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鎌田實「すべての人は平等に、人生を自己決定する権利がある。それが何らかの圧力によって歪められることがあってはならない」

最終更新日時 2018/11/19

鎌田實「すべての人は平等に、人生を自己決定する権利がある。それが何らかの圧力によって歪められることがあってはならない」

1974年に東京医科歯科大学を卒業後、長野県茅野市の諏訪中央病院に内科医として赴任した鎌田實氏は、以来40年以上にわたって地域住民と共に歩み、地域医療の拡充に尽力。日本でいちはやく緩和ケアにも取り組み、その経緯を綴った著書『がんばらない』はベストセラーにもなっている。そんな鎌田氏に、まずは日本政府と厚生労働省が推奨している「地域包括ケアシステム」についてお話を伺った。

文責/みんなの介護

患者さんの生活を“病院の中だけで”支えるのは不可能です

みんなの介護 厚生労働省は、いわゆる「2025年問題」を視野に入れ、地域包括ケアシステムを日本各地で実現させようとしていますね。

鎌田さんが、まさに同じ「地域包括ケア」という言葉を使って医療と介護の連携に取り組み始めたのは、今からおよそ30年前。時代がようやく鎌田さんたちに追いついてきたということでしょうか。

鎌田 厚労省が「地域包括ケアシステム」の必要性を説き始めたのは2012年頃からだったと思います。

厚生労働省の説明によれば、地域包括支援システムとは、「高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるような、地域の包括的な支援・サービス提供体制」のこと。こうしたシステムを構築する意義については、誰も反対しないでしょう。

しかし、2025年問題が喫緊の課題となった今頃になって、政府が急にこんなことを言い出すのはちょっと…という気がしますね。これでは「福祉に回すお金がなくて、特養も老健も、ドンドン作れないから、地域で知恵を出し合い、在宅介護ベースで何とかお金をかけずに介護問題を解決してくれ」と言っているようなものですから。

みんなの介護 30年前、鎌田さんが地域包括ケアに取り組み始めたのは、どんな経緯からだったのでしょうか。

鎌田 東京の医大を卒業した僕が、「医者がいなくて困っている」と聞き、長野県茅野市の諏訪中央病院に赴任したのは、今から44年前のこと。当時の長野県は全国で二番目に脳卒中が多く、なかでも茅野市は脳卒中による死亡率が県内で最も高くて、平均寿命も短かった。

そこで僕たち医師や看護師は、地元の人たちの信頼を得るために、ボランティアで健康づくり運動を始めました。診療の後、地域の公民館に出かけていって、食生活で減塩することと野菜をもっと摂ることの大切さを繰り返し説いていったのです。

そうやって地域の人たちの暮らしに飛び込んでみると、東京の医大では見ることのなかった、寝たきりのお年寄りを数多く目にしました。脳卒中で倒れた高齢の患者さんは、たいてい家の一番奥の、陽の当たらない部屋に寝かされていて、奥さんやお嫁さんが1年365日、たった1人で面倒を見ていたのです。

なかには「1年以上風呂に入っていない」というお年寄りもいました。

そこで、ボランティアの人たちや社会福祉協議会のヘルパーさん、保健婦さんの協力を得て、「お風呂に入れちゃう運動」という入浴サービスを始めました。

みんなの介護 そういった運動が地域包括ケアにつながっていったんですね。

鎌田 はい。僕たちが日本で初めてデイケアサービスを始めたのも、「もし自分が介護する側だったら?」と想像するところからスタートしました。「人一倍わがままなオレが、寝たきりのお年寄りを1年中世話することになったとしたら、どうすれば耐えられるだろう?」と、僕自身考えてみたのです。

すると、1週間に1日だけ介護から解放されて、映画を見に行ったり、ドライブに行ったり、おいしいものを食べに行ったりできれば、何とか耐えられるじゃないかと思った。

そこから、お年寄りを1日だけ預かる「デイケア」の発想が生まれました。

病院の中だけで患者さんの生活を支えることはできません。患者さんが地域で幸せに生活していくためには、医療、看護、介護、福祉関連のさまざまな職種の人たち、それに地域住民の皆さんが互いに連携していくことが重要なんです。

この国の介護職員の給与は低すぎる。介護福祉士と准看護師の中間くらいが妥当だと考えます

みんなの介護 その後、鎌田さんが諏訪中央病院の院長に就任し、赤字だった病院を見事に立て直した話は有名ですね。

鎌田 一時期は全国の病院関係者が連日のように視察に訪れ、それぞれの活動の参考にしていただきました。嬉しかったのは、ずっと続けていた健康づくり運動の成果がしっかり出たこと。

1990年には、それまで短かった長野県の男性の平均寿命が日本一になったんです。それまで赤字だった病院経営が黒字に転換したのは、高度医療や救急医療と同時に見捨てない医療も提供する「あたたかな急性期病院」として、地域の人たちから信頼される病院になったから。万が一病気が治らなくても、苦痛を取り除く緩和ケアや、自宅で過ごしたい人向けの在宅医療など、さまざまな選択肢を用意するようにしました。

また、特別養護老人ホーム「ふれあいの里」や介護老人保健施設「やすらぎの丘」を併設するなど、医療・看護・介護の複合体モデルを構築したことも、経営の黒字化に大いに役立ったと思います。

みんなの介護 一時期は老人保健施設の施設長も兼任していたそうですね。

鎌田 はい。僕が老健の施設長をしているときに行ったのは、介護職員の大幅な給与アップ。この国の介護職員の給与は低すぎますから。資格でいえば、看護師と介護福祉士が国家資格、准看護師が都道府県知事免許ですから、その中間くらいの給与が妥当じゃないかと考えました。

結局、諏訪中央病院の院長とCEOを15年間務め、院長を辞めたのが56歳のときで、その前に複合体の解体を宣言しましたね。幸い、病院を立て直すことができたので、もう複合体の役目は終わったと判断したからです。

みんなの介護 病院と介護施設を分離したわけですね。なぜ分離する必要があったのでしょうか。

鎌田 小さな町で一つの組織が医療・看護・介護を独占していると、そこがいつしか強大な権力を握る“帝国”になってしまうからです。医療と介護を一組織でコントロールすれば、いくらでも利益誘導ができてしまう。しかしそれは、僕が目指している方向と違います。

僕が目指しているのは「健康民主主義」です。

すべての人は平等に、自分の人生や健康や生死について、自己決定する権利がある。その権利が、何らかの圧力によって歪められることがあってはなりません。

幸いこの町では、医療・介護・福祉関連の多くの民間事業者が育ってきていました。複合体の解体後は、それら民間事業者の人たちとどのようにネットワークを構築するかが重要になっていますね。

「賢人論。」第77回(前編)鎌田實氏「僕たちは病気に関して「○か×か」で判断しがち。でも、○と×の間に存在する「△」を見つけることが一番大事」

認知症患者の増加は深刻ですが、「認知症=不幸せ」とは決めつけないほうがいい

みんなの介護 厚生労働省は、わが国の認知症患者数を2025年時点で約700万人と推計。これは非常に深刻な状況という声も多いのですが…。

鎌田 認知症患者の増加は、確かに深刻な問題です。でも、「認知症=不幸せ」だと決めつけないほうがいいと思います。

僕の知り合いに、若年性アルツハイマー型認知症の人がいます。ご自身で顔と実名を明らかにしているので、ここでも公表しますが、その人は佐藤雅彦さんといい、13年前、51歳のときに認知症との診断を受けました。その彼は常々こう言っていますね。

「認知症になって生活は不便になったけれど、不幸せではありません。私は幸せです」と。

認知症になっても、すべての記憶がなくなってしまうわけではない。きっと、明解なところと曖昧なところがまだら状になって、記憶は存在しているじゃないでしょうか。

幸か不幸かについても同じ。認知症になって100%ハッピーだとは言えないけど、かといって100%不幸せというわけでもない。

僕たちは、とかく病気に関して、「○か×か」で判断しがちです。病気になったら×、病気が治ったら○。でも、世の中はそんなに単純じゃない。○と×の間に、無数の「△」が存在しているんですよね。

みんなの介護 何だか、すごく良くわかる気がします。

鎌田 だから、「認知症になったから×」という風には考えないこと。たとえ認知症になったとしても、○と×の間の、無数の△のうちのどこかにいるのだと考えましょう。そのうえで、できるだけ○に近い△を目標にして、できるだけ○に近づけるよう努力すれば良いんです。これは、お年寄りや認知症の人を「介護する側」にとっても大切な視点ですね。

あるお年寄りが、寝たきりになってしまったとしましょう。

すると介護者の多くは、「寝たきり=×」だと考え、「この人にしてあげられることは、もうほとんどない」と判断してしまう。しかし人間が生きている限り、完全に×ということはありえません。もしも×に限りなく近い△だとしても、それを○のほうに近づけることはできるはずです。

みんなの介護 どうすれば◯の方へ行けますか?

鎌田 例えば、寝たきりになった人でも、頑張ってリハビリすれば車椅子に乗れるようになる可能性があります。そこで、「ここは庭の桜がとてもきれいなんですよ。春になったら、車椅子に乗って庭の桜を見にいきませんか」と提案してみる。

そして「そのためにはまず、車椅子に乗れるようになりましょうね」「車椅子に乗れるように、まず起き上がる努力をしてみましょうね」「自分で起き上がれるように、まず膝を曲げる練習をしましょうね」と、さかのぼって本人のやる気をうながしていけば、本人にできることは次第に増えていきます。

みんなの介護 介護についても同じでしょうか。

鎌田 その通りですよ。完全な○なんてないのにそれを求めようとするから、「こんな介護で良いのだろうか」と、介護者はいつも不安になる。

そうではなくて、「○と×の間の、この人に一番合った△を見つけてあげよう」と考えるようにするのが良い。そんな風に割り切って考えることができれば、介護者は要介護者に対して、まだまだできることがたくさんあるはずです。

つまるところ、介護は“相手の身になって考えられるか”どうか

みんなの介護 その人に一番ふさわしい△を見つけてあげる、という発想はステキですね。

鎌田 介護というのはつまるところ、「相手の身になって考えられるかどうか」だと思います。自分で言うのもなんですが、僕はすごくわがままな人間です。僕が要介護の状態になったら、「もう死んでやる!」なんて悪態をつくかもしれない。

そこで、考えてみるんです。

「自分みたいにとんでもなく面倒な要介護者が、“もう少し生きていてもいいかな”と思えるのは一体どんなときだろう?」って。

すると、ちょっとだけ良いことがたまにでもあれば生きていける、と思えるんですよね 「今日は1週間ぶりにお風呂に入れて気持ち良かった」とか、「今日はとびっきりおいしい焼肉が食べられて嬉しかった」とか、「来月は息子や孫たちと温泉旅行に出かける」とか…。

みんなの介護 いつもお元気な鎌田さんでも、ご自分が要介護になったときのことを考えたりするんですね。

鎌田 考えますよ、もう70歳ですから。息子にはいつも言っているんです。「オレが寝たきりになったら、年に一度でいいから、ジャズ喫茶に連れていってくれ。ジャズ喫茶はたいてい地下にあるから、オレを背負って階段下りるんだぞ」って。

この、「ちょっとだけ良いこと」は、実はデイケアを始めたときの発想でもあります。先ほど、1週間に一日だけ、家族を介護から解放するためにデイケアが生まれた、とお話ししましたが、要介護者にとっても、1週間に一度だけ、何かちょっと良いことを用意してあげたいという気持ちがありました。

例えば、1週間ぶりに会う友人とおしゃべりを楽しむ、昔好きだった歌を久しぶりに歌って楽しむ、普段は食べないような珍しいお菓子を食べる、みたいに。そんな、ちょっとだけ良いことが、どんな人にとっても、きっと生きる励みになるのだと思います。

目と目を合わせるのがコミュニケーションの基本。でも、あえて目線を外すこともあります

みんなの介護 鎌田さんは『言葉で治療する』(朝日新聞出版)の中で、「病にかかったとき、患者さんと家族は医師や看護師からかけられる言葉しだいで、治療を受ける日々が天国にも地獄にもなる」と書かれています。介護の現場において、言葉はどのような役割を担っているのでしょうか。

鎌田 言葉だけでなく、言葉を含めたコミュニケーションはとても重要です。特に若い研修医の先生には、コミュニケーションの大切さを説くことが多いですね。

僕は、若い研修医と緩和ケア病棟を回診したり、患者さんの自宅に往診したりしますが、ケア病棟や患者さんのご自宅に入るときは、「おはようございます!」「こんにちは!」と、明るく元気に挨拶するよう指導しています。「自分が来ましたよ」と告げることで、患者さんやお年寄りの注意をうながし、まず安心してもらいたいからです。

会話するときの“位置関係”も意外に重要です。

ベッドに寝ている人に、こちらが立ったまま話しかけると、どうしても上から見下ろしながら話すことになり、何となく上下関係ができてしまう。だから、ベッドに寝ている人に話しかける場合は、腰をかがめたり、椅子に座るなどして、目線の高さを相手に合わせることがポイント。特に、相手が認知症患者の場合は、真正面から相手の目を見ながらゆっくり近づくことで、こちらを認識してもらいやすくなります。

そうやって、目と目を合わせて会話するのがコミュニケーションの基本ですが、ときには、あえて目線を外しながら話すこともあります。

みんなの介護 相手の顔を見ずに会話するのですか?

鎌田 そうです。僕がよくやるのは、ベッドに座る患者さんの隣に、「ごめんね」と言いながら、並んで腰掛けること。諏訪中央病院の緩和ケア病棟からは窓の向こうに八ヶ岳がよく見える。そうやって患者さんと並んで八ヶ岳をぼーっと眺めていると、患者さんのほうから話しかけてくることが多いんですよ。

「先生、オレもいよいよ、お迎えが近いみたいだね。でもね先生、ちょっとだけ、心残りがあるんだよね…」。

そんな風に患者さんが問わず語りに話し始めたとき、こちらが元気よく相づちを打ったりしたら、そこで会話は終わってしまう。その人の聴力に合わせて、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で「何でしょう…」と、相づちを打つのがポイントなんです。

するとその患者さんは、自分の人生について、ぽつりぽつりと語り出しますから、最後まで話をしっかり聞いてあげなければなりません。そうやって、患者さんに自分の人生について語ってもらうことは、精神療法の一種としてもとても重要です。

ナラティブセラピー、またはライフレビューといって、患者さん自身が自分の人生を物語ることで、次第に癒やされ、自己肯定していき、病気や死を冷静に受け止められるようになるからです。そのように現状を受け入れられれば、その後の治療やリハビリにも前向きに取り組んでもらうことができます。

患者さんの臓器だけじゃなくて、“人間丸ごと”観察する

みんなの介護 著書の『言葉で治療する』では、患者さんの家族とのコミュニケーションも重要だと書かれていましたね。

鎌田 まさにその通りです。回診のとき、病室に患者さんの家族や友人が居合わせたときこそ、患者さんとの信頼関係を築くチャンス。そんなときは、家族や友人に必ず声を掛けるよう、若い研修医たちには伝えています。少なくとも、「患者さん7:家族3」の割合で声を掛けるのが望ましいですね。掛ける言葉は何でも良いですが、できれば、家族や友人の労をねぎらう言葉がベストです。

患者さんの家族は、患者さんへの接し方が間違っていないか、常に不安に思っています。

介護施設の入居者さんの家族も同様に、自分の介護の仕方が正しいのかどうか、いまひとつ自信が持てない。そんなとき、誰かから評価されれば、自分の看病や介護のやり方に自信が持てるし、患者さんや入居者さんにより積極的に関わることができるようになる。それが結果的に、患者さんの治療やリハビリに良い効果をもたらします。

みんなの介護 家族に話しかけると、患者さん本人との関係も良くなるんですか。

鎌田 良くなります。むしろ、こちらの効果のほうが大きいかもしれません。病院や介護施設のスタッフが、患者さんや入居者さんを気遣って声を掛けるのは、ある意味当然のこと。患者さん自身も、そう思っています。でも、家族や友人にまで声を掛けることは当たり前のことではありませんね。

にもかかわらず、忙しい合間に家族や友人に声を掛けてくれたとすれば、「この看護師さんは、ウチの嫁にまで気を遣ってくれた!」と、一気に親近感が増すものです。ときには、家族に一言声を掛けただけで、反抗的だった患者さんの態度が一変するケースもあります。

また、普段はあまり顔を見せない友人知人が訪ねてきたときは、患者さんの知られざる一面を知るチャンスになります。研修医の人たちには、「患者さんの臓器だけでなく、人間丸ごと観察するんだぞ」とよく言っていますね。

この人はどういう青春時代を過ごし、どんな仕事で頑張ってきたのか。

また、どんな趣味に没頭し、何を大事にして生きてきたのか。

「昔は相当ヤンチャだったみたいですね」「私も以前はよくその町に遊びにいっていました」などと声を掛けながら、かつての人間関係を上手に復活させてあげれば、患者さんのなかに、もう一度生きる力が湧いてくるものです。

「賢人論。」第77回(中編)鎌田實氏「いくらAI が進化しても、“魔法のケアプラン”は人間にしか作れない」

おばあちゃんにもう一度生きる力を与えたケアプランは“ラーメンを食べる”こと

みんなの介護 実際に、言葉によって患者さんや要介護の人が救われたケースというのはありますか?

鎌田 僕が担当していた患者さんに、Sさんというおばあちゃんがいました。

Sさんは自宅で生活していましたが、呼吸機能が著しく低下していたので、在宅酸素療法を行っていました。四六時中、鼻にチューブを付け、酸素供給装置からの酸素を吸入しながら暮らしていたのです。

そんなSさんが、あるとき自宅で転倒し、大腿骨頸部骨折で動けなくなりました。入院して手術したものの、呼吸不全があるためリハビリにも消極的で、結局歩けるようにならないまま、自宅に戻りました。内科医の僕が呼吸器疾患のチェックのために定期的に往診していたのですが、骨折後のSさんはしきりに「死にたい」と訴えるようになってしまったのです。

Sさんは介護保険も使っていたので、若い男性ケアマネジャーのKくんが付いていました。ある日、僕がSさんの家に往診に行くと、たまたまKくんも来ていました。「先生のほうがお忙しいので、お先にどうぞ」と言われ、先に僕が診察することに。するとその日も、Sさんは「死にたい」「生きていたって仕方がない」と、しきりに訴えるのです。

みんなの介護 面と向かって「死にたい」と言われるのはツラいですね。その後はどうなさったんですか?

鎌田 Sさんの気分を何とか上向きにしようと、僕も言葉を尽くしました。

「そんな悲しいことを言われると、僕も悲しいよ。息子さんやお孫さんも応援してるんだから、もう一度頑張ってみようよ」と。

しかし、僕の言葉はSさんにはまったく届かなかったみたい。Sさんから前向きな言葉を引き出したくて悪戦苦闘したものの、Sさんは最後まで態度を変えず、結局、僕は尻尾を巻いて逃げ出してしまった格好です。とりあえず、「1週間後にもう一度話そう」と約束はしましたが…。

するとその夜、ケアマネージャーのKくんから、「自分がSさんのケアプランを作ったので、鎌田先生にもぜひ協力して欲しいんです」と電話がありました。KくんとはSさんの家で何度か顔を合わせた程度の関係なので、「協力と言われても…」と正直戸惑いましたね。

しかし、話を聞いていくうちに納得しました。Kくんは、僕とSさんの会話を聞いていて、ふと気づいたそうです。Sさんが落ち込んでいるのは、どうやら息子さんやお孫さんと関係があるらしい、と。

それで、僕が帰ってからさらにじっくり話を聞いてみると、大腿骨を骨折した日は、息子さん、お孫さんとラーメンを食べに行く予定だったことがわかった。Sさんは鼻にチューブを入れていましたが、携帯用酸素ボンドをカートに入れて運べば、外出も可能です。ところが、まさに家を出ようとしたそのとき、チューブが足に引っかかって転んでしまったんだとか。

「その日以来、『私がラーメンを食べたいなんて言い出さなければ…』と、Sさんは毎日自分を責め続けているみたいなんですよ。それで、僕も何とかしてあげたいなってと思いまして」と、Kくん。Sさんは確かに、誰かが何とかしてあげなければいけない状態に陥っていました。骨折後は要介護度も2から4に悪化。訪問看護は週1回から週3回に増えていたし、訪問介護も1日2回必要になっていたからです。

みんなの介護 それで、Sさんのケアプランに、どのように協力したんですか。

鎌田 Kくんの狙いは、Sさんを“最初のスタート地点に戻してあげる”こと。それで、僕に何ができるのか聞いたところ、「Sさんと一緒にラーメンを食べて欲しいんです」と。「なるほど、そうか!」と思いましたね。

それで日時を決め、諏訪中央病院5階の食堂でラーメンを食べることにしました。最初はSさんと僕の2人で、ということでしたが、発案者のKくんにもぜひ食べてもらいたかったので、3人でラーメンを食べることにしました。

みんなの介護 良いお話ですね。3人でラーメンを食べるというのが、何だかほっこり心が温まります。

鎌田 実は、もう一波乱ありました。

約束の日の前日、ここ茅野市に大雪が降ったのです。降り積もる雪を見ながら、僕は気が気ではありませんでした。今回もまたラーメンが食べられないことになったら、Sさんは立ち直れないんじゃないか、と。

ところが、約束の日は見事に雪が止んで、朝から快晴。市内の道路はところどころ雪が積もっていたので、除雪されている道路まで、KくんはSさんを背負って歩いたそうです。午後1時、車椅子のSさんが病院に到着。5階の食堂で、新雪が眩しく光る八ヶ岳を見ながら3人で食べたラーメンの味は一生忘れません。

それ以来、Sさんは「死にたい」とは一切口にしなくなり、リハビリにも前向きに取り組むようになりました。雪のなか、自分を懸命に背負って歩いたKくんの優しさや、3人で食べたラーメンが言葉を超える力になって、おばあちゃんにもう一度生きる力を与えたのだと思います。

後で聞いたところ、Kくんがケアプランに書き込んだ「カマタ先生とラーメンを食べにいく」という一行を、Sさんは何度も繰り返し見ていたとか。人を元気にする魔法の言葉って本当にあるんです。いくらAI が進化しても、こういうケアプランは人間にしか作れないのではないでしょうか。

この物語は、おばあちゃんのひと言から始まった、まさに「地域包括ケア」ですよ

みんなの介護 介護の現場でも、やはり言葉は大事なんですね。

鎌田 言葉は自分の心と体を繋ぐものであり、人と人とを繋ぐものでもあります。人は言葉によって人を理解し、共感することができる。もうひとつの事例を思い出しました。2年前のことです。

主人公は要介護度5のGさんというおばあちゃん。Gさんはこの病院の訪問看護を受けていて、若い理学療法士のHくんがGさんの自宅に通っていました。

リハビリが終わって、いつものようにお茶を飲みながらのよもやま話になります。そこでHくんは何気なく、「今度、諏訪湖マラソンに出場するんですよ」と話したんだとか。すると、それを聞いたGさんは、「いつもお世話になっているHくんを沿道で応援したい」と、担当のケアマネジャーに直訴したそうです。そこから、愉快な伝言ゲームが始まりました。

ケアマネジャーは早速、Gさんの意向を利用しているデイサービスに連絡。話を聞いたデイサービスのスタッフは、Gさんが応援するときに使ってもらおうと、作業療法の一環として、Hくんを応援する旗を通所者と協同で製作しました。

ところが当のGさんは、「いまの若い人は旗を振って応援されるより、何か食べ物を差し入れてもらったほうが喜ぶんじゃないの?」とのご意見。そして、「できれば、自分でおむすびを作って食べさせたい」と言い出します。

ところが、Gさんのアイディアには難点がありました。なぜなら、Gさんは脳卒中の後遺症で左半身にまひが残り、特に左手は鉤状に曲がったまま拘縮していて、とてもおむすびを握れる状態ではなかったからです。

みんなの介護 何だか、テレビドラマを観ているようです。

鎌田 ホントにそうですよね。

しかし、そこで諦めないのが、僕たち病院スタッフの愛すべきところ。何とかGさんの希望を実現させてあげようと、まずは指導役の総合医がGさんの左手にボトックスを注射して、拘縮を緩和します。次に、病院から派遣された作業療法士が連日、Gさんにおむすびを握る訓練を実施。

その結果、Gさんはおむすびを握れるようになっただけでなく、フライパンを使って卵焼きが焼けるまでになり、介護度も改善しました。

すべての始まりは、理学療法士Hくんの「今度、諏訪湖マラソンに出場するんですよ」の一言。Hくんを応援したいGさん、Gさんを手助けしたいケアマネジャー、Gさんのために旗を作ったデイサービススタッフ、Gさんに拘縮緩和の注射をした内科医、Gさんにおむすびを握る訓練をした作業療法士、とバトンがつながれ、多くのスタッフがネットワークで結ばれた結果、最終的にGさんの要介護度が改善したのです。まさに、「一つの言葉から始まった地域包括ケア」ですよね。

医師と看護師と介護スタッフは互いにプロとして対等。リスペクトし合う存在のはずです

みんなの介護 鎌田さんは30年も前から地域包括ケアに取り組み、医療と介護の最前線に常に立ち続けてきました。鎌田さんの目に、今の介護の現場はどのように映っているのでしょうか。

鎌田 僕自身のポリシーとして、「健康民主主義」を推進しているという話は前編でさせていただきました。人は誰に邪魔されることなく、自分の人生・健康・生死について自由に語り、自由に選択し、自由に決定することができる、と。「健康」の前では、誰もが平等なはずです。

ところが今の介護現場を見ると、いつの間にか、いびつなヒエラルキーができてしまっているのを感じます。医師を頂点に、その下に看護師がいて、さらにその下に介護スタッフがいるというピラミッド構造ですね。

現場ではなぜか医師が威張っていて、看護師に偉そうに命令し、それを受けた看護師がさらに偉そうに介護スタッフに指示を出す。その結果、介護スタッフはヒエラルキーにおいて常に抑圧されており、その不満や鬱憤をしばしば利用者さんにぶつけてしまう…。

みんなの介護 実際、介護の現場では、介護スタッフによる数多くの虐待事件が発生しています。

鎌田 しかし、こんなヒエラルキーがあること自体、間違っていますね。健康民主主義には反するし、そもそも、医師と看護師と介護スタッフはお互いにプロとして対等であり、互いにリスペクトすべき存在のはずですから。

もし、どうしてもヒエラルキーを作りたいのであれば、現場で一番汗を流し、現場で一番利用者さんの役に立っている介護スタッフを最上位に置くべき。つまり、逆三角形のピラミッドにならなければいけません。

この考え方を僕は「逆三角形の理論」と呼んでいます。もちろん、介護スタッフのさらにその上に、利用者さんがいるわけですが。

介護の現場では、どんな問題に対してもまず介護の人たちが対応し、何か困ったことがあれば看護師が応援にいき、さらに難しい状況に陥ったときに医師が出ていく。介護スタッフを下から看護師が支え、さらに医師が支える構造ですね。

医療と看護と介護の間でもう少し風通しが良くなっていって、お互いにリスペクトしつつ、もっと柔軟にいろいろやり取りできる関係になれば、介護の仕事ももっと楽しくできるはずなんです。

人の人生とは“いかに自由になれるか”を追求すること

みんなの介護 暴力事件にまで発展するケースはさすがに少ないものの、何らかの形で利用者を拘束してしまうケースが介護の現場ではときどき見受けられます。これについてはどのようにお考えですか?

鎌田 僕が自分の70年の人生をかけてやってきたことは、自分にしろ他人にしろ、「人はいかに自由になれるかを追求する」こと。僕自身、いつでも自由でありたいし、人は誰でも自由に振る舞えるべきです。だから物理的にも、また心理的にも、人を何かで縛り付けることは大嫌いですね。

介護施設の利用者のなかには認知症の人もいるし、何らかの精神疾患を抱えている人もいます。そういう人は、手足を拘束しなければ点滴や酸素吸入のチューブを勝手に抜いてしまうかもしれない。

しかし、たとえそういう患者さんであっても、手足を拘束することは、やはりあってはならないと考えます。医療・看護・介護のプロであれば、何とか拘束せずに済ませられる方法を考え出すべきではないでしょうか。

みんなの介護 鎌田さんの病院や関連の介護施設では、患者さんや利用者さんが拘束されないよう、どのように対策しているのですか。

鎌田 僕が院長を務めていた頃は、できるだけ多くのボランティアを受け入れるようにしていました。

病院の庭を管理し、季節の草花を育ててくれるグリーンボランティアや、正面玄関付近で来院者を案内するロビーボランティア、緩和ケア病棟で患者さんの話し相手になってくれるホスピスボランティア、などなど。そうやって数多くの市民の目を入れることで、病院内で行われているさまざまな業務の透明性を担保しようと考えました。

しかし、時代は変わりましたね。あれから15年近く経った今日では、病院内の有志による「3D回診」なるものが行われるようになりました。

みんなの介護 3D回診とはどういうものでしょうか。

鎌田 3Dとは、頭文字にDの付く3つの症状Dementia(認知症)、Depression(うつ病)、Delirium(せん妄)を指します。いずれも、病状が悪化すると自傷他害の恐れが出てくるため、拘束されやすい疾病といえます。そこで、これらの症状のある人が実際に拘束されていないか、病院内をくまなく見て回るのが3D回診です。

先日、ある看護師に「カマタ先生も一緒に見にいきませんか?」と誘われ、初めてその実態を知りました。僕が院長職を退いてから随分経ちますが、今の若い人たちも拘束は良くないと考え、その予防策を自主的に考えてくれていたんですね。自由を尊重する風土は確実に受け継がれているのだと知って、嬉しくなりました。

「賢人論。」第77回(後編)鎌田實氏「政府はただちに介護職員の給与を上げるべきですが、介護現場の僕たちも、もっと面白いことを考えなくては」

介護現場を面白くできるかどうかは、皆さん一人ひとりの“アイディア”次第です

みんなの介護 介護の現場では深刻な人手不足が続いています。現状を打開するには何が必要なのでしょうか。

鎌田 今、政府にできることは、補助金でも何でも使って介護職員の給与をただちに上げること。その際、「職員1人あたり月額3万円のベースアップ」を目標にします。

介護職員の生活ぶりを考えれば、月額3万円アップしても貯蓄にはほとんど回らず、消費が増えるので、地域経済はそれだけで活性化します。長年の懸案だった「物価上昇率2%」も、にわかに現実味を帯びてくるのではないでしょうか。この施策を実行するには、年間7?8,000億円規模の予算措置が必要になりますが、政府には勇気をもって断行していただきたい。

一方、介護の現場にいる僕たちにも、できることはあります。

愚痴ばかり言っていても人は集まらないので、何かもっと面白そうなことを考えること。現場が面白くなれば、人はおのずと集まってくるのではないでしょうか。

ちょっと話は変わりますが、普段あまり怒らない僕も、先日は久々に激怒しました。お子さんを保育所に預けられなかったシングルマザーの女性が、保育施設完備の風俗店で仕方なく働き始めたと聞いたからです。お子さんがいる以上、彼女に路上生活を送るという選択肢はありません。シングルマザーの弱みにつけ込み、子どもを人質に取って風俗店で働かせるという、とんでもなくあくどいシステムだと思います。

そこで、ちょっと考えてみました。

わが国には120万世帯以上のシングルマザーがいて、その約半数は貧困状態にあえいでいる。人によっては、今夜泊まる宿さえ見つけられずに困っているかもしれない。その一方で、800万戸以上の空き家が存在していて、防災・防犯上の観点からも大きな問題になっています。

だとすれば、シングルマザーと空き家をうまくマッチングさせる方法をひねり出せば良い。

みんなの介護 なるほど、そうすれば需要と供給がマッチしますね。

鎌田 例えば、空き家の一棟を改築して「シングルマザー・シェアハウス」を作り、複数のシングルマザー世帯に住んでもらうというのはどうでしょう。

その近くに別の空き家があれば、今度はその空き家を小規模多機能型居宅介護用に改築して、シェアハウスで暮らすシングルマザーの人たちに介護スタッフとして働いてもらえば良い。シェアハウスに8人のシングルマザーがいたとすれば、そのうち2人を子守役の保育要員として家に残し、6人を介護要員に回せるのです。

もちろん、シングルマザーの人たちが単独で事業を起こすことは難しいでしょう。しかし、これがビジネスモデルとして成功しそうであれば、出資者はいくらでも見つかるはずです。

みんなの介護 今流行りの、クラウドファンディングを利用する手もありますね。

鎌田 それも効果的ですね。シングルマザー・シェアハウスの近くに別の空き家が見つかれば、時間帯によって利用者が変わる多機能型カフェに改築するのも良いかもしれない。

朝の時間帯は「朝カフェ」。朝食を作るのが面倒臭いという単身者や学生さん相手に、バランスの取れた朝食を提供するカフェです。

朝10時以降は「認知症カフェ」。認知症の人もそうでない人も、一律300円程度の料金でおいしいコーヒーが飲めて、自由におしゃべりできる空間。

実は、こうした認知症カフェは全国で少しずつ増えていて、認知症の人が上手に利用すれば、病気の進行を遅らせることができると期待されています。

夕方5時以降は「子ども食堂」。シングルマザーや共働き世帯のお子さんが、低料金でボリュームいっぱいの夕食が食べられる食堂です。

認知症のおばあちゃんで、料理ができる人はけっこういます。めぐまれない子どものために煮物をつくる。お母さんが忙しくて煮物なんて食べたことのない子は嬉しいです。その子どもが、認知症のおばあちゃんに優しい言葉をかける。誰でも他者に心を配るとき、生きている意味がみえてくるのです。

そして夜7時以降は誰でも入れる「バリアフリー居酒屋」に。でも、これはちょっと欲張りすぎかな。

ともあれ、僕が言いたいのは、アイディア次第で介護の現場はいくらで面白くできるということです。

地域の人々の自由な医療・介護、そして自由な死に対してサービスを提供するのが、本当の地域包括ケアシステムなのでは

みんなの介護 鎌田さんのお話を伺っていると、介護ビジネスにはまだたくさんの可能性が残されていると思えてきました。

鎌田 そうでしょう。介護保険制度を上手に活用すれば、できることはまだまだたくさんあるはずです。

今回の取材では、前編から地域包括ケアが話題に上っていますが、実は2016年の秋に、『一般社団法人・地域包括ケア研究所』を立ち上げました。政府のお先棒を担ぐ気など、さらさらありません。僕は地域医療に長年携わってきたので、地域で最期まで生き抜きたいという人たちを応援するために、ネットワークづくりのお手伝いがしたいと考えたからです。

現在、地域で暮らしているお年寄りの多くは、最期まで自宅で暮らし、自宅で死にたいと考えています。しかし実際には、ほとんどの人が病院で亡くなります。亡くなるまでの期間も、子どもたちや家族の都合に合わせて、自宅から遠く離れた介護施設などに生活拠点を移さざるを得ません。悲しいかな、これが現実です。

しかし、健康民主主義に従えば、死に場所だって自分で決めて良いはず。地域包括ケアシステムがそんな希望を実現させるための仕組みであるなら、やはり必要なものであり、システムの構築に尽力すべきだと考えました。ただし、僕の考えているシステムは、国が想定しているものよりずっと柔軟でフレキシブルなものですが。

みんなの介護 例えば、先ほどアイディアとして伺った、シングルマザー・シェアハウス+小規模多機能施設+認知症カフェといったような複合体も、鎌田さんが考える地域包括ケアシステムに組み込まれるのでしょうか。

鎌田 そう思います。「包括」とは文字通り「丸ごと」ですから。その地域にある医療・介護・福祉の関連施設は丸ごとすべてネットワークにつながり、地域の人々の自由な医療、自由な介護、自由な死に対してサービスを提供することになります。

自分の話ばかりして恐縮ですが、2017年11月、地域包括ケア研究所の支援を受け、東京都町田市に新たな病院を開設しました。名前を『まちだ丘の上病院』といい、僕は名誉院長として回診をしています。

この病院の経営が軌道に乗れば、地域包括ケア研究所の事業の一環として、優れた介護ビジネスのアイディアに無担保で500万円まで融資するファンドを立ち上げる予定です。

介護は確かに大変な仕事です。精神的にも肉体的にも、キツいと感じる局面が無数にある。しかし、人間的な成長が期待できる、やりがいのある仕事でもあります。

あとは「仕事が面白い」と感じられるかどうか。

もし、職場が面白くなければ、面白い職場を作ってしまいましょう。介護の世界は「何でもアリ」。そうでも思わないと、息苦しくて窒息してしまいますよ。

世界保健機関のマーガレット・チャン事務局長もこう言っています。

「高齢者への出資はコストではなく、『投資』と考えるべき」と。

どうか、斬新な介護ビジネスのアイディアを考えてみてください。

若い人の斬新な発想に期待しています。

撮影:遠山匠

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森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07
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