SFと思っていた末来が来る?
新型コロナでいろんなことが変わる予感

どうやら長いスパンでこの新型コロナの時代を考えなくてはいけないんだろう、と皆が感じ始めていることと思う。

昔、映画やテレビで見た未来の地球は、都市が巨大なカプセルで覆われていて、謎の物質に脅かされて外に出ることができなかったり、植物も育たなくなったりしていた。そんな時代がすぐそこに来ているんじゃないかと頭をよぎる。

外出も、今日は赤のグループに属している人のみの順番制とか、チケットを持っている人優先とかになったりするかも。学校はリモート併用、集団行動を学ぶために特別に集まるとか。サービス業(対面の接客などを必要とされる職業)が技術職と認められ高給になる。会社も自分のすべきことができればどこにいたっていい職種が増えてくる。

外食だって、それぞれがお一人様カプセルに入って皆で会食なんていうのがスタンダードになるかもしれない。我ながらいい案が思いついたものだ。外食産業の方、カプセル会食なんてどうだろう?

ちょっと前ならSFか、「ふざけてるの?」と言われそうだが、今はそんな時代がすぐそこに来そうな気がする。

マスクはスタンダードになった
それでも人によって違う新型コロナへの考え

現実の今の世の中では、まず子ども、学生が自粛期間という名のもとで自宅に篭った。それに時を同じくして高齢者や体に不安を感じる方が外出を控えた。それから一般の方も不要不急の外出を控えることとなった。3ヵ月は日本中が静まり返った。

きっとその自粛期間があったから、日本は莫大な感染者・死者数をあげずに済んだのかもしれない。消毒をこまめにして、手洗いも実行した。マスクはスタンダードになった。

マスクをするコータリさん

しかし、新型コロナの根絶には至らず、でも少しずつ少しずつみんなの生活は元に戻るのかなあ?そんな雰囲気の夏。GoToキャンペーンが始まり、恐る恐る人々も移動を始めた。「会社もやっぱり出社しなきゃいけないんだって」そんな残念な声も聞こえてくる。

専門的にどうなのかよくわかってはいないけど、毎日発表される感染者数は自粛期間よりずっと多かったりする。何をもってどう考えて自粛しなくていいとされているのかがいまいちわからない。

一つ言えることは、あの自粛期間があったからその期間いろいろな学習ができて、準備もできて今の行動につながっているわけで、無駄ではなかったということ。けれど釈然としない。

「よくわからないから、消毒などはこまめにしますが普通にしています」という方と、「危険だからやっぱり外には出ない」という方と、大きく分けると二通りの方がいて、ちょっとした揉めごとによく遭遇するようになった。

新型コロナで変わる父親が心配
でも「気にしすぎ!」とは言えない

親しい知人の男性から、ご家族についてのこんな話を聞いた。

その方のお父さんは3月からほとんど外出しなくなったという。84歳だが元気だった。野球観戦にも行っていたし、孫と公園に散歩にも行っていた。仲の良い老人会の仲間とファミレスランチにも行っていた。が、今はほとんど外には行かない。

孫が保育園から帰ってきて飛びついてくるのだって嫌がるようになった。息子が会社から帰ってくると、「換気する」と言って家中のドアを開ける。寒いからと言っても、2時間は開けっぱなしにしておいてほしいと言うそうだ。

外と接触している家族がいるから、と部屋からも出てこない。食事すら一緒にしなくなった。スーパーから買ってきた袋菓子も消毒してくれと言う。

一方で、知人自身は会社に行って都心のショッピングセンターに買い物に行って、この前は子供を連れてピクニックにも電車で行った。近々県外にGoToを使って一泊旅行にも行こうと思っているという。

普通の生活に戻りつつある。違うのはマスクと消毒液が玄関にあることと、妻のパートの日数が減ってしまったことと父親の行動だ。

でも、そんな頑なな父親に、「大丈夫だって!そんなにしなくても」とは言えないのが実情。自分だっていつ新型コロナにかかるかわからない。もしかしたらもうなっていたかもしれないと思うこともあるからだ。

最近は父親の食が細くなってちょっと痩せたような気がするのが心配だという。まだ体は健康だけど、精神的にどうかな?何かに追い詰められているような気がする。元々真面目な性格だったけど、新型コロナでこんなに神経質になるなんて異常だと思うこともあるそうだ。

一緒に生活していけるかギリギリだと思うことだってある。新型コロナで意見の相違が増え、喧嘩になりそうである、とのこと。

筋肉量も食欲も減少しそう…
少しでも安全に外出できないかなあ

「周りに新型コロナになった人は一人もいないし、危険だから気を配っているけど新型コロナってどこにいるのって感じ」そう何気なく友人同士で話していたら、ものすごい勢いで攻撃されてしまったという30代の主婦。

「そんなこと言ってる人がいるからいつまでも終わらないのよ、3キロ先の病院で感染者が出たって言うし周りの人ってどういう観点?十分近いじゃない。怖くて怖くて」と怒鳴られたそうだ。

3キロ先の病院で感染者が出たという同じ情報を聞いていても、その情報の心への刺さり方も受け取り方もまちまちだ。ましてや高齢者の方の情報の偏りには心配がある。

実際、このコラムでも再三言っていたけれど、人に会わなくなった高齢者は認知機能が衰える。筋肉量が目に見えて減るし、運動能力だけでなく食欲も減ってしまうことがある。

どんなに元気な高齢者だって、小さな箱の中で長い間過ごせばそうなることは目に見えている。出掛けたくない気持ちをなんとか柔らかくできないものだろうか?そして、少しでも安全に外出できる機会をつくれないだろうか?

ボクが旅した体験をVRに
障がい者や高齢者に旅を

今、東京大学の先端科学技術研究センター稲見・檜山・瓜生研究室の登嶋健太さんと、「VR等新技術を組み合わせ障害者や高齢者の皆さんが参加できるよう配慮された旅の企画」プロジェクトに取り組んでいる。

大きな目的は、VR(バーチャル・リアリティ:映像を通して実体験に近い体験を得られる技術)の映像を通して、外に出られない高齢者やお体が不自由な方に、旅に行ったような気持ちになってもらうこと。また、そういった方が映像を見ることで、行き先が車椅子に配慮されている場所かどうかや、障がいがあっても楽しめるかどうかを知り、旅に行きやすくなることを目指している。

高齢者や車椅子ユーザー、障がいをお持ちの方でも旅をしやすくなるようなコースなどを、ボクの車椅子に付けた360度カメラで映像に納めている。

VRの写真

ボクが「実際に車椅子で行ってみてどうだったか」を、できる限りリアルに見せることで、車椅子でも行けるこんな楽しい場所があるんだと新しい発見をしてもらいたいという思いで、試行錯誤している。

雨の日だったら車椅子は無理だよね?とか、この段差はちょっと…とか、トイレはどこ?とか、この道通れば平気なんじゃない?などなど、撮影とロケハンは止まっては考え、考えてはやり直して続く。

このプロジェクトには幾多の失敗の道のりがある。「車椅子でも多少無理すれば健常者と一緒に楽しめる」というレベルなのか、「車椅子でも全然OK」というレベルなのかも違うし、行く人本人や連れて行ってくれる人の意気込みによっても違うからだ。

そこまでして行きたいのか、そこまではしなくて良いのか。それによっても違う。いろいろな場合を考えて試す。

ボクは車椅子ユーザーでしゃべることができない障がいもある。左側も見えづらい。そんなボク自身の障がいの観点でしかないが、障がいは千差万別、確かめたいことは山ほどある。

失敗してもなぜか楽しい!
実験の先に誰かの笑顔が待っているから

登嶋さんと二人、車椅子に乗っての冒険旅行である。時には「いやあ、無理だったね、ちょっと失敗」そんなこともあったがなぜか楽しい。この無謀とも思える実験の後に誰かの笑顔が待っているかもしれないと思うからだと思う。

このコロナ禍で、家の玄関からちょっとした旅をして家の前まで帰ってくる。そんな旅をこれからもVRに納めてもらうつもりだ。まずVRを見てもらって、これなら外に出ても良さそうだと思えるようなVRを作ってもらおう。

そうしたらあの知人のお父さんの心にも、ちょっとは暖かなものが流れてくれるかもしれないなあと思ったりする。

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