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平田オリザ「世界的アーティストと触れあえる機会を与えることが子どもたちの未来への投資だと思う」

最終更新日時 2020/03/30

平田オリザ「世界的アーティストと触れあえる機会を与えることが子どもたちの未来への投資だと思う」

日本を代表する劇作家の平田オリザ氏による“演劇のまちづくり”が注目を集めている。場所は兵庫県豊岡市。城崎温泉で知られる人口約8万の地方都市だ。昨年、平田氏は家族とともに同市へ移住。この春、主宰する劇団『青年団』の移転も完了した。2019年9月には「5年でアジア最大、10年で世界有数の国際演劇祭を目指す」と意気込む「豊岡演劇祭」を開催。2021年には観光とアートを融合した国際観光芸術専門職大学(※)を開校し、自ら学長に就任する予定だ。矢継ぎ早に繰り出される前例のない地方発の文化プロジェクト。今、なぜ、東京ではなく地方なのか、話を伺った。※仮称・認可申請中

文責/みんなの介護

負の遺産を「アートの場」として再生国内に限らず海外からの申し込みも

みんなの介護 東京生まれの平田さんにとって、地方移住や劇団の移転は大きな決断だったと思われます。一体、何があったのでしょうか。

平田 もともと豊岡市と縁はなかったんです。たまたま、僕が文化講演会で訪れた際、「城崎の温泉街のはずれに、ほとんど使われてないコンベンション施設があります。建設当時はさまざまな学会や労働組合の大会などを誘致することで周辺の旅館業も潤うだろうと期待されていたのですが、まったく稼働しなかったため県から市へ払い下げられてお荷物になっています。この施設を中貝宗治市長が劇団やダンスカンパニーなどに貸してみてはどうかと思いついたのですが、いかがなものでしょう?」という相談を受けた。それがそもそものきっかけでした。

みんなの介護 いわゆる“ハコモノ行政”の負の遺産の再生を平田さんが請け負ったわけですね。一体どのような施設に生まれ変わらせたのですか。

平田 幸いなことに、ダンスのカンパニーが大きな作品を創るのにも十分なスペースが確保できることがわかったので、地元の方たちも交えて協議を重ねた結果、今まで日本になかった舞台芸術の「アーティスト・イン・レジデンス」の施設をつくろうということで話がまとまりました。

そして、24時間いつでも自由に稽古できる6つのスタジオと、最大23名が泊まれる自炊設備付き宿泊施設を完備した「城崎国際アートセンター」(KIAC)が2014年にオープン。それまで年間20日くらいしか使われていなかった施設が、ほぼフル稼働するようになり、海外からも使用の申し込みが来るようになったんです。

アーティストと地元の方との触れあいの場を創造する

みんなの介護 利用者はどういった人たちなのでしょう。

平田 いずれも世界のトップクラスのクリエイターや将来を嘱望される若手ア―ティストたちばかりです。利用者は公募によって選ばれ、3ヵ月を上限に無料で滞在が可能。年間15団体くらいに滞在制作をしてもらっています。

利用したアーティストたちの口コミもあって、KIACの存在はわずか数年のうちに世界の演劇とダンス界に知れわたり、城崎は「世界的なアーティストが普通に歩いている街」になりました。はっきりした数字では言えませんが、2012年から2017年の5年間で40倍に伸びた城崎のインバウンドにも少なからず貢献しているとも思われます。

みんなの介護 つまり、文化に目を向けたことで、ハコモノ施設の収益以上のメリットを得たわけですね。

平田 そもそも城崎は長い間、文豪・志賀直哉の『城の崎にて』の舞台として全国に知られ、「温泉と文学のまち」としてほかの地域との差別化を図ってきました。かつては、それぞれの旅館が、有島武郎、泉鏡花、島崎藤村といった文人墨客を招き、掛け軸などへの一筆書きと引き換えに無料で長逗留(ながとうりゅう)させてきたという歴史もあります。

KIACを利用するアーティストにも「短期的な成果は問わない」代わりに、公開リハーサルやワークショップや地元の小中学校でのモデル授業などを行ってもらっています。

それらの結果として、城崎の小中学生は、つねに世界トップクラスのアーティストと触れあい、興行として招聘すれば1団体数百万円かかる劇団やダンスカンパニーの作品を無料で観る機会に恵まれることになったのですが、実は、このことこそが、観光の街・城崎の未来への大きな投資になるだろうと僕は思っています。

その点を兵庫県も評価してくれて、来年、日本ではじめて演劇やダンスを本格的に学べる県立の国際観光芸術専門職大学が豊岡市に創設されることになりました。僕が移住したのは、その大学の学長就任を依頼されたためです。

劇団の移転も生産拠点を移すだけのこと。作品は豊岡で創り、公演は今まで通り東京や大阪で行なえばいい。企業でいえば工場の移転のようなものです。

“教育”“医療”“文化”、水準が東京より劣っていなければ移住をしない理由はないんです

次のテーマは「文化観光政策に必要な人材育成」と「世界的演劇祭の開催」

みんなの介護 来春、平田さんが学長に就任される国際観光芸術専門職大学は、どういう目的で創設されるのですか。

平田 日本の場合、観光は国土交通省の観光庁、文化は文部科学省の文化庁と、別々の省庁の管轄になっていますが、ほかの国では観光政策と文化政策は一体化しているケースの方が主流です。

ここまで日本のインバウンドは東アジアの経済発展に助けられてきました。問題は次の段階。2回目、3回目の旅行先として、欧米ではなく日本をもう一度選んでもらえないと先細りになってしまいます。

従来型の物見遊山の観光では1回見にきたらそれで終わりですから、そうならないように文化観光へシフトしていかなければなりません。よくモノからコトへと言いますが、その意味において文化観光政策というのは非常に重要なんです。

少し前から日本のナイトカルチャー、ナイトアミューズメントの脆弱さも指摘されています。そういった分野を担える人材を育成するというのが、国際観光芸術専門職大学の担う役割になります。

みんなの介護 KIACの成功、専門職大学の創設の延長線上には、豊岡での世界的演劇祭の開催計画があると聞いています。

平田 ヨーロッパの映画祭や演劇祭の場合、開催地に3泊4日くらいの日程で滞在すると10本とか15本の映画や演劇が観られます。また、夜はフェスティバルカフェというのがあって、アーティストも観客も一緒にお酒を飲みながら観たばかりの作品の感想なんかを語りあえる。それが向こうのリゾート型のアートフェスティバルの特徴で、映画祭で有名なカンヌの人口は7万人、世界一の演劇祭が開催されているアヴィニョンの人口は9万人。豊岡は8万人ですから、ヨーロッパで行われているアートフェスティバルの規模ともちょうど合致します。それくらいの規模だと、集中して資本を投下することによって非常に大きな波及効果が得られる。その成功モデルを豊岡でつくりたいと思っているんです。

“東京標準”ではなく“世界標準”が地方を救う

みんなの介護 お話を伺った限り、豊岡市は地方創生の理想的なモデルだと思われます。なぜ、短期間でここまでの成果を上げることができたのでしょう。

平田 これまで地方創生というと、自治体は雇用のことばかり言っていたんですが、そこには2つの誤謬(ごびゅう)がありました。

1つ目は、「大都市への若年層の労働力流出を阻止しよう」という考え方が昭和の時代のままだったということ。

重要なのは囲い込みではなく、進学のために地元を離れた若い人たちが、どうすれば戻ってきてくれるか。東京や大阪での暮らしを経験した彼らは、いくら雇用があったところで地元に魅力がなければ帰ってきません。雇用は必要条件ではあるけど十分条件ではなくなっているんです。

2つ目は、雇用優先は男性目線の政策だったということ。男性の雇用さえ確保すれば、妻や子どもが黙ってついてくるというのは、今や過去の話です。普通に考えてもらえばすぐわかると思いますが、今ではJターンにしろUターンにしろ、奥さんが反対したら移住なんてありえない。最終的に決めるのはどちらかといえば奥さんで、うちの劇団でもそうでした。

例えばある家庭で、女優をしている奥さんが移住を希望し、それから旦那さんが採用試験を受けて豊岡市役所で働くことになった。もう、そういう時代なんです。

みんなの介護 移住を決める際、女性は何を判断基準にしているのですか。

平田 もちろん雇用や年収も大事ではあるのだけど、それよりも重視されているのが“教育”“医療”、そして広義での“文化”。要するに、それらの水準が東京より著しく劣っていなければ、移住をしない理由はないんです。

Iターン者に話を聞くと、移住先の下見の際には必ず図書館を見に行くそうです。子育て世代なら絵本が充実しているかどうか。いずれにしても図書館というのは、その街の文化政策の顔のようなものですから、そこが貧弱だと「ちょっとこの街は」ということになる。

豊岡市はいち早くそこに目をつけ、女性が帰ってきたくなる、女性が移住したくなるような街をつくろうと考えた。文化体験はそのシンボルで、豊岡に住めば子どものうちから「世界標準」の演劇やダンスに親しめるというのを売りにしたわけです。

「東京標準」ではなく「世界標準」。

何ごとも東京標準で考えるから若者たちは東京を目指してしまうのであって、世界標準で考えるようになれば、東京へ出て行く必要はなくなる。あるいは出て行っても戻ってくることに躊躇がなくなる。それが豊岡市の基本的なスタンスなんです。

青年団なら結婚して子どもを産んでも女優を続けられる

みんなの介護 平田さんが主宰する劇団『青年団』の少子化対策について聞かせてください。

平田 いえ、貧乏な劇団ですから、そんな大したことをしてきたわけではないんですよ(笑)。例えば、劇団員には「公演の期間中は受付に○回入らないといけない」といった約束ごとがあるわけですが、子どもができた劇団員はそれを免除されるとか、本当に小さなことの積み重ねなんです。ただ、20年前の演劇界にはそういった取り組みが皆無だったので、若い独身の男性劇団員からは「なんで子育てしてる人ばかりが優遇されるんですか」とストレートに疑問をぶつけられたこともありました。

みんなの介護 その疑問にはどう答えられたんですか。

平田 「たぶん、これからの世の中はそうなっていくし、こういうやり方をしている劇団の方が才能のある人も集まってくるようになる」と答えました。実際、10年くらい経ったころから「青年団なら結婚して子どもを産んでも女優を続けられる」という理由で入ってくる劇団員が増えました。

おかげで女優が子育てのために、ロングラン公演や再演に出演できなくなっても代役を立てられるようになり、さらに安心して子どもを産めるようになった。舞台に出られないという精神的負担が軽減されたんですよ。

みんなの介護 まさに先見の明だったのですね。しかし、なぜ子育てが重視される世の中がやってくることを予見できたのでしょう。

平田 大学生の頃、僕が韓国の大学に留学することが決まったとき、母方の親戚から「あなたのお母さん(注/平田慶子氏・心理カウンセラー)も外国に留学したがっていた。けれど、あなたが生まれたので諦めた」という話を聞かされ、とてもショックを受けたんです。

母はフェミニズムの体現者でもあり、僕が妻ばかりに家事をさせていると、よく小言も聞かされました。だから、「女性が結婚や出産で人生の何かを諦めることがないような社会にしたい」という思いは、そういう母から受け継いだものだといえます。

出産・子育てをしている母親の自由を保障しなければ日本の少子化問題は解消されない

みんなの介護 平田さんは今の日本の少子化対策には「子育て中のお母さんが、昼間に子どもを保育所に預けて芝居や映画を観に行っても、後ろ指を指されない社会をつくること」という視点が欠けていると著書で述べられています。

平田 子育てのために何らかの犠牲を母親に強いる社会はおかしいという話です。

子育て中のお母さんが息抜きも許されないような世知辛い社会では、子どもを産もうという気持ちにならない女性が増えるのは当たり前でしょう。

もっといえば、日本の政策はあまりにもマインドの部分を無視しています。少子化対策というのはまさに人間の問題。恋愛も結婚も出産も子育てもすべて個人の自由であって、産まない権利もあれば結婚しない権利もある。逆にいうと、前提として行政が手を出せることは非常に限られている。「子ども1人あたりいくらの支援金を出します」というやり方は、本来福祉の一線を超えています。

したがって、今、行われているような子育て支援では、やればやるほど女性たちから「私たちを子どもを産む機械か何かだと思ってるんじゃないの」と反感を買ってしまう。

つまり、必要なのは「お金を出すから産みなさい」と言わんばかりの政策ではなく「産んでくれて、育ててくれてありがとう。これからは今まで以上に人生を楽しんでください」というような支援のあり方。子育ては女性がやらなければならない、という空気感を社会全体で変えていく取り組みにほかならないと僕は思っています。

アーティストの役割は、人々に意識されていなかった魅力を可視化させること

子育て世代の移住促進が地方の少子化緩和につながる

みんなの介護 子育てをするうえで障壁とされている「待機児童問題」も、人口の集中する都市部と過疎化が進む地方では、まるで中身が異なるといわれています。同じ保育園不足でも、都市部では子どもの数に対して施設が少なすぎる。一方、地方では子どもの数が少なすぎて施設を維持できない。ご家族とともに地方へ移住された平田さんは、そのあたりについてはどのようにお考えですか?

平田 僕は全国の小中学校でもいろんな活動を行っているので肌で感じているのですが、本当に子どもの数は減っています。その危機感は東京の比ではなく、このまま放っておけば地域社会が消滅してしまう、という切羽詰まった状況になっています。

統計データから見ても、日本の少子化は止めようがありません。それでも、おっしゃるように、子育て世代の地方移住を促進すれば抜本的解決までは望めないまでも、当面の緩和策にはなり得ます。

地方の小さな街へ移住すれば、もっと子どもを産みやすくなるのは事実で、実際に“まちぐるみの子育て”で知られる岡山県奈義町では3人目、4人目を産んでいる女性がかなりいて、2014年には「出生率2.81」という、全国でもトップクラスの数字を押し上げています(注/2016年の全国平均は1.44)。

東京でも人口が減ればもっと子育てがしやすくなるのですが、今の段階では地方に成功例をつくって移住を促進し、ゆとりある環境のもとで子どもを育ててもらうことが現実的です。

若者が地方に帰る理由は“働き口”ではなく“地元の魅力”

みんなの介護 平田さんは若者が面白いと思えない街ばかりになってしまったことも、地方衰退の原因だと著書で述べられていました。

平田 日本中、どこへ行っても地方都市の風景は判を押したように均一化してしまい、若い人たちは自分の生まれ育った街に誇りが持てなくなってしまった。大人たちは大規模なショッピングモールのような商業施設ができれば便利になったと喜びます。でも、毎週末をそこで過ごして育った子どもたちは、結局、より便利なところを目指してしまう。そしていったん東京や大阪へ出てしまうと、よほどのことがない限り帰ってきません。

僕は長いこと大学でも教えていますが、彼らは口を揃えて「地元はつまらない。だから帰らない」と言っている。前回も話したように雇用がないから帰らないわけではなく、地元に魅力がないから帰る気にならないんです。

みんなの介護 なるほど。つまり、魅力のある街を創れば若者は帰ってくると。

平田 はい。そこで求められるものの1つが、アートの力なんです。『瀬戸内国際芸術祭』はなぜ成功したか。まず、あの瀬戸内海の島々の風景の素晴らしさについては皆がわかっていました。そこに世界的なアーティストたちを招いて「あなたなら、ここにどんな作品を展示したいですか」と問いかけたことによって、美しい景色とアートのマッチングがおこなわれ、日頃見慣れていたはずの風景が刷新されて新たな価値が生まれたんです。

北海道の富良野もそう。当初、あの山々やラベンダー畑が観光資源になるとは誰も思っていませんでした。そこに倉本聰という天才的なシナリオライターがやってきて、『北の国から』というドラマを創作し、あの場所に言葉を与えたことで、あの景色の美しさに地元の人も気がついた。アーティストの役割はそういう意識されていなかった魅力を可視化することなんです。

演劇は子どもたちに競争させるのではなく居場所を与えてあげられる

みんなの介護 まず、なぜ演劇はコミュニケーション教育に有効なのでしょう。

平田 いくつかありますが、対象が子どもの場合、注目されている効果は“役割分担”です。僕は小学校の先生方にはよくこう言ってます。

「声の小さい子がいたら、無理に大きくするようにしないでください。その子には“声の小さい子という役”をやらせればいいんです。そして“声の小さい役うまいね”と褒めてあげてください。自信がついて声も大きくなります」(笑)。

音楽教育や美術教育も素晴らしいですが、どうしても技術を競うことになってしまいがちです。それに対して演劇は、どんな子にも居場所をつくりやすい。ここが一番だと思います。

みんなの介護 自己表現の前に、まずは居場所を与えてあげるのですね。

平田 はい。それが組織の中においても「自分はかけがえのない人間である」と思える自己肯定感や自己効力感につながります。かつては、表現力を身に着けるために演劇が活用されていました。でも、今はそんなふうに優先順位が変わってきています。

次に有効なのが“フィクション(虚構)の力”。アクティブラーニング(体験学習、グループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワークなどの能動的な学びの授業)で話し合いをさせても、同調圧力が非常に強い社会の中で育ってきた日本の子どもたちは、先生にウケのいい落としどころを想定してしまいます。

しかし、それでは意味がありませんから、議論せざるを得ない、対話せざるを得ないような設定をしてあげるのが大事になってきます。そういうときにフィクション性が必要になってくるんです。

シンパシー(同調)からエンパシー(共感)へ

平田 具体例をあげましょう。福島第1原発から南に25km、放射線量の低い広野町に新設された「福島県立ふたば未来学園高校」で、僕は地域の課題を発見してそれを演劇にするという授業を1学年全体でやっています。

何が正しいとか正しくないかとかではなく、今、自分たちが暮らしている街がどういう状況になっているのかを演劇にする。例えば、震災後の仮設住宅には、原発事故で家を失って多額の賠償金を受け取った人もいれば、津波で家を失ってわずかな見舞金しか支給されなかった人もいました。普通なら堪えられない理不尽さを言葉や形にして、まずは何が今の福島の課題なのかを意識化していく。そういうことをやろうとするとき、演劇は非常に力を発揮するんです。

さらに、いろんな価値観や意見や異なる文化的背景を持つ人々を描くことは、他者理解にもつながります。他者と同化するのではなく、なぜ他者はそう思い、行動したのかについて思いを馳せる。これは最近の教育の世界で“シンパシー(同調)からエンパシー(共感)へ”という言い方をされているんですが、この「エンパシー」を持つということが大事なんです。

演劇的なスキルを身に着ければ、介護する側もストレスが軽減されます

認知症の治療に演劇を取り入れる

みんなの介護 演劇を交えた独自の介護のワークショップというものがあると聞きました。青年団の劇団員である菅原秀樹さんも行っていて注目を集めているそうですが、どういう方法論なのでしょう。

平田 東北大学の藤井昌彦先生が認知症の治療に演劇を取り入れた「演劇情動療法」を実践されているのですが、菅原くんのワークショップも基本的には同じ考え方です。

認知症というのは、計算や記憶をつかさどる「大脳新皮質」が衰えることで発症する一方で、感情や情動をつかさどる「大脳辺縁系」が活性化して制御できなくなっている状態です。だから認知症の人は喜怒哀楽の感情の起伏が激しくなる。ならば、それを理解して対応すればいいという考え方です。

例えば、認知症のおばあちゃんから「財布がない。あなた盗んだでしょう」と言われたとしましょう。そのとき、「盗んだなんてとんでもない。おばあちゃんがどこに置いたか忘れたんでしょう」と、まともに受け答えしてしまうから問題行動がひどくなる。

そうではなくて「お財布がないの?それは大変!」と演劇的に驚いて、一緒に探してあげればいい。一生懸命探している演技を15分もしていれば、そのうちおばあちゃんも疲れてきて、お茶でも飲んで一息ついた頃には財布のことも忘れてしまう。こういった演劇的なスキルを身に着ければ、介護をする側もストレスが軽減される。

みんなの介護 なるほど!それはこれから必要不可欠なスキルかもしれません。

平田 「演劇情動療法」を行っている仙台の病院では認知症患者に処方されている薬の使用量も減っています。介護の現場で服用される薬の多くは精神安定系のものですから、気分が安定すれば必要もなくなっていくわけです。

藤井先生は「認知症の方というのは忘れる力が強い方です。人間はつらいことを忘れたほうがいい」とおっしゃっています。認知症それ自体をまったく否定的に捉えていない。認知症の診断テストで行われる「100-13」というような問題からして、意味がないというお考えなんです。

実際、そういうことを考えなくてもいいと言われた瞬間から、認知症の人たちは計算が必要なときは電卓を使うようになり、かえって自分でできることが増える。結果として気分が落ち着き、薬の使用量や徘徊や突然怒りだすといった問題行動も減少するんです。

北欧で行われている演劇を用いた職業訓練根本的なマインドの変革を起こす

みんなの介護 聞くところによれば、北欧では演劇を新しい仕事に就くための職業訓練として取り入れているのだとか。どういった取り組みなのでしょう。

平田 デンマークなどでは、延長して最長で雇用保険の給付を2年から3年受けられます。その間、演劇やダンスのワークショップ、ボランティア体験などを含む職業訓練プログラムへの参加が義務づけられているんです。

そこで、とくに製造業に従事していた人たちに、人の笑顔が自分の幸福になるという体験をたくさんさせる。そうすることでマインドを変えていくわけです。

日本ではどういうことが行われているかというと、いまだに高度成長期の工業立国の頃の名残で手に職をつけさせようと、コンピュータの使い方とかを教えています。まるで刑務所の受刑者に木彫を教えて「おまえはこれで一生食っていけ」とやっているみたいなイメージです。

みんなの介護 職業訓練の概念が根本から違うんですね。

平田 今の世の中では手に職ではなく、転職する力、職を見つけられる力、面接に強くなるコミュニケーション能力のほうが大事。仕事自体はそれほど高度化しているわけでもないんです。

みんなの介護 日本では製造業などから介護業界への人材シフトが叫ばれていますが、現状、まったくといっていいほどうまくいっていません。

平田 霞が関は製造業がだめになったのなら、人手が足りない介護業界に移動させればいいじゃないか、と簡単に考えているのでしょうがそうはいきません。少子化対策と同じで、これもマインドの問題なんです。

僕は2001年に『芸術立国論』という本を書きました。構造改革のさなか、もはや工業立国ではなくなった日本の再生のカギは芸術文化にあるというビジョンを示した内容でした。しかし、それからずいぶん時間が経ちましたが、僕の思い描いたような形にはなりませんでした。

なぜ、そうならなかったのか?歳を重ねて、今ではその理由がわかります。

つまり、少なくなったとはいえ国民の3割が従事している製造業の人たち─変わりたくても変われない人たち、あるいは変わりたくない人たちへの眼差しが欠けていた。彼らが第3次産業に転換していく際に伴う痛みや寂しさやノスタルジーと、まだその時点ではきちんと対峙できていなかったんです。

いずれにせよ、人材を製造業から介護業界へ推し進めようとするなら、まずは、もともとコミュニケーションが不得手な人たちにコミュニケーション能力を身に着けさせる取り組みが不可欠です。そういった視点が欠落しているかぎり、いくらお金を使って就労支援を行ったところで効果は上がらないと思います。

撮影:公家勇人

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森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07