酒井 穣(さかい・じょう)です。第18回「誰もが幸福追求できる社会の実現は“リーダーの若年化”がカギになる」では、日本の社会福祉を破壊しつつある少子化の根本的な原因について、進化論的な視点から考えてみました。

最も強大な力を得たものは、自らの力によってその子孫たちの生存を破壊してしまうのです。第18回では、人間は力をつけすぎた結果として、その子どもが生きるためのリソースまで使い果たしつつあるという現状を述べています。

今回は、そうした社会の現状を踏まえつつ、介護業界に限らず、これから生き残れる人材の働き方や生き方について考えてみます。生物であるかぎり、「生き残りたい」というのは自然な衝動です。しかし、それを実現するのは簡単なことではありません。

社会福祉の財源には期待できない
労働力も減り、奇跡が起こらなければ日本は…

130mの世界一高いスギの木

出典:総務省更新

人間として生き残るためには、お金が必要です。お金がすべてだと言うつもりはありませんし、お金があれば幸福というわけでもありません。幸福のためには、お金以外にも、豊かな人間関係や仕事のやりがいなども重要になってきます。しかし少なくとも、お金がなければ、生き残ることが困難になります。人間にとってお金とは、衣食住の維持に必要なものであり、生き残るということは、それに必要な資産を形成するということです。

今、日本にいる私たちが自覚しなければならないのは、日本にはもはや社会福祉を維持するための財源が期待できないということです。いざ、働くことができなくなった場合、生活保護に頼ることも困難になるでしょう(生活保護を受けたとしてもそれだけでは足りない)。また、年金だけで生活できるような社会は、早晩なくなります。社会福祉の財源となるのは、労働者が生み出す価値から得られる税金です。その労働者がものすごい速度で減っているのですから、こうした未来は、奇跡が起こらないかぎり、不可避なものです。タイタニック号の船底には、もはや、修復不可能な大きな穴が空いています。

人工知能の発展が人間の仕事を奪うのか否か?
あなたの仕事は果たして…

130mの世界一高いスギの木

出典:日本経済新聞社更新

社会福祉の財源に期待できない日本において、多くの人が介護の問題を抱えるということは、非常に厳しいものになります。自分の人生だけでなく、老いて介護が必要になった親などの人生もまた、考えていかないとならないからです。国は資金難になりますから、介護保険によって受けられるサービスも減っていくでしょう。親の資産が十分にあるというラッキーなケースは、一般的ではありません。むしろ、親の介護のために自分のお金を持ち出すというケースの方が大半になります。この状態での介護離職は、最悪の選択になります。そして、今のままではその選択肢以外とれないという人も増えていくでしょう(だから私は、これを解決するためのビジネスを展開しています)。

私には、恐ろしいハードランディングがすぐこそに迫っているように見えます。煽るような言論は嫌いなのですが、人工知能の発展をみていると、とにかく怖くて仕方がありません。確かに、人工知能は人間から仕事を奪わないという意見もあります。本当は、そちらの意見の方が正しいのかもしれません。しかし、最悪のリスクを想定し、そうしたリスクを回避するように生きることは、大切な態度だと思います。自分が、人工知能に負けずにずっと仕事を続けていける、十分な稼ぎが今後も得られると考えるのはそれ自体が危険な態度だと思います。

収入を決めるのはあなただけが要因ではない
あなたは自己責任の"50%"をどう使えますか?

130mの世界一高いスギの木

出典:David C. Rowe, et al., “Herrnstein's Syllogism: Genetic and Shared Environmental Influences on IQ, Education, and Income”, Intelligence, 26(4), 405-423, 1998更新

このリスクを自分の人生に織り込む場合、私たちの取り得る生き残り戦略は、それほど種類がありません。それらは、大きく言って、

  • 自分の仕事が人工知能に奪われるまでに十分な資産を形成する
  • 若年僧の人口減少が緩やかな福祉国家に移住する
  • 農業や漁業など自給自足が可能となる権利と仕事を取得する

この3つくらいの戦略になるでしょうか。残念なことに、どの戦略をとるにせよそれなりのお金が必要になります。嫌な話ですが、とにかく、今の私たちが直面している生き残りの危機とは、結局のところお金の問題なのです。

ここで、とても不都合な真実を考えてみたいと思います。私たちの収入の42%までもが、遺伝で決まっているという研究結果があるのです(David C. Rowe, et al., “Herrnstein's Syllogism: Genetic and Shared Environmental Influences on IQ, Education, and Income”, Intelligence, 26(4), 405-423, 1998)。遺伝に生まれ育った家庭(共有環境)の影響である8%を足せば、私たちの収入の50%までは、とても自己責任とは言えないのです。つまり、年収の半分までは、努力では(おそらく)どうにもなりません。ただ、もう半分には可能性があります。まずは、これを受け入れた上で、お金の問題を考えていかなくてはなりません。

自分の力で生き残るために残された道は…
学術書をたくさん読む!自己啓発本はNG

130mの世界一高いスギの木

出典:日本経済新聞社更新

こうした状況においては「溺れるもの、藁(わら)をもつかむ」ということが多発します。すると、自分が生き残るために藁を売り始める人が多数出てくるでしょう。沈みゆくタイタニック号においては、偽物の救命ボートが飛ぶように売れるということです。それは「お手軽に稼げる方法」として、特に顕在化するでしょう。また、それをあきらめた人のためには「お金がなくても精神的に豊かになる生き方」かもしれません。果ては「より良い来世を迎えるための方法」というのもあるでしょう。どれも、本当に効果がある可能性はゼロです。三国志の曹操孟徳も、乱世には必ず出現してくるこうしたインチキ商売の取り締まりに苦労しています(詳しくは拙著『曹操―乱世をいかに生きるか』<PHP研究所>を参照してください)。これと同じことが、これからの日本でも顕在化してきます。

こうしたインチキを避けて考えるべきなのは、富裕層の特徴です。富裕層の特徴は、社会学的には、かなりの程度わかっています。日本における富裕層の特徴とは、

  • 英語力を持っていること
  • 学術書をたくさん読んでいること
  • 親もまた富裕層であること、
これら3つです。英語力については自動翻訳機がかなり進歩してきているので、賞味期限はあとわずかでしょう。ですから、今から英語を勉強するかどうかは判断の難しいところです。また、親が富裕層だと子供も富裕層になるという事実については自分ではどうにもならないことです。残されている可能性は、学術書をたくさん読むということだけです。

学術書を読むのは、もしかしたら富裕層になる原因ではなくて結果かもしれません。それでもとにかく、読書量と年収には相関があることが、さまざまなところで指摘されています 。きちんと勉強をすることが、少ない元手(自己資金)で行えるもっとも有効な投資ということである可能性が残されています。ここで、富裕層であるほど学術書を読んでいるという事実に対して、年収が低くなるほどに自己啓発や漫画を読んでいることもわかっています。これは、自己啓発が、ある種の貧困ビジネスになっていることを裏付けているでしょう。先に指摘したとおり、自己啓発というのは、溺れている人に藁をつかませるようなビジネスだからです。さらに、富裕層は著者名で読む本を選んでいるのに対して、年収が低い人は読む本をタイトルで選んでいるようです。

十分な資産を持つのは一部のみ
自己啓発ではなく、科学的に勉強すべし!

130mの世界一高いスギの木

出典:日本経済新聞社更新

今現在は、今後の人生を過ごしてくために、親の介護まで想定した上での十分な資産をつくれていない人が大多数でしょう。そうした人ができることは、今の自分のリソースを、できる限り投資に回すということしかありません。そうした投資の中でもっとも確実なのは、学術書を利用しながら(図書館を使えば、無料で自己投資ができる可能性もある)、正しい勉強をすることです。正しい勉強というのは、より科学的であり、とにかく自己啓発的ではないということに尽きます。その勉強の中身が何であるべきかは、私にはわかりません。個人的には、人間について理解することだと思ってはいるものの、それで生き残れるかと問われたら、わからないとしか言えません。

また、私がどうしても気になるのは「学術書を活用して正しい勉強を続ける」という唯一の生き残り戦略は、万人向けではないということです。悲しいことですが、これこそまさに自然淘汰ということなのかもしれません。ただ、ほんの一部の人だけが助かり、残りの大多数は助からないという未来は、私たちの多くが望んでいるものではないはずです。本当は、もっとユルく、無駄なことも楽しみながら生きていけるような社会が理想です。そんなに勉強しなくても、遊びながら暮らしていけたら嬉しいです。この理想を共有できたら、私たちにはもう一つだけ、別の可能性が残されています。

日本は沈みゆくタイタニック号!
残された可能性は“善意”

130mの世界一高いスギの木

ここまで考えてきた生き残り戦略は、個体としての個人が生き残っていくという話に限定されています。しかし、もし私たちが協力しあえば、私という個体だけではなく、すべての個体が生き残れる戦略を考え、実行していくことができるかもしれません。これがうまく行けば、のんびりとしている人も、学術書を読むことが大嫌いな人も、みんなが生き残ることができます。本当は、問いの立て方として「個人の生き残り戦略」ではなく「人類の生き残り戦略」こそが重要なのです。他の生物の場合、(自分が)生き残りたいという衝動からの部分最適(その環境に適応すること)しかできません。しかし人間だけは、全体最適(環境のほうを変化させること)を考え、実行することができるはずなのです。

沈みゆくタイタニック号の中で、救命ボートめがけて全力疾走をしても良いでしょう。ただ、その救命ボートが本当に動くかどうかは、まったく保証ができません。それは藁というインチキに過ぎないかもしれないのです。しかし人間は、タイタニック号に乗っている皆が助かるように皆で協力して、十分な数の、本物の救命ボートを作り上げることができるかもしれません。私たちは現実に、このどちらの行動をするかという判断は(まだ)していないでしょう。実際の自分は、救命ボートに向かって走りながらも横目で、救命ボートに乗れそうもない人々のことを気にしているはずです。私たちに残されている可能性は、この善意の存在だけです。