ブレイディみかこ「多様性の時代の鍵は、共感できない人を理解するエンパシーにある」
イギリス在住のライターであり保育士のブレイディみかこ氏は、2021年6月『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)を上梓した。この本は日本の読者に反響が大きかった「エンパシー」について詳しく取り上げたものだ。共感できない相手であっても、相手の視点に立って世界を見るエンパシー。それは、少子高齢化で移民の流入が進む日本にあっても欠かせない。EU離脱以降の分断でエンパシーが切実に必要とされるイギリスの状況も踏まえて伺った。
文責/みんなの介護
エンパシ―が欠如した政治家たち
みんなの介護 ブレイディさんは、エンパシ―という言葉を「他者の視点から世界を見ること」と表現し、そのエンパシーが失われているとおっしゃっていますね。具体的に、どんな場面でそれを感じますか?
ブレイディ 政治家に、他者に対する想像力がなくなっています。それは、彼らが自分の社会的階層から外にほとんど出ていないからだと思います。貧困層の人と付き合ったこともなければ、その方たちが住む地域を見に行ったこともない。そんな政治家が「格差は問題だ」なんて言っている。
現在イギリスではフードバンクがとても増えていますが、以前保守党のある大臣が「フードバンクがこの世にあるのは知っている。だけど、なぜ人々がそこに行っているのかわからない」と発言していました。この発言はもちろん猛烈な反感を買いました。
みんなの介護 それは本当に恐ろしいことですね。
ブレイディ このことは、日本にも当てはまるのではないでしょうか。以前の首相の話ですが、新型コロナ対策として、ステイホームをプロモーションするための映像をつくりましたよね。「いかにも優雅なお宅で小指を立てて紅茶を飲みながら過ごす」という設定で、「休業補償もないのに、誰がこんなハイソな暮らしをしてるんだ!」とネットでひんしゅくを買っていましたね。
これがエンパシーの欠如です。自分の周りにいるよく似た境遇の人たちしか知らないため、「自分が知らない他者はどういう暮らしをしてるんだろう」と考える想像力がなくなったのです。
グローバルな旅ではなく、同じストリートの人たちを知る旅を
みんなの介護 エンパシーの大切さはイギリスでも見直されているのですか?
ブレイディ 今年、イギリスのノーベル賞作家であるカズ・イシグロさんのインタビューが話題になりました。
彼は普段からニューヨーク・パリ・東京を行き来して、グローバルに旅をしています。しかし、イシグロさんが旅をして、話をするのは、作家やメディア、ジャーナリストや大学の先生など、同じような考え方をしている知識階層の人たちだけだと言うのです。例えば、工場労働者やスーパーマーケットの従業員など、普段接することがない人と話すわけではありません。
そのようなご自身を振り返り、「これからはグローバルな横の旅ではなく、自分が住んでいるストリートの人たちを知る縦の旅をするべきじゃないか」と言われたのです。
同じストリートに住む人たちの中には、自分とはまったく違う環境で育ってきた人がたくさんいます。イギリスであれば、同じストリートでも人種も違います。喋っている言葉さえ違います。自分がしたこともないような仕事をし、違う階層に生きている人たちが住んでいるわけです。そのような人々を理解することを、縦の旅だと表現されました。
みんなの介護 「縦の旅」とは面白いですね。確かに遠くに出かける「横の旅」より心境の変化を与えてくれるかもしれません。
ブレイディ カズオ・イシグロさんがそのように語られた背景には、英国のEU離脱があったのではないかと思います。
イギリスではEU離脱の後も分断が進み、3年半ぐらい揉め続けていました。離脱派と残留派など、階層や政治イデオロギーのために、憎しみに満ちたいがみ合いが延々と続いたのです。
その中で、「分断された者が互いに憎しみ合うのは良くない」「対話しなくてはいけないのではないか」という意見が増え、エンパシーが必要だと言われるようになったのです。
みんなの介護 イギリスでは、エンパシーが求められる必然があるのですね。
ブレイディ ええ。また、分断は貧困の問題ともつながっています。貧しいエリアに住む人たちと、ミドルクラスのエリアに住んでいる人たちが日常的に触れ合うことがない。そうした異なる層の人たちがすれ違うこともないエリアもあります。
交わり合う機会がないと、互いの考え方を知る機会がないのでお互いのことがわからなくなる。小さな子どもを見るとよくわかりますが、人間は知らない人には恐怖心を抱くように生まれついている。この恐怖心が憎しみや対立の根源だと思います。
みんなの介護 ブレイディさんも、「わからない相手に対して恐怖を持つこと」を実感した経験はありますか?
ブレイディ 私は保育園で働いていました。日本人ということで、子どもに怖がられることがありました。子どもは見たことがないものは怖いから、びっくりして近寄りません。
家族も友達もみんな白人でアジア人と触れ合ったことがない。そんな子どもが1・2歳で託児所に来たら、私を見て大泣きするんです。怖くておもらしされてしまうこともありました。
でも、そんな小さな子どもを相手に「人種差別をするな」と説教をしても仕方ありません。人間は怖いものに対して、そのような反応をする本能が備わっていると思うのです。実地で触れ合って慣れていくしかない。慣れて行けば、卒園する頃には一番の仲良しになっていたりするんですけど。
たった4ページのエンパシーの記述に大きな反響があった
みんなの介護 『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』を出版されたのは、日本の読者に反響があったテーマだったからだとお聞きしました。
ブレイディ 私は、エンパシーについて『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 』で触れました。エンパシーについての記述は、本の中のたったの4ページ。それなのに大きな反響をいただき、本のレビューやTwitterで「エンパシーという言葉が心に残った」とコメントをくださった人が多くいました。この現象はとても不思議で、なぜなのか考えてみたんです。
みんなの介護 確かに不思議ですね。実際、どんな理由でしたか?
ブレイディ エンパシーという英単語は、これまで「共感」と訳されて日本に入っていました。シンパシーと同じ訳です。
ブレイディ ですが、エンパシーという言葉は「共感」と訳せるものではないし、シンパシーとは別物ですよね、という概念が入ってきた。そのことによって、「これだ」と思った人が多かったのではないかと考えました。「共感じゃない、つまり、感情から入るわけではない他者理解もあるよね」ということです。
みんなの介護 なるほど。ブレイディさんは、シンパシーとエンパシーの違いはどのように考えていますか?
ブレイディ 例えば、かわいそうだと同情したり、共鳴したりする気持ちがシンパシーです。SNSで「いいね」を押すときのような瞬時に抱く気持ちです。
エンパシーは、同情できる人や自分と同じ意見を持っている人に限って抱くものではありません。どんな相手であっても「その人の立場に立ったらどうだろう」と想像します。「考える」というワンクッションが入るのです。
だからエンパシーを働かす対象には、反対の意見を持っている人、同情できない人、好ましいとすら思わない人も入っているわけです。
共感できない人をも理解するコグニティブエンパシ―
みんなの介護 『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』の中では、でさまざまな種類のエンパシーについて触れられていましたね。
ブレイディ エンパシーの中でもいくつか種類があるんです。その中でも一番大きな分け方は、コグニティブ(認知的)エンパシ―とエモーショナル(感情的)エンパシーです。
エモーショナルエンパシーは、シンパシーに近いです。自分と似たような考えを持っている人や自分と同じような境遇の人に抱くことが多い。共鳴したり、かわいそうだと同情したりする気持ちです。
コグニティブエンパシーは相手がどんな人であれ、その人の視点を取得して世界を見る。その人になったつもりで考え、想像してみるのです。想像力を働かせる相手に制限がありません。
みんなの介護 ちなみに、どうやったらエンパシ―が身に付くのですか?
ブレイディ 例えば、読書などはエンパシーを磨く作業です。小説は主人公になったつもりでいろいろなことを体験できます。映画もそうです。
そこに出てくる主人公は、必ずしも共鳴できるタイプばかりではありません。シリアルキラーのような登場人物もいます。しかし、共鳴できなくても「なんでこの人はこんな行動をとったのだろう」と考えるわけです。もちろんそこで「やっぱりわからない」ということはあります。それでも、その人にはその人の視点があり、自分とは違う他者がいるのだという事実はわかるようになるんです。
みんなの介護 なるほど。エンパシーが磨かれるといろいろな方との人間関係が変わりそうですね。
「この人はこういうものだ」と決めつけない
みんなの介護 ブレイディさんは、他者の視点に立って世界を見る「エンパシー」の大切さを本の中に書かれています。ケア労働で言えば「健常者から見た障がい者」「若者から見た高齢者」への接し方などもエンパシーが鍵になりそうですね。
ブレイディ そうですね。エンパシーを発揮するには、他者を「決めつけ」ないこと。例えば「この人はこういうものだ」という思い込みです。それに目が曇らされると、相手が意外な姿を持っていても見えなくなるからです。
今年の6月に出た拙著『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』には、もう一つのテーマがあります。それは「他者に対する思い込みを乗り越えろ」「既成概念を脱ぎ捨てろ」ということ。
最近、『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書: 自閉症者と小説を読む』という本を読んだんですが、この本にもその大切さが描かれていました。文学部の教授が自閉症者とともにさまざまな文学作品を読むというストーリーで、彼らとの読書記録になっています。
自閉症者が他者の視点を想像しながら、主人公の気持ちを濃厚に敏感に感じとっている。「自閉症者は他者の気持ちを想像することができない。エンパシーに欠ける」と言われることもありますが、それがどれだけ人の視野を狭める思い込みだったかよくわかります。
ケア労働の常識は日々アップデートされる
みんなの介護 なるほど!今まで信じられてきた考え方と180度違いますね。
ブレイディ 私もこの本を読んで、「このような思い込みが、障がい者や高齢者に対してもあるのでは」と思うようになりました。
イギリスで保育士をしていた頃、半年に一度ぐらいのペースで知識をアップデートしていました。多様性や人種の問題、障がい者教育など最新の知見を学ぶのです。当たり前のように教えられていたことが、最近の研究では全然違ったという話もどんどん出ています。
みんなの介護 間違った思い込みを持ったまま相手にかかわり続ける怖さを感じます。
ブレイディ ケアの仕事は、日常的には同じことの繰り返しですよね。保育であれば、オムツを替えたり寝かせたり、食べさせたり、遊ばせたりするルーティーンの繰り返しです。
しかし、だからこそ日々の仕事の中で知識をアップデートしながら、新鮮な驚きや新しい考え方を取り入れて仕事をすることは、自分がやっていることの意味を理解し、深める上でも大切だと思います。
ジョンソン首相を助けた看護師が待遇の悪さから退職
みんなの介護 ブレイディさんは、ケア労働者の存在についてはどんな問題意識をお持ちですか?
ブレイディ ご存知の通り、ケア労働者は新型コロナ問題で活躍しました。それなのに、経済的に報われていないのはおかしいと思っています。
新型コロナの感染が広まっていったときに、ケア労働者はステイホームができませんでした。イギリスでは厳格なロックダウンが行われ、ケア労働者以外の人たちは自宅で働いていたにもかかわらずです。
しかし、保育士・介護士・看護師・ゴミの収集や病院の清掃に携わる方たちは、外で働く必要がありました。直接的に他者のニーズをケアする人たちです。
働けない人に対しては、休業補償が給与の80%出ていました。毎週木曜日の夜には、医療従事者やケア労働者のためにさまざまな人が拍手を送りました。しかし、ケア労働者はやはり低賃金。スズメの涙ぐらいの昇給しかなかったので、怒りが起きています。
みんなの介護 命を危険にさらしながら職場を守っていたのに…。
ブレイディ そう思います。一つ象徴的なエピソードがあります。ジョンソン首相が昨年新型コロナにかかりました。命を落としかねない重篤な状態になったんです。そのとき助けてくれた看護師たちがいました。ジョンソン首相は生還したときにこう言いました。「この人たちがいるから自分は助かったんだ」と。
しかし、ジョンソン首相に感謝された看護師の内一人が今年辞めています。コロナ禍での行動が待遇に反映されなかったからです。
ケアをする仕事は、これから主流になっていくでしょう。事務作業などはAIにとって代わられる。「ブルシット・ジョブ」と言われる、なくても良い仕事も削られていくでしょう。しかし直接的に誰かをケアする仕事は、よっぽどロボットが進化しない限り人間にしかできません。
私は他者を直接ケアする仕事には、魂の滋養になるような喜びを感じる瞬間があると思いました。この感覚は、ケア仕事の経験がある人にはわかるはず。
「底辺託児所」で私は書くべきことを見つけた
みんなの介護 ブレイディさんはいつから託児所で働いていたのですか?
ブレイディ 私がイギリスの託児所に勤め始めたのは、今から15年ほど前です。託児所があったのは疾病率・失業率・貧困率が国内でもワーストの貧困エリア。長期的に無職の状態にある方、貧困の問題がある方、移民の方などが多く住んでいました。
みんなの介護 ご著書などで「底辺託児所」と表現されていますね。まさしく、社会の歪みをダイレクトに受けた子どもが集まった場所のような…。
ブレイディ そうです。託児所の母体の施設は、ほかにもさまざまなサービスを行っていました。一例をあげると、ホームレスの方へのシェルター提供、生活保護の受け方などを教えるリーガルアドバイス…。教育としても、長期無職の方々に無料でPCスキルを教えたり、移民の方々に英語を教えたりもしていたんです。
福祉が保護する寸前の状態までいっている子どもたちも多く来ていました。また、ソーシャルワーカーが介入している家庭もありました。育児放棄や幼児虐待の疑いがあったからです。
そのような状況を見て、私は当初、「もっとしっかり子どもを育てろよ!」と育児放棄をする親に強い違和感を持っていたんです。でも、次第に「これは個人の問題ではないな」と感じるようになりました。そして「こんな風に育児を放棄してしまう原因はなんだろう」と考えるようになったのです。
みんなの介護 原因は何だったのでしょうか。
ブレイディ イギリスの保育士は資格を取るときに、学期ごとに長いエッセイを書かされます。これは随筆という意味ではなく、テーマごとに設問について答えていく小論文のことです。例えば、「児童保護」がテーマであれば、幼児虐待を早い時期に見つけるために保育現場ではどのようなことを実践するのかと聞かれる。
子どもが登園してきたら、傷や痣がないか毎朝チェックして記録するなど、実習している園で行っている実践をいくつか答えますよね。すると次の設問は、いま答えた実践の数々はそれぞれどの法律に基づいているのか、と聞かれる。国内の法だけでなく、国連のルールまで遡って答えます。
次に、その法律ができた背景について聞かれます。例えば、児童虐待を受けて亡くなった子どもの事件があり、そのために保育施設と福祉、警察の連携を求める市民運動が立ち上がった。それが国会でも取り上げられ…というようなことや、第二次世界大戦後のスラムの子どもたちまで遡って歴史的な変遷を書くこともある。一定の点数を取らないと資格が取れないので、みんな必死で調べ、本を読んだりして書きます。
こういうエッセイを書かされ続けると、目の前にいる一人の子どもや家族を特定の方法でケアしなければならない背景にある法的枠組や、さらにまたその背景にある社会の構造的な問題まで考える習慣がつくのです。
これは、ミクロからマクロを見上げる訓練だと思います。だから、英国には「保育士は社会を変える仕事だ」と言う人もいます。その通りだと思います。
みんなの介護 社会の歪みが悲惨な家庭状況につながっていることを強く感じますね。託児所での経験が、その後の執筆にどんな影響を?
ブレイディ 私はそれまでもライターとして、音楽や映画のレビューの執筆をしていました。しかし、託児所で働き始めて「自分が書かなければいけないことを見つけた」と感じたんです!
私が書く必然を感じたのは、格差と貧困の問題。一貫して伝えたかったテーマは「緊縮財政への反対」です。イギリスは2010年に緊縮財政を始めてから格差が広がり、固定化しています。私が働いていた託児所も、緊縮財政によって潰れてしまいました。
保守党が政権を取った2010~2011年度から2015~2016年度の間に、イングランドの地方自治体は、27%の支出削減を余儀なくされました。私が働いていた無料託児所は、長期無職者とその家族を支援する慈善団体の一部でした。ですので、地方自治体に補助金を貰っていましたが、この大幅な支出削減の影響で補助金を著しく削られ、だんだん縮小し、最後には運営不可能になりました。
託児所だけではなく、図書館もどんどん潰れました。福祉施設やソーシャルワーカーの福祉予算が削られてソーシャルワーカーの数が減っています。結果的に、昔だったら絶対ソーシャルワーカーが入っていたような家庭に、誰も介入できなくなりました。そのような問題がどんどん起きているのです。
政府が国民のためにもっとお金を出すことが必要だと感じています。このことは、日本も同じと言えるでしょう。
人はたくさんの帰属性を持って生きている複雑な存在である
みんなの介護 ご著書に「アイデンティティは選ばされる必要も思い込む必要もない。何かに帰属しているという強い帰属意識が分断を生み出す」とありました。この考え方は素敵ですね。アイデンティティについて、ブレイディさんのお考えを詳しく教えてください。
ブレイディ かつて「アイデンティティ」という言葉は、個としての自分が何者なのかを探すような意味で使われていました。80年代ぐらいには、「自分探し」や「自己実現」といった言葉と結びつけて使われることが多かったと記憶しています。
しかし、今は「アイデンティティポリティクス」(アイデンティティ政治)という言葉が広まったために、政治的文脈で使われることが増えました。結果、人種やLGBTQなどの帰属性を意味する言葉だと考えられるようになったのには、強い違和感を感じます。
このことは、アミン・マアルーフという人が書いた『アイデンティティが人を殺す』という本にも書かれています。帰属性としてのアイデンティティの危険性を書いたものです。
みんなの介護 なるほど。自分探しとして考えるのと、帰属性を選ぶための言葉ではまったく変わってきますね。ブレイディさんは、ご自身のアイデンティティをどのように考えていますか?
ブレイディ 「私のアイデンティティは決して一つではない」と思っています。外国人として海外に住んでいると、なおさらそうです。
例えば私は日本人であり、英国在住者であり、移民であり、女性であり、子どもを持つ保護者でもあります。そのほかにも、いろいろな属性を持っています。そして、それを身にまとって生きている。「そういった組み合わせのユニークさが一人ひとりの人間の違いをつくっているのだ」と『アイデンティティが人を殺す』の本の中に書かれています。
だから、その中から何か一つを選んで「自分は○○人だから、他の人種の人とはわかり合えない」というのもおかしなことだと思います。
いろいろな帰属性から一つを選ばされる必要もないし、選ぶ必要もない。「一人ひとり違うからこそ、私たちはユニークで他の人とは違う存在だ」というのは、とても納得がいきます。
みんなの介護 一つの属性だけで、すべてが決まるわけではないのですね。
ブレイディ アイデンティティの選び方が、最終的には帰属性のための戦争につながる。そして、人まで殺してしまうような危険な可能性を秘めているというのが前述の本の主張です。
EU離脱のいがみ合いも、まさにそうでした。人種や階級、北部や南部の住人であるという地元のアイデンティティで分断しましたが、よく考えると互いにはどこか重なる部分もあるはず。同じような仕事をしているとか、年老いた親の介護をしている年代だとか。
そう考えると、意見が違って対立している人たちも話し合える属性の部分があるのです。しかし、それを捨て去って何か一つの帰属性だけを選ぶ。そのことによって調和が乱され、憎しみ合うことになると思うのです。
だから、「人はたくさんの帰属性を持って生きている複雑な存在」というのは大事な視点です。
イギリスの幼児教育は主張できる心を育むのが目標
みんなの介護 ブレイディさんは、イギリスと比較して、日本の政治や社会が「こんなふうに変われば良いのに」とお考えのことはありますか?
ブレイディ まず、民主主義が息づく国にするために、教育の見直しが大切だと思います。それには「私はこう思う」「私はこれが嫌」「私はこうしたい」と意見を言える人間を育てること。そして、人と対話する力を付けることが第一歩だと思います。
そのためには、保育の段階から人間の内面の発達を重視し、自分の言葉で自分が感じていることや考えていることを主張できる子どもを育てることが必要です。現在のイギリスは幼児教育からそれを目指しています。
みんなの介護 イギリスの幼児教育にはどんな特徴があるのでしょうか。
ブレイディ イギリスには、幼稚園と小学校の間のようなレセプションクラスがあります。4歳で公立小学校に入学し、そのクラスに入ります。私が保育の資格を取ったときは、労働党が政権を握っていました。そのとき保育の一大改革が行われたんです。
そして、幼児教育のカリキュラムの最終目標が変わりました。「一人ひとりの子どもが自分の言葉で自分の意見を言えること」「自分の権利のために立ち上がれる子どもにすること」になったのです。「数字が数えられる」とか「アルファベットが書ける」ということではありません。
みんなの介護 能力ではなく、精神を育てることに重点が置かれたのですね。そのために、どのような取り組みをするのですか?
ブレイディ 例えば、子どもが何かの問題を訴えてくるとします。すると、「どうしたらいい?」と聞いて、「どうしたら状況を改善できるか」を一緒に考えます。「子どもたちと話し合ってから問題の解決法を見つけるべきだ」というカリキュラムになっているからです。
イギリスは日本とは保育士の配置基準が違い、一人の保育士が保育する園児の数が少ないのでそういうこともできるんですけどね。だからこそ対話が可能になる部分はあります。
日本では、一人の保育士がイギリスよりも遥かに多い数の子どもたちの面倒を見ています。そのため、一対一で子どもとディスカッションするよりは、みんなをまとめることが大事になっています。だから、「みんな並んで同じことをしてください」という風になりがちなのはわかります
例えば、何か工作をするときも、みんなで一斉に色塗りから始めるというように順番が最初から決まっていて、先にはさみで切ろうとする子どもがいると「言った順番でやってちょうだい」となってしまうんですよね。
日本には自分の思っていることを言ってはいけない空気がある
みんなの介護 幼児教育から「周りと同じ」を強要されることは、人格形成にも影響しそうですね。「自分の意見を主張してはいけない」と思う子どもをつくってしまいそうです。
ブレイディ 現に、日本にはそういった問題を抱えている人は多いように感じます。
コロナ前に日本で対談をしました。そこで対談した若者が「日本の社会には、自分の思っていることを言ってはいけない雰囲気がある」と語っていました。
また、最近話をした日本人女性の若いライターの方は編集者に意見を聞かれたとき、「自分の意見なんか書いても良いの?」と思ったそうです。誰かや何かについて書くことが物書きの仕事で、自分の意見なんて書くのは危険だと思っていたらしいのです。
特に政治や社会の話は「データはこうなっている」「この人はこう言っている」などと引用する部分ばかりが増えています。日本では、「自分はこう思う」とはあまり言いません。
みんなの介護 幼児教育から「周りと同じ」を強要されることは、人格形成にも影響しそうですね。「自分の意見を主張してはいけない」と思う子どもをつくってしまいそうです。
ブレイディ そういう空気がありますよね。イギリスのライターは、生活の一部として平気で政治のことを書きます。それは道端やパブでも、日常的に自分の意見を言い合っていることと繋がっていると思います。
直接的に誰かのためになるケアの仕事に戻りたい
みんなの介護 ブレイディさん、今後はどんな仕事をしたいと考えていますか?
ブレイディ また直接的に誰かをケアする仕事に戻りたいと考えることが増えています。保育士の仕事は数年前に辞め、しばらく書く仕事に専念していたのですが。秋から教育のボランティアに参加しています。
知人に大学で数学を教えている人がいて、コロナ禍の休校で中学進学時に補習を受けられなかった生徒たちを対象に、小学校で履修すべきだった算数を教えています。そこで教室アシスタントをしています。
「やっぱり直接的に誰かのためになっていると実感できる仕事が良いな」と、切実に思い始めています。デヴィッド・グレーバーが『ブルシット・ジョブ』という本に書いていた、他者をケアする仕事の「ダイレクトに必要とされる」ことの醍醐味を感じたいというか。
机に向かって書くことや、こうやって取材で喋ったりすることでは満たされない何かがそこにはあります。人間って、そういう何かがないとバランスを崩すような気がします。
将来的には、書くことをやめてケア仕事に戻る可能性もありますよね。
みんなの介護 えー!それは日本の読者も寂しくなります…。でも、ケアのお仕事にかける思いが伝わってきます。
ブレイディ そうですね、やっぱりケアの仕事は大変だし、面倒くさいし、きついけど、楽しい。ケアの仕事ほど、直接的に自分が他者に何かをしていると感じられるものはないと思います。他者をケアすることで、自分がケアされているのかもしれません。
撮影:Shu Tomioka
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