突然、動かない身体になったボクを、家族は
「大丈夫」、そう言って一緒に歩んでくれた
病気というのは、いつ何時その身に降りかかってくるかわからない。ボクのようにタバコを毎日2箱以上吸ってお酒もがんがん飲んで常に寝不足だったなんていう奴は自業自得。病気を呼び寄せてしまった。しかし、ほとんどの病気は「なぜ?」と思う方も少なくない。
ボクの知人でもマクロビにヨガ、毎年健康診断も欠かさないという、どちらかというと健康オタクの人が「乳がん」になった。「なぜ?」。そう毎日問うたという。それに突然の不意の事故。外傷性のクモ膜下や脊髄損傷、交通事故、ガンやさまざまな病気。防ぎようもなく突然それはやってくる。健康に気をつけていた人にはそのショックも大きい。
ボクが2011年にクモ膜下出血になったときは、気がついたら病院で動かない体になっていた。実際、その頃のことは途切れ途切れの記憶しかないが、いったい何がどうなったのかもわからないで目だけを見開いていた、そんな感じだ。
その目をつぶってもう一度あけたら、普通の自分に戻っているんじゃないかと思った。しかし、ずっと眼をつぶっていたかった。けれど、もうなってしまったことだからしかたないと、どこか諦めて自分に折り合いをつけて病気と付き合ってきた。家族だって同じだと思う。ボクという病人を抱え、言葉では言い表せないほどの苦労をさせてしまった。けれど、「大丈夫」そういって一緒に歩んできてくれた。
それが一昨年、ひょんなことから大腸がんが発見されてしまった。そのときはショックだった。「がん」だったからではない。また病気になってしまったという落胆だ。「ああ、またか」そう思って切なくなった。いままで平静を装っていたのにガタガタと崩れていく。今までの病気でどんなに頑張ってきても、違う病気になってしまってはお手上げだ。
それでも治療が進んでいけば平常心が保てるようにもなってくる。たとえ完治していなくても。慣れとは恐ろしいものだ。楽天的な雰囲気にしてくれている家族にも感謝だ。いや、そうでもしないと心が折れるのかもしれない。
身内の病気は恐ろしい。
経験者のアドバイスさえやぶ蛇になりそうで
「今の医療はガンなんて盲腸と同じ。悪いものをとるだけだから」。そういって励ましてくれる人、「次から次へと大変だねえ」と思った通りを口に出す人。「大変だね」と言われても「大丈夫」と言われてもぴんとこない。まあ、病気なんて人により千差万別で同じなんてないわけだから「ボクの場合はちょっと違うんだけど」。そう思う方のほうが多いだろう。
先日、友人同士が「がん」談議をしていた。もちろんボクはしゃべれないから聞いていただけだが、乳がんを患った知人が、妹が「乳がん」になった友人と話している。「妹が3センチの腫瘍が発見されたみたいで…。いろいろ調べたら温存しないほうがいい感じだと、もう絶望的だって話してる」「わたしは全部取っちゃったし、リンパもとったけどもう7年大丈夫。あと3年だと思って頑張ってる。今年は乳房の再成形手術使用と思って、妹さんもそういう道だってあるから」。そう励ましたつもりが「だって妹はあなたより若いのよ」とけっこう強めに返して、その場が一瞬嫌なムードが流れた。妹さんがその乳がんを患った知人の5歳下で55歳ということなのだが。
解散してから「5歳若いから進行が早いっていうの?」「まだ若いからかわいそうだというの?」と彼女。彼女の気持ちもよくわかる。
その病気を経験もしていない人に言われたならともかく、経験者からのアドバイスとしても耳に入らないほど身内の病気っていうものは恐ろしいものだし、大変に思える。
ボクだって世の中にはもっともっとボクなんかより大変な方がいらっしゃることもわかっているつもりだ。だけど、自分の病気は恐ろしい。やっぱり一大事なのだ。
これからも病気と付き合っていく。
その覚悟ができた今、我が家はわりと普通です
ガンの手術をして1年がたった。もうすっかりいつもの生活に戻りつつあった。これで3ヶ月に一回の検診も6ヵ月に1回になるという。「1年目だからちょっと念入りに調べましょう」そうもう顔なじみになった外科の先生から言われる。
先生「ちょっと影があるんだよね、念のためもう一回検査させてください」。妻「そうですか、じゃ、入院で調べてください。前回、検査自体も大変だったので」。
慣れたものである。ボクの心の声「もうあなた(新しい病気)には構っていられない。前の病気(クモ膜下)で十分忙しいんだから」。そんな気分なのだ。今回は落胆というよりか「あ~はい、はい」。そんな今は感じである。
ガンともクモ膜下の後遺症とも付き合っていかなければならないのだから。そういう覚悟ができたことが今回のことでわかった。我が家は今、わりと普通の生活に戻っている。いつもののんびりとした空気だ。これから悪い病気とも闘っていかなければならない。