吐血してしまった
誰も来てくれない。助けを呼びたいけど声も出ない

またまた救急車で運ばれて、入院までしてしまった。

その日、家には妻がいなかった。ボクの仕事で勝浦の方まで車で行ってもらっていた。

15時ぐらいから急に胃がムカムカしだした。

しばらくするとベッドの上で噴水のように吐いてしまった。

そしてあたりは一面血で染まった。そう、吐血だ。

誰も来ない。呼ぶ手立てもない。

20分ぐらい経った頃だろうか。83歳になる義母がボクの部屋にお茶を持って来てくれた。「た、助かった…」。

義母は大慌てで妻に電話している。

「ヘルパーさんに電話して着替えさせてもらって、すぐ往診のお医者さんを呼んで!」。そんなことを妻が義母に遠隔で伝えてくれたらしい。

その時点では「吐血」ではなくて「吐いた」ということで話は進んだ。

ヘルパーさんがやって来ると「これは吐血ですね」と義母に話す。義母はもっともっとうろたえて、妻にがんがん電話する。

2回目の吐血…。かなりの量だ
妻の顔を見たとたん、安心したボクは気を失った

「帰るまでにはどうしたって3時間はかかるから。往診の先生が着いたらまた電話して」。そう妻から義母に。

往診の先生が到着したときには「血圧も安定していてすぐにどうってことはなさそうです。奥さんが帰ってからで良いので、救急で病院に連れて行ってください。紹介状書いておきます。それと、万が一の場合に点滴できるように確保しておきますから」と言ってくれた。

妻の帰宅後、2年前に同じような症状で入院した大学病院Tに行く手はずになっていた。

そこでは大腸がんもそのとき発見されて思いのほか長い入院となった。

すると、30分もしないうちに今度はさっきよりもかなり大量の吐血をした。

洗面器いっぱいになるほどの吐血だ。

往診の先生も「もう救急車を呼んでください!」。そう言ったそうだ。

救急車の到着と同じタイミングで妻が帰ってきた。

妻の顔を見たとたん、ボクは安心したのか急に意識が遠のいた。

入院生活突入の儀式「拘束の承諾書」
妻「サインしないっていう選択もできるんですよね?」

目を覚ますとボクは病院のベッドにいた。

「神足さん、わかりますか?病院ですよ」。知らない医師が顔の近くでそう言った。

「ピ、ピ、ピ」。ああ、この音は病院の音だ。

酸素吸入器をつけられ、点滴をされ、指にも心電図やなんやらといろいろな管がつながれている。

「あれ?そんなに悪いんですか?」。目が覚めたボクあまりにもたくさんの管につながれているので、そう驚いた。言葉には出せないけどね。

横にはもしものときの「拘束」の承諾書を要求されている妻。

「これ、サインしないっていう選択もできるんですよね?」

「はい、もちろん。読んでいただいてご理解いただければ、です。ただ、いつもはなんでもない方でも、目覚めて知らないところでパニックを起こす方が稀にいらっしゃるので」とのこと。

ボクは「おいおい、もう目覚めてるって。それにパニックになんてならないって」。そう心のなかで言ってはみたものの、「今までそんなことはなかったですが…そうですか…。わかりました」とサインする妻。

妻の心配そうな顔を見てか、医師は「グローブとかそのぐらいです」。そう小さく言った。

これがボクの入院生活の入り口だ。

もう少し若い頃に入院したときはそんなこととは無縁だったが、最近はボクが入院するときは最初に必ずこの儀式をする。

初見の先生にはボクがどんな状態かわからないのは当然だ。が、妻は(実際ボクだって)それが不満でならない。

認知症のおばあちゃんをお見舞いに行ったとき、大きなミトンのグローブをさせられて、それを一生懸命に外そうとしていたのを思い出す。

その姿が未だに忘れられない。

それがまさか自分になるなんて、思ってもみなかった。

しかもボクは一応、自分のことはしっかりわかっているつもりだ。それでもそれを求められる。

妻の「拘束」の書類に対する憤りが伝わってくる。でもサインしちゃう…。そこで妻はまた深いため息。

まあ、拘束されることなく入院生活は過ぎていった。

また新しい病気が見つかってしまった
吐血は神様がくれる病気発見のきっかけ…なのかな?

今回困ったのは、以前入院した大学病院Tとは違う大学病院Sに運ばれてしまったこと。

意識も失ってしまったのだから緊急だった。仕方ない。

受け入れてくれた大学病院Sには感謝しかない。

同じような症状で入院して、これまでとは違う病院で診察してもらい、さらにまたまた別の病気まで発見されて、手術まで受けなければいけないらしい。

検査も最初からやり直しだ。

まあ、違う病院だと同じ発見でも治療方針が違ったりする。

いつも吐血は、違う病気を発見するためのきっかけを神様が与えてくださっているんじゃないだろうかって思うぐらいだ。

手術となれば元の大腸がんを手術した大学病院Tの方が良いんじゃないだろうか?いや、もっと元をたどれば、主治医と頼っていた脳の手術をしてくれた羽田空港近くのまた別の大学病院だ。

ボクはそこの先生が大好きである。

それが今回は救急車で運ばれて、次々と違う病院に行った。

もしものとき電話一本ですぐに受け入れてもらえたり、相談にのってもらえたりする太いパイプをボクが持っていれば良いのだろうが、そうではない。

急性期の病院の仕組みがそうなのだということなのだろうが、常にどこか心細い。

現状の連携システムにメスを入れるのはこわい
でも、これですっきりするのかも

今の自分には司令塔となって自分のすべての病をコントロールしてくれる主治医と言われる部分が弱いような気がする。

往診の先生がその役割なんだろうか。

ボクの場合、根本のくも膜下出血の病院。身体の麻痺を直すためのリハビリ科の病院。がんの病院の消化器内科の病院。往診の先生。

7年間でざっとみてもこれだけの違う先生が見てくださっているが、すべてがバラバラだ。

その理由としては救急車で運ばれてしまったりといろいろだが、本当にそれで良いのか不安になる。

素人目線に考えれば、同じ病院の方が連携がうまくいくんじゃないかとも思う。

友人に言わせれば、「同じ病院でも科が違えば最初からやり直しだよ」というが、情報を持っていっても最初からレントゲンを撮り直したりと効率が悪い。待ち時間も長い。

違う先生がみれば見立ても違う。それが吉と出ることももちろんある。

急性期、回復期と各病院の位置付けが違うことも理解しているが、患者はかなり不安である。

だからこそ司令塔になってくれるような要の先生がいてくれたらなあと切実に思う。

「もしものとき」に備えるためには、そんな普段の仕組みをじっくりもう一度考えなければいけないのかもしれない。

在宅介護の仕組みは介護と医療の連携が不可欠だからね。とはいえ、すでに出来上がっている自分の周りの連携システムにメスを入れるのはかなり勇気がいる。

けど、入り組み過ぎている病院関係をさっぱりさせられるのではないだろうか。