内田樹「あらゆるところで株式会社化が進んだために、現代人は長期的な視野を持てなくなっている」
思想家としての深い洞察力と、仏文学者としての洒脱なエスプリと、武道家として一本筋の通った豪腕ぶり…。読者に熱烈なファンが多いことで知られる内田樹氏を、ようやく本欄でお迎えすることができた。文武両道を体現する今回の賢人は、日本の社会保障制度について何を語るのか。鋭い舌鋒をできるだけやわらかく受け止めながら、インタビューはそろそろと始まる。
文責/みんなの介護
制度設計のプロであるはずの官僚が、なぜ長期的な視点で物事を捉えられないのか
みんなの介護 総務省が発表した人口推計によると、2018年10月1日時点の日本の総人口は1億2,644万人と、8年連続で減少しているそうです。いよいよ深刻になる人口減少に高齢化が重なり、社会保障制度をどう維持していくかが喫緊の課題となっています。
内田 僕の記憶では、「人口問題」と言えば、少し前までは「人口爆発」のことでした。このまま世界の人口が増え続けていけば、食料やエネルギーなどの資源が不足し、危機的状況を迎えるのではないかと考えられていた。どうやって人口増加を抑制するか、それが人類史的課題だと言われていたんです。
ところが1970年代の「第二次ベビーブーム」以後、わが国の出生率は減少に転じました。特殊合計出生率は1975年に2.0を割り込み、それ以降2.0以上を回復したことは一度もありません。日本が少子高齢化を迎えることはその時点からわかっていたことです。
しかし、政府も官僚も、人口減少に対しては、何の手も打ってきませんでした。それどころか、バブル期には潤沢にあったはずの社会保障のための原資を、無駄なハコモノを建てたりして、ほとんどドブに捨てるように浪費したわけです。
みんなの介護 当時は、年金資金で建設された保養施設のグリーンピアが、「税金の無駄使い」と言われて問題になりましたね。
内田 官僚たちは、社会保障制度を設計することの専門家であるはずです。僕たち一般国民はこんな巨大な制度については、専門家に制度設計を任せる他ない。賢い人たちなんだろうから、きっと、適切な制度を構築してくれるだろうと当てにしていた。
しかし、実際にわかったことは、彼らは30年、50年という長いスパンで社会保障制度を考えていなかったということです。いずれ原資が枯渇することがわかっていたにもかかわらず、当座の金は潤沢にあるんだからと、じゃんじゃん使ってしまった。
役人たちは、自分たちの立てた政策の失敗を絶対に認めません。我々が起案した政策はすべて正しかったのだが、「想定外のファクター」によってたまたまうまくゆかなかったという話に書き換えてしまう。
みんなの介護 どうすれば、そのような流れを変えることができるのでしょうか。
内田 過去の失敗を痛切に受け止め、それを教訓として同じ失敗を繰り返さないためにはどうするかを考えない限り、今の社会保障制度を改めることはできません。厚労省の官僚たちは過去の失敗を「失敗」と認めていませんから、制度の改良は原理的には絶対に実現しません。
これからの社会保障制度について、政府がまともな制度を設計してくれるだろうということを期待することはできない。まことに悲しいことですが。
グローバル化の進展により、当期利益至上主義の「文化」が、社会全体に広がってきた
みんなの介護 厚労省に限らず、中央官庁の官僚はみんな優秀なはずなのに、どうして長期的な視点が持てないのでしょうか?
内田 30年、50年スパンで物事を考えるという思考習慣がなくなってしまったからです。これはもう全社会的に見られる現象です。官僚ばかりじゃない。大学の先生だって同じです。
僕は1990年に神戸女学院大学に着任しましたが、来てすぐに、「これから18歳以下の人口が激減するから志願者確保がたいへんな仕事になる」と告げられました。そうだったのか、そんなに危機的なことになっているとは知らなかった…とそのときは思ったのですけれど、よく考えたら、「18歳人口」は18年前からわかっていたはずで、彼らが18歳を迎えて受験をする前年になってから対策を考え始めるというのは、ちょっとおかしい。
みんなの介護 言われてみれば、そうですね。
内田 これまで少子化対策として大学は何をしていたのか訊いたら、何もしていなかった。18歳人口減少が始まる前の年までは志願者が増え続けていたわけですから、それに合わせて学生定員を増やし、教職員を増やし、財政規模を拡大して、「志願者が減り出したら大変なことになる」仕組みを作り続けていた。
「志願者が減り出したら大変なことになる仕組み」を長年かけて構築しておいて、いざ志願者が減り出したら「どうしよう、どうしよう」とおろおろしているのを見て、大学の先生もあまり先のことを考えてないな、ということがわかりました。だから、役人だけを責めるわけにはゆかないと思います。日本人みんな、先のことを考えていなかったんです。
みんなの介護 刹那的、近視眼的にしか物事を見られないのは、私たち日本人の心性の問題なのでしょうか?
内田 日本人だけの問題ではないと思います。経済のグローバル化が進み、株式会社という組織体が社会の支配的な形態になってから後は、世界どこでも、みんな短いタイムスパンで物事の適否を判断するようになった。
株式会社では、CEOに独裁的な権限を集中して、CEOがアジェンダを決定し、自分に従う人間を重用し、反対する人間を排除して、トップダウンでものごとを決める。迅速な経営判断が何よりも重要です。社内の合意形成に時間をかけるわけにはいかないので、株式会社は必然的に非民主的な、独裁的な組織になる。これは、なって当たり前なんです。
そして、株式会社では、何より当期利益が最優先します。売り上げが減り、シェアを失い、株価が下がれば、先がないからです。30年先、50年先の「我が社のあるべきビジョン」なんかを想像することには何の意味もない。当期を乗り切らなければ、来期は来ないんですから。
そういう当期利益至上主義の「文化」が、社会全体に広がり、一般市民の行動規範になったということです。
日本のあらゆる組織が「株式会社化」していて、物事を長期的な視点で見られなくなっている
みんなの介護 内田さんは著書『ローカリズム宣言』の中でも、「日本の社会集団はいつのまにかすべてが株式会社のようなものになりました」と書かれていますね。
内田 営利企業だけでなく、今や国家や自治体や学校や医療機関など、あらゆる社会組織が、株式会社モデルに準拠して再編されようとしています。でも、これは間違っている。組織の「寿命」がまったく違うからです。
株式会社の平均寿命は5?6年です。仮に起業して、数ヵ月で別の会社にM&Aで身売りして、創業者利益を手にすれば、起業家としては大成功と見なされる。長期に渡って存続することは株式会社にとってはまったく優先的な課題ではない。
Google、Apple、Facebook、Amazonは「GAFA」と呼ばれて、今は世界最大規模の企業ですけれど、10年後、このうちの何社が生き残っているか、誰も確言することはできません。
みんなの介護 先行き不透明な時代とは言え、GAFAでさえ、そうなのですか。
内田 でも、それらの企業がなくなるということは、もっと優れたビジネスモデルを誰かが考え出して、それに取って代わったということですから、消費者としては歓迎すべき事態です。
それに、起業者たちだって、それ以前に天文学的な個人資産を手に入れたわけですから、ビジネスマンとしては大成功者として記憶される。株式会社は「そのうちなくなる」ということを前提に制度設計された組織体だということです。
ですから、「そのうちなくなる」ことを前提としている組織体をモデルにして、国や自治体を編成することには大きな問題があると僕は言っているのです。
株式会社は右肩上がりでないと生きていけない「成長か死か」という不思議な生き物ですけれども、そんな危なっかしい組織体をモデルにして、国家や自治体を管理運営して良いはずがない。国家や自治体の最優先課題は「成長」ではなくて、「存続」なんですから。石に齧りついても、泥水をすすっても生き延びねばならない組織体を「成長しないと死ぬ」営利企業に合わせて設計することはできません。
今の人たちがすぐバレる嘘をつくのは人々の時間意識が縮減してきた証左でもある
みんなの介護 近年、中央省庁の障害者雇用に関するデータをはじめ、厚労省の裁量労働制や毎月勤労統計、さらには民間企業の検査データなど、さまざまなデータの改ざん・ねつ造のニュースを耳にするようになりました。
政治家、科学者、大学教授、作曲家、高級官僚や大手企業など、それなりに社会的地位の高い個人や組織が、なぜ簡単にバレるような嘘をつくのか。内田さんはその理由について、著書『困難な成熟』の中で解説されていました。誰もがすぐバレる嘘をつくのは、私たちの「時間意識」がそれだけ短くなっているから、ですね?
内田 「株式会社化」というのは、ひとつは組織内の合意形成を軽んじる、トップダウンの非民主的・独裁的なシステムに制度変更されるということ。ですが、それだけでなく、短期間のうちに、数値的・外形的に可視化された結果を出すよう求められるということでもあります。
それは、科学者や研究者の世界でも例外ではありません。科学研究というのは本来、「学術共同体」という集団としての営為です。ある研究分野で成果を上げるためには、過去数十年、数百年に及ぶ先人たちの研究成果の上に、各自の実験結果や知見を少しずつ積み上げてゆく。先行者たちの「肩の上」に乗って、次の世代の学者は研究をする。先人の業績を受け継ぎ、同世代の研究者たちと協働し、後続する研究者たちに手渡す…という長期に渡る集団的営為なのです。
でも、今の科学研究では「集団的営為」という点も、「長期的事業」という点も、どちらも軽んじられている。理系も文系も、今は若い研究者の多くは3年間、あるいは5年間の任期制です。任期中にかたちの見える成果を出さなければ、失職するリスクにさらされている。ポストを得るか失うかというのは、完全に個人的な出来事です。ですから、「私の業績」というものを分離して示さなければならない。
任期制では、腰を落ち着けて、結果が予測できないけれど、「何かがありそう」な研究分野に突っ込んでゆくという冒険的なふるまいが許されない。どういう成果が上がるかが事前に予測できる研究にしか予算がつかないんですから「海のものとも山のものともつかない」ような研究には誰も手を出せなくなった。
わが国の学術的イノベーションがここまで低下したのは、「短期的に」「目に見える成果」を出すことを制度的に強要したせいです。
みんなの介護 なるほど。研究者の人にも生活があり、養うべき家族がいるはずですから、データをねつ造してでも、成果を上げたくなるでしょうね。
内田 短期間のうちに、数値的に表示できる成果を出さなければならなくなったからです。データを捏造したり、「ハゲタカジャーナル」に投稿して論文点数を稼いだりするのは、なりふり構っていられないからです。そんな不正はいつか必ずばれます。でも、ばれるまでは食いつなげる。そこまで切羽詰まっています。先のことまで考える余裕がなくなっているからそういうことが起きるんです。
逆に言えば、どんな嘘をついても、不祥事を隠蔽しても、それがばれて事件化する「前に」その場を逃げ出せれば、非を咎められずに済みます。バブル末期の銀行トップがそうでした。 膨大な不良債権を抱えているにもかかわらず、自分の在任中に事件化して責任を取らされることを避けるため、事態を隠蔽してゾンビ企業に「追い貸し」を続けた。 そのせいで、最終的に銀行本体は破綻することに。彼らはいわば自分を救うために、会社を潰したのです。
人々の時間意識が短くなっているのは、それだけ私たちがサルに近づいているから
みんなの介護 人々の平均寿命は長くなっているのに、思考パターンはどんどん短絡的になってきている。これって良くないこと…ですよね。
内田 良くないです。すごく、良くない。でも、時間意識の短縮は世界的な傾向です。文明史的に言えば、人類は明らかに退化の方向に向かっています。「サル化」していると言っても良い。
そもそも「時間意識」は、人間の知性や倫理性と密接にリンクしています。目の前で起きている現象を、どれだけ長いタイムスパンの中で捉え、考えることができるかに知性も倫理性もかかっている。
繰り返し登場する「パターン」を検知するためには、過ぎ去った出来事をリアルに再生できる能力が必要ですし、それが再現されるかどうか見極めるためには、その「パターン」を未来に投影する必要がある。
みんなの介護 だから、時間意識を長く持たないといけない、ということなんですね。
内田 はい。一方で、時間意識の短い人は目の前の現実にしがみついて、それに居着いているので、長い時間をかけて再帰する「パターン」を発見することができない。科学的知性にとっては時間意識が短いというのは致命的なことです。
時間意識は倫理性にもダイレクトにかかわります。例えば、異常に時間意識の短い人は、その場の怒りに駆られて、人を傷つけることを抑制できない。その後、わが身に起こること、罪に問われるとか、社会的制裁を受けるとか、友だちを失うとか、そういう未来をリアルに想像できないんです。そういう「サル化」した人は一時的な感情の高まりを抑制できない。
ある事象を「今」「今日」という時間軸でしか捉えられない人と、「ここ5年間」「この先10年間」、あるいは「宇宙の始まりから終わりまで」というスケールの時間軸で捉えられる人とでは、ものの考え方もふるまい方もまったく違ってくる。目の前の現実をどれほど長い時間的文脈の中で捉えることができるか、その時間意識の広がりが知性と倫理性にストレートに相関する。
みんなの介護 例えば、どういうことでしょうか?
内田 「朝三暮四」という中国の故事があります。春秋時代(紀元前8?5世紀)の宋の国に狙公(そこう)という人がいて、何匹もサルを飼っていました。サルの餌には、とちの実を朝に4粒、夕方に4粒与えていた。でも、懐具合が苦しくなってきて、コストカットしなければならない。狙公は飼っているサルたちに、こうもちかけました。「とちの実を朝に3粒、夕方に4粒でどうか」と。
すると、サルたちは激怒しました。そこで、「では朝に4粒、夕方に3粒ではどうか」と提案したところ、サルたちは大喜びした。そういう話です。サルたちは、朝の自分も夕方の自分も「同じ自分」だという、半日程度の自己同一性も保持できない生き物だったということです。
みんなの介護 日本でも、学校で習う有名な故事ですね。
内田 これに類する逸話は春秋時代にたくさんあります。「守株待兎」も「矛盾」も「鼓腹撃壌」も自分を時間的な文脈の中において捉えることができない人間の姿を「笑い話」として描いています。確かに、彼らには「確率」とか「排中律」とか「因果」という概念そのものが欠落している。
これは、その時代までは実際に「そういう人」がいた、ということだろうと僕は思います。極端に短い時間意識しか持っていない人間が、その時代の中国にはまだいた。その人たちをどうやって教化して、時間意識を持たせるか。それがその時代の文明史的な急務だった。
それから2,500年経って、再び人類の「サル」への退行が始まった。僕はそういうふうに見ています。
視野が短期的になるのは、工業化社会の宿命でもあった
みんなの介護 「朝三暮四」は春秋時代の話でしたが、人類はどのように時間意識を獲得していったのでしょうか
内田 人類は長い時間をかけて少しずつ時間意識を拡大してきたんだと思います。大きな転機となったのは農業の開始でしょう。
農業の前は狩猟と採取で暮らしていましたけれど、これには計画性がない。獲物にはすぐに出会えるかもしれないし、まったく出会えないかもしれない。この生業はすべては天任せで、長い時間意識を要求しないのです。
しかし、農作物を得るためには、種子を蒔き、肥料をやり、日に当て、風水害や虫害から植物を守り、収穫期になってようやくその果実を得ることができます。種子を蒔く時点で、何ヵ月か後に収穫を得ている「未来の自分」の喜びをありありと先取りできなければ、「今の自分」の苦役に耐えることはむずかしい。今日のことしか考えられないサル的な短絡的思考では、農作物を育てるということはできません。
みんなの介護 確かに、農作物を育てている動物は見たことがありませんね。
内田 第一次産業で一番長い時間意識を要求するのは林業でしょう。今植えた木を伐り取って利用できるのは、50年とか100年後なんですから。収穫物を享受できるのは自分でさえない、自分の子孫たちです。自分の子孫たちに自己同一性を感じる能力がなければ、そんな仕事はできません。
そうやって、じわじわと延ばし続けてきた人類の時間意識が、20世紀に入ってから逆に短縮化してきている。農業に代わって、工業が支配的な産業形態になったことが一因だと思います。
工場でものを作る場合に、コンベアに乗せた原料が完成品になるまで半年も1年もかかる、ということはありません。場合によっては数分で、完成品が出て来る。
種子は蒔いたが日照りだった、虫に襲われた、凶作だった、というような予測不能な事態は、工場内では基本的に起きません。だから、工程を管理し、規格を整備し、バグが出たら弾き出せばいい。工場でものを作っている限り、長い時間意識を持つことは制度的に要求されないのです。
みんなの介護 資本主義経済においては、より速く、より正確に、より均一に、という方向に技術が進歩しますしね。
内田 はい。それに、工業商品の適否はすぐに決まります。市場で選好されない商品は四半期さえ待たずにラインから外される。株式取引では、アルゴリズムが1,000分の1秒単位で株を売り買いしている時代です。ビジネスにおいて、5年以上先のことを想像しろというようなことはどこでも、誰からも求められない。それでは時間意識が短縮して、人々が「サル化」するのは当然ですよね。
今、メディアで、5年後10年後のことを真剣に語っている人なんかいませんでしょう。五輪だ万博だと騒いでいる人たちは、前に一度美味しい思いをしたので、「兎が木の根に当たるのを待っている」農夫とほとんど同じ顔つきになっているけれど、そのことに気づいてさえいない。日本人は着実にサル化している。僕はそう思います。哀しい話ですけど。
使命感の強い人ほど、看護や介護の現場から離れていく。この、悲しくも残念なミスマッチを早急にどうにかしないと
みんなの介護 介護の現場では、人材不足が大きな問題になっています。さまざまな理由で離職する人が多く、スタッフはなかなか定着しません。団塊の世代が後期高齢者となる2025年以降、介護人材は34万人不足するとのデータもあります。介護現場での人手不足を解消し、労働環境を改善するためには、どんな妙手があるでしょうか?
内田 僕は医療系の大学の理事をやっていますので、多少は現場のことを知っているのですけれど、看護や介護の現場で働こうと考える人にはたしかに使命感の強い人が多いですね。「何らかの形で人の役に立ちたい」という思いから看護や介護の仕事を目指す人が多い。
しかし、実際に働いてみると、仕事は想像以上に激務であり、待遇面でも決して恵まれていない。それでも何とか頑張ろうとするのだけれど、次第に心身ともに疲弊していき、最後は離職せざるを得なくなる。
看護師も離職率が高いです。単にその職場を離れるというだけでなく、看護師という仕事そのものを辞めてしまう人がいる。「二度と看護師はやりたくない」と言うほどに燃え尽きてしまうんです。せっかく専門的な教育を受けて、経験を積んだ人が、労働環境の悪さのせいで離職してしまうというのは、国民的な損失だと思います。
みんなの介護 使命感を抱いて看護や介護の世界に入ってきたのに、不本意な形で離職するのは、本人にとっても、看護や介護の現場にとっても、とても残念なことですね。
内田 「人を助けたい」と思い、一生の仕事のつもりで就職した人に対して、受け入れる側の労働条件が悪すぎる。このミスマッチは早急に何とかしなければなりません。
看護職・介護職の現場に政府や自治体は優先的に予算を配分すべきだと思います。適正な報酬が約束され、人手も十分に足りていれば、「燃え尽きて」離職する人は減るはずですから。養成に投じた教育資源がそのまま無駄になっている現状を見るならば、「雇用環境を改善することで離職者を減らす」というのは合理的な解なんです。雇用条件の改善は予算措置でできる。それがいちばん「損しないお金の使い方」なんだと思うんですけどね。
移民政策で成功した国はひとつもない。日本が移民を受け入れるなら、相当の覚悟が必要
みんなの介護 2019年4月1日から改正入管法が施行され、外国人労働者の受け入れ枠が拡大されました。介護の現場でも、今後5年間で最大6万人の外国人労働者の就労が期待できる、との試算もあるようです。介護現場の人手不足を解消するために、外国から人材を集めるという発想についてはどう思われますか?
内田 人口減が急速に進んでいますから、介護の現場に限らず、今後あらゆる業種で労働力が不足してゆくことは確実です。利益を出していて、その商品やサービスを求めている人たちがいるにもかかわらず、人手が足りないせいで廃業を余儀なくされている企業が既に、地方にはいくらもあります。
ですから、「国内の労働力を補うために移民を受け入れる」という選択肢も当然出てくるでしょう。でも、僕は現時点での大量の移民受け入れには反対です。
確かに人手不足は深刻でしょうけれども、目先の需要を満たすために無原則に移民受け入れをしていった場合、どういう社会的な変化があるのか、それに対してどのような政策的な措置を講ずべきかについて、政府は適切なシミュレーションをしていません。何よりも国民が移民の大量受け入れのための準備ができていない。
大量の移民を受け入れるということは、言語も宗教も食文化も生活習慣も異なる人たちと隣人として暮らし、彼らを「同胞」として受け入れること。つまり、「日本人」の定義を書き換えるということです。 移民導入を求める人たちに、その覚悟があるのか。僕はないと思います。
今は人手が要るから移民を入れたい。機械化が進んだり、景況が変化して、人手が不要になったらとっとと母国に帰ってもらう。雇用調整のために便利に使いたいだけで、同胞として受け入れる気概を持っているとは思えませんね。
僕はやるなら本気で受け入れるべきだと思っています。そのためにはまず「ホスト・ネーション(受け入れ国)国民の倫理」を日本人全員がきちんと身に付ける必要がある。理解も共感もできない隣人と共生するためには、市民的成熟が必要です。
でも、はっきり言って、いまの日本人はそのような成熟とほど遠い。嫌韓・嫌中本の氾濫やヘイトスピーチを見ると、こんな日本人たちに外国人との共生なんかできるはずがないと思います。この状況で移民を大量に受け入れたら、彼らを差別し、暴力をふるい、治安の悪さも物価の高さも、なんでもかんでも移民のせいにする差別主義者たちを量産することにしかなりません。
移民政策を本気で進めようと思うなら、「多文化共生・多民族共生社会」とはどういうものであるのか、そのビジョンを政府が構想し、それを国民に提示して、「これからの日本をこういう社会にしようと思うのだけれど、それでよろしいか?」と民意を問い、その合意をとりつけてから踏み込むべきでしょう。
明日の人手が足りないから、移民を入れようというような安直な政策に流されれば、いずれ必ず大問題が起きます。
みんなの介護 そこまでの覚悟は、日本政府も、私たち国民も、まだ持ち合わせていない かもしれませんね。
内田 入管法改正は、単に「安価な労働力を、今すぐ確保したいだけ」です。先のことなんか何も考えていない。「サル」化(前編参照)した日本社会の病的徴候がそのまま露呈している。
今回「特定技能」に認定された14業種はどれも雇用条件が悪すぎて、日本人がやりたがらない仕事です。雇用条件を引き上げれば働きたい日本人も増えるはずですけれど、企業は、それはしようとしない。
みんなの介護 確かに、高収入が約束されるなら、日本人でもその仕事に就きたいと考える人は増えそうです。
内田 雇用条件の改善によって日本人の求職者を増やすことを考えていないというのは、企業が単に「安い労働力が欲しい」からです。彼らを「人間」だと見ていない。ただの「労働力」というコストだと思っている。そうである限り、100%、移民受け入れは失敗するでしょう。
ドイツもフランスも、労働力不足を補うために、ある時期大量に移民を受け入れたことで、一時的に経済成長を遂げました。けれども、「人手不足が解消したので、もう故郷に帰ってください」と言っても、移民たちは帰らなかった。逆に家族たちを呼び寄せて、ドイツ人、フランス人になった。
今、ドイツでは移民出自の国民が19%、フランスでは9%です。その人たちを同胞として受け入れることができない人たちが差別主義者・排外主義者になって、移民集団との間に激しい摩擦が起きて、それが独仏における社会不安の主因になっている。
独仏ともに一時の経済的利得を求めることを急いで、「ルールのある移民政策」と「自国民の市民的成熟の支援」のための手間を惜しんだ。そのせいで、彼らは自分たちが手に入れた経済的利益の何倍ものコストをいま支払っています。
僕たちが歴史から学んだのは、20世紀以降、経済的理由による大量の移民受け入れの後、多民族共生国家として成功した国は世界に一つもないということです。日本が世界初の「多民族共生社会」を実現するつもりなら、それなりの知見と覚悟が必要ですけれど、今の日本人にはどちらもない。だから、目先の銭金で大量移民を受け入れた場合、それに数倍する社会的コストを抱え込むことになるだろうと僕は予測しています。
合気道の道場「凱風館」が互助のためのコミュニティとして機能し始めた
みんなの介護 前編では、「これからの日本の社会保障制度には期待できない」というお話を伺いました。厚労省が現在整備を進めている「地域包括ケアシステム」については、どのような印象をお持ちでしょうか?
内田 「自助・互助・共助・公助が重要」と言われますが、本音は「既存の社会保障制度ではもう手が回らないから、あとは自分たちで何とかしれくれ」ということでしょう。僕自身もそれしかないだろうと思います。
政府や自治体にやって欲しいことはいろいろありますけれど、もう当てにはできない。でも、弱者支援というのは「待ったなし」の目の前の現実です。行政が動かないから、諦めて野垂れ死にしてくれというわけには行かない。介護の問題は自分たちの手で解決するしかないと考えています。
僕が2011年神戸市内に開設した「凱風館」は武道と哲学研究のための学塾です。現在は300人以上の門人がいて、この300人とその家族を含めると1,000人近い規模の「道場共同体」ができます。 僕はこの道場共同体を地域共同体のひとつの基盤にしたいと思っているんです。
みんなの介護 と、言いますと…?
内田 具体的には、門人同士で共同育児をする、必要な家具什器や衣服を交換する、というあたりから始まったことですけれど、これくらいのサイズの共同体になると、ずいぶん活発な交換活動が可能になります。
要らなくなった家電製品をあげる代わりにパソコンの設定をしてもらうとか、お米を頂いたお礼にベビーシッターをするとか、仕事を探している人に仕事を紹介したり、起業した人を支援したり…。多様なやりとりが行われているのです。
僕はこれも一種の経済活動だと言っていいと思います。市場を経由せず、貨幣に媒介されない経済活動です。
ここでやりとりされている商品、サービス、情報、技術などは、実際に市場で購入しようとすれば、かなり高額の値札がつくものです。でも、道場共同体に帰属しているメンバーであれば、それをほぼ無償で手に入れることができる。貨幣の代わりに、自分の知識や技術や手間を差し出せば良いのですから。
貧困化が進んでいる現在の日本では、良質な生活を送ろうと思ったら、劣悪な雇用条件で賃労働して、いくばくかの貨幣を手に入れて、市場で商品を購入するよりは、市場を経由せず、貨幣を使わずに、自分が要るものを「顔を知っている人」から直接受け取る方が交換としては、はるかに有利です。
門人たちの中には、独身で一人暮らしの人もいますし、子どものいない夫婦もいます。いずれ彼らが高齢化したときに介護の問題が出て来るはずです。凱風館の門人たちは一種の「疑似家族」「拡大家族」を形成しているわけですから、この共同体がそういった高齢者や病人のセーフティーネットとしての機能を果たしてゆくことが求められるだろうと思います。
みんなの介護 「道場共同体」というのは、まったく新しい発想ですね。
内田 武道の道場だからできるだと思います。門人同士はそれぞれ自分の生きる力を高めるために稽古に励んでいるわけで、そこには利害関係のしがらみがありません。
特に合気道は試合のない武道ですから、強弱勝敗を論じることがなく、道場内に競争的なマインドがない。お互いの力量を査定したり、格付けしたりする習慣もありません。そういう点で、相互支援的なネットワークの基盤として、適切なものだと思います。
道場共同体が相互支援の基盤に向いているのは、師匠から受け継いだ伝統的な技芸を続く世代に継承しなければならないという「時代を超えたミッション」があるからです。
株式会社は当期利益至上主義で、赤字が続けばすぐ倒産ですけれど、道場は違います。道場は「存続すること」それ自体が最優先の目的の組織です。石にかじりついても存続して、道統を何十年も何百年も伝えてゆかなければならない。そのための組織です。
みんなの介護 求道者の集い、というわけですか。
内田 だから、どれほど赤字が続こうとも、そのときどきのメンバーが私財を投じて、「持ち出し」でも維持しようとする。
道統を守る、伝統を伝える、あるいは神社仏閣のように法統や宗教儀礼や祭祀を絶やさない、そういう「時代を超えて継続することをミッションとする」組織はどれほど時代が経っても、何があっても行けば「そこ」にある。そういう「動かない組織」しか相互支援の安定的な基盤にはならないだろうと思います。
2018年の12月、友人でもある如来寺住職の釈徹宗先生にご相談して、如来寺の近くの墓地に凱風館の合同墓を建てました。
独身の人や子どものいない人たちは、自分たちの親の代までの供養はできますけれど、自分の墓を誰が守ってくれるのか、その当てがない。その人たちのために道場で合同墓を作りました。ここに入れば、凱風館が続く限り、その時々の門人たちがお墓を守ってくれる。そこにどんな人が葬られているのか、自分たちの先輩の事績を語り継いでくれる。
過去帳の管理は釈先生にお願いしました。如来寺も江戸時代のはじめからある名刹ですから、これから数百年あとまで存続するでしょう。共同育児から始まって、合同墓ができたので、とりあえず、「ゆりかごから墓場まで」という社会福祉の基本的な枠組みは凱風館内部で調(ととの)ったわけです。
介護を想定したコミュニティには空間・ミッション・継続性が重要
みんなの介護 合気道道場「凱風館」を核とした道場コミュニティを、これからの互助のモデルケースとして注目したいと思います。さて、政府やお役所に頼ることなく、介護を念頭に置いた地域包括ケアシステムを自分たちの手でつくり上げていくには、どのようなことが必要でしょうか?
内田 地域で、あるいは有志で、お互い助け合っていくためのコミュニティを構築するには、空間的な拠点・継続すべきミッションが必要だと思います。
例えば、有志が集まって、相互支援のためのNPO法人を立ち上げ、駅前のビルを借りて活動拠点にしたとしても、そこで10年、20年と活動を続けることは難しいでしょう。何年か経って訪れたら、同じ場所に同じ人がいるということが期しがたいからです。
コミュニティを長期にわたって存続させるには、「動かない拠点」が絶対に必要です。しばらくインターバルがあっても、「そこに行けば、あの人たちがいる」ということが確信されていると、そこを自分の「拠点」だと思いなすことができる。
みんなの介護 ここ数年、コミュニティカフェやサードプレイスが注目されていますが、やはり、みんなが顔を合わせる「場」としての空間が必要なんですね。
内田 「場」は絶対に必要です。「そこに行けば、必ず会える」という条件は共同体が維持できるための第一条件です。
もうひとつ、「時代を超えたミッション」も同じように重要です。先ほど述べたように、凱風館の場合は、僕が師匠の多田宏先生から受け継いだ合気道の継承というミッションがあります。僕が伝えたものを門人たちはまたその後輩や弟子たちに伝えてゆく。メンバーたちは、そういうふうに「パスを送る」義務を負っている。
みんなの介護 なるほど。単なる地域共同体ではないし、ただの仲良しグループでもない、というわけですね。
内田 相互支援的なコミュニティは営利にからまないほうがいいです。メンバー間に利害関係があると、フラットな関係性が結べなくなる。
みんなの介護 空間とミッションが必要だとすれば、やはり凱風館のような道場共同体がふさわしいのでしょうか?
内田 僕の場合は、凱風館を開設する20年前から、自分が主宰する道場を持っていました。大学の合気道部と、社会人の団体です。でも、公共施設を借りて稽古していたので、「自分の拠点」はなかった。凱風館ができたおかげで、それまでゆるやかに形成されてきた相互支援のネットワークが一気に具体的に動き始めたのを見て、空間的で永続的な拠点は絶対に必要だなと思いました。
凱風館のような共同体をゼロから立ち上げるのは難しいと思います。やはり20年くらいの準備と私財をまるごと投じる覚悟が必要だろうと思います。
僕が互助のためのコミュニティとして注目しているのは、寺院・神社・教会などの伝統的な宗教共同体と教育共同体としての私塾です。
どちらも、先人の教えを後世に伝えるというミッションがある。宗教共同体は拠点があります。僕は仏教関係者と話しをする機会が割と多いのですが、今後、日本の社会保障制度が機能不全に陥ったとき、「自分たちが何とかしなければ」と考えている僧侶の方は多いです。
考えてみたら、聖徳太子の時代から、日本の仏教は医療・教育・貧民救済の事業をずっと担ってきたわけですから、相互支援共同体の基盤として最もふさわしいものじゃないかと思います。そうしたメンタリティーは、現代の仏教者にもしっかり受け継がれているようです。
寺院は日本中にあります。これからはお寺が地域での相互支援活動の一大拠点となってゆくんじゃないかという気がしています。
年齢を重ね、老いを迎えるとなぜか、亡くなった両親のことばかり思い出す
みんなの介護 内田さんの著書、『困難な成熟』を興味深く拝読しました。内田さんにとって、「老いること」と「成熟すること」はどのように違うのでしょうか?また、ご自身の「老い」については、どのように感じていますか?
内田 「老いること」と「成熟すること」はまったく別のことです。加齢したけれど、まったく人間的に成熟していない老人は世の中に山ほどいます。
老いについて言えば、僕自身、日々、ひしひしと老いを感じています。加齢による老衰は着実に進行しており、身体機能の衰えを日々実感しています。毎朝、降圧剤やら痛風やら前立腺の薬やら、何種類もの薬を飲まなければいけない。立ったり座ったりするときも、若いときのように滑らかには動きません。我ながら年をとったなあと思います。
みんなの介護 武道家として、ご自身の老いをどのように受け止めていますか?
内田 合気道は勝ち負けを競う競技武道ではないので、80歳くらいまでは、稽古すれば稽古した分だけ、術技は向上すると言われています。僕は今68歳で、合気道七段です。たしかに、若い頃より身体の使い方は上手くなりました。耐久力や心肺能力は落ちましたけれど、動きの質は上がっている。他の武道だと、なかなかそうはいきません。良い武道を選んだと思います。
みんなの介護 精神面で、老いは内田さんにどのように影響しているのでしょうか。
内田 老いは必ずしも悲しむべきことではないと思います。年齢を重ねるにつれて、いろいろなことがわかってきました。僕の場合、亡くなった両親や兄のことをとても身近に感じるようになりました。「あのとき父が言おうとしたのは、このことだったのか」というようなことが、ふっと腑に落ちる瞬間がよくあります。
父は2001年に亡くなりました。生前、父と親しく話をしたことはほとんどなかったのですが、父が死んでから、そのわずかな言葉の断片をずいぶん鮮やかに思い出すことに驚きました。すっかり忘れていたはずの幼児期の父との思い出が、細部まで鮮明に蘇ってきたりする。
「孝行のしたい時分に親はなし。さればとて、石に布団も着せられず」という言葉がありますけれど、ほんとうにそうです。親が死んで、ずいぶん時間が経ってから、はじめて親の恩が身にしみる。親の思いが理解できる。死んだ後になってはじめて親とちゃんと向き合うことができた。これは「老いの手柄」だと思います。
「死者はそう簡単には死なない」と死んだ両親と兄が教えてくれた
みんなの介護 折に触れて内田さんに思い出してもらうことで、ご両親も喜んでいるのではないでしょうか。
内田 そうだと良いのですが…。亡くなった両親や兄のことを思い出しているうちに、ひとつ、気づいたことがあります。それは、「死者は簡単には死なない」ということです。
僕も次第に死期が近づいてきているので、「死ぬ」ってどういうことなのか、ときどき考えます。若い頃は、死んだ瞬間に「無」になり、それで「おしまい」で、この世から消えてなくなると思っていました。
でも、父親、母親、兄と身近な人たちを鬼籍に送るうちに、「人は死んでも、そう簡単にいなくなるわけではない」と思うようになりました。父も母も兄も、生きていたときより、今の方がむしろ身近な存在と感じるからです。
死んだ後も、彼らは僕のものの考え方やふるまいに影響を与え続けている。「父がこの本を読んだら何と言うだろう?」「母だったらこういうときどうするだろう?」「兄はこんな日本を見たらどれほど怒るだろう」とか、そういう死者たちのリアクションをつねに想定して行動している。
生きているときよりも、死んだ後になってからの方がむしろ影響力は強くなっているかもしれません。
みんなの介護 ご両親やお兄さんが亡くなってもなお、親子関係や兄弟関係が続いているんですね。
内田 そうです。父も母も兄も、死んでいるけれど、生きているのと変わらない。人間が死ぬのを怖がるのは、自分が死ぬと、世界から消滅して、まるではじめから存在していなかったかのように、家族や友人知人からもすっかり忘れ去られてしまうことが耐えられないからでしょう。
でも、身近な人を失ってわかったのは、「たとえ死んでも、死者たちはすぐに消えるわけではない」ということです。むしろ、死んだ後の方が、その人たちのことを思い出し、その人たちのことに言及する機会が増えた。
死者は簡単には死なない。僕が生物学的な死を迎えても、妻や、娘や、門人たちや、友人知人たちは、今しばらくの間、僕を生きている者として扱ってくれるはずです。「先生だったら、きっとこう言うよ」とか、「内田さんだったら、こうするはずだ」というようにして、身近な人たちにとっての判断や行動の基準として繰り返し言及されるのだとしたら、死んだ後も、生きていたときとそんなに変わらないですよね。
みんなの介護 そうだとすれば、死もそれほど怖いことではない気がします。
内田 ええ、そうです。老人になって、自分の死がリアルになってくるにつれて、「生」と「死」の境界線が曖昧になってきた感じがします。若いときは、「0/1」で生と死はデジタルに、明確に分かれていると思っていましたけれど、どうやらそういうものではない。生死の区別はけっこう曖昧で、生物学的に死んだ後も、死者はその場にとどまっていて、少しずつアナログ的に影が薄くなっていって、最終的には、十三回忌あたりでフェイドアウトする…、そういうイメージです(笑)。
みんなの介護 ご両親は、思い出の中に登場しながら、内田さんにそのことを伝えたかったのかもしれませんね。
内田 死ぬことが怖くなくなったということは、まさに両親や兄たちからの贈り物なのかもしれません。死んだ後には両親や兄たちや、これまでに見送った友人知人とまた「あの世」で会えるということを実際に感じます。
あとは、死んだ後でもこの世の皆さんの記憶に留まって、ときどき思い出してもらえるようにしておけばいい。そのために生きている間に功徳を積んでおきたいと考えるようになりました。
成熟した人には、自分の中にさまざまな年齢の多様な人格がいる。だから、さまざまな人の思いや痛みがわかる
みんなの介護 先ほど、「老い=成熟」ではないと伺いましたが、では、老いと成熟はどのように違うのでしょうか?
内田 10歳の子どもには10年分の記憶と経験しかありません。青年になった経験も、老人になった経験もない。でも、68歳の老人の中には、幼児の記憶も、少年時代の記憶も、青年時代の記憶も、中年の時の記憶も、全部ありありと残っているでしょう。その時々に自分が何を考えていたのか、何を感じたのか、覚えています。
最初にビートルズを聴いたとき、最初に恋をしたとき、最初にスキーをしたとき…そういうときの感動を僕は今でもありありと思い出すことができます。中年の頃に感じた若さを失うことに対する恐怖も、家族を失う悲しみも、わかる。
そういう記憶がぜんぶ僕の中にはアーカイブされているわけですね。自分の中にさまざまな年齢の自分がいるから、小学生の気持ちもわかるし、中学生とも対等に会話ができる。高校生の相談にも乗ってあげられるし、中年の愚痴を親身に聞いてあげることもできるんです。
生まれてから今日までの間に経験してきた、さまざまな感覚や記憶が、自分の内面で熟成し、多様な人格が渾然一体となっている。成熟というのは、そういうことなのではないかと思います。自分の中にさまざまな年齢の、別の人格が共生している。だから、さまざまな年齢の、さまざまな立場の人が何を考えているのか、何を感じているのか、それを自分自身に訊ねてみれば、なんとなくわかるんですね。
みんなの介護 逆に、「成熟していない」というのはどんな人でしょうか?
内田 成長段階のどこかで、自ら成長を止めてしまった人ですね。「オレなりのこだわり」とか、「譲れないオレのスタイル」というようなことをうるさく言い立てて、セルフイメージを固定化してしまうと、そこから先、成長もしないし、成熟もしない。成熟というのは「複雑化する」ということなんです。だから、どこかで複雑化することを止めてしまうと、それと同時に成熟も終わる。
もちろん、すべての人が成熟しなければならないということはありませんよ。だから、「永遠の少年でいたい」という人は、幼いままでいて頂いてまったく構いません。その人の人生なんですから、お好きにどうぞ。でも、複雑化することを止めてしまった人は、複雑な現実には適切に対応できません。複雑な現実がうまく理解できなくて、とんちんかんなことを言って、お門違いな行為をして、周りに迷惑がられる。それでも「いい」というのでしたら、どうぞ。
みんなの介護 なるほど、複雑な現実に対応できなくても良いなら成熟する必要はない、と…。しかし、成熟したからこそ体験できること、というのもあると思いますが。
内田 日本には古くから「老成したふりをする」という伝統がありました。『徒然草』には、作者の兼好法師が20代で書いた文章と60代で書いた文章が混在していますが、文章を読む限り、その見分けがつきません。それは20代の頃から、兼好法師は上手に老人のふりをして文章を書いていたということです。老成を想像的に先取りするという、そういう知的な技術が存在した。
夏目金之助が「漱石」という号を撰したのは20歳頃のことです。「石に枕し、流れに漱ぐ」という古詩を「流れに枕し、石に漱ぐ」と引用し間違えたのに、誤りを認めず「石で歯を磨いてどこが悪い」と居直った中国古代の頑固者の風貌に通じるものを、自分に感じたから選んだ号です。そして、実際に長じてその号にふさわしい人物になった。
みんなの介護 老成したフリをすることに、どのような意味があったのでしょうか?
内田 ひとつには、「老成したふりをする」ことを手がかりにして、自己造型・自己陶冶を遂げることができるということです。「老人のふり」をするためには「実際に老人になったときの自分」をかなりリアルに想像する必要がある。老人になったときに、自分はどれくらい変わっているか、どこは若いときから変わらないままか、それが見極められないと「老人のふり」をリアルに演じることはできません。これはかなり高度な知的訓練だと思います。
もうひとつは、老人の目で世界を見ることは、「死者の目で世界を見る」ことの予備訓練だということです。死者は「死んだ後」から自分の生前を回想している。今、自分がしていることを「死んだ後から思い出している」というふうに仮定して、それが「死んだ自分」にはどんなふうに見えるのか、どんなふうな言葉づかいで記述されるのか…。それを考えることは、いまここで適切に判断し、行動するときに、とてもたいせつなシミュレーションだと思います。
死者の目の方が「長いタイムスパン」でものを見ていますから、それだけ、ものごとの本質を見抜いている可能性が高い。
若い人にとって現実は「今ここにある現実」という一種類しかありません。でも、老人や死者の目から見ると、現実にも濃淡がある。「生まれる前からずっとあり、死んだ後もまだある現実」と「生きている間に出現した現実」では、同じ現実でも強度が違います。薄っぺらな現実は、それが出現したときと同じようにあっけなく消え去る可能性がある。一方、厚みのある現実は、たぶんこれから後も存続するでしょう。
若者が老人になったつもりでものごとを見るというのは、言い換えると、自分を取り囲む現実のうち「強い現実」と「弱い現実」を見分けるということです。「存在して当然のもの」と「偶然によって存在したもの」の現実性の厚みを測るということです。みんながありがたがっているものを「そんなのハリボテだよ」と言い切り、みんなが軽んじているものを「これは大切にしないといけない」と忠告することができるということです。
だから、「想像的に老人になってみる」というのは、徹底的に知的な営みなんです。それも「成熟」のための大切な修業ではないかと思います。
撮影:岡屋佳郎
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