きいかというと、歳出の3分の1が社会保障に充てられていることからもわかりますよね。国民に還元する「社会保障給付費」も120兆円になろうとしています。そういう意味でいうと、”持続可能な制度のために現役世代の負担を増やしましょう”“ある程度は給付費を抑制しましょう”と言っている人たちの考えもわからないではないです。

先ほどの、総報酬割についてはある程度の大企業を含めて、それなりの収入のある人が加入している健康保険組合などから、介護の費用としていくばくかプラスアルファで負担していただくという話です。

みんなの介護 平均所得よりも収入の高い人の負担が重くなっていくという意味では、ますます可処分所得が減っていってしまうのではないかと…。

鴨下 今回の変更はやむを得ないと思っています。しかし、これからますます介護保険料や医療保険料が増えていくのは明らかなので、社会保障全体の枠組みを考えていくことが我々政治家の仕事だともちろん自覚しています。

「賢人論。」第34回(前編)鴨下一郎さん「介護保険が始まった当初は「社会全体で高齢者の介護を支えましょう」という考えだった。その考えはまっとうすべき」

高齢者と若者が対立的になるというのは、議論の仕方としては不毛

みんなの介護 毎年、税金で補てんする社会保障給付費が増えているわけですが、高齢者が負担するのか、若者が負担するのか、といったような見方もあるようです。

鴨下 高齢者と若者が対立的になるというのは、議論の仕方としては不毛だと思っているんです。現役世代もいずれは歳をとっていき、支える側になります。国の政策としては支える側にも主体的に関わってもらわなければならないわけだし、“高齢者VS現役世代”のような対立を煽るような話をすべきではないでしょう。

みんなの介護 とはいえ、高齢者の人口なおかつ天引きされる保険料が増えていっている現状を見ると、介護保険の支払いが40歳以上になっているのを35歳、30歳、と引き下げられていくのではないかと不安視する声もあります。

鴨下 介護保険制度を設計するときに、被保険者を何歳にすべきか、といったことは議論はもちろんしています。65歳以上あるいは75歳以上の人の介護という意味において、主体的に介護される側のことをイメージできるのは親子の年代です。それを30歳、20歳まで下げると、孫と祖父母になる。孫の年代にまで介護保険の負担を負わせるのは酷だなと思います。介護のイメージもつきにくいでしょうし。

みんなの介護 例えば今20歳の人に“自分に介護が必要になったときにこの保険が役に立つから”と説得できるのかどうかは難しいでしょうね。

鴨下 もちろん、そういう問題はありました。もっと言うと、障害のある人たちの介護も入れて20歳まで引き下げるという議論もあったのです。

でも、高齢者の介護というのは40歳で支えきれるというのを限度にして、親子の世代間で助け合いましょう、と話がまとまったのです。この仕組みを維持するためには、高齢者間の累進課税を進めるといったような、お金を持っている人からはそれなりに多くいただくことが必要になってきます。けれども、そうではない人に対しては介護サービスを保障できるようにしなければいけません。

介護保険が始まった当時は世代間の支え合いと同時に、“家族の中でおこなわれてきた介護を社会化することによって、社会全体で高齢者の介護を支えましょう”という考えで始まったわけだから、それはまっとうすべきだと思います。

「賢人論。」第34回(前編)鴨下一郎さん「介護サービスを充実させるほど保険料が上がる仕組みの現状、従来の枠組みで解決しようとしても、いよいよ不可能に近いレベルになってきた」

介護が必要になってから受け取る年金は、介護に費やされるべき

みんなの介護 少子高齢化が進んだということもありますが、一世代間で支え合った結果、現在の介護保険料は平均で5000円を超えてきています。

鴨下 最初は2000円台だった介護保険料が、たった10数年で倍以上になってしまいました。介護サービスを充実させればさせるほど、保険料が上がっていく仕組みになっているのでね。従来の枠組みの中で解決しようと思っても、いよいよ不可能に近いレベルになってきました。現に、介護保険制度が生まれた当時の介護給付費は3兆円程度だったのが、たった15年で10兆円になってきたんですから。

みんなの介護 高齢世代の負担の見直しも進められています。例えば、今年の8月から70歳以上の方の医療費が見直されました。

鴨下 高額療養費制度の改正ですね。多少の資産や、現役並みの収入があった人はそれなりの負担をしていただこうという流れが今回できつつあるので、徐々に進めるべきだと私は思っています。

資産と所得のある人ももちろん介護保険料を払っているから、当然の権利としてサービスを受ける権利がある、と主張される。確かにその通りなんだけれども、財源の問題からすると、ない袖は振れないのです。ある程度、現役並みの収入がある人からは、それなりにいただくというようにせざるを得ないかなと思っているんです。

みんなの介護 これまで1割負担だった介護費用で言うと、2015年の夏から所得に応じて2割負担、3割負担へ変わりましたが、今後は4割、5割…とさらえに増えていくことも考えられるのでしょうか?

鴨下 さすがに4割になってしまうと、保険の意味がなくなってきてしまいますよ。

みんなの介護 保険の意味というと?

鴨下 介護保険って掛け捨てのような感じに受け取られがちですが、明日はどうなるかわからないから“保険”という意味があるんです。4割以上の負担になってしまうと、保険料を納めないで自費でサービスを買ったほうがいいという人たちも出てくるでしょう。3割が限度だと思いますね。

みんなの介護 今後は3割負担の対象者を増やしていく、ということになるのでしょうか。

鴨下 現実的な話でいくと、そうでしょうね。

みんなの介護 厚生労働省によれば、現状では3割負担の割合は65歳以上の人のうち3%、およそ12万人の人が該当します。2割負担に該当する人は45万人です。残りの約350万人が1割負担というのが現実です。

鴨下 ただね、年金の話で言うと、高度経済成長期に就職して終身雇用のもと40年以上、企業に勤め上げて、満額で厚生年金を受給する人たちが今後は増えていくわけです。

みんなの介護 満額と言うと、月額22万、23万くらいでしょうか?団塊の世代が75歳以上を迎える2025年には国民の3人に1人が65歳以上になる、と言われています。

鴨下 そうですね。“現役並みの所得”というのは、それくらいの金額をイメージしています。極端に言うと、介護が必要になって施設に入居した人は施設で生活することが生活の中心になるわけだから、年金の大半は介護サービス利用料に費やされるべきだと思うんです。

こういった負担のあり方というのは、これから先、大議論になるとは思いますが。でも、今話したように考えていかなければ、結局のところ“誰が負担をする?”ということになってしまいますから。

20年の間に高齢者のマインドが大きく変わった

みんなの介護 先ほど、介護保険制度が始まった当初に比べて大幅に増えてしまった介護給付費をふまえて、負担のあり方を見直さなければいけない、といったことを伺いました。

鴨下 介護保険制度が始まる前後からの20年間で、高齢者のライフスタイルも変わったんですよ。

みんなの介護 どのように変わったのでしょう?

鴨下 制度ができる前は特に、介護といえば主に女性が家庭内でおこなってきたわけです。今は、家庭内でできなければ施設介護になったり、一人暮らしの方が居宅サービスを使えるようになったりと、家族の助け合いというより、公的なサービスに依存することのほうが増えたわけ。

みんなの介護 制度が2000年に始まったときに理念として掲げられたのが“社会全体で高齢者を支え合う”ことでした。

鴨下 もちろん在宅介護と施設介護の双方にはメリット・デメリットはあるけれど、今言ったように高齢者の感覚も変わってきました。今までは息子夫婦ともっと仲良くしておかなきゃ、と思っていたのが、今は“そんな人たちとギクシャクして我慢するより、介護保険のお世話になって施設に入ったほうがいいや”と、みんな薄々考えるようになってきています。

みんなの介護 家庭内で完結していたはずの介護が、制度によって社会的なものに変わったのですね。

鴨下 そういった意味では、2000年以前の措置制度の介護サービスと、保険で自分の権利性が出たあとの高齢者のマインドが20年の間に大きく変わったと言えます。変わりゆく社会の中で“自分の終の棲み家は施設”と考える人も増えたのです。

当初3兆円だった給付費が10兆円にまで増えたのは、高齢者人口の絶対数が増えたということももちろん大きいですが、それと同時に、要するにリタイア後のライフスタイルが変わったのです。介護保険が増えていった原因はこういうことも一理あると思います。

「賢人論。」第34回(中編)鴨下一郎さん「高齢者の中には、健康で介護が必要じゃない人もいる。今後は、高齢者間でお互いが助け合う仕組みをつくらないと」

これからは同世代内での相互助け合いを広めていくべき

鴨下 リタイア後、健康で介護の必要がない高齢者も中にはいるわけです。私は、高齢者間でお互い助け合うのをもっと徹底したらどうかと思っています。

みんなの介護 世代間の助け合いだけでなく世代内で助け合っていく、と。

鴨下 そういうことです。同世代内での相互助け合いといった形です。なぜそう思うかというと、高齢者にも2種類の方がいるからです。それなりに年金の給付を受けていて、持ち家もあって、現役並み、さらに現役以上の生活を送っている人たち。あるいは、そうではなく低所得、低年金の生活を送っている人たちもいます。

みんなの介護 これまでは一律に1割負担だった時期もあったわけで、鴨下さんのおっしゃる、“高齢者間の助け合い”を理解していただくのはなかなか難しいことだと感じます。

鴨下 うん。だから、誰かが負担しないといけないんです。無理やり巻き上げるという話ではなくて、私的なサービスをご自分のお金で買ってもらうということ。今の時代、さまざまな人が当たり前のように介護サービスを同じ値段で受けるのが不可能というのは、認めざるを得ません。

最低限のサービスを買うのに負担をいくらにする、というのを法律で決める方法もあるけれど、その人が“個室に入りたい”というならば、自主的に個室料金はプラスアルファでご自分の年金の中から払っていただく、という形にしていくべきなのです。

みんなの介護 確かに、その人の希望に応じて支払っていただくのが理想的かもしれませんね。

「賢人論。」第34回(中編)鴨下一郎さん「何から何まで手を差し伸べて全部お世話をするのでは、その人自身のためにはならない。最低の保証ラインを決めて、プラスアルファの部分は個人で負担してもらうしかない」

応能負担というのをより鮮明にしていく

鴨下 ある程度いろいろなメニューをつくっていくのです。例えば、個室ユニットだとかのサービスはそれなりの受益者負担というか、応能負担にして、施設側の経費を補てんするようなことをメニューとして提示するのです。それに対して余裕のある人がスペースを専有したいと思えば、それなりの負担を自分の選択で買っていただくのです。

みんなの介護 最近では、東京都豊島区のように、公的なサービス以外のものを増やしていく動きが見られます。

鴨下 もともと介護保険には、制度的にも混合介護的なものが入っています。自分はもう少しアメニティを買いたいっていうときにそういうメニューがないというのは困るでしょう。

さりとて、そんなことを言っても“負担能力がないんだからサービスをきちんとしてよね”という人に対して、どこまでアメニティを提供するかというのは考えなければなりませんが。

みんなの介護 あらかじめ周知を徹底しておかなければ、“今まで払い込んできたのに、これしか受けられないのか”という制度に対する理解のギャップが生じてしまいそうです。財政や予算といった問題から語られることは多いですが、そもそも介護保険には「自立支援」の理念を含むことにも言及するべきでは。

鴨下 何から何まで手を差し伸べて全部お世話をするのでは、その人自身のためにはならないでしょう。自治体が地域住民の生活のために保障する最低基準を決めて、それは絶対に国が守る。それ以外のプラスアルファの部分については工夫をして、負担をしていただくしかありません。

食事で言うと、ごはんとみそ汁、おかず1品は全員にサービスをする、と決める。トッピングは自分の財布と相談して、買いたい人には買える、もしくは買わなくてもお腹はそれなりにいっぱいになる、というような応能負担の仕組みをより鮮明にしていくということなのかなと思っています。

私はむしろ、社会的な老老介護を普及させていくべきだと思う

みんなの介護 高齢者自身も応能負担をしていただく、といったサービスの受け手としてのご意見を伺いました。ここからは、介護をする側に視点を変えて、お話を伺わせてください。

鴨下 私自身は、元気なお年寄りたちに介護の現場に参入してもらって、介護が必要になったときに、それまで貢献した分を還元してもらう、いわゆる老老介護を推進していきたいと思っているんです。

みんなの介護 老老介護に対しては否定的にとらえる意見もありますが、積極的にやっていくべきであると。

鴨下 むしろ、社会的な老老介護を普及させていくべきだと思う。元気な方たちの再就職先として介護現場で働いてもらうのです。

ボランティアのような形で週に一度働いてもらうということもあるし、パートとして週に2、3回、午前中に働いてもらうとか、その人の体力だとかライフスタイルに合わせて介護施設で働いてもらってもいい。成功している自治体だっていくつかありますし。

みんなの介護 そういう取り組みが全国的に広がっていくといいですよね。受け入れ先の施設は、民間の老人ホームや特養でしょうか?

鴨下 どちらも取り入れることは可能でしょうが、介護福祉士の資格を持っている人たちでなければなかなか難しい部分はあるかもしれません。でも、民間の高齢者施設であれば、資格の有無にかかわらず意欲があれば働くことは可能でしょう。

みんなの介護 シルバー人材センターの活用など、資格の有無にかかわらず仕事に就いてもらう方法はいくらでもありそうですね。現場の仕事が分担されれば、介護職の方が専門的な仕事に専念できる時間も増えそうです。

鴨下 例えば週に1日働いたら10ポイントをつけて、 “地域通貨”や街だけで使える商品券などでバックして、貯めておく。自分に介護が必要になったときは貯金として下ろせば、自分の直接的な負担を軽減できるでしょう。

みんなの介護 同じ地域に住む高齢者たち同士で支え合う。まさに、中編でおっしゃっていた同世代間の助け合いですね。

鴨下 そういうことです。高齢者の中でも元気な人はいますから。極端な例で言えば、80歳の人が70歳の人の介護をしたっていいわけです。でも、無理やり強制的にさせるのではダメ。家庭の中で奥さんが配偶者の世話をするというような、ある意味、義務的にするのではなくて、自分の都合のいいときにやってもらう。

いわば、会社を退職した人たちがもう一回再就職するようなもので、自分の体力に応じて介護にかかわってもらうんです。

「賢人論。」第34回(後編)鴨下一郎さん「もし外国人介護士を受け入れるとしても、日本人と同じ待遇にするべき。そうしないと、日本人の給料の「下げ圧力」になりかねない」

外国からの労働者を安く使うことになると日本人の介護従事者の給料の下げ圧力になる可能性もある

鴨下 高齢者の方に介護してもらうのは、介護される側としてもいいんですよ。若い人と高齢者だと共通言語もなくて、お互いにわかり合うのが難しい場合もあります。年代が近ければ生きてきた時代も一緒だから、流行った曲や事件といった共有できる話題があると話しやすいでしょう。介護される側もホッとする面はあると思う。

みんなの介護 介護現場で働く人が増えれば、人材不足についても解消されるでしょうか。人手が足りていないことは随分前から問題になっていますが、介護福祉士の資格を持った外国人の方に現場へ入ってもらう動きも出てきています。

鴨下 介護に限らず、すべての産業に人手が足りないというのは事実です。なにせ若者が減っているわけですからね。限定的に外国の技能実習生を入れるというのはやむを得ない選択とは思っています。

でも例えば、外国からの労働者を安く雇用するということになると、話は違ってきます。なぜなら、日本人の介護従事者の給料の“下げ圧力”になる可能性もあるからです。もし外国人の方に入ってもらうのであれば、日本人と同じ待遇にしなければいけません。積極的に入れることに対して私は賛成ではないけれどね。

みんなの介護 なぜそう思われるのでしょう?

鴨下 ヨーロッパにおける移民・難民受け入れの問題の結末は、イギリスのEU離脱などへつながっています。日本も人が足りていないからといって「ただちに入れて」という話になれば、今度は別のところで社会的な軋轢を生む可能性が出てくるでしょう。

みんなの介護 現役世代で介護職に就く人たちが今以上に減ってしまうことも危惧されています。介護職員の離職の理由のひとつには給料の面があるようです。

鴨下 職員の方の待遇改善をすべて介護保険に、つまり税金に依存すれば給料は上がりませんよ。だって、現役世代が負担しているだけのお金しかないんだから。もちろん、高齢者も負担しているけれど。

年金受給者の高齢者だって、国民年金で月4、5万円しか受給していない人は、介護保険は減免があるとはいえ、天引きされるんだから、手取りは減るわけ。そういう仕組みの中でしか介護保険は支えられない、という事実を多くの人がもっと認識すべきだと思います。

「賢人論。」第34回(後編)鴨下一郎さん「日本の介護保険制度は税金でしか成り立っていない。その事情を考えれば、介護職員が満足するだけの給料を出すのは不可能に近い」

施設が潤ったとしたら、職員の待遇だとか、そういう中で自己簡潔的に、儲けたお金を使ってもらえるようにする

鴨下 税金でしか成り立っていない今の事情から、もはや介護職員の人が満足するだけの給料を出すことは不可能に近いのです。働いている職員や介護をライフワークとして働いている人たちが、きちんと生活を全うできるようにするためには、“プラスアルファのサービス”を受けた負担能力のある高齢者に出していただく。それを、介護施設の運営や職員の給料などに回していくことが必要だと思います。

負担能力のある人に負担していただいたお金は、介護保険から寄付していただいたお金ではないから、ほぼ100パーセント、施設に入るようにすべきです。それで施設が潤ったとしたら、儲けた分だけ職員の待遇に使ってもらえるようにする。すべて介護保険に依存するんじゃなくて、より受益者が負担してくれたものも、運営に使えるようになっていけば、多少経営に対して自由度が出てくるでしょう。

中編でも話したように、自分の年金から望むサービス利用料を出してもらって、介護保険にプラスされた分は職員の方の給料にまわしてもらうのです。

みんなの介護 なおかつ、定年を迎えた方たちに活躍してもらって、世代内の助け合いを進めていくのですね。

鴨下 そういうことです。フルタイムで働く人だけではなくて、いろんな人たちが支え合って介護業界を支えていく。そういうふうにすれば、外国人の労働力に全面的に依存しなくとも、知恵の出し方はあるなと思っています。

高齢者の場合、生きがいだとか“半ばやらなければならない”と思う、ある種の緩やかな義務感がなければ気持ちのハリもなくなってきます。朝、目覚ましをかけないで寝坊したり、こたつに入って昼過ぎまでダラダラ過ごしたりすると、体力も落ちてしまう。他人の役に立っていたり、社会の中に参画したりする機会を主体的に作らないと、健康が損なわれていきます。

それに男性、女性に関わらず、積極的に社会に参画している人とそういう機会がない人は、老後に“生きがい”を持っていけるかどうかの差がついてきます。その、地域社会に参画する中のひとつに、介護の支え手になるという選択肢を入れていただきたいと思います。自分に介護が必要になる前に、介護される側のイメージもわきますから。

撮影:小林浩一

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森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07