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坂東眞理子「社会進出した女性に求められているのは、思いやりや優しさによって世の中に貢献することです」

最終更新日時 2019/07/01

坂東眞理子「社会進出した女性に求められているのは、思いやりや優しさによって世の中に貢献することです」

国民的大ベストセラー『女性の品格』の著者・坂東眞理子氏。官僚時代はさまざまなポストを歴任(統計局消費統計課長、総理府男女共同参画室長、内閣府初代男女共同参画局長など)。女性の社会進出を政策面で牽引し、埼玉県副知事、国際舞台では女性初の総領事(在豪州ブリスベン総領事)としても活躍した。現在、坂東氏は昭和女子大学でグローバル人材の育成に情熱を注いでいる。「男社会」から、ダイバーシティ、すなわち多様性が重視される共生社会へと大きく時代が変化する中、自身の経験を、次代を担う若い女性たちの糧とするためだ。第95回の賢人論。テーマは「人生100年時代の女性の生き方」。坂東氏の言葉は「真の正論」に宿るエネルギーに充ちていた。

文責/みんなの介護

権力志向、拝金志向から抜け出せなくなった女性たちに「お金じゃないよ、心だよ!」と言いたかった

みんなの介護 「男女機会均等法」が施行されたのが1986年。『女性の品格』はそのちょうど20年後に出版され、これまで330万部を超える大ロングセラーとなっています。そもそも、なぜその時期に普遍的な「女性の美学」を説いた著書を発表しようと思われたのでしょうか?

坂東 ITバブルのあと、世の中には「稼ぐが勝ち」「お金さえあれば良い」といった風潮が蔓延していました。広がる経済格差を背景に、多くの人が成功して権力を握って大金を手に入れようと躍起になり、第一線で働く女性たちもその例外ではありませんでした。

私が『女性の品格』を上梓したのは、男性の轍(わだち)を踏んで権力志向、拝金志向に追随しそうな女性たちに「お金じゃないよ、心だよ!」と言いたかったから。社会進出した女性に求められているのは男性のように生きることではなく、女性らしい思いやりや優しさによって世の中に貢献することだと伝えたかったんです。

みんなの介護 『女性の品格』はどのような読者から支持されたのでしょう?

坂東 出版社に寄せられた読者カードを見ると10歳から90歳まで、驚くほど幅広い年代の方に読んでいただけたことがわかりました。

いちばん印象に残っているのは、銀座へ出かけたとき、どうしても行き先がわからなくて通りすがりの方に道を尋ねたら、その方が偶然『女性の品格』の愛読者で「あの本、ぼろぼろになるまで読みました」と言ってくれたこと。そのとき「著者冥利につきる」とはこういうことを言うのだなと、心底嬉しく思いました。

みんなの介護 300万以上の読者の心を掴めたのはなぜだとお考えですか?

坂東 先ほど『女性の品格』が出版されたのは「男女機会均等法」施行の20年後だったという指摘がありましたが、ふり返ってみると、当時でも、まだ女性たちの側には戸惑いがあったように思います。

たしかに昔に比べれば女性の雇用機会は増えたものの、世の中は相変わらず男性中心。仕事と家庭の「両立支援」も掛け声ばかり。むしろ「女性の時代」「女性活躍」などと囃し立てられることで、かえって「これで良いのかしら?」「この先、どう働いて生きていけばいいの?」とますます不安を募らせていた。

おそらく『女性の品格』は、そんな女性たちにひとつの拠り所として受け入れられたのではないかと、そんなふうに思っています。

『女性の品格』の原点は、周囲に活力を与える活き活きした女性のイメージ

みんなの介護 男性読者の反応はどうだったのでしょう?

坂東 読者の大多数は女性だったと聞いています。男性読者は少なかったのですが、読んだ方は「この本に書かれている“品格”とは女性に限らず、人間全般に求められる美徳だ」といった好意的意見を寄せてくださいました。

ただ、その一方、「いやあ、本音を言うと品格ある女性とお付き合いはしたくないね」と言われた方も。なんでも、そういう女性と一緒にいると「肩が凝る」のだとか(笑)。

みんなの介護 それは意外です。『女性の品格』に書かれている「強く優しく美しく、そして賢く」という理想の女性像は「大和撫子」そのもの。てっきり、男性からも支持が高かったものと勝手に思っていました。

坂東 そういう受け止め方もどうやら日本的な感覚のようです。外国の方からは「古めかしい考え方だ」という反応もありましたから。「日本人の考える女性らしさは保守的だ」と。

みんなの介護 「古めかしい」とは、日本の社会に根強く残る「男尊女卑」を彷彿とさせるという意味でしょうか?

坂東 これは日本人も大いに誤解している点なのですが、武家社会がお手本としていた儒教にもとづく「男尊女卑」の考え方が一般にまで広まったのは明治以降。そもそも日本の伝統などではないんです。

狂言の「わわしい女房」、落語に出てくる江戸の長屋のおカミさんを思い浮かべてみてください。

元来、日本の女性は、とくに庶民の女性はとにかくパワフル。『女性の品格』の原点は、いわばそういったオリジナルの日本女性の姿であって「男尊女卑」の儒教文化と異なり、周囲に活力を与える、活き活きした女性のイメージだったんです。

好きでもなければ興味もない仕事を選んだら働くことがつらくて子育てとの両立はできません

好きな仕事をしていればこそ、子どもができても続けたいという強い気持ちが持てる

みんなの介護 『女性の品格』の出版以降、女性たちの生き方や考え方は変化したと思われますか?

坂東 現在、私は昭和女子大学の理事長・総長という立場から女子学生たちを見守り続けています。少し前まで本学は「良妻賢母」を育成する大学として捉えられていて、私が教授になった頃(2004年)も「良い結婚をして家庭に入りたい」と考えている学生がマジョリティ(多数派)でした。

でも、今では「働くのは当たり前」「子どもが生まれても働きたい」という考え方が主流になっています。この転換は大きな変化だと思います。社会は女性の力を必要としていますし、男性も女性と協力しようと考える人が増えています。 

みんなの介護 事実、昭和女子大の就職率の高さはトップクラスだそうですね。

坂東 就職率は97.3パーセント!おかげさまで志願者も増え続けています。これは大学側が徹底して学生の就職活動をバックアップしてきたことと、時代に必要とされる新しい学科の創設に取り組んできた結果だと自負しています。

みんなの介護 当世の女子大生は「働く」ということをどう捉えているのでしょう?

坂東 今の学生たちは本当に真面目。でも、先のことを考え過ぎです。例えば「子どもが生まれても働き続けるのは大変じゃないですか?」と質問してきた学生に「もちろん大変。でも、なんとか両立するよう頑張って」と答えると次にこう返ってくる。「わかりました。それなら子どもが生まれても両立できる、楽で残業や転勤のない仕事を探します」。

思わず「あなた結婚の予定はあるの?」と訊き返したら結婚の予定はおろか恋人もいないと(笑)。そういう学生が就職活動をする前からそんな先のことまで心配して仕事を選ぼうとしているんです。

みんなの介護 失敗したくない症候群ですね。しかも重症の。

坂東 結婚もしていない女子学生が仕事と子育ての両立のことまで考え始めたら、せっかく手応えのある仕事に就いたとしても成長する機会を逃します。いちばんの間違いは「子どもが生まれても働ける仕事」を選ぼうという考え方。

そもそも、子どもが生まれたあとのことを心配する余り、好きでもなければ興味もない仕事を選んだとしたら、働くこと自体がつらくて子育てとの両立以前に続ける意欲がわきません。

だから私は、そういう学生には「今やりたい仕事、今全力投球できる仕事を探しなさい。好きな仕事をしていればこそ子どもができても続けたいという強い気持ちが持てるの。どんなに大変でも両立のために努力できるの。わからない未来の心配なんかしていないで、とにかく自分がワクワクする仕事に就きなさい。やってみればなんとなるから。一歩前へ進みましょう」とアドバイスしてるんです。

結局、「女性の社会進出」は進んでも「男性の家庭進出」が進まなかった

みんなの介護 坂東さんのお話を伺って、想像していたよりもずっと女性の社会進出が進んできたことが理解できました。

しかし、家庭内における女性の役割についてはどうでしょう? とくに「子育て」は女性が担うべきという考えは、フルタイムの仕事を抱える女性が増えた今でも昭和の頃とさほど変わっていないように思われるのですが。

坂東 おっしゃるとおり。結局、女性の社会進出は進んでも男性の家庭進出が進まなかった。そのツケを一方的に女性だけが背負わされているんです。専業主婦でも子どもを育てるのは並大抵のことではないのにね。そもそも子どもは二人の子どもでしょう、ワンオペ育児はおかしいですよ。

ともあれ、働き方改革で残業時間が減り、有給休暇も誰もがはばかることなく消化できるようになったのは夫婦で子育てを行える絶好のチャンス。男性も飲みに行ったり遊びに行ったりしていないで、早く家に帰って子育てをシェアしてほしいと思います。

みんなの介護 子育てを「手伝う」のではなく「シェア」する。なるほど、それが「男性の家庭進出」の第一歩なのですね。

素人とプロの介護は比べものにならない

みんなの介護 「終活」をテーマにした坂東さんの著書『60歳からしておきたいこと』に書かれている福祉施設『大場町みんなのいえ〈わたせハウス〉』誕生までの経緯について、改めて聞かせてください。

坂東 はい。大好きだった叔母にまつわる話ですね。

彼女は子どもがいなかったこともあり、ずいぶん私を可愛がってくれました。90歳のとき、つれあいに先立たれて一人暮らしを始めるのですが、すでに体力も衰え、買い物や毎日の食事の支度もままならなくなっていて…。

当初は「思い出の詰まった家で最期まで暮らしたい」という叔母の願いを叶えてあげようと、日中は家政婦さんに身の回りの世話をお願いするなどしていたものの、どうしても夜が心配になり、結局、私が渋る叔母を説得して有料老人ホームに入居してもらったんです。

みんなの介護 高齢になってからの一人暮らし。それは心配でしたね。老人ホームの生活にはすぐ馴染んでもらえましたか?

坂東 いえ、最初にお試し入居した施設は嫌だといってすぐに出てしまい…。自宅での暮らしに未練があったんですね。幸い、次の施設はとてもよい世話をして頂き気に入ってくれて、私も一安心でした。

みんなの介護 どういった点が入居の決め手になったのでしょう?

坂東 その施設ではオーナー経営者のもと、とてもきめ細かい運営がなされていました。栄養バランスの整った食事の提供はもちろん、病院にも必ず職員の方が付き添ってくれる。定期的に開催される花見や祭りなども心づくしのあたたかいイベントでした。

おかげで、素人の在宅介護とプロの介護士のいる専門施設では比べものにならないことがわかって私も納得できましたし、なにより、あれほど自宅で暮らすことを望んでいた叔母の満足そうな笑顔を見られて胸のつかえが下りました。

叔母は入居から2年足らずで旅立ったのですが、最期まで施設の手厚い介護は変わりませんでした。それは本当にありがたかったです。

相続した不動産を地域貢献に活用するという選択

坂東 叔母には子どもがなく、遺書も残していなかったため、遺産は私を含めて11人の甥と姪が相続することになりました。そこで私が代表相続人になり、遺産分割を公平に行うため約7ヵ月をかけて手続きを行ったのですが、弁護士さんに助けて頂きながら、相続人全員の同意書に実印をもらうために奔走するなど、慣れないことばかりで本当に大変でした。

最終的に金融資産は私を除く相続人が話し合いで分配。田園都市線市が尾駅から歩いて20分ほどのところにある一軒家については、叔母夫婦が長年暮らしていた横浜市に寄付する方向で調整を進めていました。ところが、そこで困ったことが…。

みんなの介護 どういったことですか? 

坂東 市に問い合わせたところ、500平方メートル以下の不動産は売却し、お金に換えて寄付してほしいという回答だったんです。私の希望は、あくまで叔母夫婦の思い出の詰まった家屋の有効活用。売却についてはまったく考えていませんでした。

思案の末、私が不動産を相続。地域福祉活動を行なっているNPOに固定資産税だけを支払ってもらうという条件で土地建物を貸与することになったわけです。

みんなの介護 なるほど。そうして『大場町みんなのいえ〈わたせハウス〉』が産声をあげたんですね。

坂東 『わたせハウス』は今、地域のお年寄りのデイケアや子どもの保育をする施設として活用されています。ちなみに「わたせ」は叔母夫婦の名字。二人が暮らした場所にその3文字を残せたことは感無量でした。

みんなの介護 『わたせハウス』誕生までの体験を通じて、介護に対する見方、考え方に変化はありましたか?

坂東 私は公務員時代に政策の提言を仕事にしていましたから、福祉施策などの情報には詳しい方だと思っていました。でも、『わたせハウス』を立ち上げる際に痛感したのは、それを具現化するには実際に動いて下さる意欲のある方々がいてくれないと何も始まらないという現実です。市側と交渉して書類を用意し、認可をひとつ取り付けるだけでもどれだけの労力と根気が必要か。

また、サービスがあってもそれを必要としている人たちに確実に届けられるかというと、そうでもない。現行の介護保険制度は利用にいたるまでとても複雑な手続きが必要です。福祉リテラシー(リテラシー=情報を目的に適合するように使いこなす能力)の大切さも感じました。

老いたら子や孫が世話をしてくれるそれは昭和の幻想です

他人だと素直に申し訳ないという気持ちを表せる

みんなの介護 坂東さんは「これからの日本は、もはや老人とは呼べない元気で能力のある高齢者が社会を支えるモデル社会にするべき」と提唱されていますね。

坂東 このまま国任せにしていると、日本の介護保険のシステムは遠からず機能不全に陥ってしまうでしょう。元気な高齢者が弱った高齢者をサポートするという考え方はシステムの補完にもつながり、現役引退後の社会貢献は新たな生きがいにもなります。

たとえば、元気な70代が80代、90代の高齢者に代わって煩雑な税金の申告や年金の申請、介護認定の申請などを代行するコンシアージェ(客のあらゆる要望に対応する総合案内係のこと)のようなサービスを提供する。事務仕事は苦手だという方でも買い物や家事など、手助けできることはいくらでもあります。

生活に余裕のある方ならボランティアとして、年金だけでは生活が苦しいという方であれば仕事として起業してもいい。私自身、これから先の人生、体が動くうちは自分のことは自分でやり、社会のためにも何かをやり続けてゆくつもりです。そして刀折れ矢尽きたときには、家族には甘えず、施設や介護のプロフェッショナルの方たちのお世話になろうと考えています。 

みんなの介護 なぜ、家族には甘えたくないのですか?家族だからこそ信頼してすべてを任せられると考える人も多くいます。

坂東 老いたら子や孫が世話をしてくれるというのは昭和の幻想です。子や孫は自分のことでいっぱいいっぱいです。それに、私は叔母の一件があって介護施設や介護のプロの仕事は信頼できると確信しました。

もっと言えば、自分もそうなのですが、知らない人、親しくない人、たまに会う人に対しては失礼がないように気遣いができるのに、相手が家族だと遠慮をなくして感情を露わにしてしまう。しかも、感謝の言葉も口にしない。家族だから当然だろうと甘えているからです。

まして自分の頭や体をうまくコントロールできない状態になってしまった場合、あれもしてくれない、これもしてくれないと家族に対し不満を募らせてしまうのは目に見えている。でも、これが他人だと割合素直に申し訳ないなという気持ちを表せますし、ぎりぎりのところで踏み止まれる。たとえ表面的であっても、私はそれがとても大事なことだと思っています。

生活の世話は施設に任せていても精神的なつながりは決して絶やさない

坂東 家族への甘えといえば、30代で留学した頃、「自分は家の鍵を最期まで持ち続ける。子どもたちには世話をかけない」と胸を張る70代のアメリカ人を見て、この国では高齢者も自立しているのだと感銘を受けたことがありました。

それから50代になってオーストラリアのブリスベンに総領事として赴任したときにも、印象的な出会いがありました。現地で知り合った同世代の人たちが、施設で暮らす親たちを毎日のように訪ねていたのです。生活の世話は施設に任せていても精神的なつながりは決して絶やさない。とても印象的な光景でした。

さらには、今話した人たちはボランティアとして自分の親以外の高齢者たちの世話もしている。それを見てなるほどと思ったんです。 

みんなの介護 とおっしゃいますと?

坂東 ボランティアの世話を受けていた高齢者は、極めて自然に「ありがとう」が言えていたんです。

みんなの介護 なるほど。そう言われるとボランティア側も、自分の親が他人のお世話になっているのだと実感できる。施設やそこで働くスタッフへの感謝や尊敬の念が連鎖的に生まれるわけですね。

坂東 そうだと思います。そういう美しい介護のあり方も存在するんです。

もはや70代は「晩年」ではない

みんなの介護 坂東さんは近著『70歳のたしなみ』で「70代こそが人生のゴールデンエイジ(黄金時代)」と高らかに宣言されています。老後の不安ばかりが喧伝されている昨今、あくまでポジティブなその表現には清々しささえ感じました。まずは70代を輝かしい世代であると規定する理由からお聞かせください。

坂東 まだ私は70代を終えていませんので、「ゴールデンエイジ」という表現には「そうありたい」という願望も込められていると、そこはご理解ください(笑)。

正直、自分が50歳前の頃、80代になっていた母が70代の人に「若くていいわね」と言ったのを聞いたときは、「若い?どちらもお年寄りじゃない」と笑っていたんです。ところが、自分が70代になってみると、確かに主観的には若い。

体は健康で自由に動き回れますし、思考力や判断能力も衰えていない。ひととおり人生経験も積んで見えなかったものが見え始めて、わからなかったことが少しずつわかるようになってきた実感もある。ほんと、毎日が新しい発見です。

みんなの介護 2018年には、スポーツ庁による体力・運動能力の調査で70代の体力と運動能力が過去最高の値を出したというニュースも報じられていました。

坂東 はい。もちろん個人差はありますが、客観的なデータから、もはや70代は「老人」ではないと証明されており、日本老年学会も高齢者の定義を65歳以上から75歳以上にするべきと提言しています。政府の高齢社会対策大綱でさえ、「65歳以上を一律に高齢者とみることは現実的ではなくなりつつある」と言っているのです。

さらには、仕事や子育てに追われていた30代や40代に比べれば時間に余裕があり、50代、60代のときに抱いていた、母に介護が必要となったらどうしよう、子どもをちゃんとした社会人にしなくちゃという不安や焦りもずいぶん解消されている。

いろんな責任やプレッシャーから解放されたことで視界も広がり、少し高い目線で人生を俯瞰で見ることもできる。だからやろうと思えばいろいろなことにチャレンジできる。70代がゴールデンエイジだという所以(ゆえん)はそこにあるんです。

昭和の「年齢観」を捨てよう

坂東 ただ、社会にも個人にも昭和的な思い込みが強く残っていて「人生七十年古来稀なり」という意識が抜けない。70歳は老人。そこから先の人生は「晩年」。これはまったく昭和前期の「人生50年時代」のままの年齢観です。

みんなの介護 厚生労働省が2018年に公表した簡易生命表によると、2017年の日本人の平均寿命は男性81.09歳、女性87.26歳。「古稀」どころか最近では「百寿」(100歳)を迎える方も増える一方です(2018年9月時点、百寿者の数は6万9,785 人。40年連続で増加)。70代を「晩年」と呼ぶのは、確かに実態と乖離しているように感じますね。

坂東 私は人生を、年齢によって上昇したり下降したりするものではなく、別のステージを生きるものと捉えています。そこで参考にしているのが人間の一生を4つの段階に分け、それぞれのステージごとに生き方を示唆する「四住期」(しじゅうき)というインドに伝わる思想です。

第1段階は「学生期」(がくしょうき)──この世に生を受け、社会人、職業人として一本立ちするまでの修業期間。

第2段階は「家住期」(かじゅうき)──自分の仕事はこれだと覚悟を決め、家庭をつくり、子どもを育てる。働くことに全力投球し、生活基盤を築き上げる期間。

第3段階は「林住期」(りんじゅうき)──仕事や家族に対する義務を果たし、本来、自分がやりたかったことや社会や困っている人を助けるコミュニティー活動やボランティアなどの社会活動をする期間。

第4段階は「遊行期」(ゆぎょうき)──悠々自適な隠居生活を送る期間。

みんなの介護 なるほど。人生の流れをステージの推移と捉えれば、それぞれの時期になすべきことがあると理解できます。

坂東 昭和の日本人は家族や社会のために働く「家住期」が終われば、即、「遊行期」へ移っていました。今まで忙しく働きづめだったのだから、残りわずかな人生を自分らしく自分の楽しみだけのために送るのは定年退職者の特権だと。

でも、「人生100年時代」が迫りつつある今、「人生50年」という昭和前期に刷り込まれた思い込み=イメージを捨て、令和時代にふさわしい新しい年齢観へチェンジすべきなんです。

そして、70代は「晩年」でも「遊行期」でもない、社会貢献を行う「林住期」なのだと、さらに生き方の方針を改める。「マインド・チェンジ」を行う。だって90歳まで生きるとしたら残り20年。そんなに長い間、漠然と無為に過ごしていたらお天道様に顔向けできません。

みんなの介護 おっしゃりたいことがわかってきました。

坂東 もっと言えば、70歳は新しいステージの出発点。いわば「還暦」なのだと「イメージ・チェンジ」できれば気分が変わります。そこで何かを始めてみようという前向きな生き方へ「マインド・チェンジ」できるかどうかが、70代に「ゴールデンエイジ」として輝けるかどうかの分かれ目。私が「ゴールデンエイジ」という表現には「そうありたい」という願望も込められていると始めに言ったのはそういう訳です。

みんなの介護 未来を明るいものにするためには、前提として自分自身の「年齢観」や「人生観」をまるごと更新する必要があるのですね。

歳をとっても精一杯格好をつけて生きる。人間らしく生きるとはそういうこと

「何かしてもらおう」ではなく「何かしてあげよう」という気概を持ち続ける

みんなの介護 70代を「ゴールデンエイジ」にするため、日頃から意識している「マインド・チェンジ」はありますか?

坂東 当面、健康で働けるうちは社会に「何かしてもらおう」と要求せず、むしろ「自分より年上の高齢者を助けよう」「次の世代のために何かしてあげよう」という気概を持ち続けること。

その際、必ずしもお金は必要ではありません。前回、話したとおり、80代・90代のお年寄りに対しては苦手とする役所への申告や申請を代行してあげたり、買い物や家事の手助けをしてあげたり、付き添いや話し相手をする。

次世代の若者には、例えば、私も大学職員や学生と向き合うときに心がけているのですが、褒めてあげることで力づけてあげる。ただし、うわべだけの言葉は逆効果。きちんと何を頑張ったかを見てあげて、そのうえでよい方向の努力を褒めてあげることが大切です。今の若い人たちは正当に評価されると本当に大喜びします。

あるがままの気分に任せていると、どうしても高齢者は不機嫌へ傾いてしまう

みんなの介護 では、最後の質問です。坂東さんの考える「たしなみのある高齢者」とはどんな人でしょうか?

坂東 自己中心的な生き方を捨て、社会性のある生き方を選択する人。あるいは、そうなるための努力を惜しまない人ですね。残念ながら、自然のまま放っておくと、人は自分勝手で怠惰な方へ流されてしまいます。

歳をとったのだからもう努力はしない、残りの人生はありのままに私らしく生きるなどと開き直るのはもったいない。当人が気分のおもむくまま生きるのは幸せでしょうか。あるがままの気分に任せていると、どうしても高齢者は不機嫌へ傾いてしまう。

今の70代が若いといっても、知らないこと、わからないことは増えていくし、どんなに注意を払っていてもどこかしら体も痛む。容姿の衰えも隠せない。不機嫌になるタネは山ほどあります。

そういう不安定な気持ちに正直に不機嫌になることを「自分らしい」と勘違いしていると、周囲に「嫌な気分」を振りまいてしまうんです。

歳をとっても精一杯成長しようと生きるというのは大事。人間らしく生きるとはそういうこと。務めて礼儀正しく人に接するよう心がけていれば、おのずと周囲から一目置かれるようになります。自分で自分を褒めたい気持ちにもなれる。それが高齢者のたしなみ。私はそう思っています。

撮影:公家勇人

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森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07