酒井穣(さかい・じょう)です。前回の第7回「介護職のキャリアアップのカギは雇用を生み出す人材になること!」では、通常の介護職のキャリアパスには管理職(経営者)として、介護事業を切り盛りしていくという視点が欠けていることについて述べました。

この問題に対する対策の一つとして、私が立ちあげた、介護職のための無料のビジネス・スクールKAIGO LAB SCHOOLについても簡単に触れた上で、人間の学習に関する理論も合わせて説明しています。

連載第8回となる今回は、介護殺人や高齢者の虐待といった悲惨な事件について、生物学的な側面から原因を推測し、その対策についても仮説を述べてみます。一般にはタブーに触れることにもなり、妄想に近い仮説ですが、人類の進化論や我々の高齢者福祉を語る上では一度、考えておくべき内容だと思っています。

生物学における「繁殖価」をヒントに人類の自然淘汰を考える

生物学の世界には繁殖価(Reproductive Value)という考え方があります。ある年齢にある個体の価値を「その年齢以降に残された生涯において産む子供が、将来の種の繁栄に貢献する度合い」として表現するものです。

一般には、繁殖が可能になる性的な成熟が完了した直後で最高となり、繁殖が不可能となった年齢では逆に最低を示す0になります。

生物の目的とするところが種の繁栄とした場合、健康な子供を多数産み、安全のうちに育てることは価値として認められるだろうという仮説に基づいた考え方です。

ただし、これはあくまでも生物学上の概念であって、そのまま人間の社会に適用すると差別を助長するという危険にもつながります。実際に、20世紀後半には、この考え方の倫理性をめぐって大きな論争が起こっています。

そうした意味から、この繁殖価という考え方は、生物学の世界の内側では常識的に語られるのですが、一般にはあまり見かけない言葉(むしろタブー)となっています。とはいえ、生物学(とくに集団生物学や数理生態学)について考えるときは、特定の年齢をもった個体に対して、どのような自然淘汰の圧力がかかるかを知るための指標として大きな意味があります。

繁殖価の小さい個体を守る
このままでは高齢者・子供は淘汰の対象

ここもあくまでも一般論なのですが、幼い個体と高齢の個体は、繁殖価が小さくなるのです。幼い個体は、野生状態では死にやすいため、性成熟を迎えたばかりの個体よりも繁殖価はずっと小さくなります。

また、高齢の個体の場合、今後は子供を産む可能性が低いため、やはり性成熟を迎えたばかりの個体よりも繁殖価が小さくなります。

繁殖価が小さいということは、数理的に、自然淘汰の圧力がかかりやすいということを示します。これは、危機的な状況において守ってもらえなかったり、環境に適応できない可能性が高まりやすいということです。

ここについては証明をすることはできませんが、多くの生物は同種の個体を年齢で評価している可能性があるということです。だからこそ、逆に人間社会においては、年齢差別が起こらないように十分注意する必要もあるとも言えます。

同時に、自然状態においては、幼い個体と高齢の個体が不利な環境に放り込まれやすいということは示唆的です。人間社会においても、虐待の対象となるのは主に幼い子供と高齢者です。

なんの対策もしないと、繁殖価が小さい個体には自然淘汰の圧力がかかってしまうからこそ、対策が求められているわけです。また、こうした対策となる社会福祉の進化論的な意味については、過去の連載でも繰り返し述べてきたことです。

妄想レベルの仮説としては、現役世代の人間は、幼い子供や高齢者を本能的に自分よりも低く認識しやすいのかもしれないという部分が恐ろしいのです。もしこれが事実であるなら、とても危険なことです。

人間の価値は多様であって、繁殖価によって決まるわけではありません。そうした人間らしい価値観があればこそ、人間は他の動物を支配する正当性を主張してきたという背景もあります。

人類にも「繁殖価」の本能が!?
不都合な真実とは?

出典:日本福祉大学 更新

私は、繁殖価という概念によって年齢差別を正当化しようとしているのではありません。そうではなくて、私たち人間にとって、こうした本能が備わっている可能性があるというのは、もしかしたら人間の「不都合な真実」かもしれないと警鐘を鳴らしたいのです。

しつこいですが、繁殖価という考え方を持ち出して年齢差別をするのではなく、それを本能上のリスクとして捉えることでよりよい社会を築くべきではないかということが私の考えです。

たとえば『七十歳死亡法案、可決』(垣谷美雨著, 幻冬舎)という本が話題になりました。これは「日本国籍を有する者は誰しも七十歳の誕生日から30日以内に死ななければならない」という法案が可決してしまうというフィクションです。

ただ、日本の未来を考えるとき、あながちフィクションとも言えない怖さを扱っているため、話題になったのです。

こうしたことが実際に起こってしまわないためにこそ、繁殖価という考え方の背景を知り、私たちの本能になってしまっているかもしれない年齢差別と戦っていく必要があるのです。

本能にあらがうことが非常に難しいというのは誰もが知っている通りです。しかし、本能のままに生きてしまうとさまざまな不都合があるからこそ、私たち人間は、この社会に法律制度と倫理教育を積み上げてきたわけです。

高齢化とは、すなわち、こうした法律制度や倫理教育の存在そのものが危機にさらされるということです。そして、もし法律制度や倫理教育が本能に負けてしまうとするなら、私たち人間は容易に戦争状態に至ってしまうことは過去にも述べてきたとおりです。

私が、「介護殺人や高齢者の虐待という事件が、戦争の社会的な容認と直結している」と主張する理由もまたここにあります。

注意したいのは、差別というのは往々にして差別する側だけでなく、される側もまた、差別に対して無自覚であることが多いというところです。

奴隷制度があった時代には、奴隷もまた、その制度そのものには反対することは少なかったと考えられます。さらには、切り捨て御免があった時代に武士によって切られた町民もまた、この制度そのものに反対することは少なかったはずです。

現代の高齢者自身もまた、繁殖価的な考え方によって自らの存在価値を疑うような状態になってしまっている可能性があるのです。

格差が進み二極化が大きくなると戦争になる

もしかしたら、読者は過去に「同種で殺し合うのは人間くらいだ」と教わったことがあるかもしれません。しかし、それは事実ではありません。他の動物であっても、頻繁に同種を殺害します。

つまり、同種の殺し合いとは「生物の本能」でもあるわけです。戦争もまた、むき出しの本能が生み出すものであり、法律制度や倫理教育による抑制がきかないところでは、容易に起こります。

特に、人間に近い(近縁種)とされるチンパンジーは、自分の子供を殺すこともありますし、共食いもします。そして、チンパンジーは戦争もすることがわかってきました。進化論上、チンパンジーと人間の違いは、わずか700万年という時間にすぎません。

チンパンジーの戦争に関する、BBCワイルドライフの動画(英語ですが、見れば内容はわかります)をご覧ください。

これが本能かどうかには議論が残されています。しかし、チンパンジーはかなりの戦術を持って他の群れに戦争をしかけていることは明らかです。BBCの番組の中でも述べられていることですが、食料やメスといった環境リソースが足りないとき、こうした行動は、厳しい自然淘汰の圧力に対して合理的ということにもなります。

NASAが出資した調査によれば、過去に栄えた人類の文明は、資源の浪費と止められない二極化によって滅んだことがわかっています(出典:Nafeez Ahmed, ”Nasa-funded study: industrial civilisation headed for 'irreversible collapse'?”, the guardian, 14, March 2014)。二極化の下のほうにいれば、環境リソースが逼迫しますから、法律制度や倫理教育の意味が薄れるわけです。その上で起こるのは、間違いなく戦争です。

男女がそれぞれに求めるものは「繁殖価」で説明がつく

人間の男女に関する調査では、男性は女性に若さを求め、女性は男性に経済力を求めることがわかってきています。これは、それが正しいかどうかは別にしても(残念ながら)繁殖価という考え方で説明がつきます。

まず、若い女性はほとんど定義として繁殖価が大きくなります。人間の女性の場合、妊娠の後期〜子供が幼い期間には経済活動ができませんから、安全な出産と子育てをするために、女性は男性に経済力を求める(それが男性の繁殖価となる)ことが考えられます。

二極化の下のほうにいるということは、食料や子育てのためのお金に困るということもありますが、それ以上に、男性の繁殖価が小さくなるという点において、恐ろしい結果を生み出しやすいのかもしれません。

著名な論考『「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。』(赤木智弘, 論座2007年1月号)が発表されてから10年、日本の二極化は、小さくなるどころか広がってきています。

この状態を解決するために残されているたった一つの手段は、「ベーシック・インカム制度」の導入だけです。

ベーシック・インカム制度

仕事をしている人にも、していない人にも、老若男女にもかかわらず、すべての人に最低限のお金を支給するというもの。世界中で実験が行われており、その効果が高いことが認められつつある。

最後の手段は「ベーシック・インカム」
財源の問題もクリアできる可能性が高い

財源の問題が指摘されることが多いのですが、たとえば、相対的貧困のラインを下回った人にだけベーシック・インカムを提供するなどすれば、それほど無理なく導入できることもわかっています。ベーシック・インカム制度が実現するのは、今回の話を前提とすれば、年齢差別のない繁殖価の向上です。

環境リソースが行き渡れば、人間は法律制度と倫理教育による本能の抑制ができます。しかし、環境リソースが逼迫するとき、私たちは、私たちの中にいる獣に支配されてしまう存在かもしれないのです。

その上で、子供を産み育てることが強制されない、一人暮らしでも、子供がいてもいなくても幸せに生きられる社会を築く必要があります。そうしてはじめて、私たち人間は、戦争のない平和な社会を築くことができるはずだからです。

逆に言えば、年齢差別が横行し、子供を産み育てることへの社会的要請が強く、二極化が進んでいく社会は、高い確率で戦争に至るということです。そして、日本の社会が、そうした様相を呈しつつあることは、多くの読者もまた気付いているはずです。私たちは、これを止めなければなりません。