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太田光代「介護生活に直面して一番の問題だと感じたのは経済力」

最終更新日時 2015/11/16

爆笑問題・太田光氏の妻であり、爆笑問題が所属する事務所「タイタン」の社長。そして自身もメディア出演や執筆活動など、マルチな活動で知られる太田光代氏。エネルギッシュな彼女と才能あふれる光氏のコンビはある意味、今の芸能界でも屈指の「名物夫婦」と言える存在かもしれない。そんな光代氏だが、2013年?2014年にかけ、自身の母親と夫・光氏の母親の介護問題が一度に振りかかる、という状況に陥ったという。太田夫妻が直面したのは、「一人っ子同士で子どもがいない夫婦の介護問題」という、今後の日本で少なくない人数にあてはまるであろう状況だ。母親との関係、義母の介護問題、夫婦間でどう話し合っていったか…反省点や今後の事も含め、赤裸々に語っていただいた。

文責/みんなの介護

母との仲は悪かった。母に反発する自分も嫌で、高校から家を出たんです

みんなの介護 太田さんは一人っ子とのことですが、やはり「母親の面倒は自分でみなくてはいけない」という思いはずっとあったのでしょうか?

太田 自分が一人っ子なので、もうそれは小学生の頃から当然そう思ってました。

みんなの介護 ただ、太田さんは高校時代に家を出て、お母様とは別に暮らしていたんですよね?

太田 そうですね。話すと長くなるんですけど…私の母は未婚の母で私を生んだんですが、私が小学校に入る前、別の人と再婚をしたんです。最初はいろいろと難しい点はあったんですけど、だんだん私が新しい父になつくようになりまして。父はエンターテインメントが好きだったので、映画とかをよく見せてもらいました。

ものの考え方も、私からしたら納得がいくことが多かったんですね。正直、母親の意見より、父親の意見のほうが私には合ってたんですよ。そうなってくると、例えばちょっとケンカをしたりしても、母親は嫌になることが多かったようで、だんだん思春期の私に文句が多くなっていったんですね。

みんなの介護 お母様とは「血がつながっているだけに難しい」という部分もあったんでしょうね。

太田 もともとは母親のことは大好きでしたよ? 父と再婚する前はべったりでしたし、再婚するとき「私じゃダメなのか」と聞いたくらいですから。「駄目だ」と言われたんですけど(笑)。ただ、再婚をきっかけにできた距離が、思春期になるにつれてどんどん開いていった感じでしたね。

母はいかにも女の人っぽい性格というか、「私、何もできないの」というタイプ。私が生まれたのは母が39歳の時で、私はかなり高齢になってからの子どもなので、母は大正生まれなんですよ。そこでどうしてもジェネレーションギャップもある。確かに、母は女性が働く時代の人ではないですし、私は男女雇用機会均等法の制定がリアルタイムの世代。話が合うわけがないんです。

みんなの介護 性格的なものと世代間ギャップ、両方あったんですね。

太田 まあ「何もできない」わけはないと思うんですけどね。だって未婚で私を産んでるんですから(笑)。でもやはり父の教育の方が、おそらく私に合っていたんですね。その分、母に対して「大丈夫かな?」と思うことが増えてくる。そうすると言うことを聞かなくなるし、でも結局親の庇護下にはあるわけです。だんだん、そんなふうに反発している自分が嫌になっちゃって。結局、高校生の時に家を飛び出して一人暮らしを始めました。

「賢人論。」第3回(前編)太田光代さんは「一人っ子同士での結婚は想定外でした(笑)。親の面倒は誰が、どうやって見るんだ?って」と語る。

一人っ子が親の面倒をみるのは当たり前だと、高校生の頃から思っていました

みんなの介護 思い切った決断に思えますが、ご家族の反対はなかったんですか?

太田 さすがに父も怒りました。その時、初めて怒られたんじゃないかな。「出て行くんなら援助はしない」と言われて「いいよ」って言ったんですけど…でも、高校の学費までストップされたのはさすがに想定外でしたね(笑)。そこはやってくれるかな、と思ってた部分がありましたから。

みんなの介護 傍から聞いていると結構壮絶にも思えますけど、それでも「母親の面倒をいずれ自分がみる」ということはブレなかったんですね。

太田 やはり、一人っ子だからというのは大きいでしょうね。今でこそ一人っ子は多いですけど私たちの世代では少なくて、1学年に何人かいるくらいでしたから。でも、そんなに具体的に考えていたわけではなく、漠然としたものですよ? 「自分の母親もいずれは歳をとるし、動けなくなったら病院に入ったりするのかな」とか。「介護」というところまでは想像していませんでした。「一人っ子とは結婚できないな」というのはずっと思ってましたけどね。

みんなの介護 でも、蓋を開けたら光さんも一人っ子だったと。

太田 もう、私の人生全てそうなんですけど、想定したことと反対の方に進んじゃう(笑)。もともとは一人っ子だとダメ、きょうだいがいても男の子が1人だけだと同じことになるから、2人以上男きょうだいがいて、それもできれば次男。でもまあなんだかんだで男女含め2人いればどうにかなるかなとか考えてましたから(笑)。

「賢人論。」第3回(前編)太田光代さんは「うちの夫はネタ以外考えられないんです。それを求めてしまうと大げんかになってしまう(笑)」と語る。

お互い一人っ子なので、介護の方針について少人数で決められる点は良かったですね

みんなの介護 一人っ子同士で結婚したことで、何か具体的に課題や変化は出てきたんでしょうか。

太田 結婚後、爆笑問題が苦しい時代もあったので、その時なんかは「親が両方で4人いるし、どうしよう」と悩んでましたね。私と太田は若くして結婚してますから「いずれは子どもを作らなくちゃいけないなあ」という感覚はありました。

ただ、私はもともと子どもがあまり好きじゃなかったんです。あと、経済面の心配がなくなった頃には、忙しくもなってきましたし、子どもはまあ無理かなという状況になっていた。ただ、太田のお父さんは孫を欲しがっていたので、不妊治療もしましたけど…そういう問題は随時出てきましね。

みんなの介護 将来の介護問題について、ご夫婦で話し合いとかはしていたんですか?

太田 うちの太田に関しては、そういう話は一切しませんでしたね。というか、考えられないんです。芸やネタ、いわゆる自分のものづくりに関しては考えるんですけど、それ以外のことは基本あまり考えないし、「考えさせない」ほうがいいだろうと。それを求めてしまうと大げんかになるので。まあ腹が立つことはたくさんありますけどね(笑)。

みんなの介護 でも、そんな生活を続けていたらストレスが溜まりませんか?

太田 まあ、もともと「しょうがない」とは思ってますけどね。ただ、「しょうがない」で済む部分とそうでない部分があるのは事実ですけど(笑)。

みんなの介護 あとでまた詳しくお伺いしますが、実際お2人が直面されたのは「一人っ子同士夫妻」の介護問題、というケースでした。少子化が進む昨今では、この先どんどん増えていく状況だと思うんですが、実際直面されて思うことはありますか?

太田 一番のネックは「経済力」ですね。ただ、そこさえクリアになればなんとかなるかな、というのが今の実感です。

みんなの介護 なるほど、金銭的な問題が一番大きい、と。逆に「自分たちだけで決められる」という利点もあるかもしれませんね。

太田 そうですね、きょうだいがいないことで、自分たちの意志で決めることができる。介護問題に関しては家族間で意見が割れると大変なことも多いようですから、そこは少人数な分、シンプルに進めることができるのかもしれませんね。

3度も熱中症で倒れた母…一人暮らしを続けさせるのは無理だと思った

みんなの介護 お母様と同居するきっかけは?

太田 2013年の夏に熱中症で倒れたことが最終的な原因でした。でも実は母は毎年倒れていて、これで3回目だったんですね。

みんなの介護 3回も熱中症で倒れたんですか!?

太田 そうなんです(笑)。熱中症になった理由は、老人によくある典型的な「クーラーをつけてない」というもの。ご近所の方から連絡をいただいて、一人にさせておくわけにはいかないし、毎年倒れた後は私の家に来ていたんですよ。もともと、いずれは母を引き取るつもりでいましたから、10年前から母用の部屋は作ってあったんです。だから「いつでも来てください」って言ってたんですけど…お話してるように母と私は性格が合わないものですから、しばらく過ごすとその後自分の家に帰ってしまうんです。ただ、3回目でしたからね。もうワガママは言わせない、という“三度目の正直”でした。

みんなの介護 そこで同居が始まったわけですが、そうすると今度は光さんのお母様の介護問題が勃発したと。

太田 私ももともと「介護をどうするか」というのはそこまでちゃんと考えてなかったんですよ。ただ、年齢的にうちの母のほうが義母よりも歳上なので、うちの母の介護が先に来るだろうな、とは思っていました。でもそんな矢先、義母が骨折をして入院してしまったんですね。義母は数年前にもともと大腿骨骨折をしていていたんですが、この時は大丈夫だった方の大腿骨を折ってしまった。なのでリハビリがなかなか進まないし、もう家には帰せないな、ということになったんです。

夫(太田光)に義母の意思を確認するように言っても、「わかった」ばかりで一向に話が進まなくて

みんなの介護 光さんのお父様は2013年に亡くなられて、お義母様は一人暮らしをされていたんですよね。

太田 そうなんです。正直、その時私は「2人とも引き取ってもいい」と思ってたんですよ。私は普段仕事で家にいませんし、嫁姑問題もないと思ってますし…もともと義母はさばさばしていて、実の母親よりも好きなくらいでしたから(笑)。でも、大事なのはまずは義母自身がどうしたいか、ということ。そしてそれを聞くのは私ではなく、実の息子である夫のほうがいいだろうな、と思ったんです。既に私の母は家に居るわけですから。

でも「聞いてくれ」と夫に頼んでも「わかった、わかった」って言うだけで一向に聞いてくれない。時間は過ぎていくんですけど、入院していられるタイムリミットは迫ってくるわけです。

みんなの介護 医療機関ですし、ずっと入院したまま、というわけにはいかないですよね。

太田 太田にとっては、それもわからなかったんでしょうね。そこで仕方なく、夫の父方のご親戚と、義母方の親戚に相談をしました。「私としては一緒に住んで欲しいけれど、お義母さんはどう思っているだろうか?」と。そうしたら、親戚の皆さんに「絶対にやめたほうがいい」と声を揃えて言われたんです。なぜなら「嫁と姑」なら喧嘩しながらでもなんとかやっていけるだろう。でも「姑と姑」だと、それまでまったく違う生活をしてきた同士が家で2人でいることになる。絶対にうまくいかないよ、と。

みんなの介護 確かに、よほど上手くいかないかぎり難しい状況になる可能性がありますね。

太田 話していく中で思いあたったのが、母の性格です。先ほどお話したように、母は「私はなんにもできないの」という性格。しかし義母はシャキシャキしてる方なので、ヘタしたらうちの母の面倒を義母がみることになるのではと。しかもうちの母のほうが年上ですし…それはありうるし、絶対に嫌でした。

特別インタビュー「賢人論。」第3回(中編)太田光代さんは「人間関係を新しく構築していける新規オープンの施設に入居できたのはラッキーだった」と語る

義母の老人ホーム探しも夫(太田光)はノータッチ。全部、私が一人でやりました(笑)

みんなの介護 かといって、お義母さんに自分から話を切り出すわけにいかない、と。その状況を打開したきっかけは何だったんでしょう?

太田 そうこうしている間に、義母が主治医の先生に伝言を託したんですよ。「光に任せているといつまでたっても埒が明かないし『光代さんに一任します』と言っていただけますか。そして、光代さんがどこかいいと思う施設を探してもらえますか?」と。主治医の先生も「さすがお義母さん、息子さんのことをよくわかってらっしゃいます」と言ってましたね(笑)。

みんなの介護 その言葉を聞いた時、光さんの反応はどうだったんですか?

太田 夫はここまでの言葉と判断を聞いてようやく、「なんか施設探してほしいって言ってるけどどうなの?」と義母に確認に行ってましたね。疲れるんですよ、もう(笑)。

みんなの介護 そこで施設探しをスタートしたとのことですが、具体的にはどのように行っていたんですか?

太田 主治医の先生がいくつか資料を取り寄せてくださって、まずはそれらを見て回りました。スタートしたのが2014年の1月だったんですが、まず条件としては「自宅から近いこと」が第一でしたね。もともと義母は埼玉に住んでいたので、遠くてなかなか会いに行けなかったというのもありましたから。それで4~5軒検討していた段階で、その年の2月に入居スタートという新しい施設がたまたま近くに見つかったんです。

新しい施設だと人間関係の面でも心配は少ないですし、建物もきれい。施設の規模もそんなに大きくなくて、40部屋くらいなんですね。自宅からも自転車で通える距離。これはいいな、義母が気に入ってくれれば…と思いました。

みんなの介護 施設は最初から有料老人ホームを想定されていたんでしょうか?

太田 そうですね。もう、退院のタイムリミットがありましたし、私も夫も仕事がある。特養に入居申請をして順番待ちをしている時間がなかったので…結果的に義母も「ここでいい」と言ってくれてホッとしました。

みんなの介護 ホームの下見はご夫婦で回られたんですか?

太田 そこも私ですね(笑)。でも向こうは仕事がありますし、収録で身動きとれないことが多いので。私は社長業と言っても比較的動けますし、ホームも見学時間が決まっていますから。ただ、最終的に決める時は2人で見て決めました。

これからはどんどん施設自体が足りなくなっていくんでしょうけど、当時は入居時はまだ新しい施設が「増えていく」時期だったということ。また、杉並区で探したんですが、杉並区自体がそういった施設が比較的増えている場所ではあるんですね。そういう意味では幸運だったかもしれません。

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入居後に義母がCOPDになって…。結果として老人ホームに入居して良かった

みんなの介護 お義母様のホームでの生活は順調そうでしたか?

太田 やはり新しい環境にいきなり入るわけですから、最初は体験入居から始めて…その後は月ごとに料金を支払う形で進めていきました。入居一時金を支払って月々の支払いを安めに抑えるという形でも良かったんですけど、その分「合わなければ移れる」という安心感にもなりますから。ただ、思ったよりもすんなりと馴染んでいたようでしたね。

また、義母は施設に入った後、今度は肺の病気…COPD(慢性閉塞性肺疾患)になってしまい、酸素ボンベが手放せない身体になってしまったんです。だから、結果的にではあるんですけど、施設で良かったなと思いましたね。自宅介護だと、私も太田も家にいないことが多いし、24時間体制のヘルパーさんを付けるしか選択肢がなくなってしまいますから。

みんなの介護 今はどのようにお義母様とのコミュニケーションを取っているのでしょうか。

太田 私も仕事の合間を見て会いに行ってますが、今は夫の方が多く会いに行ってるみたいです。でも、それでいいと思うんですよ。私といると言いにくいこともあるでしょうしね。

もちろん、私にしか頼めないものもあるので、必要な物ができたら私が持って行ったり…でもまあ、お布団とか季節のものなど必要になったら施設の方が基本的に連絡してくださるので、そこは上手く連携が取れてますね。考えてみると、義母が埼玉に住んでいた時は会えたとしてもお正月くらいだったんですよね。そういう意味では今のほうが、親子間のコミュニケーションは密になっています。

みんなの介護 施設をご自宅から近い場所で選ばれた、というのがメリットになっていますよね。お忙しい中でも、時間ができたら一人でふらっと行く…ということもできるでしょうし。

太田 そうなんです。でもなんだかそこが“男の子”って感じですよね(笑)。

考えていても、結局はその通りになるとは限らないのが「介護問題」

みんなの介護 夫婦で直面する介護問題に関しては「夫が非協力的で…」という女性の悩みをよく聞きますし、光さんの反応もなんとなくわかるように思います。

太田 うちの夫はちょっと特殊かもしれないですけど(笑)。でも世の男性は、自分の母親が「歳をとった」というのを認めたくないんだろうな、と思うんですよね。よく聞くのは、例えば認知症状が始まっている事実を男性の方が認めたがらない。自分の母親が「なんだかおかしい」と思っても「そんなことないよ」っていうのは大体男のほうなんですって。

みんなの介護 女性に介護を丸投げ、という話もよく聞きますよね。

太田 でも、介護の形は家庭それぞれですから、それはいろんな形があると思うんですね。老人が増えていくわ子どもは減っていくわで、本当にケースによって変わってくるかなと。 その時になってわかることというのはすごく多いんですけど、それも家庭の状況によって違うと思うんです。うちは幸い、夫婦両方とも稼に稼ぎがありますから、両方の親を結果的にバランスよく面倒看ることができました。でも、そうもいかないご家庭もあるでしょうね。

みんなの介護 今思い返して、「こうしておけばよかった」という点などはありますか?

太田 反省点を挙げるなら「同時という可能性があったか」…もう、これにつきます(笑)。介護って、いつどうなるか予測できないんですよ!無理やり母と同居を始めた年に、義母も介護が必要になるなんて…と。

だから遡っていろいろ考えるんですけど、たとえば義母の場合、義父が亡くなる何年か前から「自分が死んだら、妻のことをよろしくね」と私には言っていました。でも、もう少し2人が元気なうち…例えば還暦になったタイミングとか、そういう時に話をしておけばよかったなと。多分、そのくらいに話をしても「自分でなんとかするから」と言われる方が多いと思うんです。でもそれは現実的ではないでしょう? ということを率直に聞いて、どういう形が理想なのかを話し合い、聞いておくべきだなと。今の世代に、「親が動けなくなることを考えてるのか!」って怒る人もいないでしょうしね。

特別インタビュー「賢人論。」第3回(中編)太田光代さんは「介護施設に入れることへの抵抗感は少なからずある」と語る

介護で選択を迫られた時に「施設に入れることへの抵抗感」というのはやっぱりある

みんなの介護 一度、聞けるうちに「自分たちはどうしたいのか」を確認しておくことが大事ということですね。

太田 親も元気なうちは「子どもの世話になりたくない」という気持が強い人が多いと思うんです。できれば自分でやっていきたい、と。でも、長生きすればするほどそういうわけにもいかない。うちの母親だって、さんざん「歳をとってもあなたの世話にだけはならない」って言ってましたからね(笑)。

もちろん、聞いておいたとしてもその通りにならないこともあると思います。でも、同居を望まれる方もいれば、例えば「介護は施設の方にやっていただいたほうが気兼ねない」という方もいると思うんですよ。そこを聞いておけるかおけないかで、だいぶ違うんじゃないかと。

みんなの介護 そういったコミュニケーションが、後々の判断材料になりますもんね。

太田 判断材料がまったく何もないと「どうしたらいいものか」となりますし、それよりは心構えができるじゃないですか。きょうだい間での話し合いもできる。突然介護問題が降りかかって、きょうだい間で意見が割れて喧嘩…というのもよく聞きますが、少しは避けられるかもしれませんし。何もないと、いざ介護で選択を迫られた時に「施設に入れることへの抵抗感」というのはやっぱりあるんです。

みんなの介護 ところで、お母様との同居生活はどんな感じでしょうか?

太田 うちは父が早くに亡くなったこともあり、母は一人で住むのに慣れてはいました。でも、今は慣れない家に一人。お手伝いさんはいますけれど、私も夫も忙しいので、1日顔を合わせないこともある。そうするとやはり、不安みたいなんですね。

そう考えると、母も義母の入ったような施設の方が友達ができて良かったのかなと思うことはありますね。例えば介護つきのマンションのような形で、1世帯ずつは独立しているけどすぐ近くに誰かがいるとか、そういう状況のほうが良かったのかな…なんて、今でもいろいろ考えます。

特別インタビュー「賢人論。」第3回(中編)太田光代さんは「老後は終身型の老人ホームへの入居を考えています」と語る

結構手のかかる夫なので…おむつを替えるとかまではしたくないです(笑)

みんなの介護 今後の話ですが、例えば2人のお母さんともに老人ホームに入居…といった形に変わっていく可能性というのはないんでしょうか?

太田 母は喧嘩すると今でも「施設に入れろ」って言いますよ(笑)。ただ真面目な話、母がこの先、身体が動かなくなったらまた変わってくるのかもしれません。私は仕事を辞められないので、誰か面倒を見てくれる人を雇うのかなとか…でも、まだまだ元気だと思いますよ。

みんなの介護 89歳ともなると寝たきりという方も多いですし、そう考えると元気ですよね。

太田 まあそうなんですけどね。私ですら最近、年取ったなと思うことも多いわけなので(笑)。

みんなの介護 いずれは光さんと光代さん、お2人にも老後がやってくるわけですが、今回の件をふまえて将来的なビジョンを決めていたりしますか?

太田 そう、介護はする方にもなるけど、される方にもなるんですよね。2人とも一人っ子なもんですから、どこかのタイミングで資産を整理して施設に入らないといけないだろうな、ということは考えています。私はもともと「家」にはそんなにこだわっていませんから、終身タイプの施設に入るのかなと。

みんなの介護 老人ホームへの入所希望なんですね。

太田 理由としては、まあ結構手のかかる夫だったんですよ。私が年上ですから「甘えたい」というのもあったんでしょうし、その中で私は私でいろいろ自由にさせていただいたんですけど…もう、最終的に「夫のオシメは替えたくない」んですよ!そこまでは面倒見たくない(笑)。

だから、そういう世話をしてくれる方は別に頼むとして、お互いに楽しくやっていければと思ってます。寝たきりになったとしても、もちろん一緒にはいますけど、面倒みてくれるところにお世話になりたいなと。

みんなの介護 そこまでのビジョンをある程度作っておけば、おそらくこの先の選択肢は少し楽になりますよね。

太田 ただ、時々施設のパンフレットがポストに入ってくるんですね。「夫婦対応」とか書いてあって「これいいな」と思って金額を見ると、驚くようなお値段のところもあるんです。でも私はある程度好きなものに囲まれていたいし、じゃあこのぐらいの広さなら……とか考えて値段見てみたら「6億円」とか(笑)。あと、病気になったときに医療行為はできるのかとか、看取りをお願いできるかどうかとか、そういう点も含めてまだまだいろいろ調べなきゃな、とは思いますね。

だって、普通に考えて男性より女性のほうが長生きですから、私のほうが1人で後に残される可能性が高い。自分がちゃんと判断できたらいいですけど、なんか判断できない状況で望まない場所に…とか嫌ですもん(笑)。だからそこは時間をかけて、少しずつ準備をしていければな、と思っています。

撮影:三輪友紀

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森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07