酒井 穣(さかい・じょう)です。第15回「“超高齢社会の希望なのは確かだが…シルバー人材活用の効果は一時的!?」では、日本の少子高齢化と人口減少から注目されているシルバー人材活用について考えました。

できる限り介護を必要としない人生を送るためには、高齢者になってもできる限り仕事を続けることが理想です。とはいえ、そこにはもちろん限界があり、現状ではその壁を乗り越えることは日本の現状において難しいということを記事にしています。

連載第16回となる今回は、「介護を受けられる人と受けられない人に分かれていく近未来」について予想してみます。現実に今、介護保険料を支払っていても、必要なときに必要な介護が受けられなくなりつつあるのです。

40歳以上は強制加入の介護保険…でも
たとえ払い続けても“無介村”では保険を使えない!?

要介護認定者数の推移

出典:厚生労働省更新

介護保険料は、40歳以上の人であれば誰もが強制的に支払っています。これは、日本に暮らしている限り、40歳以上の誰もが介護保険という保険に加入していることを意味します。自動車保険の場合、事故があれば保険を使うでしょう。これと同じように、介護保険も保険ですから、介護が必要になったときには使うことが可能です。保険を使うということは、基本的には必要になるサービスを利用するときのお金や、賠償金などのうちの一部(または全部)が保険から支払われるということです。

しかし、この保険の大前提が今、介護保険においては建前になりつつあります。いくら高額な保険料を納めてきたとしても、自分が暮らしている地域に介護事業者が存在していなければ、介護サービスを利用することはできません。これは、病院がなければ、医療保険を納めていても医療サービスが受けられないことと同じです。医療については、いわゆる「無医村」の問題が叫ばれて久しいでしょう。しかし、介護の場合は、これとはかなり異なる形で「無介村」の問題が出てきそうなのです。

医療よりも介護の方が
高齢者の生活をはるかに大きく左右する

無医村よりも無介村の方が深刻な社会問題である

2018年4月9日に経産省がまとめた資料(「将来の介護需給に対する高齢者ケアシステムに関する研究会 報告書」, 2018年4月9日)によれば、2035年には、なんと79万人もの介護労働者が不足すると考えられています(2025年には38万人が不足)。そして求人倍率から考えれば、そうした不足が特に懸念されるのは東京都と愛知県です(連載第14回「“介護離職ゼロ”の実現には、介護人材の確保・処遇改善が必至」を参照)。「無医村」は、地方の過疎地で問題になっているのに対して、「無介村」はむしろ都市部の方で問題になりそうだということです。

さて、あなたは「無医村」と「無介村」のどちらがより深刻な問題だと考えますか?ヘルスケア業界にいれば、この質問は簡単なものです。しかし一般には、この違いをイメージできないかもしれません。実は、「無介村」の方が「無医村」よりもずっと深刻な問題なのです。誤解を避けるために付け加えておきますが、もちろん「無医村」も問題です。しかし、「無医村」であればまだ暮らしていくことが可能ですが、「無介村」となると暮らしていけないのです。

実は、医療というのはそれが必要になる場面は緊急時に限られています。たとえ「無医村」であっても、医療が必要になった場合、遠出して都市部の病院にかかることが可能です。近年では遠隔医療も発達してきているので、この問題は将来的には小さくなる可能性さえあります。しかし、介護というのは毎日それを必要とする人がいます。極端な場合、24時間の介護がなければ死んでしまうという人も少なくありません。

都市部の“無介村”問題はかなり深刻
救われるのはお金持ちだけ!?

介護職の有効求人倍率のグラフ

出典:厚生労働省更新

別の角度から考えてみます。医療従事者との接触時間と、介護従事者との接触時間は、多くの人の人生において明確に異なります。医療従事者との接触時間、特に医師との接触時間はどうでしょう。長時間待たされた結果、たった5分の診療といったこともあるとおり、重い病気をしたときの手術でもない限り、それほど接触時間は大きくはならないはずです。これに対して介護従事者との接触は、いったん介護が必要になれば、毎日数時間以上は接触するのが普通です。介護サービスには、日常生活を営むための支援を提供するという性格があるからです。

「無医村」であれば、いろいろと我慢をする必要もありますが、なんとか暮らしていけます。しかし「無介村」の場合、そこではそもそも生きられないという人が多数でてきます。要介護者が移住を決断する場合、それは医療サービスの不足ではなくて、介護サービスの不足が要因となるわけです。そして、その現実は、地方でも当然みられますが、都市部において顕著という状態が出現しつつあります。近未来、特にお金のない人にとっては、もはや都市部は終の住処とはならないのです。

そんな中、介護従事者は待遇が上がらないまま、不当にも貧困層に押し込められているのです。同時に、労働人口の減少時代に突入している日本では、他の業界が介護業界よりもずっと高い賃金で求人を出しています。東京都や大阪府、愛知県といった大都市圏では、特にこうした人材の獲得競争が激化しています。人材を獲得するためのコストがかかる上に、大都市圏の地代家賃は高いわけですから、大都市圏では介護事業の経営が成立しにくくなっているというわけです。

介護事業者の顧客=富裕層!?
悲劇の始まりは“混合介護”

年齢段階別就業率のグラフ

出典:東京商工リサーチ更新

いざ、自分や自分の親などに介護が必要になった場合、こうした大都市圏に暮らしていると、介護サービスの提供者が見つからない可能性がどんどん高くなってきています。それでも、大都市圏には介護サービスの巨大なニーズがあります。そこで大都市圏の介護事業者は、富裕層をターゲットとした経営にシフトしつつあります。大都市圏の介護事業者にとっては、それ以外に、大都市圏レベルでの待遇と地代家賃を支払う方法がないからです。あなたが介護事業の経営者でも同じ判断をするはずです。

この悲劇の始まりは「混合介護」という形をしています。「混合介護」とは、介護保険が適用される介護サービスだけでなく、保険ではカバーされない全額自己負担の介護サービスが組み合わされて(同時に)提供されるというものです。まだ法的にグレーな部分が大きく本格的には解禁されていないのですが、介護事業者の倒産が毎年過去最高を記録している今、この解禁も時間の問題です。

「混合介護」が解禁されれば、介護事業者の収益は大幅に改善されます。このとき、保険の効かない(介護保険外の)介護サービスを使わない要介護者(利用者)は、介護事業者にとって「儲からない顧客」ということになってしまいます。そうなると、大都市圏において介護サービスを受けられるのは富裕層だけということにもなりかねないのです。これに対して「社会福祉の理念に反している!」と怒りを述べたとしても、すでに手遅れです。

ずっと以前から、日本はOECD諸国の中でも子供の貧困率が最悪レベルということが問題視されてきました。ひとり親世帯の貧困もまた、自己責任論で片付けられてきました(自己責任論の間違いについては連載第1回「“弱者への自己責任の強要は間違い!?」を参照)。そうした中、高齢者だけが、貧富の差なく支援されるという状況が維持できるはずもありません。社会福祉のための財源は、究極的には同じ国の財布(税収)です。高齢者だけが守られるという状況は、さすがにおかしいわけです。

高齢者の約6割は老後資金が不足!
それでも世間からは注目されない

年齢段階別就業率のグラフ

出典:内閣府更新

こうした介護の問題は、それでも世間からは注目されません。社会的弱者というのはマイノリティー(少数派)であり、マイノリティーというのは、多数決を前提とした民主主義社会では、社会が成熟していない限り救われることがありません。そして残念ですが、日本の民主主義、成熟しているとはとても言えない状況です。この行き着く先は、ハードランディングでしょう。それも、どこかの誰かのハードランディングではなく、自分自身のハードランディングを想像する必要があります。

もし大都市圏で介護が必要になった場合、富裕層以外は、そこを出ていかないと死んでしまいます。しかし、引越しの費用さえ出ない世帯も多数あるのです。そもそも貯蓄が足りないと考える高齢者世帯は57%、そうした中でも貯蓄がゼロという高齢者世帯は17%もあるのですから。こうした世帯に介護が必要になった場合、もはや死ぬしかないということになります。そして、それはまだニュースになっていないだけで、大都市圏の孤独死問題として、すでに現実に起こり始めているはずです。

介護職が介護を受けられない!?
混合介護が生む最悪のシナリオとは?

そして、ここは言及するのもはばかられることなのですが…そうした大都市圏で介護サービスが使えないままに死んでいく貧困層の多くは、元は介護従事者だったりするはずです。全業界でも最悪の待遇になっている介護業界で働いている人は、将来のために十分な貯蓄ができるような状況にはないからです。そうして、介護従事者たちは、自分の待遇ではとても受けられない介護サービスを、この社会から強要され、提供させられています。介護業界では、こうした認識が着実に広がりつつあり、介護業界から逃げるようにして転職をしていく人材が後を断ちません。

若い頃、夢と希望の象徴としての自宅を、大都市圏に長期ローンで購入したかもしれません。そうして住宅ローンの支払いを終えた頃、自宅は老朽化しており、人口減少と合わせてとても売ることができない状態になっているでしょう。そんな状態で、もし、自分に介護が必要になったらどうしますか?介護サービスは、大都市圏では富裕層しか購入できないものになっているかもしれません。この未来像が、的外れなものであることを祈りたいです。しかし、介護業界はあまりにもこの社会から搾取されす過ぎています。本質的なイノベーションがない限り、ハードランディングは他の誰かではなく、私たち自身の現実となるでしょう。