いいね!を押すと最新の介護ニュースを毎日お届け

施設数No.1老人ホーム検索サイト

入居相談センター(無料)9:00〜19:00年中無休
0120-370-915

ママ友座談会に学ぶ 「介護」の距離感<後編>

「ママ友」による介護座談会の後編です。親を介護するママさん、孫として介護に参加していたママさん、通いの介護をするママさん……施設入所のお話を中心に、介護の距離感についてのお話を伺います。

この記事に登場するみなさんのプロフィール(敬称略)
小西 (仮) 小西 (仮) 吉野 (仮) 吉野 (仮) 杉浦 (仮) 杉浦 (仮)
要介護3の80代の母が、2022年6月より特養に入所している。母の介護を共にした父は、母の入所後の同年10月に他界。入所以前は3世代同居していた。
30年以上前に祖父母を在宅介護していた。80歳前後の両親、義両親は持病こそあるが健在”。介護に対して漠然とした不安を抱いている。
80代の要介護4の母が独居している。父は2021年に他界。ショートステイを利用しながら、自宅近くに暮らす母の通い介護をしている。

「ママ友」の介護座談会

みんなの介護(以下、―――)
前編ではそれぞれの立場での皆さまの介護のお話を伺いました。後編では、小西さんのお母さまの入居のお話をお伺いできればと思います。まずは入居するまでのお母さまについて伺えますか。

小西小西
認知症の症状が悪化する過程で「一人歩き」がひっきりなしに見られるようになってしまって……。お隣の奥さまが「一人歩き」をする母を近所の公園のベンチで引き止めてくれたこともあったぐらいで。
吉野吉野
「一人歩き」以外にも症状はあったの?
小西小西
老人性うつの症状も見られるようになって、少しずつ「ひきこもる」ようになっていったかな。
杉浦杉浦
「一人歩き」とは相反するような状態だよね。
小西小西
そうそう。母はお買い物が好きだから「お買い物に行かない?」って誘っても、行きたがらない。……何が欲しいのかが自分でもわからなかったからかな。
吉野吉野
そうなんだ。そうかといって、ご自宅にいらっしゃってもねえ。
小西小西
うん。もともと母は、絵手紙やアンティークドールが趣味だったのに、脳出血を起こしてからは字も読めないし、細かな作業が苦手に。「楽しかった」ことがほとんどできない。

作業療法士さんや言語聴覚士さんにリハビリをしていただいても、取り組むのも“いや”になっちゃったみたいで。
杉浦杉浦
脳出血は再発するってことが聞いたことがあるんだけれども。
小西小西
そうなの。ある日、呂律がまわらなくて様子がおかしいと思って救急車を呼んだら、脳出血の後遺症のてんかん発作が起きたことがあって。

「ちょっと様子を見ましょう」ということで、水曜日に入院して週明けに退院予定だったのが、金曜に病院から電話がかかってきて……「引き取ってください。もう見られません」と。
吉野吉野
……暴れちゃったり?
小西小西
うん。点滴してもらっていても、自分で勝手に全部外しちゃうようなこともあって。迎えに行ったら腕のいたるところに内出血の跡があるの。

「大丈夫?」って聞くと、「どうしたのかなあ」「こんなの知らない。変だねえ」なんて言って。
杉浦杉浦
人にもよるんだけれども、入院によってパニックを起こす方もいるそうだから。やっぱり「いつもと違う」ということは影響が大きいのかもね。
吉野吉野
私の祖父も入院したときに暴れたみたいで、“赤ちゃん”みたいな服を着ていたなあ。ロンパースみたいな服。

お風呂を嫌がる理由は?

――― 当時の小西さんのお母さまのご自宅でのご様子も伺えますか。

杉浦杉浦
テレビがお好きだって言っていたよね、お母さま。
小西小西
そうそう。天気予報が大好きでしたよ。風景も楽しめるし、映像の移り変わりが緩やかだからかな?

あとは時代劇。
吉野吉野
時代劇はよくできているよね。勧善懲悪の一話完結だから、詳細がわからなくても「なんとなく」の視聴でも楽しめちゃう。

――― 杉浦さんにはどのようなことをお話されていたんですか。

小西小西
認知症の症状が見られ始めたころ、母の様子を伝えたことがあったんです。杉浦さんから「そのうちにお風呂を嫌がるかもよ」って言われたら、その1週間後に本当にいやになっちゃったみたいで。

いまでこそ笑えるけれども当時は大変だったなあ。
杉浦杉浦
それがさも毎日入っているような口で言うんだよね!

「入ったの?」って聞くと「もう入るよ」「入ろうと思っていた」って。「蕎麦屋の出前」じゃないんだから。
吉野吉野
(笑)。「さっき、うちの若いもんが出ましたんで!」って言われても、絶対にいまから茹でるでしょうってね。

――― (笑)。お風呂を嫌がる理由はどのようなことだと思われますか。

杉浦杉浦
お風呂って実は複雑ですよね。どこから脱げばいいのか、裸になってさてどうする……やることがいっぱいあるじゃないですか。
吉野吉野
うん。いざ浴室に入っても頭から洗うのか、身体から洗うのか。そんなことって私たちはすんなりできているけれども、認知症の方は裸でいる理由がわからなくなっちゃうことも。
小西小西
そうだよね。母は認知症になってしまいましたが、「父の面倒を見なきゃいけない」という使命感を強く持っていました。

だから、お風呂に入るにしても「おじいちゃんが入るからその前に入ってね」って伝えていました。
吉野吉野
なるほど!発想の転換だね。お母さまのためでなく、お父さまのためにといって入浴を促す。

ちなみにさ、お父さまはずっとお母さまの認知症を認めていないと言っていたけれども、まだその頃も?
小西小西
それが脳出血を起こして、認知症の症状も“本格的”になってきたらもう認めざるを得ないような状態だった。

認めてくれてからは、「口裏」を合わせてくれるようになってくれた。母がお風呂を嫌がっているときには「先にお風呂入っていいよ。こっちはそのあとに入るから」なんて言ってくれたり。

入居にあたって

―― 小西さんのお母さまの入居時のお話をお聞かせいただけますか。

小西小西
ずいぶん前から特養への申し込みはしていたんです。

長い“順番待ち”を経て、いざ入所可能となった段階でなんと父が母の入所を拒否してしまいまして。母と別れて生活する覚悟が決まらなかったようです。それで、一度お断りをしたんです。
杉浦杉浦
難しいよね……。特養への入所ハードルを感じながらも、お父さまのお気持ちもね。
小西小西
そうしたら、その年の暮れの30日から1月3日までの5日間で「一人歩き」と暴言がすごくて。
吉野吉野
これまでないにないぐらい?
小西小西
うん。あんなお母さんは初めて見た。そのときには父も「これはもう俺にも見られない」と“観念”するような形で。

「今度、案内が来たら覚悟を決めてね」「わかった」

そんな会話をしたことを覚えています。「その代わり、入所まではなるべく自分で(母を)見たい」と父は言いました。

―― 小西さんのお母さまは、2002年6月より特養に入所されたと伺っています。お父さまにはご理解いただいたかと思いますが、お母さまにはどのようにお伝えしたのですか。

小西小西
“嘘”を母につきました。私は新潟にいる義父の介護のために行かなくちゃならない。父は透析に行っている病院で入院して面倒見てもらうことになった。

母には「自宅に誰もいなくなるからお母さんにもしばらく別の場所で暮らしてもらいたい。私が帰ってきたらまた連れてくるから」と嘘を言って入所してもらいました。

―― 嘘をつかれたときはどんな心情でしたか。

小西小西
しようがないよなって。

その頃には、子供たちにも影響がおよび始めていました。一瞬でも目を離すと、飛び出すようにして家を出ていくようになって、それを娘が追いかけていって「ばあば!」と言って止めてくれたこともありました。

そういう光景を目にしちゃうとね……。うん、しようがないなって。
杉浦杉浦
正しい選択だよ。
吉野吉野
うん。私もそう思う。
小西小西
母の父を見たい気持ちを汲み取ってくれたのか、父も「自分も透析のために入院するから」と。

母も「わかった。しょうがないね」って言ってくれて。
杉浦杉浦
小西さんのお母さまは、いきなり入所したわけではありません。ショートステイや短期入所などを利用して、お母さまに別の環境で暮らされることに慣れていただくように配慮されていたんです。

記憶ってなんだろう

――― 小西さんのお父さまは、お母さまの入所同年にお亡くなりになったと伺っています。

小西小西
告別式には呼べる状態ではありませんでしたので、納棺のときだけ母を立ち会わせることにしました。

――― ご様子はいかがでしたか。

小西小西
暴れちゃうことを想定して、夫と息子も静止するように準備をしていたんです。意を決して「亡くなっちゃったんだよ。最後にお別れのあいさつに行こうね」と伝えたら、「そうなの。しょうがないわね」とすんなり言われたんです。

暴れちゃうことを想定していたから、拍子抜けしちゃうぐらいで。
吉野吉野
お母さまはわかっていたのかな。
小西小西
わかっていなかったんじゃないかな。私達も「あ、とりあえず行こうか」って。でも、斎場に行って父を見た瞬間に「ワーッ」と大泣き。あの瞬間は理解していたんだと思う。
杉浦杉浦
お母さまも辛かったでしょうね。
小西小西
でも、それからは久しぶりに集まってきた親戚に会えたことが嬉しくって、父の遺体があるというのに、もうキャッキャキャッキャとはしゃいでいました。
吉野吉野
その日の帰りは大丈夫だったの?
小西小西
それが、特養に連れて帰ったら「ここには帰らない」の一点張り。

親戚に会ったことで自分の家を思い出したみたいで。ちょっとした“騒ぎ”を起こしてしまって、もうそれこそ暴れているところを職員の皆さんに静止していただきながら、「もう帰っていただいて大丈夫です!」という状態で。
杉浦杉浦
それからは?
小西小西
翌日に電話をしたら「たしかに寝つきは悪かったです」と。でも、1週間後ぐらいに電話をしたときには「あの日のことは忘れちゃったみたいです」って。未だに面会に行くと、「じいじ元気?」って言われますから。

入所から1年くらいですが、いろいろなことをどんどん忘れてしまっているみたい。
杉浦杉浦
スタッフさんとか日常的に接する方のことは忘れないよね。
小西小西
うん。私の事はママなんて言うんだよね。
吉野吉野
自分の面倒を見てくれる人っていう認識なのかも。正確な名前がわからなくなると照れ隠しなのか愛称で呼び始めるよね。「そこのお姉さん」とか。

介護の距離感

――本日はありがとうございます。最後に本日のご感想をお伺いできますか。

小西小西
杉浦さんには以前からいろいろと相談をしていたんです。

今でも強く印象に残っていることがありまして。認知症の進行を緩やかにする薬の服用について相談した際に「何にもわからなくなってしまった方が母にとっては楽なんじゃないか」と伝えたら、「都合よく忘れてほしいことから忘れてくれるかな?」って言葉を言ってくれて。
杉浦杉浦
……勝手を言いました。
小西小西
(笑)。ううん、そうじゃないの。自分の解釈で進めようとしていたなって反省もした。話したことでね。

話すことで違った視点を得られるというか、自分一人で悩むのではなく、誰かに話すことがかえって自分のためになるなってあらためて感じました。
杉浦杉浦
相談できるところがあると、気持ち的にも楽になるんじゃないかなって思います。抱え込んで、抱え込んで介護をやることのつらさは、すごく感じますから。
吉野吉野
「介護のことを知っている私が知っている人」。

そういう方が貴重な存在だと思いました。知らない方だと見栄を張って聞けないことがありますよね。要介護認定のときに「いつもよりがんばっちゃう」って話をよく聞くんだけれども、自分も同じかも。例えば、誰かに両親のことを相談するとしたら、「良い娘」って思われたくて嘘をついちゃうかもしれないし。
杉浦杉浦
性格を知ってもらえているからこそ安心して聞けることもあるよね。
吉野吉野
そうそう。知り合いだったら突っ込んだことや細かいことも聞けるなって。

――― 吉野さんからは事前に「介護にたいして漠然とした不安がある」と伺っておりました。

吉野吉野
介護の当事者は避けて通れないと思っているので、ある程度の覚悟はあります。でも、やっぱり直面してみないと不安はわからないと思います。

私の場合、姉妹が両親と住んでいることもあるので「手をどの程度、出すのか」あるいは「どこまでは手を出さないか」が重要になってくると思う。
杉浦杉浦
そうだね。その距離感が難しいよね。遠方に住むのにその“出方”次第では「うるさい外野」になるわけで。「いいとこ取り」の可能性もあるよね。

――― 「いいとこ取り」とはどのようなことでしょうか。

杉浦杉浦
例えば、立地的にも金銭的にもサービス的にも「最高」の施設を吉野さんが見つけてくるとしますよね。

「こんな施設があるから入居検討をしたら?」なんて言って、ほんとうに入居が決まったら、親戚一同からは「よくやった!」なんて称賛されますよね。
吉野吉野
そうそう。それまで介護をしてくれた姉妹の立場がないですよ。だから口ではなくお金を出すべきだとも思っています。
小西小西
吉野さんは気が利く方だからそういう発想になるけれども、みんながみんなそうではないよね。
杉浦杉浦
大半は口は出しても、お金は出さないから。
吉野吉野
(笑)。そうならないようにしないとね。

「ママ友」の皆さん、ご参加いただきありがとうございました。介護の距離感を学ぶ会となりました。

座談会写真

「みんなの介護座談会」へご参加頂ける方を募集しています

「みんなの介護座談会」は読者の皆さまに参加して頂く新企画です。皆さまの日々の介護に対する思いをぜひ座談会で語ってください。

以下のフォームより、ご応募をお待ちしております。

参加フォームはこちらをクリックしてください

【まずはLINE登録】
希望に合った施設をご紹介!