山本一郎です。年始に44歳になりました。今年の年末年始は穏やかに家族と過ごし、何となく思い立って、あれだけ好きだったお酒を全部絶ってみたところ正月太りどころか4kgも体重が減りました。いままでどんだけむくんでいたのかと思うと鬱になります。それにしても、酒量を大きく減らすと体が軽くなるんですねえ。まあ、宴会とかあったら普通に飲み直すと思いますが、若いころのように鯨飲するのは控えたいと思います。
ところで、昨年末から界隈で騒ぎになっている高齢者の自立支援や公的介護費用の増大への歯止めを目的とした一連の厚生労働省の施策について、今回は取り上げたいと思います。
“生産しない”高齢者に対して
国の財産を突っ込んでいては
現役世代への負担は重くなるばかり
高齢者の自立支援に関するインセンティブについては、大きく二つのベクトルがあります。
もちろん、根底は「社会保障費がこれ以上増大するのはヤバイ」という話ですが、その補助線として「海外事例では、高齢者の自立こそが社会保障費用の抑制に寄与する」というベクトルと、もうひとつが「高齢は病気ではなく、出口は死亡であって寛解したり治癒するものではない」というベクトルです。つまり、いずれ亡くなってしまう人に対して高額の社会保障費を投入しても無駄と言われればそれまでなんだけど、社会の仕組みとして安心して老後を迎えられる世の中の方が幸福度が高いであろうから、その妥協点をきちんと探ろう!という話になろうかと思います。
一方で、それを支える介護の現場がワープア一直線であることで、日本の労働生産性とか論じているのが馬鹿馬鹿しくなるぐらいの状況にあることはすでに本稿「介護職員のワーキングプア問題。「労働生産性の低さ」の原因は“安くて高品質なサービスは当たり前”という日本特有の不条理な暴力」で論じました。
私の両親もお世話になっているケアマネージャーさん、ヘルパーさん、デイケアでお伺いしている先で働いておられる職員の方々の献身的なご対応には頭が下がります。正直、申し訳ない気分になるんすよね。でも、そういう重労働や精神的な大変さに見合う報酬が支払われているのかと言われるとこれがまた安いわけでして、そこに若い人が従事して本当に家庭が築けるのか、子供を養えるのかという別の問題はどうしても出てくるのでしょう。
苦しい現実から目を背けても、目の前の社会保障費は総額で110兆円を超え、さらには2030年以降は日本最大の人口ボリュームゾーンである団塊の世代が後期高齢者入りしますので、本来であれば「これ以上カネはかけられない」でも「必要なケアはしなければならない」というバランス感覚をどう取るのかを政策面でも従事する現場も考えていかなければなりません。何しろ高齢者は社会的に富を生み出しませんから、生産しない人に国富を突っ込んで社会が豊かになるはずもなく、いまの現役世代の負担としてのしかかる以上、どこかで行き詰まることは必然と言えます。
暗い話ばかりになりがちな介護産業ですが、ところがどっこい産業の規模を示す事業者総収入は伸び続けています。みんなの介護ニュースでもある通り、介護費用の総額は2016年度の推計ですでに10兆円を超え、市場規模はどんどん大きくなっていきます。一部のシンクタンクの試算では、周辺産業も合わせれば15兆円を超えるという話も出てきます。
景気のいいことですが、本当の問題は、介護に必要な高齢者一人あたり(または高齢者を擁する世帯あたり)の費用は減少している、ということです。そして、これからも一人あたり、世帯あたりにかけられるお金は減少するでしょう。これが何を意味するかと言えば、介護を必要とする高齢者は爆発的に増えていく一方、一人当たりにかけられる介護費用が少なくなる、つまりケアを行う時間あたりに使える金額は減少していくということです。
ここで介護福祉士やヘルパーの方など介護の現場に従事される人の人件費を賄うわけですから、市場規模は増えても現場におカネが回らなくなるのは当たり前のことです。また、介護サービスの品質の向上を目指すアウトカム(結果)への要望は高まっていくわけですから、仕事への品質要求は高い、報酬は安いということで身動きが取れなくなっていきます。
要介護高齢者が増える将来的には
「一層現場が苦しくなる」か
「介護は家庭に戻す」しか
方法がなくなってしまう!?
高齢者問題というのは右肩上がりに続くのかというとそうではなく、先ほどピーク人口として例示した団塊の世代の方々が2042年ごろから亡くなり始める「高齢者市場のピークアウト」がはっきり見えています。
そんな先のことは分からないと言いつつも、例えば大学を卒業した22歳の人が、福祉の現場で理念に燃えて自ら福祉の現場で働こうと思っても、およそ25年後の47歳ごろには高齢者人口が減り始める、すなわち介護に関わる仕事は先が細くなっていくのが目に見えていることになります。働き盛りを過ぎて家庭を養っているであろう年代で、それまでスペシャリストとして取り組んできた高齢者対応の仕事が実はなくなっていくのだとわかっていて、他の仕事よりも安い給料で、働く理由がないのは当然のことです。
いずれ細るであろう仕事を志すのは、なかなか大変なことだと思うんですよね。
必然的に、介護の現場ではこのような状況も含めて実労働を支える働き手の確保がままならない一方、介護を必要とする高齢者の数は増え、市場規模は大きくなっていくことが予測されているわけです。もちろん、厚生労働省も介護費用の無原則な拡大には歯止めをかけたいと考えているからこそ、いろんな施策を打って頑張っているわけですが、介護を必要とする高齢者は増えるのに介護産業へ投入する予算の総額を減らすということは「一層現場が苦しくなる」か「介護は家庭に戻す」しか方法がなくなります。おカネが回らない、衰退する日本が生活水準を切り下げる、という真の貧困問題はこの辺に現れるのでしょう。
何より、統計の数字で見れば高齢者数は単なる数字にすぎませんが、その一個一個の数字にはそれぞれの人生があり、家庭があり、苦悩も喜びもあるわけで、そういう一つひとつの人生に対して社会や制度がどう向き合うかというのは物凄く重い問題です。
老夫婦二人が支え合って生きていくので介護はどうにかなる、だから介護費用は減らすのだ、という議論は、結婚をせず子供ももうけなかった独居老人にのみ手厚い介護をすることが公平なのかという不満を呼び込みますし、もっと言えば、老夫婦が老老介護でどうにか頑張っても二人同時に亡くなるわけではないので、いずれにせよ独居老人になってしまう期間は存在します。
それを息子夫婦や地域社会が支えるのだと一口に言っても、痴呆になってしまった義父や姑の世話を義理の嫁がするのかとか、育児世代に重なったときの負担はどうるのかとか、ただでさえ疲弊した地方財政において地域の人たちの善意に頼って介護を回すことが果たして本当に可能なのかといった問題はどうしても付きまといます。
福祉事業者って、一体何なの?
高齢者向け事業者の倒産が相次ぐ中、
2020年あたりを境にして、地方都市では
積極的に統廃合が行われ始める見込み
カネの面でも義理人情の面でも介護問題が深刻なのは、このマジで詰んでる状況で打開策を考えるには「本来諦めてはならない何かに見切りをつけて切り捨てなければならない」ことにあります。ついでに言うと、偉そうに「見切りをつけて切り捨てろ」と言ってる私たち自身も、数十年後には切り捨てられる側に回っているかもしれないという話であります。切ない。すごく切ない。
そうなると、必要だけど予算的にも人員的にもできない介護をどう回すのかという現実論になり、沈むタイタニック号の甲板で椅子の並べ替えをどう頑張っても船は沈むのと同様の事態になるわけですが、ここで問題になるのは福祉事業者って何なの?という話です。
任意の社会福祉法人の財務状況を調査してみるとわかることですが、医療や老人ホーム(特養含む)、デイサービス、訪問介護といった介護保険の適用内のサービスはきちんとした法律上の運用規定や制限がかけられ、大きな投資が必要になる施設を伴う介護ビジネスはさほどの利益が出ないというのが現実です。とりわけ地方経済において、人口30万人以下の市部において高齢者対応事業への参入意欲が高い代わりに実際のサービス余力という点ではむしろ人口減少とともにピークアウトしてしまっているというのが実情ではないかと思います。
地方都市においては、この手の高齢者向け事業者の廃業、倒産が目立つようになり、恐らくは2020年を超えたあたりから積極的な統廃合が行われ始めることでしょう。
一方で、高齢者の自立的な生活に必要なサービスを担うビジネスは、介護保険の適用外となり、従来以上に収益性の確保できる仕組みがどんどん出てくるものと予想されています。
特養の内部留保問題が再燃!?
社会福祉法人には産業として自活できるような
工夫が求められている
高齢者向けのヘルスケア事業やヘルパー派遣などの家事代行、一部の宅配、配食事業などは相応の利益を上げながら堅調に成長が見込める分野であるとされています。実際に、地方都市の社会福祉法人の財務状況をひも解くと、介護保険で介護が必要な高齢者を安価に「開拓」しつつ、より利幅の高いリフォームや配食、家事代行も組み合わせながら事業収益を確保していく仕組みが一般化しつつあります。
それもあって、社会福祉法人全体でみると労働分配率はもともと高く、ほとんど「人が在庫」状態の産業である福祉事業は、経営の安定性を重視すると「人件費を圧縮することが最大の経営効率達成手段」になりやすい産業でもあります。実際、2013年の内閣府の規制改革会議でも、べらぼうに多い社会福祉法人の内部留保(主に現預金)が問題視され、2011年にはひとつの社会福祉法人あたりの内部留保が3億円を超えることで問題にされてきたのが実情です。
規制改革会議の後継組織となる規制改革推進会議では、これらの状況を踏まえた規制緩和策についての取り回しは行われていますが、むしろ小規模デイサービスに対する規制強化や、ワーキンググループではなぜか福祉介護に関わる提言の討議が見送られているように見えるなど、どう手出しをしていいのか分からない、といった雰囲気さえ漂っています。
これらの問題は、社会福祉法人そのものが持つ税制上の優遇や補助金などが地域によって一定の保障をされ、資本回転率の低い介護設備などを有する独特な経営上のリスクを甘受できる事業者は地域によって限られているといった個別の問題を孕みます。社会福祉法人の公的な性格を考えると安易な市場原理の導入は憚られる一方、他産業に比べてもすでに高い労働分配率をさらに引き上げて魅力的な職場づくりを行い、産業として自活できるような工夫が求められているのでしょう。
税収以上に高齢者の「死ぬコスト」が高くなったとき、
高齢者を敬う気持ちを大事にするという
社会的な風土は保たれるのか!?
政策的には、高齢化の進む日本社会が一歩前に進むための、「日本人が納得して死ぬコスト」を巡る争いでもあります。ただ、現状の社会福祉法人の制度や財務状況から逆算すると、地元の聖域のような既得権の象徴としての社会福祉法人、介護事業のように見えてしまうのも確かです。地域社会が生み出す税収以上に日本人が死ぬコストが高くなったとき、真の意味で高齢者を大事にし、敬う社会的風土が霧消してしまうのではないかと危惧するのはこのためです。
これらは、蓄えがなく自立できない高齢者は税金で養うしかないという仕組みが根底から揺さぶられることを意味するわけで、日本社会の撤退戦を生き抜くためにはかなりダイナミックな線引きを求められることになるのでしょう。それができなければ、高齢者支援のために勤労世代が押しつぶされることになりかねませんから。