倒れたの、いつだっけ?最初は原因不明で、心肺停止しちゃったんだよね。
今回のゲストは小説家、エッセイストの中村うさぎさん。中村さんは2013年に原因不明の病気に侵され、その後100万人に1人と言われる難病「スティッフパーソン症候群」と診断されました。破天荒な生活を送ってきた中村さんはこれからの人生をどう考えるのか。中村さんと古くからの友人である漫画家くらたまが真面目に語り合いました。
- 構成:みんなの介護
買い物依存症、ホスト、整形、心肺停止、難病――。紆余曲折を経てきた人生の集大成として中村さんは2016年に『あとは死ぬだけ』を上梓しています。本書の中で「これは現時点での私の『形見分け』である」と綴る中村さん。両親のこと、女性であること、結婚、物書きという仕事…。自らの人生を振り返り、血肉とした考えを余すところなく紹介した迫力のエッセイ。
難病を乗り越えて…


ええと…。詳しくは夫に聞かないとわかんないんだけど、2013年の夏だね。結局、「スティッフパーソン症候群」ってわかったのは、もっと後のことだったんだけどね。

100万人に1人くらいの病気なんでしょ?

うん。自己免疫疾患。神経系統がうまく働かずに体が動かなくなる病気なんだよね。今は左足と左手が麻痺してるけど、次はどこを動かせなくなるのかわからない。

手も動かないの?

そう。転んで手をついちゃったことがあって、それから動かなくなった。

怪我も怖いね…。うさぎちゃんは昔からハイヒール大好きで、「スニーカーなんか履きたくない」って言ってたけど、今はどうしてるの?

今はしょうがないからヒールのない靴を履いてるよ。杖で歩けるようになったしね。
この間、友だちから「病気になる前はピンヒールでぐらぐら歩いてたけど、今は昔より足取りしっかりしてるじゃん」て言われた。そんなふうに見られてたとはね(苦笑)。

確かに昔は不安定な靴ばっかりだったよね。ヒールのない靴は持ってなかったもんね。

うん。スニーカーも持ってなかった。
望ましくない変化は絶対に受け入れない脳

じゃあ、倒れてからもう7年も経ってるんだね。

そうね。だいぶ慣れてきたけど、今でも夢の中ではちゃんと歩けるし、飛んだり跳ねたりできるんだよね。「杖がないと歩けない」のが現実なんだけど、脳は望ましくない変化は絶対に受け入れない。
例えば、整形した時って最初は喜んで見てるんだけど、そのうちその顔に慣れちゃって、前の顔を忘れしまうの。これには自分でも驚いたね。顔ってアイデンティティなのに、記憶が上書きされて、もともとの自分の顔を忘れるんだよ?
自分が写っている昔の写真が机の引き出しからひょっこり出てきた時とか「誰?」ってなっちゃう。着ている服とかでさすがに自分だとはわかるんだけどね。

そんなに忘れちゃうんだ…。

でも、自分にとって「歩けない」といったマイナスのことは受け入れられないから、脳が上書きしないでずっと心に引っかかり続ける。
脳は「もしかしたら元に戻るんじゃないか」とか思ってるから、しぶとい。まあ、今は杖で歩けるようになったから、車椅子の時よりはだいぶマシだけどね。
本当に怖い「歩きスマホ」

今はトイレも一人で大丈夫なんでしょ?

うん。外では杖を使うけど、家の中では伝い歩きできるくらいまでになった。
障がいを持って感じたのは、外だと「歩きスマホ」の人が怖すぎるっていうこと。やっている方は大丈夫だと思ってるんだろうけど、目の前からこっちを見ずにずんずん歩いて来て「この人、絶対に私にぶつかる」と思ったら、足がすくんじゃう。

なるほど。普段は見逃してしまいがちだけど、その立場になってわかることがあるね。

そう。歩きスマホだって自分もしてたかもしれないから、障がいを持つまで怖いことだっていうことに気づかなかった。

そうだよね…。

歩きスマホのほかには、必要ない人が多機能トイレを長時間使うのはほんとやめてほしい。
まあ子どもが小さいとトイレが大変なのもわかるんだけど、トイレだけさせてるとは思えないくらい長い人もいるんだよね。着替えとか荷物整理とかしてるのかもしれないけど…。

当事者感覚だよね…。「自分が障がいを持ったら」ってなかなか考えられない。

あと、世の中まだまだバリアフリーじゃないね。長い階段になると、エレベーターがあるところも多いけど、実は5段くらいの階段が大変なのよ。

それもなかなか気づかないなあ。確かに車椅子じゃ厳しいもんね。

建物の構造上でしかたなく段差があるのはしょうがないけど、オシャレのつもりで階段をつけてるカフェとか、「なんでこんなとこに階段が!」ってなる。

どこがバリアフリーに対応しているとか、そういう情報ってホームページで見るの?

ネットで探す時は店内写真で階段がどういうふうになっているかをチェックする。あとは手すりがあるかどうか。今は手すりがあれば階段も使えるからね。

なるほど。

ウチは1階と地下のメゾネットタイプで、風呂場が地下だから大変。降りる時は「尻降り」で、昇る時は四つん這いで昇り降りしている。尻降りはお尻が汚れるけど、安定感があるんだよね。
お気に入りのレストランが半地下にあるんだけど、今でも尻降りして通ってるよ。だって、そうまでしてでも行きたいレストランだからさ(笑)。
「偽装結婚」と叩かれてから20年以上

それにしても、旦那さんがうさぎちゃんのことをずっと介護しているんでしょ?すごいことだよね。

ほんとにね。「介護の大変さ」を誰よりも夫に語ってほしいんだけど、語りたがらない。私には彼ほどの介護はできないね。

私も夫にはできないなあ…。

まあ、夫も今のほうがやさしいかな。あの人、捨て猫とか弱い者にやさしいから。私は猫と同格ね(笑)。

夫婦の形はいろいろだけど、こんな献身的な介護は、普通はできることじゃないよね。24時間だもの。介護がムリで離婚する夫婦もいるしね…。

ほんとだよ。ゲイで外国籍の夫と1997年に結婚した時は、「偽装」って叩かれたけど、もう20年以上続いてる。それに、今も献身的に介護してくれてるからね。もう誰にも「偽装」とか言わせないよ。
「恋愛結婚で異性で子どもがいても、オマエんちの旦那はここまでやってくれるか?」って言いたいね。「結婚って何?」って話よ。

ほんとそうだよね。危機が来ると、そのあたりが浮き彫りになるね。

普通の夫婦の危機ってさ、だいたい浮気なんだけど、私たちはもともと「お互いに恋愛とセックスは外で自由にやる。そして、外での恋愛やセックスは一切、家に持ち込まない」という取り決めで結婚して、お互いに外で恋愛をしてきた。
まあ今は彼は52歳、私は62歳なんで、すっかり二人で枯れちゃってるけどね(笑)。
今後の私の課題は「他者を受け容れること」であろう。そう、たぶん私にとっての「結婚」の意義は、自分の人生に他者を受け容れることだったのだ。「愛」の本質とは、おそらく「受容」なのだと思う…(中略)…私は、おそらく残り少ないであろう人生を、「愛」について真面目に考える時間に充てなくてはならないのだ。
(『あとは死ぬだけ』P144より引用)
好きなことをするために生きている

この間も医者から「尿酸値が高いから痛風になる」って言われたけど、イタリアンレストランでレバーを食いまくったりしてる。痛風はレバーと魚卵がダメなんだけどね。
痛風は痛いっていうからイヤだけど、いつか死ぬのになんで食べたいものをガマンしないといけないのよ。

確かにいつかは死ぬけど、それはちょっと違うんじゃ…(笑)。多少はコントロールしようよ。

でも、気をつけたってしょうがないよ。私なんて花粉症もアトピーもないのに、自己免疫疾患なんて思いもよらない病気になるんだし。たばこを吸わなくてもがんになる人はなるよ。
もし好きなもの食べて、痛風になったらその時に反省する。何のために生きるかって、好きなことをするためじゃん。

うさぎちゃんって、ほんと昔から「0か100」だよね。

そう。「片づけない」と決めたら絶対に片づけないし、気に入った靴が履けないなら靴も服も何でもいい。
歯も悪いんだけど、歯医者にも一人じゃ行けない。だから、もういいやと思って、基本的にやわらかいものしか食べてない。

そういう解決法か(笑)。いつも斜め上だよね。それってどうなの?

じゃあどうすんの?入れ歯入れたりするの?

私ならそうするかな…。でも、うさぎちゃんは例えば電球が切れたとしても切れたままにしとくよね?

うん。公共料金の銀行引き落としの手続きも面倒なのでやらない。

確かに手続きは面倒だけど、一回めんどくさいのを乗り越えたら、あとはすごいラクなのよ?

それはよくわかってる(笑)。今は夫がやってくれてるからわかんないんだけど、それでも前はいちいち払いに行ってたね。

その方が普通は面倒だよ。

そう。それで払いに行くのが面倒で放置してたら、最初に止められたのは家の固定電話だったよ。気づいてたんだけど、「なくてもいいや」ってそのままにしていた。
私は当時ライトノベル作家だったんだけど、その頃かかってくる電話なんて、友だちのどうでもいい長話か、編集者の催促ばっかりだったからね。
そんなある日、編集者が「電話が止まってます」って家に来たの。「私は困ってない」って言ったら、「ウチが困るんで払います」と言って、本当に私の電話代を払ってくれた(笑)。
他人様に払ってもらうのは申し訳ないから、その後はちゃんと払うことにしたよ…。

「めんどくさい」の境界線が違うよ(笑)。必死でゲームはやるのに…。

だって、ゲームは楽しいもの。楽しいからやるんだよ。

そうか、楽しいことを選んで生きてるんだ。やりたくないことをやらないって、いい生き方ではあるよね。

やりたくないことはやりたくないもの。若い頃は、有名になりたいとか野望があって、働くのにも功名心とか虚栄心とか動機があるけど、今はないからね。
お金がなくなったら、最終的には段ボール生活でもいいやって思っている。風呂も嫌いだし、何も困らない。友だちの何人かが食べものだけは差し入れてくれるって言ってくれてるしね。

究極的にやりたいことをやるっていうところはぶれないよね。

うん、ぶれない。でも最終的には電話代も公共料金も税金も払ったよ。

それ、ぶれとかの問題じゃないわ(笑)。

でも、あたしだって、ある時期までは真面目に生きてたんだけどね。

〆切も守るしね。

だって、「あいつは〆切を守らない」とか言われたくないからさ。

結局、動機の問題だよね。私は「こういうふうに思われたくない」とか思ったことないな。

じゃあ、どういう動機?

「他人に迷惑をかけたくない」とかかな。

それは私も思う。昔は必死でダイエットもしたけど、そもそも誰にも迷惑はかけない。だから、「太ってもいいやって」って気持ちになるし、糖尿や痛風のリスクがあっても自分が食べたいもの食べようって思うのよ。
さて、これを読んでいるすべての変人たちに告ぐ。あなたのその「変」は、あなたの才能である。その「変」を何に使うのか、じっくり考えることで、あなたの人生の指針は決まるのだ。あなたの過剰さ、あなたの欠落は、あなた独自の「歪み」を生む。私の読者は己の歪みに苦しむ人々だ。
(『あとは死ぬだけ』P124より引用)

全部つながってるんだね。
病気になって「あきらめること」を知った

普通は、年を取ってムリができなくなって、いろんなことをあきらめるんだと思うんだけど、あたしは病気で体が不自由になってあきらめた。
「不自由とは、いろんなことをあきらめること」だとわかったね。でも、障がいがなかったら、いつまでもあきらめてなかったと思う。
この年になっても着飾ることや遊びに行くこと、恋愛すること、セックスすること、これらを何一つあきらめずに、「私はまだイケるはず」って、舞台から降りられない女優みたいになってたと思う。
いろいろあきらめなきゃいけないのに、自分自身あきらめが悪いから、整形して加齢の衰えを隠して、いろんなことを自転車操業でやってきたの。病気はあきらめる良いきっかけになったね。

そういう発想にいかなくなったってことでしょ?性を手放すって、誰しもいつかはあることだから。

もう何もしたくなくなっちゃった。

しみいるねえ……。

今は、必死感がないというか、生きてる実感がないんだよね。毎日ぼんやりして生きてる。

それはそれでいいんじゃないの? あんまり過激な生き方を続けても…。

人生は、私にあきらめるための「病気」という名の引導を渡してくれた。なんだかあきらめたら、すごく楽になったよ。
昔は楽しかったけど、苦しかった。いまは楽しくも、苦しくもなくただ楽だね。
私は母が認知症だけど、昔は人から笑われるのをすごく気にしてた。父が介護してるんだけど、今は人からどう見られるか考えなくて気ままにふるまうから、周囲は迷惑だけど、幸せだと思う。
認知症って、責任感とか義務感とかぜんぜんなくなるのね。

そういうのから自由になっていくのがいいね。

呆けた者勝ちだよ。老化は楽になることだと思う。そして「最終的な楽」は、死ぬことだよね。
- 撮影:荻山 拓也

中村うさぎ
1958年、福岡県生まれ。同志社大学文学部英文科卒。OL、コピーライターを経て、ジュニア小説『ゴクドーくん漫遊記』がベストセラーに。買い物依存症の日々を赤裸々に描いた「週刊文春」連載コラム「ショッピングの女王」がブレイク。著書として、『女という病』『私という病』『愛という病』『狂人失格』『うさぎとマツコの往復書簡』(マツコ・デラックス氏との共著)『あとは死ぬだけ』など多数。