山本一郎です。持病があります。
序盤から微妙な話をするようですが、今回の参議院選挙および都知事選挙、いずれも国民の関心事として争点の一位に「社会保障」が来ました。これは一過性のものではなく、おそらくは、今後日本の政治において常に一位になる事案であろうと思われます。
特筆するべきところは、「最も重視する政策課題」を有権者に訊いた結果です。
NHKなど他の調査でも同様の結果で、今後は政党の主張において「高福祉高負担」を目指すのか、「低福祉低負担」で済ませるのかというスタンダードな二項対立で社会保障の政策論が回っていくでしょう。
では、社会保障がまるっきりなくなってしまったとしたら、どうなるのでしょうか?
社会保障がいきなりドカンと消え去る日、
間違いなく多大な犠牲が生まれる
今回お伝えするのは、「選挙の争点になっているほど社会保障は大事だよ、でも財源がないよね」という議論がぐるぐると回る日本が参考とするべき事例を紐解く系のお話です。機会を見て世界の社会保障の歴史なども取りまとめて記事にしたいと思う一方、現代国家で一定の社会保障がある前提で世の中が回っている中で、「社会保障がなくなったらどうなるのか」というケーススタディにはものすごく学びがあると思うのです。
というのも、国民が漠然と「財政破綻でもして、年金がもらえなくなったらどうしよう」とか「このまま医療危機が起きたら持病の治療はどうなってしまうのか」といった不安を抱えるのも、実際には国家が破綻したり社会保障が止まるという経験をしたことがないからです。
ましてや、高齢社会が進展して人口が減少に転じるというのは、日本のみならず世界中でも初体験ゾーン。それに突入しているのが現代日本社会です。不安にならないはずはありません。しかしながら、過去には国家が破綻し、深刻な経済危機が発生して社会が貧困に陥るだけでなく、社会保障が突然ゼロになった体験はないでもありません。
そんなわけで、1991年、冷戦時代を終焉に導いた一方の大国、ソビエト連邦崩壊後の社会保障について解説したいと思います。まさにこの1991年は私自身がソ連を訪れていた最中の出来事でして、思い入れも深いんですけど、私の話はどうでも良いですね。
結論を先に述べますと、社会保障がいきなりドカンと消え去る日、それは大量の死者が発生する日々の幕開けであります。例示するソ連であれ、これからそのような状況に陥りかねない日本であれ、間違いなく社会保障制度の破綻は多くの犠牲を生むことでしょう。そんなヤバい話を、今回はしたいと思います。
社会保障の支給が止まったソ連では、
たったの数年で男性で約7歳、
女性で約3歳も平均寿命が縮まった!?
と言いつつ、若い方は「ソ連」と言われてもピンと来ないかもしれません。昔はロシア共和国を中心とする大国がアメリカ合衆国と互いに大量の核兵器を向け合って冷戦を構築していました。そのソ連は、壮大な社会実験の理想と、帝政ロシア崩壊後に起きた内戦の結果に樹立された共産主義国家で、文字通り労働者のための共産党が一党支配する社会制度を有していました。
もちろん、学費も食費もタダ。割り当てられた労働を行い、国家が策定した経済計画を達成しながら配給による物資をもらいながら暮らしていく、万民が等しく暮らす建前の国でした。
そんなソ連も冷戦の約50年間を計画経済で頑張ってきたものの、国が持ちませんで、崩壊の憂き目に遭うわけなのですが、共産主義国家ですから、医療もタダ。ここに、現代日本と相似形の「病人天国」の世界があるわけです。
質はともかく、当時のソ連は人口当たりの医師数の多い国でした。もっとも、日本と比べてソ連は当時とても貧しい国でした、大国でありながら。それでも食糧の配給と学費無料、そして医療費・年金を含む社会保障費と、寒さを凌ぐための暖房費は無理をしてでも割り当てられ続けてきました。ソ連崩壊のそのときまで。
しかし、その日は訪れます。ソ連を抜本的に改革し、冷戦の雪解けを図った当時の書記長ゴルバチョフさんがクーデターを起こされて失脚し、ソ連は事実上の解体となりCISという各地域バラバラに主権を持った独立国家共同体という仕組みを経て、東欧から中央アジア各国は独立し、現在のロシア共和国や周辺国家へとなっていくわけであります。
ソ連の解体から社会保険制度の崩壊まではテクニカルにはいろいろあるわけですけど、その辺はまるっと省いて、どうなったのかの概要で言うとすごく悲惨な数字が並びます。
1991年のロシアの人口は1億4,800万人あまりで、そこからこの政治混乱以降、社会保障費の支給が止まってしまいます。そして起きたことは、推定年間約320万人の死者増(通常は170万人前後)、1986年の男性平均寿命64.8歳から1994年には57.6歳まで短くなってしまいます。実に男性に限って言えば約7歳、女性も約3歳(74.5歳から71.2歳)、平均寿命が短くなったことは、まさに経済混乱と社会保障によるものだと言えます。
ロシアの人口動態について、より詳しく知りたい方は、『ロシア人口の歴史と現在 (一橋大学経済研究叢書62)』 を紐解かれると良いと思います。また、同じく『ロシアの死亡動態再考:サーベイ』には、日本の社会保障を考える上での重要なヒントが多数含まれております。
社会保障がストップしたソ連で
真っ先に亡くなったのは
急性期医療が必要な病人。40~64歳男性が
毎年20万人以上も命を落とした
ソ連からロシアに移り変わる事情は、当時のゴルバチョフ書記長が大統領制への移行の中で計画経済による低迷から脱するため、拙速な市場経済へと体制転換を急いだことも、背景にあると言われます。そして、深刻な経済不振が国庫を枯渇させ、公共サービスの財源が失われた市民社会において社会保障を回す原資がなくなってしまいます。
ここから、教育や医療を回す資金が底をつき、ソ連時代に保証されていた老齢年金と軍事恩給の支給がストップしました。文字通り、経済不振が国庫を直撃し、国家が社会保障を維持できなくなって、社会保障に頼って生きてきた人たちの生きる力を奪い、平均寿命を大幅に削ったことになります。
この末期的なロシア社会で真っ先に亡くなった属性は誰でしょうか。これは、実は年金生活者ではなく急性期医療を必要とした病人です。
ロシアは生活様式や食事などを理由とする心疾患、循環器系の病気を患う率がもともと固有で有意に高い社会です。平たく言えば、みんな凄い勢いでウォッカをあおるわけなんですが、その基本は「寒いから」であって、もともと遺伝的にロシア人もそこまで酒に強い人ばかりではないのにとにかく強い酒を飲みます。そうしますと、自ずから循環器系に負担がかかり、急性期医療を受ける率が上がる、つまりは倒れて病院に運ばれるわけです。
その病院が止まるわけですから、助かるはずがありません。ここでまず、壮年期男性(40~64歳頃)は毎年20万人以上命を落としたと見られます。
この酒への依存がロシア社会に深刻な影を落とすのですが、そういう酒びたりの生活を倒れるまで続ける理由は寒さだけではありません。問題は、失業などの経済的事情と、将来への不安であったとされます。それゆえに、問題となる91年から21世紀初頭にかけて、ロシア社会は自殺やヤケになった殺人といった問題の絶えない状況に陥ることになるのです。
1991年からの10年間で
50代前後の死者数が290万人も。
社会保障のストップで
悲惨な数字のオンパレードに
次に亡くなったのは、年金生活者…ではなく、慢性疾患を抱えた患者です。中でも、人工透析が必要な腎臓を患う人たちは社会保障の不調後、二ヶ月前後でほぼ全員亡くなっていると見られます。もともと人工透析ができる施設が少なく、必要になった患者はすでにかなり亡くなるのですが、資料によってはかなり人数が前後するようです。
また、きちんと管理すれば健康な状態を保てるはずの高血圧や糖尿病といった慢性疾患を抱える患者も医薬品の途絶と医療の有料化への移行とともに若くして多くが亡くなりました。91年から00年にかけて、文書によっては290万人近いロシア人が50代前後に死亡したようです。
それ以外では、やはり適切な処置をしていれば死ぬことのない結核、急性腸炎などの伝染病を死因とする数字や、8歳以下の幼少期医療が行き届かずに亡くなる数も跳ね上がります。文字通り、保健衛生が行き届かずに真っ先に死に追いやられるのは、これらの弱者であり、しわ寄せ以外の何者でもないわけです。
ソ連の数字を日本に当てはめると、
貧困の果てに亡くなる年金生活者が
毎年20~35万人のペースで増加する計算に
一方、年金の支給停止によると見られる貧困と、それに伴う餓死については、高齢女性の死因として挙げられますが、地域や家族の助け合いで食べるぐらいのところはどうにかする状況があったのではないかと考えられています。
翻って、日本の現状で申し上げるならば、これらの急性期医療の患者、慢性疾患が医療的な手当てを見込めなくなった場合に、影響を及ぼす国民はかなりの数に上ります。
当時のソ連の数字をそのまま当てはめるとするならば、約6年間に5%程度の人口が、特に40代50代の男性を中心に望まない死を遂げています。日本で言えば、ちょうど110万人前後が急性期医療や慢性疾患への治療の不行き届きで亡くなる、あるいは、年金生活者が生活困窮の果てに毎年20万人から35万人ほどのペースで死亡者増となる計算になります。
とりわけ、糖尿病、高血圧といった慢性疾患で医薬品が途絶えることによる死者は増える傾向になるでしょうし、また人工透析については保険医療制度が一時的に麻痺をすれば医療を受けられない、または受けられるとしても高額の自費治療でないとならないというケースさえも出てくることになります。
全国316万人の糖尿病患者の皆さん、
社会保障が止まったその時、
薬が届かず治療も行われないという
恐ろしい未来絵図も直視しておいてください
我が国の疾患、有病率の状況で申しますと、糖尿病だけで316万人、高血圧性疾患も1,010万人、高脂血症206万人というオーダーでいらっしゃいます。日本透析医学会が発表した内容によれば、2013年末には31万人あまりと見られます。がんでの闘病なども含め、急性疾患で闘病中の方と同様に、費用が払えずに亡くなる、あるいは薬そのものが届かずに治療が行われないという未来絵図は、恐ろしいながらも直視しておいたほうが良いでしょう。
糖尿病から腎症を発症し人工透析をされている方が10万人にのぼり、慢性疾患と日々のケアが必要な患者さんが数字上被るわけですが、もしも日本の医療制度に社会保障の財源が問題となる「その日」がいきなりやってきてしまったとすると、やはりソ連崩壊時点と同じく毎年130万人から145万人程度の死者が増えることになると予測されます。
社会保障、とりわけ医療が止まってしまうと、文字通り、弱い人から死んでしまいます。経済的に立ち行かなくなったから、彼らは死ぬしかなかったのだ、と文学的に言える人もいるのかもしれませんが、実のところこの社会保障とは「年金」「介護」「医療」といった、人間が生きていくうえで最低限のものだけでなく、「出産補助」「育児」「教育」「失業対策」といった、人口対策や教育、セーフティーネットまですべてを包摂しているものなのです。生死に関わるものを先に例示すると直接の死者数の増加だけが取り沙汰されがちになりますが、実際には教育が止まれば、次の世代が世界と渡り合える科学力を得ることも企業競争力を高めることも困難になります。
そして、これらの破綻は、突き詰めれば現役の働く世代がすべてを背負うことになります。高齢者の介護も子供たちの教育も失業者の社会復帰も、全部が勤労世帯が働いて収める税金によって分け与えられる国富によって支えられています。この国富が枯渇するとき、社会保障を維持できなくなり、むき出しの国民が社会の荒波に放り出されることになるのです。
さて次回ですが、参院選の投開票直前の7月8日(金)に公開予定です。テーマはもちろん、各党の社会保障政策について。自民党を中心に、民進党や共産党など各野党が掲げる社会保障政策について、公約や約束も踏まえ、詳しく解説してまいりたいと思います。
まあ、与党は依然として自民党と公明党なので、政策に大きな変更があるわけではないんですけどね。