海堂尊「日本の解剖率は2%台。日本人の98%「死因不明」で亡くなっている」
現役医師でありながら2006年、『チーム・バチスタの栄光』(宝島社文庫)で第4回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し作家デビューした海堂尊氏。同作を中心としたシリーズ作は、最終作『カレイドスコープの箱庭』までで累計1,000万部を超えるベストセラーとなり、自ら提唱したオートプシー・イメージング(Ai)の社会導入の重要性を広く世間に訴えた。そんな海堂氏に、医師になったいきさつから、Aiを思いつくきっかけなどについて、話を聞いた。
文責/みんなの介護
医師になることに特別な思い入れはなかった
みんなの介護 著作のほとんどがベストセラーとなり、今や作家として大成功されている海堂さんですが、現役医師という肩書も話題になりました。そもそも海堂さんは、どんな動機で医師になったのですか?
海堂 いきなり、苦手な質問をいただきましたね(笑)。「子どもの頃、医師に命を救われた」とか、そんなドラマチックなエピソードがあればいいんですが、そんなものは何にもないんです。
千葉大学が家のすぐそばにあったので、とりあえず「大学に行くなら千葉大」と決めていて、高校3年生の進路決定のとき、あたふたする中で医学部へ進むことを選択したわけです。
そんな感じでしたから1年目の受験では見事に落ちて、2年目のリベンジ受験で医学部に入学することができたわけですけど、医師になることについて、特別な思い入れも理想もありませんでした。
みんなの介護 海堂さんは医学部を卒業後、外科医の道に進みます。外科医は他科の医師と比べて激務であり、治療ミスによる訴訟リスクもあることを研修医の頃に知ったはずですが、あえて外科医の道を選んだのはなぜですか?
海堂 実はこれも、大学選びと同じで、深い考えがあったわけではありません。医師の国家資格を取得する直前まで、自分がどの科に入るべきかは決めていなくて、「君は外科が向いてるんじゃない」という先輩のアドバイスに従って、千葉大の第1外科に入局しました。
みんなの介護 外科医の仕事は、先輩のアドバイス通り、海堂さんに向いていましたか?
海堂 ええ、向いていたと思います。すぐに仕事が好きになったし、自分の体質にも合っているなと思いました。
ただ、当時の大学病院のシステムとして、なりたての医師は最初の6年間で1年ごとに関連病院を渡り歩いて医業のイロハを学ぶんですが、その修業を終えた7年目に大学院に進んで研究をするか、それとも大学病院で臨床医になるかという2つの選択肢を与えられるんです。
後者の道を選べば、そのまま外科医になるのが確定して、もう二度と研究の道へは進めない。そう考えてみたら、寄り道してみるのもいいかなと思って、大学院の病理学教室に行くことにしました。
今にして思えば、自分でも呆れるほど行き当たりばったりの選択ですね。先々のことをまったく考えてない(笑)。
みんなの介護 で、大学院で博士号を取ったあと、外科医に戻らずに病理医になったことがその後の海堂さんの人生を決定づけたと言えますね。解剖ではなくCTやMRI画像で死亡診断を行う「オートプシー・イメージング(以下、Ai)」を思いついたのは、病理医としての経験がきっかけだったとか。
海堂 そうですね。外科医に戻っていたらAiを思いつくこともなかったでしょうし、それを推進するためにAi学会を創設したり、それを社会導入するために骨身を削ることにはならかったでしょう。小説を書いて作家デビューしていたかどうかも、怪しいところですね。
つまり、外科医から病理医に転向したことが、僕の行き当たりばったりの人生に何かしらの方向を位置づけたと言えそうです。
病理医になっていなかったら、Aiも小説もなかったはず
みんなの介護 病理医は患者と接することがないため、どんなことをしているのか、わからない人が多いと思います。説明していただけますか?
海堂 比較的よく知られている仕事が、組織診断でしょうね。内視鏡検査などで見つかった病変部の組織を顕微鏡で分析して、それが良性なのか、それとも悪性なのか、どこまで病気が進んでいるかを診断する仕事です。
それとは別に病理解剖といって、亡くなった患者さんの身体を解剖して死因や治療効果などを検証する仕事があります。
大学院のあとに放医研(放射線医学総合研究所)に勤めることになった僕は、後者の病理解剖を主に担当していました。
みんなの介護 放医研は、世界に先駆けて重粒子線治療を開発した機関ですね。
海堂 そうです。まさにその重粒子線治療の治療効果判定を、病理解剖によってやろうとしていたわけです。
前任者から「解剖はほとんどないから、空いた時間は大学院での研究を続ければいい」という夢のような話だったんですが、重粒子線治療を高度先進医療として申請するために解剖データを取る必要が生じて、急に忙しくなった。
しかしこれが、なかなかうまくいかなかったんですね。
みんなの介護 なぜ、うまくいかなかったのですか?
海堂 理由は実に簡単なことです。患者さんに重粒子線治療を施しているときの経過観察は、CTやMRIなどの画像で行いますが、亡くなったあとの治療効果判定は解剖で行います。
当時、放医研から給料をもらっている限りはしっかり仕事をしなくてはいけないと思っていた僕は、病理専門医の資格を取得して解剖の仕事に勤しんでいたわけですが、画像データと解剖データという、属性がまったく異なるデータでは治療効果判定ができないことを証明してしまったのです。
要するに、自分で自分の仕事をなくしてしまったわけですね。
みんなの介護 ところが、そのおかげで死亡時画像診断、すなわちAiという概念を思いつくことができた、と…。
海堂 その通り。亡くなったときにも画像をとれば、治療中の画像データと同じ属性のデータで経過観察ができる。実に簡単な理屈です。
「死因不明」リスクをAiが解消する
みんなの介護 海堂さんは著書『死因不明社会 2018』(講談社文庫)で、「日本の解剖率は先進諸国中最低レベルの2%台で、98%の死者は厳密な医学検索をされずに死亡診断書を交付されている」と指摘しています。日本人のほとんどが「死因不明」であることのデメリットは何でしょう?
海堂 死因がわからないと、きちんと死者を送ることができなくなります。また、本当の死因か゛わからす゛に葬られてしまうと、後になって確かめることか゛て゛きなくなってしまい、犯罪などを見落としてしまったりします。
捜査機関に運ひ゛込まれた異状死体の多くも、体表から調へ゛る検案(あるいは検視)た゛けて゛死因を確定されていますか゛、本当の死因か゛体表を見たた゛けて゛わかるものて゛はないことは素人て゛もわかりますよね。かくして、殺人や虐待か゛見逃され、犯罪は繰り返されることになりかねません。
治療の効果判定か゛正確にされないというのも、大きな問題です。病気の再発で亡くなったのか、それとも治療で完治したが別の疾患で亡くなったのかもわからないままにしておくことは、医学の進歩を妨げることにつながります。医学の基礎である死亡統計の正確性についても、根拠を失うことになります。
みんなの介護 でも、すべての遺体を解剖するというのは、費用の面でも、倫理の面でも、いろいろと問題がありそうですね。
海堂 遺体を全例解剖するのは現実的には不可能て゛すから、Aiか゛解決の唯一の処方箋なんて゛す。
Aiは遺体をCTやMRIで画像検査するだけだから、費用は解剖よりも格段に安くできるし、遺体にメスを入れるようなことはないので倫理的にも問題はありません。
みんなの介護 とても納得できるお話ですね。
Aiに反対する人はいない。だけど、その社会導入には消極的になる
みんなの介護 海堂さんがAiを社会制度に取り入れることを提唱されたのは2000年のこと。2004年にはAi学会を設立されました。しかし、『死因不明社会 2018』には、厚生労働省、病理学会上層部、警察庁、法医学会上層部といった「アンチAi四天王」の抵抗によって、Aiの社会導入はなかなか進まなかったと書かれています。
海堂 そのへんは、本として出版するものですから多少、誇張して書いています。
先ほど、「とても納得のできるお話です」とおっしゃっていただきましたけど、Aiの話をすると誰もが「それはとても良いですね」と同意してくれるんです。
それなのに、「誰が費用を負担するのか」「情報をどのように公開するのか」という話になると、途端に話が前に進まなくなる。表立って反対するわけではないんだけど、Aiの社会導入に消極的になるんです。
みんなの介護 Aiは、誰が聞いても良いものだと思うのに、いざ社会導入の段になると消極的になるのはなぜでしょう?
海堂 Aiの情報は社会的財産なのだから、費用は国が出すべきだし、遺族だけでなく、誰でも見られるように公開されるべきです。
ところが、新しい枠組みを作って予算を立てるとなると、国はなかなか動いてくれないし、警察や法医学関連の一部の人たちは捜査の妨げになるという理由で情報公開にも後ろ向きになるのです。
それから、僕は「解剖至上主義者」と呼んでいるんだけど、Aiが導入されたら解剖がすっ飛ばされて既得権益がおびやかされると疑心暗鬼になっている人たちの存在も大きかったですね。
みんなの介護 そうした状況を打破するために、海堂さんはデビュー作となった小説『チーム・バチスタの栄光』を書いて、Aiの有用性を世間にアピールしようとしたわけですね?
海堂 いや、実はそうではないんです。もちろん、ありがたいことに僕が書いた小説を多くの人が読んでくれて、Aiのことを知る人もそれと同等の規模で増えたのは事実ですけど、Aiの社会導入のために僕が果たした役割として一番大きいのは、学会を作ったことだと思っています。
小説を書いたのは、まったく別の動機によるもので、たまたまタイミングが合ってAiを広めるのに良い影響をもたらした。そういうことです。
本が出版されたら、作家業はすぐに引退するつもりだった
みんなの介護 先ほど、オートプシー・イメージング(以下、Ai)について伺いました。海堂さんが小説を書いた目的が、Aiの有用性を市民にアピールするためではないとすると、どんな動機があったんですか?
海堂 「どんな人でも一生に1冊は本を書ける」という言葉がありますけど、僕は子どもの頃からこの言葉を信じていまして。「作家になりたい」というのではなくて、「書店に並んだ自分の本を見てみたい」とずっと願い続けていたんです。
実際、大学生時代には「今なら書けそう」と思い立って5~6枚くらい書いてみるんだけど、その先が続かずに諦めるということを何度か繰り返していました。書けないことを「今じゃないんだな」と思うことにして、挫折感を棚上げにしてきたわけですね。病理の大学院にいた頃には、10枚くらい書いたこともあります。
それからしばらくたって、再び「今なら書けそう」という感覚になったのが43歳のとき。Ai学会を立ち上げて、Aiの社会導入を行政や各種学会に進言しても、けんもほろろの対応で閉塞状態に陥っていた頃です。
ふとトリックを思いついて書き始めたら、200枚くらいスラスラ書けたんです。それが『チーム・バチスタの栄光』という作品になり、第4回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しました。
みんなの介護 海堂さんのデビュー作は「チーム・バチスタ」シリーズとなり、『ブラックペアン1988』(講談社文庫)から始まるバブル三部作、『ジーン・ワルツ』(新潮文庫)から始まる海堂シリーズ現代篇など、さまざまなシリーズものを並行して執筆し、一躍人気作家となります。かなりの多忙だったはずですが、病理医の仕事と兼業だったのはなぜですか?
海堂 書くことは僕にとって趣味であり、本業は医者だからです。そもそもの夢は「本を1冊書く」ことて゛したから、処女作を書いたとき3部作構想ができていたので、その3作を書き上げたら作家業は引退しようと思っていました。
でも、「このミステリーがすごい!」大賞を運営する宝島社の編集局長さんにこう言われたんです。「新人作家は1年に3冊、新刊を出さないとすぐに忘れられてしまいます。すぐに次作に取りかかってください」と。 さすがに今は「年に3冊」どころか「年に1~2冊」も出せれば良い方ですが、当時は出版界もまだ景気がよかったんですね。
ともあれ、そういった事情で作家引退の目論見は先延ばしになり、その後、別の出版社から「ウチにも書いてください」という依頼が次々と来て、引退するきっかけそのものを見失ってしまったわけです(笑)。
自分が書いたものでも、小説は100%自分のものではない
みんなの介護 ところで、自分が書いた本が書店に並んでいるのを見たときは、どんな気分でしたか?
海堂 小説を書いているときは、「自分の書いているものは本当に面白いんだろうか。実は面白いと思っているのは自分だけなのではないか」という疑念がつねに浮かんでくるんです。
それでも、「自分が面白いと思っているんだから、読者のみなさんも面白いと言ってくれるはずだ」と信じて最後まで書いていきます。その段階で自分の作品は、「100%自分のもの」という感じがあるんですが、書店に並んだ本を見たときは、それとはまったく違う感覚です。
執筆したのは自分だけれど、すでに編集者や印刷所、取り次ぎなどの流通ルートを経て、多くの人がその本作りに携わっていますから、「自分のもの」という実感はかなり薄くなっているんです。
この感覚は、デビュー作から今に至るまで、まったく変わりません。
みんなの介護 なるほど。例えて言うなら、お米農家の人がレストランに行って、自分の米を使ったリゾット料理を食べるようなものですか?米を作ったのは自分だけど、リゾットを調理したのはその店の料理人である、と。
海堂 それとかなり近いですね。でも、食材ほど遠くには離れていないかな。せめて、コース料理の中の一品くらいは自分が作ったと主張したい(笑)。
時間管理は、兼業作家を続けるための必須のスキル
みんなの介護 海堂さんは編集者の間で、かなりの速筆作家として有名ですが、これは兼業作家には必須のスキルと言えそうですね。
海堂 それにはある種のコツがあって、忙しさに応じて1日をいくつかに分割して仕事量を調整するんです。
例えば、1日24時間を2つに分けて、最初の12時間で原稿を書き、あとの12時間は医師としての仕事をするという具合。3時間を睡眠にあてて、残りの9時間でどう仕事をこなしていくかを考える。
実はこのやり方は、外科医のときに身につけたものです。手術は6時間とか9時間もかかる長丁場ですから、手術があるときとないときの仕事量を調整して、遊ぶ時間を確保するために(笑)。
ときには、1日の2分割て゛はなく4分割、つまり、「2時間寝て4時間働く」というヘ゜ースになったこともありましたね。
小説は、途中で作業を止めてしまうと、次に続きを書くときに「あれ、どうなるんだったっけ?」と話の流れを忘れてしまうものなので、頭に浮かんだ物語をキリのいいところまで集中して書く必要があるんです。
小説にとって一番大事なのは「読んで面白い」こと
みんなの介護 ところで、『死因不明社会 2018』(講談社文庫)の巻末には、デビューから2018年までの海堂さんの著作リストが掲げられていて、それを見ると全42作品のうち7割にあたる29作がAi関連書籍であることがわかります。海堂さんが小説を書いたのはAiの有用性を市民にアピールするためではないことはこれまでのお話でよくわかりましたが、やはり何らかの意図はあったのではないですか?
海堂 小説はフィクションですが、何もないところから生まれるものではなく、作者の実体験が材料になるのはよくあることですよね。
本業で、Aiの社会導入のために取材に行ったり、学会に出席したり、霞ヶ関を訪ねて意見を進言したり、そういう体験を材料にして小説ができあがったわけだから、Aiの話が出てくるのは自然なことなんですよ。
小説は「面白ければ良い」と思っていて、Aiを広めるためのフ゜ロハ゜カ゛ンタ゛小説のつもりで書いたことはないて゛すよ。
みんなの介護 なるほど。今の説明で、すべてを理解しました。
Ai推進の現場から身を引いた理由
みんなの介護 結果として、Aiの社会導入はかなり進展し、海堂さんは2012年にAi推進の場から身を引くことになります。何かきっかけがあったのですか?
海堂 直接のきっかけは、まさに2012年という年に死因究明関連二法案(「死因究明等推進法」と「死因・身元調査法」)が成立し、そこでAiの導入が謳われたことです。法律でAiの導入が規定されたわけだから、とても大きな一歩です。
あとは、適切な人が適切な診断を行い、適切な報酬がもらえるシステムをつくるための、「質の問題」になってくるわけですけど、これは僕の専門外の仕事。放射線医や法医学者、それから厚労省にいる現場の人たちがやるべきことなんです。
それからもうひとつ、僕が「アンチAi四天王」として祭りあげた一部の人たちに憎まれ過ぎてしまったということがあります。それはある意味で、最初から意図していたことでもあるんですが、僕がいるためにAiの社会導入が遅れるようなケースがあるのだとしたら、キリよく身を退くべきなのではと思ったんです。
『死因不明社会 2018』(講談社文庫)は、2007年に講談社ブルーバックスから刊行された本を復刊したものです。その後の出来事を加筆するにあたり、改めて資料を見直してみたんですが、Aiの社会導入は僕が推進運動から離脱したあとでも、思った以上に進んでいることがわかりました。
Ai学会とAi情報センター、日本医師会が中心となって「Ai研修会」が実施されていますが、厚労省の委託を受けて実施されている「検案講習会」では、Aiについての講習も行われています。
それから、死因究明関連二法案のうちの「死因究明等推進法」は2年の時限立法でしたが、この法律に基づいて検討会が立ち上がり、全国各地に「死因究明センター」や「Aiセンター」が設立されています。
みんなの介護 Ai推進の現場から退いた今、海堂さんは本業ではどんなお仕事をされているんですか?
海堂 実はもう、ほとんど隠居状態です。月のうち、放医研(放射線医学総合研究所)に行くのは数える必要がないくらい、減っています。
みんなの介護 本業と趣味が逆転して、専業作家になったわけですね。
海堂 そのことについて、僕の中ではまだ戸惑いがありますね。
ただ、そのおかげでラテン・アメリカに取材旅行をして作品を書いたりすることができるようになったわけですけど。
そちらのほうは、チェ・ゲバラの生涯を描く「ポーラースター」シリーズとして、まだ完結には至っていませんし、「桜宮サーガ」のほうでもまだ書き切れていない部分がありますから、作家業をリタイアするのはまだまだ先だと思っています。
まぁ、行き当たりばったりで始まったのが僕の人生ですから、また振り出しに戻ったと思えばいいのかもしれないですね(笑)。
地域包括ケアシステムを支えているのは現場の人たち
みんなの介護 現在、日本の少子高齢化に対応する策として、地域包括ケアシステムが構築され、「医療と介護の連携」や「在宅医療の推進」などが進みつつあります。そんな状況を海堂さんは、どう見ていますか?
海堂 そのことについて専門的な知識があるわけではないので、無責任に批判することはできませんけど、それが完璧なシステムかどうかというと疑問がありますね。
なので、実体験の話からすることにしましょう。5年ほど前、僕の母が介護を必要とする身となったのです。
始めは通いのサービスを利用していたんですが、場合によっては泊まりでサービスを受けられる施設があって、非常に助かりました。現状の介護業界には、必要に応じていろいろなサービスを選べるほどの充実度があることを知りました。
みんなの介護 地域包括ケアシステムが有効に働いている、ということでしょうか?
海堂 いえ、それはわかりません。サービスを利用するには、どんなサービスがあるのかを探さなければいけませんが、僕の場合、たまたま運がよかったのかもしれませんしね。
みんなの介護 サービスを利用する人にとって自分に合ったサービスを「探す」というコストは、依然としてあるというわけですね。
海堂 その通りです。
それから、「在宅医療の推進」ということで言うと、そのことでオートプシー・イメージング(以下、Ai)の必要性が指摘されてもいいはずなんだけど、そうなってはいませんよね。
在宅医療が進めば、自宅での看取りを希望する人が今よりも多くなるはずです。そのときに重要になってくるのが、Aiによる迅速で確かな死亡診断。ですから、在宅死とAiの普及は本来、セットで進めなければならないんです。
自宅での看取りとCTやMRIの装置のある医療機関などをどう結びつけていくのか、あるいは火葬場に装置を設置して手間をはぶくことができないのか──、そうした具体的な議論がなされなくてはいけないはずなのに、まったく聞こえてきません。
みんなの介護 確かにそうですね。
海堂 結局のところ、地域包括ケアシステムなどの制度やシステムは器に過ぎないんです。
僕の母か゛元気で楽しく暮らしているのは、介護の現場て゛働いている人たちのおかけ゛です。?もちろん、そうした人たちは地域包括ケアシステムの中で働いているわけです。
その器は、在宅医療以外の部分でも不具合がたくさんあるんだと思いますが、システムか゛うまく回っているのは、現場の人たちの頑張りが大きいのだと思います。
自分の死をコントロールすることはできない
みんなの介護 ところで、海堂さんはご自身が要介護の身になったとき、どんなことをして欲しいと思いますか?
海堂 もし、「こうして欲しい」という願望を持っていたところで、それを実行できるのは自分ではありませんから、できるだけ望みを持たないようにしています。こればかりは、人任せにするしかありませんからね。
そのとき、日本の社会に「爺捨て山」のようなシステムができていて、ボロ雑巾のように捨てられることになったとしても、泣きながら受け入れるしかないのでしょうね。
みんなの介護 終末期についてはどう思われますか?
海堂 終末期医療についてはシステムが乱立しているように見えますが、いずれにせよ、「死ぬ権利」はあって良いと思います。その人にとって、胃ろうが自然なことなのであれば他人がとやかく言うものではないでしょうし。
私自身のことで言えば、無理やり願望を言うならば、たくさんの美女に囲まれ、嫉妬や憎しみが渦巻く中で静かに息を引き取りたい(笑)。そんなことになれば幸せだと思いますけど、これも自分ではどうにもできません。
要するに、自分の死をどうするかということは考えるだけ無駄で、おいしいものを食べられるうちは思う存分それを味わって、楽しく生きていくのが一番だと思っています。
人は死との闘いをやめることはできない
みんなの介護 医師の中には、「死は医療の敗北」と言う方もいるそうですね。
海堂 僕はそうは思いません。そういうふうに考えると医療は『必敗』ですよ。医療は生を徹底することですが、そもそも生は必ず終わるもの。もちろん、手術で元気にできるはずの人を救えなかったとしたら、それは敗北です。しかし、それはごく一部のこと。
死を敗北と捉えたら医師は負け続ける運命なわけですから、その医師はどこかで歪んでしまうでしょう。これからの若い医師には、そういうふうに考えないでもらいたい。
みんなの介護 特に病理医は死から始まりますものね。
海堂 だからこそ、「メメント・モリ(死を想え)」という言葉があるように、死が医学の進歩を促してきたのです。要するに「死から学べ」ということ。そう考えてみると、死は敗北ではなく、死を財産にする学問が医学なのだと言えます。
死は敵ではない。そのことは、決して忘れてはいけないことだと思います。
撮影:丸山剛史
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