山崎直子「宇宙飛行士には協調性に加えて、適応性、情緒安定性、意志力などさまざまな能力が求められる」
日本人2人目の女性宇宙飛行士として2010年4月、米スペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗、国際宇宙ステーション(ISS)の組立補給ミッションを果たした山崎直子氏。現在は、内閣府宇宙政策委員会をはじめ、一般社団法人スペースポートジャパン代表理事を務めるなど、宇宙を身近にする活動をしている。そんな山崎氏に宇宙飛行士を目指したきっかけから、宇宙飛行士候補に選ばれるまでの経緯(いきさつ)について、話を聞いた。
文責/みんなの介護
すべてはチャレンジャー号の爆発事故から始まった
みんなの介護 山崎さんが宇宙飛行士になることを決意したのは、1986年1月28日、米スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故をテレビで観たのがきっかけだったそうですね。このとき、同機に搭乗していた7名の宇宙飛行士は命を落としましたが、宇宙に行くことを「怖い」とは思わなかったのですか?
山崎 そうですね、そういう風には思いませんでした。それにはいくつかの理由があると思います。
事故があった1986年というのは、その前年に毛利衛さん、向井千秋さん、土井隆雄さんの3人が宇宙飛行士に選抜され、「日本人が宇宙に行く」ということが具体的になった時期でした。ですから、チャレンジャー号には打ち上げ前から日本中の注目が集まっていたんです。
中でも私が興味を持ったのは、1万1,000人の志願者の中から初の民間人宇宙飛行士としてクリスタ・マコーリフさんという女性の高校教諭が選ばれていたことでした。小学生のころから学校の先生になりたいと思っていた私にとってクリスタさんは身近な存在に思え、彼女が宇宙からテレビカメラを通じて宇宙授業をするというのを楽しみにしていたんです。
みんなの介護 打ち上げの様子は、深夜1時過ぎにテレビ中継されましたね。山崎さんもそれを観たのですか?
山崎 当時、中学3年生だった私は高校受験の追い込みに懸命になっていたころで、お茶の間のテレビに映る中継を横目に見ながら勉強していました。
真っ青な大空に巨大な大蛇がのたうつように白煙をあげている映像は、非常にショッキングで…。
ですが、その後、レーガン大統領が弔辞で宇宙計画の続行を宣言したり、生前のクリスタさんのインタビュー映像などに触れるうち、「クリスタさんの果たせなかった思いを私も継ぐことができたら…」と思うようになっていきました。
ユニークだった閉鎖環境での適応試験
みんなの介護 その後、お茶の水女子大附属高校から東大、アメリカ留学、東大大学院を経てNASDA(宇宙開発事業団、現・JAXA)に入社した山崎さん。宇宙飛行士への道を着実に歩んでいたように見えます。
山崎 就職先にNASDAを選んだのは、宇宙飛行士になるためというより、大好きな宇宙開発の現場で働きたかったからです。大学では宇宙工学を学び、卒業制作では長期滞在型の宇宙ホテルの製図をしたくらいですからね。
ただ、NASDAに入社して、国際宇宙ステーション(ISS)に搭載する日本実験棟「きぼう」の製造などの仕事に携わって3年目の1998年春、宇宙飛行士候補の選抜試験の公募が始まって挑戦することにしたんです。
みんなの介護 この選抜試験には、864名の志願者が集まったそうですね。どんな試験が行われたのですか?
山崎 まず、書類選考があります。私はアメリカ留学中に1度、応募したことがあるんですが、実務経験がなかったので落ちているんです。このときの2度目の挑戦では無事、それを通過することができて、第三次まで試験を受けることになりました。
第一次試験は、一般教養や専門知識に関する筆記試験。
第二次試験は英語や専門分野に関する面接試験と詳細な医学検査があるんですが、そのあとに受ける第三次試験がユニークというか、とても変わった試験でした。
みんなの介護 ユニークな試験…というと?
山崎 このときは、ISSに長期滞在するミッションに参加する宇宙飛行士を選抜する、最初の試験でしたから、ISSに設置されている日本実験棟「きぼう」を模した閉鎖環境適応訓練施設に1週間、第三次試験まで通過した8名が過ごすというものでした。
訓練施設は、実験モジュールと居住モジュールに分かれていて、それぞれの広さは大きめの路線バス2台分くらい。閉鎖環境というからには、窓もなければテレビも電話もなく、寝起きをするベッドやシャワールーム、トイレ以外の場所には計5台の監視カメラが設置されていて、24時間監視されています。
面白かったのは、この中で過ごす8名はAからHまでのゼッケンを身につけていて、試験官とマイクで会話をするときなどは名前ではなく、「Aさん」「Bさん」と呼ばれるんですが、最年少で唯一の女性だった私は「Hさん」でした。
ワープロ打ちにジグソーパズル、一体、何を試されているのか?
みんなの介護 閉鎖環境の中では、どのようなことをして過ごすのですか?
山崎 午前6時に起床して、メンバー全員が集まって最初に取り組むのが朝昼晩の食事のメニュー選びです。
訓練施設が置かれている筑波宇宙センターの食堂のメニューから選ぶんですが、めいめいが好きなものを選べるわけではなく、全員が同じものを食べなければなりません。
誰かにアレルギーがあって、食べられないメニューがあると外したり、「肉の次は魚がいい」なんて希望を言いながら話し合いで決めるんです。おそらく、そうしたやりとりも試験の対象になっていたのでしょう。
その後、スピーカーを通じて試験官から課題を与えられ、それに取り組むことになります。
みんなの介護 どんな課題が与えられるのですか?
山崎 1人で取り組む個別作業をはじめ、それからチームを2つに分けて4人で力を合わせて行うものもありました。
例えば個別作業では、「ワープロ打ち」というのがありました。A4の紙1枚に脈絡のないアルファベットの文字列が印字されていて、それを2時間以内に10回繰り返して写すんです。
それから、144片の絵柄のない真っ白なジグソーパズルを、3時間以内に組み立てるという課題もありました。やってみると意外に難しく、制限時間をすべて使っても数10ピースを残してしまい、完成させることができませんでした。
「まずいなぁ」と思いましたが、メンバーの中で完成できた人が1人もいなかったのでホッとしましたけどね。
ディベート試験に苦しんだ理系オタク
みんなの介護 そうした作業は、集中力や忍耐力がどれだけあるのかを試されているのでしょうか?
山崎 おそらく、そうだと思います。あと、医学的な観点からストレスに対する耐性を実験する目的もあったと思います。試験官の中には医師や心理学者もいたそうですし、私たちも毎朝、問診票を提出し、体重を測ったりもしていましたから。
その一方、グループでの作業の中には楽しんで取り組むことができるものもありました。
「ISSに搭乗している宇宙飛行士たちの心を和ませるロボットを作れ」という課題では、理系オタク、メカオタクのメンバーたちとレゴブロックを使ってアイデアを出し合い、試験であることを忘れるほど熱中して取り組みました。
けっこう苦労したのが、ディベートの課題です。「小学校の学級崩壊にはどう対処すればいいか」「尊厳死の法制化を認めるか」などというテーマで肯定側と否定側でチームを振り分けられ、議論を戦わせるのです。
チーム分けは試験官が決めるので、自分の本来の意見とは別の主張をしなければならないときもあり、理系の勉強ばかりしてきた私にはむずかしく感じました。
みんなの介護 確かにユニークな試験ですね。最終的に山崎さんは、古川聡さん、星出彰彦さんとともに候補者に選ばれるわけですが、ご自分では何が評価されたのだと思いますか?
山崎 選抜試験の応募条件には、「協調性、適応性、情緒安定性、意志力等」と書かれていますが、私のどんな行動が評価につながったのかは明かにされないんです。
強いて言えば、1週間を終えて、「案外、楽しかったな」と感じたほど、運動部の合宿のようなノリで馴染んでいたことが良かったのかもしれませんね。
みんなの介護 こうして山崎さんが宇宙飛行士候補になったのが、1999年のこと。その後、宇宙ミッションに参加して宇宙へ行けるようになるまでには、なんと11年間もかかっているわけですが、それについてはインタビュー中編でお伺いすることにしましょう。
マイナス20℃の極寒で行われた陸上サバイバル訓練
みんなの介護 宇宙飛行士候補になって、約2年の基礎訓練を受けると正式に宇宙飛行士に認定されるわけですが、すぐに宇宙に行けるかというと、そうでもないんですってね?
山崎 その通りです。そもそも宇宙開発事業は、国家がかかわる巨大プロジェクトで、複数の国の政治、経済、社会事情などによっていろいろな影響を受けます。ですから、「宇宙に行けるのは何年後」とあらかじめ決められているわけではないのです。
また、基礎訓練のあとにも、さまざまな訓練があります。スタッフとして地上業務や同僚のミッションのサポートをしながら行うアドバンス訓練をはじめ、ミッションに任命された段階での実地訓練など。
それから、私と古川さん、星出さんの3人は「ISS搭乗宇宙飛行士」として選ばれましたが、認定を受けた時点でISSに行く乗り物がアメリカのスペースシャトルか、ロシアのソユーズかは決定していませんでした。
そのため、ISS搭乗のための訓練だけでなく、スペースシャトルとソユーズという、合わせて3つの認定を受けるための訓練もしなければなりませんでした。
みんなの介護 どの訓練も過去に経験したことのないようなものだったと思いますが、特に印象に残っている訓練はありますか?
山崎 ひとつ挙げるとすれば、ロシアで行った陸上サバイバル訓練でしょうか。
ソユーズは、着陸施設のあるスペースシャトルと違い、地球に帰還するときはパラシュートのついた3人乗りのカプセルに乗って地上に降下します。
そのとき、何らかのアクシデントがあって海上に落下したり、雪原に落下したりする可能性があるので、そのような最悪の事態を想定して、海上と陸上でサバイバル訓練をするんです。
陸上のサバイバル訓練は、モスクワからトラックで数時間、北上したところにある極寒の原野で行われました。
パラシュートを再利用して設営したテントの中で、カプセルの中に搭載されているサバイバルキット──その中には樹を切るための斧や、猛獣を撃退するためのライフルなどもありました──を駆使しながら3人のクルーが3日間、救援隊が来るのを待つ、という設定です。
気温はマイナス20℃でしたが、風があるので体感温度はそれ以下でしたね。防寒着を着て、木やパラシュートでテントは作るものの、横になると雪の冷たさが体に染みて初日は一睡もできず…。
2日目はなんとか眠れたものの、目が覚めたときには寒さで手足がしびれて感覚がなく、しばらくの間動かすことができませんでした。
みんなの介護 プロの探検家や登山家でもない山崎さんが、よくそんな過酷な訓練に耐えられましたね。
山崎 この訓練は宇宙飛行士になるために必要な訓練なんだと、目標を持っていたからこそ、耐えられたのかもしれません。
それから、クルーは私と古川さん、そしてもう1人がロシア人の方だったんですが、焚き火を囲みながらロシア語を教わったり、適度に息抜きをして、過酷な状況の中に楽しみを見つけることができたのも良かったのかもしれません。
コロンビア号の空中分解事故が運命を大きく変えた
みんなの介護 2003年2月1日、スペースシャトル・コロンビア号の空中分解事故が起こります。宇宙からの任務を終え、地球に帰還するため大気圏に再突入したコロンビア号が空中分解し、7名の搭乗員全員が死亡する大惨事となりました。この悲劇は、山崎さんにどんな影響を与えましたか?
山崎 中学3年生のときにテレビで観たスペースシャトル・チャレンジャー号の事故は、私を宇宙飛行士になるという夢に結びつけてくれましたが、このコロンビア号の事故はスペースシャトルやISSの建設計画が延期されるきっかけとなり、宇宙から私を遠ざけてしまう結果を招きました。
何より、事故で亡くなった搭乗員たちとは訓練でも会ったことがあり、人となりを知っている仲間だっただけに悲しさも大きかった。
みんなの介護 悲しみを乗り越えるには、時間がかかったでしょうね…。
山崎 このコロンビア号の事故で悲しみに暮れる遺族に接し、自分が目指していることが、事故が起きれば家族を悲しませることになるという現実に心が折れそうになりました。
ただ、スペースシャトルの運航が中断した代わりにロシアのソユーズに乗るための訓練が始まったので、意識をそちらに向け、できることに集中するようにしました。
もっとも、私生活では2歳にもならない娘を夫に託して単身でのロシア赴任でしたから、家族に迷惑をかけて申し訳ないという気持ちを抱えながらでしたけれども。
スペースシャトルの飛行再開後も、「今度は私の番かも」と期待して、そうではないことが続き、長丁場の中で心が折れそうになることもありました。しかし、初心の目的意識を要所要所で思い出しましたし、また日々の訓練自体は大変だけれども楽しいと思えました。日々の小さなことを楽しむことが、モチベーションに繋がるのだと思います。
宇宙に行って感じた「懐かしさ」とは?
みんなの介護 スペースシャトル計画はその後、紆余曲折を経て再開し、山崎さんは2010年4月、ディスカバリー号での国際宇宙ステーション(ISS)の組立補給ミッションに搭乗します。宇宙飛行士候補になってから足かけ11年かかったわけで、感慨深かったのではないでしょうか?
山崎 それは、もちろんです。スペースシャトルは打ち上げから8分30秒後に大気圏を離れて無重力の世界に入るんですが、それまで何度も想像していたのと違って、なんだか懐かしい気分になりました。
みんなの介護 初めての宇宙なのに懐かしいとは、どういうことでしょう?
山崎 スキューバダイビングで、海に潜ると母親の胎内にいたときのような感覚になると言う人がいますね。それと同じような感覚なのかもしれません。
宇宙のすべての物質は、約138億年前のビッグバンによって生じた「宇宙のかけら」を素にしてできています。地球も、それから私たち生物の身体も例外ではありません。
そういう意味で宇宙は、遠い彼方の存在のようでいて、実はもっとも身近な心のふるさとなんですね。
みんなの介護 素晴らしい体験ですね。ISSと地球の宇宙中継では、すでにISSでの任務に就いていた野口聡一さんの横笛と、子どものころから習っていた箏(こと)の二重奏で「さくらさくら」を披露されました。その他、「瑠璃色の 地球も花も 宇宙の子」という俳句を詠まれた映像が多くの人の記憶に残っています。とはいえ、実際のミッションでは物資移送責任者を務め、分刻みの忙しさだったそうですね?
山崎 そうですね。私がISSに滞在したのは11日間で、往復15日間のフライトでしたが、振り返ってみると本当にあっという間の出来事だった気がします。
当たり前の日常のすべてがありがたい
みんなの介護 ところで、宇宙から地球に帰還した宇宙飛行士の中には、精神的に燃えつきてうつ病になったり、人生観が変わって宗教家になったり、科学文明から離れた生活をしたりする人がいます。山崎さんには、そのようなことが起こらなかったのですか?
山崎 私にとって宇宙体験は、短い期間でしたけど確かに人生観が変わるくらいの大きな出来事でした。
地球にいる私たちは普段、空はどこまでも高く続くように感じ、その先に星空を見て宇宙を感じていますけど、宇宙のほうから地球を見ると、大気の層はタマゴの殻のような薄い層のように見えます。こんなに薄い空気の層の中で私たちは暮らしているんだと驚きました。
それから、スペースシャトルが大気圏に再突入するとき、機内に重力が戻ってくるんです。手を挙げるのがだんだん重くなっていくのを身体で感じるとともに、「地球に還ってきた!」と実感したのを覚えています。地球の重力をこのように愛おしく感じたのは、このときが初めてでした。
みんなの介護 地球にいると当たり前のことが、宇宙で15日間過ごしただけで当たり前のことではないことに気づくわけですね。
山崎 ええ、そうです。ISSの中は地上と同じ1気圧に保たれていて空気も常に循環しているんですが、森はないので、呼吸で出る二酸化炭素を化学反応で酸素に戻したり、空気中のほこりや微量の汚染ガスは取り除かれてきれいになっていたり、すべてが人工的につくられた環境です。
ですから地上に降りて、吹いてくる風を身体に感じ、自然の緑の匂いに触れたときは本当に感動しました。
この体験を通じて、私はこれまで自分を支えてくれた家族や仲間、それから宇宙の存在すべてに心から感謝することができるようになった。それが、宇宙体験を通じて私の中で起こった、人生観の変化でした。
チームワークを発揮するための3つの原則
みんなの介護 宇宙開発事業は国際的な巨大プロジェクトだけに、かかわる人も膨大だと思いますが、チームの力を最大限に発揮するには何が大切なのでしょう?
山崎 人の集まりを表すとき、グループとチームという言葉がありますよね。その違いは何かというと、同じ目的を共有しているかどうかなんです。
グループ・ディスカッションと言うときは、立場や価値観の違う人たちが議論を通じて合意することが目的になりますが、野球やサッカーなどのチームメイトは、「試合に勝つ」という共通の目的を持っています。
仕事の現場に集まっている人たちは、どちらかというとチームのほうに近いのではないでしょうか。グループをまとめてチームに仕上げていく。そういうチームビルディングの過程がどの職場にもあると思います。
宇宙開発事業でも同じことで、チームワークを充分に発揮するには、次の3つの原則が大切だと考えていました。
ひとつ目は、チーム全体が目的を共有する。
ふたつ目は、個々のメンバーが自分の役割を把握して、責任を持ってそれを全うする。
みっつ目は、変化する状況に応じて助け合う。
この3つの原則を忘れないよう、いつも口を酸っぱくして確認し合うんです。
チーム間での「対話」も非常に大切
みんなの介護 この3つの原則のどれかが欠けてしまうと、チームの力は途端に弱まってしまう。そういうことですか?
山崎 その通りです。宇宙開発事業は本当にたくさんの人がかかわっていて、技術をサポートするスタッフのチームもあれば、フライトディレクターを先頭にする地上管制官のチームもあります。私たち宇宙飛行士のチームは、フライトディレクターの指示を受けてミッションを行う現場作業員に過ぎません。
ただ、ミッションを行っている最中に地上との通信が途絶えたり、船内で火災や空気もれなどの緊急事態が起こったとき、対処法を判断する権限は宇宙飛行士をまとめる船長に移るんです。
このように、いくつものチームが異なる層に分かれていると、先ほど述べた3つの原則が崩れることがあるんですね。
みんなの介護 現場から見ると、「地上は現場のことがわかっていない」と文句が出るし、地上では「現場が言うことを聞かない」と文句が出るというわけですね。宇宙開発事業に限らず、どんな職場でも同じような会話が交わされているような気がします。
山崎 私たちのミッションでは、大きなトラブルはありませんでしたが、旧ソ連時代の宇宙ステーション・ミールでは、滞在30日を過ぎて宇宙飛行士たちがお互いに敵意を見せ始めて口論になったり、常に監視されているストレスから地上との交信スイッチを切ってしまった宇宙飛行士がいたそうです。
そこで、そういうことが起こらないようにするための習慣として、ミッションの合間で船長と地上のフライトディレクターが仕事の合間にインターネット回線の電話で会話をするということが行われていました。
ミッションを遂行しているときは無線で交信しますので、世界中の人が聞ける、公の交信ということになりますが、このときはインターネットを通じての会話なので1対1のプライベートに会話になるわけです。
そして、「実はあのとき、こういう状況だったんだ」とか、「あのときは急いでいたのでぶっきらぼうだったかもしれない。ごめんね」と、腹を割ってお互いの事情を伝え合うんです。
チームとチームの間に距離があるとき、このような「対話」の機会はとても重要です。企業ならば、本社と支社の関係ということになるでしょうし、介護の現場なら、施設と行政などの関係について、同じことが言えるのではないでしょうか。
NASAも活用するチーム力養成プログラム「NOLS(ノルズ)」
みんなの介護 宇宙開発事業でも、チームワークが乱れることがあるという話は意外でした。地上で行う訓練の中で、そうしたチーム力を鍛えるものはありましたか?
山崎 NASAの訓練では、チーム力養成を目的として開発された「ナショナル・アウトドア・リーダーシップスクール(NOLS・ノルズ)」というプログラムを活用しています。
山間部や海、湖などのアウトドアを、外部との通信は一切できない中、チームを組んで人力のみで移動するというもの。私の場合、ワイオミング州の山間部を10日間で約120㎞を移動するというものでした。
このプログラムの面白い点は、チームを率いるリーダーを毎日、交替させるという決まりがあることです。10人のメンバーの中に、引っ込み思案の人や、コミュニケーションが苦手な人がいても、10日間のうち、必ず1日はリーダーになる日がまわってくるのです。
みんなの介護 それは大変そうです。リーダーには、どんな役目があるのですか?
山崎 その日の行程でどのルートを通るのか、休憩を何回入れるのか、テントをどこに設営するかなど、さまざまな意思決定をする舵取り役です。
自分本位で強引に決めてしまうとチームのまとまりはなくなりますから、みんなの意見を聞きながら納得した上で行動する必要があります。
実際、リーダーをやってみると、チームを動かしているのはリーダーだけじゃなくて、それを支えるフォロワーの存在が大きいのだなということを感じました。
みんなの介護 チームをまとめるのはリーダーシップだけでなく、フォロワーシップが重要ということですか。
山崎 その通りです。リーダーがフォロワーたちの立場や考えを知ると同時に、フォロワーもリーダーの立場や考えを知ることがチームの結束を高めることにつながります。
もし、リーダーとフォロアーとの間に齟齬が生じてしまうと、チームの力は弱まってしまうでしょう。
ちなみに、この「NOLS」のプログラムは、NASAだけでなく、名前を聞けば誰もが知っているようなIT企業や大手金融機関などのリーダー研修でも行われているそうですよ。
宇宙は今後、多くの人にとって身近な存在になる
みんなの介護 2011年にJAXAを退職した山崎さんは現在、内閣府宇宙政策委員会や一般社団法人スペースポートジャパン代表理事をつとめています。どんなミッションに挑戦しているのでしょうか?
山崎 2019年の6月7日、NASAが国際宇宙ステーション(ISS)の商業化計画について発表をしましたよね。
それによると2020年以降、ISSで民間宇宙飛行士の滞在ミッションを年2回、1回あたり30日程度の宇宙滞在を実施すると言います。
これまで、特に有人宇宙活動は国家ミッションとして行われてきましたが、いよいよ民間利用が本格的に始まったことをこの発表は示しています。
もう既に、民間企業が衛星を打ち上げたり、そのデータを活用する時代になっていますが、宇宙旅行も現実化する日が刻々と近づいています。今の私のミッションは、そうした動きをサポートすること。それから、できるだけ多くの人に宇宙を身近に感じてもらえるようにしていくことです。
みんなの介護 もし、生きている間に民間人として宇宙に行ける機会があるとするなら、もう1度行ってみたいと思いますか?
山崎 もちろんです。
宇宙には重力がないので、地上では歩けない人でもハンデにならないんです。ふわふわと浮きながら、健常者と混じって船内活動を行うことができます。そんな宇宙の可能性が多くの人に開かれるといいなと思います。
みんなの介護 そんな山崎さんのミッションは、いつまで続くのでしょう?
山崎 私が尊敬する宇宙飛行士の中に、NASAのシャノン・ルシッドという女性がいます。40代から50代半ばにかけて5回のフライトに参加して、188日間という当時の女性滞在時間記録を打ちたてただけでなく、その後も地上から交信をする担当や宇宙飛行士室の管理官として活躍しました。
実際にお会いすると、日本で言う「肝っ玉母さん」と呼ぶにふさわしいようなバイタリティと気っぷの良さにあふれていて、多くの人たちの尊敬を集めていました。
私もルシッドさんを見習って、できるだけ長く宇宙の仕事にかかわっていきたいですね。
撮影:公家勇人
連載コンテンツ
-
さまざまな業界で活躍する“賢人”へのインタビュー。日本の社会保障が抱える課題のヒントを探ります。
-
認知症や在宅介護、リハビリ、薬剤師など介護のプロが、介護のやり方やコツを教えてくれます。
-
超高齢社会に向けて先進的な取り組みをしている自治体、企業のリーダーにインタビューする企画です。
-
要介護5のコラムニスト・コータリこと神足裕司さんから介護職員や家族への思いを綴った手紙です。
-
漫画家のくらたまこと倉田真由美さんが、介護や闘病などがテーマの作家と語り合う企画です。
-
50代60代の方に向けて、飲酒や運動など身近なテーマを元に健康寿命を伸ばす秘訣を紹介する企画。
-
講師にやまもといちろうさんを迎え、社会保障に関するコラムをゼミ形式で発表してもらいます。
-
認知症の母と過ごす日々をユーモラスかつ赤裸々に描いたドキュメンタリー動画コンテンツです。
-
介護食アドバイザーのクリコさんが、簡単につくれる美味しい介護食のレシピをレクチャーする漫画です。