撮影当時の関口監督の心境は?

私がカメラを持つことによって<見張られていない>ように見えると思った

私たちが住む地域の町内会の家庭ゴミの日は、火曜日と土曜日の週2回です。数ヵ月に1回まわってくるゴミ当番は、母にとってとても大事な2日間です。

ゴミの上にかける、そこそこ重いカラス避けネットを前の晩か早朝に出し、ゴミが回収されたらネットを片づけ、掃除をして、次のゴミ当番のお宅へ置きにいく。

動画のキャプチャー1

母は、与えられた仕事を一生懸命にやるタイプです。こういうところに母のマジメな性格が出ますよね!私は、そんな母のゴミ当番を見守るためには、カメラが必要だと考えました。

つまり、私がカメラを持つことによって母は私に<見守られていない>、母の視点からもっと言えば<見張られていない>ように見えると思ったからです。

まさしく、カメラが映画のための小道具(プロップ)になった瞬間ですね!

そのとき関口監督がとった行動は?

ゴミ当番をやり遂げようとする母の姿を、カメラ越しにしっかりと見ていました

母のゴミ当番の撮影は、本編の「毎日がアルツハイマー」(2012年公開)ではたぶん使われないだろうなと思いつつ撮っていました(※YouTube上では動画をアップしました)。

それは、映像的に平凡な画だったからです。母は、ネットを入れるバッグを持ったり、置いたり、ゴミのネットを門の中へ入れたりしましたが、そこに目新しさや面白さはありませんでした。

しかし、そんな母の様子を私は、カメラ越しにしっかりと見ていました。母の姿からは、一生懸命さや混乱、こだわり、そして何よりもこのゴミ当番をやり遂げようとする強い意志がひしひしと伝わってきました。

動画のキャプチャー2

母の混乱が大きくなるかも知れない…そんな予感もあって、私は<見守り>を続けました。もちろん、母が<見守られている>と気づかないように撮影をしながら。

関口監督から読者へ伝えたいメッセージは?

そもそも<見守り>の目的は何か。私が一番大事にしていたのは、母の自尊心を守ること

「本人のやる気をそがないように見守る」というのはよくいわれることかと思います。ただし、「言うは易し、行うは難し」ですよね!

そもそも<見守り>の目的は何か。

私が一番大事にしていたのは、母の自尊心を守ることでした。<見守り>という言葉自体が上から目線ですよね。そのことを我々介護側は胸に刻まなくてはいけないと思います。

母自身は、自分に<見守り>が必要だとは思っていません。そのことを私は、絶対に忘れてはいけない。そこで<見守っていないという演技をしながら、見守る>必要が出てくるのです。

このゴミ当番のように、公共性があるときは、なおさらそうです。そして、万が一、母ができなかった部分があったとすれば、母の仕事が終わった後に、母に気づかれないように私がフォローし、仕事の仕上げをするのです。

認知症の人の自尊心をいかにして守るのか。最も重要で最も難しいタスクですが、認知症ケアには、不可欠な考え方と行動かと思います。

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