ご家族への赤裸々な思いを描く『ポンコツ一家』。とても楽しく拝読させていただきました。
FRaUのWEBコンテンツとして連載を開始されていますよね。“都会的”な雰囲気が漂うFRaUで、在宅介護や認知症などの「ヘビー」なお話が“ウケた”理由をどうお考えですか?
「にしおか~すみこだよっ」
SMの女王様キャラで大ブレイクしたお笑い芸人・にしおかすみこさん。コロナ禍で仕事が「ゼロ」になり実家へ戻ると、家が「砂場」になっていた……
認知症の母、ダウン症の姉、酔っ払いの父との暮らしを描いた記事が、雑誌『FRaU』のWebサイトで公開されると、たちまち1,200万PVを記録。
自身をも「元SMの一発屋の女芸人。45歳。独身、行き遅れ」と語る軽妙かつシニカルな筆致で、連載は一躍人気コンテンツに。2023年1月には、連載記事に書き下ろしを加えた『ポンコツ一家』を上梓しました。
今回の対談では、認知症のお母さんとの向き合い方、介護の「息抜き」などについてお話を伺いました。
にしおかさんの新たな魅力を感じるユニークなエッセイ。母は認知症、姉はダウン症、父は酔っ払い……日々抱く葛藤を率直な言葉で綴っています。
ご家族への赤裸々な思いを描く『ポンコツ一家』。とても楽しく拝読させていただきました。
FRaUのWEBコンテンツとして連載を開始されていますよね。“都会的”な雰囲気が漂うFRaUで、在宅介護や認知症などの「ヘビー」なお話が“ウケた”理由をどうお考えですか?
ラッキーとしか思えないですよね。私はただ、必死で書いていただけなので。
執筆はどのように?
コロナ禍で実家に戻って以来、家族との出来事をスマホにメモしていたので、それをもとに。 FRaUには、1年ほど前に起こったことを載せています。
この本は、母の言う通り誰の何の役にも立ちません。そういうのは私には無理です。ただただ、たくさんの方々に読んで笑って欲しい。疲れた気持ちがほぐれないかな、ホッとしてくれないかな。誰も傷つかないで……と思って書きました。
(『『ポンコツ一家』P189より引用)
ご家族のこととはいえ、「書き過ぎない」ようにされたことはありました?
嘘がないように、とはしています。「ここまで書くとプライバシーの侵害かな」と思うような内容も書かないようにしています。
そこが“絶妙”ですよね。面白く読ませてもらえるのは、いい距離感だからなのかな。 実際に介護をされている方からはどのようなお声が?
「難しい問題を笑いに変えてくださってありがとうございます」というお声をいただけて、すごく嬉しかったですね。
でも、家族のことを綴っているだけなので「そんなお言葉をいただいていいんだろうか」とも思っています。
「言葉にできなかった思いを代弁してくれた」。そんな思いになる方も多いのかもしれませんね。
表紙のイラストもまたいい。ご家族が根本で「似ている」ことが表現されているように感じました。
いいですよね(笑)。私、大好きです。
編集長さん、イラストを描いてくださった西淑さん、装丁デザインの鈴木久美さん、たくさんの方々が想いを寄せてくださいました。
とにかく私は原稿を書くことに必死だったので、イラストもその他のこともほぼ“おまかせ”で。 読者の皆さんに愛されそうな表紙にしてくださって感激しました。家族のことを書くことは少し後ろめたかったので。なんというか、良かったあって思いました。
芸人さんって文章が上手な方が多いですよね、女性は特に。普段から面白く伝える方法を考えているからですかね?
にしおかさんはいかがですか。
ううん……どうでしょう。芸人として褒められたことがないので。
「エンタの神様」に出演されていたときは本当にすごかったですよ。
ありがとうございます。ほんとうにラッキーだったと思っています。
世間の皆さんに名前を覚えてもらうことって、いいかえれば世間に受け入れられることでもありますよね。それは大変なことですよ。
私の場合、ネタの頭に「にしおか~すみこだよっ」って名前を叫ぶから覚えてもらいやすかったのもあると思うんです。
……言われてみれば!
名前を言ったあとに「“あーっ!!”」て叫ぶことも、ギャグとしてやっているだけじゃなく「緊張するから最初に大きな声を出さなきゃ」とか「先に叫んでおけば、声のボリュームが大きいまま最後までいける」なんて考えてやってました。
面白い(笑)。芸名もひらがなで覚えやすいですよね。
ひらがなにしたのは、青木さやかさんのアドバイスがあったからなんです。姓名判断で見れば、私の名前は、ひらがなにした方が「一発逆転ができる」って調べてくださって。
へえ、それはナイスアドバイスです。そもそもどうしてお笑い芸人になったんですか?こんなにきれいな方がお笑い芸人を目指すルートってちょっとイメージしにくい。
そんなそんな。
そもそものきっかけは、『デビュー』という雑誌に載っていた芸人のオーディションだったんです。
自分はめちゃくちゃブサイクではないかもしれないけど、見た目で勝負できるほどキレイじゃない。「俳優さんやモデルさんを目指すのは違う」って思っていたんです。
「この中途半端な顔でなんとかなるのってどこだろう?」と思いながら『デビュー』を見てたときに見つけたのが、芸人のオーディション。
考え方も面白い(笑)。何歳のときのお話ですか。
二十歳ぐらいのときですね。ただ、結局それも新人ライブに出られる権利を獲得しただけだったんです……。その辺りを入り口にして“ぬるぬる”っと芸能界に入っていきました。SMのネタをやったのは31歳のときです。
デビューから約10年。
手を変え、品を変え、これまで芸人を続けてきました。
(笑)。
介護についても伺いたいです。「地域包括支援センターの方の対応がプロだと感じた」とご著書に書かれていましたが。
友達に教えてもらって電話したんです。地域包括支援センターのことはそれまで知らなくて。
何をどう伝えたらいいのか分からなかったのですが、話をするうちに悩みが整理されていくように感じました。介護をする側の気持ちを分かって話を聞いてくださったので、ほっとしました。
疲れ果て、後日、地域包括支援センターに電話した。 女性職員さんに家族構成を聞かれ、認知症、ダウン症、酔っ払いは言って、一発屋は隠した。 「と言いますと?」と返されたら、もうどういう感情でか泣き出してしまいそうだったから、たったこれだけのことが精一杯だった。 「えー」「えっと」の多い私に、職員さんが「何からどう手をつけていいかわからなくなりますよね」と。救われる。
(『『ポンコツ一家』P89より引用)
お母さまは、要介護認定はまだ受けられていないんですよね?
まだ受けていません。一度、ケアマネジャーさんが様子を見に来られたときには「要支援1がつくかどうかです」と言われました。
誰かの手を借りなくても生活できている状況ですか?
今はどうにかできています。「しょうがないか」と思って、放っておいていることも多いのかもしれませんが。
その「放っておく」という感覚が大事だと思います。全部は無理ですよ。
もし、ケアマネジャーさんにもう一度来ていただいたら、母と私とで「揉める」と思うんです。それでいまだに腰が重くて連絡できていないんです。
そもそも「お風呂に入りたくない人をどうやって支援するんだ」って思います。掃除を代わってくれるサービスもあるそうなので嬉しいんですが、私以外の人がうちに入ってきたら、母が嫌がりそうで……。
「このままいったらダメだな」と思いつつも先延ばしにしています。
どういうタイミングなら「踏ん切り」がつきそうですか。
私自身も「いつになったら……」とは思っています。母がケガをしたり、倒れたりすれば、“電話”するしかなくなってくるのかなあとも考えています。あるいは、母・姉・父の3人のうち誰かがバランスを崩したときなのかな……とか。
友人からは「それだと遅いよ」って言われますが。
先延ばしにしたくなっちゃう気持ち、とてもよくわかります。
お母さまと接する際に心掛けていることがあれば教えてください。
「世話」をし過ぎないようにしています。個人差はあると思いますが、そばにいる人が「見過ぎちゃう」と、認知症の進行が早くなると聞いたことがあります。例えば、母と一緒に病院に行くようなときには、母が私を連れて行くような“かたち”にしています。
細やかな気遣い。その寄りそいが大事ですよね。
母の“生命線は、ダウン症の姉の「世話」だと思うんです。 「お姉ちゃんの面倒を見なきゃ」という思いがあるからこそ、現実を“ギリギリ”認識できているのかなって。 作業所に通う姉の面倒は、母がこれまで通りみています。母にできないことがあれば、作業所の先生から私宛に連絡があるので、対応していますが。
うんうん。
それから、母がやりたいことを否定しないようにもしています。人生の“最終章”で行動範囲を狭めたくないので。
素晴らしい。……とはいえ、ムカッとすることありますよね?
実家に戻ったばかりの頃は、いつも喧嘩をしていました。当時、母は私の幸せを考えて、東京に追い返そうとして怒っていたと思うんです。でも、私が家にい続けることが分かったら、「娘に迷惑をかけないように」と踏ん張っている気がします。
最近は穏やかになって一緒に笑うことが増えました。認知症は進行しているんですが。
関係性が良くなっていくこともあるんですね。
そうなんです。実家に戻った頃は「頭かち割って死んでやる」って何度も言っていたんです。でも、最近は言わなくなりました。 以前は、悪夢にうなされていたようですが、それもなくなったように思えます。 ……悪夢を見ることを忘れちゃったのか、見ないような精神状態になったのかはわかりませんが。
「ママ、ママ、起きて、夢だよ、大丈夫だよ、起きて」と声をかけながらタオルを顔から外す。瞼は閉じているのに涙が溢れ顔が歪んでいる。 繰り返し声をかけていると、そのうち「フフフ、フフフ……なに……ちょっと夢見てた」といつの間にやら現実に帰ってくる。
(『『ポンコツ一家』P97より引用)
日々の「息抜き」があれば教えていただけますか。
外出したら、家のことを忘れるようにしています。たまには、お金がなくても高いランチを食べに行きます。他にもウォーキングをしたり、ジムに行ってヨガをしたりして、自分の時間をつくるようにしています。
健康的な発散の仕方。
それと、ベジタブルカービングという野菜の彫刻をやってるんです。その時間は無心になっていますね。
ベジタブルカービング! いい趣味! 始められてどれぐらいになるんですか?
コロナ禍で仕事がなくなってからなので、3年ぐらいですかね。 趣味をなにか持ちたいなぁと思っていたときにYouTubeで見つけたんです。
私の友人もYoutubeを通じて新しい趣味を見つけていました。
コロナ禍でSNSのリレーが流行っていたことを覚えていますか? 私にも先輩から「おにぎりリレー」が回ってきたんです。おにぎりをつくってインスタにアップしたら、次の人に回すというもので。
流行りましたね。
そのときに、肉を巻いたおにぎりをバラの花のように見せてインスタにアップしました。久しぶりに食卓を彩って食べたら“これはいいな”と思ったんです。
写真:にしおかすみこ暇・花サラダ(インスタグラム)
その後、もう少しカラフルなものをつくりたいと思っていたらYouTubeでカービングを見つけて。その動画をマネするうちに、ますます楽しくなっていったんです。
へー!どんどん“ハマって”いったんだ!それでそれで!
……こんなにちゃんとカービングの話を聞いてくださって、ありがたいです(笑)。
これ、すごく夢のある話だと思うんですよ。 "ある程度”の歳になると「新しい趣味なんかない」と思って新しいことにチャレンジすることを諦める人も多いですし、それが介護の合間に新たな趣味を見つけられたなんてとても素敵な話です。
実は、ベジタブルカービングだけを載せてるインスタをやってるんですけど、それが「恐ろしく」人気がないんですよ(笑)。だから興味を持っていただいてめちゃくちゃ嬉しいです。
そこまで“ハマれた”ことが、すごいことじゃないですか。
確かタイが発祥なんです。タイ語で説明しているYouTubeを参考にしてつくっていましたが、もっと上手になりたいという思いが強くなって、今は教室に習いに行ってるんです。
うんうん、素晴らしい!
こんなに褒められるなんて(笑)。
ベジタブルカービングって一石二鳥なんですよ。一人暮らしのときは肌が荒れていたのに、野菜を食べるようになってから吹き出物がなくなったんです。
うん、お肌もとてもおきれいだもの。
劇的に肌が変わっていったから、野菜の力ってすごいなって。
それも良い話!次作のテーマは、「ベジタブルカービング」でいかがですか。
ええ!書けますかね!?
ぜったいに書けますよ!
夢をいただきました(笑)。
執筆活動だけでなく、今後のベジタブルカービングの作品も楽しみですね。 本日はありがとうございました。
1974年生まれ。千葉県出身。 2007年日本テレビ「エンタの神様」で女王様キャラのSMネタでブレイク。 春風亭小朝師匠の指導のもと落語に挑戦。高座名は「春風こえむ」。 著書には自叙伝エッセイ『化けの皮』がある。 現在ではテレビ東京「なないろ日和!」など、リポーターとしても活躍中。 趣味のマラソンでは、2019年にフルマラソンで3時間05分03秒、 2015年能登半島すずウルトラマラソン102km女子の部にて第2位。 最近はベジタブルカービングにハマりクオリティの高さで話題になる。