河合雅司「人口は国家の要諦。まさに社会保障は『人口の問題』なのです」
2020年に日本人女性の半数が50歳を超え、そのままいくと2027年には輸血用血液が不足し、2040年には自治体の半数が将来的な消滅の淵に立たされる──。人口減少、少子高齢化が進む日本の未来に警鐘を鳴らした『未来の年表』(講談社現代新書)は発売と同時に話題となり、『未来の年表2』『未来の地図帳』(ともに講談社現代新書)という2つの続編を含めて累計86万部の大ベストセラーとなった。そもそも日本はなぜ、こうした深刻な問題を抱える社会になってしまったのか?著者である河合雅司氏に直撃した。
文責/みんなの介護
「子どもは2人まで」というスローガンをかつては誰も疑わなかった
みんなの介護 河合さんは1963年の名古屋市生まれですが、この時代に生まれた人を「ドラえもん世代」と呼ぶことがありますね。
河合 そうなんですか。漫画『ドラえもん』の主人公、野比のび太くんは1962年生まれという設定なんだそうですね。そうならば確かに私と同世代です。
のび太くんは小学4年生の設定なのですか?1970年代前半の世界が作品に反映されているわけですね。この時代、その後の少子化に大きな影響を与えた重要な出来事が次々と起こっているんです。
みんなの介護 1970年代前半というと、高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)はまだ10%にも達しておらず、総人口も1億人を超えたばかりで2008年の1億2,808万人というピークに向けて増え続けていました。そんな時代に、どんなことが起こったのですか?
河合 1970年代の前半は、第二次ベビーブーム(1971年~1974年)が到来しました。終戦後すぐに生まれた団塊の世代が結婚適齢期をむかえ、出産ラッシュになったからです。
丁度この頃、1972年のことですがローマクラブが「成長の限界」という報告書を発表しました。時を同じくして1973年にはオイルショックが起こりました。私も子どもながらに覚えていますが、トイレットペーパーや洗剤などの買い占め騒動になったりして、「資源は無限ではない」という認識が日本はもちろん、世界中に広まったのです。
みんなの介護 ベビーブームと資源枯渇問題、この2つの出来事が同時期に起こったことで、どんな影響が出たのでしょう?
河合 象徴的な出来事はオイルショックの翌年の7月、厚生省と外務省の後援・協賛のもとで、人口問題研究会、日本家族計画連盟など民間4団体が共催した日本人口会議です。ここで「子どもは2人までという国民的合意を得るよう努力すべきである」という大会宣言が採択されたのです。
世界の人口爆発を抑制するには、先進国がお手本を示さなければならないということで日本がその役を勝って出たのですが、これをマスコミ各社は大々的に取り上げ、その後、日本の少子化が一気に進んでいくきっかけとなりました。
みんなの介護 今から見ると、中国の「一人っ子政策」を連想してしまう、過激な人口政策のように聞こえますね。
河合 ところが、当時はそれに違和感を覚える人のほうが少数派でした。
そもそも「人口」の2文字は「ヒトのクチ」と書くように、いかにして国民を食べさせていくかということは、古来、どこの国においても政府の最重要課題だったわけです。
第二次世界大戦後、植民地支配から解放された発展途上国では、経済の近代化とともに人口爆発が続いていました。戦後の日本と同じく、高い出生率のまま、経済が発展して医療や栄養状況が改善していくにつれて死亡率が低下していたためです。こうした人口爆発の問題は、世界的に見ると現在でも大きくは変わってはいません。
「子どもは2人まで」というスローガンを掲げた日本人口会議は民間主導で行われたものでしたが、政府も同じ頃に発行した白書において「静止人口」という言葉を副題に使うなど、人口増加を抑制する方向へと政策誘導しようとしていたのです。方策を提案しています。
世界のどこを見ても、政府が人口のコントロールに成功した例はない
みんなの介護 「静止人口」というのも、今から考えると違和感のある言葉ですね。
河合 1人の女性が生涯に出産する子ども数の推計値を合計特殊出生率といいますが、現在はこれが「2.07」になると人口は維持できるとされております。1970年代前半において各夫婦が子どもを2人を育てれば、人口は増減することなく「静止」し、社会は安定し得ると考えたのでしょう。
しかし、人々の営みの結果である出生数は、政府や学者が机上で考えた理屈がうまくあてはまるはずがありません。世界のどこを見ても、政府が人口政策に深く関与した国では、その後人口構成がいびつになる。人口のコントロールに成功した例はないといってもよいでしょう。
みんなの介護 「子どもは2人まで」「静止人口」といった目標は、当時の世の中の共通認識だったにもかかわらず、実現されなかったわけですね?
河合 それどころか、日本の合計特殊出生率は日本人口会議で採択が行われた翌年の1975年に「1.91」になり、それ以降、ふたたび「2.00」の大台に戻っていません。
結局のところ、「子どもは2人まで」という目標は多くの国民にとって「人口爆発とならないよう、今の人口規模を維持していきましょう」というメッセージとは受けとめられず、出産抑制を奨励する呼びかけになってしまったわけです。
日本の少子化の大きな要因は、「未婚・晩婚化」です
みんなの介護 その後も下がり続けた合計特殊出生率は、1989年に「1.57」になり、丙午(ひのえうま)という特別な理由で低率となった1966年の「1.58」を下まわりました。このことは「1.57ショック」としてマスコミでも大きく報じられましたが、もし、このとき、団塊の世代の人たちの子どもである団塊ジュニアが第三次ベビーブームを起こしていたら、そういうことにはならなかったはずです。なぜでしょう?
河合 1989年は、第二次ベビーブーム(1971~1974年)で産まれた最初の子どもがまだ18歳ですから、この時点では第三次ベビーブームは起こりません。第二次ベビーブームのる団塊ジュニア世代というのは就職氷河期にあたったことに加え、この頃から女性の社会進出の流れが強まったこともあって、未婚や晩婚・晩産が一挙に進みましたので、第三次ベビーブームは2000年代まで待たなければなりません。
実は、厚生労働省の人口動態統計における出生数の年次推移のグラフを見ると、2006年から2008年のところに、極めて小さな脹らみが見られます。ここの出生数が増えたのは、晩婚であった団塊ジュニア世代の女性たちが、30代後半になって〝駆け込み出産〟したことが大きな要因です。私はこの3年間が幻となった第三次ベビーブームだったのではないかと考えております。
みんなの介護 これは、日本人口会議の「子どもは2人まで」宣言の副作用と言えそうですか?
河合 現在に至る出生数の下落を考えますと、この時の政策判断が日本の大きな転機になったといえるでしょう。
日本の少子化の要因は、夫婦が生涯にもうける子ども数が減ったことと並んで、そもそも結婚する人が少なくなったこともあります。未婚者が増えれば出生数が減るのは当然です。さらに、晩婚も進みました。その結果として起こる「晩産」も大きな要因です。
第一子が産まれて、次の子どもをどうしようかと考えたとき、すでに女性が高齢出産と言われる年齢に達していたとすると、妊娠しにくくなったり、子どもが成長するまでに定年退職を迎えるといった収入面での悩みを抱えたりして、第二子、第三子を産みにくくなります。
みんなの介護 団塊ジュニア世代は成人になる前後にバブル崩壊に遭遇し、就職氷河期を経験しました。フリーターや派遣労働者といった非正規雇用者がこの年代に多いことも、未婚・晩婚の原因になっているのでは?
河合 もちろん、非正規雇用の問題は深刻な要素で大きな要因ですが、正規雇用の人たちの間でも未婚・晩婚が起こっています。「子どもを持たない」という価値観の広まりや、子どもが欲しいと思っても、子育てと労働の両立をしにくい社会になってしまったということもあって希望する子ども数を断念したという夫婦が増えたことも作用しています。
日本は戦後70年余をかけて子どもの数を減らしてきたわけですが、ひとたび進んでしまった少子化を止めることは難しいのです。なぜならば、過去の少子化の影響で、今後は母親となり得る若い女性の人数も減っていくからです。出生率が多少回復したところで出生数が増えることはありません。
人口減少は「静かなる有事」。問題の深刻さが理解されていない
みんなの介護 河合さんは産経新聞社で記者をしていた2015年に発表した『日本の少子化 百年の迷走』(新潮選書)では、明治維新以降の歴史をひもといて、日本の少子化がどのようにして起こったかを一次資料をもとに詳細に分析しています。この著作に限らず、かなり早い時期から日本の人口問題に警鐘を鳴らす記事を書かれていましたが、どんな動機があったのですか?
河合 私は30代には首相官邸の記者クラブに所属していて、政治の中枢から日本の政局を見てきましたが、政治部内の担当替えのローテーションの一環で厚生労働省の記者クラブに異動し、政策取材に軸足を移したんです。
小泉政権の時代ですが、年金問題に端を発し、日本の社会保障に大胆な制度改革を迫られた時期でした。2004年に年金、2005年に医療、2006年に介護という具合に毎年のように大きな制度改革があって、そのたびに国会も空転し、世間の注目も浴びました。
それまで貧困者や高齢者といった困窮した人たちを支える社会保障や福祉政策といえば、政治課題としては片隅に追いやられていたのですが、そのようなテーマがこの時期、いきなり政局の中心に躍り出て、与野党の大きな争点になったのです。この頃が、少子高齢化が日本社会にさまざまなひずみをもたらし始めた時期だったということなのでしょう。
人口は国家の要諦であるわけですが、年金も医療も人口の変化によってさまざまな課題が噴き出してくる。まさに社会保障は人口の問題なのです。もともと学究的なタイプなのですが、人口問題、社会保障に関するさまざまな統計資料や学術書などを読み込みました。
結果として、「これは国家の存亡の危機であり、あらゆる政策課題につながる課題である。決して、社会保障の問題に矮小化してはいけない」ということに気づいたのです。
みんなの介護 人口問題について書かれた河合さんの記事には、どんな反響がありましたか?
河合 いくら「国家の存亡の問題」と書いても、「そんな先の話をしている暇はない」という雰囲気でしたね。みんな目の前の課題、仕事に必死なわけです。政治家や官僚、経済界の中には注目してくれる人もいましたが、全体的には「無視」と言って良いほどのものでしたね。
合計特殊出生率が過去最低の「1.26」にまで下がり、厚生労働省の人口動態統計で初めて人口減少が確認されたのは2005年のことですが、1989年の「1.57ショック」のときと同様、多くのメディアが大々的に取り上げました。しかし、この話題も一過性に終わり、政府も対策に本腰を入れるに至りませんでした。
日本社会が陥る「ダチョウの平和」
みんなの介護 日本の政府、および国民はなぜ、少子化対策に関心を示さないのでしょう?
河合 少子高齢化とか、人口減少というのは、日々の生活に大きな変化が見つけづらいからでしょう。変わりがないからなのではないでしょうか。
「ダチョウの平和」という言葉があるのをご存知ですか?
危機が迫ってくると、頭を砂の中に突っ込んで現実を見ないようにするダチョウの習性を使った比喩です。実際のダチョウには、そんな習性はないそうですが、日本の人口減少問題では、それと同じことが起こっているように思います。
みんなの介護 そんな中、講談社現代新書の『未来の年表』シリーズがベストセラーになったということは、時代がようやく河合さんの危機感に追いついてきたのかもしれませんね?
河合 そうだといいなと思いますが、私はいまの状況を楽観視していません。
私は日本の人口減少を「静かなる有事」と名付け、警鐘を鳴らしてきましたが、その静けさにかき消されて問題の深刻さを把握していない人がまだまだ多いと思っています。これからもっともっと、警鐘を鳴らしていかないという状況には変わりがないです。
みんなの介護 では、これから日本で起きる人口減少と高齢化による最悪の事態はどうしたら防げるのか?ということについて、次回のインタビューでは語っていただくことにしましょう。
『未来の年表』は少子高齢化への解決策を示す本でもある
みんなの介護 「輸血用血液が不足する」「食卓から野菜が消える」「47都道府県は維持できない」など、『未来の年表』シリーズは人口減少と高齢化に向かう日本のショッキングな未来を予言しています。危機を前にして、見て見ぬ振りをしがちな多く人々の目をひいたことがヒットの理由のひとつだと思いますが、いかがでしょう?
河合 人口減少も少子高齢化も言葉としては誰もが知っているわけですが、具体的に何が起こるのかを知る人はほとんどいません。なるべく理解しやすい例を挙げて説明しようと書いたのが『未来の年表』シリーズだったわけです。
この本の話ではありませんが、つい先日、あるコラムに「2045年には人口が7割減になる自治体が出てくる」と書いたところ、編集者から「『7割減』ではなく、『7割になる』の間違いではないですか?」と問い合わせがありました。日本の未来の深刻さがまだまだ理解されていないのだと実感しました。
みんなの介護 『未来の地図帳』の巻末には、国立社会保障・人口問題研究所の「日本の地域別将来推計人口(2018年)」をもとに作成した「各市区町村の2015年→2040年の人口増減率」の一覧表が収録されています。そのうち、3万人以下の市区町村の中で70%以上の人が減る地域は23地域に及ぶとありますね。
河合 未来の予測というのは、研究者が中心になってなされますが、それぞれ専門分野の枠の中で話が展開されるために視点がミクロ的になりがちです。しかしながら、現実の社会はさまざまことが互いに影響し合ってます。
そこで、俯瞰的に未来を捉えることができないかと考えたわけです。もちろん、それを行うには、専門家の批評にも耐えうるようデータ的な裏付けをしっかりしなければならないわけで、プレッシャーはありましたけど、やる意味は大いにあると思いました。
みんなの介護 ただ、『未来の年表』をはじめとする3冊に共通しているのは、ただ単に未来の深刻さを訴えるのではなく、「こうすれば危機を防げる」という提言がなされていることも大きな特徴ですね。中でも、3つの書で一貫して語られる「戦略的に縮む」という提言には、大いに目を開かされました。
河合 ありがとうございます。これまでさまざまな未来予測の書籍が出版されていますが、多くは来る深刻な社会に警鐘を鳴らすだけでした。いま人々が求めているのは、「では、どうすればよいのか?」という点です。これまで、なかなか具体的な解決策を示すものがなかったので、ここには力を入れました。
最初に出した『未来の年表』は、政治家や官僚たちが何をすべきかを中心に書いた本です。これに対して、続編『未来の年表2』では、個々人がすぐにでも取り組めることを書きました。そして、地域によって人口減少の進み具合が異なるわけですから、『未来の地図帳』では、地域ごとに抱える課題が異なる点にアプローチして解決策を論じました。
人手不足に対応するには「24時間社会からの脱却」が必要
みんなの介護 『未来の年表』の最初の1冊が発表されたのは2017年ですが、河合さんはその中で「24時間社会からの脱却」ということを提言されています。当時はかなり大胆な提言だったのではないでしょうか。
河合 すでにそのころ、ファミリーレストランが24時間営業の店舗を減らしはじめたり、宅配便大手のヤマト運輸が労働者の確保に行き詰まり、再配達の時間帯の縮小など業務の見直しをはかるという動きが出ていました。
対応が遅れていたコンビニエンスストア業界で「24時間営業」の見直しが行われるようになったのは、つい最近のことです。
「24時間営業だからコンビニは成長した」という業界側の言い分もわからないではないですが、そうしたビジネスモデルが人口減少という時代の変化に対応しきれなくなっていることに気づかねばなりません。
みんなの介護 最近、コンビニで働く店員に外国人が増えた気がしますが、「外国人の受け入れ」では時代の変化に対応できないとお思いですか?
河合 足りなくなった人材を外国人で穴埋めするというのは、非常にトンチンカンな政策だと思いますね。足りなくなるのは店員だけではないですよ。
これからの社会で目を向けなくてはならないのは、「働き手をどう確保するか」ということだけでなく、「商品を買ってくれる消費者も減っていく」という事実です。
今後は「大量生産・大量消費」というビジネスモデルは成り立たなくなります。これからは「少量生産・少量消費」へと変えていかなければならない。量から質への転換こそが、人口が激減する中にあっても「豊かさ」を維持するための方策だということです。
自治体同士の「住民の奪い合い」に勝者はいない
みんなの介護 これから人口減少や高齢化が進んでいくのに、トンチンカンな政策が行われているのはなぜでしょう?
河合 みんな変化が嫌なのでしょう。これまでのやり方で成功してきているのだから、それを1年でも長く続けたいわけです。未来に待ち受けている危機から目を背けて、「2019年現在の社会」を維持しようと無理を重ねているからでしょう。
企業だけでなく、地方自治体も同じです。市区町村が現状の定住人口を維持しようとして、他の地域と足の引っ張り合いするというのも意味のないことです。
国際都市の京都市ですら例外ではありません。観光都市として、歴史的な街並みを守ることを目的に2007年に新景観政策を導入し、市内に建てる建物の高さを規制しています。ところが、この規制を一部地域で緩和しようとする動きが起こっているのです。
その背景には、子育て世代などの市外への流出が拡大し、市内に住んで働いてくれる人が減ってきたことへの危機感があります。
みんなの介護 京都市の子育て世代の市外流出は、なぜ起こったのですか?
河合 建物の高さを規制したことで、マンション建設が自由に進んでこなかったことが主な原因です。
これに加えて訪日外国人観光客が急増して中心市街地でもホテルの建設ラッシュや、民泊目的で高級住宅地の物件が高値で取り引きされて地価が高騰したことも影響しています。
高さ規制は、手頃な住宅の建設だけでなく、オフィス不足も加速させているため、広いオフィスを確保したい企業などは京都市の郊外へと出ていかざるをえなくなってしまったということです。こうした状況に危機感を募らす気持ちもわからないではありません。
ただ、規制緩和は、一時的には人口流出を食い止めることができるかもしれないけれど、市内に高層ビルやマンションが建ち並べば、「千年の都」としての魅力は大きく損なわれるでしょう。
一度、壊してしまった景観を元に戻すことは、容易ではありません。これからは日本全体で人口が減るのだから、「住民の綱引き」にいたずらに参戦するよりも、観光都市としてのアイデンティティの維持にエネルギーを注いだほうが、長期的には生き残っていけるでしょう。
京都市に限らず、人口が減ろうとも、世界の中で「なくてはならない存在」になることを目指したほうが、豊かさは維持しやすいのです。
高齢者たちが互いに助け合える社会をつくる
みんなの介護 ところで、都市政策といえば、河合さんが『未来の年表』で提言された「大学連携型CCRC」はとてもユニークで、実際の政府の政策として法制化されたそうですね。
河合 大学連携型CCRCは、もともとアメリカに導入されているもので、これを私が日本型にアレンジしたものを、当時の石破茂地方創生担当相に直接提言したところ、大変に興味を示してくれたのです。私自身、内閣官房に設置された有識者会議の委員として議論に参加しました。
残念ながら、政府が政策として具体化したものは、私のイメージしていたものとはかなり違ってしまいましたが。CCRC(Continuing care retirement community)とは、中高年齢の人が元気なうちに地方に移り住み、地域住民や多世代と交流しながら生活を送り、必要に応じて医療・介護を受けられるコミュニティのことを指しますが、これを大学のキャンパスを中心に展開するというのが私の提言でした。
私は、ターゲットとして想定したのは、定年を具体的に意識しはじめる50代から60代前半の人たちでした。地方で第二の仕事に就きながら、大学で学び直す。単に地方に移住するのではなく、同じようなキャリアを積んできた人々が集まり住むコミュニティを作ることができないかと提言したわけです。
大学という場なら、中高年者と若者の世代を超えた交流も自然と生まれますし、敷地内に大学病院直結の分院や介護施設があれば、将来的に体が弱ることになったとしても不安もやわらぎます。
しかしながら、有識者会議の委員には福祉分野の専門家たちも多かったので、すでにかなり年老いた人をイメージした議論へと引っ張られてしまいました。
みんなの介護 大学のキャンパスを舞台にすることで、いろいろな問題が一石二鳥で解決しそうですね。
河合 CCRCに限らず、地方移住というのは、移り住む人にワクワク感がなければ進みません。アメリカのCCRCの場合、富裕層向けに商業施設やゴルフ場など、豪華な施設や設備を備えたところもあります。みんな老後生活を「第二の青春時代」のように満喫しているのです。
政府の議論の内容が、すでにかなり年老いた人の施設づくりというイメージで伝わってしまったため、CCRCに対して自治体の首長などから「地元に高齢者が増えるだけで得にならない」といった〝姥捨て山批判〟が起こったのは残念でした。
しかしながら、今後は各地で高齢者が増えるわけです。高齢化する前から老後を考えて住民同士がお互いを助け合う仕組みをいち早く構築しておけば、社会の変化への対応力を身につけることにつながるはずです。
日本はこれまでにも、公害問題や交通戦争など、時代ごとにいろいろな社会的課題がありましたが、みんなで知恵を絞って乗り越えてきました。いまの日本でも、危機をチャンスに変える余地はまだまだあると思っています。
令和時代は企業の「大倒産時代」になる
みんなの介護 河合さんは『未来の年表2』において、「個人でできること」を中心にさまざまな提言をされています。中でも「働けるうちは働く」「1人で2つ以上の仕事をこなす」という提言は非常に重要なことだと思いますが、企業も個人も、その方向に一歩を踏み出せずにいるような印象があります。なぜでしょう?
河合 定年の延長や廃止に踏み切る先進的な企業は、まだ少数派。その原因は多くの企業が「これまでの成功モデルでやっていける」と盲信しているからでしょう。その傾向が大企業に多いのは、組織が大きいために時代の変化に気づきにくいということが考えられます。
1人の女性が生涯に出産する子ども数の推計値(合計特殊出生率)が「1.57」になり、1966年の丙午(ひのえうま)の年の「1.58」を下まわった「1.57ショック」が起きたのは1989年、すなわち平成元年のことです。
その平成時代の30年間で成長し、業績をあげ続けてきた企業こそ、過去の拡大路線の成功モデルにしがみついてしまうのではないかとみています。
経済界には「企業寿命30年説」というものがありますが、よく言ったもので、これまでの少子化で若者の数が激減していく令和時代には、すべての企業が生き残ることは、どう考えたって難しいでしょう。
私は、令和時代は「大倒産時代」になるんじゃないかと考えています。
いつの時代も、イノベーションや流行は若者たちがつくりあげてきた
みんなの介護 そのような最悪の状況を回避するために、企業ができることは何でしょう?
河合 国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口(2017年)」によると、世の中の働き手として位置づけられる20~64歳までの人口は、2015年には7,122万7,000人いましたが、その30年後の2045年には5,167万人と、2,000万人近くも減る予測となっています。
私は1冊目の『未来の年表』で、74歳までを“若者”と位置づける「高齢者の削減」を提言しました。74歳が適切な年齢かどうかは別としても、企業が自らの未来を持続可能なものにするには、これにならって高齢者を “戦力”として活かすことを真剣に考えることが必要です。
現在、20代、30代のスタッフが担っている業務や作業の中には、昔からの慣習という理由で深い考えもなく若手に押しつけられているものも少なくないでしょう。こうした中には、高齢者ができる仕事、さらにはベテランだからこそ効率的にこなせるケースもあるはずですから、そのような仕事は高齢者に積極的にまわすべきです。
そのかわりに、20代、30代の人には若くなくてはできない仕事や、若手がやったほうが成果の出やすい仕事に専念させるべきです。
みんなの介護 企業にとって「戦略的に縮む」ためには、まさに「肉を斬らせて骨を断つ」という表現がピッタリきそうな大胆な戦略を選ばねばなりませんが、それを実行するにはかなりの決断力が必要になるでしょうね。
河合 イノベーションにしても、流行やファッションにしても、いつの時代でも若者たちがつくりあげてきました。これから若い人が減っていくということは、日本ではこうしたものが生み出されづらくなってくるということです。
年功序列や拡大路線といった旧来のビジネスモデルに固執し、そのような仕事を若者世代から奪うことは自分のクビを締めることにつながるということを、多くの経営者が自覚すべきだと思いますね。「令和の大倒産」は、古き発想にとらわれて人口動態の変化についていけない企業からはじまっていくでしょう。
人材を「奪い合う」のではなく、アイデアや発想を「分かち合う」
みんなの介護 そのような状況の中で、働く人それぞれの個人が「働けるうちは働く」「1人で2つ以上の仕事をこなす」ということを実践していくには、どのような心構えが必要でしょうか?
河合 少子化の深刻さを考えると、多くの企業で思うように若者を採用できなくなります。
これから当面の間、企業は若くて優秀な人材を確保するためには、中途採用も積極的に行わねばならなくなるでしょうし、雇用契約を年単位で結び直すなどして、人材の流動化に対応した制度を整えざるを得なくなるでしょう。
個々の企業が優秀な若者を囲い込むといった「奪い合い」ではなく、彼らが生み出すアイデアや発想を「分かち合う」という発想に切り替えたほうがよい。優秀な若者たちをバックアップする基盤をつくっていくことが急がれます。
これを個人の立場で考えますと、人手も減って行くし、人生が長くなって老後も長くなるわけだから、働かざるを得ない年月もどんどん長くなっていかざるを得ません。1つの企業で生涯働き続けようとしても、人生のほうが長すぎるということです。
どこかで、人生のギアチェンジをしなければならないのであれば、若いうちから備えておくに越したことはない。多くの人が「働けるうちは働く」「1人で2つ以上の仕事をこなす」という前提でライフスタイルを構築していくしかなくなることでしょう。
そうならば、社会から必要とされる存在であり続けられるよう努力することです。そうすることが、結局は自らの生活の安心・安全を支えることにつながります。
自らのスキルを向上させるための教育投資を惜しんではなりません。一方で、すでに高齢者でこれから働くことは難しいしいう人は、自分の能力に応じて賃金労働に限らず、ボランティア活動や地域のコミュニティ、趣味のサークルといった社会とのつながりを持つことです。それは日々の生活を支えるセーフティネットになっていくはずです。
いずれにせよ、「個人ができること」とは、一人ひとりが社会とのつながりを複数持つことです。こうした取り組みが、今後、重要な課題となっていくことは間違いないでしょうね。
「戦略的に縮む」国づくりをすれば、豊かさは維持できる
みんなの介護 ところで、河合さんは今年、長年勤務してきた新聞社を退社し、作家として独立されました。どんなきっかけがあったのですか?
河合 私の場合、ジャーナリストという職業ということもあるのでしょうが、30代、40代のころから自分の人生を考えて、定年まで新聞社に籍を置くのではなく、取り組むべきテーマが決まったら、気力、体力、知力がともに充実している間に第二の人生を再スタートさせようと決めていました。
いわば、第一ロケットを切り離して、第二ロケットに乗り換えたということです。乗り換えるための準備は、若いころから怠らずに進めてきましたね。
みんなの介護 河合さんの第二ロケットの推進力となるものは、果たして何でしょう?
河合 私の場合は、「時代」から何を求められているのかがかなりはっきりしています。作家・ジャーナリストとして少子高齢、人口減少社会の実像をわかりやすく可視化し、その対応策を世に問い続けていくことが、いまの私に与えられた役割だと思っております。
新聞記者としてはできなかったことも含め、自由なスタンスで活動していくつもりです。
日本の人口はこれから急速に減っていきます。それは「避けられない未来」です。しかしながら、小さな国になったとしても衰退すると決まったわけではありません。日本よりも人口の少ないヨーロッパ各国は豊かな暮らしを実現しております。要はやり方なのです。
人口減少と少子高齢化を前提としてコンパクトで効率的な国づくりをすれば、豊かさを維持していけると私は考えています。
「日本ならでは」というものに磨きをかけなければ、世界には通用しない
河合 だから万遍なく縮小してしまう前に、「戦略的に縮もう」と提言しているのです。人が減るのですから、これまでのような集積の経済ではうまくいかない。
日本人が得意とする分野に産業を特化し、国際協力に力を入れざるを得ないでしょう。「日本ならでは」というものに磨きをかけなければ、世界には通用しません。
人が少なくなるのだから、やめてしまうものは思い切ってやめてしまう。その代わり、伸ばすところは思い切って伸ばしていく。メリハリをつけていかなければならないということです。
個々においては、「自分でやることは自分でする」という意識を持つことが重要になります。1人でできない部分は、お互い様の精神に立ち返って助け合うということを組み入れていかなければなりません。社会の担い手は大きく減りますし、税収だって目減りするでしょうから。いままでの発想では、行政だってとてもカバーできないでしょう。
国全体としては縮んだとしても、一人ひとりの国民が今よりも豊かな暮らしを実現することは可能なはずです。そうした国づくりを今後は目指していくへきだと思いますよ。
そのために私に何かできることがあれば、使命として取り組んでいこうと思っています。
撮影:公家勇人
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