秋田県の最北端、白神山地の麓に位置する藤里町。人口3,228人の小さな町には、知る人ぞ知る有名人がいる。藤里町社会福祉協議会会長の菊池まゆみさんだ。「藤里方式」と呼ばれる同社会福祉協議会のひきこもり支援が、全国から注目を集めているのだ。「ひきこもりの人は私たちと何も変わらない、『普通の人』だった」と語る菊池さんに、「福祉のあるべき姿」について伺った。
監修/みんなの介護
【ビジョナリー・菊池まゆみの声】
ひきこもりの人も、普通の人と変わらない

高齢化と人口減少が進む藤里町には、以前から、地元企業の人手不足や労働者の高齢化といった問題がありました。これが彼らとかかわるきっかけです。
もともと若者支援をしたいと思っていたこともあり、働き盛りの若者が家にいるのはもったいない、彼らがきっと町の力になると考えました。
就活がうまくいかなかったり、予期しない退職に見舞われたり、社会のレールに乗れなくなった人たちは途端に居場所や所属をなくしてしまいます。また、毎日家の中で生活していた人が、過去のようにフルタイムで働くのはハードルが高く感じてしまうようです。私たちは、そんな状況にこそ介入すべきだと考えました。
ひきこもりは誰しもがなりうること、風邪をひいたときのようなものだと、今は言えます。
“ひきこもり”という言葉はマイナスなイメージが強いですが、みんな普通の人たちです。家から出ていない、長年働いていない、でも話せば明るく対応してくれたり、祭りには参加していたりと私たちと変わらないんです。
「あれ?この若者は何をしているんだろう」
当時、藤里町社会福祉協議会(以降、社協)の一職員であった菊池まゆみさん。高齢者の支援をするために自宅を訪問すると、毎回会う若者がいたという。仕事をして外に出歩いている様子はない。「この人は何をしているんだろう」と菊池さんは疑問に思った。その人こそ「ひきこもり」の人だった。
ほかにも長年行方不明だった息子が故郷に帰ってきて、仕事もせずに親の少ない年金でギリギリの生活をしているケースや、アルコール依存症になった子どもを親が面倒を見ているケースなど、さまざまな事情でひきこもり状態にある人たちがいることを知った。
ひきこもり支援を準備するときに、家を1軒ずつ訪問し、どれほどの支援対象者がいるかを調査した。
「小さな町ですから、『ひきこもりが家にいると思われると、家族が生活しづらくなりかねない』と言う人も多かったですね」
失礼なことを聞くなと怒られることもあったが、菊池さんをはじめとする社協職員が諦めずに何度も足を運び続けた結果、113人もの人を支援につなげることができた。
「ひきこもって何が悪い、風邪をひいたときと同じようなことだ」
「風邪をひいて一歩も外へ出られない」――ひきこもりとはそんなものだ、と菊池さんは言う。
「ひきこもり」という言葉が出てきたのは、30年ほど前のこと。当時から、とてもマイナスで特殊な人のように扱われた。
しかし、菊池さんがこれまでに接してきたひきこもりの人たちは、「普通の人」だったという。
彼らと交流を深めていくと、昼間行くところがなくてつらい、「ひきこもり」と言われてしまうから日中は散歩しているなどという意見が出てきた。
「人は、所属する場所を失うと途端に気分が下がったり、つい後ろ向きな考えが出てきてしまったりして、自分を保てなくなってしまいます。だったら居場所をつくろうと開設したのが『こみっと』です」

支援事業が進むにつれて、菊池さんたち社協職員の中に「ひきこもりの人は、たまたま所属や仕事を持っていないだけの『普通の人』だ」という思いが深まっていく。
それだけに、“ひきこもり”という言葉が強調されてメディアに取り上げられてしまうことが、つらく感じたこともあったという。
町の人から理解を得られたことは大きかった

「こみっと」がなかったらどうなっていたんだろうと思います。
長年ひきこもっている人は、こちらがコンタクトを取ると、最初は頑張って外に出ようとします。でも2~3週間も前から決まったセミナーに誘っても緊張して当日は行けなくなることもしばしば。そして罪悪感でまたひきこもってしまう、といった悪循環に陥るケースがあったのです。
そのため、こみっとは月曜日から金曜日のいつ来ても良いことにしました。1日だけの交流会やセミナーだけではなく、こみっとを長期的なサポートができる拠点にしたいと考えたのです。
長年ひきこもっていると昼夜逆転していることが多く、体重が増えてしまったり、足腰が弱くなったりしている人がいます。支援対象者の中には、施設の周りをウォーキングする人も出てきました。そんな人たちを見て近所の方から「不審者情報」として電話がかかってきたことも…(笑)。
でも、こみっとでつくる「白神まいたけキッシュ」の売り上げが出たときから町の方の見方が変わりました。
「こみっと」が開設してから
2010年4月に福祉の拠点「こみっと」は開設された。ひきこもり、障害者、不就労者…。地域の人みんなが使える場所として今も活躍している。
施設には、「こみっとうどん」や手打ちそばが食べられる食事処、研修やワークショップができる会議室などの場所がある。そこで支援対象者は、「こみっと」に登録をしてウェイターや調理、町内の施設管理の仕事をしたり、最新の就職情報を継続的に得たりすることができる。
また、町外からの支援希望者も受け入れており、隣接する「くまげら館」には居住スペースも用意してある。

過去にはひきこもり0日の若者を支援したケースもあった。「息子が明日高校を卒業するんです。でも、この先のことが決まっていません」と母親から電話がかかってきたのだ。その息子は就職活動を行っている様子もないと言うのだ。
初めてのケースだったが高校を卒業してから「こみっと」に来てもらい、支援開始から2~3ヵ月で就職して巣立っていった。
「白神まいたけキッシュ」が成功して、町の人たちの見方が変わった
「こみっと」開設時はひきこもりの人に対するマイナスイメージが強く、町内に住む人たちからは心配する声や厳しい意見をもらうことも多かった。だが、これを打破したのが「白神まいたけキッシュ」である。
藤里町の特産品である、まいたけを使ったお土産品としてキッシュをつくってみてはどうかと菊池さんが提案した。香り良い新鮮なまいたけがゴロゴロと入っており、卵と生クリームの濃厚さがマッチして癖になる美味しさだ。
こみっとの支援対象者たちも開発に協力。試行錯誤を繰り返した白神まいたけキッシュは大ヒットとなり、初年度の売上は450万円を記録した。

「このときから周りの人たちの反応が変わりました。応援してくれる人が一気に増えて、こみっとの周りをウォーキングしている支援対象者に対して、誰も何も言わなくなったんです」
地域に受け入れられたことで、ひきこもりがいる家族からの相談が増え、支援を必要としている人や人手が足りない企業の情報が集まるようになった。
一人ひとりの力が、町の力になる

私はもともと東京で専業主婦をしていて、ここ藤里町に戻ってからは福祉の知識がないまま、社会福祉協議会で働き始めました。
ケアマネージャーとして家々を訪問したり、現場での経験を積み重ねたりしていた頃に担当になったのが「ネットワーク活動事業」。
この事業では「一人の不幸も見逃さない」がテーマとなっていましたが、いつの間にか支援対象者は「一人暮らしの老人」に。私はそこに違和感を持ちました。本当に一人暮らしのお年寄りは不幸なのだろうかと。
不幸なのではなく、一人暮らしのお年寄りには、ひとりで自由に使える時間があるということではないかなと思いました。そして、その人たちが働きたい、ボランティアしたいという想いを叶えるシステムを作ろうと始めたのが「プラチナバンク」です。
人手が足りない職場がある、働きたくても場所がない仕事がないと思っている人がいる、そんな2つの状況をつなぎ合わせるお手伝いを福祉の立場でおこなっています。
高齢者であっても、ひきこもりの人であっても少しの支援があれば、必ず町の力になるんです。
福祉の本来の役割とは何かをもう一度考える
ひきこもり支援事業スタート時の調査で出てきた113人の支援対象者は今ではゼロに。人によって卒業までにかかる時間や道のりは違うものの、みんな就職したり自分の所属を得る結果となった。
今までひきこもっていたことが嘘のように支援対象者が働いている姿を見て、支援をしてきた社協職員たちは「福祉の本来の役割」とは何かを見つめ直すこととなった。
「福祉のプロとして当たり前のように支援や補助をしてきましたが、もしかしたら、それは行き過ぎた支援で、その人の“できる”可能性を奪っていたのかもしれません」
右手が使えないならば、左手でできることがあるはず。そう信じて、一人ひとりが力を発揮できる場所をつくろうと、社協は奮闘している。
最近では、山菜の加工品づくりに挑戦中だ。わらびなどの畑をつくるところから始め、山菜の安定的な収穫栽培を目指している。

年に一度行われる野焼き作業には、地域の高齢者や支援対象者、そして菊池さんら社協職員が総出で参加するという。
それぞれにできることを集めて町の力に
人口が減少し、働き手や地域活動の担い手が不足しているこの小さな町で人知れず暮らしていた、働かずに家でひきこもっている人、社会のレールから外れてしまうともう戻れないと諦めてしまう若者たち。菊池さんら藤里町の社協は、これらの問題を「ひきこもり支援事業」を通して良い方向へと導いた。
何かしたいと思っている人はまだいるはずと、社協ではボランティアや仕事を紹介する登録システム「プラチナバンク」を開設した。年齢を問わず誰でも登録でき、自分ができることや特技を生かした仕事を紹介してもらえる。

町には「少しでもこの町のために何かやりたい」「体に不自由なところがあるけれど、自分でも役に立てることがあれば…」と思っている人がまだまだいる。
「社会的弱者と呼ばれている人たち一人ひとりができることを集めれば、きっと町の力になり、これからの藤里町を支えていくはずです」
この町でみんなが輝ける場所をつくるため、菊池さんたちは今日も、本当の福祉のあり方を模索し挑戦を続けている。
※2019年4月16日取材時点の情報です
撮影:船橋陽馬(根子写真館)