内閣府から少子化社会対策白書が出ていまして、本連載でも前回書きました「社会保障財源の使われ方」と凄く連動する政策分野のはずが、見事に置き忘れたような感じになっているのであります。
べつに霞が関がサボっているわけでも、国会議員の意識が低いわけでもなく、日本の少子高齢化と一口に言っても人口問題はそう簡単に解決するもんでもないよ、という話でありまして、複雑に絡み合った政策議論を一個一個積み上げていきながら解決させるしか方法はないんですよね。
少子化対策を打ちましょうとひたすら言ってますが…
ことごとく失敗に終わったこの20年
厚生労働省の対策予算については、超でっかい予算が組まれる年金関連と医療関連、そして介護事業関連とでほとんどを占める傍ら、少子化対策についてはまあ、なかなか対策が組まれづらい実情はあります。
今まさに苦しんでいる傷病者や困っている高齢者、失業者などに比べて、まだ生まれてもいない赤ちゃんに配慮する予算を組めと言われても根拠を捻り出すのが大変です。
例えば、昨年94万人しか赤ちゃんが生まれなかったので、じゃあ100万人にしようと発想したところで「具体的にどのような予算が組まれれば100万人を達成するのか」と言われても、それは誰にもわからないわけです。それでもどうにかしようと、政治的には声を張り上げていたんですよね。
それもあって、危機感を感じた歴代政権が、それこそ1999年の新エンゼルプランからずっと、ずーーっと対策を打ってきてはいるのです。
Wikipediaの「新エンゼルプラン」を斜め読みしていただければわかる通り、「あれっ、これって2019年でもまだ問題なんじゃね?」と思えるような項目がダダッと並んでいるのがご理解いただけると思います。ヤバいって。
どうです。これが今の政策だと言われても普通に通用しそうじゃありませんか。
ちなみに、1994年に策定されたエンゼルプランですでに「子育て支援のための総合計画」として以下のような文言が引用されています。
女性が一生の間に生む子どもの数を示す合計特殊出生率は1.46と史上最低を記録した。少子化については、子ども同士のふれあいの減少等により自主性や社会性が育ちにくいといった影響や、年金などの社会保障費用に係る現役世代の負担の増大、若年労働力の減少等による社会の活力の低下等の影響が懸念されている。
その対策の中身は「低年齢児を受け入れるための保育所の増設、時間延長・休日保育など」で、今でも都市部の各自治体が血道を上げて待機児童解消に向けて頑張っておるわけなんですけど、もう20年も前からそれは話題にはなっていたわけですよ。
で、「待機児童ゼロ作戦(2001年:厚生労働省)」や「子育てプラスワン」として、「子育て期間における残業時間の縮減」「子供が生まれたら父親の誰もが最低5日間の休暇取得」「男性の育児休業取得率10%の目標」など、男性の働き方を見直し、育児参加を求めたものの状況が一向に改善せず、2005年に新エンゼルプランになりました。
さらに、旧民主党政権となって「子ども・子育てビジョン」へと政策の名前は変わってもひたすらに対策を打ちましょうという掛け声だけが大きくなるものの、我が国の大幅な出生率改善にはつながらなかったわけであります。
言うことは言ってたんですよね。ただ、実現しなかっただけで。待機児童解消も、残業時間削減も。
結婚して生む子どもの数は昔から変わっていない
ただ、女性の結婚する年齢が上がったのである
我が国の合計特殊出生率はいまなお1.43(2017年)と改善を見込めず、政策面での努力にもかかわらず一向に改善が見られないというのが悩ましいところです。
で、ヤバいヤバい言っているわけですが、実のところ、日本の社会風習や家族の仕組みから考えると、日本の少子化というのはすでに原因がわかっているものでありまして、もっぱら「人口動態の悪化」と「成婚数の減少と晩婚化の進展」とで説明がかなりついてしまいます。
正直言うと、エンゼルプランの頃から状況はほっとんど変わっておらず、毎年出ている内閣府の少子化社会白書を見ても、まあだいたい毎年同じようなことが書いてあります。
2018年9月に出た白書も特に新しい知見があるわけでもないのですが、問題の程度だけがどんどん悪化していっている、というのが我が国の少子化問題であると断言できます。
平たく言えば、男性と女性が一緒になって、結婚してから子どもを生む数を表す有配偶者出生率を見てみると、1972年以降、実際にはたいして変わってません(1972年夫婦あたり2.20人、2015年1.94人)。
地味に0.3ほど下落している理由もはっきりわかっていて、単純に女性の結婚する年代が上がっているからです(1972年:24.6歳→2015年:29.8歳)。30歳になってようやく結婚して、よしここから子どもを三人産もう! と思ってもまあなかなか大変なわけです。
女性にとって出産に適した年齢というのは生物学的にほぼ決まっていて、不妊治療など技術の進展はあれども、やはり早く結婚した方が子どもを多くもうけやすくなるのはまあ当然と言えば当然だなあと思うところです。
経済力と結婚・出産は関係ない
海外と比較しても、国内で比較してもそうである
しかしながら、我が国の少子化対策というのはどちらかというと、前述のように働き方を良くしようとか、育児休暇だ時短だというのに加えて、保育園・子ども園や学童保育などでの預かり時間の延長あるいは全入化といった方向に進んで行っています。
ぶっちゃけ、今いる夫婦が産む子供の数はこれらの対策を打とうが打たまいが、夫婦一組当たりだいたい1.9人~2.1人ぐらいが期待値になっているので、待機児童がいなくなったところでこの夫婦あたりの出生数がゴボッと赤ちゃん3.0人ぐらいまで増える、なんてことはまあないわけです。
一方、未婚者の増加ってのはダイレクトに出生数の減少に効いてきますので、政府担当者が半笑いで「おひとりさまが増えましたね」とか言っている間にどんどん出産適齢期を過ぎた男性女性が中高年になって一生独身で生きていくことになります。これは大変だ。
本来ならば、べつに「社会が少子化に苦しんでいるからお前は結婚しろ」と首に縄をつけて無理矢理結婚させるような政策は望ましくない一方、独身のまま高齢者になって健康に不安を抱えたり老後の暮らし向きに不安を覚える人たちが激増していくのを放置するのは社会設計的にどうなの?という問題意識ぐらい抱えて然るべきじゃないかと思います。
若い人が結婚しなければ、ダイレクトに産まれる子供の数は減る、というのが日本社会の特徴であって、若い人が結婚できない理由を除去してあげないといけません。
若い人が結婚できない理由というのはいろいろと調査は進むものの、一般論で言えば結婚できるだけの経済力(所得)がないとか、上手く相手が見つけられないとか、価値観として結婚自体に魅力を感じないとかいう理由が上位にやってきます。
民主主義の世の中で結婚を押し付けるつもりも毛頭ないわけですけど、結婚願望のない男女が増えた結果、本当に独身者が増えていくときに文字通り「貧困と孤独」が社会問題になるでしょう。
で、今後本格的に少子高齢化対策を進めていくために「高齢者向けの福祉は削減するが、出生、子育て、教育予算を将来のために維持・増額する」と舵を切る政権が出ると、一気に独身者は社会的に不利な税制となる恐れもあります。
それもこれも若い人の経済力が弱く…という話になるわけですが、じゃあ国際比較で見たときに日本の若者がそこまで経済力弱いのですか?という話になりますよね。
日本より特殊出生率が高いフランスは若年者失業率が21.6%、スペインが35.5%、イタリアが32.8%(いずれも2018年)と、我が国の若年層失業率4.2%(2018年)と比べても全然比較にならないぐらい他の国や地域の若年者は経済力がないとも言えます。
出典:『Euro area unemployment at 8.5%』(EU統計局) 時点
実のところ、結婚しない理由としての経済力というのは、おそらく恋愛や結婚、家庭生活よりも楽しい文化的生活があるということの裏返しでもあるのかなあという風にも思うわけであります。
かたや、日本国内の地域別出生率で見れば高い地域は沖縄・島根・宮崎であり、県民所得でも若年層所得で見ても必ずしも高いとは言えない状況です。
順位 | 都道府県名 | 1人当たり県民所得 |
---|---|---|
1 | 東京都 | 450万8,000円 |
2 | 愛知県 | 357万9,000円 |
3 | 静岡県 | 332万6,000円 |
4 | 滋賀県 | 327万3,000円 |
5 | 栃木県 | 325万5,000円 |
6 | 三重県 | 316万6,000円 |
7 | 富山県 | 315万9,000円 |
41 | 島根県 | 242万4,000円 |
44 | 宮崎県 | 240万7,000円 |
47 | 沖縄県 | 210万2,000円 |
もはやここまで来ると、今、日本国内で喧伝されている少子化対策というのはずいぶん前から手を打たれているけど一向に成果が上がらない寒い状況であるだけでなく、待機児童解消だの時短勤務だの、効果がみられない対策ばかりが打たれ、肝心の「おひとりさま経済」への救済となるような結婚政策が後手に回りまくっているんじゃないのか、と思うわけであります。
少子化対策のためには結婚を奨励するべしというと時代遅れで批判もされそうな世界ではあるのですが、データを厳然と見るのであれば出生率対策のアウトカムに直接効く変数は、配偶者のある安定した家庭を日本人が築けるようにすることであり、現代社会の個人主義的なテーゼとはまったく逆です。
むしろ「社会のためにちゃんとした家庭を築こう」という方が実は政策面では正しいと言えるわけです。
子どもが生めなくなったら用なしか!?
生物としての宿命だが、持続的な社会とは別の話だ
残念なことに少子化対策という観点で言えば、もう子どもを産める年齢にない女性や、結婚相手に恵まれなかった男性は対策の対象ですらなくなってしまいます。
子どもが生めなくなったら用なしなのかと批判されがちな世界ではあるのですが、これもまた生物としての人間の宿命、冷酷な現実であるとも言えます。
しかしながら、仮に子どもを新たに産み育む機会は失われたとしても、実際には子どもを暖かく迎えられる社会をつくる、これから子どもを産む女性や、子育て環境に対する理解を示すのは日本人全体の気持ちや考え方による部分も大きいわけです。
仮に性的マイノリティであったり、年齢的に結婚が望めない年齢になっているとしても、この社会を持続的なものにするためにみんなで手を取り合ってより良い社会にしていくためには何ができるのかについて、データに基づいた正しい思考と議論を重ねていくことの大事さは諭を俟ちません。
結果として、出生率の低迷は労働力の不足を呼び、介護の現場などでも山積する課題となっている働き甲斐や未来への希望、外国人労働者に置き換えざるを得ない事態に直結してしまいます。
やはり、社会保障の問題は課題を分けて解決策を積み上げる作業だけでなく、社会全体の流れや動きも視野に入れながら論じていかないとダメなのだろうなあ…と思う次第です。