いいね!を押すと最新の介護ニュースを毎日お届け

施設数No.1老人ホーム検索サイト

入居相談センター(無料)9:00〜19:00年中無休
0120-370-915

秋山弘子「日本は幸福な長寿社会モデルの先駆けになれる」

最終更新日時 2021/10/25

秋山弘子「日本は幸福な長寿社会モデルの先駆けになれる」

日本が高齢化に突入したのは1970年代から。その頃はまだ高齢化問題は日本の大学においては研究・教育の対象ではなかった。しかし、東京大学名誉教授である秋山弘子氏は当時から問題意識を持っていた。そしてジェロントロジー(老年学)が芽生えていたアメリカに渡り、1978年にイリノイ大学でPh.D(心理学)を取得。米国国立老化研究所研究員、ミシガン大学社会科学研究所教授などを経て、1997年より東京大学大学院で教鞭をとる。長年高齢化の問題と向き合ってきた秋山氏は、超高齢社会にある日本で今何が必要だと考えているのか。お話を伺った。

文責/みんなの介護

人生100年時代、個人・社会・産業界それぞれの変革を

みんなの介護 ジェロントロジー(老年学)を専門にされたきっかけをお聞かせください。

秋山 幼い頃から高齢の方と接することが多かったのです。そのため高齢者の日々の生活における喜びや悩みに関心がありました。私が育った家は祖父母が隠居して離れに住んでいました。そこにご近所さんや親戚のお年寄りが来ていろいろなことを話していました。

私は初孫だったのでとてもかわいがられて育ち、祖父母がいる離れで1日過ごすことも多くありました。高齢者の喜び・不安・寂しさなどを身近に感じる環境で育ったのです。

その後、1970年代の初頭にアメリカの大学院に留学して30年近くアメリカで過ごしました。私が留学したのは日本の高齢化率が7%になり高齢化社会に突入していくタイミングでした。有吉佐和子さんの『恍惚の人』という本がベストセラーになった頃です。

認知症になったお舅さんのために介護離職をした中年女性の話が克明に書かれています。この本で高齢社会の課題を多くの人が意識するようになりました。

私は心理学を勉強していたのですが、当時の発達心理学の対象年齢は20歳ぐらいで止まっていてその後はありませんでした。身体の老化や成人病(のちに生活習慣病と改名)の研究が始まっていた医学の分野以外では高齢者研究はあまり注目されていなかったのです。

このような時代に私はアメリカに留学しました。そしてジェロントジーというアメリカにおいても萌芽期の学問があることを知って専門にする道を選びました。高齢者は急速に増えるのに、高齢化問題を研究・教育する大学は日本になかったからです。

みんなの介護 秋山さんは超高齢社会の課題はどこにあるとお考えですか?

秋山 私は常々、高齢社会の課題は大きく分けて3つあると申しています。「個人の課題」と「社会の課題」と「産業界の課題」です。

長寿時代に生きる個人の課題は、お決まりの人生コースに沿って生きるのではなく、100年の人生を自ら設計して舵取りをしながら生きる新しい生き方に切り替えていくことです。社会の課題は人生100年時代のニーズに対応すること。社会の仕組みを見直していくことが必要です。

今私たちが生きているまちは人生50年・60年と言われた時代にできたものです。この頃は子どもたちが多く、高齢者は5%ぐらいしかいませんでした。そのため住宅・交通機関・教育・雇用・医療・介護などソフトとハードのインフラを長寿社会のニーズに合うように整えることが求められています。

産業界の課題は、人生100年時代の生き方や社会に合わせたモノやサービスをつくることです。個人や行政がいくら新しい生き方やまちづくりを考えても、それに必要なモノやサービスやシステムがなくては実現できません。

日本はほかの国に先駆けて長寿社会の課題に直面します。急速に高齢化したため課題は山積していますが、モデルがありません。

しかしこれを逆手に取ることもできます。長寿社会に対応する新しい産業を、日本の基幹産業の一つに育て上げていくのです。今や地球丸ごと高齢化しており、大きな市場があります。

長寿社会の課題解決には「産官学民」の共創が必須

みんなの介護 学問の垣根を越えて研究を進められているからこそ、可能になることもありそうですね。

秋山 超高齢社会の問題はさまざまな学問が連携しなければ解決不可能です。また学問だけではなく、行政や産業界とも力を合わせて向かい合う必要があります。超高齢社会では医療・介護の問題だけでなく移動手段・雇用制度・お金の問題など複雑で多様な問題が山積しています。

従来の細分化された学問分野で論文を書くだけでは、人々の生活は豊かになりません。幸せにもならないです。課題解決のためには、学際的に連携していくことが必須です。アメリカのジェロントロジー研究所も学際的な組織として運営されています。

みんなの介護 研究結果が実際に社会で生かされることが大切なのですね。

秋山 そうですね。私が今関わっている東京大学の高齢社会総合研究機構でもアクションリサーチを大切にしています。アクションリサーチは、現場に行って住民や行政、産業界と一緒になり課題を解決していく取り組みです。

私は長い間調査研究を行い、「高齢社会の課題は何か」を見つけることに専念してきました。

典型的なものは1987年にアメリカの大学にいたときに始めた、パネル調査と言われる全国の高齢者調査です。

これは同じ人(約6,000名)を3年ごとに追跡して行う調査です。個人が年をとるに従って、その人の健康・経済・人間関係がどのように変化していくかを追跡しています。これにより、超高齢社会の実態と課題を捉えることができます。30年間続けており今年は10回目の調査になります。

しかし、実際に問題を解決するために大学はもっと貢献していかなければいけないと強く感じました。そして15年ほど前に高齢社会総合研究機構の設立に携わったという経緯があります。

そこで取り組んだのがアクションリサーチです。東大は多くの学問分野が集積する総合大学なので、さまざまな分野の教員が連携して取り組んでいます。

人生100年時代に合った社会へつくり変えよう

高齢者がいくつになっても無理なく働ける環境づくりを

みんなの介護 長寿社会になったことで、秋山さん自身変化の必要性を強く感じていることは何ですか?

秋山 私が特に力を入れてきたのは「働く」ということです。働くことに関して言えば、私の父の時代は定年が55歳でした。現在は65歳定年への移行が進んでいます。今年の4月から、70歳まで就業機会の確保が努力規定として企業に課せられました。

私たちは長生きするだけでなく、元気で長生きするようになりました。老化の簡便な指標として国際的に認められている「歩くスピード」もかつてに比べてとても早くなりました。握力もそうです。認知能力が低下し始める年齢も遅くなっているデータがあります。

高齢者が受けてきた教育年数も増加しました。前世代の高齢者に比べて健康で教育も受けている今日の高齢者には「できれば現役でありたい」と願っている人たちが多くいます。

しかし「あなたは定年だからもう終わった人」というふうに扱われています。このような日本の雇用制度は変えていかなければいけません。

人生の後半戦はマラソンの後半戦と同じで、ばらつきが大きいです。体力も自由になる時間も違います。24時間全部自分の時間という人もいる一方で、介護やお孫さんのお世話で時間の制約がある人もいます。経済状態もライフスタイルもさまざまです。

みんなが無理のない範囲で働いて、社会を支えていくことが大切です。まして、生産年齢である若い世代の人口が急速に減っています。

財務省の「高齢者1人を現役世代何人で支えるか」を示した表を参考にしていただくとよくわかります。胴上げ状態だったものが騎馬戦となり、このままいくと肩車になります。下手すると上の方が重い重量挙げのようになるでしょう。

幸いなことに日本の高齢者には「上にいて誰かに支えられるのではなく、下で人を支える側でありたい、現役でありたい」と願っている人が多いのです。

働き手としての高齢者は多様です。いろいろな働き方ができるようにすることが大切です。みんなが無理のない範囲で働ける柔軟な雇用制度に切り替えていくことです。ちょうどコロナ禍でテレワークが一般的になり、働き方の変化を後押ししました。

みんなの介護 ほかにはどんな課題があげられますか?

秋山 移動手段は大きな課題です。日本の高度経済成長期に、多くの団塊の世代の方たちが地方から仕事のある大都市に出て来られました。そして住まわれたところが、かつてニュータウンと呼ばれた丘陵地にあるベッドタウンです。ベッドタウンは車があることを前提にしてつくられました。

団塊世代が75歳に到達しようとしています。車の運転が難しい人が増えてきています。買い物難民、医療難民と言われるように、移動手段が非常に大きな問題になっています。

ただ単に、良い移動手段が開発されれば解決するという話ではありません。情報システムの面から、遠くまで行かなくてもいろいろなことができる環境を整えることは可能です。例えば仕事は職場まで通わなくてもテレワークでできる時代になりました。市役所の手続きもデジタル化しています。そのような情報システムの活用がもっと行われていく必要があるでしょう。

デジタル化では高齢者のITリテラシーが一つのハードルになっています。誰もが使いやすいデバイスを開発するとともに、高齢者自身もITを積極的に学んでいく仕組みが必要です。

高齢者のIT活用で一番大切なのは「互いに教え合う」こと

みんなの介護 「高齢者の方がデジタルに慣れる仕組みづくり」は超高齢社会のテーマですね。

秋山 それについては、高齢者同士がお互いに教え合うのが良い方法だと感じています。これは「鎌倉リビングラボ」というオープンイノベーションのプラットフォームの実験で感じたことです。ここで「ITを学びやすくするためにどういう方法が一番良いか」を高齢者自身に考えてもらいました。「お互いに教え合う」というのは、住民の方たちから出た意見です。

高齢者がデジタルに親しむために、総務省もいろいろなことをしてこられました。例えば携帯ショップや行政のパソコン教室、お孫さんに聞くなど、いろいろな方法がありました。しかし、なかなかうまくいかない。家族には「この前言ったじゃない」とうるさがられるから、聞きづらいという現状があります。

そこにあって「互いに教え合う」というのは、それぞれの状況に合わせてできることです。スマホの使い方をよく知っている人は、それをほかの人に教えます。少し知っている人は、わからないことは知っている人に聞きます。自分が知っていることは周りの人に教えてあげます。これを日常生活の場で行います。例えば、ラジオ体操・サークル活動・イベントなどで会ったときに教え合うのです。

「スマホ教室」では「カリキュラムがきっちり決まっているから、すでに知っていることやいらないことが沢山あるけど、本当に知りたいことは教えてくれないんだよね」という声がありました。ですので「日常生活の中で会ったときに、その日わからなかったことをちょっと訊く」というのは、一番高齢者の方のニーズに合うのかもしれません。

北欧では今8割ぐらいの高齢者がICTを使えますが、お互いに教え合う方式をとっているそうです。私たちは「鎌倉リビングラボ」の住民の声から考えたので、ヨーロッパのやり方を真似たわけではありません。しかし、図らずも同じ方法が高齢者の方々に受け入れられています。やり方が確立したら、マニュアルをつくってほかの地域でも使えるようにしたいと思っています。

現代は祖父母の頃には考えられない自由さが与えられている

みんなの介護 秋山さんは「人生100年時代のライフデザインが大切だ」と企業や医療機関のインタビューなどで語られていますね。

秋山 はい。日本は「人生50年」と言われた時代が非常に長く続きました。織田信長も桶狭間の決戦の前に、幸若舞「敦盛(あつもり)」の一節で「人生50年」と吟じています。第二次世界大戦が終わったとき、日本の平均寿命はまだ60歳には到達していませんでした。数百年にわたって人生50年時代が続いてきました。そして20世紀後半に急速に寿命が延びて、今や人生100年と言われる時代になりました。

人生50年時代と人生100年時代の生き方はおのずと違うはずです。ところが私たちの多くは、人生100年時代になっても人生50年時代の生き方を続けています。

私が若い頃はまさに人生50年の感覚で生きていました。男性と女性の人生コースは決まっていて画一的でした。女性は25歳までに結婚する。そして子どもを何人か産み育てて家事に従事する。それが女性の人生コースでした。

また当時の男性は、学業を終えたら就職して定年まで勤め上げる。それが良しとされてきました。

当時は、30歳になっても結婚していない、結婚して3年経っても子どもがいない、就職しても3年で転職する、となると、本人に欠陥があるとみなされていました。どうにかして画一的な人生コースに押し戻そうという圧力が、社会から強くかかっていました。今は人生が倍になったと同時に、生き方が自由になりました。

100年の人生を自ら設計して、舵取りをしながら生きていく時代になってきています。結婚・出産をいつするか、またはしないか。また転職も究極的には本人の選択の問題と考えられるようになりました。

100年あれば多様なライフデザインができます。例えば、定年後にこれまでとはまったく異なるキャリアに切り替える二毛作人生も十分可能です。

今は副業も増えました。学生の話を聞いていると「副業を認める企業に就職したい」と思っている人が多いです。同時に2つのキャリアを持つことも、本人の人生設計次第です。

人生100年時代は、私たちの祖父母の時代には想像もできなかった自由が与えられたのです。これは長寿社会の新たな可能性です。それをいかにして享受していくかは、私たち一人ひとりの人生設計にかかっています。

みんなの介護 レールが決まっていた人生から、選択肢が広がったことで、逆に悩んでいる人もいますね。

秋山 私は、初等教育で「人生100年のライフデザインの描き方」を教えるのが良いと思っています。私の年齢になってからではデザインできる人生は短いです。しかし今の小学生や中学生は、まさに100年の人生をフルにデザインできます。

初等教育において「あなたは100年の人生をどんなふうに生きるか」考える機会を与えてみると良いと思います。多様な生き方を学べる教育は、これからますます必要になるでしょう。

「働く高齢者が多い地域は医療費が少ない」というデータ

みんなの介護 年齢を重ねても元気でい続けるために大切なことは何ですか?

秋山 私は、無理のない範囲で働き続けることが健康長寿の特効薬だと思っています。もちろん賃金をもらって働くことは良いことです。しかしそれだけではなく、社会につながって役割を持って生きること。小さいことでも良いから「ありがとう」と言われるような社会との接点を持っていること。それが心と体の健康にとって、とても大切です。

私が講演をするときによくご紹介している図があります。高齢者の就労率と個人当たりの医療費の相関を見た県別の図です。これには、ゆるやかな相関関係があります。

例えば長野県は働いている高齢者が最も多く、個人当たりの医療費は全国で一番低いのです。反対に高齢者の就労率が低い県もあります。そこでは一人当たりの高齢者の医療費が高額です。因果関係はわかりませんが、働くことと健康であることは関係があるのです。

みんなの介護 「必要とされている」と感じることや、孤独の解消という面からも高齢者の力になりそうですね。

秋山 そうですね。人間は社会的な動物なので、人とのつながりはとても重要だと思います。

無理なく働き続けることが健康長寿の特効薬

多様性に対応し、全員が生涯参加できる社会づくりが大切

みんなの介護 高齢者の働き場をつくるため、雇用する企業の側にできることはありますか?

秋山 まず働く人のコンセプトを変えること。そして、それに従って雇用制度やマネジメントを変えていく必要があります。

日本企業ではこれまで、元気いっぱいで「会社のためには、いつでも、どこでも、何でもやります」という労働者を求めてきました。子育てや介護で時間に制限がある人は排除されていました。年をとって少し体力が衰えた人や障がい者も排除されてきました。

しかし、これまではじき出されていた人たちも含めた働き方を考えること。みんなが無理のない形で働いて、社会を支えるシステムをつくる必要があります。長寿社会に合わせて企業は変わらなくてはなりません。

それと同時に、多様な人たちが実際に働ける環境づくりも大切です。すでに生産工場での重労働はロボットにシフトしています。また一次産業や運輸、介護産業などの分野においても軽労化技術の導入が見られます。今後は更にAI(人口知能)やVR(仮想現実)などの技術革新によって、より安全で生産性高く働ける環境を実現できるでしょう。

また、視覚や聴覚などの障がいを補完して就労を可能にするテクノロジーが次々開発されています。そういうものをフルに使ってみんなが無理のない形で働く。全員参加で生涯参加社会を目指すべきだと思います。

「90歳になっても自立して生活できるように」と若い頃から考える

みんなの介護 幸せな老後を生きるために「若いうちからこんな準備が必要だ」と言えることがあれば教えてください。

秋山 私が大学を定年になる前「余生をいかに豊かに生きるか」というテーマの研修を受けました。そこで重要視されていたことの1つは健康です。2つ目はお金です。90歳になってもお金の心配をしなくても良いように準備する必要があります。3つ目は人とのつながりです。

いずれも65歳になって慌てて考え始めるのでは遅いです。人生50年時代は適当な食事をしていても体は持ちました。しかし100年となるとそうはいきません。「90歳になっても自分の足ですたすた歩いて、身の回りのことは自分でできるようでありたい」と皆が願っています。そのために早くから体をつくっておく必要があります。

骨密度や筋肉量は年とともに減少します。若いときに痩せることばかり考えて無理なダイエットをすると、70代半ばあたりから歩行が困難になってきます。

それから人との付き合いもメンテナンスが必要です。家族や友人の付き合いは、自然に続くものではありません。友達が転居したり家族を亡くしたりして入れ替わります。そのようなとき新しい友人をつくったり、ライフステージに沿って付き合い方を調整することも大事です。これは結構な努力が要ります。

人生100年を見据えて、健康・お金・人とのつながりに関して若いときから計画的に努力することが大切です。

何もすることがなく、虚ろに過ごす高齢者をつくらない

みんなの介護 東京大学の高齢社会総合研究機構ではどんな取り組みをされているのでしょうか。

秋山 私たちは大学を挙げて町のリデザインに取り組んでいます。典型的なベッドタウンである千葉県の柏市で行っています。

今ある「町」は人生50年時代の人口がピラミッド型をしていたときにできました。長寿社会のニーズに対応した町につくり変えていく必要があります。そこで、千葉県の柏市でいろいろな社会実験プロジェクトを同時並行で立ち上げて動かしています。

私は「セカンドライフの就労事業」を担当してきました。千葉県の柏市は典型的なベッドタウンで、リタイアされた方が帰って来て住まれています。大多数の人たちは元気ですが、「行くところがない、することがない、話す人がない」と言う人が大勢います。そういった方々の多くは、他人とほとんど話すこともなく家でテレビを見て過ごされています。

その方たちに役割を持って活躍していただきい。そのために、地域に仕事場をなるべく多くつくると同時に、セカンドライフの新しい働き方も模索してきました。

数十年にわたって「満員電車に乗って東京に行き、夜遅く帰ってくる」のが、その方たちの働き方でしたが、定年後は近場で働きたいという希望は多く、徒歩や自転車で行けるところで働ける場所をつくるようにしました。家庭の事情や体力に合わせて働ける時間だけ働くシステムも取り入れています。

一人に負担の重い仕事を与えないようにもしています。5人でチームをつくって2人分の仕事をワークシェアリングしています。また、異なる能力をもった3人でひとつの仕事を引き受ける「モザイク就労」にもチャレンジしています。異なるスキルや経験を持った人たちが力を合わせて、超能力を持った一人の労働者を合成します。

このようにして、セカンドライフの新しい働き方を開発しています。その実験結果を一つの参考として、厚生労働省に政策提案しました。一つの町で社会実験を行い、エビデンスをつくったうえで国に提案して政策につなげていくのです。この取り組みは「生涯現役進地域連携事業」という国の新たな事業に繋がり、全国で展開しつつあります。

その他の主要プロジェクトには、飯島勝矢教授が中心になって牽引されている「フレイル予防」、辻哲夫先生が精力的に取り組まれている「エイジング・イン・プレイス」プロジェクトがあります。後者は「弱っても安心して快適に暮らせるまち」という地域包括ケアのシステムです。医療や介護サービスだけではなく、生活支援まで含めて取り組んでいるのが特徴です。

みんなの介護 「生涯現役進地域連携事業」が推進されると地域がどんなふうに変わるのか、楽しみですね。

秋山 そうですね。高齢になっても無理のない範囲で働いて皆で支えていく社会を実現したいです。年をとっても社会や地元とつながり、役割を持って生きられる仕組みづくりが大切です。それは個人の体と心の健康(ウェルビーイング)にとって、とても大きなことです。

いわゆる「お荷物」と思われているような高齢者が、社会の支え手に変わっていく。それは、社会にとっても大きな力になります。究極的には医療や介護費の抑制にもつながるでしょう。

DXは高齢者や障がい者の働き方も変える

みんなの介護 秋山さんは新聞のインタビューなどでも「長寿社会はイノベーションの宝庫」と語られていますね。

秋山 山積している超高齢社会の課題は、まさにイノベーションの宝庫だと言えます。医療や教育だけではなく、ほぼすべての産業に言えることですね。

今DX(デジタルトランスフォーメーション)ということが言われています。人生100年時代の高齢者の生き方に、極めて大きなインパクトを持つのではないでしょうか。

AIとロボットの活用によっても働き方が随分変わることが予想されます。高齢者だけではなく若い人も同じです。AIやICTの活用によって、いつでもどこでも働けるようになるでしょう。自由なライフデザインが可能になります。

新たな移動手段の開発も重要です。高齢者・障がい者も含めて誰もが行きたいところに行けるようにすること。それは超高齢社会という側面からもニーズがあります。マーケットは非常に大きいでしょう。

みんなの介護 「誰でも行きたいところに行ける移動手段」というのは、ワクワクしますね。例えばどんなモデルがありますか?

秋山 一つは、自動運転がレベル5になって安全に実用化されることです。今、世界中で実験が進められていますね。また「グリーンスローモビリティ」の開発も進んでいます。ゴルフカートのような簡単な乗り物で、町の中を行き来できる仕組みです。

グリーンスローモビリティは、輪島のほかいろいろな地域で実験が進められています。人口減ということもあり、公共の交通機関を廃止する自治体が増加しています。医療機関や買い物に行けない「難民」と言われている人たちが出てきています。

車の自動運転が5段階に行くまではまだ時間がかかりそうです。まずは簡単なモビリティで高齢者が移動できる仕組みの実働が待たれています。そのためには技術的なイノベーションだけでなく、社会の仕組みのイノベーションが必要です。

定年はセカンドライフのスタートライン

セカンドライフではずっと叶えたかった夢に挑戦しよう

みんなの介護 今後秋山さんが力を入れていきたいものは何でしょうか。

秋山 70代半ばになった3年前に「セカンドキャリアを始めよう」と思って農業を始めました。

異業種の仲間と4人で「サミーズファーム」という株式会社を設立して、埼玉県に1,800坪ぐらいの休耕地を借りました。その4人の中で農業の経験がある人は誰もいませんが、各自が異なるスキルやネットワークをもっています。モザイク就労で行っています。

私は柏市の社会実験で「セカンドライフは、今までやったことがないことにチャレンジしてみよう」と言ってきました。また「全員参加の生涯現役」「人生二毛作」とも言っています。しかし、私自身、70歳を超えても大学教員という一毛作でした。それで経験のない農業を始めました。農業とはまったく縁がない家に育ちましたが、若い頃から憧れていました。初めはカラスや鹿に荒らされたり、雑草に悩まされました。しかし対策をしたことで、収穫量は年々増えています。

以前は、定年退職すると「人生終わり、あとは余生」と考える人が多くいました。しかし団塊世代あたりから「定年はセカンドライフのスタートライン」だと考える人が増えてきています。

日本には休耕地がたくさんあります。しかも都心に住んでいる人たちは、新鮮で安全な国産の野菜が食べたいと思っています。休耕地を活用して高齢者が働ける場所をつくり、都会に住む人々に新鮮な野菜を供給するシステムをつくりたいと思っています。

貢献寿命を延ばすことが幸福な超高齢社会の鍵になる

みんなの介護 これからの時代を切り拓いていく若い方に向けて、メッセージをお願いします。

秋山 長寿社会の山積する課題解決を担っていくのは若い人たちです。長寿社会の新たな可能性を享受するのも若い世代です。自由に人生をデザインして生きていく時代になりました。長寿社会の課題に自分ごととして取り組んでいってほしいと思っています。

みんなの介護 ほかに「みんなの介護」の読者に伝えたいことはありますか?

秋山 古来、長寿は人類の夢でした。20世紀後半に日本の平均寿命は80歳を超え、長寿は達成できたと感じるようになりました。

しかし、寝たきりの高齢者や定年退職後「何をしたら良いかわからず無為に生きている」方が目につくようになり、「粗大ゴミ」とか「濡れ落ち葉」という言葉が流行語になりました。そして、ただ長く生きるだけではなく、健康で生きる健康寿命の推進が叫ばれるようになりました。

いまだ平均寿命と健康寿命にはギャップがあり、それを埋めることは重要です。しかし次のステップとして目指すべきものがあると感じています。それは貢献寿命です。

ただ元気で生きるだけではなく、社会とつながり役割を持って生きること。そして小さいことでも良いから「ありがとう」と言われるような生き方ができること。その貢献寿命をどこまで伸ばすことができるか。それが「長寿社会のフロントランナー」としての日本が次に目指すべきゴールだと思います。

撮影:丸山剛史

東京大学高齢社会総合研究機構の著書 『東大がつくった高齢社会の教科書』(東京大学出版会)は好評発売中!

「高齢化最先進国」である日本。この人生100年時代に人生設計をどうするか、社会システムの構築をいかに行うか。健康、就労、お金、介護、年金、テクノロジー、まちづくり…高齢化に関わる基礎知識を学び、安心で活力ある未来をめざすための一冊。ビジネス、行政、NPO、大学、そしてあらゆる個人に必携。「高齢社会検定」公式テキスト。

関連記事
医師・医療ジャーナリスト森田豊氏「認知症になった母への懺悔 医師である僕が後悔する『あの日』のこと」
医師・医療ジャーナリスト森田豊氏「認知症になった母への懺悔 医師である僕が後悔する『あの日』のこと」

森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07