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須賀、藤岡「政府が描く“標準的”な日本人像はズレている。そんな“実体のない典型”をモデルケースにしても意味がない」

最終更新日時 2017/11/06

須賀、藤岡「政府が描く“標準的”な日本人像はズレている。そんな“実体のない典型”をモデルケースにしても意味がない」

賢人論。第52回のゲストは、「経産省 次官・若手プロジェクト」のメンバー須賀千鶴・藤岡雅美の両氏。今年5月18日にネット上で公開されたレポート「不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」は経済産業省の20~30代官僚たちが、現代日本を取り巻く問題について明快にまとめた内容。アップされるやいなや瞬く間にSNSで拡散され、150万ダウンロードを越える大反響を呼んだ。

文責/みんなの介護

国家の機能を問い直したかった

みんなの介護 須賀さん、藤岡さんは、先の5月にレポートを公開し大反響を呼んだ「経産省 次官・若手プロジェクト」に、メンバーとして携わっておられました。お二人とも、現役の経産省職員として活躍されています。

須賀 私は当時、プロジェクトの内容とは直接は関係のない、コーポレート・ガバナンスやフィンテックを担当する部署で仕事をしていたのですが、この7月に省内に新しくできた「商務・サービスグループ」という部署へ異動。そこでは教育やシニア人材の活躍を支援するなど、図らずも、「次官・若手プロジェクト」の中で重要だと提言したことに関われるようになりました。

みんなの介護 藤岡さんは普段、どのようなお仕事を?

藤岡 僕は「産業人材政策室」という部署で、働き方改革や人づくり革命、それから、今は須賀さんと一緒に教育政策にも関わっています。須賀さんの部署で教育サービス産業室を起ち上げ、小中高はもちろん、就学前の児童や社会人の学び直しも含めて、教育全体をどう設計していくか、ということを考えています。

内容的には「次官・若手プロジェクト」でアウトプットしたものと関わりの深い分野の仕事だと思います。それ以前も、ヘルスケア産業課などで地域包括ケアシステムなど健康に関する事業に携わっていました。

みんなの介護 そんなお二人に、早速「経産省 次官・若手プロジェクト」について伺いたいと思います。そもそもプロジェクトはどういった経緯で起ち上がったものなのでしょうか?

須賀 「日本にとって本当に大切だと思う課題を、目の前の仕事とは別に、中長期的な目線で検討してみたい人」という条件で省内募集がかけられました。普段、私たちは、具体的かつ短期の課題解決に追われがち。「来年」の政策づくりに関わることはあっても、20年~30年後の日本について腰を据えて考える、という機会は、実はあまりないんですよね。まさにそういう仕事がやりたくて、私たちは経産省で働くことを選んだはずなのですが。

そういった大きな議論はすぐに結論が出るような簡単なものでないとしても、ぜひとも、今のうちから、避けずに議論しておくべきではないか。そんなビジョンに賛同した人たちが集まったのが今回のプロジェクトでした。

「賢人論。」第52回(前編)須賀さん、藤岡さん「新卒で入社して定年まで勤め上げる…という人は現代ではマイノリティだと数値的にも判明している」

「典型的」な生き方を送る人は実は少数派

みんなの介護 須賀さんはなぜこのプロジェクトに参加しようと思ったのですか?

須賀 このプロジェクトは、実は2期目。以前に開かれた第1期は、希望者を集める形ではなくて、指名制でした。「とにかく議論してみろ」と背中を押され、若手同士で話してみる中で、さまざまな問題に気付いていった。

でもその1期の中では、私は納得できるところまでアウトプットしきることができず、不完全燃焼だった。それで今度こそはちゃんとやりきりたいと思い、この2期の募集に手を挙げました。

みんなの介護 今回のプロジェクトでは、須賀さんはどのような問題に取り組みたかったのですか?

須賀 ひとことで言えば「現代において国家は、そもそも何のためにあるんだろう?」という古くて新しい疑問でした。今、これだけ個人や企業の力が強くなってきている中で、国家はどんな役割を、どの程度担っていくことが最適なのか、ということです。

きっと解はひとつではないので、「では日本の場合には何が正しいのか?」ということまで含めて深く議論していかなければならないと思いました。これは普段関わっている仕事にも、そもそも経済産業省の所管にもおさまらない領域の問題だったので、そこへ挑めるのは嬉しかったです。

みんなの介護 社会の流動化、個人中心化が進んでいる、というテーマは、レポートの中にも書かれていましたね。

須賀 日本の社会はこれまでどうあったか、それが今どう変わってきたか。その中で生きる個人はどういう人たちであり、それを国家は、どう支えていくべきなのかということを、一度立ち止まってしっかり考えたかった。そもそも国家とは?という根本から皆で議論するなんて、さすがに普段の業務の中ではできないですから。

みんなの介護 レポートをつくることを通じて、どんな成果が得られましたか?

須賀 一番刺激的だと感じたのは、私たちが抱く「日本人の標準的な生き方」のイメージが、実際の社会といかにずれていたかということ。例えば男性なら、新卒で企業に就職し定年退職まで勤め上げる。女性なら、結婚して専業主婦になって子どもを産む。そういった「典型的」人生を送る人は、実はむしろマイノリティだったのだということが数値的に判明しました。

さらに、女性に関しては、確かにそういった「典型的」人生を生きる人はかつて多数を占めていましたが、男性に関しては、そんな「バリバリのサラリーマン」的ルートを辿る人は、実は昔からそれほど多いわけではなかった。どんなに多く見積もっても、30%もいなかったのです。

「賢人論。」第52回(前編)須賀さん、藤岡さん「失業のリスクが高い自営業者が雇用保険を受け取れない、というのは、歪んだ制度」

思っている以上に日本人の生き方は多様化している

須賀 サラリーマンとして企業で働き、定年まで勤め上げ…というのは、都市に暮らし大企業に勤めている、ほんの一部の人たちのライフスタイルでしかなかった。そしてこれまで、制度を設計する際にはそうした実体のない「典型」をモデルケースとして想定してきたので、今になってほつれが無視できなくなっています。

考えてみれば、ずっと地元に暮らし、定年退職などなく生涯自営業を営む、という生活スタイルの人だって地方には少なくない。一方では、地方から首都圏に出てきたものの、正規雇用の枠には入れず、したがって定年も関係なかったという人たちも増えてきています。

藤岡 また、雇用保険制度に関しても、そういった一部の「典型」を前提に組まれていますね。企業に勤めていない、自営業やフリーランサーは雇用保険を受け取ることができないことになっている。これは制度と現実がねじ曲がっている部分だと思います。失業のリスクは誰にでも等しくある。それどころか、むしろ彼ら自営業者たちの方がリスクが高いかもしれないくらいなんですから。

須賀 企業に属しないこと、解雇されることを「大変なこと」と解釈せず、それとはまったく異なる価値観で生きている、フリーランスのような人たちもいる。思っている以上に日本人の生き方は多様化しているのかもしれない。私たちは日本を語る立場でありながら「さまざまな生き方を選んでいる人がいる」という当たり前のことを政策に反映しきれていなかったんです。

このように、今回のレポートは「問題そのものを明らかにする」という役割が大きかった。具体的な解決策が示されていない、という点はよくご指摘をいただくところなのですが、少なくともやるべきことは明確に示せたと思うし、私たちも「役割をしっかり果たしていこう」という意志を自分たちの中で再確認できた。その意味で、とても良い機会になったと思います。

「人生100年」時代になり、高齢者はますますお金を溜め込んでいる

みんなの介護 超高齢社会と言われる今、老後への不安をもつ方も多くいらっしゃいます。

須賀 大企業にいた方は、手厚い退職金を出してもらえるなど比較的安心できるのかもしれませんが、一方で、就職氷河期にぶつかったせいでそういうコースに入るチャンスすらなかった世代もある。

生まれる時代によって、老後資金を蓄えるインフラがなかったせいで、はたと気がついてみると、格差がついてしまっている。同じように生きていても、不運としか言いようのないことで一生そこから抜け出しにくくなってしまう、というのはおかしいです。

藤岡 退職金に関して言えば、「20年以上企業に勤めてるか否か」で税控除額にも大きな差があります。現代ではミスマッチなシステムになってきたなあと思います。昔は一社で勤め上げることが当たり前だったから良いかもしれないけれど、今は途中で会社を移るのが当たり前、という時代ですから。

みんなの介護 退職金の支払い方や年金制度を含め、安心して老後を迎えられる制度の再設計が求められているのですね。

藤岡 今の社会保障は、高齢者が“誤差”程度の割合しかいなかった時代につくられたもの。当時はそれで上手くいっていたのだとしても、今のような超高齢社会になると、それと違った社会保障のあり方が必要でしょう。

みんなの介護 具体的には、どういった制度変更が必要なのでしょうか?

藤岡 年金に関しては、2030年までに支給開始年齢が65歳へ引き上げられることが決まっていますが、その65歳というラインが本当に今の日本人の現状に合っているかどうかと言われると、少し疑問が残ります。例えば、年金は自己申告によって受給開始年齢を引き上げ、その代わり、毎月多めに支給を受け取ることができる、という仕組みが用意されているのですが、ご存知でしたか?

こういったあまり知られていない、あるいは使われていない制度をきちんと広報していくということも含めてちゃんとやっていくことが、今後社会保障をうまく機能させていくためにはますます必要になってくるでしょう。

みんなの介護 藤岡さんは高齢者雇用の問題にも注力して取り組んでいるそうですが。

藤岡 雇用制度は、僕がメインテーマとして取り組んでいる領域でもあります。高齢者個人の働く意欲や、抱えている将来不安なども含めて、老後の生活を設計していくことは直近の課題です。将来不安が「収入の不安」と「支出の不安」の2つに分類できるとしたら、このうち大きいのは、やはり後者。「いつ収入が途絶えるか分からない」ということより、「いつ支出が必要になるか」ということの方が怖いでしょう。

「人生100年」時代になり、この先いくらお金がかかるか見えづらくなってきていることで、高齢者の方はますます、お金を貯め込むようになってきている。それが消費の停滞にも影響を及ぼしています。

みんなの介護 いつ医療費用や介護費用が必要になるかわからないので、お金を使うのが怖い、と。

藤岡 働き方に関しても、65歳を越えても働きたい人は働けばいいし、反対に、早めにリタイアしたい人はできる、という風に、生き方を選べる環境にしていくべき。制度上「65歳から年金支給」とされていることで、どこか「65歳になったら人生アガリ」という感覚が刷り込まれ、それによって老後の生き方の選択を狭めてしまっているとしたらよろしくない。制度は、ともすれば人の意識まで左右してしまうものですから。

「賢人論。」第52回(前編)須賀さん、藤岡さん「高齢者雇用の問題は日本の「メンバーシップ型」の雇用制度のひずみが表出したもの」

年齢がその人の「実体」まで切ってしまうのはいかがなものかと

みんなの介護 今はまだ、老後の暮らし方を選びにくい状況でしょうか?

藤岡 定年退職後の働き方に関しては、一律かつ機械的に規定されてしまっていますね。定年になると一律解雇したり、給料が下がる、というのはおかしな話。定年延長・年金延長をどう変えていくか、という議論は盛んになってきています。

定年延長期間の65歳が終わると、まだ元気なのに家で寝ているしかなくなったり、働きたくてシルバー人材センターに行っても、自転車の整備など限られた仕事しか回してもらえない、ということになりがち。個々人の意欲や体調に関わらず、年齢で生き方をバスン、バスンと切られてしまう感じです。

「ライフスタイルを変えるキッカケ」程度にするのなら、年齢はちょうど良い指標だと思うんですが、その年齢が個人の実体まで切ってしまうというのはいかがなものかと。「何歳から受給開始」という線引きにこだわらずに、もっとフラットな制度にしてもいいと思います。もう一律かつ機械的に制度をつくる時代ではないので、やはり「選べる」ということがこれからの時代、キーワードになってくるのかなと。

みんなの介護 なぜそういった不自由さが生じてしまっているのでしょうか?

藤岡 現状、日本の雇用制度には全般的な歪みがあって、高齢者雇用の問題は、そういったものの結果として表出した問題であると捉えるべきです。

アメリカ等諸外国はほとんど、職務を限定して雇用する「ジョブ型」雇用を採用しているのに対し、日本は「メンバーシップ型」雇用であると言われています。日本の雇用は、いわば就「職」ではなく就「社」と言うべきもの。

みんなの介護 つまりある特定の仕事に専門的に取り組むのではなく、会社の中でさまざまな仕事を回されていく。

藤岡 メンバーシップ型雇用、新卒一括採用、終身雇用といった日本型の雇用制度が、効率的な仕組みとして機能していたのは昔の話。

最近は世の中の情勢が変わってきて、そうでないものが求められるようになってきた。しかし企業だけでは従来の雇用・人事システムを変えることが難しいので、国も協力しながら一緒につくっていきたい、というところです。

日本の中でも介護士や看護師さんのような資格系のお仕事は「ジョブ型」に近いですよね。各職場によって多少業務のやり方に違いはあるにせよ、スキルそのものは連続性があって、それぞれの施設を渡りながらキャリアアップできる、というイメージ。もちろん、「雇用の流動性が高い」ということは「定着率が低い」ということと表裏一体ではあるのですが、一般企業のように極端に流動性が悪い、というのもまた問題だと思います。

「賢人論。」第52回(前編)須賀さん、藤岡さん「自分の最期を自分で選べて、しかもどちらを選んでも社会的に批難されないという状態が健全」

自分の生き方を選ぶことができ、それを批難されない社会へ

みんなの介護 専門的なスキルが得られないことで転職が難しくなり、それで転職市場の流動化が進まない…という膠着した状況です。

藤岡 特に「総合職」として入社した日本のホワイトカラーは専門性が身につきにくいです。「人事」や「マーケティング」「新規事業立ち上げ」などという切り口をもって専門性とする見方もできるのでしょうけれど、自分が何を軸として仕事をしているのか?ということを主体的に意識してキャリアアップできていない。そういう意味ではまだまだ改良の余地はあります。

みんなの介護 高齢者問題に話を戻すと、レポートには自分の死に際についても「選べる」環境にしていくべき、という意見も書かれていました。

藤岡 必ずしも延命治療を減らし、終末期医療費を下げることが正しいと言うつもりはないのですが、「本当に幸せな形で医療を使えていますか」というところをもう一度、問い直して欲しかった。果たして、高齢者の方は自分が思い描いている人生を送れているのか?と言うと、そうは見えない。

もし、幸福な選択として延命治療をしているのであれば、もしかしたら、それは正しいお金の使い方なのかもしれません。しかし、本人がそう思えていないのであれば、社会にとっても、本人にとっても、良い話ではないですよね。

今だと、本人や家族が望んでいても、親戚の目が気になる…という理由で延命の中止に踏み切れないというパターンも多いのではないでしょうか。自分の生き方を自分で選べて、しかもどちらを選んでも社会的に批難を受けないようになって初めて、健全と言えるのではないのでしょうか。

みんなの介護 増え続ける医療費の問題と絡めて、過度な延命治療の可否は議論の的になっています。

藤岡 医療費が伸びていることそのものより問題だと僕が思うのは、そのほとんどが入院費用に費やされているということ。つまり、本当は自宅で最期を迎えたいんだけれども、そういうシステムがないから入院せざるを得ない、という状況の人も多数いるのではないか。とするならば、これは当事者たちが本来望んでいないところにお金を使ってしまっているということでしょう。

極端に言えば、美味しいごはんを食べに行くとか、そういうことでもいい。入院のために使うより、もっと幸せなお金の使い方があるのでは、ということを言いたいんです。そういう根本的なことも含めて、世間でもっと議論が巻き起こってくると、レポートを出した我々としては嬉しいですね。

チャレンジ精神の強い若者が減ってきた傾向がある

みんなの介護 藤岡さんご自身が、「次官・若手プロジェクト」の中で重要だと感じる内容は何ですか?

藤岡 僕が個人的に言いたかったのは、若者の意識についてですかね。もちろん、高齢化問題など他にも問題は山積みなんですが、ではそれに立ち向かう僕たち自身は結局、どうしていけばいいの?というところにも目を向けたい。『平成28年度 新入社員「働くことの意識」調査結果』を見ると、「社会の役に立ちたい」という思いを抱く若者は減ってきています。

このデータの中で特に僕が問題だと思うのは「自分の能力を試したい」という人が減っているという点。昭和46年から、これはずっと下がり続けている。チャレンジングな若者が増えるような環境やインセンティブをつくり、マインドを高めていくとともに、社会問題について発信していくことも含め、やりようはさまざまあると思う。

僕ら若者はもっと果敢にチャレンジしていくべきだし、「経産省 次官・若手プロジェクト」を企画していただいた背景にも、おそらく若手省員に活躍の場を与えたいという意図はあったのだと思う。上からは「俺たちのときはもっと長期的な視野で社会を見ていた、お前らにはそれが足りないんだ」というお叱りを受けながら、良い成長の機会をいただけました。

みんなの介護 高齢化や不況の影響もあり、若者に厳しい社会になったとも言われていますが。

藤岡 確かに、昔のように終身雇用制度の中で所得が倍増していく、というイメージはもはや描けなくなってきているとは思いますが、その代わり、個人の力でやれることはずいぶん増えています。起業するなど、収入の期待値を上げる方法はまだ残されている。

もちろん、その選択をするのも自分ですから自己責任はつきものですが、我々もできる限り、最適な形でサポートできるように考えていかなければと思っています。「個人の自由だから」といって完全な放任主義にしてしまっては、国家としての機能を果たせていないことになりますから。

「賢人論。」第52回(前編)須賀さん、藤岡さん「政策をつくる現場は「答えありき」で、型に嵌りすぎていた面があった」

議論の仕方そのものから変えていかなければいけない

みんなの介護 個人個人の生き方や選択を尊重しつつ、しかも社会的に守っていく、というのは両立が難しそうなことではありますが。

須賀 エーリヒ・フロムという哲学者が著した『自由からの逃走』でも言われていることですが、人は自由だからと言って必ずしも嬉しいとは限らず、意外とその自由を持て余してしまったりするもの。何かしらのコミュニティの中でしか、私たちの生活は成立し得ない。ですから、結局は「国側からの“お節介”をどの程度に収めていくのがちょうどいいのか?」という方向の議論に落ち着きそうだね、という話をしています。

藤岡 「ではそのために、実際どうしていくんだ?」と言われると、正直、このレポートの中で明確な答えが用意できているわけではありません。そこは、このレポートに対してよくご批判をいただくところでもあります。

ただ、確実に言えることは、これまでとは議論の仕方そのものから変えていかなければいけないということ。これまでは、ある問題を解くために「〇〇審議会」のようなものをつくり、ある限定的な人物像をモデルケースとして設定するなど、議論の仕方が型に嵌りすぎていた気がします。

みんなの介護 政策をつくる過程そのものも見直す余地がある?

須賀 役人は、「こういう問題があるのですが、大丈夫です、こういう施策を講じますので」ということを必ずセットで世の中に示さなければならない、と思い込みすぎていたように思います。

みんなの介護 

須賀 それはある意味「責任ある態度」なのかもしれないけれど、実際には、社会課題はそこで提示されるものよりももっとたくさん存在し、多くの場合、解決策は私たち役人が考えつくことのできる範囲の外側にある。例えばITの研究者や医療の専門家や社会学者など、ソリューションをすでに持っている人たちが霞が関の外側にいるかもしれない。行政はそんな彼らの力を潜在的に必要としているのに、これまでは極めて部分的にしかアクセスする術がなかった。

図らずも「次官・若手ペーパー」は、そんな両者をつなぐ役割を果たしてくれました。このペーパーを発表した後、各分野の専門家からたくさんのメッセージが届くようになった。彼らはレポートの内容に共鳴し、「その問題を解くには、こんな術があるんですよ」ということを前向きに教えようとしてくれた。そういった反応は嬉しい誤算だったし、すごく面白い現象だった。届いたたくさんのメッセージは、これから実際に問題を解決していくにあたって宝の山になると思います。

みんなの介護 行政がいわば「プラットフォーム」としての機能を担い始めたのですね。

須賀 ソーシャル・ゲームでは、完成品をリリースして終わりではなくて、リリースした後もユーザーの動向やニーズに合わせ、より楽しんでもらえるようにゲームを修正し続けています。こういった、短いスパンの修正を繰り返す開発スタイルのことを「アジャイル」と言うそうです。

政策の現場もそうありたい。これまでは「問題はこれで、その解決策はこれ。だから、そのためにこれだけ予算をとります」ということを、役所の中だけですべて決めて自己完結させてしまっていた。しかしそうではなく、まだ答えの出ていない問題を洗い出してとにかく示し、それに対するリアクションを吸収しながら政策を上方修正していく「アジャイル・ガバメント」こそが、実は問題解決への近道なのかもしれない、ということが、実感をもってわかった気がします。

孤軍奮闘、問題に取り組んでいた人たちが、新しいスポットライトを当てられ、意味付けを与えられたりして、それぞれが新たな力を得て自発的に動き出していく。そういうことが今、「次官・若手ペーパー」をきっかけに起き始めているように思います。

撮影:公家勇人

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森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07