撮影当時の関口監督の心境は?
常に母の立場、視点に立って考えていましたね。自分がされたらどうだろうかと考えた訳です
この時期の動画は母の認知症初期の頃で、母がどうのこうのというよりも、私自身が手探りだったことがよ〜くわかります。
認知症のことも認知症の薬のこともよくわからず、母の主治医の言うままでいいのかとても不安でした。
主治医に対して不安に思った理由は、一般論の認知症の話はわかるとしても、何となく母に当てはまらないのでは…と思えたからです。
また、母が2度と地元の脳神経外科クリニックへ行きたくないと言う気持ちもよくわかりました。
主治医が長谷川式スケールの認知症テストを何の創意工夫もなく行った結果、母のプライドはズタズタにされてしまったのです(第8回「遂にこの日がやってきた」参照)。
なので、無理矢理クリニックへ連れて行けないとも思っていました。
今回は外食の誘いにも乗って来なかったですし…。

こうやって振り返ってみると、私は常に母の立場、視点に立って考えていましたね。
そして、自分が母の立場だった場合、どう感じるだろうかと考えた訳です。
実はこのイマジネーションこそが認知症介護には必要なのだと、後から確信するのです。
そのとき関口監督がとった行動は?
いつでもどこでも交渉をする。新しい扉を開く気概を持つ
この動画の私は、母を脳神経外科へ行こうと誘ってはいるものの、初回のときのように熱心ではないように見受けられます。
もう介護保険にはつながったし、ここで母が嫌がっていることを無理に押しつけるのは、今後の展開にも得策ではないと考えていたのではないでしょうか。

それは、ひとえに私が母の頑固な性格を知っていたからです。
認知症介護において最も重要なことは、認知症の人の性格を熟知することだと思います。
そのうえで、諸々介護の計画を立てる。これがのちに私が英国で学ぶことになる、認知症ケアの概念<パーソン・センタード・ケア>の実践だったのです。
そして、母が拒否するときこそ<プランB>を発動!(第4回「認知症の母が便座にトイレットペーパーを巻くのには、意外な理由があった!」参照)
母をクリニックに連れて行くのではなく、私が母の代行で行き、主治医に母の現況を伝え、薬の処方箋が必要であれば書いてもらう。
ここは主治医との交渉次第ですが、私は1年に1回は本人を連れて来るということで、私の代行を認めてもらったのです。
<Life is all about negotiations. 人生は、すべて交渉次第である。>
これは、私が拙作「THEダイエット!」を作ったときに、ユダヤ系オーストラリア人のプロデューサーから学んだことです。
いつもどこでも交渉を行い、新しい扉を開く気概を持つ。認知症介護において、この姿勢こそが重要だと思います。
関口監督から読者へ伝えたいメッセージは?
プランAだけじゃなく、常にプランB、C、Dぐらいは考えておく。備えあれば憂いなし
一言でいえば、認知症に関しては、病院や医師に対する<絶対的信仰>は、持つべきではないと考えます。
つまり、医師が認知症をなんとかしてくれるという考え方は、捨てるべきではないでしょうか。
母の当時の主治医から学んだことは、医師といえども、母の認知症に対して成すべきことを知らず、という大変残念なものでした。
しかし、この残念な体験があったからこそ私は2013年に英国発祥の<パーソン・センタード・ケア>を学びに渡英することになったのです。
まさしくピンチはチャンスでした!
いずれにせよ、認知症の本人に嫌がることを無理強いするのは、馬鹿げていると思います。
ほとんどの場合、その理由は介護する側にとっての都合であり、かかる労力も並大抵のものではありません。
では、どうしたらいいのか。プランAだけでなく、常にプランB、C、Dぐらいまで考えておくことだと思います。
備えあれば憂いなし。ただし、その備えにはフレキシブルな姿勢が絶対的に必要ですね!