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安田洋祐「ミクロ経済学的に現在の介護には、要介護者のニーズを汲み取って気軽にサービスを提供するようなマッチングサービスが足りない」

最終更新日時 2017/01/16

安田洋祐「ミクロ経済学的に現在の介護には、要介護者のニーズを汲み取って気軽にサービスを提供するようなマッチングサービスが足りない」

ゲーム理論やマーケットデザインといったミクロ経済学を専門としている、気鋭の経済学者・安田洋祐氏。1980年生まれと若手研究者である氏は華麗なる経歴の持ち主だ。東京大学経済学部を首席で卒業し、プリンストン大学に留学後Ph.D.(博士号)を取得。情報番組などを通じて経済学をいかした知見を発信しており、そのわかりやすい解説には定評がある。前編では、安田氏の専門であるマッチングの仕組みを介護分野に応用するならば、我々にはどのような“利益”があるのか。その可能性を伺った。

文責/みんなの介護

マッチングの仕組みは介護にも応用できる

みんなの介護 安田先生は大阪大学で教鞭をとり、研究活動だけでなく、テレビにも積極的に出演されています。今日は、社会保障についてお話を伺いつつ、先生のご専門分野についてもお話いただきたいと思います。まず、先生のご専門はどういった分野なのでしょう?

安田 社会保障というテーマでは、国の財政としてどのように予算を配分するだとか、若者と高齢者の世代間ギャップをどのように埋めるか、税負担をどうするかといった、マクロ経済学の視点から論じられることが多いかと思いますが、ぼくが専門としているのはミクロ経済学です。

みんなの介護 “経済学”と聞くと、専門的で難しい話…を想像してしまいます。「ミクロ経済学」について、教えていただけますか?

安田 確かに、経済学というと“市場の分析”といったテーマをイメージされる方は多いと思います。「みんなの介護」は老人ホームを探しているユーザーと、入居者を募集している施設のマッチングサービスをインターネットを通じて展開していますよね。ぼくの専門分野はまさにこのマッチングなんです。

みんなの介護 介護業界にマッチングを取り入れた場合、先生はどういったサービスをイメージされますか?

安田 介護ひとつ取ってみても、どのようなヘルプが必要なのかは、お年寄りや各家庭によって違いますよね。たとえば、家族が車を出してくれていても、気をつかってしまって実はなかなか買い物に出られない、といったようなことがますます増えていくかもしれません。そう考えると、自分で身の回りのことに不便さを感じているときにニーズをきちんと汲み取れるようなマッチングサービスが、これからは必要とされていくように思います。ポイントは、“気軽に使えるサービス”という点ですね。

みんなの介護 いざサービスを作るとなると、仕組み化するのは簡単ではないのでしょうね。

安田 そうですね。マッチングで扱う市場は複雑であることがほとんどです。市場という言葉からは、ある商品をめぐる売り手と買い手、あるいは需要と供給で表されるバッテンのグラフなんかをイメージされる方が多いと思います。この需要と供給のストーリーでは、買い手にとっては値段が同じならどこで買っても同じですし、売り手にとっても誰に買ってもらうかは関係がなく、いくらで買ってもらえるかだけが重要です。結果的に、どのように価格が決まるか、その価格のもとでどれくらいの人が買えるか、売れるかということに分析の焦点が当たりがちです。

でも、現実のマーケットはもっと複雑で、誰に売りたいか、誰に買ってもらいたいか、誰と取り引きしたいかという組み合わせ、つまりマッチングの要素が決定的に重要なことが少なくありません。今まで汲み取られてこなかった潜在的なニーズをマッチングによって結びつける、あるいは、マッチングの仕組みを社会のルールや法律に沿ったものに整えて、世の中を変えていくことをねらいとしています。

会社の新卒採用をイメージしてほしいんですが、ある会社が初任給20万円で採用活動をしていたとします。でも「この月給で働きたい人は誰でも採用します」という会社はありませんよね。支払う初任給はみんな一緒なんだけれど、社風と相性がいいだとか、個人的に気に入っただとか、ビジョンがすばらしいだとか、いろいろな理由で応募者と面接をした上で採用するのが普通です。

みんなの介護 雇われる側も、入社したい企業のイメージを持っているはずです。

安田 はい。企業と学生がお互いに相思相愛になるようなペアを結びつける、というマッチングが、実は労働市場では行われています。結婚市場もそうですよね。こういった市場というのは、一見すると効率的な設計が難しく思えるんですが、研修医の病院配属(後述)など、うまくいっている制度設計の実践例は出てきています。

マッチングの制度設計というのは介護業界との相性も良いと思います。介護職員の方は、自分の強みはこういった方の介護で、どういった家庭に行きたい、といった希望を出す。利用者も、相手が男性か女性か、歳が近い人か若い人か、あるいは共通の趣味がある人に介助してもらったほうが接しやすいというような、“こういうスタッフに来てほしい”という希望を出す。そういったニーズに応じたマッチングの仕組みが考えられますね。

「賢人論。」第31回(前編)安田洋祐さん「既得権益を持っている事業者をただ批判するだけでは、世の中は1ミリも変わらない。規制緩和を訴えるなら、マーケット全体の質の向上を考えなければならない」

新規参入によって利用者にどのような便益があるかを考えなければならない

安田 私は研究者という立場ですが、マッチングによるサービスが、ただの慈善事業や公的サービス、あるいは研究対象にとどまるのではなく、企業やNPO法人などによって自発的に運営されていくものになるとよいな、と期待しています。ITやIoTに代表されるインターネット技術の進歩によって、可能性はより開かれているように感じます。

また、ミクロ経済学を専門としている立場としては、規制を取り払うことで世の中のビジネスがやりやすくなるとか、どういった形で事業者同士がすみ分けをしていけば業界の活性化につながるとか、それこそ今後の高齢化に向けて、社会を変えていくようなアイデアを提供できたら、などと考えながら研究活動を行っています。

みんなの介護 介護業界にも、規制緩和が進まないといった問題はあります。特養への参入を希望している株式会社が6割程度あるというデータもあるんですが、規制がネックとなって進んでいないという現状です。

安田 介護に限らずどんな業界でも、すでに立場上優位になっている人や組織にとっては、ライバルが増えると競争によって自分たちの取り分が減ったり、今の立場が脅かされたりするかもしれません。なので、そういった人たちにとっては、規制が緩和されるのは“損”なわけです。金銭的に見て利益が減ってしまうかもしれないし、金銭的な影響はなくても気分的にライバルが増えるのが面白くない、という人は少なくないでしょう。

問題は、そういった既得権益者にとって“損”、新規参入者にとっては“得”が生まれる状況で、社会全体の影響はどうなるか?という点です。新規参入による影響を見るときは、当事者である事業者や企業だけを見るのではなくて、市場の反対側にいる消費者や利用者の便益も考慮に入れなくてはいけません。

みんなの介護 利用者の便益とは、どういうことでしょうか?

安田 新規参入が起きると、選択肢が増えますよね。今まで無かったサービスが選べるというのは便益だと考えられます。他にも、競争を通じてサービス価格が下がる場合もあるでしょう。価格が下がるというのは、利用者にとって非常に分かりやすいメリットです。競争が激しくなると企業全体で見た儲けが通常は減りますが、その一方で利用者の便益は大きくなるのです。

ちょっと強引な例かもしれませんが、消費者が得ている便益をお金で測るといくらくらいになるか、を見てみましょう。例えば、保育サービスで子どもを預けるために、10万円までなら支払っても良いと考えている家庭をイメージしてください。そのときに、実際には3万円で預けることができたとすると、その家庭には7万円分の便益が発生しますよね。支払い意欲である10万円と、実際に支払った3万円の差額が便益となるわけです。こうした直接目に見えない消費者の便益を、経済学では消費者余剰と呼んでいます。

みんなの介護 目に見える形で7万円をもらえるわけではなくても、消費者の便益になっているということですね。

安田 その通りです。新規参入に話を戻すと、既存法人は国の認可を受けてお墨付きをもらっているので質の高いサービスを提供している、それは間違いないと思うんです。だからといって、新規参入が進まないようにしていると、全体として見るとサービスの向上が止まって本末転倒になりかねません。新規参入者も、自分たちが入ることで、マーケット全体で多様性が生まれてサービスの質が充実する、結果的に便益を得られる利用者が増える、というように考えられるといいですね。

みんなの介護 それぞれが己の損得勘定ばかり考えるのではなく、サービスの受け手にとってみたときにどうなのか、という視点が必要なのですね。

安田 ぼくたち経済学者は、人間や組織であれば己の損得勘定に基づいて動いてしまうのはある意味しょうがない、という観点から分析をします。もちろん、性善説に基づいて、社会にとってよいことをされる方もいますが、現実はそう甘くないでしょう。損得に敏感な人や、ルールを作っても抜け道があったらグレーゾーンで破ろうという人はほぼ間違いなく出てきます。そうした、人としては自然とも言える動きにあらかじめ対処するために、懐疑的な視点に立ったアプローチをとるのです。

仮に、既存の事業者が既得権益を守るために新規参入を妨害したとしても、このアプローチのもとでは想定内なわけです。そして、既存事業者ばかり批判していても世の中は1ミリも変わりません。現に、既得権を守るために、膨大な時間と労力を費やしてキャンペーンや政治活動をやったほうが得になる、という構造があるから彼らも参入阻止を行うわけです。その構造を変えていかなければ問題は改善しないでしょうね。

「賢人論。」第31回(前編)安田洋祐さん「勤務時間を変えなくても効率よく介護できるようにする。「スケジューリング問題」の解決が介護業界を変える決め手になる」

全体としてみんながハッピーになれる方向に制度自体を変えていくことが重要

安田 重要なことは、お互いに自分の損得勘定に突き動かされていても社会全体としてみんながハッピーになれる、という方向に制度自体を変えていくことなんです。制度を憎んで人を憎まず、の精神ですね(笑)とはいえ、こういったアイデアを具体的な形に落とし込んでいくのは簡単な話ではありません。

みんなの介護 一般的にうまくいっているマッチングの事例でいうと、どんなサービスがありますか?

安田 日本では2004年から導入されている、研修医のマッチングサービスが挙げられます。毎年約8?9000人の利用者がいます。医学部を卒業すると2年間、一般臨床研修として、病院で研修医として訓練するんですが、どの医者をどの病院に配属するかというマッチングの問題に、経済学者が考えた効率的なマッチングの仕組みが使われています。

医学部を卒業後、行きたい医学部のリストをオンラインで提出し、各病院も来てほしい研修医のリストを提出するんです。お互いにランキング付きのリストを提出したところで、その仕組みを走らせると一瞬で組み合わせが決まります。

みんなの介護 画期的な仕組みですね。でも、人と人のマッチングが機械的に決まるのは、抵抗を感じてしまう人もいるかもしれません…。

安田 もちろん、背後にあるのは数学的な理論やコンピュータのアルゴリズムだったりするので、一般の方からすると怖いと感じるところもあるかもしれません。こういった知見を使って実現しようとしているのは、相思相愛のペアをたくさん作ることです。

もしも、自分がペアになった相手のほかにもっと望ましい相手がいて、その人も実は自分のことを好きだとわかったら、誰も進んでもともとのマッチング結果に従おうとはしないでしょう。ペアを変えてマッチングし直すことで、お互いに以前よりも状況が改善するからです。研修医マッチングで利用されている仕組みのもとでは、そういった不満足が一切起きないことが保証されています。

みんなの介護 先ほど伺ったように、介護においてもそうした仕組みを取り入れられる可能性がありますね。ただ、業界が抱えている問題のひとつに、人材が不足しているという実態があります。介護職員そのもののパイが少なければ、マッチングも難しいのではないかと…。

安田 まずは介護業界で働く人数自体を増やすことは重要ですね。これは、どうやって予算をつけるのか、というマクロ的な話になってくるかと思います。ただ、働く人数自体が同じであっても、やり方を変えることで達成できる改善もあるでしょう。

例えば、サービスを変えて利用者の満足を高めるとか、職員の勤務時間を変えなくても効率よく訪問介護できるようにする、とかが考えられます。後者を扱う学問分野をスケジューリング問題といいますが、スケジューリングを効率化することによって、働く人数が同じでもサービスあたりの人数は増やすことはできるかもしれません。総数を増やせない場合でも、中身を充実させるアプローチを考えることはできるのです。

さらに、中身を充実させると総数が増える可能性もあります。現職の方々の中には、介護福祉士にはなったけれど、何らかの不満を抱えている、という人もいるかもしれません。でも、マッチングによって自分の納得のいく職場で働けるという仕組みがあるなら、介護の仕事をやりたいという人が増えるかもしれませんよ。

表面的な制度を入れてもマインドが変わらなければ、その制度は使われない

みんなの介護 先ほど、介護においてもマッチングの理論を応用できるといった可能性について伺いました。先生が普段、研究活動をされている中で感じていることはありますか?

安田 ミクロ系の研究をしていて非常に重要だなと常日頃から感じるのは、表面的な制度を入れたところで、中の人のマインドが変わらなければ、その制度は使われないということです。

例として育児休業制度を挙げます。今や制度を導入していない企業のほうが少ないという状況で、男性社員であっても制度上は育休を取ることが可能です。でも、いざ育休を取るべきか取らざるべきかとなったら、周りには「取ってくれ」と言うかもしれないけれど、自分のことになると「俺は取らない・取れない」というケースが多い。「今まで誰も取ってこなかった」とか「自分が取ることによって部署に迷惑をかけてしまう」といった認識、空気が職場にあると、誰も最初の一歩を踏み出せないんです。

みんなの介護 日本ではそういった風潮のある企業がまだまだ多いと言われています。

安田 本気で職場環境を変えたいと思っている若手の経営者がいるスタートアップ企業は、そういった空気を変えられます。トップが号令をかけたときに、働いている社員のマインドがガラリと変わるからです。一方で、老舗のレガシー企業はどうか。

制度を言い訳程度に導入するのではなく、場合によっては自ら率先して育休を取るということができているかというと、なかなかできない。となると、社員の行動も変わらないままですし、結果的に長時間労働は変わりません。男性がいつまでたっても育休を取らない、ということになります。これを変える大きなきっかけになるかもしれないのが、昨今、問題視されている介護離職だと思うんです。

みんなの介護 介護離職が企業の働き方を変えるかもしれないんですね…。皮肉のようにも感じてしまいますが。

安田 今まで仕事に没頭することができたシニアの男性社員が、自分ではコントロールできない要因で仕事を追われるのが介護離職です。自分の親に介護が必要になったときに、様々な事情から外には任せられず自分が面倒を見ざるをえない。早い場合には40代で、介護を理由にフルタイムで働けない人や、職を失う人が出てきています。働き詰めだった男性社員たちが仕事をできなくなる局面を迎えることで、これまでは当事者意識が乏しかった企業のトップたちも、自分事として働き方を変えていかざるをえなくなるでしょう。

きちんと9時に出社して残業も当たり前というような、会社に来ること、会社にいることを前提に仕事を回すような職場だと、2、3割の社員が介護離職によって抜けるようなことが起きたときに回らなくなります。これまでは専業主婦など女性にもっぱら介護の負担を任せることで、ある意味、多くの男性社員たちは介護問題に対して見て見ぬふりをしてこられました。しかし、共働き世帯が増え、さらに団塊世代がリタイアを迎えつつある今、もはや当事者目線で考えざるをえないであろうと思います。

安田洋祐「世代格差の議論が進まないように見えるのも、それぞれが自分の損得に基づいて投票してしまっているから」

社内の働き方をフレキシブルにすることで、育児休暇取得のデメリットや介護離職のリスクも減る

みんなの介護 40代、50代の働き盛りの社員が抜けていくというのは企業側にとってもマイナスですよね。

安田 そうですよね。少し極端かもしれませんが、会社に来なくとも在宅勤務で働けたり、親や子供の体調が悪くなったときに柔軟に休みを取れたりするような職場環境でなければ、企業間の競争に生き残れないという状況に移ってきているのではないか、とも思います。

社内の働き方をフレキシブルにすることで、よそでは活躍の場を見つけられなかった優秀な人を採用できますし、育児休暇取得のデメリットや介護離職のリスクも減ります。しかも職場全体の生産性も高まる可能性がある。こうした動きが進むと、そこから労働市場全体の流動性にもつながっていくでしょう。在宅勤務が当たり前になると、フリーランスでやっているのとあまり変わらなくなるかもしれません。

みんなの介護 今は転職して職場が変われば就業時間も変わるのが一般的でしたが、自分のライフスタイルを変えずに転職することが可能になりそうですね。

安田 制度を導入しても自分から手をあげて動く人がいない、という状況と似ているんですが、個々人が損得勘定に基づくと、全体で一斉に変わればみんなハッピーになるとわかっていても、結局誰も動けない。それをぼくら経済学者は均衡と呼んでいて、この均衡状態にあるときというのは、お互いに個別の視点で見ると、“自分だけ行動を変えると損をするから動けない”といった具合に、実は合理的に意思決定をしているんです。

ところが、社会全体として見ると、ドツボにはまって悪い結果を招くので問題になる。こうした状態は世の中のそこかしこに見られるのですが、当事者目線では決して非合理な選択をしているわけではないので、個人ベースで状況を打開することは非常に難しいでしょう。

「なぜあなたは残業をするんですか?」と聞かれたときに、日本全体としては長時間労働を減らしていって、ワークライフバランスを充実していかないと立ち行かない、と頭ではわかっている。でも、みんな残業しているし、自分一人だけ残業をやめたらどうなってしまうのか、とどうしても考えてしまう。これはしょうがないことで、個々の社員を責めたところで問題は解決しません。だからこそ、全体としてマインドを大きく変更できるような政府や企業のトップの役割が大きいのです。個人レベルでは解決できない、変えていくことができないのですから。

みんなの介護 それこそトップダウンで大胆な発想を打ち出さなければ、名ばかりの制度が増えるだけで現実は好転しないですよね。

安田 世代間格差の議論がいっこうに進まないように見えるのも、当事者目線で見ればきちんと意思決定しているからなんです。それぞれが自分の損得に基づいて投票している。例えば、社会保障の負担を誰がするのかといったときに、“自分だけよければ”“自分の家族だけよければ”、という視点にどうしてもなってしまいがちです。

それに対して、「そんなことはけしからん!」と道徳心に訴えたり、「自分さえよければと考えるあなたたちがいるから、日本は沈没していくんです!」と説教したりしても、実際に行動を変える人は多くないように思います。やはり、いざとなったら我が身がかわいいわけです。だからこそ、決め方の仕組み自体を変えていくような大胆な発想が必要なんです。

みんなの介護 最近にわかに議論されていることに、親に子どもの投票権を与えるというドメイン投票があります。

安田 アイデアとしてはとても面白いのですが、注意点もあります。高知工科大学の西條辰義教授らが、ドメイン投票の落とし穴について明らかにしているんですね。彼らの研究によると、子どもと自分、2人分の投票権を得た現役世代の人が、きちんと将来志向の政策に投票するかというと、実はそうとも言えない。

なぜかというと、子どもの1票分は未来志向の政策に入れるのだけれど、自分の分は現役志向の政策に1票入れてしまう、という親御さんが出てくるからです。せっかく子どもと合わせて2票分を渡しても、相殺して意思決定を放棄するというか、2票分をセットで将来志向に使わない、ということも十分起こり得るのですね。

彼らの研究結果をどこまで深刻に受け取るかについてはさらなる議論が必要でしょうが、少なくとも、ドメイン投票のような制度を導入すれば、ただちに未来志向の政策につながるとは言い切れない、ということに注意をしなければいけません。

安田洋祐「世代格差の議論が進まないように見えるのも、それぞれが自分の損得に基づいて投票してしまっているから」

人生経験の豊富な高齢者は賢者である

安田 もう一つ、西條教授らのグループが行った研究で面白いアイデアが紹介されていました。将来志向の発想を持ってもらうために、ロールプレイをしてもらうということです。自分を60年後の現役世代の人間だと思って、将来の政策や暮らしについて議論してください、という役割を与えて議論してもらうのです。

みんなの介護 そうすると、実際にその立場になって考えますよね。

安田 はい。議論の結果、まさに、長期的ビジョンや普段出てこないような発想が出てくるそうなんです。逆に、ロールプレイをさせなかったグループからは、現在の問題や状況を引きずった、小規模な改善案ばかり出てきたらしいのです。ところで、若者世代からシニア世代まであらゆる年齢層の人を集めて、「60年後の現役世代の視点で、どういうことが必要かを考えてください」と訪ねたときに、若者世代とシニア世代のどちらから、より長期志向のアイデアが出てくると思いますか?

みんなの介護 若者は自分たちの将来をイメージすると思うので、若者世代でしょうか?

安田 そう思いますよね。でも、実は正解はシニア世代なんですよ。将来の現役世代という役割を与えられると、若者世代が発想しないような斬新なアイデアを出す。しかも、今までの人生経験が豊富なので、荒唐無稽でもない。未来志向なんだけれども、十分に実現できそうな面白いアイデアが、シニア世代からどんどん出てくるらしいのです。

みんなの介護 意外です。若者からは未来志向のアイデアが出てくると思ったんですが。

安田 そうなんです。若者は知識を十分に持っていないという理由もあるかもしれませんが、せっかく役割を与えても、未来志向のアイデアはほとんど出てこない。若者が一見すると未来志向に見えるのは、あくまで若者自身がイメージできる10年後、20年後といったタイムスパンでの話なのかもしれません。これから自分が歳を重ねていくにつれて、それこそ社会保障が破綻しないかどうかを自分事として心配していたとしても、60年後とか100年後という未来には実は関心がない。むしろシニア世代の方が、超長期的な話に関心があって、具体的な提言ができるのです。

これは、介護にとどまらず将来について議論する局面に活かせる知見ではないかと思うんです。シニア層の人たちに対してぼくら若者世代が何となくイメージしがちなのは、自分たちのことしか考えていないんじゃないか、という利己的な姿です。この先長くないから、自分たちさえ食い逃げできればいいんだ、というイメージですね。ところが、簡単なロールプレイをして、知識や人生経験をもとに建設的な提案をしてもらうと、面白いアイデアがたくさん出てくる可能性があるんじゃないでしょうか。

みんなの介護 日本は超高齢社会なので、見方を変えれば、むしろチャンスととらえられますね。

安田 まさにその通りです。日本には人生経験が豊富な賢者たちがたくさんいるんですよ。今までは、この日本に埋もれていたシニア世代を賢者として活かす方法、うまい仕組みがあまりなかったのではないんでしょうか。今の自分とは違う役割を演じたとき、つまり、自分自分の損得勘定とは関係のない議論をする場でどういった意見が出せるのか、というのは年齢とは直接関係がありません。なので、うまく各人の役割を設定してロールプレイをすることができれば、世代間の利害対立とはまったく関係のない土壌で、建設的な議論ができるチャンスが生まれます。

若い人たちはエネルギーもやる気もあるんだけれども、アイデアがない。夢を持っていても、具体化するノウハウがない。こうした若者の行動力をシニア世代の経験や知見と結びつけることは、今後の日本の活性化にも大きくつながる話ではないかと思います。

GDPが成長しない世界での“格差解消”は今以上に難しくなっていく

みんなの介護 ここからは、日本の経済政策について伺わせてください。経済政策や経済成長に関してはさまざまなご意見があるかと思いますが、先生ご自身はどのように考えますか?

安田 まず、経済成長が完全に止まってしまう、特に一人あたりのGDPの成長が止まるというのは、異常事態だと思います。もちろん、歴史を紐解くと、産業革命以前というのはむしろ成長しないことが当たり前でした。しかし産業革命以降は、文字通りのゼロ成長や一人あたりのGDPが下がっていく、ということはなかったのです。

なぜこれが異常なのか、理由は単純です。全く進歩してなくても実現してしまうのがゼロ成長の世界なんです。例えば先輩社員が今までやっていた仕事とまったく同じことをやっても、一人あたりで見るとゼロ成長は達成できてしまう。でも、現実には、研究開発によって技術も進みますし、試行錯誤の結果として何か新しいノウハウが蓄積されれば、プロセスが改善するわけじゃないですか。放っておいても、生産性って少しは上がるものなんですよ。

成長が一切起こらないというゼロ成長の世界というのは、経済だけでなくさまざまな意味で社会が停滞してしまっている、異常な事態なんだと思います。

みんなの介護 日本が“人口減少社会”を迎えた今なお、経済成長するべき、と言った場合「それは無理だ」という声も聞こえてきそうですが…。

安田 さきほどは一人あたりの経済成長についてお話しましたが、国全体のGDPに関しては確かに減る可能性はあります。人口がどんどん減っているというのは、労働者の数も減っていることを意味しますよね。一人ひとりがどれだけ頑張って、例えば1.5倍の生産性で働いたとしても、働く人が半分になれば、トータルで見た生産性は減ってしまいます。

そういう意味で、急激に労働人口が減っていくような社会であれば、GDP自体がゼロ成長というのはある意味仕方のないことかもしれませんが…。

みんなの介護 でも、一人あたりのGDPが減っていくようになると国全体としては危機であるということですね。

安田 そう思います。GDPの話に関して付け加えると、「GDPでは人々の幸福を適切にはかることはできない」「そもそもどうしてGDPに注目する必要があるのか」「我々は経済的な指標にとらわれすぎではないか」といった批判はよく耳にします。どれも一理あるとは思うんです。現に、経済学者の間でもGDPの限界を指摘している人は少なくありません。ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ・米コロンビア大学教授たちが中心になって新しい幸福度に関する指標を作ったように、いろいろな試みがあるのは事実です。

そういう事情はありつつも、GDPという指標で測った経済成長に関しては諦めるべきではない、むしろ積極的に追求すべきターゲットだと、ぼくは考えています。

少子高齢化で人口が減っていく中で、「暮らしぶりを豊かにすればいい」とか「これからは再分配の時代なので格差を減らしていこう」とか、「成長はよろしくないから、格差解消に注力するべき」とおっしゃる方は少なくありません。この議論の一番の問題点は、そういった意見をおっしゃっている方たちが目指している“格差解消”というゴールが、国全体のパイが大きくならない、つまりGDPが成長しない世界では、今以上に難しくなってしまうということです。

「賢人論。」第31回(後編)安田洋祐さん「自分の仕事さえ不安定で、先行きが不透明なこの時代。あなたは弱者救済のために心から再分配を考えられますか?」

政治的に再分配を進めて、格差を解消して、より暮らしの質を高めていくには、最低限の経済成長がなければ厳しい

安田 “格差を解消すべきだ”と言うのは簡単ですが、性善説に従うような、国のことや恵まれない人のことを考えて行動する人ばかりではないんです。個人の損得勘定というのは、本人が思っている以上に、意思決定を大きく左右しているからです。

例えば、「格差は良くない」と主張している人に、じゃあ「いくら寄付しましたか?」と尋ねても、ほとんど「寄付はしていない」という答えが返ってくるんじゃないでしょうか。

みんなの介護 特に、日本においてはその傾向が強いでしょうね。

安田 寄付に関する慣習や制度の影響もあって、かなり稼ぎがあっても、実際に寄付している人の割合は多くありません。こう言ってしまうとドライに聞こえるかもしれませんが、要は自分事なんですよね。

経済が全体として成長していて、個人の給料も毎年少しずつ上がっていくような状況ですら、再分配や恵まれない人への寄付ができていないというのに、ゼロ成長のもとで格差を解消することなどできるのでしょうか。ゼロ成長になると、国全体は伸びないわけです。非常にざっくり言うと、給料が増える人と減る人が半々になる。平均では変わらなくても、お給料が減っていく、つまり経済的に余裕がない人が半数を占めるような中で、再分配がうまくできるかということなんですよね。

全体が伸びていれば、その中から税金を払ったり、人によっては積極的に寄付をしたり、ということにも抵抗感が出にくいかもしれませんが、全体が減りだしたらどうでしょうか…。

みんなの介護 しかも今後は、AIによって一部の仕事が奪われてしまうとも言われています。

安田 そうですね。自分の仕事がいつまで安定しているかわからないような先行きが不透明な時代に、再分配できますか?ということなんですよね。“経済成長を目指す時代は終わった”とか、“これからは再分配だ、量ではなく暮らしの質を豊かに”とか言っている人たちは、そこの問題を甘く見ているように感じます。

社会保障ひとつ取ってみてもなかなか改革が進まない中で、さらに弱者を救済するようなことが政治的にできるのか、個人的には大いに疑問です。政治的に再分配を進めて、格差を解消して、国民の暮らしの質をより高めていくには、最低限の経済成長がなければ厳しいと思うんですね。だから、成長と再分配というのは矛盾するものではなくて、むしろ政治的に再分配を進めるために成長こそが鍵を握っていると言えるのではないでしょうか。少なくとも、国としては経済成長を諦めるようなことをアナウンスすべきではないと思います。

とは言っても、もちろん個々の家計は別ですよ。生き方だって人それぞれなので、お給料や金銭的な資産だけを重視する必要はありません。これからはむしろ、人と人とのコネクションやノウハウといった無形資産が重要になるとおっしゃっている方もいます。個人としては、お金や成長にとらわれる必要はまったくありません。そうした、個人の嗜好としての脱成長や、暮らしの質の追求は大いに結構なわけです。ただ、国全体の舵取りを考えた時には、GDPによる経済成長を諦めるような方向転換をせよ、とは言うべきではないと思います。この意味で、安倍政権の舵取りは、方向性としては正しいように感じます。

「賢人論。」第31回(後編)安田洋祐さん「セーフティネットの整備は、現在の弱者救済だけでなく将来の不確実性を減らし、経済成長をももたらす」

結果的に生まれてしまう敗者やセーフティネットが必要な人たちに対して、保護をあらかじめ用意しておくというのは非常に重要

安田 マクロ全体で見たときに、椅子取りゲームをイメージしてもらうとわかりやすいんですが、どれだけ個々のプレーヤーが頑張っても最終的な椅子の数が決まっているのだとしたら、そこからこぼれる人は出てくるわけです。全体のパイが限られているから、持つものと持たざるものが必然的に出てきてしまう。こぼれてしまった人たちを救うのは、さきほどお話しした再分配や、セーフティネットになってきます。

介護の問題もそうですよね。誰が高齢になるまで元気でいられるか、どこで体に無理がきかなくなるか、認知症になってしまうか、それは事前にはわからないわけじゃないですか。運や偶然で決まってくる面が多分にあるので、個人の努力だけではどうしようもない。

みんなの介護 個人の力ではどうにもならない事態になったときに社会全体で当事者を支えよう、というのが社会保障制度ですからね。

安田 幸運にもまだまだ自分で活躍できるという方は、もちろん介護の世話にならないかもしれませんが、不幸にもそうじゃなくなってしまった人は、気軽に介護サービスを使えるような環境にしていかないといけません。若い世代にとってみても、こうした仕組みがきちんと成り立っていることは重要ですよね。

みんなの介護 今の若い人たちが歳をとって介護が必要になったときに、介護保険がないというのは不安ですからね…。

安田 「介護費も高い、医療費も高い、となった場合に備えて自助努力でなんとかするためには、ものすごく蓄財しておかないと危ない」と感じて、若い世代が老後に備えようとすると、当然そのお金は消費に回らなくなります。すると結果的に、現在の景気にも悪い影響を及ぼしてしまう。医療や介護の制度設計が、実はマクロの景気も左右するんですね。セーフティネットをきちんと用意しておくことは、すでに存在する弱者を救うだけでなく、将来の不確実性を減らすことを通じて、経済成長にもプラスの効果をもたらすのです。

このように、結果的に生まれてしまう敗者や、セーフティネットが必要な人たちに対して、保護をあらかじめ用意しておくというのは非常に重要です。そこの部分は、今まで過小評価されすぎていたような気がします。競争に任せていると、全体のパイは大きくなる傾向がありますが、では大きくなったパイをどうやって分配するのか、どれだけセーフティネットに投資しておくべきか、という議論はどちらかと言うと置いてきぼりにされてきた印象です。他にも、人口成長や経済成長が当たり前の時代に作られた制度が、もはや現実の状況に合わなくなっているのに、なかなか制度変更が進んでいないという現状も問題ですね。

だから、議論を通じて、なかなか変わってこなかった制度設計の仕方を将来志向に変えていくべきなのです。それこそ、シニア世代に、知識と経験に基づいた助言を仰いだり、誰も損をしないようなアイデアを出してもらったりしていってほしいですね。彼らが賢人として活躍できるような世の中になれば、日本の未来はまだまだ明るいように感じます。

撮影:鈴木智博

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森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07
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