認知症の人が、仕事をするために通うデイサービスが町田にある。前田隆行さんが代表を務めるDAYS BLG!だ。ここに通う人は認知症の診断を受けながらも洗車やポスティングなどの仕事を日々こなしている。「認知症と診断された人に仕事はできない」という通説を覆した前田さんに、専門職として介護職のあるべき姿について話を聞いた。
監修/みんなの介護
【ビジョナリー・前田隆行の声】
「DAYS BLG!」は、やりたいことを自分で選べるデイサービス

2012年から「はたらくこと」に特化したデイサービス「DAYS BLG!」を町田市内で運営しています。定員は1日10名、スタッフは1日に3人ほどの小さな施設です。
デイサービスと言うと、一日中、施設にいるようなイメージがありますが、BLG!は利用者であるメンバーがその日何をするかを自分で決められる場としてスタートさせました。
BLG!の朝は、施設にやって来たメンバーと「今日は何をしようか?」と話し合うことから始まります。その日の気分や天気に合わせて自由に活動を決めるんです。
仕事の内容は、提携している自動車販売店での洗車やチラシのポスティングなどさまざまですが、きちんと謝礼もいただいています。また、施設内で開いている駄菓子屋は、近所の子どもたちに人気なんですよ。
仕事をせずに施設でゆったり過ごしたり、公園を散策したり、近所のカラオケ屋さんでランチを楽しむ人もいます。うちは、本当に自由なんです。
誰もが集まれる「居場所」に
「認知症になっても働けるデイサービス」として注目を集める「DAYS BLG!(以下、BLG!)」。Bは「Barriers(バリア、障害)」、Lは「Life(生活)」、Gは「Gathering(集い)」から取られている。
前田さんは、「BLG!は、認知症のお年寄り『だけ』ではなく、『誰もが集まって社会の障害について考える場』にしたかったのです」と説明する。
「日常生活にバリアすなわち不便を感じているのは、お年寄りだけではありません。『誰もが当事者』になりえるのです。だから、年齢や病気にかかわらず、みんなが集まれる居場所を作りたいと思いました」
「!」(エクスクラメーション)は、その思いを強調するためにつけられた。

「介護される人」と「介護する人」に分けずに、同じ立場であることを示すため、BLG!では利用者もスタッフも「メンバー」と呼び合っている。
温度差を生まないよう、メンバーの主体性を重視
活動のメインとなっているのは、施設から近い自動車販売会社での洗車や、地域のコミュニティー情報誌のポスティングなどの「仕事」だ。
これらの仕事は、前田さんだけでなくメンバーたちも一緒に直接交渉して獲得してきた。自動車販売会社には社会貢献事業として相手にどれほどの効果があるか、詳細なデータを示すなどしながら毎日訪問し1年半をかけて交渉した。
もらう仕事の基準は、「認知症の方でもできること」「謝礼をもらえること」「毎日しなくてもいいこと」である。

これまでいろいろな仕事を受注してきたが、失敗もあった。たとえば多色ボールペンのインクを詰める作業は、ミスが多く発生した。色の見分けが難しいためだ。結局、この仕事は断ることになった。
「もちろん、職員が検品をすれば、ちゃんとしたものを納品することはできます。ただ、職員がお膳立てすると本人たちとの温度差が生まれてしまう。ですから、本人たちで完結できない仕事はお受けしないことにしたんです。仕事をもらいにいくときに職員だけでなく本人たちも一緒に交渉するのも、そのためです」
トライアンドエラーを重ねながらも地元企業との信頼関係が築けてきた。地域の人々もBLG!の活動を温かく見守っていると前田さんは語る。
厚労省と交渉を重ねることで制度を変えることができた

認知症の方が働ける場をつくろうとしたとき、最初に立ち塞がったのが制度の壁です。
介護保険法では「介護される側が働く」という状況は想定されておらず、そもそもの認識として「認知症の人は働けない」ことが前提でした。
認知症であっても、意思と能力があれば働いた対価を貰って良いはず。直接、厚生労働省と交渉を続けた結果、現在は、謝礼を受け取ることが制度の上でも認められるようになりました。
別に、特別な手法があった訳ではありません。ただ、目の前にいる人がやりたいことを実現できるようにしたい。その一心から周囲に働きかけてきただけです。目の前の人の望みを叶えるために、誰かが世の中を変えてくれるのを待っていても間に合いませんから。
認知症当事者たちと国を動かす
BLG!の前身となる「おりづる工務店」が誕生したのは2006年。きっかけは、見学に来た50代の若年性認知症の方が「働きたい」と言ったことだった。
「関連法人が所有する古民家の修繕を依頼したのですが、その後も若年性認知症のメンバーが増えたので、『はたらけるデイサービス』を作りたいと思いました」
日常的に仕事をするようになると、「対価が欲しい」という意見も出始めた。労働者であれば賃金などの対価を受け取ることは当然だが、介護保険法では介護保険サービスの利用者が働いて賃金を得ることは想定されていなかった。
そこで、前田さんは当事者らとともに厚労省と交渉することにした。
「若年性認知症の当事者意見交換会を開き、厚労省に何度も出向いて当事者の声を届けました。彼らだって、認知症になるまでは働いてお金をもらって生きてきたんだということを伝えたかったんです」
交渉は5年の長きに渡った。当事者らの声が受け入れられ、2011年、厚労省は介護サービスの利用者が働いて報酬を得ることを社会参加の一環であり差し支えないとする旨を各自治体に通知した。
認知症になっても「自分で選ぶ」ことを大切に
BLG!では、その日の活動やランチの内容に至るまで、「自分で選ぶ」ことを重視している。自主的に選ぶ機会を尊重しているからだ。
デイサービスで定番のレクリエーションといえば、脳トレなどの簡単なゲームやぬり絵などだが、BLG!では行っていない。
「ぬり絵が好きじゃない人もいるし、みんなで一斉に同じことをする必要はありません。したいことを自分で選ぶのは、日常生活では当たり前のことです」
介護保険制度のなかでも、自己決定は守るべき権利とされている。
「介護をされる側に立つと、どうしても『周囲に迷惑をかけている』と考えてしまいますよね。私たちがサポートすることで、『自分のしたいことをして良いんだ』と思えるようになって欲しい。働いてお金をもらえるように交渉したのも、そういう思いからです」
2040年問題に向け、専門職としてのあり方を考える必要がある

福祉の道に進もうと思ったのは、大学時代に留学していたニュージーランドのホームステイ先の「お父さん」の影響です。車椅子の会社に勤めていて、彼が車椅子を調整すると、使っている方が笑顔になるんです。映画を観ているようで、とてもカッコいいと思いましたね。
1年後に留学を終えて帰国してからは、ソーシャルワーカーになるために勉強し、卒業と同時に社会福祉士の資格を取って病院に就職しました。
最初に就職した時から自分の意見をズバズバと言っていましたが、根気強く理論的に話せば理解してくれる仲間も増えます。今はそういう仲間たちとBLG!を運営していますし、地元の町田市役所や介護事業者の方々とも密に連携を取って、常により良い介護のあり方について話し合っています。
相手がベテランであっても議論することは必要
前田さんは、大学を卒業後に病院に就職し、同系列の町田市内の病院に老年精神科の医療ソーシャルワーカーとして配属された。
配属後から間もない頃、患者の車椅子の抑制帯をはずして「危ない」と上司に注意されたことがあった。しかし、「自由を奪うのはおかしい」と思って頑として改めなかった。
「新人にそんなことを言われて困ったのでしょうね。すぐに異動になって、在宅介護支援センターに配属されました。ここで私は在宅介護の奥深さを知り、病院よりも在宅介護に力を入れたいと思うようになりました」
前田さんはこう振り返る。その後は町田市在宅福祉サービス公社(現社会福祉法人町田市福祉サービス協会)に転職、ヘルパーなどを経てデイサービス「おりづる苑」での勤務を希望する。
ここでも前田さんは、転倒防止を理由に利用者に何もさせない方針に異議を唱える。
自宅には階段や段差があるかもしれないのに、とにかく座らせているだけでは自力での昇降ができなくなってしまう。ベテラン職員とも対立し、毎日、胃が痛くなるような思いだったと語るが、それでも議論を続けることで、おりづる苑の空気も変わっていったという。
「介護は離職率の高い業界ではありますが、この仕事の面白さがわかる前に辞めてしまうのはもったいないと思います」

専門職としてのこれからの介護職を考える
団塊の世代が75歳以上になる「2025年問題」、そして、その子どもである団塊ジュニア世代が65歳を迎え高齢者となる「2040年問題」。深刻な介護職員不足が予想される状況に、前田さんも強い危機意識を抱く。
「これからは、介護が必要な人の生活を専門職だけではなく、地域社会全体で支えていくべきです。『どう支えていくか』を考えることこそが専門職としての介護職の役割だと思います」
前田さんが考えるアイデアのひとつが「コミュニティケアワーカー」だと言う。「コミュニティソーシャルワーカー(CSW)」のように介護士が地域に出て、介護の専門知識と技能を発揮するのだ。

今や、自治体や企業、多くのメディアから注目されている前田さんだが、町田市のインターネットラジオ局「町田大学ラジオ放送局」などを通して自分からも発信をし続けている。
「認知症になった人は働けない」という通説を覆した前田さんの、これからの活動にも熱視線が集まる。
※2019年1月28日取材時点の情報です
撮影:丸山 剛史