山崎貴「生まれてはじめて見るものばかり。そんな昭和という時代には、「ワクワク感」があった」
今回の賢人論は『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズなどで知られる映画監督・山崎貴氏のインタビュー。『永遠の0(ゼロ)』など多くのヒット作を生み出し、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式の演出も任されている。「昭和を描く名手」として知られる山崎氏に、昭和という時代、そして平成とこれからの日本について話を伺った。
文責/みんなの介護
昭和という時代、みんなが熱く盛り上がるような「熱狂力」があった
みんなの介護 山崎監督の代表作である『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)は、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』『ALWAYS 三丁目の夕日'64 』と続編も好調でしたね。
いずれも昭和30年代の東京を舞台にされていますが、VFX技術(映像効果)を駆使して当時の様子を見事に表現し、数々の賞にも輝きました。大ヒットの背景には「古き良き昭和」の懐かしさがあると思います。
山崎 ありがたいことに多くの方に愛される作品になりました。ただ、実はいろいろ言われもしたんですよ。「昭和はあんなに良いことばかりじゃなかった」って。「昭和の町はあんなにきれいじゃなかった」とか、かと思えば「あんなに汚くなかった」とかね。よく聞いてみると、住んでいた場所によってもかなり違ったようですね。
みんなの介護 なるほど。見ている人によって感想が異なるのは、興味深いですね。
山崎 それに、「古き良き昭和」と言えば戦後以降のイメージですが、調べてみると、戦争が始まる前の昭和初期も平和で良い時代だったんです。「戦前の昭和を暗い時代だと思わないで欲しい」と言う方もいましたね。
それが、日清・日露戦争で勝ったことで、どんどん日本が戦争へ向かっていった。太平洋戦争へ突入したのは軍が暴走したからだとよく言われますが、それだけでもない、時代の雰囲気というものがあったみたいです。
みんなの介護 山崎監督ご自身は、1964年の1度目の東京オリンピックがあった年のお生まれだそうですね。
山崎 はい。「東京オリンピックの年の生まれ」というのはちょっと誇りに思っています。平成も終わるのに、自分の気持ち的にはまだ昭和にいるみたいですよ。平成にも慣れていないので、昭和が遠い時代になるのは不思議な気がします。
みんなの介護 そんな監督にとって、「昭和」という時代はどんな時代でしたか?
山崎 ひとことで言えば、「ワクワク感があった時代」ですかね。
あの頃は、洗濯機やテレビ、冷蔵庫など「生まれてはじめて見るもの」がどんどん家に来て、すごくワクワク感があったんです。勝手に洗濯してくれる機械だったり、何でかはわからないけど映像が見える箱だったり…。電子レンジは万能調理器だと思っていたのに、ただ温めるだけの機械だと知ってガッカリしたりね(笑)。
ウォークマンが出たときなんか、衝撃的でしたね。音楽を持ち運んで外で聴くなんて、まるで自分が映画の中に入ったような体験でしたから。
そういう、これまでになかった、想像もつかないようなものが次々出てくるので、家電を見るのが楽しみな時代でした。
今、家電を買ってもワクワクしないのは、「はじめて見るもの」ではないからでしょうね。これはどういうことかというと、今出てくるものは、確かに技術的には優れていますが、当時からあったものの「進化形」や「応用型」でしかないから、新鮮な驚きがないんだと思うんです。
でも、スマートフォンが登場した時は、ちょっと嬉しかったかな(笑)。
みんなの介護 たしかに昭和30年代は高度成長期でもあり、新幹線や高速道路など新しいものがどんどん出て来る時代でした。ああいう時代はもう来ないのでしょうか。
山崎 来ないでしょうね。昭和にはみんなが熱く盛り上がるような「熱狂力」がありましたが、最近はそれがあまりないように感じます。
苦労を乗り越えるからこそ、熱狂することができる
みんなの介護 日本あるいは日本人に「熱狂力」がなくなったのは、なぜだとお考えですか?
山崎 経済が成熟して、モノやサービスが簡単に手に入るようになったからでしょうか。お金が普通にあれば何でも簡単に手に入るので便利ではあるけれど、そこに達成感はないですよね。
僕は、「便利ならそれでいいのかな?」と思ってしまうんです。人間は何でか便利さを追い求めてしまいがちですが、「便利さ」の罠に、みんな気づいたほうが良い。「ラク」ってことに、人の心は動かないんですよ。だから、熱狂できない。
みんなの介護 簡単に手に入ったものを簡単に手放すのは、感動がないからですね。
山崎 僕はバンプ・オブ・チキンさんのライブによく行くのですが、そこではみんな熱狂していますよ。でも、それもきっと、いろいろなことを乗り越えて会場まで足を運ぶからこそ、生のバンドに会えたときの感動が大きいんだと思います。
映画も、今でこそスマートフォンや飛行機の機内で簡単に観られるようになりましたが、やっぱり本当は劇場で観て欲しいです。大きな画面で楽しめるように、すごく凝ってつくっていますしね。
AIには心がないからこそ、できることがあると思う
みんなの介護 先ほどの「熱狂力」の話で、昔は飛行機に乗るだけで近所の人が空港まで見送りに来て胴上げをしていた、なんてエピソードを思い出しました。今ではベトナムのような、経済が急速に発展している国で同じような光景が観られるそうです。改めて「昭和」という時代のエネルギーに圧倒されます。
山崎 『ALWAYS 三丁目の夕日』で描いた時代も楽しかったでしょうね。どう考えても「明日良くなる時代」ですから。
みんなの介護 これからの日本経済は成長するばかりか、人口減少によりどんどん縮小していくと言われていますから、高度経済成長期と比べると夢がないように感じますね(笑)。
山崎 いえいえ、そうは言っても僕は新しいもの好きですから、平成の次の時代も楽しみですよ。AIの技術がどこまで進んでいくのかなんて特に興味があります。僕としては、話し相手になってくれるようなAIに登場して欲しいですね。
みんなの介護 まさに、ドラえもんのようなAIですか?
山崎 いえ、ドラえもんのようにのび太くんを叱咤激励するのではなく、甘やかしてくれるAIが良いですね(笑)。ドラえもんはのび太くんを成長させるためのロボットなので結構厳しいですから。絶対に怒ったり、いじわるをしないAIが、自分をほめてくれたり、アドバイスをしてくれたりすれば、AIのことをだんだん好きになると思うんです。
今すぐには実現不可能でしょうけれど、技術が進歩していって「心があるとしか思えないようなAI」がきっと現れると思いますよ。そういうAIに「昭和の頑固じじい」みたいな人がほだされてメロメロになっていくのを見てみたいですね。
みんなの介護 それは面白そうですね!
山崎 きちんとチューニングができれば、それこそ介護のような感情労働(顧客に対して感情を抑えることで賃金を得る介護士や看護師、飛行機の客室乗務員など)にも向いているかもしれません。AIは、お年寄りから罵詈雑言を浴びせられても精神を病みませんからね。
みんなの介護 「AIには心がないから介護はできない」とよく言われますが、逆転の発想ですね。
お年寄りでも劇場に足を運びたくなる、そんな映画をつくっていきたい
みんなの介護 監督ご自身は介護を経験されたことはありますか?
山崎 いえ、同世代にそういう問題を抱えている人が増えてはいますが、両親も元気なので、自分のこととして介護を考えることはまだ難しいですね。
みんなの介護 今後、介護の映画をつくられるご予定は?
山崎 僕が撮るような映画で扱うのは難しいですね。若い頃かかわらせていただいた伊丹十三監督は社会問題をエンターテイメントにするのが得意だったので、今もご健在だったら介護を題材にして素晴らしい映画をつくられたかもしれません。
みんなの介護 伊丹さんと言えば、「マルサの女」などで知られる昭和を代表する映画監督ですね。
山崎 はい。伊丹さんとは系統が異なりますが、僕の作品はエンターテイメントものと言っても、昭和や戦争を扱ったものが多いので、多くのシニアの方々にも観ていただいているみたいです。『ALWAYS~』のときには、若いスタッフから「はじめて親にチケットを贈ります」と言われて、すごく嬉しかったですね。
今のシニア世代は、若い頃、映画館まで映画を観に行っていた世代です。その方々がワクワクして映画館に行きたくなるような映画をつくり続けていきたいと思っています。
みんなの介護 お年寄りが喜んで映画館に足を運ぶのは、介護予防にも良さそうです。
始めて映画を撮ったのは中学生のとき。思えば、映画づくりは学園祭に似ている
みんなの介護 映画をつくる作業というのは、時間も費用もかかるので、簡単ではないと思いますが、やりがいも大きいのでしょうね。
山崎 そうですね。何と言っても、映画をつくるプロセスが好きです。「その日」のためにテーマを決めて、みんなで準備して、多くの人に観せて喜んでもらう。そういう学園祭みたいなノリが楽しくて。
そもそも僕の監督人生の原点も、中学校の学園祭で映画をつくったことなんです。
みんなの介護 中学生の頃から映画をつくられていたんですか?
山崎 はい。友だちの親戚の方に頭を下げて8ミリカメラを貸してもらって、フィルムは友だちとバイトして買って…。
お話はクリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』(2014年日本公開)のようなテーマで撮りました。住めなくなった地球の代わりの星を探しに行く話です。
故郷の長野県・松本市には美ヶ原という高原があるのですが、ゴツゴツした岩がたくさんあって惑星っぽい雰囲気がちゃんと出るんですよ(笑)。父親の会社の工場に宇宙船のコックピットっぽい機械があって、コッソリ入ってそこでもロケをしました。
みんなの介護 楽しそうですね。それだけでも映画になりそうです。
山崎 いつか映画にしたいと思っているんです。興行的には成功しなさそうですけどね(笑)。
それで、その5分ほどの映画を学園祭で上映したところ大好評になったんですよ。学校中の生徒が観たんじゃないかな。とても嬉しかったですね。そのときに興行の楽しさとか、たくさんの人に観てもらう喜びを覚えてしまって、ずっとそのノリで、学園祭をやっているような感じですね。今でも公開日にはワクワクしますよ。
たくさんの人に届ける映画をつくるには、たくさんの「脳」を使ったほうが良いんです
みんなの介護 中学時代の経験が今の山崎監督をつくっているのですね。
山崎 はい。いろいろな映画のジャンルがあるなかで僕がエンターテイメント作品にこだわるのは、あのときたくさんの人に観てもらえたことが嬉しかったからでもあります。「人に観られてナンボだな」って直観的に思ったわけです。
だから、子どもからお年寄りまでいろんなお客さんに楽しんでもらうために、今もエンターテイメント作品をつくっています。
みんなの介護 監督は、いわゆる「昭和ネタ」以外では『寄生獣』(2014年)など、現代の漫画を原作にした作品も手がけられていますね。
山崎 子ども時代を過ごした昭和にノスタルジーを感じてはいますけど、作品のテーマとして「昭和でなければいけない」ということではありません。
ウルトラマンシリーズなどの特撮モノも大好きでしたから、『寄生獣』の撮影は楽しかったですね。若い人向けの作品だったので、若手のスタッフにもたくさん意見を言ってもらいました。
エンターテイメント映画は、多くの人に観てもらうものなので、個人の気持ちだけでつくっちゃダメなんです。人に届かないと意味がないですから、つくる側もたくさんの「脳みそ」を使ってつくらないと。
みんなの介護 たくさんの「脳みそ」、ですか?
山崎 はい。例えばプロデューサーたちも出席する「本打ち」という、脚本(ほん)の打ち合わせがあるんですが、僕、今でもすごく叩かれますよ。「これは伏線になっていない」とか「これは意味がない」とか、ガンガン言われるんです。
それで、最初の頃は人格を否定されたような気持ちになって、泣きながら脚本を書き直してたんですけど、やっぱり、自分が気づかなかった点を指摘してもらえることってありがたい。人によっていろんな見方があるので。「なるほどね」とか言ってスルーすることもありますけど(笑)。
みんなの介護 そんなご苦労があってこその名作なのですね。
リーダーとしての僕の強みは、「鈍感力」なのかもしれない(笑)
みんなの介護 いろんな人の意見をひとつの作品にしていくという作業は、確かに学園祭のようですね。映画はさまざまな役割の人がかかわっていますが、チームをまとめ上げるリーダーとして大切なことは何でしょうか?
山崎 「鈍感力」ですかね。スタッフに「うちのチームはホント仲が良いね」って言って、わかってないなぁって呆れられています。でも、そういうふうに言い続けていれば雰囲気も良くなるかなとも思うんです。
みんなの介護 良いものをつくろうと思えばみんな真剣になりますから、現場の雰囲気がピリピリするのは想像できます。監督はそれをあまり気にされないということでしょうか。
山崎 「すごい鈍感力をお持ちですね」って言われるんですけど(笑)、監督がピリピリしているのは良くないんです。常に緊張感が漂っている現場ではスタッフが委縮してしまいますから。僕は、あんまりNGも出さないです。最初の芝居がいちばん新鮮で良い芝居だと思っていますし。
みんなの介護 映画監督というと、NGを何回も出して怒っているイメージがあったのですが、山崎監督は全然違うんですね。
山崎 うーん、そういう監督は減ってきていますよね。今の時代、そういう監督にはなかなか人はついていかないと思います。
ただ、何もうるさいことを言わない監督が良いのか言うと、そういうわけでもない。緊張と緩和を適度に繰り返していくことが大切ですね。気になったことは細かいところでも指摘して、スタッフから「監督、そこまで見てるんだ」と思ってもらえると、現場も引き締まります。
スタッフには「面白い」と思うことをどんどんやってもらいたい。そういう環境づくりも監督の役目です
みんなの介護 現場の皆さんとのコミュニケーションはどのように取られるのですか?
山崎 スタッフ全員と細かく話をすることはできないので、それぞれの部署の「長」と話します。長がその部門に伝達してくれるんです。打ち上げのときには、みんなの前で話しますけど、そういう「立派」なのは苦手ですね(笑)。
基本的な進め方としては、僕はぼんやりと全体を眺めながら、ざっくり見てジャッジするようにしているんですよ。結局、お客さんって細かいところを隅々まで観ているというよりは、ざっくりと観ていますからね。「初めて見た人がどう思うか」を考えながら、できるだけ初見のつもりで観るようにしています。
肩の力を抜くことは、実はすごく大切なことで、ずっと肩に力を入れたままでつくった作品は、うっとうしくて最後まで観られないと思うんです。
一方、現場にはそれぞれの長のもとで細部に魂を込めるスタッフがいてくれるので、映画に奥行きが生まれるんです。いろんなことを面白がってやってくれるスタッフがいるときは、現場の雰囲気もすごく良いですよ。『ALWAYS 続・三丁目の夕日』のときなんて、勝手にドラマをつくっちゃったりしてね。
みんなの介護 どういうことですか?
山崎 主人公の茶川さんが芥川賞を取るかもしれない、となってみんなでお祝いしているシーンがあるんです。天井にいっぱい飾りものもして、すごく賑やかなシーンなんですけど。
別のシーンで表通りの酒屋さんが映ったときに「うちにあった飾りものを持ってった奴は誰だ」っていう張り紙が貼ってあるんですよ。何のことだろう、と思っていたら、実はお祝いのときの飾りものとリンクしていたという…。「すぐに返しなさい。返さなかったら罰金1万円」とか書いてあるんですよ。確かに、鈴木オートの則文さんなんかやりそうですもんね。
こういう、すごい勝手なことを現場のスタッフがやってるんです(笑)。
みんなの介護 それを許してもらえる、という環境なんですね。
山崎 許すどころか、むしろ大歓迎ですよ。こんなふうに、みんなの脳みそが集積して出来上がったもののほうが、絶対面白いですから。いろんな人が自由に意見を言える環境をつくっていきたいと思っています。
切磋琢磨し合える仲間に恵まれたアサビは、天国のようだった
みんなの介護 『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズや『永遠の0(ゼロ)』などたくさんの名作を手がけられ、今や日本映画界になくてはならないヒットメーカーとなられた山崎監督ですが、これまでの映画人生も順風満帆だったのですか?
山崎 中学生のときに味わった興行の喜びが、僕を映像制作の世界へ導いてくれたというお話は前回した通りです。それから高校を卒業し、東京・杉並区の阿佐ケ谷美術専門学校、通称「アサビ」に入りました。
最初はイラストレーターとして映像制作にかかわることを目指していたのですが、1学年上にとてつもなく絵が上手い先輩がいて早々に諦めました。芸大とかではない普通の専門学校でこんなにレベルの高い人がゴロゴロいるのなら、自分なんかではとてもやっていけないと思ったんですね。実はそれが、後にイラストレーターだけでなく映画やゲームのキャラクターデザインなどで有名になる寺田克也さんだったという…。
みんなの介護 寺田克也さんと言えば、海外での評価も高い方です。
山崎 イラストレーターは諦めて造形作家を目指そうと思ったら、ここにも竹谷隆之(世界的なフィギュア造形作家)というとてつもなく上手い人がいて…。それで、初心に戻って映像作家を目指したんです。
でも、実は僕の妻となる佐藤嗣麻子も映像がすごくて、危うく映像も諦めるところでしたね(笑)。
みんなの介護 諦めないで良かったです(笑)。すごい人たちを輩出している学校なんですね。
山崎 はい。僕がいた頃のアサビは特に人材が豊作で、今でも一線で活躍している人を何人も輩出しています。まるで手塚治虫さんや、藤子不二雄さん、赤塚不二夫さんなどが住んでいた『トキワ荘』のような感じでしたね。
みんなの介護 そうしたところで刺激を受け合って、今の監督がいらっしゃるんですね。
山崎 はい。天才たちに囲まれた学校生活はワクワクしましたね。生まれ育った長野の松本では、そもそも映画をつくっている人がいないので孤軍奮闘していましたから。それが、アサビには上手い人がいっぱいいて、自分も頑張ったら頑張っただけ注目してもらえて、本当に天国かと思いました。
みんなの介護 そのアサビを卒業して1986年に株式会社白組に入社。テレビコマーシャルや映画のミニチュア製作、伊丹十三監督作品でのVFXの担当を経て2000年の『ジュブナイル』で念願の映画監督デビューを果たされました。学生時代からの夢をずっと追い続けてこられたわけですね。
山崎 そうですね。映画をつくることが楽しくて楽しくて…。こういうことが仕事になったらどんなに良いだろうと学生時代からずっと思っていました。
アサビを卒業後は、白組のスタッフとして伊丹さんの映画のVFXを担当して、映画づくりを学びました。伊丹さんは若手の僕らとも対等に話してくれて、「映画ってこうやってつくるんだな」と、いろんなことを教わりましたね。
伊丹さんだからこそできていた映画づくりでもあったのですが、「責任を取るのが監督である」という心がまえもそのときに学びました。
チャンスが来たときに逃さないように、心構えは常にしています
みんなの介護 好きなことを仕事にして、それを続けていくのはなかなか難しいことだと思います。どのように監督業に取り組まれているのですか?
山崎 「好きなことを続けるためにどうすれば良いか」ということを、すごく真剣に考えています。僕がつくりたいのはエンターテイメント映画なので、できるだけ大勢の人に観てもらいたいし、基本的には「ヒットする」と確信を持ってつくっています。
みんなの介護 「真剣に考える」とは、具体的にはどういうことですか?
山崎 巡ってきたチャンスを掴むというか、チャンスが来たときに逃さない準備と心構えをしておくことでしょうか。「撮りたい」と思うテーマについては、常に考えるようにしていますよ。『永遠の0』もそういう積み重ねがあったんです。
子どもの頃から戦争や特攻隊をテーマにした漫画を読んでいて、特に、ちばてつやさんの『紫電改のタカ』(1963年連載開始)という漫画がとても好きでした。なぜ戦争があって、若者が特攻隊員として死ななくてはならないのか、この漫画にはそういった戦争のやるせなさがとても深く描かれています。
中でも、主人公が特攻で飛んでいくラストシーンが衝撃的で、「飛行機で体当たりするって、どんな気持ちなんだろう」と子ども心に何度も何度も考えていました。それで、いつか戦争や特攻隊員についての映画をつくりたいと思っていたんです。ですから、『永遠の0』の原作を読んだときは、そんな自分の気持ちにピタッときましたね。
みんなの介護 なるほど。自分のなかで常に企画をあたためておく、という感じでしょうか。
2019年7月には『アルキメデスの大戦』が公開されますね。『ドラゴン桜』で有名な三田紀房さん原作の人気コミックで、1933年の戦艦大和の建設計画がモチーフだとか。
山崎 戦艦大和をテーマにした映画も以前からつくりたかったんです。新たな切り口の「戦艦大和」を通じて、「戦争ってどうして起こるんだろう」とか「戦争って何なんだろう」といったことを考えるきっかけになってくれたらと思っています。
ただ、そうは言ってもエンターテイメント作品なので、問題提起はうっすら程度にとどめています。お金を払って劇場に来ているのに、「説教」されたくないじゃないですか。
みんなの介護 押しつけがましく「戦争はダメだ」と言うようなことですか?
山崎 そうです。お金を払って観に来ているのに説教されるなんて、これほど腹の立つことはないですよ(笑)。観に来ていただいて、心にひっかかったことを「おみやげ」として持って帰ってもらえれば良いですね。
脚本は映画の命。自分で書くからこそ「何を撮りたいか」が明確になる
みんなの介護 山崎監督は、『ジュブナイル』でデビューされてからずっと脚本もご自身で書かれていますね。
山崎 一緒にお仕事をさせていただいていた伊丹十三監督がそうだったので、自然にそうなったんです。「その映画で何を描きたいか」ということは脚本にいちばん反映されますから、これからも自分で書くつもりです。
みんなの介護 映画づくりでは脚本がいちばん重要なのですね。どのように書かれているんですか?
山崎 脚本はプロットの時間がいちばんかかりますね。毎回、違う題材を扱うので、そのジャンルに詳しい人から「良く知ってますね」と言ってもらえるレベルまで勉強するようにしています。「STAND BY ME ドラえもん」のときは、原作全巻を端から端まで何回も読み直しました。
最近はIP(Intellectual Property:漫画などの著作物やデザイン)に自分で新たなストーリーを加えることもじわじわ増えてきています。『DESTINY 鎌倉ものがたり』(2017年公開)は、原作の漫画に自分で考えて加筆する部分が多かったのですが、これも面白かったですね。
いつか、自分のオリジナルストーリーでゼロから映画をつくってみたい気持ちもあります。売れなかったらと思うと少し怖いですけどね(笑)。
感性を「リニューアル」し続けて、監督寿命を延ばしたい
みんなの介護 日本は「人生100年時代」といわれる長寿社会を迎え、「働き方」は大きなテーマのひとつとなっています。映画監督には定年はないと思いますが、働くことについてはどのように考えていらっしゃいますか?
山崎 僕も映画監督として生涯現役でいたいので、「あの監督なら失敗しないよね」って言われるために、興行的にもペイできるような作品をつくろうと常に思っていますよ。興味のあるジャンルについては本を読んだりして常に勉強も続けています。
ただ、ある一定の年齢になると、山田洋次監督のように「巨匠」と言われる監督でない限りは、ヒット作をつくれなくなってしまうみたいです。年をとって時代の感性についていけなくなるんでしょうね。
これは、ある部分では覚悟しないといけないんですが、感性を少しずつリニューアルしていって、「監督寿命」を延ばしていきたいと思っています。
みんなの介護 「監督寿命」ですか。初めて聞く言葉ですね。
山崎 僕も、今、初めて使いましたけど(笑)。「健康寿命」みたいな感じですね。ずっと良い映画をつくれる監督としての寿命です。
僕が撮りたい映画はエンターテインメントなので、自分より若い人たちも面白く感じられる作品にしなくてはならない。ですから、感性のリニューアルが必要になってきます。
みんなの介護 映画作りは、体力よりも「時代に合った感性」のほうが重要なのですね。
山崎 もちろん体力維持も大切なので心がけてはいますが、監督の仕事は、それよりも感性が大事なんです。
みんなの介護 感性をリニューアルするというのは、例えばどのようなことをするんですか?
山崎 若い人が楽しんでいるものに触れることですかね。読書もしますが、もともと漫画が好きなので電子書籍でついオトナ買いしてしまいます。僕のiPadに3,500冊くらいは入っていますね。
最近では、篠原健太さんの『彼方のアストラ』が本当に面白かったです。萩尾望都さんの漫画『11人いる!』(1975年連載開始)のようなSF作品です。 そうやって、まだまだ若い人向けの作品に心を動かされる自分であり続けたいですね。
撮影:公家勇人
山崎貴監督の最新作『アルキメデスの大戦』は2019年7月26日全国公開!
『永遠の0』の山崎貴監督が戦艦大和を描く超大作。第二次世界大戦中、巨大戦艦建造計画の不正を暴こうとする若き主人公を菅田将暉が演じる。
山崎監督の綿密なリサーチとお得意のVFXによって完全に再現された戦艦大和にも注目だ。
『アルキメデスの大戦』公式サイト
(C)2019「アルキメデスの大戦」製作委員会
(C)三田紀房/講談社
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