高度経済成長期にできた住宅街に住む人の高齢化率が上がり、全国的に問題となっている。若い人が戻って来ず、住民は独居や夫婦世帯の高齢者ばかりで、空き家も目立つ――頭を抱えたくなるこの問題に、神奈川県鎌倉市は「リビングラボ」という解決策を打ち出した。高齢化率45%の地域に産業を興し、まちに若い世代を呼び戻し、活性化に繋がるというこの取り組み、福祉の本場欧州からも視察に来るほどの活況である。一体何が起きているのか、松尾崇市長を直撃して訊いてみた。
監修/みんなの介護
【ビジョナリー・松尾崇の声】
リビングラボは長寿社会に有効
高齢化率45%超のまちを蘇らせる

リビングラボとは、企業や組織の中ではなく、実際に人々が生活するまちで社会実験を行う取り組みです。
2017年1月、鎌倉市は東京大学高齢社会総合研究機構と今泉台町内会、NPO法人タウンサポート鎌倉今泉台とのコラボで「鎌倉リビングラボ」をスタートさせました。リビングラボという住民参加型の活動を通じて、長寿社会のまちづくりを進めています。
「鎌倉リビングラボ」は産学官民が対等な立場でアイデアを出し合い、超高齢社会に必要な、高齢者が使いやすい日用品の開発からシニアが活躍できる事業、誰もが100歳まで生きることを前提とした若者の暮らし方、まちのしくみまで、さまざまなことを検討できます。
鎌倉市の高齢化率は2018年7月1日現在で30.63%と、全国的に見ても高い割合を示しています。特に1960年代後半以降に開発された分譲地の中には、高齢化率が45%を超えている地域もあります。その1つが「鎌倉リビングラボ」を始めた今泉台地区なんです。
欧米発!日本でも増えつつある「リビングラボ」とは
かつて鎌倉幕府が開かれ、豊富な文化遺産や美しい自然に恵まれた鎌倉市は、観光地として国内外から人気がある一方で、過去にないスピードで高齢化が進んでいる。
とりわけ今泉台地区は山の上にあり、また最寄り駅までバスで20分と交通の便が良くなく、独居のお年寄りや空き家が増加し、町内の高齢化やそれに伴うコミュニティの機能衰退が懸念されてきた。そこで町内会のメンバーが中心となって、以前から空き家対策などを進めてきた経緯からNPOが誕生、「鎌倉リビングラボ」の活動にも貢献することとなった。

「リビングラボ」とは、アメリカで生まれ、スウェーデンなど北欧を中心にヨーロッパで広がった、住民発信による地域の課題の解決に向けた取り組みである。課題の提案や議論、試作などを重ねて共創していくイノベーション(新機軸)活動として、欧米では定着しているが、国内でも長野・松本市の「健康寿命延伸都市」を目指す「松本ヘルス・ラボ」や東京急行電鉄によるたまプラーザ駅北側地区の開発など約30ヵ所での取り組みがある。
産学官民の共創でまちづくり
「鎌倉リビングラボ」は、東京大学高齢社会総合研究機構の秋山弘子特任教授と、今泉台の町内会から発展したNPO法人タウンサポート鎌倉今泉台・丸尾恒雄理事長を中心に、「長寿社会のまちづくり」として、多世代が住み慣れた地域で安心して住み続けることができるアイデアを模索し、試行を重ねている。

「現在の鎌倉で起こっている高齢化やコミュニティの機能の低下について、地域の皆さんが“自分ごと”として捉えて考えて行動することが、まちづくりの第一歩なのではないかと考えています。それを具体化するのもリビングラボの取り組みということになりますが、『鎌倉リビングラボ』は長寿社会に対応した産業を興していくのが目標です」
鎌倉リビングラボのこれまでの取り組みとして、生活支援ロボットや自動車を運転できなくなった高齢者のための次世代モビリティの開発、高齢者のヘルスケア方策の検討、高齢者向け金融パンフレットの改訂、IoT家電の新価値創造なども行われている。
現在、開発は年に10本ほど実施。ゼロから企画するもの、すでにある商品・サービスを改善するものなど多岐に渡っている。
まちに子育て世代が戻ってくるための
秘訣は「自宅のオフィス化」

私自身、鎌倉で生まれ育っており、私の同級生たちも独立して横浜や都内へ移り住み、年老いた親御さんの独居が増えています。
今泉台の分譲地のほとんどは、2階建ての一戸建てに核家族が住むタイプです。子どもたちの独立や配偶者の死亡などで家族構成が変わっても、そのまま住み続ける世帯がほとんどで、使われていない部屋が多く、場合によっては空き家になっている例も少なくありません。
そこで、町内会とNPO法人が連携して空き家と空き地の管理や再利用の事業、地域サポートやイベントの企画などを手がけてきました。その結果として、空き家の数は2012年の114軒から2018年現在で84軒に減り、子育て世代も住み始めています。
鎌倉リビングラボは、鎌倉に住むことの魅力をアピールしながら多世代の住むまちをめざしています。「自宅のオフィス化」もその1つです。
今泉台に若い世代が帰ってきた
鎌倉はJR東海道線、横須賀線などを利用すれば都内へ約1時間でアクセスが可能。十分に通勤圏内であるが、首都郊外のベッドタウンとしては地価が高い傾向がある。都心で働き、寝るためだけに帰るなら何も鎌倉に住む必要はないと考える若い世代も多いという。
「自然や文化遺産に恵まれた鎌倉は、充実した週末や余暇を過ごせるという魅力もあり、地価の高さをカバーできると思います。また使っていない部屋や応接間をホームオフィスにしたり、空き店舗をサテライトオフィスにしたりするなど、通勤しなくても仕事のできる環境の整備を図ると同時に、在宅勤務で使える家具の開発も進めてきました」
「鎌倉リビングラボ」では現在、在宅勤務者向けのテレワーク用デスクの開発が進められており、間もなく商品化の予定だ。狭いスペースでも使えて、使わない時は折りたたんでおける「小さなオフィス」である。これは「リタイア世代も子育て世代も一緒に住めるまちにできれば」という声から家具メーカーのイトーキが参画して誕生した。

段ボールで試作品を作り、実際に住民が使ってみた「もっとコンパクトに」「ライトが欲しい」などの感想をもとに、改良が加えられることで、住民もメーカーと対等に商品づくりを体感でき、好評を博している。
シビック・プライドを刺激する効果も
ひとことで「高齢化」と言っても、地域が抱える事情はさまざまだ。健康関連の問題だけでも医療から保険、介護まで問題は山積しており、行政だけ、あるいは1社の企業だけでは解決しないような課題も多く、その意味でも産学官民が参画するリビングラボは有効といえる。
鎌倉リビングラボは、スウェーデンと日本の共同研究でもあることから、2018年4月にはスウェーデン国王が「鎌倉リビングラボ」の視察に訪れている。

「リビングラボの先進国であるスウェーデンから国王が来日されたことは大変光栄なことでした。もちろん国内からも多くの方に視察に来ていただいております。リビングラボの活動が注目を集めることは励みになり、シビック・プライドの観点からもいい効果を生んでいます。これからもいろいろな方に興味を持っていただきたいと思います」
活動が評価されることで生まれる一体感により、地域住民たちの交流と関係性が深まっていくこともリビングラボの大きなメリットだろう。
行政にすべてを求めるのではなく
住民主体のまちづくりを

私も、当初はリビングラボについて商品テストのようなものをイメージしていましたし、住民も『市が何をやってくれるのか』とか『どんなメリットがあるのか』というふうに考えていたようです。
しかし、行政だけに問題を解決してもらうのではなく、自分たちで解決していく流れを作ることが大事なのですが、そこに至るまでには1年ほど時間がかかりました。
やはり秋山先生が行政とは違う立場から、「リビングラボを通じて自分たちがまちのために何をできるか考えましょう」と呼びかけてくださったことで、徐々に意識が変わっていったようです。
ただ、急に学者さんがやってきて「まちづくりを一緒に考えましょう」と言い出しても市民も困りますが、活動の際には秋山先生に常に鎌倉市の職員も同行しており、行政の信用もあって、「寄り添って相談に乗る」ということはできたと思います。
リビングラボ活動で住民同士に繋がりができた
同じ地域に住んでいるのに顔も知らない…という関係は、日本の共同体ではめずらしくない。鎌倉のような古いまちでも、そうした傾向は否めないが、古くからの相互扶助の空気も残る。
「介護保険法が制定される以前から、西鎌倉では『たすけあいの会』を立ち上げ、『困った時はお互い様』と買い物などの家事代行をしています。発足当時は現在ほど高齢化が進んでいませんでしたが、『行政に頼らずに自分たちで』という理想的な取り組みです」
このように、リビングラボのような発信力のある取り組みが育つ土壌もあったようだが、「鎌倉リビングラボ」の活動を通じて住民があいさつから日常会話、そしてプライベートの会話を交わす関係になってきているという。

地域包括ケアシステムの構成要素の1つである「互助」を実現する手段としてもリビングラボはその効果を発揮していると言えるのではないか。
「同じ地域にいながら顔も知らない関係では、仲良くなれるわけはありませんからね」
考えるべきは「どうすれば住民が住みやすいまちにできるか」
「住みやすいまちにしていくには、行政だけに頼るのではなく、住民の皆さんと企業、研究機関が一緒に考えて共創して行くことが重要です。リビングラボの活動を通じて、新しいライフスタイルが生まれ、今泉台が新しくなっていくことを期待しています」
スウェーデンとも連携した活動は、国内では極めて先進的とされ、国際的な取り組みとして有望視されている。
「スウェーデンの行政関係者と話していると、常に『どうすれば住民が住みやすいまちにできるか』を念頭に置いていて、すばらしいと思いました。今後は鎌倉市においても高齢化対策と合わせて子育て支援、さらには『生きづらさ』を抱える人たちを支えていく施策の検討も視野に入れております。『共生社会』として支え合っていければと思っています」
少子高齢化による限界集落化の問題を抱えた地域は今、日本全国に15,000近くあるという。それらの地域の住民が共通の目標を掲げて一体化することで、新たな産業を興し、若い世代を呼びこめる手段として「リビングラボ」は有効な取り組みになるのではないか。「鎌倉リビングラボ」のこれからに注目していきたい。
※2018年8月9日取材時点の情報です
撮影:丸山剛史