いいね!を押すと最新の介護ニュースを毎日お届け

施設数No.1老人ホーム検索サイト

入居相談センター(無料)9:00〜19:00年中無休
0120-370-915

宮台真司「自分の所属する集団さえ良ければそれでいい。そう考えるのが日本人であり政治家や行政官僚も同じ」

最終更新日時 2016/08/15

宮台真司「自分の所属する集団さえ良ければそれでいい。そう考えるのが日本人であり政治家や行政官僚も同じ」

宮台真司さんと言えば、東京大学に在学中からサブカルチャーに造詣の深いライターとして活躍し、援助交際やオウム真理教などを取り上げて一躍脚光を浴びた社会学者。現在は首都大学東京の教授として、「社会とは何か?」「国家とは何か?」といった学究に身を捧げている宮台先生に、日本の社会保障体制が抱える問題点について伺おうと思ったのだが…。インタビューの最初から返ってきたのは「そもそも教育が悪い」との答え。さて、その真意とは? 

文責/みんなの介護

大学生の「これからはNPOの時代で、カネの時代はもう終わりだ」なんて発言を聞いて僕は、バカだなーと思って

みんなの介護 「日本の財政は大丈夫なのか?」「年金は将来、破綻するんじゃないか?」といった疑念や不安が話題となって久しいですが、宮台先生はどのように感じていますか?

宮台 あり得ないですよね、年金が破綻するなんて。論理的にあり得ない話で、単に受給額が減るというだけですよ。年金を保険料として払っていない人、つまり受給資格がない人が増えるかもしれないけれど、ただそれだけの話でしょう。そもそも、こうした話題が出るのは、制度のイロハを知らないバカがいっぱいいるというだけの話ですから。

みんなの介護 その制度のイロハを知らないこと…つまり、教育に問題があるということでしょうか。

宮台 社会保障教育以前の問題で、社会がどのようにして回っているかということが教えられていないんですよね。例えば、自分たちがサークルを作ったとしますよね。そのサークルをどう運営すればいいかということについては、当事者としてそれなりに意識をするはずでしょう。であれば、自分たちが今住んでいる日本という国がどのように回っているのかについて、基本的にある程度のことは概略がわからなければおかしいですよね。

年金って何だろう?税金って何だろう?国債って何だろう?金融政策って何だろう?ってね。これだけニュースで言葉が出ているのに、その意味をほとんどわかってないというのはおかしいじゃないですか。

みんなの介護 確かにその通りですね。その教育は何歳くらいから始めるのが良いのでしょう?

宮台 財政ってなあに?金融ってなあに?社会保障ってなあに?小学生からでも聞けることですよ。もっと早ければ、幼稚園からでも良いですよ。お金の概念というのは4歳になればわかるものですから。

みんなの介護 日本は欧米などとくらべて「お金」についての教育の水準が低いというのはよく聞く話です。

宮台 もう4~5年前の話になりますが、とある大学でトークイベントがあったんですよ。その時に学生たちが、「これからはNPOの時代で、社会的な分かち合いが大事になる。カネの時代はもう終わりだ」みたいな話をしていて、こいつらはバカだなーと思ったんですよ。よく考えてみてくださいよ?人のために活動するためにはカネが必要で、基本的には何事もファンディングありきじゃないですか。そんな当たり前の前提すらわかっていないんですから。

自分で一生懸命お金を集めて、人のために使う。以前と比べてお金をどう使うかに関する意識の持ち方を変えるべき時代になった、というのならわかるんですけど。そのあたりが、大学生のハタチ過ぎにもなってこのレベルかっていう感じで。

80年代以降の日本は、「立身出世が第一」という考え方。これは教育が悪いと言わざるを得ない

みんなの介護 学校教育の場でお金の教育を話題にしないという、空気づくりのようなものがなされているのでしょうか。

宮台 お金=ダーティ、生臭いっていう意識はあるのかもしれませんよね。ある種のイノセンティズムというかね。それもこれも、自分たちで社会を回していくという意識がないからであって、その根源をたどると江戸時代の善政に行き着くというのが歴史学の定説です。

みんなの介護 善政、というと?

宮台 例えば17世紀、ロンドンのテムズ川はドブ川だったし、パリのセーヌ川もドブ川で、ペストが大流行しましたよね。一方で日本は、なんとか上水というのはほとんどすべて江戸時代にできていて、かつ下水についてはいわゆるリサイクリングをしていたので、疫病の発生はまったくありませんでした。また徳川は、事実上の刀狩りをして、270余りある各藩ごとの独立採算制を義務づけました。各地域で外貨を稼げるような製品を作らせて、なおかつ刀や武器を作るのに使っていたお金を、土木や灌漑(かんがい=農地の外に人工的に水を供給すること)にまわすように義務づけたわけです。

そんな目的合理的に、民のためをよく考える政治があったおかげで、国民が「お上に任せておけば大丈夫」「自分たちで考えるとむしろ知恵がないのでろくなことがない」と思うようになったのが、たぶん出発点ですよね。もし自分たちで自分たちを自治するとかハンドリングするという感受性が強くあれば、当たり前ですけどお金の話を中心にするしかないわけですから。

みんなの介護 江戸時代から根付く考え方なんですね。ただ、その概念は変えていかなければいけませんよね?

宮台 根強い考え方ではあるけれど、といっても数百年の話ですからね。考え方は変えていけるし、逆に言えば、その概念を覆さなければ淘汰されるというだけの話です。ただ、教育を変えるのは難しい…というか無理ですね。

みんなの介護 例えば週に一回、小学校や中学校で「年金」なんていう授業を設けても難しいでしょうか。

宮台 年金だけ学んだって全然ダメですよ。前提として、財政の話を理解していなければ、年金をどうやって保全できるか、その制度的な持続可能性を構想できないですから。一事が万事そうなんですが、基本的に、社会がどうやって回っているかということを理解することの必要性を、教育の中で意識できないようになっているわけですから。

その教育目的に関して、昔の明治時代や戦時中と比べても、人々の意識が劣化しているというほかありません。昔は前途有望な人材を生み出す考え方が、まだあったものです。でも今はそうじゃなくて、負け組にならないための勉強、あるいは立身出世が第一ですよね?それであれば、結局負け組にならないために必要な教育しか受けない、そういう動機づけしかないわけだから。特に80年代以降のその考え方は非常に顕著で、多くの人が全体を見渡すことをしなくなったんです。

国民が仲間だなんていう意識をもった政治家がいないんだから、リベラルな政策なんか採られるはずがない

宮台 皆さん、今の政治家や行政官僚がパブリック・マインド、つまり公に貢献しようという気持ちをもっているかどうか、想像してみてください。「負け組にならないように」「立身出世が第一だ」って育てられた人たちが、パブリック・マインドなんてもつはずがないじゃないですか。それは政治家や行政官僚も同じこと。基本的には、自分の所属する組織の中でのポジション争い、あるいは先輩の顔を立てて日々のコミュニケーションに腐心しているような人たちですよ。

みんなの介護 そう言われると身も蓋もないですが…。

宮台 そう。でも仕方ないんです。彼らの行動の動機が完全にエゴセントリックで、エゴイスティクだとしても、もちろんミクロに見れば、会社のために、自分の省庁のために…と、自分を犠牲にして頑張っているんです。それが日本人のあり方の特徴でもあります。

自分の所属する集団、会社とか行政官僚組織が良ければそれでいい、っていうマインド以上のものは要求されていないのが日本という国であり、それは政治家も含めてのことで(笑)。そうやって自分の所属する内集団の存続しか考えていないような社会は、全体として持続可能のはずがありません。

みんなの介護 こうして紐解いていただけると、いかに教育が大切かということを考えさせられますね。

宮台 あともうひとつ、宗教観も大きな理由のひとつです。日本には一神教の文化がありません。一神教の文化があるということは、すべての仲間がいいと思っていても、自分がいいと思っていても、神が許さなければいけないんです。しかも、神というのはコミットメントの源泉であり、それにコミットしないのは不誠実であり、不実だと考えられる…つまり、滅ぼされても仕方ないということになってしまうんですよ。

日本はそういう一神教の文化がないので、しょせん仲間内程度の視座しか取れません。もし仲間の範囲が小さくなってしまえば、今の日本がそうですけれども、そもそも日本全体が仲間だなんて思う人はいなくなっていくでしょう。政治家が、その最たる例ですよ。

みんなの介護 仲間…という定義が難しいですが、他人との関係性が希薄になりつつある現代では、その傾向が強まっていきそうな気がします。

宮台 そうですね。そしてそれは、世界中の国で同じことが起こっています。今どき、国のために死のうなんてやつは先進国には一人もいないわけ。若い人が戦死すれば、政権はすぐ倒れちゃうわけですから。それは、大国アメリカだって同じです。先進国では、国のために死ぬ若者はもういなくなった。だから、遠隔操縦兵器(リモート・ウエポン)を使うし、ドローンを使う。そうせざるを得ないからですよね。これはもう必然的な流れなんですよ。

最近、リベラルという言葉をよく聞きますよね。リベラルというのは再配分主義のことですが、再配分する仲間の範囲は政党でないとダメなんです。そのためには、政治家が国民を仲間だと思わないと、国民の間に再配分することはできません。だけど今の日本には、国民が仲間だなんていう意識をもった政治家がいないんですから、リベラルな政策が採られるはずがありません。

狭い狭い自分の周りだけで回っている社会。それで健全なのかどうか、それで持続可能なのかどうかということを考えもせず、沈みゆく国のなかでの座席争いに終わる。それが今の日本の状態ということですね。

社会という荒野を、仲間と、家族と、大事な人たちと生きるための戦略を考えるしかない

みんなの介護 お話を振り返ると、日本社会の“先細り感”を否応なく感じさせられます。

宮台 いやいや、それでいいんですよ。先細りになるというのは、これまでのいろんな民族も体験してきたことですし。滅びてきたわけでもあるけれど、ダメなものは滅びるという教訓ですよね。そうした教訓を残していくことが大切で。

だから今、僕たちがやるべきことは、どうして先細りになるのかを考えること。これは日本だけに限った話じゃなくて、先進国の多くはそう。その理由を書きとめておいて、正しい巻き直しというか、リバウンドして、また再上昇するときの知恵として述べ伝えていくというのが大事じゃないでしょうか。

みんなの介護 ダメなら滅びる…確かに自然の摂理なのでしょうが、その渦中に生きているかと思うと、なんだか悲観してしまいます。

宮台 人類というレベルで考えれば、何を悲観しなければいけないのかまったくわからない。例えば今、日本社会は高齢社会がどうの、シルバー民主主義がどうの、世代間格差がどうのって話をしているけれども、僕が考えていることより全然小さい話で。

みんなの介護 「人類」と比べたら、それは確かに小さいですが。

宮台 地球規模で考えたときに、人類社会が全体としてうまくいっていたことってないんですよ。例えばですが、先進国で財政問題が深刻になった最大のきっかけは、特に97年以降のグローバル化を背景にした中間層の分解と資本流出です。統計的に言えばいろいろ問題はあったとはいえ、それによって貧困国の貧困率は圧倒的に下がったんですよね。世界全体としてはやっぱり豊かになったわけです。

昔で言うところの途上国…途上国というのは名ばかりで、実際には低開発国ですけれども、そうした国はごくわずかになりました。それはグローバル化のおかげであって、先進各国の内部で中間層が分解したこと、あるいは税収が下がったことに起因します。税金を取ろうとすると資本が逃げるからですね。中間層の分解というのは、階層分解そのものでもあるから、そこから格差がどんどん広がって…というのは、過去にどこの国も体験したことであって、これは避けられないことなんですよ。

みんなの介護 そうした社会的な危機を避けられないのであれば、せめて備えとなるようなことを考えておきたいものです。

宮台 うまくいくものは後世に残るように、長いスパンで考えればいいんですが、それ以外でみなさんが考えるべきことは、自分にとって大切な人間…つまり家族や仲間が生き残れるようにするということですよね。社会的なマクロをどうするか?なんて死ぬ気で考えても、どうにもならない面がありますからね。基本的には、社会という荒野を生きるしかない。社会という荒野を、仲間と、家族と、大事な人たちと生きるための戦略を考えるしかないわけですね。

「賢人論。」第21回(中編)宮台真司さん「社会のベースは何より共同体。本音が建前を凌駕するような、懐の深い社会が理想的なのだが」

人間は賢くないからリソースをシェアするわけで、だからこそ周りの人が考え方を改めていくもの

みんなの介護 社会という荒野を生き抜くために考える。人間として当然の行為でもありますね。では、そのための知恵というのは、どうやって獲得すれば良いのでしょう?やはり教育、ということになるでしょうか。

宮台 ただ、学校教育は無理でしょうね。教員にそういったメンタリティを持つ人間はいないでしょう。

みんなの介護 では家庭ですか?

宮台 家庭も無理ですよね。ほとんどの親には無理でしょう。だから、家庭教育とか学校教育とかっていう枠組みではなくて、それを教えられる人がやっていくしかないんですよ。自分の周りに波紋のように広がっていくようにして行動していくしかないと思います。それをできる先生、できる親がやればいい。

例えばですが、僕は自分の家を子どもたちが自由に出入りできるようにしているんですけど、思い返してみると、昔の家ってそうだったじゃないですか。よその家でごはん食べたり、泊まったり。それが今はまったくない社会になってしまったわけですが、それを取り戻そうっていう。僕はまだ57歳ですけど、そんな僕の世代から見ても、子どもの頃にあったものが失われているケースはさまざまにあるわけです。そのすべてを取り戻すことはできないけれど、中には取り戻せるケースはけっこうありますよね。

みんなの介護 先生自ら実践されているわけですね。ただ…こう言っては元も子もないかもしれませんが、先生のように賢い人がそこかしこにいるわけではないという難点もありますが。

宮台 いやいや、そういうことじゃなく、社会が劣化してしまったからであって、昔だって賢い人がたくさんいたわけじゃなくて、人間は賢くないからリソースをシェアするし、知恵もシェアする生き物なんです。「そんなんじゃ人生やっていけないんだよ」「生きていけないんだよ」って誰かが言ってくれるから、周りの人が考え方を改めていくものなんです。

みんなの介護 家族や仲間といった共同体と、そうして知恵を持ち寄ってくる、という感じでしょうか。

宮台 社会のベースは、やっぱり共同体なんですよね。実は僕ね、Twitterで調べたことがあるんですよ。打ち上げ花火でどうやって遊ぶか?って。僕らの同世代では、打ち上げ花火と言うと水平打ちで戦争ごっこなんですけど(笑)、今の時代は打ち上げ花火って後ろに抜けてけっこう危険で。「目に入ったら失明するんだぞ!どうするんだ!誰が責任取るんだ!」って言うヤツが出てくるわけです。

そんなことを言われると黙らざるを得ないですよね、ある意味で正論なんだから。でも、たとえそういう正論を言うヤツが出てきたとしても、共同体の感覚から外れていたら、「まあまあ、それくらいいいじゃないか」ってなる。本音と建前があるとして、建前よりも本音の方が凌駕してしまうような社会、それが共同体というものであり、ある種の懐の深さみたいなものがありましたよね。

「賢人論。」第21回(中編)宮台真司さん「制度やシステムに依存しすぎの現代では、災害が起こるとそれが機能しなくなる。だから社会へのダメージが諸外国に比べて大きい」

全体的なプラットフォームがどうなっているかを想像する頭が官僚や政治家にないから、パブリック・マインドが育たない

宮台 建前=制度とかシステムというように考えてみましょうか。例えば、僕は花見が好きで、東大で助手をやっていた90年頃までは、代々木公園で花見をするときにいつも焚き火を焚いていたんですよ。周りもみんな焚いていましたよ。

そこで面白かったのが、おまわりさんが、パトカーに乗って公園のなかをパトロールするんです。で、「公園のなかでの焚き火は禁じられておりまーす」って言うんです。あるとき、僕が焚いてた焚き火で5メートルほどの大きな火が上がっちゃったことがあったんですが、そのときにおまわりさんは、「おいっ、君たち!そこはちょっと火が大きい!」って(笑)。火を小さくしたら怒られなくなったわけですが、つまり、ある種“大岡裁き”のような寛大さがあったわけです。

みんなの介護 たとえが合ってるかはわからないですが(笑)、おっしゃりたいことはわかります。制度やシステムに縛られない考え方が甘受されるのもまた、共同体であるということですね。

宮台 それが今や、制度やシステムに依存してしまった社会になっていますからね。逆に、その制度やシステムが回らなくなったら終わっちゃう。実際に、災害が起こった時のダメージというのは、諸外国より日本の方が大きいじゃないですか。

決まり事は決まり事としてあるとして、あまり関係なく、内発性…つまり、お互いの共同的な意欲でまわるシステムという概念が大事。決まり事とは無関係にまわる共同体というものがあるかどうかですよね。それが、社会の持続可能性を決めていくんじゃないかと、僕は思っているんですが。

みんなの介護 共同体の在り方が社会の今後を占う、という感じでしょうか。

宮台 そうですね。例えば、僕は小室直樹というお師匠に習っていたんですが、彼は会津出身で、極貧の母子家庭で育ったんですよ。周囲の人たちのお金で高校に行って、さらに交通費も出してもらって京都大学の数学科に進学したんですが、昔であればそんなことは当たり前だったんですよね。おらが村の神童であれば、みんなで支える。みんなに支えてもらって、帝大生なり帝国官僚になった人たちは故郷に錦を飾ろうとして一生懸命頑張るわけ。

みんなの介護 昔はできていたことが、今はなぜできないのでしょう?

宮台 小室先生が会津出身だったと言いましたが、それと関係があって。というのも、会津というのは藩閥闘争の恨み、薩摩・長州への恨みは骨髄まで達している国柄なわけですが、それを表に出してしまえば戦争に負けてしまうから、それを押し隠してまで日本国全体のことを考えて頑張らないと、故郷に錦は飾れないという意識が強かったわけ。それだけ欧米諸国の列強の脅威が大きかったし、だからこそパブリック・マインドが育っていたんです。

みんなの介護 そんな危機意識は、さすがに現代には望めないですよね。だから社会が育たない、と。

宮台 そういうことです。まぁ、危機意識が存在したところで、政治家や官僚の頭が悪いからどうしようもないですけどね。全体的なプラットフォームがどうなっているかを想像することは、突然やろうとしてもダメ。訓練がなければできないわけですから。

これはもう、ずいぶん前からボタンの掛け違いが始まっていて。今の政治家や官僚が悪いというのではないわけですが。これは別に日本だけに限った話ではなく先進国の多くがそうなんですが、より特徴的に表面化しやすい日本は、だからこそ課題先進国なわけ。日本はいろんな問題が最初に現れやすいんですよね。

広いマンションに住むよりも狭い戸建てに住むほうが、社会的には意味がある

みんなの介護 ここまで、社会が健全に運営されていくための概念的なお話を伺いました。さてここからは、現実的に私達の生活に直接関わってくる、日本の社会保障体制についてのお話を伺いたいと思います。例えば、「将来の年金は大丈夫なんだろうか?」という不安は、現代社会の大きな問題のひとつです。

宮台 制度の補助の恩恵にあずかれなくなるという不安があるのは自然なことですが、とはいえ年金の受給額が減るのは必然で、年金だけで暮らせなくなるのは決まっているわけですよね。それを前提として、どういう手立てを構築していくかを考えることが大事なわけで。誰かが何とかしてくれないかな?なんて思っているだけでは、大きな改善を望むのは難しいでしょうね。

大規模定住社会におけるさまざまな制度というのは、小さな共同体が自分で解決できない場合のための、あるいは、それを補完するためのリソースを提供するという本義があるわけ。つまり、自分たちでできることは自分たちでやって、それでできない場合にひとつ上の層に、その層でできなければ、そのまたひとつ上の層で制度化して、というもののはず。そう考えれば、やはり基本は小さな共同体であるべきで、それを一人ひとりが自覚しなければ不安の解消にはつながりませんよ。

みんなの介護 その点については、以前にご登場いただいた千葉市長・熊谷俊人さんも「ゴミ置き場を誰が管理しているか?自治体じゃなく自治会なんですよ。そんなことは当たり前だという意識を、市民に取り戻してもらいたい」の中で同様のことをおっしゃっていました。

宮台 当然のことですよね。小学校区単位の小さな集合体でもいいわけで。日本の場合、小学校区っていうのは明治5年の学生改革以降の、明治政府の考えた、行政初動の自治を貫徹させるためのものです。だから、日本で共同体としての意識を巻き直そうとするならば、小学校区単位から始めるのが一番合理的なんですよ。ただそれも、地域によっては単身者、あるいは単身世帯が大半だっていうところがあるのもまた問題で。

みんなの介護 特に首都圏ですね。孤独死の死者数が増加傾向にあるなど、隣近所との関係性の希薄化は社会問題のひとつとして注目されています。

宮台 本来であれば、土地をシェアしていくという考え方が重要なんですけどね。広いマンションに住むよりも狭い戸建てに住むほうが、社会的には意味があるんですよ。

戸建てに住むと、ゴミ当番や自治会費の回収など、生きていくだけで当番だらけなわけですよ。長期で海外出張に行くときなんかは、「何かあったらお願いします」なんて頼み込んで、帰ってきたらお土産を配りまくって。でも、それで人間って仲良くなっていくんですよね。地域社会を健全に回すためにも、これは重要なことで。

みんなの介護 首都圏は特に集合住宅が多いので、その考え方とは真逆と言えますね。

宮台 そうですね。ただ、10年くらい前からある種の巻き直しが始まってもいるんですよ。2005年頃からシェアハウスという考え方が始まっていて。マンションなんかの集合住宅では、やっかい事は全部管理人がやってくれるのはいいけれども、そうすると自治マインドは全然なくなって、お互いがバラバラになってしまう。対してシェアハウスでは、デベロッパー主導ではあるけれども、住民自治によってまわる集合住宅ということになる。つまり、ある種のソフト面の特長をアピールしているところが出てくるようになったわけ。

資本主義の世界だから、そのデベロッパーの提示したエサ…というか、インセンティブに乗っかる人がどれだけいるかっていうことですが、そうした人が一定数はいるから、シェアハウスという戦略が出てきたんでしょう。安心、安全、便利、快適というインセンティブがあり、負担は免除してくれる。住民にとってこんなにおいしい話はないんだけれど、本来、社会というのは負担があるからこそ仲良くなるものであって。

「賢人論。」第21回(中編)宮台真司さん「近いうち、頭脳・事務労働に従事してきたホワイトカラー層が、人工知能に取って代わられる。そんな社会にリベラルは望めない」

今後、生産人口が減れば外国人労働者をどうしても使わざるを得ない

みんなの介護 地域を主体とした帰属意識とでも言いますか、社会保障の本来の意味でもある「富が正しく再分配される」ということを望むのは難しいでしょうか?

宮台 今後は無理です、それは。

みんなの介護 即答ですね…。

宮台 だって、国民全体を仲間だと思えないでしょ?これは、前に言った通り。今後、生産人口が減れば外国人労働者をどうしても使わざるを得ないでしょう。現在は、技能実習生と称して外国人の労働力が山のように使われているわけですが、一方では、日系3世だか4世だか5世だかわからないような“インチキに限りなく近い日本人”も出てきたりして。

そうすると必ず出てくるのが、「なんでアイツが日本人なんだよ」という声。現にヨーロッパでも、最も包摂的だとされた再配分主義=リベラルも機能していませんし、これはもう巻き戻せる可能性はないと言って良いでしょう。主権国家と資本主義、そして民主主義が三位一体的に機能する時代は、もう永久に来ないということですよね。

みんなの介護 再配分主義=リベラルが難しいとすると、今、求められている新しい理想形というのは、どのような形になるのでしょうか?

宮台 それがはっきり言えれば良いんですが、そんな簡単な話ではないんですよね。基本的に僕らは、国際的な問題は主権国家間の協議で何とかしていく以外の方法を知らないわけだから。もちろん、国境を越えてNGOやNPOは活動しているし、ある種の宗教団体も活動はしているわけで、それらの補完か付け足しでしかない、としか言えませんね、今のところは。

みんなの介護 例えばですが、産業やテクノロジーの発達が、富の再配分の一助になるということは考えられませんか?

宮台 それは一理あるかもしれませんが、とはいえ一方ではシンギュラリティ問題や2025年問題というのもあって。シンギュラリティというのは、人工知能(AI)が人類の知能を超えてしまうということで、2025年問題とあわせて考えても、現在進行形の、例えば高齢化問題や社会保障問題がより深刻なところにある問題と考えられますよね。

例えば、これまで事務労働に従事してきたホワイトカラー層は、人工知能に取って代わられるから、今後はいらなくなる。すべていらなくなりますよね。そうすると何が起こるかというと、ただコンピューティングのリソースを一定に持っている人間だけが富むという、ある意味いびつな社会になってしまう。当然、そこにもリベラルな考え方は生まれないでしょう。

「賢人論。」第21回(中編)宮台真司さん「グローバル化した世界を生き抜くために、日本は長い間、時間をかけて培ってきた習慣に基づいてできたしきたりや掟を、心にもっておかなければならない」

グローバル化に強いのは中国系とユダヤ系。日本人が太刀打ちできるはずがない

宮台 日本がこんなふうにバラバラになったのは、“弱者意識”がなくなったからだと言えます。その境目は1964年、前回の東京オリンピックだというのが定説で、そのときの世論調査を見ると、国民の意識が変わったんですよね。指標はふたつあって、ひとつは「日本はアジアの一員なのか、西側の一員なのか」についての考え方が、1964年を境に日本は西側の一員だっていうのに変わった、と。

ふたつ目は、「国民的英雄は誰か」という問い。それまでは敗軍の将として英雄視されてきた西郷隆盛だったわけですが、1964年を境に、それまでまったく無名だった坂本竜馬が国民的英雄になった。これは、作家の司馬遼太郎が文明開化の立役者として持ち上げたことにも起因しているわけですが。

みんなの介護 日本が、弱者ではなく強者のメンタリティをもつようになったということでしょうか。

宮台 そうですね。これは、誰が政策という名のボタンをかけ間違えたということではなくて、もともと日本は、弱者意識を失うと相互扶助の美風を失うような形でしか、社会の運営がなされてこなかったということだと思います。

みんなの介護 社会的な意識を弱者寄りにもつのか、それとも強者寄りにもつのかで、制度の在り方も変わってくるものなんですね。

宮台 人間というのは、そもそもエゴイズムに寄ると動機が続かない生き物なんですよ。例えば中国人やユダヤ人は、血縁共同体の支援を受けて留学もするし、国際的なネットワークに乗り出していきます。その血縁のネットワークに埋め込まれ、したがって背負い、であるがゆえにリターンを返そうと思って死ぬほど頑張る。そうした強い動機付けをもっているんですよね。

こうした人間が強いのは、利他性をもっているからなんですよね。自分の仲間のためにリターンを返す。自分がへたれたら自分が損をするだけだけど、自分がへたれたら家族や仲間が困るとなると頑張るわけ。だから、グルーバル化に強いのは中国系とユダヤ系。それは今後も変わらないでしょう。

みんなの介護 アメリカの金融資本は多くがユダヤ系だという話は有名ですよね。

宮台 そこにどんどん中国系が入っていく。IT系のさまざまなリソースを持っているネットワークは中国系が多いですよね。Yahoo!だろうがGoogleだろうが。それは古い社会の成り立ちであって、頭の悪い日本人は「グローバル化の社会は強い個人じゃないと生き残っていけない」とか何とか言うけれど、中国人やユダヤ人が聞いたらひっくり返って笑っちゃいますよ(笑)。強い個人なんてのはありえない。いかに共同体のバックボーンのなかに埋め込まれて育ち、であるがゆえにリターンを返そうという強い動機を持てるか、ということなんだから。

もちろんこれは、血縁共同体を生き残らせるためだけの共同体エゴイズムですが。非常に強い資本主義の中で生き残っていくためには、日本人が太刀打ちできるものなんて、そもそも存在するはずもない。これは文明論的な話です。

みんなの介護 そんな日本人が、それでも生き残っていくためには、どのような考え方に立てば良いのでしょうか?

宮台 グローバル化のもとでは日本人の生き残り確率は、もともと非常に低いと考えざるを得ません。このままではね。ではどうすれば良いか?それは、長いスパンで考えて初めて見えてくる問題です。歴史上、小手先の制度をいじくり回して生き残れたところはほとんどありません。だから、日本人が長い間、時間をかけて培ってきた習慣に基づいてできたしきたりや掟を、どのように心にもっておくか。基本的にはそこだと思います。

撮影:公家勇人

関連記事
医師・医療ジャーナリスト森田豊氏「認知症になった母への懺悔 医師である僕が後悔する『あの日』のこと」
医師・医療ジャーナリスト森田豊氏「認知症になった母への懺悔 医師である僕が後悔する『あの日』のこと」

森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07
【まずはLINE登録】
希望に合った施設をご紹介!