酒井 穣(さかい・じょう)です。第13回「勤続10年以上の介護福祉士に月間8万円の賃上げは“目くらまし”」では、介護業界の待遇改善について考えました。繰り返しになりますが、人材不足の問題解決には介護職の待遇改善がどうしても必要なのです。

もっとも危険なのは、待遇改善がなされないままに、介護業界の表面上の魅力だけが発信されていくことです。それが続いてしまえば、低賃金で働く労働者(介護職)が増え、税収が減り、結果として社会福祉の崩壊が早まってしまうことが考えられます。

そうして人材不足が解消されない場合、ビジネスパーソンの視点からはいったい何が起こってしまうのかを考えてみたいと思います。少しずつではありますが、企業もまた、介護に対して本気になり始めました。

まだ問題視されない“介護離職”
2025年には深刻な社会問題に

介護離職者数の推移のグラフ

出典:総務省 更新

仕事と介護の両立は、これから多くのビジネスパーソンが直面する、大きな社会問題になっていきます。すでに年間約10万人という規模での介護離職が発生していますが、これはまだまだ序章にすぎません。これが本格化し、一般に広く認知されるようになるのは(だいたい)2025年以降のことになります。

現在、日本には約3,700万人のフルタイム労働者がいますが、マクロに考える場合、10万人の介護離職というのは、この0.3%にも満たないという認識が求められます。これに対して全体の離職率(介護以外の理由で)はフルタイム労働者の10%を超えているのが現状です。企業の経営者や人事からすれば、介護離職というのは、まだ「めったに起こらない話」でしかないのです。

もちろん、個別には介護の大きな負荷に耐えきれず、やむなく離職するといった事情が多数存在しています。ただ、それは個別の事例というミクロの話です。マクロに見ると、介護離職の発生は、まだ無視できるほどの数字にすぎません。この点を見落として介護離職の危機について発信すると、一般からは「メディアが介護離職を大げさに煽り立てている」ように見えてしまいます。

しかし、昨年末くらいから、どうも潮目が変わってきたように感じます。私のところにも「介護について詳しく知りたい」という企業からの問い合わせが増えてきているだけでなく、ビジネスパーソンからも個別に相談の依頼が入ってくるようになってきたからです。こうした話を聞いてみると、背景にあるのは介護の負担そのものではなく、“介護の不安”であることが見えてきます。

団塊の世代が2025年には75歳以上に!
団塊ジュニアの介護離職が増加する

要介護出現率のグラフ

出典:厚生労働省 更新

介護離職の爆発が実際に起こるのは、団塊の世代が75歳になる2025年以降のことです。75歳を超えると、要介護出現率(介護が必要な人の割合)が急に高まります。人口ボリュームの大きい段階の世代が75歳以上に突入すれば、そもそも人口が大きなところに、高い要介護出現率が掛け算されますから、要介護者が急激に増えるのは当然のことです。

団塊の世代の介護を担うのは、団塊ジュニア世代(1971年から1974年生まれ)です。団塊ジュニア世代もまた、人口ボリュームが大きいので、この中から、今とは比較にならない規模での介護離職が出てくるでしょう。ただそれもまた、2025年以降のことになります。それまでのあと7年という期間を短いと感じるか、それとも長いと感じるかは人それぞれではありますが、少なくとも今はまだ、人数のボリュームとしては、介護離職は大きくはないのです。

企業も経済もダメージ
介護離職者の中に企業の中核を担う人材も…

介護離職者の年齢構成

出典:総務省 更新

では、なぜ昨年末くらいから、企業やビジネスパーソンの介護に対する関心が高まり始めているのでしょうか。その理由として挙げられるのが、数は少なくとも、企業におけるエース級や部長クラスの人材の介護離職が起こり始めているということです。人数の問題ではなく、企業の収益に対して大きな影響力を持った人材が介護離職をし始めていることが、この背景にはありそうなのです。

私の知っている範囲でも、部長レベルの人材の介護離職は珍しくありません。また、役員クラスの人材でも介護離職をした事例を知っています。統計的に、介護離職は50代でもっとも起こりやすいので、それほど不思議なことではありません。しかし、企業目線で言えば、出世をした人材が「あっさりと辞める」ということがかなりのダメージになります。もちろん、当人も出世コースを外れることになってしまうので、特に経済的なダメージは大きいでしょう。

企業の経営者や人事からすれば、稼ぎ頭が会社を辞めてしまうことは大問題です。毎年10%程度の人材は辞めていくことは普通でも、部長や役員といった人材が辞めることは、そうそうなかったことだからです。さらに、社内では「⚪︎⚪︎さんほどの人材でも、仕事と介護の両立はできないのか」という落胆も広がります。そしていつか、自分にもそうした介護が降りかかってくると考えると、社内の不安も大きくなるのでしょう。

知識も経験もない…
仕事と介護は両立できるのか?

介護休業制度が効果的かを検証

これまでも、企業は、介護離職に対して無策だったわけではありません。特に大企業の場合は、

  • 介護に関する研修の実施
  • 介護休業制度の周知と充実
  • 介護相談窓口の設置

といったことをしてきました。ただ、これらの施策が介護離職を抑制する効果には、かなりの疑問符がついてしまうことが明らかになってしまってきているのです。

介護離職を防ぐはずだったこれまでの施策が有効に働かなかった背景には、重大な施策の設計エラーがあります。それは「介護が必要になったときに、休めるようにすれば良い」というものです。おそらくは、育児休業と同じ発想で介護休業が設計されたのだと思います。しかし、育児と介護は、仕事との両立において、まったく異なる性格を持っているのです。

育児の場合は、

  • 自分が育てられたことがあるため全体像を初めから知っている
  • 子供の年齢が上がると対応する負担は一般的には減っていく
  • 子供が社会人になるまでの成長の喜びをともなう負担である

といった特徴があるでしょう。育児も大変ですが、基本的には、終わりの見えるポジティブな意味を持つ負担なのです。

これに対して介護の場合は、

  • 知識も経験もないため全体像が見えないばかりか制度改革による変化も激しい
  • 要介護者の年齢が上がると認知症リスクも高まることで対応する負担が増えることが多い
  • 要介護者が亡くなるまでの終わりの見えない悲しみをともなう負担である

といった特徴があります。特に、どうしても介護の場合は、ネガティブに感じられることが多いという点で、子育てとは完全に意味が異なるのです。

育児であれば、子供が熱を出すなど、対応が必要なときに休めるだけでも、なんとか頑張れます。子供のためにも、会社を辞めてはいけないという前向きな気持ちにもなるでしょう。子供は未来の納税者ですし、国の宝です。社内での理解も得やすいし、多くの先輩もまた仕事と育児の両立に成功してきたという歴史もあります。

しかし介護の場合は、対応が必要なときに休むと「これは本当に自分がやるべきことなのか」といった悩みが深くなるばかりです。「職場の仲間に迷惑をかけてまで、同じ状況を続けるべきなのか」と考え「これがいつまで続くかわからないなら、いったんは辞めて、介護が落ち着いたらまた…」となりやすいのです。背後に「親孝行もしていないし、最後くらいは」という感情があるのも普通です。

ここまでのことを踏まえれば、育児制度とは異なり「介護が必要になったときに、休めるようにすれば良い」という設計をしてしまえば、かえって介護離職が増えてしまうことも理解できるでしょう。介護の場合は、できるだけ仕事を休まないで介護ができる環境を構築しないと、人材の優劣に関わらず、誰でも離職してしまう可能性があるのです。

今すぐにでも取り組むべき課題
それは介護職の待遇改善!

東京都と愛知県の介護職の有効求人倍率

出典:厚生労働省 更新

ではどうすれば、仕事をしながら、できるだけ休まないで介護も同時にこなせるのでしょう。

ここを担ってくれるのが介護業界で働く介護職たちです。介護ができるだけの実力を持つ介護職が多数いるという事実は、多くのビジネスパーソンの不安を低減するものではないでしょうか。こうした優れた介護職の存在を身近に感じることができたら、日本における介護離職の問題は少なくなるはずです。

しかし、ここに大きな問題が起こっています。それは介護職の人材不足です。ビジネスパーソンが安心して仕事に集中できる環境を整える可能性を秘めた介護職が、まったく足りていないのです。自分の代わりに、親の介護をしてくれる介護職がいなければ、ビジネスパーソンは、仕事を辞めてでも親の介護をしなければならなくなります。

介護職の数は2000年の介護保険制度開始以来、ほぼ4倍(現在は約200万人)にまで増えています。それでもまったく足りていないのです。昨年の東京都と愛知県における介護職の有効求人倍率は5倍を超えています(東京都5.40倍、愛知県5.30倍)。有効求人倍率の全国平均は1.22倍程度ですから、そのすさまじさが伝わるでしょう。それだけ、介護業界は人材不足の状態にあるということです。

この理由は、この連載でも繰り返し述べてきたとおり、介護職の待遇の悪さにあります。全業界で比較したとき、介護業界はの待遇はダントツの最下位という状態(東洋経済, 『格差歴然!40歳平均年収「63業界」ランキング』, 2017年9月8日)ですから、それも仕方のないことでしょう。今すぐにでも介護職の待遇を改善して介護職を確保しないと、介護離職問題が爆発するという理由もここにあります。

順位
(63業界中)
業界名 平均年収
(万円)
1位 コンサルティング 1,240
2位 総合商社 1,115
3位 放送 866
10位 医薬品 718
20位 生命保険・損害保険 669
30位 専門商社 606
40位 文房具・事務用品 562
50位 コンビニエンスストア・人材サービス 523
60位 家電量販店・ホームセンター・ディスカウントストア 479
63位 介護 395
出典:東洋経済オンライン 更新

介護職には、高い専門性が求められます。この点について誤解も多いのですが、介護は誰にでもできる仕事ではありません。ですから、今すぐ介護職を確保したとしても、教育訓練の時間まで考えると2025年に間に合うかどうかというところなのです。ここに間に合わないとき、ビジネスパーソンの仕事と介護の両立は誰も助けてくれないものになり、結果として不可能になります。

社会福祉の財源は税金である以上、
介護離職はマイナスでしかない

考えてもみてください。社会福祉の財源となっているのは、ビジネスパーソンが一所懸命に働いて稼いだお金にかかる税金(所得税や法人税)です。こうしたビジネスパーソンが介護離職をしてしまえば、社会福祉の財源も大いに痛み、さらなる介護離職の連鎖が生まれてしまいます。そうしたことが起こらないように、介護職の待遇を改善し、人材不足を解消することは社会的な投資なのです。

介護離職をし、その後、転職して復帰した場合、男性の収入は4割減、女性は半減するというデータもあります(産経新聞, 『衝撃…介護転職した人の年収は男性4割減、女性半減!「介護離職ゼロ」掲げる政府や企業は有効な手立てを打てるのか?』, 2016年2月18日)。それだけの痛みを伴うことは誰にとっての得でもありません。

繰り返しになりますが、介護職の待遇改善と、十分な人材の質と量の確保は、日本の未来に対する投資なのです。しかし、少なからぬ人は、介護業界にお金を流すことを浪費であると考えているのではないでしょうか。介護業界に流れるお金は、高齢者の福祉のためでもありますが、それ以上に、現代社会においては、現役世代が仕事をする環境の整備としての意味があるのです。