昨年秋に出版された『死にたくない 一億総終活時代の人生観』(角川新書)は内容もさることながら、タイトルがすごいですよね。こんなストレートで、キャッチーな言葉が残っていたかと驚きました。
今回のゲストは漫画家でタレントの蛭子能収さん。蛭子さんは2020年7月に放送されたテレビ番組で自身がアルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症が併発した軽度の認知症であることを公表しました。認知症になっても決して悲観することのない蛭子さん。2019年10月には『死にたくない 一億総終活時代の人生観』を上梓しており、著書の中で自らの人生を「『死にたくない』と思って生きてきただけ」と振り返っています。「人生100年時代」と言われる現在の日本で、蛭子さんのように生きるにはどうしたらよいのか。漫画家くらたまと語り合いました。
- 構成:みんなの介護
漫画家、俳優、タレント、本の執筆など、マルチな活動を続けている蛭子能収氏。「現代の自由人」こと蛭子氏が人生の「総決算」として、「老い」や『家族』、『死』の問題について、思うところを綴る。「高齢者と呼ばれる年代に入っても、人生はまだまだこれからですよ」と述べ、生きるヒントが満載の本書。いったい、蛭子氏は終活とどう向き合っているのか。幸せな人生を送るための、いわば「高齢者総蛭子化計画」に向けた渾身の一冊。
過剰なまでに謙虚な蛭子さん


「死にたくない」って、普段から言っていることで、「いつか重要な時に使おう」と思ってたんです。でも最終的には編集者が決めたんですけどね。

この本も売れてますよね?

まあまあですかね。『ひとりぼっちを笑うな』(2014年)のほうが売れたから…。

漫画家の蛭子さんですが、漫画よりも活字の本のほうが売れていますよね。もっと言えば、『太川蛭子の旅バラ』(テレビ東京)とかタレントとしての人気のほうが高い。

うーん…。でもね、タレントとしてはもう飽きられたかなーとも思ってる。

そんなことないですよ!蛭子さんて、昔からずっとネガティブですよね?

まあね…。でも、実際は「ダメ」とか言っておいて、言っていることの中身はポジティブにしようとは思っているんですけど。俺みたいなのが人が喜ぶような前向きなことばかり言うと憎まれちゃうかな…とも思うんですよ。

そこですか(笑)。それも昔から言ってますよね。過剰なまでに謙虚というか、「卑下」に近い感じですね。

周囲の人のことを「あんたが大将」と「一番」に持ち上げて接しています。でも、内心では全然そう思ってないんですけどね…。

そのおかげで敵もつくらずここまで来れたわけですね(笑)。

いや、どうだか。俺のことを嫌いな人は多いと思いますよ。

好みの問題としての「嫌いなタレントさん」ではなくて、発言がネットで炎上したりして「あいつ許せん!」みたいになったことはないでしょう?

うん。今のところ炎上の経験はないですね。

ほらね。蛭子さんは30年以上も漫画やテレビで活躍されてるのに、炎上経験がないのはめずらしいですよ。長くやってる方は、たいてい何かでバッシングされたりしますよ。

そうかなあ?
お金がないからギャンブルをやめた?

ところで蛭子さんといえば、麻雀と競艇といったギャンブル好きで有名でしたけど、もうおやめになったってお聞きして、とても驚いています。
少し前にお会いした時はまだなさってたと思うんですけど、この何年かでおやめになったんですよね?

自分も一生やると思ってたんですけど、だんだん勝てなくなってきてしまったんです…。それに、競艇は一生で1億円以上は負けていると思うんですけど、女房からも「老後のことを考えてもうダメだから」って言われてしまったんですね。
今は「こづかい制」だから、負けちゃうと資金も残らないし…。

ご著書にもありましたけど、奥様からおこづかいをもらっているんですよね。

そう。何度かお金を落としたりもしてるんでね。俺は何よりも競艇が大好きだったんですけどね…。

人間て変わるんですね!

やっぱりお金がなくなると、仕方ないよね。

ないわけじゃなくて、「おこづかい制」になっただけでしょ(笑)。でも、競艇場でいろんな選手を見るのは楽しいですよね。最近は若い女性の選手も増えて、人気があります。

俺はずっと男性選手を中心に応援してきたので、女性はわからないです。でも、若い女性の選手がスピードを落とさずにターンするのを見ると、「かっこいい」とは思いますね。

ギャンブルも新型コロナウイルスの影響がありますよね。今は競艇も無観客で、券はネットで買いますし、雀荘も「密」ですもんね。
現地に行けなくて、スマホやパソコンで券を買えないご年配の方などは、やめてしまわれる方が多いでしょうね。

うん。俺はパソコン使えないし、券も買えない。…ところで、新型コロナウイルスってよく聞くけど、かかったら死んだりするの?

死ぬ人もいますね。新型コロナウイルスは「正体」がよくわからないから、怖いんです。

そうか…。俺、よくわからないんだよな。

新型コロナウイルスはひとまず置いておいて、ギャンブルをやめてよかったと思いますか?

本当は続けたかったんだけど、今となったらもうできなくなっちゃったからね。麻雀はほとんどやってないのでルールも覚えてるかどうか…。

やってないと忘れますよね。私もあまりにも勝てなかった時があって、スッパリやめました。

やっぱり勝てないと嫌だよね…。
ギャンブルの代わりは「公園で遊ぶ子どもを見る」こと

ギャンブルをやめられて、いまは何が趣味なんですか?

家の近くに公園があるんですけど、近所の友だちと15分くらいかけて歩いて行って、毎日そこのスタバでコーヒーを飲んでます。公園に遊びに来てる子どもたちを見ながらコーヒーを飲むんです。地味ですけどそれが趣味ですね。
それで、自分でも怖いんですけど、「子どものうちの誰か、迷子にならんかな」と思って期待しながら見ているんです。

それはなんでですか!?(笑)

そうしたら俺が助けに行けるじゃない!

え?そうですかね…(笑)。なんだか蛭子さんて、前に「お孫さんの名前が覚えられない」って話題になってましたし、奥様以外のご家族には興味ないのかと思っていたんですが、公園の子どもたちはかわいいと思うんですね(笑)。

うん、そうですね。あっち行ったりこっち行ったりして、子どもはかわいいですよ。それで親御さんとはぐれて泣いてたら、「こっちだよ」って教えてあげたいの。いつかはやりたいな。

泣いてる子どもを親御さんのところに連れていくことがしたいんですね(笑)。お散歩のとき、お昼ごはんはどうしてるんですか?

昼飯は、そのまま友だちと外で食べます。洋食の「つばめグリル」に行って、よくハンバーグとか食べますね。

つばめグリル!いいですね(笑)。私も大好き。ご飯を食べたあとは?

午後はウチに帰って…仕事です。イラストの仕事は月に5本あるんです。あとはテレビの収録ですね。医者から「お昼を食べてから夕方の5時くらいまでが一番頭が冴えている時間なので、その時間帯に仕事を入れてください」と言われているんですよ。
テレビ番組で「認知症」と診断

とても健康的な毎日ですけど、蛭子さんは認知症であることを公表されていますよね?最初はなんでわかったんですか?

テレビの番組ですね。一番最初は5年くらい前に、医者に「軽度の認知症」って言われたんだけど、特に自覚症状もなくて…。普通に仕事もできてましたしね。

もともと蛭子さんて、お酒もたばこもやらないんですよね?

そう。めまいがひどくてちょっと入院したことがあるくらいで、病気をしたことはないです。

すごいなあ。

5年前の時は放っておいたんだけど、それから2020年7月にまた『主治医が見つかる診療所』(テレビ東京系)で、アルツハイマー(アルツハイマー型認知症)とレビー(レビー小体型認知症)と診断されたんです。

よく公表されましたよね。

だって、仕事で迷惑かけることもあるかもしれないしね。

でも、今のところはお仕事に支障はないですよね?

今のところはね…。レビーは幻覚が見えるらしいんだけど、一回、⼀瞬だけだったんだけど洗濯物が女房に見えたことがあったんです。そのことを取材でちょっと話したら、ものすごく大きくネットニュースに出ちゃったということがあった…。

なるほど…。でも、生活で困ってることはないんですね?

そんなにないです。といっても家に帰ると、少しぼんやりしちゃうことはあるかな。

でも、お仕事の時は大丈夫なんですね。人間て、不思議ですね。認知症のお薬は?

飲んでます。朝と昼…あれ、朝と夜か。
漫画家だけど絵を描くのはめんどくさい

一般的に漫画家さんや絵描きさんて、自分の絵にすごくこだわりがある人が多いけど、蛭子さんはそういうこだわりがないですよね。

ないですね。下書きをしてペン入れするのって、めんどくさいし。
僕はたぶんストレスが少なく生きられているほうですが、そんな僕でもいまの生活のなかでストレスを感じるときはあります。それが、苦手であるにもかかわらず、なんとか続けている漫画を描くことです。
(『死にたくない 一億総終活時代の人生観』P174より引用)

わかります(笑)。蛭子さんは漫画家なのに「絵を描くのがめんどくさい」ってよくおっしゃってますよね。ちょっと前だけど、東京・渋谷パルコの蛭子さんの展覧会(2016年)のポスターで、山手線の車輪を水滴にしたのがありましたよね。

よく覚えてるね(笑)。忘れちゃったなぁ。

展覧会のイベントの対談に呼んでいただいたじゃないですか(笑)。それで、「なんで車輪じゃないんですか?」って聞いたら、蛭子さんが「車輪を描くのって、めんどくさいじゃないですか」っておっしゃったんですよ。
その時に「この人みたいな絵描きさんをほかに知らないわ」と思ったんです。

だって、本当にめんどくさいだもん!

でも、見る側は、勝手に「蛭子さんの頭の中は、どうなっているんだろう?すごい!面白い!!」ってなりますからね(笑)。

それはありがたいですね(笑)。

あと、展覧会に出す絵を「大きく描くのがめんどくさいから」という理由で、描いてから拡大コピーをされてましたよね。展覧会では、普通はそんなことしないですよ。

そうかなあ?

そうですよ(笑)。まあ絵も商売ですから、「ここはこう描こう」というよりも、「この絵はいくらくらいになるかな?」って考えることはありますけどね。私たち、もしかして性格が似てるかも?

俺、お金大好きなんだけど、漫画を描くのも金のために描いてるからね。
言ってしまえば、僕は「仕事の意味」や「仕事人の誇り」なんかいらないから、現金がほしいだけ。むかしのドラマじゃないけれど、同情するなら現金がほしいのです。
(『死にたくない 一億総終活時代の人生観』P78より引用)
とにかく、ご飯を食べるために働くこと。仕事をして、お金をもらって、食べて寝るという、人間が社会で生きていく基本をずっとやっているだけなのです。

私もです。でも蛭子さんだけですよ。「お金のためにやってる」ってカミングアウトできる漫画家さんは。あとは、「コスパ」も考えますよね。

「コスパ」ってよく聞くけど、どういうことなの?

漫画を描くよりテレビに出るほうが短時間で儲かる、とかですよ。そういう考えで蛭子さんは、テレビもずっと出てらっしゃいますよね。

それはそうですね。テレビに出る前は劇団公演のポスターとかレコードのジャケットとか描いていて、それから『笑っていいとも!』(フジテレビ系)に出るようになった。

1980年代はヘタウマブームで、蛭子さんも「ギャンブル好きの変な漫画家さん」として「サブカルの神様」でしたよね。
もしかして俺、死なないかも?

ところで、蛭子さんの昔の漫画には、残酷な殺人の描写がけっこうありましたよね。

当時は「とにかく、人間として、最高の痛みを伴わせて殺してやろう」と思って漫画を描いていました。

怖い(笑)。なんでそんなの描いてたんですか?

若い頃に働いてた看板屋の先輩がいじわるでね。家に帰って絵で復讐をしてやろうと思って描いたんです。よくよく考えると、自分でもちょっと恐ろしくなりますね…。

なるほど。そういうリアルな殺意みたいなものが最初にあっての残酷描写なんですね。

そうですね。でも、最近はそういうのは描かないですね。今は殺したいほど嫌いな人はいないし、だんだん幸せになってきて、殺意とかがなくなってきたんですよ。

今はお幸せなんですね?

そうかもね。俺もよくわかんないけど…幸せかな?

いいことですよ。年を取ると、どうしても寂しくなったりして、いいことがないじゃないですか。蛭子さんみたいに生きるにはどうすればいいんでしょう?

まずはお気に入りの公園を見つけることかな(笑)。つらい時とかさびしい時も公園に行って、コーヒーを飲むといいですよ。それで、公園で子どもを見て、迷子になるの待つ(笑)。

公園はいいですね。子どももいるし(笑)。やっぱり自分の「居場所」って大事ですね。いま蛭子さんは死ぬことに恐怖ってありますか?

死ぬのはすごく怖いですよ。死んだら自分の生き方とか、すべてがないものになるでしょう?とにかく、死にたくないです。生きているうちは、自分の好きなことを成し遂げたい。
生物は少しでも長く生存するためにここまで進化してきたのだろうし、僕たちは生物が進化していく過程の途上にあるのです。だから、人が「死にたくない」と言うことなんて、あたりまえのことなのだと思います。
(『死にたくない 一億総終活時代の人生観』P61より引用)

蛭子さんなら大丈夫でしょ。

でもね、最近朝起きたら頭がぼやっとするんです。こういう人は近々死ぬって本で読んだことがあって心配…。まあ、先のことを考えるとよくわかんなくなることがあるけど、「俺、もしかして死なないかも?」と思って生きてます。

蛭子さんはほんとに死なない気がしますよ。

そう?

まだまだ死なない!

そうかなあ(笑)。
- 撮影:荻山 拓也

蛭子能収
1947年、長崎県生まれ。漫画家、タレント、エッセイスト。長崎商業高校を卒業後、看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て、33歳で漫画家に。俳優、タレントとしても活躍中。著書として『ひとりぼっちを笑うな』『蛭子の論語』(ともに角川新書)、『芸能界 蛭子目線』(竹書房)、『笑われる勇気』『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(ともに光文社)、『ヘタウマな愛』(新潮文庫)など多数。