山本一郎です。今回は社会保障の歴史を見返しながら繰り返す貧困と高齢者の大波について解説を…と思っていたところ、経営者の大先輩が大変な闘病後に肺炎で亡くなったという残念な訃報(ふほう)が飛び込んできまして。
顛末(てんまつ)で言うならば90歳で大往生と言いたいところなのですが、なにぶんご本人は恬淡(てんたん)とされた御仁で、数年前に肺がんが見つかってからは手術を拒否、老病を得て死ぬのは本望とか仰ってたんですよ。ただ、病状が進行してしまった後であちこち身体が痛むと言っては騒ぎを半年ほど起こされ、高齢の奥さんやご子息夫妻、お孫さん曾孫さんから私らのようなご近所で所縁のあった人間まで駆り出されてのお送りでしたので、まあ人間は死ぬときの存在の大きさを感じさせることもままあると感じました。
団塊の世代が後期高齢者となる2022年を境に
医療費の圧迫をはじめ財政は一気に困難に…
さて、そんなこともあって、高齢者の終末医療についての様々な誤解も本稿で改めて指摘しておきたいのですが、内閣官房の「経済財政諮問(しもん)会議2030年展望と改革タスクフォース」でも説明された重要な事象のひとつに「終末医療が高額であるというエビデンスは薄い」というのがあります。
単純に言えば、死ぬ直前に自分で食事もできなくなってしまった患者さんの延命のために、チューブだらけになって胃ろうをしてでも延命治療をする、その治療費が高額だという批判が出やすいわけですけど、実はそこまでではありません。患者さんが亡くなるまでの一か月の医療費は国民全体の医療費の3.4%から3.8%程度をずっとうろうろしており、もちろん死ぬ前ですから病院に掛かっている率が高いということを差し引いてもそこまで高額医療が問題になるかといわれるとそうでもありません。亡くなる前の一年に区切っても7.2%(2014年)と低減傾向にあります。
しかしながら、社会保障問題でよく問われる高齢者医療全体で見ると、これらの要因も含んで75歳以上の後期高齢者の一人当たり医療費は格段に高くなります。現在では厚生労働省の統計通り後期高齢者による医療費負担は全体の3割に及びますが、この割合は今後どんどん増えていくことになります。
1947年生まれから49年生まれの団塊の世代が2022年ごろから75歳に差し掛かり、2030年には統計による予測上、最大の医療費を使うことになることが予測されているからです。
これら団塊の世代は、とにかくいまでさえ807万人ほどいらっしゃいます。団塊の世代はしぶとく生きるというイメージもありますが、そんな彼らでも後期高齢者になると病気がちになるのは統計上見えているので、日本の高齢化問題というのはこれらの人口のボリュームゾーンが高齢域に差し掛かったとき、一気に破壊的な財政上の困難を引き起こす可能性が高いので、皆でヤバイヤバイ言っておるわけです。
高齢者に頻出する「肺炎」の
治療のガイドラインが大幅に変更!?
さて、冒頭で述べた大先輩の大往生ですが、もちろん主な闘病は肺がんと骨髄やリンパなどへの転移だったわけですけど、直接の死因や入退院を繰り返した理由は肺炎でした。本人にとっては不本意ですし、苦しかったろうと深く同情するところですが、実のところ、病気による死因で肺炎というのは年間およそ10万人おり、その過半はがんなどの終末期や老衰に集中していて、なんとランキング1位に入っております。そのぐらい、ポピュラーな病気だよということです。
しかも肺炎に限定して言うならば、病気がちになり免疫の衰えから感染することはもちろん、食べ物や飲み物が肺に入ってしまう誤飲・誤嚥性の肺炎も起こり得ます。ハイリスク群はがんなどの終末期での体力の衰えもそうですが、脳梗塞などで麻痺した半身からのどの筋肉が上手く動かないとか、運動不足からくるものなど要因は様々です。
そして再発も突発的な誤嚥など周囲の人が気を付けていても対応が無理なものも多く、結果として予後どころではない状況になります。よく正月の事故で「老人がのどに餅を詰まらせて病院に運ばれる」という話がネタでは済まされず他人事ではないのは、老人になってしまうと飲み込む力が衰えて、柔らかいもちを胃まで運ぶことが困難になることも容易に起き得るという話でもあります。
さすがに老人の肺炎があまりにも多いので、日本呼吸器学会は昨年5月ぐらいから老人の肺炎症状に対する治療指針のガイドラインを大幅に変更しようというニュースが出て、話題になりました。何しろ、肺炎自体は人生の最終局面で罹患(りかん)する重要な病気の一つですので、本人や家族の意志をしっかりと確認して対応を行うことは当然としても、人工呼吸器をつけながら苦しんで亡くなる方が多いうえ、入退院を繰り返して長期化するケース、さらには再発から完治しても体力の衰えで自力で暮らすことができず寝たきりになるなどの事例に事欠きません。
肺炎患者の救急搬送数が増え続け
他の重篤患者を病院が受け入れられず…
では逆に、肺炎患者を
見殺しにして良いのか?という問題も
肺炎について問題視される理由は、やはり受け入れる医療機関側の事情もあります。医療統計上、高齢の肺炎患者が救急で運び込まれる割合が2007年以降一貫して増加し、いまでは都市部の高齢化に伴って半数近くが65歳以上の肺炎患者であるという医療機関も珍しくなくなってきています。
特に患者数が増える秋から冬の季節や乾燥がひどい時期は、呼吸器内科の病床を持つ医療機関で際立って満床率が高くなり、それが理由で他の救急患者を受け入れられないなどの弊害が出ている状況です。集中治療室のベッドが不足して、他の重篤患者が受け入れられないのではさすがに問題だというのは理解にそう難くありません。
では、高齢者の肺炎はみな引き取らず見殺しにして良いのか?という問題はどうしてもつきまといます。たまたま誤嚥してしまって起きた肺炎は高齢者なら救急搬送を受け入れないのか?という話にはなるでしょう。そういう場合はやはりステージの進行したがん患者なのか、他の重篤な病気はあるのかどうかといった罹患歴、さらには患者本人や家族の意向なども踏まえた対策が、どうしても必要になります。
終末期については特に、本人や家族と充分に「どう死にたいか」のコミュニケーションは取っておくべき…と綺麗ごとでは言えても、お見舞いに来た年端もいかない曾孫の前で「ひいじいさんの死に方論議」みたいなものができないとか、家族の「早く元気になってね」の言葉の伝え方の難しさみたいなものをひしひしと感じます。
やっぱり人として生まれたからには、愛する家族に見守られて幸せを噛み締めながらゆっくり死にたいという看取りの問題は、どこかで心の整理をつけておかなければいけないのでしょう。そういう議論が普通にできる日本にしたい一方、そうも言っていられない現実があったりするんですよね。
次回の本稿は、今度こそ社会保障の歴史の話か、なぜ介護職員は人手不足なのに給料が上がらないのかについて語りたいと思います。引き続き、よろしくお願い申し上げます。