池田清彦「人間は“環境に適応していく”のではなく“自分に環境を適応させていく”生き物」
早稲田大学名誉教授の池田清彦氏は、構造主義を生物学に応用した「構造主義生物学」を提唱している生物学者だ。その学問的知見をベースに、現代の人間や社会の歪みを独特の視点で軽やかに解き明かす。そんな池田氏に構造主義や進化論との出会いから、コロナ禍での人間の進化まで。話を伺った。
文責/みんなの介護
進化論と構造主義生物学、池田氏の原点
みんなの介護 あらためて池田先生と構造主義や進化論との出会いについて教えていただけますか?
池田 大学(東京教育大学)や大学院(東京都立大学)で生態学を学んでいた頃から進化論には興味がありましてね。当時の進化論は、ネオダーウィニズムが主流で、突然変異と自然選択が進化の主たる原因と考えられていた。
私は大学院の同窓生だった岸由二くん(進化生態学者、慶応大学名誉教授)にリチャード・ドーキンスの利己的遺伝子の話を聞いて、その後教壇に立った大学(山梨大学)でも最初はドーキンス流の進化論を教えていました。
しかし、しばらくたつと「ネオダーウィニズムは壮大な錯誤体系」と思えてきた。そこで生物学にソシュール流の構造主義を当てはめて、進化論をネオダーウィニズムとは全く異なるパラダイムに書き換えようと考えたわけです。
ちょうど、高名な生物学者の柴谷篤弘先生も同じような考えを持たれていて、一緒に構造主義生物学を立ち上げたわけです。
みんなの介護 構造主義生物学とは、具体的にはどんな考え方なのですか?
池田 「生物の形質を決めるのは、個々のDNAというよりもむしろDNAの発現を司っているシステムである」という考え方です。その原因となっているシステムが変わると、ほとんど同じようなDNAであっても生物が変わっていきます。例えば人間とチンパンジーは98.8%DNAが同じなわけですが、明確に違いますよね。
クジラと偶蹄目(ウシのほか、カバ、イノシシ、ラクダ、キリン、ヤギ、シカなど)もそうです。今生物学では、「クジラはDNA解析によれば系統的にはカバに近い」と2つを同じグループに入れる流れがありますが、形や機能は全然違う。
進化の過程で、システム上の大きな変化が起きたのです。5000万年前のクジラは、4つの足で地上を歩いていた。そこから足がなくなって「しょうがないから」海に行きました。形が先に変わって、自分が住めるような環境に進出していったのです。
これまでは、環境に適した突然変異が選択されて、徐々に生物が環境に「適応」していった。そんなふうに信じられてきました。でもそうじゃない、ということです。
コロナ禍で私たちはどう「適応」していくのか
みんなの介護 なるほど、これまで逆の認識をしていたかもしれません。この「適応」の順番はわれわれ人間にも当てはまるのでしょうか。今はコロナ禍という環境の変化がありますが。
池田 人間も、自分に環境を合わせる「適応」の方が生物として自然だと思うんです。
コロナ禍での働き方を例にすれば、会社のルールに縛られず本人が好きなやり方で、働きやすいところで働くのが生物の本性に合っているんじゃないかな。リモートでやっていて会社の業績が上がるんだったら、それでいいと思う。逆に、人とコミュニケーションをとらないと気が滅入るという人もいる。
「ずっとリモートでもOK」そういう会社が増えて、徐々に日本の社会が変わっていけばいいなと思っています。
みんなの介護 もう1つ「適応」ということでお聞きしたいのは、コロナ禍という状況に私たちはマスクをつけて「適応」したように思います。
池田 僕は、新型コロナウイルスがおさまって国から「マスクをもう外してもいいよ」と言われる状況になっても、一部の人は嫌がってマスクを着けたままなんじゃないかと思います。とくに女性はマスクするなら、目だけお化粧してあとはしなくていいから楽ということもあるでしょう。
みんなの介護 私含め、共感する女性は多いはずです。
池田 逆に少し前までは、マスクは「怪しい」イメージで避けられていた時期もありましたよね。とくに銀行なんかにマスクと、あとサングラスと帽子なんかで行ったら完全に強盗と怪しまれたでしょう。
大手スーパーのイオンが、新型コロナウイルスが広がり始めた2019年の暮れ「マスクでの接客禁止」を通達したこともありました。マスクをして接客するのはお客様に失礼だからと。でも新型コロナが流行して、その話はすぐ立ち消えになった。
これからどうなるかと言うと、マスクはファッション、服のようなものになる。自分と他人を隔てるものであると同時に、服と同じように自分の個性を際立たせるものになると思います。
5年後に人々がどんなマスクをしているか興味があります。綺麗なラメ入りのマスクとか、真珠を散りばめたようなマスクが出てくるんじゃないかという気もする。あるいは本来の用途を無視して、鼻と口が開いているマスクも登場するかもしれない。
マスクって形が自由自在に作れるでしょ。だから、デザイナーの腕の見せ所になる。そうすると市場も広がるし、経済も活性化するかもしれない。みんなも今以上におしゃれなマスクをしたいと思うようになってるんじゃないでしょうか。
マスクには「なまめかしい怪しさ」がある
みんなの介護 帽子や眼鏡のようにファッションになっていくのも頷ける気がします。マスクをしている人は「怪しい」というイメージ、そう言われてみればあったなという感じです。
池田 ちなみに「怪しさ」には2つのイメージがあると思います。1つは、とんでもないことをやらかしそうなイメージ。それから、もう1つはなまめかしいという怪しさです。
みんなの介護 なまめかしい感じですか。
池田 ストレートに言うとマスクは下着と似ているということです。社会学者の上野千鶴子さんが書いた『スカートの下の劇場―ひとはどうしてパンティにこだわるのか』という本があります。
その本では「下着はなぜあるのか」ということが論じられています。いわく下着はもちろん性器を隠すためにあるが、もっと言えば「その下に性器がある」ということをアピールするためにもあるのではないか。そんな説を唱えているんです。
生物的に、唇自体も、もともと性器の続きのような所があります。どんな色の口紅を塗るかというのは、どんな下着をつけるかということにもちょっと似ているわけで。マスクをしているのが普通の状態になると、マスクをとった瞬間の女性の姿に色気を感じる男も出るようになるのではないでしょうか。
消えたはずの「優生学」が現代によみがえっている
みんなの介護 池田先生は、「優生学の脅威」というテーマで本も出されていますが、優生学とはそもそもどんな思想なんでしょうか?
池田 優生学は、ある人物や集団にとって「優秀」とみなした人間の血統だけを次世代に残していこうとする考え方です。そのため、「劣っている」とみなした存在の血統を絶やそうとしたり「有益」になるように改良しようとしたりします。
代表的なものは、ナチスによるユダヤ人の迫害です。また、日本では「ハンセン病患者隔離政策」が典型的な例ですね。
ナチスの例では、ユダヤ人の大量虐殺を行ったり、ナチスの親衛隊と若い女の人との間に無理やり子どもをつくらせたりしました。
でも優生学は、忌まわしい過去とともに封印されるはずでした。しかし現代では、再び優生学的な考えを持った人々の行動が目立つようになっています。
みんなの介護 それが「現代優生学」というわけですね。今の日本で具体的にどんな所にあらわれていますか?
池田 現代優生学が引き起こした犯罪の極みとも言えるのは、2016年の相模原知的障がい者施設殺傷事件です。この事件では、知的障がい者施設「津久井やまゆり園」の入所者45人が元施設職員によって殺傷され、犯人が障がい者への強烈な差別意識や独りよがりな正義感を持っていたことが明らかになりました。
また、出生前の胎児の遺伝子や染色体の検査で障がい児が生まれる可能性が高いと診断され、出産を控える流れがある。事件ではないですが、これも優生学の考え方に通じるものがある。
生きている人を殺すわけじゃないので、あまり残酷な感じはしないかもしれませんが…。また、劣っている遺伝子を良い遺伝子と差し替える「遺伝子編集」をすることを考えている人もいる。科学の進歩に倫理が追いついていないという問題でもあります。
安楽死を法的に認める怖さ
みんなの介護 「公権力が優生学的な政策を導入することに警戒を」という記述がご著書にありました。これは具体的にどんな政策が予想されますか?
池田 例えば、老人や難病の人の安楽死が法的に認められてしまうということです。表向きには「本人の意思を尊重する」とうたっていても、周囲がお荷物だと感じて無理やりサインさせてしまうケースや、遺産を目当てにした犯罪事件も起きるでしょう。
これは公然の秘密です。今でも末期がんなどで、回復の見込みは全くなく本人の苦痛が耐えがたい場合、事実上の安楽死のような処置が行われています。お医者さんが、かなり強い眠り薬を飲ませて寝ているあいだに亡くなるような処置です。
実際、どこからが安楽死というか、明確には決めきれない。厳密に法律で決めない方が良いこともある。
いま必要なのは「共感しない」能力だ
みんなの介護 あえてあいまいなままにする方がいいということもありますね。優生学からは離れますが、閉塞感あふれる時代の処方箋として池田先生は「共感しない力」が大切だとおもおっしゃっています。
池田 たとえば、ディベートしたときに自分と違う考えのやつはやはり憎たらしい。でも、どっちが正しいかなどは究極的にはわからない。「共感」を重視しすぎると、共感しない人間を排除する力につながってしまう面があります。
自分と違う考えを持っている人に「私に共感しろ」というのは、一種の同調圧力になります。同調圧力は同調しないやつをパージするから、ちょっと面倒臭い話になってくる。これから大事なのはお互いに共感しなくとも、共存できるという能力ですね。
だから新型コロナになって、マスクを着けていない人をみんなでいじめたりしていた。いじめても良いというような対象をつくって、みんなでいじめるのはよくないですよね。
みんなの介護 確かに。何か公のルールをつくると、それに従わない人を攻撃する風潮を生む危険性も出てきますよね。
池田 人間は、昔から集団が大きくなって顔を合わせて物事を決められなくなると、明文化したルールをつくってきました。今も50人ぐらいの会社だと、たいしたルールなどないと思います。むしろ、そういう会社の方がうまくいくケースも多い。ルールをつくるとルールに縛られてしまうんです。
4人程度しかいないのに「家族ルール」のようなものを決めている家もあるけれど、そういう家の子どもほど、グレたくなるかもしれません(笑)。門限が決められて、少しでも時間を遅れると、問答無用で怒られる……でも、ルールが一番じゃなくて、本来はその中で生きている人間の方が大事なんです。ルールは人間が生きるための方便にすぎないわけだから。
狭い集団はルールをつくらない。学校なんて1クラス30人ぐらいしかいないんだから、「ルールなんかつくんなきゃいい」っていつも思ってますけどね。
みんなの介護 足枷ではなく、人々を守るためのルールになるのが理想ですよね。
日本の85歳以上のうち約5割は認知症である
みんなの介護 池田先生が、超高齢社会において一番危惧していることは何ですか?
池田 老々介護の問題ですね。夫婦が年齢を重ねていくと、ほとんどのケースで先に女性が認知症になります。一方、男性は女性より認知症になり難い。身体にガタがきた旦那さんが、認知症の奥さんを世話するという構図が多く見られます。
『本当のことを言ってはいけない』(KADOKAWA)という本にもこの問題を書きました。90歳を超えてくると、女性は90歳~95歳までの認知症の割合が63%ぐらい、95歳を過ぎて認知症になる人は80%以上です。女の人は90歳を過ぎると、ほとんどの人が認知症になると考えた方が良い。
一方、男の人の90歳~100歳までのあいだの認知症の罹患率は、51%ぐらいです。少し前まで日本の90歳以上は約219万人、85歳以上の人口は約570万人でした。そのうち約5割が認知症と言えます。
このような状況では、認知症のパートナーを持つ老々介護の夫婦をどうやって社会的にサポートするかが課題になる。
当然、症状が重ければ施設に任せることになりますが、お金がかかります。でも、そこの問題が解決できないと無理心中せざるを得ないというような事態も起きてくるんじゃないかと思います。
そうなると、安楽死の法案をつくるという話がまた浮上してくる可能性がある。「死にたくない、まだ頑張れる」という人も無理に安楽死させるようなことが起こりそうな気もします。その辺の兼ね合いが難しい。
子どもを産んだ後から人間は個人差が大きくなっていく
みんなの介護 池田先生は生物学者として「認知症」というものをどうとらえていますか?
池田 かなり極端なことを言いますが……そもそも生き物っていうのは、遺伝子を残した後は”オマケ”なわけです。
30代ぐらいだと、生物的に見ればこれから子孫を残さなきゃならないから、脳が衰えたりする暇はない。でも自分の子供が大人になったら、もう頑張る必要がないのですぐに衰えてしまう人がいる。
もちろんずっと元気な人もいますが、呆けるも呆けないも自然選択は関与しないので、個人差が大きくなる。実際70歳ぐらいになると、元気で思考が冴えた人と体が弱って認知症になる人とはっきり分かれるようになります。
僕は今74歳で、かみさんは73歳。あと15年ぐらいして両方とも90歳近くになると、多分どちらかが認知症になるでしょう。両方とも認知症になったらなったでもいいんだけど。
「認知症は人生の最期に神様がくれたご褒美」という考え方
池田 認知症になるのを悪いことだと思っている人もいるけど、本当はそんなことないんですよね。「認知症は人生の最期に神様がくれたご褒美だ」という人もいるけれども、そういう一面もある。
死への恐怖が薄れるのがまずいい。頭が冴えたままだと、死ぬのが嫌だなと考えてしまう。がん末期の認知症の人で「痛みを止めてくれ」という人は少ないでしょう。痛みに対する耐性が強くなるとは言えませんが、痛がらなくなるのは確かです。
がんでいつ死ぬかわからず痛みもひどい、がんになっても痛くなくて死ぬのが怖くない人。どちらが幸せかと言えば、後者の方が幸せという捉え方もできます。
みんなの介護 とはいえ「せん妄」などやはり認知症は大変なことが多いですよね。
池田 もちろん大変です。しかし「せん妄」は防げるかもしれないというデータがあります。
沖縄が日本に返還された直後、佐敷村(現在の南城市)で、琉球大学の先生が調査したところ、65歳以上の高齢者の認知症率は4%だったそうです。
ところが夜間せん妄などの周辺症状が出る人は皆無だった。同時期杉並区の調査でも65歳以上の認知症率は4%でしたが、半数に周辺症状がみられたということです。
認知症のおじいちゃんおばあちゃんに、やさしく尊敬の念で接している家庭では、周辺症状が起きる確率が極めて少ない。少なくとも当時の沖縄では、おじいちゃんおばあちゃんを家族中で大事にする風習がありました。
だから認知症になっていても全然暴れず、わりに穏やかににこにこ笑って生きていた。逆に介護施設などで夜中に徘徊する人を縛ると、さらに悪循環が起きる可能性がある。
今一番興味がある研究とは
みんなの介護 ここまでさまざまな切り口からお話しありがとうございました。最後にお聞きしたいのですが、池田先生がいま一番興味を持っていることは何ですか?
池田 虫の完全変態の起源に興味があります。虫にはサナギの時期がある完全変態とサナギにならない不完全変態というタイプがあります。
例えば、バッタは不完全変態です。卵からかえって幼生になり、徐々に大きくなって最後に羽が生える。その成長の途中、いつ見てもバッタの姿をしています。
これが蝶の場合、卵からかえった幼虫は誰が見ても蝶ではない。幼虫が蛹になると、蛹の中で幼虫を作っている細胞は死んで、幼虫の中にほんの少しだけあった成虫を作る細胞の原料になるのです。
成虫を作る細胞はどんどん分裂して、蛹の中で蝶になり、幼虫とは似ても似つかぬ生物が誕生するのです。
この問題は解剖学者の養老孟司さんも興味があって、養老さんと僕が考えたのが、これは二つの生物が合体したんじゃないかという説です。要するに、成虫になる生物が幼虫になる生物の体を乗っ取り、全部食いつぶして成虫になっているのではないだろうかということです。
もし、そうだとしても、どのようにして二つの異なった種が合体したのか。一生懸命考えていますが、なかなか難しいですね。
幼虫やさなぎのときにそれぞれ働いている遺伝子を突き止めていけば、もっとわかることがあるんじゃないかと思っています。面白い研究なので、誰か若い人がやってくれたら嬉しいですね。
みんなの介護 研究を引き継ぐことは重要ですよね。それから、池田先生自身の今後のご活躍も楽しみにしています。
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