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「介護より人間関係がつらい」(前編)

在宅介護をされている方や、ご家族が介護サービスを利用されている方は、“ほんとうのところ”どのような思いで日々の介護と向き合っているのでしょうか。 介護当事者の皆さまに介護に対する本音に迫るべく、「みんなの介護座談会」を開催しました。それでは、介護当事者による介護の実情を聞いていきましょう。

新企画「みんなの介護座談会」とは?

老人ホーム検索サイト「みんなの介護」には、日々、介護に関するお悩みが寄せられています。

初めての介護や老人ホーム探しに直面し、戸惑いや不安を感じたり、中にはパニックを起こしてしまう方も…。

それでは、どうすれば実際に介護に直面された当事者の方々に寄り添い、少しでも気持ちを軽くするお手伝いができるのか。

私たちは、介護経験者の方々にお話を伺えば、悩みを少しでも軽くする知恵をシェアして頂けるのでは?と考えました。

そこで、介護経験がある「みんなの介護」読者の皆さまに協力を頂き、”当事者の本当の気持ち”をテーマにした「みんなの介護座談会」を開催しました。

「みんなの介護座談会」第1回は、介護経験も豊富な作家のこかじ さらさんと、旧くからのお友達の方々に集まって頂きました。

座談会写真

それでは、介護当事者の皆さまの本音を伺っていきましょう。

この記事に登場するみなさんのプロフィール(敬称略)
こかじ さら こかじ さら 田中 (仮名) 田中 (仮名) 武田 (仮名) 武田 (仮名)
作家。近著に介護体験を“生々しく”綴った「寿命が尽きるか、金が尽きるか、それが問題だ」がある。故郷へUターン後、92歳の父(要介護1)と90歳の母(要介護1)を在宅介護。近所に暮らす89歳の叔父(要介護1)と叔母(要支援2)の介護と生活の支援も行う。
ケアマネジャー。義父を亡くなるまで介護した後、91歳の義母(要介護3)も、特養への入居まで面倒をみる。現在は、88歳の実母と同居中。実母は、介護認定こそ受けていないものの、もの忘れや身体機能の低下がみられ「介護予備軍」となっている。
経営者。地元では「武田コングロマリット」の異名を取るほどの辣腕ぶりを発揮。老人ホームに7年入居していた母が2021年に92歳で逝去。現在は、大正生まれの99歳の父(要介護1)を、週2回のヘルパーサービスを利用しながら在宅介護でケアしている。

介護当事者が向き合うそれぞれの「現実」

みんなの介護 本日はお忙しいところお集りいただき、ありがとうございます。まずは、皆さまの介護の状況を伺ってもよろしいですか。

こかじ
作家のこかじです。92歳の父(要介護1)と90歳の母(要介護1)を自宅でみています。父母ともに「施設なんか絶対行かないからな!」と毎日のように毒づいています。

さらに、近所に住む89歳の叔父(要介護1)と叔母(要支援2)の面倒も「行きがかり上」見ることになりました。

叔父は、高齢者施設に入居中。叔母は、デイサービスに通いながら何とか一人暮らしを続けています。

叔父さんについては、入居費用が月額約20万円で国民年金の受給額が毎月5万円程のため、15万円が”持ち出し”とのこと。こかじさんのお兄さんが保証人となり、入居費用の支払いを含めた預貯金の管理をしているそうです。

叔母さんは社会的な行動が少し苦手なようで、何かあっても「おばちゃんわからないの、あとはお願い!」と丸投げされてしまうそうです。こかじさんは、「いらいらしながらも“一応”面倒を見ている」といいます。

―― 続いて、武田さん、よろしくお願いします。

武田
武田と申します。昨年の7月、介護施設に7年ほど入居していた母が92歳で亡くなりました。

大正生まれの99歳の父(要介護1)は、つい先日まではデイサービスを週2日利用していたのですが、突如「行きたくない!」と言い出しまして…。

理由は不明ですが、いまは訪問介護を週2日利用し、それ以外はほとんど私が面倒を見ています。今日もお風呂に入れてきたところです。

お母さんが入居されていた介護施設は、月額約25万円。当初は、国民年金と“それなりに”あった貯蓄で賄っていました。

しかし、一昨年に貯蓄も残り少なくなり、武田さんが両親の土地を買い上げる形で介護費用を捻出し、それを支払いに充てていたそうです。

こかじ
お父さまから継いだ武田くんが経営する会社は、幅広い商材を扱っていることから、「武田コングロマリット」なんて同級生の間では呼ばれています(笑)。

―― 田中さんはケアマネージャーの仕事をなさっているそうですね。

田中
ケアマネの田中です。私は現在、母と義母の面倒をみていますが、まずは、義父の介護のことからお話しさせてください。

義父は既に亡くなったのですが、ほぼ寝たきりでデイサービスを使いながら家族で在宅介護をしていました。当時、この義父の介護を仕事をしながら行っていたのが私だったんです。

義母からの強い要望で私が介護をしたわけなんですが、実は、義母からは、私は「次男の嫁」だと日々言われていたんです

それが、わだかまりとなって、義母の介護に対しては「(私は、長男じゃなくて)次男の嫁なのになあ」という思いが常にありました。

ちなみに、91歳になる義母(要介護3)は、在宅介護、ショートステイ、老健を経て、特養に至りましたが、本当にいろいろありました。

介護のプロでも大変だった……

―― 田中さん、その「いろいろ」の部分をもう少し詳しく教えて頂けませんか?

田中
義両親の長男夫婦は離れたところで暮らしていたんです。実の両親と同じ敷地で暮らすのはイヤだったとかで。そこで、「次男の嫁」だった私に白羽の矢が立ってしまったんです。

義父の介護も大変だったんですけど、何より私が辛かったのは、義母の認知症でした。

義父が亡くなってしばらくは何のトラブルも無く一人暮らしをしていたのですが…。ある日、1年以上もお風呂に入っていないことが発覚したんです。

寂しさから認知症が一気に進んでしまったんですかね。

そこで、要介護1の認定を受け、デイサービスを週3回利用しながら、一家総出でローテーションしながら在宅介護をするようになりました。

その「ローテ介護」も1年半ほどで限界になったので、市内の特養への申し込みをするも100人待ち!心身ともにこたえました。

イメージ画像 PIXTA

―― 田中さん、どうやってその状況を乗り切ったのですか?

田中
私は老健の“ロングショートステイ”を活用し、2021年に特養に入居することができました。

老健の費用は月額13万円弱でした。本当に助かったのは負担限度額認定制度です。預貯金が限度額より少なかったために減額の対象となり、減額証を発行してもらえました。

おかげで、部屋代は1日300円、食費も1日3食360円ほどに抑えられたので助かりました。

特養への入居の際にも利用できたので、こちらも月額7万円弱の費用に抑えられました。
こかじ
いま、実母と一緒に暮らしているんだよね?
田中
そう。88歳の母と同居しています。まだ介護認定を受けるほどのレベルではないんですが、物忘れや食べ物の管理ができなくなってきています。冷蔵庫内に食べ物を長く放置して”液状化”させてしまったことも。

ただ、交通事故に遭った経験がありながら、まだ自転車に乗って買い物に行っています。

近所の方からは「道の真ん中を走っていたよ」なんて注意されるほどで、それを主治医に伝えてみたのですが、まだ買い物も一人で行けることもあり、介護認定のレベルではないそうで…。

でも、介護予備軍には間違いありません。義母の介護が終わってホッとしていたんですが、次は恐らく母が待っています。

イメージ画像:PIXTA

3人の皆さんに共通していたのは、仮にデイサービス等を併用していたとしても「在宅介護は心身にこたえる」ということでした。老人ホーム入居など、プロに任せられるようになると、グッと負担は減るそうです。

介護が始まった「その日」のこと

介護と一口に言っても、さまざまな形があり、負担も人それぞれです。続いて、「介護を初めて意識した日」について皆さんにお話を聞いていきます。

―― 初めて、ご自身を介護当事者と意識された日のことを覚えていますか?

武田
10年ぐらい前に、母が老人性の鬱病を発症したんです。不安な気持ちに苛まれるようで、「死んじゃう、死んじゃう」と頻繁に口にするようになりました。

当時、生活機能も急に落ちだして、もの忘れの症状がみられるようになったときには、介護のことを考えましたね。

症状が進んでいくなかで、失禁することもあり、いよいよだなって意識したような気がします。

イメージ画像:PIXTA

田中
そのときは誰かに相談していたの?
武田
精神的なところも含めて自治体に相談したよ。母が施設に入居するまでは、ヘルパーさんが来てくれていたんですが、当時は父が元気過ぎて、“ちゃちゃ”を入れるんです。

ヘルパーさんは仕事で来てくれているのに、父はその方に対して冗談ばっかり言って。そんな父と母の「落差」には、なにか違和感がありました。
田中
ヘルパーさんに冗談を言うのは、たぶん、親近感を持ってほしいという意思だと思う。

私も仕事柄よくわかりますが、そういう感じで「ちゃちゃ」を入れてくるご家族はいらっしゃいますし、たぶんヘルパーさんはそんなに悪い気もしていないんじゃないかな。

―― 田中さんは、介護職をされていたこともあって、ご家族の介護については“敏感”だったのではないでしょうか?

田中
自分が実際にやるようになった介護は、義父が畳の上で転んで骨折したときです。そこから実質的な介護がはじまりました。

鎖骨を折ってしまったことでバランス感覚を失い、義父は上手く歩けなくなりました。排泄も難しくなったことで、ある日義母から「あなたはプロでしょう?」と言われ、オムツ交換などを私がするように…。

言ってみれば、”介護をさせられていた”んですけど、いつも「次男の嫁」という言葉と今まで受けてきた扱いが頭をよぎって、ずっと釈然としない思いを抱えていました。

介護の仕事をしていたこともあって、介護の行為自体はまったく苦じゃなかったんですけど。

イメージ画像:PIXTA

田中さんが「次男の嫁」だと意識するのには、理由があります。義父からは「長男は特別だ」と、何かにつけ言われていたそうです。それは近所でも“評判”で、「よくあの家にお嫁に来たわよね」と言われたぐらい。

なんと田中さんのお子さん、つまりお孫さんたちにも「あなた達は次男の子供なんだから」と、義母が言っていたことも後に判明。

「なのに、私が介護するの?」と、田中さんが思うのも当然のことなのかもしれません。人間関係にわだかまりのある状態での介護は、プロでさえつらいのが現実なのです。

―― こかじさんは「Uターン介護」という形でご実家に戻られましたよね。ご著書にも詳しいことは書かれていますが、どんなことを感じましたか?

こかじ
もともと、正月も実家に帰らないような娘だったんですよね。でも、母が2ヵ月ぐらい入院することになり、実家に帰ったんですよ。

そこで、何気なく冷蔵庫を開けてびっくり!腐ったものやレジ袋が無造作に放り込まれていて、「来た。来たー!」っていう感じで背筋が寒くなりました。

前々から両親の面倒を見ていた兄からも「分かっただろ!」と言われて。「はい。失礼いたしました」ということで、私は仕事の融通もきくので、介護するつもりで戻って来ました。

そして、親と一緒に暮らしはじめて感じたことは、辛いというよりもただただ面倒くさい!

イメージ画像:PIXTA

―― 面倒くさい?もう少し詳しくお話頂けませんか?

こかじ
田中さんの話にもありましたが、私は割と紙パンツの交換なんかは平気だったんです。

父が便を失禁しても「はい、脱いでー」みたいな感じで。お尻を拭くのも”作業”として粛々とやっちゃう。

それより何より、気の強い母との日々のやりとりが、まあ面倒くさい。今っぽく言えば「マウンティング」ですかね?

その事に対する、怒りというより苛立ちかな。でも、もしかしたら、そうした気持ちの部分こそが介護の本質かもしれないって。

―― お母さまは、どんな風に「マウント」してこられるのでしょうか?

こかじ
例えば、私が冷蔵庫にある腐ったものを捨てると、母は「私が分かんないと思っているの!?わざわざ冷蔵庫に残してるのに、あなたいつも夜になると勝手に捨てているでしょう!」と自分の方が上の立場だって態度で言ってくるんですよ。

お正月も、大晦日にたんまりと買い込んだのに、3日の朝には食料品が足らないと騒ぎ出すんですが、私が「カニ・数の子・うなぎ・こーんなにあるじゃないの?」と冷蔵庫を開けると「しようがない。あるものでも食べるか」と、捨て台詞!

素直になってくれれば良いのに、自分が上の立場だって事あるごとにマウントしてくるのが本当に苛立つし、ふと我に返るとガクッと疲れを感じるんですよね…

介護の「本質」ってなんだろう!?

―― 皆さんに共通するのは、肉体的なつらさより、精神的なつらさの方が堪えるということだと思います。この点について、もう少し詳しくお話頂けませんか?

こかじ
例えば、周りの方から「下の世話はさすがに大変でしょう?」と言われますが、誰でも出すものは出しますしね。もちろん臭いですよ。でも、それは「ハイハイ」ってやっちゃえば済むことなんです。

さっきも言ったような母の「くだらないマウント取り」に付き合わされると、もう30分ぐらい頭がカッカして、仕事に集中できなくなって。

そういうときは、近くの日帰り温泉行ったり走ったりして取り敢えずスイッチを切り替える必要があるんですよね。

―― 介護という行為自体よりもそこに「くっついてくる」ものに面倒くささがある、と。

こかじ
はい、そうです。台風で千葉県全域が大停電になったときも大変でした。武田君の家も停電が2日ぐらい続いたから大変だったでしょう?
武田
もう大変だった! 状況をいくら説明しても、「なんでなんだ?」って言ってくるし。テレビがつかない理由を説明しても、「なんでテレビが映らないんだ?」って。

「今は非常時なんだから」と言い聞かせて、わかってもらったつもりでいると、次の日もまた同じことを言う。

仕方のないことだと思いながらも、そういうときはストレスを感じますよ。介護というよりもコミュニケーションの問題ですかね。
こかじ
コミュニケーションの問題だよね、本当に。
武田
私も仕事と比べたら正直、肉体的には楽だったんですよ。

でも、このところ会社の仕事がひと段落したことで、「すべてを私にやってもらおう」と思っているのか…。理由こそ不明ですが、「デイサービスにはもう行かない」と言いだして。

「当たり前」とまではいかないかな… うーん。もしかしたら、父の「甘え」なのかな。そう、一種の甘えだね。そういう意味では当たり前だと思っているのかも。

ただ最近は何かやるたびに「ありがとう」って言うようになって。昔は「ありがとう」なんて言ってもらった記憶があんまりないんだよね。その一言があるだけでも救われる感覚はあるかな。

イメージ画像:Adobe Stock

田中
でも、それって大事なことじゃない?
武田
まあ、「父も、後一年ぐらいだろう」なんて最近は思ってね。年齢と共に弱ってきているのは事実ですし。

「ありがとう」と自然に言うようになったのも、「気が弱くなってるんじゃないかな」って。

ただ、母の生前、コロナで外出規制があるまでは、母が入居している介護施設にシニアカーで通っていたんですよね。

車の免許を返納していたのでシニアカーで。そういう父を知っているから、父にも「できるだけのこと」はしてあげたいと思っています。

武田さんのお父さんの「シニアカー」は近所でも有名で、お母さんが入居されていた施設にほとんど毎日シニアカーで通っていたそうです。

介護は肉体ではなく、感情との闘いかも?

―― 田中さんは介護のプロとしては、これまでの話をどう受け止めましたか?

田中
仕事の介護は時間が決まっているので、機械的という表現が正しいかはわかりませんが、例えばおむつ交換は手順に従ってやれば済むことです。

でも、家族の介護は、会話だったりその場の空気感だったりがやはり違いますよね。
こかじ
そう! たぶん「感情」だよね。
座談会写真
田中
そうだね。やっぱり自分の感情が全然違う。

義父は私にとても優しくしてくれたんです。でも、義母はいわゆる口うるさいタイプ。

ただ、義母も義父の介護に関してはすごく一生懸命やっていたし、私も義父には可愛がってもらったこともあって、心を込めて介護させていただきました。

でも、義父が亡くなって義母の介護がはじまったときは、さっきも言ったように、「次男の嫁」と言われ続けたときの感情がぐーんと湧き上がってきてしまって。

家族で介護のローテーションを作ったときにも、長男の嫁を一番多くすればいいのにと思っちゃったりして。
家族の介護の場合は、やっぱり“しがらみ”や感情が先行しますよね。

長男の奥さんは美容師なので、週末が休みではありません。田中さんは比較的土日休みが多いこともあり、ほとんどの土日は介護に追われ当然どこにも出掛けられなくて。モヤモヤがありましたが、誰にも言い出せなかったそうです。

―― 「ありがとう」という言葉を掛けてもらうことはありますか?

田中
そうです。ただ、あんなに口うるさかった義母も介護をされる側になったときに、理由はわかりませんが、ちょっと“可愛らしく”なって。

武田君のお父さんじゃないけれども、「ありがとう」ってよく言うんですよね。「悪いね」って、「あんたにこんなに世話かけちゃって悪いね」って。

180度人が変わったみたいに…。どうしてだろう。
武田
たぶん、全部やってもらってるからじゃないかな。
田中
そうかもしれない。いま思えば、義母の「ありがとう」のというその言葉には救われていたのかな。

―― 「いまさら言われても」といった思いはなかったんですか?

田中
はい。不思議と。ほんとうに人が変わったようになったので。別人に接するような気持ちというか…。
武田
私も、父の寿命は後1年とか、せいぜい2年以内かな…なんて考えます。

ここにきて急に「ありがとう、ありがとう」と言うようになったので。「そろそろかもしれない」と。

介護においては、肉体よりもむしろ人間関係にまつわる精神的なストレスこそがつらいという事が、今回の「みんなの介護座談会」を通じて浮き彫りになってきました。後編では、さらに介護当事者の皆さんの本音を深堀りしますので、ぜひお楽しみに!

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