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ママ友座談会に学ぶ 「介護」の距離感

今回は「ママ友」による介護座談会です。親を介護するママさん、孫として介護に参加していたママさん、通いの介護をするママさん……介護の距離感についてのお話を伺います。

この記事に登場するみなさんのプロフィール(敬称略)
小西 (仮) 小西 (仮) 吉野 (仮) 吉野 (仮) 杉浦 (仮) 杉浦 (仮)
要介護3の80代の母が、2022年6月より特養に入所している。母の介護を共にした父は、母の入所後の同年10月に他界。入所以前は3世代同居していた。
30年以上前に祖父母を在宅介護していた。80歳前後の両親、義両親は持病こそあるが健在”。介護に対して漠然とした不安を抱いている。
80代の要介護4の母が独居している。父は2021年に他界。ショートステイを利用しながら、自宅近くに暮らす母の通い介護をしている。

「ママ友」の介護座談会

みんなの介護(以下、―――)
本日は「ママ友」の皆様にお話を伺います。まずは、自己紹介をお願いできますか。

小西小西
小西と申します。要介護3の80代の母が、2022年6月より特養に入所しています。母を一緒に介護してくれた父は、母の入所後の同年10月に亡くなりました。母の入所も関係しているのかもしれません……本日は母の介護についてお話させて頂ければと思います。

――― 吉野さん、お願いできますか。

吉野吉野
吉野です。30年以上前に祖父母を在宅介護しておりました。……30年も前の話ではありますが、本日は当時のお話を少し。

持病こそありますが両親、義両親は“健在”です。ただ、今後どのようなことが待ち受けているのか漠然とした不安を持っているので、小西さんのお話に「突っ込ませて」もらいます。

――― ありがとうございます。最後に杉浦さん、お願いします。

杉浦杉浦
杉浦です。一昨年、父が他界しまして、要介護4の80代の母が独居しています。ショートステイなどの介護サービスを利用しながら、通いの介護をしている状況です。

――― みなさま、ありがとうございます。小西さんの介護のお話をベースに、皆様のご意見をお伺いするような形で進行させて頂きます。

介護を意識した日

――― 小西さんがお母さまの介護を意識され始めた頃のお話をお伺いできますか。

小西小西
2018年に母が自宅の前のスロープで転んで、右肩を粉砕骨折してしまったんです。人口骨2本とボルト9本を入れる手術をして、右手がほとんど使えないような状況になったので、同居することとなりました。
杉浦杉浦
息子さんが中学受験の時期だったよね。
小西小西
そうそう。それで、息子の受験校も実家から通える場所に。 同居にあたって、母が暮らしやすいようにリフォームを始めたんです。その過程で母の様子に違和感を覚えることがあり……。 工務店さんに当初お願いしていた内容とは全く違ったことを工務店さんに突然お電話でお願いすることが多々あったんです。

言葉遣いもこれまでに母が使ったことが無いような乱暴な言葉を使うようになっていて。
吉野吉野
典型的な認知症の症状だね。工務店さんに対しても強い口調だったのかな。
小西小西
それが私と父にだけなの。父は「瞬間湯沸かし器」なところがあったのに、我慢して言い返さない。よく我慢しているなって。

―― 認知症に対するご理解があったのでしょうか。

小西小西
いいえ、父は最後まで父母のことを認知症だと思いたくなかったんだと思います。“古い人間”なので、「認知症=人生の終わり」というイメージが2人の頭の中にあったわけです。父だけでなく母にも。
杉浦杉浦
まだ「痴呆」や「ボケ老人」という言葉が日常的に使われていた時代の方々からするとね。
小西小西
私の両親は「田舎」の出身です。両親がまだ子供のころは、認知症の症状があるような方は、「離れ」や「蔵」に閉じ込められるような時代でした。

そういった原体験があるので、実際に母が認知症だと医師から告げられるまでは、認知症の症状が見られない “てい”で母の介護をしていました。
吉野吉野
葛藤もあったのかな。
小西小西
葛藤ではなく、抑え込むような感じかな。どうしても認められなかったんだと思う。

認知症が「痴呆」と呼ばれていた時代に

―― 吉野さんは祖父母の在宅介護をされていたと伺いました。当時、認知症の症状は見られなかったのでしょうか。

吉野吉野
30年以上も前の話になりますが……。

祖父の話をさせていただきますね。 明治生まれの祖父に「痴呆症」の症状が見られるようになったので、病院に通っていましたよ。子どもながらに、祖父の「いいとき」と「悪いとき」というものがぼんやりと理解できていたんです。
杉浦杉浦
「子どもだから」じゃない。「子ども」も理解するんだよね。
吉野吉野
祖父は「一人歩き」を心配されるぐらい元気だったんです。農家なので土地は広かったから(笑)。

ただ、一度、足を怪我して数日入院したんです。戻ってきたときには、動けなくなっていただけでなく、認知症の症状もかなり進んだ状態に。最後には家族の名前もわからなくなっていましたね。
小西小西
介護保健制度もなければ、リフォームも難しい時代だから、大変だったんじゃない?
吉野吉野
そうそう。基本的には実費。自宅に車椅子も入れないし、段差も多い。ただね、七人家族だったのでとにかく「手」はある。

祖父の入浴体制を「24時間システム」と名付けて、祖父が“いつでも”お風呂に入れる状態にしていたぐらい、一日中ね。祖父がお風呂に入れるタイミングは限られていたから。

――― 当時のご家庭の雰囲気を伺えますか。

吉野吉野
同居しているからなのか、言動が「おかしく」なる過程にそれほどショックを受けませんでした。同居していない親戚や遠方の友人が久しぶりに遊びに来てくれた時には、びっくりしていましたよ。

「おじいちゃん、話が通じないんだけど……大丈夫?」って言われて、「うん。いつもだよ」なんて平然と返せちゃうような。
杉浦杉浦
そうそう。同居していると受け入れるんだよね。「そういうもの」として。

たまに来る人は、心配になっちゃって手伝いたくなっちゃうんだけれども、子育てと一緒で手を出しすぎると何もできなくなっちゃう。
吉野吉野
うん。例えば「それは自分でできるよ」って伝えているところを同居していない人が見ると、「ちょっと厳しいんじゃない?」とは言われたかな。

でも、何でもしていたら何もできなくなっちゃうんだよね。

認知症への対応

――― 当時は認知症への誤解もあったと想像するのですが、「支援」という発想は経験則で理解されていたのでしょうか。

吉野吉野
例えば「痴呆」が進むと満腹中枢が正常でなくなることが分かるんです。お菓子を「片っ端」から食べちゃう。仏壇にあるお菓子さえも。

だから、子どもながらに「おじいちゃんにお菓子を見せちゃいけないのかな?」って。
杉浦杉浦
うんうん。核家族が増えたことで認知症の方への接し方が「原体験」としてなくなっている可能性はあるよね。
小西小西
核家族が増えたことで介護の手が足りなくなったということもあるよ。さっき、吉野さんのお話にもあったとおり、「手」があることは重要だよね。
吉野吉野
そうだね。私の場合、人だけでなく、部屋の広さも数も十分にあったから、「あっちで介護」「そっちで子育て」「こっちは別のこと」なんてことができていたんだよね。
小西小西
介護が「狭い」空間で行われていると、「暮らし」と切り離せなくなってしまうことが問題なのかも。「手」が足りないことで誰かひとりに集中しちゃうことも。

―― お母さまの介護で大変だったことはどのようなことでしょうか。

小西小西
感情の起伏が激しかったことは大変でした。老人性のうつ病とも言われてお薬を服用していました。

母は「世話好き」だったんです。父の世話をしたいのに、自分の身体が思うように働かないことにイライラして、父と私にぶつけられる。それは大変だったかな。

子どもの介護体験の話

――さきほど、孫世代とのかかわりについてのお話を吉野さんから伺いました。小西さんのお子さまは介護に対してどのような思いなのでしょうか。

小西小西
誤解を与えても良くないので、「おばあちゃんは認知症の症状が少しあるんだよ」と伝えていました。基本的には1階と2階で生活が分けられていたので、顔を合わせるのは食事ぐらいですが、正直に伝えていました。

―― どのような反応が?

小西小西
受け入れていますよ。吉野さんのお話にもありましたが、近くにいると不思議と受け入れてくれるのかもしれません。
杉浦杉浦
そう、大事なことは近くにいるからこそ「お互い」が気を遣うことだと思うんです。たとえば、おばあちゃんが排泄で失敗しまったときに、子どもがそれを見たらショックを受けるだろうし、おばあちゃんのプライドもズタズタになります。
吉野吉野
そうそう。私の場合も部屋が多かったから、自然とそういうときは離れていたり。
杉浦杉浦
口には出さないけれども、子どもたちはそういうシチュエーションを察してくれるんです。もちろん年齢もあると思いますが。

――孫世代と祖父母世代が介護について理解を合わせることの難しさを感じます。

杉浦杉浦
そうですね。一概には言えません。例えば、同居と近くに住んでいることとでは全く異なるとも思いますし。

――詳しくお聞かせください。

小西小西
一緒に住んでいると生活の一部なんです。でも、近所に住んでいると、生活の一部ではないですよね。
吉野吉野
そうだね。当時、徒歩圏に親戚が住んでいたけども、やっぱり私たちとは違った。それは両親が介護をしているところを間近で見ていたことも大きいと思うんだよね。

生活の中に介護がないと、その感覚ってわからないよね。ちょっと見ているだけじゃなくて、朝から夜までの「流れ」を見てないと。
小西小西
「流れ」って大事だね。子育てと違って、できないことが増えていくから、流れがわからないとポイントポイントを理解することも難しいだろうし。 子どもがどう思うかについてのケアはしっかりしたいです。
杉浦杉浦
そうだね。私の息子は「手伝おう」って思ってくれているみたい。私が葛藤しているところも見ているし、「おばあちゃんは大変なんだな」って感じてくれているのかも。もちろん「おしもの世話」は絶対にお願いしないよ。

息子も息子で考えてくれている。……夫の方がよっぽどダメ(笑)。
吉野吉野
(笑)。小西さんと杉浦さんのお話を聞いていたら、私の息子は介護という言葉にピンとこないのかも……。祖父母は両家共に元気だから。もちろん元気にこしたことはないんだけれども。
杉浦杉浦
でもさ、例えば赤ちゃんができるまでは、オムツの交換ができない人もたくさんいるじゃない。それがいつのまにか他の赤ちゃんのおむつも交換できるようになったり。

私もね、母の「おしもの世話」は出来ないと思っていたんだけれども、ヘルパーさんに教えてもらいながら一度やってみたらできるようになった。
小西小西
それはあると思う。「できる・できない」って介護の技能的なことだけでなく、精神的にもね。介護に直面することで意識が変わっていくんじゃないかな。それは孫だから、とか娘だから……というのは関係がないよね。

「ママ友」の皆さんの真っ直ぐな意見。学びの多いお話でした。後編では吉野さんの入所のお話に迫ります。

座談会写真

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